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時雨月


「へへッ、ラーメン食いに行こうぜ」
「ホント京一はそればっかだね」
「ほ〜う、じゃあ、お前は行かないんだな」
「あ〜、ウソウソ。行くってばッ!」

いつもの京一と小蒔に、それを笑って見守る緋勇・美里・醍醐の三人。修学旅行では多少のゴタゴタがあったものの、今は普段通りの平和な風景。
何人かは、それがつかの間の事だと気付いていた。それでも、彼ら真神の生徒とその仲間たちは、平和な学園生活を楽しんでいた。

彼らは、日常通りにラーメン屋に向かった。


「角倉く〜んッ」

遠くから聞こえたその声に、緋勇が反応する。

「龍麻ッ!!」
振り向いた彼を見て、確信したらしい少年と少女が走り寄ってくる。

「炊実、さとみ、なんでここに?」

比嘉炊実、青葉さとみ。
緋勇が転入する前に巻き込まれた事件の、当事者たちである。

「ん、キャンパス見学。すごい偶然だな」
「私も見学」

頷く青葉の姿に、緋勇は首を傾げた。比嘉の方の事情はわかる。新宿を通る有名大学は、いくらでも存在する。
たが、青葉が通う聖泉の付属の大学は、新宿からは相当離れていた。

「あれ?さとみは大学(うえ)にあがらないのか」
「ええ、生物系に行こうと思って、理学部を探しているの」

名前で呼んだ事、その気安い様子に、美里の表情が一瞬固まった。
前に聞いた『友人の彼女』を好きだったという話を、思い出したのだろう。

『現在の彼女』の様子に気付いていていないのか、フリなのか、ともかく龍麻は、そのまま会話を続けていた。

「炊実は、どこか決めたのか?」
「ん。希望は一ツ橋。ひろってくれればな」

緋勇は再度、首を傾げる。彼の通っていた栄香では、『普通』は東大を志望する。そして比嘉の成績は、十分に『普通』以上であった。

「東大にしないのか」
「ああ、弁護士になりたくなってさ。個人的にこっちの方が専門な雰囲気があって好きなんだ」
「ふーん、基本的には俺といっしょなんだな」
「え?お前もいっしょか?」

緋勇は苦笑する。記憶力に関しては、相当落ちる彼が、法学部など、考えただけで目眩がする。六法全書暗記など、世界が終わっても不可能なことだ。

「基本的いうたやん、理系だろ、俺は」
「あー、東工大か」

ふたりの会話を聞いて目を丸くしていた小蒔が、くいくいと葵の袖を引っ張って、小声で訊ねる。

「ひーちゃん……頭イイとは思ってたけど、そんなレベルなの?」
「本当にそういうレベルなのよ。でも東大は通いにくいから嫌だって、この前言っていたのだけれど」

「通いにくいからイヤって……」
「ひーちゃんらしいけどよ」
「別世界の会話だな」

ボソボソと京一たちも参加する。
美里は、和やかな緋勇たちを少しだけ哀しそうに見て、それから意を決したように話し掛けた。


「龍麻。立ち話もなんだし、もしお時間が有るようだったら、ご飯とか、ご一緒にどうかしら」
「ん、そうだね。これから俺たちラーメン食いに行くんだけど、どう?結構美味いよ」

「え、いいのか?ちょうど腹へってたんだけど、ここら辺わかんないから、モスにでも行こうって話してたんだ」

互いに自己紹介をしながら、彼らは緋勇たちのいきつけのラーメン屋へと向かった。
比嘉は、ラーメン屋での緋勇の慣れた様子にやや面食らったようだ。彼の知る緋勇は、あまり寄り道自体に縁の無い人間であったし、なによりラーメン屋というのが、あまりにギャップが激しかったから。

しかし、そういった違和感も、目の前に置かれたラーメンで吹き飛んだようだ。

「おいしいッ!」
「ホント美味いな」

顔をほころばせる見知らぬふたりに、店主が目を細めて頷いた。
彼は、この常連の高校生一行を相当気に入っていた。見目麗しい外見と違って、気さくで、次々と新しい客を連れてきては、一番嬉しい表情――はじめて食べた瞬間の歓喜の表情を、見させてくれる彼らを。

近い将来、一行は店主が隠れファンをしていたアイドルを連れてきて、更に感謝されるのであるが、この時点では双方とも、まだ知る由も無い。


店を出た頃には、会話が弾んでいた事もあって結構な時間となっていた。
時間も遅いという事で、比嘉たちを送っていく緋勇と、駅を利用する美里を残し、他は帰る事となった。


