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紅葉月

凄まじく陰気な固まりが、店の隅にあった。
ソレはここ数日、沈んだ様子で、ごろごろと人の店にて転がっていた。……迷惑な事に。

「暗い顔をして、よりによってバトルロワイアルを読むのは、止めてくれないかい」
「ん、これけっこう面白いよ。少なくとも俺には。さすが審査員全員一致で、拒否されただけはあるね」

話題になった問題作から目を離さず、最近できた知人は答える。
全くもって答えになっていないんだが。本の感想など聞いていないのだから。

「暗い生き物が、店に転がっている者の身にもなったらどうだ?」
「他人(ヒト)の嫌がる事は、進んでしなさいって、先生が」

こちらを向きもせず、道徳の時間のような台詞を口にする。……確かにその類の教示はあったが、意味が違う筈だろう。
とりあえず、苛立ちが強まったので、ただ一言端的に要求する。

「黙れ」

ひどい翡翠ちゃんはボクが嫌いなんだ―――などと、くすんくすん言いながら更にいじける龍麻を、放置しながら考える。

正確には何日ほど前から、暗い顔をしていたのか。
これが分からない。僕の前では、沈みだしたのは、確か三日前だった。五日前に皆と会ったときは、普通に笑っていた。その間に何かがあったのだと推測できそうだが、彼の場合は、そうとは限らない。善良な『仲間たち』と共にいるときは、彼は負の感情など、微塵も外に出さないのだから。

大体、外見だけは綺麗で、中身は歪みまくっているこの男がなんだって、こんな事になっているのか。

「で?」

膝を抱えて泣くフリを未だに続けている男に、ちらりと目を落とす。このままだと永劫にこの状態が続きそうなので、しかたなしに、問う。

「で、とは?」
「ひとりで考え込みに来たのか、話に来たのかどっちなんだい」

こんなのでも、一応宿星的には主だ。
また床に転がりだした龍麻に、嫌々ながら訊ねてみた。

「うーん。折衷?」

なんだそれは。そもそもなぜ疑問系なんだ。
別にどちらでも、彼の望んだ方に付き合うつもりだったのだが。

「人間的には相談したいんだけど、飛水の者には、いいにくいこと」

付け加えられた説明で、やっと想像がついた。
飛水には話せない問題事。すぐに思い浮かぶのは鬼道衆のこと。そして、彼が思い悩みそうな人物は更に限られる。

「また、君は九角と仲がいいのか………」

鬼道衆の頭目であり、遠縁の彼と。
明確に組織同士として敵対していた『前』ならまだしも、今生など、どこで知り合う機会があったのやら。運命とやらの気紛れさには、頭が痛くなる。

「またなのか」
「ああ、『昔』もね」

昔も、幕府直属の隠密であり隊の中心的役割であった彼が、幕府に一族を殺され、心底憎んでいた鬼道衆の頭目と友人であった。

「翡翠、やっぱり記憶あるんだな」
「断片だけさ」

全てなどではない。全てを持ち越せるのならば、それは転生どころか再生。そうそうに起きるものではない。
ただ断片的に覚えている。自分が、彼のサポートと監視を徳川より命じられた忍びであったことを。
豪気で、それゆえに人情深かった彼が、九角の一族を同情していたこと。家ごと人質に取られ、徳川に従っていた彼が、九角天戒に共感さえ覚えていたこと。

龍麻は、ふと真面目な眼差しになって、小さく言った。

「正直、殺したくない。殺されるのは、もっと嫌だけどな」

こんなとき、彼はわりと酷薄な表情をする。彼が『緋勇様』だとすぐに気付かなかったのは、表情が原因だった。顔立ちは嘗てと変わりが無いのに、龍麻は表情が極端に少ない。すぐ笑いすぐ怒っていたあの方とは違い、彼は基本的には微笑みしか他者に見せない。

「そういう言い方をする、ということは判っているんだろう」

確認のため、あえて訊いた。
今の台詞は、必要ならば殺るという事だ。

「ああ、天童は俺を殺すつもりだろう。なら、こちらだけ手を抜いていたら殺されるだけだ。 そもそも助けるなぞ無理だろう。あいつのせいで人が死に過ぎている。そんな道理は、本当はどうでも良い話だが」

殺さなければ殺される。――ならば殺すと。
頭はそう理解しているのに、助けたいと思うわけだ。だが、それが不可能だということすら理解していると。悲惨だな。昔のように、単純に全てを救いたいと思えるほどに、純朴であれば楽であったろうに。

