TOPへ

―― 東京魔人学園剣風帖 第拾六話 ――


放課後、さっさと帰ろうと、鞄にノートをテキパキ詰めていると、京一がにへにへしながら寄ってきた。
……お前、実は美形なのに……それじゃ、ただのアホだぞ。

見ろ見ろと突き出してきたのは、舞園さやかの水着グラビアだった。
ふーん、それなり……かな。
イマイチとまでは言わん。そこそこ出るとこ出てるし。けど、葵の方が胸が大きいし、エリさんの方が脚が綺麗だ。


しかし、京一は誉めつづけてた。しかも危険な事に、クラスの女子と比べ始める。
チラっと小蒔の存在を有無を確認し、心の中で京一に十字を切った。あーめん。


「月とスッポン、いや、提灯に釣り鐘、いや、盆と正月──」
「それは、どっちもメデタイだろッ、このバカッ!!」


素晴らしいツッコミが入る。ラリアット気味でしたな。
たまに、小蒔は素手格闘もいけるんじゃないかと思ってしまうよ。


瀕死の京一に、ひとしきり文句を言ったあと、彼女は少し怖い顔で、こちらを振り返った。

「もしかして、ひーちゃんも、こういうコが好みだったりして?」
「うんにゃ、こーいうふわふわ可愛い子よりも、凛とした女性好み」
「あー、なんかそれっぽいね。天野さんとか雛乃系?」

ひとり足りないね。

「そう、あと葵とか」

ちなみに、好みはこうだが、結婚するなら、強がってて、だが、実は繊細な人好みだ。
仲間内だと、雪乃と亜里沙だな。

「た、龍麻!」
「あーご馳走さま」

葵のこの照れ顔が好きで、すぐこういう事を言ってしまうよ。

と、呑気に考えていたら、背後から殺気が立ち上っていた。
結構マジ気味なようなんだが……どうした京一?


「俺の愛するさやかちゃんを侮辱するたァ、いい度胸だッ!!」

あんま好みじゃないってのは、侮辱にあたらんだろ。
氣を迸らせるなよ。だが、こういうのをからかいたくなる俺はいけないかね。

「アイドル興味が薄いんだよ。洋楽派だから」

格好つけではなく、本当に洋楽の方が好きなんだ。
ちょっと聞いてるだけなら、歌詞が入ってこないからな。

関係ないが、ある好きな曲を、はじめて気合いを入れて聞いたら不倫だか浮気だかの歌詞で驚いたよ。『この一瞬を終わらせないで』とか『出会うべきではなかった』とか『私には貴方じゃない人が貴方には私じゃない人が居る』だったからな。爽やかな曲調なんだが。
もっとも、所詮俺のヒアリング能力なんで、間違ってるかもしれない。


などと思いを馳せていたら、目の前が凄い事になっていた。
おいおい、ホントに殺気だぞ。

「今すぐ訂正させてやる、行くぜッ!!」

気合を入れんな。
木刀をだすな。構えるなッ!

「何をやってるんだ、まったく、重症だな」

ちょっと躱すために腰を浮かしかけたら、醍醐のツッコミが入って助かった。
何をやってるんだの部分で、ガスッと脳天に手刀を入れてたんだが、京一無事か?

今の醍醐の軽いチョップって、街中の不良さんの全力パンチくらいには痛いんじゃないのか。

京一は、頭を抑えて屈み込んでいる。……やっぱ、結構痛かったんだな。


「うふふ。京一くんはよほど彼女のことが好きなのね。でも、さやかちゃんの歌は、私も好きよ」

とうとういじけ出した京一に、葵が慰めるように言った。
葵の話によると、彼女の唄を聞いていると、癒されるような気持ちになるらしい。
それに対して、妙に詳しい京一が、子供の熱が下がったとか、歩けなかった女の子が立てたとか、舞園さやかの歌による『奇跡』を語った。

