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百代:後編

まどろんでいた。
遥か昔の記憶の中で。

数を頼みに、押し寄せてくる徳川の兵。闘いに次ぐ闘いの毎日。

その日は珍しく、龍斗ではなく、その傍らにたつ、剣聖の二つ名を持つ男を相手にし、互いにそれなりの傷を負った。傷が熱を持ち、うなされる中、ひんやりとした手が額に当てられたような気がした。

――ごめんなさい、傍系に過ぎぬ私を引きとって、妹として育ててくださったのに。
もう、見ていられません。私のせいで九角の人々が傷付き死んでいくのを。
これが、最後の癒しの術です。さようなら、お兄様。

藍?



目が覚めると、熱は大体引いていた。
だが、事態は最悪な方向へと転がっていた。

菩薩眼の娘――美里藍
彼女の姿が、消えていた。

侵入者の気配も、結界が破られた形跡もない。
俺が夢現に聞いたことと併せれば、答えは一つだ。


彼女が自ずから、徳川の元へ赴いた。
おそらくは、俺たち一族の安全とひきかえに。



少数で江戸に潜りこみ、藍を奪回する。
そう決定し、残る連中を選定する。

「では頼んだぞ」

「ええ、おでがんばります」
「はい、お任せを」
「あんな女、ほっとけばいいのに」

三人が三人とも、彼ららしい応えを返す。
防御に優れるもの・妖術を操るもの・技に優れるもの――彼らに任せておけば、里も問題はないだろう。



「天戒!? なぜこんな時に江戸にいるんだ」

なんの偶然か、普通の道端にて龍斗に会った。
丁度良かった。傍に飛水の女がついていたが構わん。いかに龍斗といえど、ふたりでこの人数の相手はできまい。

「これは僥倖だな、龍斗。藍の元へ案内してもらおうか」

囲むように動くと、龍斗が蒼白になった。
……こいつが蒼白だと? どんな劣勢でも顔色一つ変えない男が?

「壬生や九桐たちまで……里に、闘える者は、残っていないのか」

内容は予想外。
自分の身でなく、里を案ずるようなその言葉に疑念を抱いた。

「どういうことだ、三人残しているが?」
「三人……」

絶句し、一層血の気が引く。飛水の視線にまで、哀れみが混じる。
龍斗はしばし痛ましげな目をしていたが、ふいに表情を消して事務的に口を開いた。

「俺に関する者たちに、極端な情報封鎖が行われた。それでも可能な限り調べた所、徳川が、大量の兵を何処かに動かしたことが判明した。念願のものが手に入った事と併せれば、目的は一つ、九角の殲滅以外なかろうよ」


意味が、しばらく理解できなかった。
大軍を動かし里を殲滅――だと?

九角の民は、当然全員が外法使いな訳ではない。普通の人間を相手にそこまで。

「考えなかったのか? 菩薩眼さえ手に入れば、お前たちは邪魔にしかならない。
たとえ傍流でも、九角の血を引くものがひとりでも生きていれば、外法使いの才能が持つものが生まれるやもしれん。だから滅ぼす――そう徳川が判断する可能性を」


天下を治めるものが……まさか……そんな暴挙を。

纏まらない思考に固まっていたら、両肩を掴まれた。
龍斗の顔が、目の前にある。

「呆けている場合か!! すぐに決めろ。予定通り菩薩眼を奪うのか、里へ戻るのかを。奪うのなれば、案内をする。俺は、脅されたのだから。――それさえも罠である可能性を否定できんがな。黄龍・菩薩をともに『完全』に徳川のものとするための。
戻るというのならば、さすがに同行はできない。俺にも人質となっている一族が居る」