新宿駅に着くと、結構な騒ぎになっていた。何事かと皆の視線を辿ると、彼らは一様に上を見ていた。
そこにある電光掲示板には、燦然と、とある知らせが輝いていた。
小田急線・東海道線・横須賀線の下り不通――と。

「え!?」
「ふたりとも、帰れなくないか?」

藤沢・鎌倉方面に戻る方法がない。小田急だけならまだしも、東海道まで不通では、東京にでて下ることさえも不可能。
比嘉たちの顔色がやや悪くなる。割と良い家の子である彼らは、遅くなる程度ならまだしも、外泊は非常にまずい。相応の説明をしなければ、今後幼馴染との付き合いさえ、文句を言われかねない。

「明日休みだし、ウチに泊まっていく?3人なら問題……さとみん家に怒られるか。男の家に泊まったら」
「うん…、でもどうしよう、復旧の目処も立ってないって。タクシー?お金が」

チラと目をやった緋勇は、首を振る。

「それ以前にムリだ。やっぱ、東海道線下りは痛いよな」

彼の指した先は、タクシー乗り場。現時点で既に、長蛇の列となっていた。
更に蒼白となるふたりに、緋勇はどうしたもんかと思い悩んだ。

救いの手は、彼の恋人から差し出された。


「あの、青葉さんは、うちに泊まったらどうかしら。連絡も、母から入れてもらえば親御さんも安心なさると思うの。明日の朝帰れば、問題はないでしょう?比嘉くんは、龍麻のところに泊まって、明日一緒に帰ればいいんじゃないかしら」
「それナイス」

緋勇は、ポンっと手を叩いて、納得する。
比嘉の方は、流石に男なのだから、親からの説明がなかろうと、どうにでもなるだろう。

本当に迷惑なのでは……と遠慮する青葉に、緋勇は大丈夫だと保証した。
美里家とは、ある日突然、女の子を連れて帰っても、どうにかなる家なのだから。友人を一日泊めるくらいで、迷惑がる神経の持ち主は存在しない。

「じゃあ、頼んだよ。明日11時くらいに新宿駅でいいかな」
「ええ、大丈夫よ」

改札口の向こうに消える少女ふたりを見送ったあと、野郎ふたりは緋勇のマンションへと向かった。
駅から数分で着いたこと、そして、入り口のセキュリティ等に、比嘉は目を丸くした。

「か……金持ちだな」
「家賃は鳴瀧さん持ちだ。ウチが払ってるのは生活費だけだよ」



緋勇の部屋にあがりこんだ比嘉は、更に歓声を上げた。
男の一人暮らしで、ここまで整頓されているなどとの予想はできなかったから。

「すっごく綺麗にしてるなぁ」
「みんなしょっちゅう遊びに来るからな、あ、電話そこだから、家に連絡しとけ」

頷いて電話をかけた比嘉は、なぜか上擦った声を出した。
その声を聞いた緋勇が、思わず振り返ったほど、妙に高くなった声で。どうやら『外泊』の事後承諾ということで、緊張しているらしい。

「あ、母さん?ニュース見た?
新宿から帰れなくてさ、友達が泊めてくれるって言うんだ。ん?違うよ、青葉は、知人の女の子の家に泊めてもらうって。そこは、ちゃんとご家族も」

比嘉は、横からすっと電話を取られた。そのままでは要らぬ詮索をされかねないし、嘘が下手すぎるゆえに。
取った人間は、高校生とは思えぬ丁寧語で、話し出した。

「あ、お電話替わりました。わたくし、2年の時の同級生の緋勇と申します。あ、お世話になっております。
いえいえ。ここは、兄が勤務先の近くに借りているマンションですので、お気遣いなく。ええ、いえ、私の方は本当に構いません。ええ、本当に炊実くんには、良くして頂いておりますので。はい。あ、では炊実くんに替わります。少々お待ち下さい」

声も違った。
流れるような台詞の後、手渡された電話に対し、比嘉は力の抜けた声で出る。

「はい、替わったよ」
『良い子ねー、緋勇くんって。あんたねぇ、迷惑をかけるんじゃないわよ』

自分相手には疑っていた母が、すっかり感服しているところにややむかつきながらも、比嘉はなんとか冷静さを保った。
無事に電話を切った後、やや不機嫌に言う。

「完ッ璧に信じてたぞ、相変わらず上手いな。それに、まだお前が栄香だと思ってるみたいだったけど」

母は、『緋勇くん、大学も同じだと良いわね』とまで言っていた。

「そりゃ、わざとそう誤解するように『2年の時の同級生』っつったんだからな。去年同級生で、今年はクラスが違う感じだろ?―――嘘はついてないしな。
ところで、まだ何かつまむか?それとも茶?」

