ある金曜日の夕方
真神学園の生徒が五人、どやどやと入って来た。
外見といい雰囲気といい、五人が五人とも、やたらと目立つ者たちだった。
全員がタイプは違うものの、美形といえる顔立ち。
先頭の男女ふたりには、見覚えがあった。
たしか、それぞれ弓道部と剣道部の部長で、矢と防具の修繕に来た事があった。
ふたりとも赤毛で、端正な顔立ちをしている。
良く言えば元気、しかし、悪く言えば騒がしい。
正直、好きになれないタイプだ。
もうひとりの少女は、長い黒髪の、今時めったに見られない、清楚な雰囲気の美少女だった。
後ろのふたりには、なにか感じるものがあった。
ひとりは190cmはあろうかという大男。
実は整った顔をしているが、その体躯のせいか、そういう印象は、消されてしまっている。
それよりも、問題は彼の纏った氣だ。
この懐かしい空気、これは同胞たる白虎のものだ。
まだ目覚めてはいないんだろうが……こんな所で出会うとは。
そして、最後のひとりに至っては、なんと黄龍だった。
既に白虎が共にいて、更に玄武がここにいるのだから生まれていても、おかしくはないが、……それにしても。
やはり、今はそういう時代だということなのか。
まあ、記憶が戻ってはいないのならば、彼らもとりあえずは、ただのお客だ。
挨拶をする。
赤毛二名以外は、珍しそうに品物を眺めている。
黒髪の少女は、元々骨董が好きなのだろう。瞳を輝かせんばかりの様子になっている。
退屈だったのか、つかつかと赤毛男がやってきて言う。
「武器って、買ってくれるのか?」
「京一ッ、言い方が悪いよ」
「じゃあ、なんて聞きゃあいいんだよッ!」
ああ、騒がしい。
馬鹿だな、何をしにきたのだか知らないが。
商談の相手の機嫌を損ねて、良い事があると思っているんだろうか?
「その品物の出所は何処ですか」
それでも一応は、聞いてやる。
「ねぇ、なんて言えばいいんだろう」
「いーじゃねェか、そんなんどーでも」
ひそひそと相談しているつもりのようだが、全部聞こえているよ。
「えっとボクたちね、その、あの」
少女はそこで黙ってしまい、赤毛男は我慢できなくなったのか、騒いだ。
「だから、物を買ってくれるかを、訊いてるだけじゃねェかッ」
全く……
彼に常識というものを、懇切丁寧に教えてやる。
「そんなんじゃね」
更に騒ごうとした赤毛猿の背後に黄龍が立つと、それは急に黙った。
それから、哀しそうに呟く。
「痛ェ…、ひーちゃん酷すぎだ……」
涙目になっている。声も震えてる。
どうやら、僕からは見えないように殴ったらしい。
彼は、猿に何事か囁いたあと、こちらに向き直る。
ご丁寧に笑顔付きだ。
「申し訳ありません。連れが失礼な真似を」
その完全な礼儀正しい態度に、自分と彼は同類だと感じた。
僕は、感情を隠すのに、無表情を選択した。
彼の場合は、その仮面が笑顔だったのだろう。
煩い連中は先に帰るということだし、彼を室内に招き入れる。
品物とやらにも、彼自身にも興味があった。
彼は、いくつかの品物を並べた。
どれも業物ばかりだった。
出所について聞いたら、彼は化け物からだと平然と答えた。
「経験がおありの筈ですから」
その言葉とともに、殺気のこもった蹴りが放たれる。
笑顔のまま、何の前触れもなく。
迅さには、自信があった。
それでもぎりぎりの所で蹴りを躱し、思わず手にしていた刀で斬り込む。
なんの遠慮もなく急所を狙った斬撃は、いずれもあっさりと躱された。
距離を取って睨みつけると、彼は殺気を消した。
「ね、信じて頂けるでしょう?」
そして、あっさりと微笑んで聞いてきた。
あの殺気はなんだったのか、と思うほど穏やかに。
これが裏表のありすぎる、黄龍との今生の出逢いだった。
夏休みに入り、品物の整理などをしている時だった。
ここ数日気になっていた、淀んだ水の気配を更に強く感じた。
【彼ら】も、ご苦労な事だ。この暑いのに。
裏付けをとろうと調べた結果、それらしい事件はすぐ見つかった。
芝プールの連続行方不明
おそらくは、これだろう。
暑い中事件を調べに、わざわざ港区まで行った。
