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百代

渦巻く怨嗟の念、消えることなき悪罵の声。
苦悶の表情を浮かべた、血塗れの一族たちが囁き続ける。

   ――許さぬ

   ――徳川の非道を
   ――あの裏切り者を

知らねェよ。俺の知ったことじゃねェ。

   ――御屋形様
   ――天戒様

   ――我等が無念を


その名で呼ぶな。俺は、天戒じゃねぇッ!!
俺はッ――――


そこで目が覚める。
いつもの見慣れた悪夢だ。
物心がついた時から、見続けた夢。


鬱陶しい。
纏わり張り付く髪を結い上げて、起き上がる。

こんな寝苦しい中で、無理に眠りに入るのも難しいだろう。
気を紛らわす為に、外へ出かけようとしたが、心配性の部下にでくわした。

「御屋形様、こんな時間にどちらへ」

眉を顰める様は変わってねェ。
あいつそのものでは、ないってのにな。

「散歩だ。お前も行くか?」
「このような時に」
「黙れ、嵐王。意見を許した覚えはねェよ」

言い捨てて、振り向くことはしない。
本当のあいつならば、なんて言おうと小言を続けただろうが、今の奴は使役している俺に逆らうことはできない。
こういうときに、強く感じてしまう。奴らは、あいつらではないということを。


あてもなく歩くうちに、強い呪力を感じた。
その元は、公園の一本の櫻だった。他の櫻が殆ど散っているなか、それだけが満開だった。

懐かしき血の香り。残る死の気配。
それらを糧とし、咲き誇る魔性の華。


ちょうどいい。此処で朝を待つか。
幸い酒もある。

魔の空気に浸りながら、花見酒と洒落こんでいた。
煩わしい部下よけに張った結界が、不意に音もたてずに割れた。

敵か? 部下か?
だが、どちらにしろ破り方がおかしい。術で破ったのではなく、相手の存在感に耐え切れず結界が崩壊した。
無論全力を込めた結界ではない。『気付かない』ことを主眼とした、無意識に働きかける、そう強くも無い結界。だが、だからといって、何もせずに砕けるものでもない。

「誰だ」

誰何の声に、警戒するでもなく、若い男が姿を現す。
それは、嘗て何度も出会った貌だった。


――――緋勇 龍斗。
いや、今はおそらく違う名だろう。
だが外見は変わっていない。鋭利な美貌も、その身を包む静かな気も。

一瞬だけ考えるような素振りを示したが、何も触れずに、詫びる。

「邪魔をしたかな。失礼」

この様子では、記憶を取り戻してはいないのだろう。
違和感がある理由はこれか。奴とは思えぬ丁寧な言動と穏やかな表情。

が、その後に続いた呑気な台詞から、やはり基本は変わっていない、と確信する。

そういや、昔も酒好きだったな。



そのまま酒宴に突入する。
相変わらず、幾ら呑んでも赤くもならねェ。呆れるほどに強い。

凄まじいペースで盃を空け、平然としたままなのは昔通り。
だが、あまりに丁寧で穏やかな態度に、再び本当にアイツの子孫なのかとの疑念が湧く。確か龍斗は弟妹が居たはずだ。あちらからの血なのだろうか。

「タメぇ〜!? それは嘘だ。絶対嘘だ」

……誤りだったようだ。穏やかなのは、単なる演技だ。
龍斗となにも変わってねェ。

……むしろ、性格が更に歪んでねェか?