お茶を所望した比嘉を適当に座らせ、緋勇はテキパキと支度をする。その背を見ていた比嘉は、半年ほど前の、彼との別れの場面を思い出していた。

『終わったら連絡するから』
『俺も、忘れない。またね炊実、さとみ』

緋勇は確かにそう約束した。だが連絡はなかった。あのときの笑みは嘘とは思えない。つまりは、まだ終わっていないのだ。あれから半年―――ずっと闘い続けたのだろうか。

「なあ龍麻……、知らせが無かったってことは、まだ……終わってないんだよな」
「ん、今さ、はじめから『敵』と名前が分かってた奴を倒したところ。小休止だな。多分これから、実は私が真の大魔王だって敵が、出てくるところだと思う」

平然とした口調にて答えた緋勇の表情は、わずかであったが曇っていた。仲間が――友人ができようと、楽しい事だけではなかったのだろう。
心配そうな顔になった比嘉に気付き、彼は表情を和らげた。微笑みさえ浮かべて問う。

「ざっと事件の概要を話そっか?」
「ああ、少し聞いておきたい」

それで、お前の心が少しでも安らぐなら――言外にその思いをこめて、比嘉は頷いた。


「ふわ……そろそろ寝るか」

春から東京で起こった事件と、その結末まで話し終えた緋勇は、しばしの沈黙の後、無造作に伸びをした。黙ったままの比嘉を、僅かに首をかしげて促す。

「……ああ。ん?これって」

立ち上がり、寝室に入った比嘉は、何かに気付き、そちらに寄っていった。

「この刀……本物か?」

比嘉が興味を示したのは、緋勇の寝室に無造作に転がっていたもの―― 一振りの日本刀。
妖気のようなものを感じるのか、怖々とつついている。
緋勇は、そんな比嘉の様子を笑いながら、軽く言った。

「そう。おまけに妖刀だから、抜くなよ。剣持った相手を気絶させるのは、大変なんだからな」

ビクッと手を引っ込めた比嘉は、何かに気付いたようだ。
少し声を落として訊ねる。

「妖刀って、さっきの話の……」
「ああ、昔からの――友人の形見だ。相当な値打ちモンだと、骨董屋をやってる仲間に言われたけどな。とっておきたいんだよ」

そう言った緋勇は、哀しいとも懐かしいともつかない微妙な表情をしていた。昔の極端に表情の少なかった彼から考えると、辛いこともあったとはいえ、この半年は、多大な意味のある期間だったのではないか――比嘉は、そう思った。

緋勇の周りにいた仲間達を見て、何も出来ない自分も友人を名乗れるのか疑問に思った。
だが、青葉も自分も、共に闘うことなどできない普通の人間に過ぎないが、緋勇の変わりだしたきっかけであることも確かだ。だからそれでいい、信じる事にする。

自分たちと、この『救世主』は確かに、友人であると。


美里の家に着いた青葉は、絵に描いたような幸せな家族―優しそうな母親と紳士的な父親に迎えられて、少々驚きつつも納得した。こういう両親からなら、この聖女のような完璧な少女が生まれる事を。

「葵オ姉チャン、お帰り。……ダレ?」

両親らしき人物の後ろから出てきた少女は、青葉を見て不思議そうに首を捻った。
赤みがかった茶色の瞳に、波打つ髪は金。どう見ても日本人には見えない少女は、美里のことを『お姉ちゃん』と呼んだ。

「ただいまマリィ。青葉さんはね、龍麻のお友達よ」

振り向いた美里は、こちらも不思議そうな様子の青葉に対して、説明する。

「私の義妹のマリィ。事件で知り合って、引き取ったの」

後半部分は小声で――そういう心遣いは忘れない。




風呂を借り、パジャマに着替えた青葉は、なんだか非常にリラックスした気分になってきた。

「あのね、美里さん。彼とは――どこまで行った?」

そのせいか、修学旅行のような軽いノリで、訊ねていた。
彼女が、緋勇の恋人らしいことは、態度で察しがついた。だから、素直に疑問に思った事を訊ねた。半ばからかうような気分で。誤算だったのは、美里の性格がこういうことでも、真面目に答えてしまうことだろうか。

「ど……どこまでって、――全部」
「え、全部って!」

青葉の驚きを、美里は違う方向に捉えた。焦って、素直に知っている限りの事を全て言う。

「あ、あの違うの。妊娠はしてないし、全部って言っても四十八手全てってことではなくて、10くらいしか」

この会話を知ったら、緋勇はそんなに色々教えたことを後悔しただろうに……。
具体的に危険な方向に向かう前に、青葉は話題を捻じ曲げた。

「わ……私、一年でまだキスしかしてないのに」

なんだか軽い敗北感に打ちのめされて、暗い声になってはいたが。
申し訳ないような気持ちになった美里は、なんとかフォローしようと話題を探した。

「で、でも、私あなたが羨ましいわ。前に、龍麻に好きだった人の事を訊いたら、相手は友達の恋人だったって言ってたの。あなたのことでしょう?」
「角……龍麻くんは、好きって言ってくれたけれど、本当の意味で初恋だったんだと思うわ。淡い想い――ってね」
「初恋って……何か違うの?だって、あなたたちも初恋じゃないの?幼馴染でしょう?」