藍を救う、それは俺の私情だ。
今は一族としての立場を優先する。

間に合ってくれ――――。


里へ続く道の途中、池と見紛うほどの血溜まりがあった。
叩き潰され引き裂かれ、まともに原型を留めぬ敵兵の山の傍に、大男がいた。

足元が変色していた。あまりに多くの血を吸って。
彼の身体は、何本の矢や槍が刺さっているのかわからないほどだった。

『おで、九角さまを、みなを護ってみぜます』

そういって不器用に笑った愚直な大男は、その言葉通りに、それでも里を庇うかのように、仁王立ちで事切れていた。



屋敷の入り口は、ある一点を中心として焼けていた。
数多くの兵の焼死体が重なる中、中央の位置の衣には、焦げた肉が包まれていた。

その衣の彩りには覚えがあった。

『貴方の心に誰が居ても構わない。何番目だろうとも。私が貴方をお慕いしているのだから』

そういって艶やかに微笑んだ、華の名を持つ女が気に入っていた衣だ。



屋敷の中、小さな骸が多く転がる部屋の前には、数多くの敵兵の屍骸があった。

『弱者のことなんて知りませんよ。弱い奴はさっさと死ねば良いんだ』

そう公言して憚らなかったくせに、なぜか子供たちに懐かれて、困った顔をしながらも、よく面倒を見ていた風を祭る一族の少年。

その小柄な体は、無残にも多くの武器で床に縫われていた。
彼の陰龍の力に恐怖した連中は、倒れ伏してからも狂ったように武器を振るったのだろう。


子供も――女も――老人も、皆殺されていた。
生きているものは、誰一人居なかった。

彼らは、俺が殺したんだ。
俺の甘い読みが、そして藍に執着する心が。


絶対に許さねえ。

こんな非道を行った徳川を――

こんな事態を招いた藍を――

そんなことも予想できなかった――――自分を


「――さま、御屋形さま」

下忍の声が、現実へと引き戻す。

目の前にいる女の名は、美里 葵。
あの時、徳川の甘言に乗って、俺達を護るために捕らえられ、そして、それ故に俺達を滅ぼした心清き愚かな女――美里 藍。
あの女の転生……いや再生か。

はッ……変わってねェな。

徳川と同じ手段を使った。夢を使って呼びかけた。
交換条件は、仲間たちの安全の保障。
やはり、同じ嘘に、のこのこと、やって来やがった。

四神の護りから――
前と同じように――安全な結界から、自ら抜けだして。

そのウツクシイ精神。
自己を犠牲として、皆を護る――そう決心した高潔な意志。

だが、一番迷惑をかけてるんじゃねェのか?
どうせ龍麻たちは、助けに来るに決まっている。
その時、人質がいる事が、どれほど足手纏いになるかさえも分からねェのか?

いや、むしろ皆を犠牲にして、自分だけ助かってんのかもしれねェな。無意識に。
昔もそうやって、こいつだけは生き延びた。


思い出させてやろう。昔のことをすべて。
そしてまた、悲痛な顔をして、ひたすら悲しみ嘆きながら、自分だけは生き延びるがいい。



「待ってたぜ」

『緋勇』に、剣聖、白虎、いや四神全てが揃っている。
櫻井とかいったか……藍の護り役も、あの頃と変わらずに。


こちらを見据えた龍麻が、呟く。
静かに無表情で――それゆえ真摯に。

「俺は、緋勇 龍斗じゃない。お前も、九角 天戒じゃないんだ。
もう……やめないか」

お前も、全てを思い出したのか。
嘗て起きた喜劇を。誰かを想う心が引き起こした、壮大な嗤うことしかできない劇を。

お前は天戒じゃない――か。
ずっと、誰かにそう言って欲しかった。

だが、もう遅ェんだよ。俺に選択権はなかった。
自我が完成する前に、記憶が覚醒したからな。

てめェでもわかってねェんだよ。
自分が、天戒なのか天童なのか。そんな当たり前のことさえ。


「さあ、お前ら、目醒めよ」

だから止めることなどできない。鬼道五人衆を、再び呼び出す。
済まねェな、折角眠っていたのに。


奴等に目もくれず、龍麻が真っ直ぐにやってくる。
その顔に、迷いは存在していなかった。やる気なのだろう。

鞘を投げ捨てる。



……馬鹿な。動きが迅すぎる。昔よりも、更に上だ。
鬼へと変生しなければ、まずい。

変生の為の集中を行った瞬間、背後から呟きが聞こえた。

「すまない」

同時に、心臓に氣が叩き込まれる。




ゆっくりと意識が戻る。
周囲に連中は居ないようだった。

まだ身体が動かないが、変生しかけの状態であいつの氣を喰らって、即死しなかっただけマシだ。
少しずつ鬼の力を、体中に巡らしてゆく。

微かに動けるようになった頃、屋敷の方から面白い言葉が聞こえた。


キットナニモカモ上手ク行クヨ

何がだ? どうすれば、上手くいくんだ?
教えてくれ。神とやらにでも祈れば、一族は、仲間は殺されないのか?
そうすれば、ただ異能の力を有していたというだけで、一族が滅ぼされることはなくなるのか?