別れ際に、名前を訊くと、奴はしばし考え込んだ。

名を告げると面倒なことになる気がする――と。
小さく笑む顔には、どこか冷気が漂っていた。全く記憶がねェってわけでもないようだな。

「緋勇龍麻」

結局は答えた。だから名乗り返す。
互いに軽口を叩きながら、言い合う。……奴は、九角の名に反応を示した。

それでも、今は何もしない。
偶然出会った気の合う男を、殺す必要はないだろう。

但し、その名前を心にしっかりと刻む。
今生での最大の敵の名を。




当てもなく、ただぶらついていた。
例によってあの夢を見て、気分が悪くて外に出た。

あの白い女と出逢ったのは、そんな夜だった。

「お兄さん、寝ない?」

背筋が痒くなるような、色っぽい声と共に妙齢の女が現われる。
色素のない、綺麗な女だった。ただ、その深紅の瞳に感情は殆どなかった。


暇でもあった。だから、好奇心からついて行った。
善い女でもあるしな。



「にいさんよぉ。人の女に手を出すなよ」

待っていたのは、よくある美人局。
残念だな。まさかこんなにつまらない展開だとは。
夜の新宿で、色の無い美女の誘い。もう少し、工夫があってもいいだろう。

しかも男は、明らかに三下だった。
こんな上等の女が、こいつのものとは思えない。更には、女は望んじゃいない。

そして、何よりも重大な理由。こいつは俺を落胆させた。
末路決定だな。

「びびって声もでねぇか? けけ……ぐぁッ!! ああ、腕がぁ、痛ェよぉ」

そりゃあ痛ェだろうよ。そういう風に斬ったからな。近付いていくと、必死で後退りする。
無駄な事だ。逃がしてやる理由などない。

「なんで、どっからポン刀なんかッ!」
「細かい事は、気にすんな。ところで、細切れと真っ二つどっちが良い? ああ、毒で衰弱ってのもできるが」

殺せる方法というのは、この辺りだろうか。
鬼に堕としてやるという手もあるが、別にそこまで手間をかける必要もないだろう。

「いやだ、助けてくれ」

この期に及んで命乞いか。
愚かだな。向ってくるのならば、まだ楽に殺してやったものを。

「い〜や、駄目だ。選ばないと全部やるぜ」
「どうして、こんな事をするんだよぉ」

大の男が半べそってのも、不気味だな。
だいたい、てめェが悪いんだろう。手軽に暴力を振るう相手を探していた結果、こんな獲物に行き当たったのだろう。

「てめェ、俺が力のない普通の奴だったらどうしてた? 自業自得って奴だろう。で? 全部か?」

男は、半泣きのまま、小刻みに震えながら答えた。

「いやだ。せめて、すぐに死にたい」

苛立ちが頂点に達し、寧ろ笑ってしまう。
最後まで泣き言か。散々好き勝手やってきたろうに。

「そうか、じゃあ叶えてやろう。……逆にな」



細切れにされた男には、目もくれず女が寄ってくる。
熱に浮されたような瞳で、ただ一言だけ呟いた。

「抱いて」


乱暴に脱がせた身体は、極上でなお且つ酷かった。
あちこちに痣。火傷や噛み千切った跡までありやがった。

人間は、いつもこうだ。弱い奴ほど、より弱き者に残酷になりやがる。