「では、なぜ?」

理由など大体わかるが、訊いてみたくなった。
どうして彼はこんなにも変わったのだろうか。

「判っているだろう?助けたとしても、あいつはまた、繰り返す。
見知らぬ人間なんぞ、何百万人死のうと知ったこっちゃない。だが、二十人ほど死なせたくない人達がいる……から、殺す」

これが最大の違い。
優しかった龍斗さま。人当たりこそ龍麻とちがい、ぶっきらぼうで口が悪くて、だが、どんな些細な知り合いにさえ心を砕いた。誰もが大切だった。鬼道衆に属する者たちの事情に心を痛め、なんとか救う手はないかと奔走していた。

龍麻は違う。彼の中では、残酷なまでに区別されている。大切な人間と、どうでもいい人間と。だから九角が、大切な人々を傷付ける怖れがあるのなら――――殺せるのだろう。

「結論はでてるわけだ」
「出てるさ。だからこそ、ちょっと鬱なんだよ」

そのまま畳の上をゴロゴロ転がる。鬱陶しい奴め。
しばらくして、寝そべった姿勢から文句を言ってくる。

「お前が悪い」

ほう。人聞きの悪い。僕の何処に間違いがあったのかな?

「なぜだい」
「俺の答えがわかった上で相談に乗り、答えてやった形式にする事くらい簡単だったろう」

ああ、簡単だよ。
だが君は望まないと思うけどね。

「君が得意そうだね」
「大得意だ。女とか、そうじゃん。既に決めておいて、人にも意見を聞くだろ。それで、他人も、こう言ったから正しいんだって信じ込もうとするじゃんか。あれだよ、アレ」


もしも龍麻の表面の性格しか知らなかったら、なんと言うか……か。
彼の心の負担を軽減させつつ、『正しい事』を告げればいい。決意を秘めた強い眼差しで。

「たとえ君の友人でも、彼は鬼道衆の首領だ。僕は飛水の裔として、彼の存在を許す事はできない。多くの不幸を生み、東京の護りを脅かす者を。
だから、君ができないのならば、僕が殺すよ」

彼の罪を再認させ、自分が躊躇えば、他の人間が手を汚すことになると。
この辺が妥当だろう。

「翡翠……そうだね。彼が犠牲にしてきた人達のためにも倒すべきなんだな。
ちゃんと俺の手で倒すよ。……ありがとう」

クサイ台詞で応えられた。溜めの演出まで使用した見事な答えだ。
本質さえ知らなければ、この悲壮な表情に、確実に騙されていただろう。

だが、今は知っている。

「とか、いって欲しかったのかい。ウソをつくのは良くないよ」
「ウソとは失礼な。ちゃんと答えたのに」

あっさりと表情を戻し、彼は肩を竦めた。
確かにちゃんと答えたが、それは外向きだろう?

「嘘、とは結論を示唆して欲しかった、というところさ。自分の意思で決められないのは、死ぬほど嫌なくせに」

その辺は変わりはないだろう。何もかも自分で決めなければ我慢できないくせに。
他者に強制された道を歩むなど、耐えられないくせに。

図星だったらしく、黙り込む。明らかに表情が不機嫌になっていくのがわかる。
子供か、君は。

寝転がっていた龍麻が、いきなり正座して本を読み出した。
先程までの不貞腐れたような表情は消失し、いつもの穏やかな表情を貼り付けて。
何事かと思ったが、一瞬後に納得する。

近付いてくる一団がいる。これは『彼ら』の気配だ。


「ひーちゃん。ここかッ」
「龍麻ッ」

がやがやと口々に名を呼びながら、四人が入ってくる。

「どうしたんだ?みんな揃って」

龍麻は、一連の態度をビデオに撮っておきたくなる程に、完璧な笑顔で、答えている。

ビデオか。意外にいい案かもしれない。
こいつの弱みを握っておくのも……。

などと、考えていたら、彼はこちらを見ていた。

「どうかした?翡翠」

笑顔で首を傾げる彼が、凄まじく怖い。なぜ内心が分かったんだ?