「くくくッ……甘いな」

思わず、笑いが漏れる。あまりに笑えて、力が急速に戻ってくる。


「駄目! 九角さん、お願い、もう止めてッ、こんな闘いは――」

この女は、本気なのだろう。心から争いを厭い、人々の幸せを、平穏を祈りながら、周囲に喧燥と死を招く。ある意味哀れだな。



「止めろ……天童」

……名で呼んでくれるのは、昔の約束だからか?
だが、お前の言った通りだったな。そんなことで運命は変えられない。決定されたものを違えることは不可能なんだ。
九角と緋勇は殺し合う一族。相容れない鬼と龍の一族。

これが俺たちの宿命だ。

「さあ来いッ!! この地に漂いし、怨念たちよ。
この俺の中に巣くうおぞましき欲望よ──ッ!! この俺を……喰らい尽くせ────!!」


急速に消え行く自我の中、一つだけ奴に礼を言いたいと思った。
親ですら碌に呼ばなかった名を、呼んでくれて感謝する。


闇の中、意識が覚醒する。
眠っていたいのに、力が外部から流れ込んでくる。
憎悪が身体から沸き上がる。


身体を……実体を取り戻す。
見渡す限りの竹林。静謐な大気。

ここはどこだ?
俺はあの時、確かに死ねたはずだ。陽の氣を――大地の氣をまともに喰らって。

「いい月じゃな。だが……、お主の怨嗟の念は、まだ消えぬのか」

背後に現れた老人が、この姿を怖れるでもなく語りかけてくる。
誰だ……いや、知っている。あいつらの協力者のひとりだ……あいつら?


記憶が、意識が乱れていく。
湧き上がる感情は、憎悪と憎しみ。

全てが喰らいつくされていく。


もう人の意識を保つのも限界だ。
意味なく総ての生ある者を殺したくなる。

傍らで、静かに奴らを待つ老人をも引き裂きたい。

血を浴びたい
肉を喰らいたい

全てが欲求に埋められる前に、来てくれ――殺してくれ。
早く……早く!!


何人かの強い氣を有する連中が、現れた。
三人の男に、三人の女。


「九角さん!!」
「天童……」

美味そうな女だ。穢れていない、柔らかな身体。
貪りたい……喰らいたい!


「無茶だ!」
「お願い!!」

男が叫んだ。
女は、相手を正面から見据えたまま言い募る。

男は、諦めたようにため息を吐き、女を抱きかかえる。
傍らの小柄な女に指示を出し、そのままこちらに向かってくる。

極上の女を、喰わせてくれるのか。

もう少しで手の届く距離まで近付いてきたときに、指示を出された女が術を行使する。

「地獄の深遠より来たれ〜」

細かい光が周囲に満ちる……動けない。石化か。


折角の女が正面に、すぐ側に居るというのに。手を伸ばせば――喰えるのに。
喰らいたい。こんな術など、すぐにでも破ってくれるわ。


不意に声が聞こえた。音でなく、言葉として。

「ごめんなさい、お兄様」

お兄様?

その言葉を知っている。この声で、こう呼ぶ女を知っている。
いつも泣きそうな顔で、俯いてばかりいた女を覚えている。

頭の霧が晴れていく。
飢えと、憎悪と、妄執――そういったものが消えていく。


今は、分かる。
目の前に居るふたりは――美里 葵と緋勇 龍麻。

たったひとりの妹、そして――友。


抱きついている美里の瞳から、涙が溢れる。
どうしていつも泣かせてしまうのだろうか。お前を護りたかっただけなのに。お前には、笑って生きていて欲しかっただけなのに。
俺の側に居たお前は、泣き顔しか見せなかった。

笑顔を見たかった。
大輪の華のように笑むお前を、間近で見たかった。

いまだ泣きじゃくる美里の肩に手を置いて、龍麻が静かに口を開いた。

「葵、いくよ」
「はい、私の力、あなたに預けます」

頷く美里の瞳に迷いは無かった。
もう決心できたのだろう。俺を――滅することを。


聖でも邪でもない、純然たる『力』である龍脈を、黄龍が呼び覚ます。
そして、それを菩薩が光へと転化する。

「「破邪顕正 黄龍菩薩陣」」


強い浄化の光に身体が包まれる。
陰に穢れた氣が、ゆっくりと消えていく。鬼の身体を構成していたものが消えうせ、元へ戻る。

これで、やっと眠れる。
たとえそれが、しばしの休息でも。


願わくば、再び生まれし時には、
記憶が再生される前に、【緋勇】と出遭わんことを。




…この子?
…ああ、15年間程度は記憶を封印しといてくれ。
…了解。

だれ?

…龍麻。しばらくは、お前の

………父親かな。