この女は、類稀なる美しき華。
温室だの花壇とまではいわない。せめて、道端にでも咲いたのならば、誰もがその美しさを称えただろう。

だが……よりによって、汚泥に咲いてしまった、哀れな華。
その運命は、腐り落ちていくだけだ。


「ありがとう」

抱いた後、女がはじめて微笑う。
先程までの焦点の合わぬ瞳ではない。

「それで済ませちまうのか?」
「だって、あいつ大嫌いだったもの。一番下手なくせに、一番殴って、人を誘わせて」

そういう女の顔は、感情をしっかり映していた。普段は辛いから、感情を殺しているのか。狂ったような言動は、本当に狂わぬ為の防御壁なのか。

「辛いんなら俺と来るか? ここよりはマシだと思うが」

自然と口にしていた。
嘗て―――幕末の頃に、山ほど見た悲劇だった。こうやって、虐げられていた者たちが、あの村では沢山暮らしていた。

「無理よ。だって私は」
「お前の事情に興味はない。意思を聞いている。来るか? 来ないのか?」

攫っていくことなど、そう困難ではない。
追って来る只人など全て殺してしまえば良い。

女は長く黙り込んだあと、消え入りそうな声で答えた。

「自分でもわからないの。どうすればいいのか」

本気なのだろう。自分で自分の行動を決めたことなど、一度たりともないのだろう。
おそらくは、考える自由さえもなかったのだろうな。

――俺と同じように。


これは安っぽい同情なのだろう。
共感にすら届かない、哀れな女への。

「なら、また来るからな」
「ええ」

だが、それでも―――見捨てることはできなかった。
護りきれなかった村人を思い出させるこの女を。


「ねー、天ちゃん」
「なんだ」

何度かここに通ううちに、その力の抜ける呼び名にも慣れた。
天童……じゃあ、天ちゃんね――と言われたときには、椅子からずり落ちたが、慣れってのも恐ろしいものだ。

「まークンにも、名前付けてッて頼んだんだ。そしたらね、紅って言ってくれたの」
「確かに一番に浮かぶよな、紅って」

皓でもいいかと思ったんだが、それは呼びにくいしな。
それに、紅の容姿は『白』よりも『赤』の方が、印象が強い。……まあ、それは俺の独断だが。

「それでね、まークンが、普通の男の人は、同じ女を抱くのは嫌がるって言ってたんだけど、天ちゃんはそう? だったら、もうあまりまークンの話しないけど」

紅が、常識を与えられずに生きてきた事は知っていた。
だが普通は、こんな聞き方はしないぞ。あっけらかんと、他の男にも抱かれてると告げられたら、萎える男が多いんじゃねェか。
尤も、俺は全く気にしねェが。

「俺は気にしない」
「良かった。まークンもそうだって」

まークン……か。
同じように美人局で誘わされた男で、同じように連中をぶちのめしてくれたと、紅が嬉しそうに話していた。その男は、流石に連中を殺さなかったようだが、彼女の話を聞いた限りでは、死んでもおかしくないだけの暴力だったようだ。そのときから、そいつらを見かけてないらしいし、やっぱ後で殺したんじゃねェのか?