やはり化物だなと、再確認する。
隠しカメラなんか、セットしても数秒でバレそうだ。

四神の一角たる玄武が護るべき者――黄龍。
大地の王であり、時代の変革すら可能とする生まれついての覇者。
それが、なぜこんな腐った性格の者として生まれたのか……。

彼と出会ってから、何度疑問に思ったかわからない。

和やかに微笑んで、真神の者達と会話を交わす彼を、ちらと横目で眺めながら考える。

数多くの仲間を引き付けてやまない龍麻。
あまり認めたくないタイプではあったが、青龍も集い、四神の護りも、残すは朱雀のみである。

やたらとオカルトに詳しい彼が、五行思想ひいては四神と黄龍、もしくは麒麟の関係を知らないとは思えない。
醍醐君が覚醒した時にも、何か考えていた様子だった。
自分の宿星に、薄々勘付いてはいるのだろう。

その気になれば、彼はなんでもできる。
何にだってなれる。

……だが、きっと何も望まないのだろうな。


「ひーちゃん、本当に大丈夫?ボクたちにできる事があったら、なんでも言ってよ」

できる事が無いから、言わないんだろうに。
まさか君らに、鬼道衆の首領と友人で悩んでるなんて言えないだろう。

それでも、龍麻が悩んでる事くらいは、皆さん気付いた訳だ。
意外に敏感なんだな。


彼は、真神組に連れていかれるらしい。
少しくらいは、仮面を外す時間を与えてやれば良いのに。最早慣れすぎて、肌に張り付きかけていた彼の仮面は、少しずつ彼の精神を削っているのに。

善良な人々も困ったものだ。
今の状態では、彼の息抜き場所は、本当にここだけなのだから。九角との問題が片付いたら、少しは好転するのだろうか。


帰り際に、龍麻は小さく頭を下げた。

「翡翠、お茶ありがとな」

その笑みは、色々と含んでいた。
再確認し、完全に決意できた事への礼か。


彼らを送り出し、あの数瞬で乱雑となったあちこちを片し、やっと落ち着けた。
静かになった店内でひとり、昔のことを思い出していた。


溜息が出てしまう。

鬼の剣士と龍の拳士の縁は、絶えなかったらしい。
戦場では宿業の敵の如く戦いながら、それ以外の時は飲み交わし、よくつるんでいたあのふたり。

彼らは互いに尊敬さえしていた。
一族の怨念を忘れず、復讐の闘いを続けた鬼を。
家族を護るため、躊躇いもなく徳川に従った龍を。

悪鬼だと、人の心を持たぬ化け物たちだと、人々はただ怖れていた。鬼に起きた悲劇など知らずに。彼ら鬼達とて、どれだけの葛藤を抱えながら闘っていたかも知らずに。

なんと情けない犬だと嗤う者たちもいた。闘うことなく隷属を選ぶなど、武家の名門のすることかと悪し様に罵って。誰も知らない。あの誇り高き方が、傷つかない筈がなかった。それでも彼は一族の命を選んだ。まだ幼き異母弟妹を護るために、彼は膝をついた。

彼らは互いだけが、正確な理解者であった。
最も敵対する位置に立ちながら、誰よりも近くもあった。


そして最期まで、共に逝った。
全てが霞のかかった記憶の中で、あの光景だけは鮮明に焼きついている。
拳士の拳が、鬼と化した剣士の心の臓を貫き、鬼の爪は拳士の胸を薙いだ。どうしようもない相討ち。どちらも彼らを救うことはできなかった。



今生では、共に過ごせる事を望んでいた。
徳川の非道さえなければ、友でいられた筈のふたりだったから。
だが、また、それは叶わぬらしい。


彼は、またその手で友を殺めるのだろうか。
また、彼も喪われるのだろうか。


飛水の使命など、それほど重要視をしている訳ではない。
玄武の宿星も同様だ。

ただ、幼き頃よりそれだけを教えられたから、積極的に生き方を変えようとも、思わなかっただけだ。芝公園の怪異に首を突っ込んだのは、それが飛水の者ならば、防ぐべきことであったから、使命に従っただけの話。東京を護る闘いに手を貸したのも、同じ事。

飛水であるのなら『すべき』だから。
一生をそうやって生きると思っていた。判断基準に照らし合わせて、必要な事を選択して。

だが、今ならば変えてもいい。
いや、変えたい。東京や人々の幸せは考える必要はないだろう。それは優しい仲間達が引き受けてくれるはずだ。

龍麻だけでも、今度は助ける。

そう決意する。
東京の為でもなく、彼が黄龍だからでもなく

ただ、護りたいから。

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