くすりと笑って、青葉は首を振った。
美里が微笑ましかった。彼女は、あの頃の誰にでも優しく無関心な龍麻を知らない。彼は―――変われたということだ。

「私の初恋は、小学校の担任の先生、炊実くんは保母さんよ」
「それは、憧れでは」
「そう。本当に淡い想い、憧れレベルのこと。あなたも、今までそのくらいはあったはずよ。だけど、龍麻くんにはそれさえもなかったの」


その言葉の意味を、美里はゆっくりと考えた。
彼女は、緋勇は『初めて』ではなかった事に気付いていた。天野や、その他の大人の女性と嘗て関係があったことも。だからこそ、本当に自分なんかで良いのかとの想いが、常に頭から消えなかった。

だが、緋勇が選んだのだから――彼の選択だからこそ、信じようと思った。


翌朝、どんな服が良いか散々美里に問われて、青葉は少し消耗していた。
新宿駅までの間に、どうしてそんな必要が――との疑問は、マリィの言葉で氷解した。

「サトミも大変だネ。葵オ姉チャンは、龍麻オ兄チャンとのデートの時は、いつもこうなんだヨ」

要は自分を新宿駅に送ることはダシであって、本命は緋勇とのデートということなのだ。

「ま、マリィ!!」

清らかなる美女、そんな表現が似合う少女が、真っ赤になって照れるさまは、むしろ可愛らしかった。完璧な存在だからではない、こういうところが緋勇を惹きつけた一因でもあるのだろう。


駅へと向かう美里の足は、非常に弾んでいた。
彼女の素直な様子に、青葉は思わず笑みを洩らした。私も、素直に気持ちを表せばいいのかな、などと考えつつ。



既に、改札口にいた緋勇と比嘉は、やってくる彼女達の姿を見つけて、手を振った。

「おはよう」
「龍麻、比嘉くん、おはよう」
「葵、今日も美人だね。その服凄く似合ってるよ」
「龍麻……そんな」

美里は顔を赤らめて、少し俯いた。
傍から見ていれば、見事なバカップルであろう。実際、ふたりが美男美女でなかったら、失笑の一つや二つ聞こえてもおかしくない阿呆な会話ではある。

比嘉たちは、このまま延々とノロケを続けられたらどうしようと恐々としていたが、幸いにそこまでバカではなかったようだ。緋勇と美里は、比嘉たちに向かって言った。

「じゃあね、完全に終わったら、一度帰るよ」
「今度こちらに来た時は、遠慮なく連絡してね」

さりげなく寄り添う緋勇たちに手を振って、比嘉たちは、階段へと向かった。
彼らは、なんとなく無言になっていた。緋勇と美里の仲に中てられたのかもしれない。

階段をのぼり、ホームにでたところで、比嘉は急に振り向いた。
驚く青葉に、彼は柔らかく笑いかける。

「なあ、さとみ」
「どうしたの、そんな真面目な顔して」
「好きだよ」

比嘉はそういって、青葉に軽くキスをした。
触れ合うだけの軽いキス。それでも、彼らにとっては、実はまだ四回目であった。青葉は、周囲の視線を集めたこともあり、真っ赤になって狼狽する。

「ななな……」
「俺は、龍麻みたいに器用じゃない。だから、すぐには行動に移れない。ゆっくりでいいかな。お前が大切なのは、絶対に確かだから」

青葉は、とうに知っていた。そんな所も含めて、彼が好きだったのだから。異性として意識する遥か前から、共にいた大切な人なのだから。
だが、真っ赤になってまで宣言した彼の気持ちが嬉しかった。それゆえに、周囲の人間の視線を集めている事も、余り気にならなかった。


「ええ、ゆっくり進んでいきましょ。私たちは出会ってから、恋人になるまで、15年もかけたのだから」

彼女は、初めての行動に出た。
背伸びをして、比嘉の首に腕を回す。彼女から、彼へと軽く口付ける。


みつめ合う少年と少女が周囲の状況に気付くまで、しばらくの時間を有した。
その間は、彼らにとって至福の時であった。

キャンパス見学のための一日――この僅かな時間が、亀よりも緩やかに進んでいたふたりの仲を、少し進めたのは、確かなようであった。

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