素手で三人を瀕死にまでぶちのめした若い男――か。嫌な予感がするな。

「そいつってどんな奴だ?」
「綺麗で、背が高くて、優しくて、穏やかで――冷たくて、残虐な人」

……それじゃあ分裂症だぞ。
余計に心当たりが絞られてしまうが、考えないようにしておこう。


「そうだ。天ちゃんが来たら頼もうと思ってたんだ。髪を切りたいの。アイツが切ったって事にしてくれる?」

紅は、部屋の隅に転がっている三下を指して微笑む。
最近では、いちいち殺してない。あまり失踪が増えると、不審すぎるからな。
偽りの記憶を与えて、眠らしている。

「切っちまうのか? 似合ってんのにな」

腰まで伸びたその純白の髪を、指にひとすじ絡めながら言う。
白磁の素肌に波打つ髪は、美しいのに。

「ありがとう。でも私が嫌いなの」
「絶対に曲げねェのな。お前は」

くすり、と艶やかに笑う。
意外にこいつは強情だった。これだけ願っているなら変えないだろう。

「肩より上で切ってね」
「俺が切るのかよ」

そんなことをした経験なんぞ、あるはずはない。
それでも要望通りに、切ってやる。

出来るものだな。刃物の扱いには慣れているということか?
それにしても意外だ。こんなに短くても、似合うんだな。

頼りなく、妖艶そのものの印象が、しっかりとして見える。髪型で一つで、随分と変わるものだ。

「できたぞ。これはこれで似合うな」
「ありがとう。大好き」

にこりと微笑み抱きついてくる。相変わらずに全裸のままで。

心臓にきた。
まずい……本気で気に入りつつある。



「炎角様、岩角様。両名とも、奴らに封じられました」

そうか。少しは予想していたが、一挙にふたりとはきついな。

「炎角に言われて結界を張っていたんだが、白虎はどうなった?」
「それが、自我を取り戻したようです」

完全に、失敗というわけか。
下忍を下がらせる。

「はッ。では、失礼いたします」

あと残る珠の化身は、雷角だけか。
最も闘いについて思い悩んでいた御神槌は、自分の形質を強く映した者が最後まで残ったことをどう思うのだろうか。

無性に寒くて、あの女に会いたくなった。


紅のマンションのロビーで、嫌なモノに逢った。

「なんで、こんな所に居るんだ」

返ってきたのは冷たい言葉。この前の穏やかさとはまるで別人で。
そういや、つい数時間前まで、間接的にこいつらと闘っていたんだな。


「頭を潰せば、雑魚はどうにでもなるよな」

いっそここで、決着を着けちまうか。
そうすれば、これ以上他者を巻き込まない。

「それはこちらにとっても同じ」

向こうも、わりと本気のようだ。
声と瞳の冷たさも、殺気も申し分ない。

互いの殺気が、限界寸前まで高まったその瞬間、声が聞こえた。

『……助けて』

頭に微かに響いた今の声は―――

「「紅?」」

上階を見上げ、同時にエレベーターへ走り出した。

「やっぱり」

走りながら、こっちをチラッと見て、龍麻が呟く。
こいつもなんとなく、察していたらしい。
紅……こいつに、天ちゃんとか話していたのか?

だが、紅の言動を不安に思う余裕は無かった。
奴が乾いた声で続けた言葉に、凍りつく。

「じゃあ兄弟?」

一般的に……そういう事になるんだろうが。……嫌すぎだ。

エレベーターに駆け込むと、龍麻が最上階――十三階を押す。

紅の部屋は、最上階の端。
遠すぎる。



「多重結界だと」

信じ難いことに、外法による結界が、紅の部屋の周りを幾重にも取り巻いていた。
一体、俺の他に誰が外法を。

「さっさと破れ」

龍麻の冷たい声で、我に返る。
しかし、同属性の結界は解かなければならないので時間が必要だ。たとえ、こちらの力が上でも。


「同属性を破るのは、時間がかかるんだよッ。陽のてめェがしやがれッ!!」

反属性なら破壊するので、力の差が顕著に出る。
こいつの力ならば、なんの問題もない。そう思い怒鳴りつけると、一言返された。

「役立たず」

……てめェ、そういう奴だったのか。
この前の態度は、完全なまでに演技かよ。

腹を立てたときには、龍麻は結界を破壊していた。ほんの一呼吸で。
施錠もされているので、刀を召喚し、扉を斬りとばした。



そこでは紅が――――。


また護れなかった。
ありがとう――と、大好き――と微笑んだ女を、目の前で死なせた。
どちらかだけでも居れば、防げたかもしれない。

どちらも居なかった理由は簡単だ。俺のせいだ。
俺が四神の一角を堕とす為に罠を張ったから、もうひとりは闘っていた。
俺が過去の因縁のために、暗躍したから、今を生きられた筈の女が死んだ。

俺が悪い。だからこれは八つ当たりなのだろう。
それでも――――こいつら全員を殺してやる。安息など、永遠に訪れない方法で。

だが、踏み出した瞬間に、龍麻に肩を掴まれた。

今更、正義面するのならば、てめェごとぶっ殺す。
そう告げようとしたが、龍麻の目を見て間違いに気付いた。そんな甘い奴ではなかった。


キレたこいつの恐ろしさに、俺でさえ寒気がする。
綺麗な面に、なんの表情も浮かべず平然と、それこそ鬼か悪魔の所業を繰り返す。

チンピラ全員が、もはや力なく、ただ呻くだけの塊となった。


「さて……。死んじまう前に、変生」

軽く手を叩き、平然とした様子でこちらを振り向いた。
怒りが強すぎて――――寧ろ、感情が消えている。お前も、本気ではあったのか。

それにしても、こいつらを変生させろだと?