着くなりすぐに、悲鳴が響いた。プールの方から、生臭い悪臭と気配が流れてくる。どうやら正解だったようだ。
しかし気配の方は、予想よりも遥かに短時間で消えた。
思っていたより手際が良いな。
理性を残した者が、指揮についているのか……。
残留した気を辿るため、プールの方へ向かうと、見知った五人組がいた。
彼らも先刻の気配を感じたらしく、戻ろうとしている。
もう無駄だと教えようと思い、声をかける。
…やはりこの赤毛ふたり組は好きじゃない、と再確認する目にあう。
年齢上そう見えなくとも、僕は確かにあの店の店主であるし、こちらはしっかりと彼らを覚えていたというのに……。
その会話を黙って聞いていた龍麻が、ふいに訊ねてきた。
「翡翠、無駄の根拠を教えてくれるか?」
『翡翠』と名で呼んだところで、赤毛猿が硬直していた。
そんなに気になるのか、面白い反応だ。
「もう奴らは逃げた。それだけだよ」
「じゃあ、お前はなぜ、向かおうとしていたんだ」
さすがに頭が回るな。
しかし、それには答えず忠告をする。
「君達は手を引くんだ。僕は、ただ義務を果たそうとしているだけだ。
それに、この一件に他人を巻き込むのは本意じゃない」
嘘ではない。
実際、あのメンバーでは危なっかしい。
今の彼らでは、『黄龍を護る者』どころか、護られている。
確かに、敵が水妖というのは、お互いに耐性があるため辛い。
だが、それなら首謀者を仕留めてしまえば良いだけだ。
まだ人間であるようだし、そう難しい事ではない。
数日たって、芝プールの人が引いてから、残留した気配を慎重に探る。
細い糸のようなプールに残ったかすかな氣を、手繰っていく。
辿り着いた先は、青山霊園とは……また素敵なところを選んだものだ。
墓地内に入っていくと、また、彼らがいた。
しかも三人も増えている。やれやれ。
せめてもの嫌がらせに、気配を完全に消して話しかける。
「君たち」
龍麻以外は、必死の形相で振り向いたので、少し気が晴れた。
「君たちは僕の忠告を、無視するつもりなのか?」
「理由を述べない忠告は、聞いてないものとする。俺の基本方針だよ」
「龍麻……、
僕は飛水家の末裔として、徳川家の眠りとこの東京を、守る義務がある」
幼い頃から、そう言われ続けたのだから。そう信じているフリが、一番楽だった。だから、僕は東京を護り続ける。
たとえ、本当はどうでもいい事でも。
白虎と黒髪美少女が、それでも説得をしてくる。
思わず端的な『邪魔なんだよ』という言葉を、投げたくなるのを抑えて、穏やかに告げる。
「いや、やっぱり僕はひとりで行くよ。それが、君たちのためでもある」
「いっしょに来たくれた方が、俺たちの為だ。その方が助かる」
どうせ止められたって行くしな
龍麻は、笑いながらそう続けた。
強引なんだな。
仕方ない……もう諦めるしかないか。
地下道を歩いている時だった。
重い音が響いた後、岩が、丁度龍麻の上に落ちてきた。
「龍麻!」
『水』によって岩を弾き飛ばし、思わず龍麻を引き寄せた。
が、彼の面に浮かんだ笑みを見て、気付かされる。
こいつの反射精度で、よけられないはずがない……と
わざと、皆に力を見させたな。
という事は、何かをさせる気か。
瘴気のもとに辿り着き、その光景を見てうんざりした。
一面の水妖、一面の水妖…だ。
これほどの量は、ヒトにどうにかできるものではない。
思ったとおりに鬼道衆の、鬼面の女が現われる。
そして僕の方に、憎しみのこもった眼差しを向けてくる。
「おのれ…忌々しき飛水の末裔よ」
知ったことか。幕末の失敗は、自分達の無能が悪いんだろうに。
勝手に憎まれても、いい迷惑だ。
女の言葉と共に、魔に魅入られた者――水岐 涼が変生していく。
まあ妥当な最期だな。
「小蒔は雨紋の援護、葵もそこで回復、雨紋ふたりを頼む。
藤咲は京一と醍醐の援護、舞子はそこの回復担当。四人離れるなよ」
龍麻が、二手に適切な指示を出す。焦るでもなく冷静に。
彼がちゃんと『リーダー』を、している事に思わず感心してしまう。
『タルいから、夏はこないでほしいよなぁー。ああ、暑ッ』などとほざきながら、人の店で寝転んでいた奴と、同一人物とは思えないよ。