ああ、なるほど。変生させ、陽の力で倒す。
そうすりゃ、確かに死体は残らねェな。


終わった後に、こいつは静かに宣言した。関わった奴ら全員を殺す――と。
異論があるはずもない。

ばれない方法か、簡単だ。


紅を囲っていた男――西香とやらの屋敷を、結界で包囲し、鬼に変生できるだけの闇を有した奴らだけ、別の空間に切り離した。
これだけの範囲……、結構疲れるはずなんだが、予想より遥かに負担が小さい。まさか黄龍の器の増幅能力か? 普通、陰に位置する者が、その恩恵に与るはずはないのだが。

……今までは『善』の立場を取る黄龍の器しか存在しなかっただけで、器自体に属性はないのか? 本人が望むのならば、その強大な力をどちらにでも貸せるのか?

結界を眺めていた龍麻に、目で問われ、我に返った。
そんなことを考察しても意味は無い。こいつが俺に力を貸すのは、この刹那だけなのだから。こいつ自身は、既に善良な仲間たちと、東京を護ることを選択しているのだから。

「これで、邸内にいるのは一定以上の『悪人』だけだぜ」
「つまり出会う奴ら全てを、殺して良いんだな。だが、どうなっているんだ?」

ここまで殺人への禁忌がないとは、少し意外だったな。
殺人がどうこうではなく、大部分の他人がどうなろうと構わないということか。ゆえに殺そうが目の前で死のうが、どうでもいいと。

「鬼に堕ちることが可能な者たちを、違う空間に隔離してある」
「成程ね。亜空間にしてしまうのか」

そうだ。既にあの結界内は異界。いくら暴れようと現界に影響を及ぼすこともないし、――――何をしようと、現界から目撃されることもない。


大部分を掃除したな。
相手にすらならない。連中は、こちらの速さに対応もできない。闘いなどではなく、ただの虐殺だった。

「あとの生存者は、三人か」
「そうだな、奥の書斎にふたり……これは、外法使いと西香とかいう奴だな。こっちにひとりか」

気配を探りながら、龍麻は重そうな扉を開けた。

「なんだよ、お前達。僕の顔も知らないのか」

そこにいたのは、まだ年端もいかない餓鬼だった。
但し、その表情は歪んでいたが。
大人が己の機嫌を取り、それを当然と考えた上で、他者を虐げる典型的な餓鬼だ。


「相当邪悪な奴以外は、現実世界の方にいるんだろう。失敗したのか?」

肩を竦め、嫌味ったらしく、龍麻が聞いてくる。

「そんな訳あるかよ。判ってんだろう?」
「ああ、凄えな。落合んちのガキみてェ」

確かにある意味ではな。親の力と、周囲を知った上でのワガママ。それは似ている。
だが、それどころではない。


悪行が俺には視える。人を堕とす為に必要な能力だ。
その力が、視せる。この餓鬼のしてきた事を。

「遥かに酷ェよ」

吐き捨てる。
親の立場と、それに従わざるを得ない弱い人間を正確に理解し、それを最大限に行使している。

「あっちは記者を怪我させたとかそんなレベルだろ。こいつは、もう何人も犯してる」
「え、できんの?」

顔を顰めつつも、なんだかずれた感想を洩らす。
そんな呑気な話でもねェんだがな。何しろ犠牲者の中には、あいつも含まれている。

「生殖って意味ではできねェだろうよ。だが陵辱という意味ならば、充分だろ、こんな餓鬼のを突っ込まれりゃ。
紅もされてるし―ーな。止めるなよ」

そう言って、俺が餓鬼の右腕を貫くとほぼ同時だった。


「誰が?」

龍麻が不思議そうに首を傾げる。
餓鬼の左腕は、妙な方向に折れ曲がっていた。まあ許すわけがないな。アイツを傷つけた者のひとりを。

餓鬼は、ギャアギャアと泣き喚いた。
人を傷つけたことなら腐るほどあるが、己が痛みを受けたことはないのだろう。苛立ちが頂点に達した。


「うるせェんだよ」

吐き捨てると、今度は両膝から下を切り落とした。
綺麗に斬ってないから、激痛なのだろう。声も出せずに、転がりまわっていた餓鬼の頭を、龍麻がそっと押さえた。
怪訝に思った瞬間には、奴の貫手が首を貫き、落とした。

素手で、首を落とせるもんなんだな。


「随分と、いきなりだな」
「だってちょうどイイ顔してたしさ。天童のおかげでね」

そういいつつ、餓鬼の服で血塗れの指先を拭う。
返り血は、殆ど浴びていないのが、ある意味不気味だ。

「このガキで最後だろう。親を脅すのに使えるよ。ほら」

龍麻は平然と、餓鬼の首を持ち上げた。
確かに、凄ェ面だった。させたのも俺だ。だが――――

「お前の方が、酷くねェか?」
「そいつは、キミの気のせいさ」

図々しく答えながら、頭を掴んで立ちあがる。

首、持っていくのか?


最後の部屋にいたのは、三十を幾つか越えた壮年の男と、皺だらけの老人。


餓鬼を見て、取り乱す男に、龍麻が冷たく応対する。
やはり、こいつの方が非道だと思うのは、俺の気のせいだろうか。

「小僧どもッ、この外法士 影幻を倒せると思っているのかッ」

男をかばい、老人が吼える。

笑わせてくれる。
外に漏れた技を、僅かに使うことしか出来ない小者の分際で。



龍麻にあっさりと半殺しにされた外法士を見て、男が錯乱しかける。

ふざけるな。
貴様だけは許さねェ。
紅は、あんな目にあいながら、貴様を愛していた。
それを刷り込みだの、擬似だの定義するのは簡単だ。

だけどアイツは、俺や龍麻の助けを拒んでまで、貴様の傍に在る事を選択したんだ。


「地獄に落ちても、夢に見な」


わずかな殺気に反応し、意識が覚醒する。
が、状況が掴めない。

妙に無機質で、小奇麗な部屋。見覚えなど当然無い。
どこだ、ここは?

「おはよう。はい、服」

きちんと畳まれた服を差し出してくる宿敵。
事態が一瞬、理解できなかった。
順番に、今まであったことを遡って思い出していく。

……そういや、屋敷を結界ごと消去したことで疲労しきってて、龍麻の家に泊まったんだったな。
いや、泊められたというべきだな。


納得できたところで、気になっていた事を尋ねる。
答えによっては、斬るぞ。

「今、殺気を込めなかったか?」
「幸せそうに寝ているのを見たら、急にむかついたんで、踏もうと思っただけだったんだが……。凄い危機反応だな」

踏むなよ。
それを相手に真剣になった自分が、なんだかむなしいだろう。



龍麻が手際良く、飯の用意をする。
……しかもうめェ

お前、本当にあの傍若無人で俺様気質な龍斗か?

メシだけでは物足りないので、酒を要求してみると、久保田を出してきた。

言ってみるもんだな。

メシを肴扱いにして、酒を流し込んでいた時にチャイムの音が鳴った。
龍麻の強張った顔で、あの堅物坊主の転生が来たことを悟る。

玄関で、奴が絞られているのが聞こえた。
悪いが退散させてもらう。

「じゃあ、龍麻。ご馳走さん、どうもな」

自然な様子で名を呼び、挨拶をしてマンションを後にする。

ほんの一瞬、共闘しただけの仲。
少し――愉快だった。


そう思ってから気付いた。先刻の間は、平穏に眠っていた事に。
悪夢は、見なかった。

驚いたな。
ずっと見続けたあの夢を。


だが、忘れる事などできない。一族の無念か。

本当は……忘れたいけどな。


復讐に必要なのは、友でも平穏でもなく、唯一つ。

……菩薩眼の女。

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