そして、自分の名前が出ていない事に、ふと気付いた。
見ると龍麻は、とても素敵な笑みを浮かべていた。
「そんな訳でよろしく。盾くん」
「盾って……」
これを皆に納得させる為に、わざわざ力を見させたのか。
だが、こっちが非難する前に、龍麻が外に真剣な顔で続けた。
「あのアマと水岐からの、水による攻撃を防いでくれ。あとは俺がやるから」
そして、小さく囁く。
「水岐とかの人間系を殺すのは、俺かお前にしたいんだよ。
他の奴らだと、一生苦しむ。お前なら1週間くらいですみそうだ」
「酷いな。大体君はどうなんだい」
「2,3日は悲しむさ。……だから、俺たちどちらかで」
「承知した」
雨紋と呼ばれた男の雷気が、次々と深き者たちを滅すのを横目に、僕らは水角達へ向けて走り出した。
「させぬッ、秘術水桜閣!!」
水流がこちらに向けて押し寄せてくる。
なるほど、確かにこんなものを防ぐのは簡単だ。
「分身、水列斬ッ!!」
水角の放った水は、僕の水によって切り裂かれ勢いを失う。
「ふん、気持ち良いくらいだな」
龍麻が、余波の水を浴びながら、悪役の様に呟く。
不遜な笑いを浮かべながら。
そして無造作に水岐に近寄り、三発叩きこむ。
三発目で吹き飛ばされた水岐は、岩肌に激突して動かなくなる。
……龍麻、それでは悪役を通り越して、悪の帝王だよ。
そのとき視界の端に、龍麻に切りかかる水角が映った。
ギンッッ!!
刀でそれを受け止め、そして胸を貫く。
「やりすぎたようだな。東京を護る、飛水に連なる者として……貴様に、死を命じる」
「お…のれェ、お屋形…様……」
ヒューヒューと嫌な音がする。肺を傷つけたのだろう。
それでもなお、悔しげに唸る水角には構わず、止めを刺す。
「邪妖、滅殺」
「鮮やか」
パチパチ
呑気に拍手をしながら、龍麻が言った。
「良いのかい、あっちは?」
水角が戻った蒼の宝珠を渡しながら、そのふざけた様子に、思わず聞いてしまう。
今、美里さんともうひとりの少女は、人間の姿に戻った水岐に、必死で回復を試みていた。
「無駄なのにな」
思わず小さく呟いた。
変生したものが、元の姿に戻る。それは死ぬときだけだ。
「無駄じゃないさ」
龍麻が、僕にしか聞こえないほどの声で囁いた。
「アイツらが満足する」
珍しく優しい事を言うんだと、感心したのにな……
「それに……死の間際、一瞬だけだが意識が戻る。苦痛が少ないに越した事はないだろう?」
……
今の言葉は、本心から出たようだ。
「君は優しいんだか、酷いのかわからないな」
「優しいのさ。何を言っているんだい?」
彼は笑いながらそう答えた。
もういつも通りの、不敵で非道な彼だった。
意識を取り戻した水岐が、最期に何かを呟いた。
「ごめんなさい…、私、何もできなかった」
美里さんが、泣きながら水岐に謝る。
涙がこぼれていく。
それに伴うように、美里さんの身体が淡く、そして暖かく輝く。
彼女から溢れた光が、水岐を包み優しく浄化していく。
この光――浄化の力。
そうか、黄龍に寄りそう少女――彼女は、菩薩眼の女だったのか。
ほんの少しだが、彼女の慈愛に感動した。
だから龍麻の次の一言は、聞こえなかった事にする。
「これで、死体遺棄にならないで済むな」
霊力による支えを失った洞窟が、撓み軋んだ。
もう、長くは持たない。
皆で必死に走り出した。
崩れた地下洞窟を後にし、やっと一息つけた。
霊園で皆が辛そうにしている中、ひとり毅然とした龍麻と目が合う。
「龍麻。僕もこの地を鬼道衆から護る手伝いをさせてくれないか」
今更だが、とりあえずそう告げる。
「ありがとう」
満面の笑みで、心から嬉しそうに答える龍麻を見て、ひとつ決心する。
戦いの中でも、こんなふうに演技を続ける彼の為に、共に居る事を。
彼が黄龍だからではなく、東京を護る為でもなく、ただ緋勇龍麻が、壊れずにすむように。
仮面を外せる人間が、ひとりくらいは必要だろうから。
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