正直、アイドルというだけで偏見があって、あまり真面目に聞いた事が無い。
彼女にしても、アイドルにしちゃ歌の上手いコだなくらいの認識しかなかった。

だから、皆がそんな好きだとは、逆に意外だった。
それだけ噂になるとは、信憑性も高いのだろう。彼女の歌声が人を癒すというのは、力の可能性も確かにあるな。


「やっぱ俺と彼女は運命で結ばれてたんだなァ」

もしもし?
どこからそういう結論に達したのか不思議でならないが、京一がうっとりした瞳で呟いていた。ちょっと……、いや、かなり怖い。

「よしッ、そうと決まりゃ、さやかちゃんに会いに行くかッ」

ど……どうやって?テレビ局の前で、待ち伏せして『一緒に東京を護りましょう』とか?
完璧なまでに、危ないヒトじゃんか。

「それは流石に無理だろう」
「そうだね。縁があるなら、それが彼女を引き寄せるさ。いつものように」

縁があるのなら、互いに逃れられない。自分達から迎えに行かなくとも知り合うだろうし、そうでなければ縁が無いってことだ。
何も力持つ者全てが闘わなくてはならない訳でもあるまいし、平和に生きられるのならば、それに越した事はないだろう。


それからかなり経って、やっと京一が落ち着き出した。でもって、いつも通りに、ラーメン屋に行くことになった。

そのときになって、葵が少し困った表情で、レポートを提出しなければ、と言い出した。
珍しいな、まだ出していなかったのか。それにさっきの京一がおかしくなってるときに行っときゃ良かったのに。まあいいけど。

「それじゃあ、私行ってくるわね」
「付き合うよ」
「えッ……?いいの?」

二つほど目的があるので、勿論いい。

廊下に出てから、葵が訊いてきた。

「ねェ、龍麻どうして?犬神先生に用があるの」
「んにゃ」

闘いが始まったことで、何か教えてくれるかもしれない。それも確かに目的の一つだけど、サブ。メインじゃあない。

「え?違うの?」
「前に、たまにはふたりで帰ろうっていったよね。あれから、ふたりきりでは帰ってないからそれのプチ版」

それが本音。何しろ最近は、いついかなる時も、皆一緒。
たまには、ささやかでも二人きりも良いだろう。

「そんな……ありがとう。嬉しい」

こんなことくらいで、顔を赤らめて目を潤ませなくても。……ああ、可愛い。ここが学校じゃなければな。


「犬神先生、遅くなってすみません。課題のレポートです」

なんか因縁つけられそうなので、少し離れた場から眺めていた。
課題を受け取った先生は、どうでも良さそうながらも、首を傾げた。

「あァ。お前が遅れるとは珍しいな。何か悩み事でもあるのか?」
「えッ?いえ、何も……」

なんかやたら意味ありげだったので、あえて茶化してみる。

「あ、セックハラ〜」

先生は、鼻で笑ったあと何か言いたそうなツラになる。

「緋勇……お前が原因を作ってるんじゃないだろうな?」
「さあ……。そう?」

葵に向かって首を傾げると、彼女は真っ赤になって首を振った。

「黙秘か?まあいい、お前が色恋に溺れようが知ったことじゃない」

ど……どうしたんだ?珍しいことを。

「が、人の心は移ろい易い…、愛などというものが、永遠に不変なものだとは、考えない方がいい」
「格好良いですね、アン子ちゃんに犬神先生が遠い目をしてそんな話をしていたと伝えましょうか?」

あまりにも真剣な顔で言うから、つい話を逸らしたくなる。
こんなにも哀しそうな声で呟くのは、反則だと思う。

「緋勇」
「知っていますよ。そんな事は」

「先生、龍麻はただついてきてくれただけで」

殺伐としだしたやりとりに、葵が悲壮な表情で割り込んだ。
葵……呼び名が『龍麻』になってるよ、人前では龍麻くんだったのに。

先生は、じっと彼女を見た後、話題を変えた。
ミサちゃんが心配してた?

「お前らの背後に、八ツ首の大蛇が見えるらしい」
「すっごく直球ですね、今回の予言」

先生は、笑いながら顎を扉の方へしゃくった。もう行ってよいということらしい。
扉に手をかけた瞬間に、もう一言付け加えられた。

「精々祟られんようにな」
「そんなもん、頭潰しゃあいいんですよ」

ひらひらと手を振って、言い捨てる。全く、協力すんならもっと丁寧にしてくれれば良いのに。
忠告までとはな。ケチが。


ラーメン屋に向かう途中、喧騒が聞こえた。
喧嘩の香りを嗅ぎ付けた京一が、目を輝かせて突っ走っていく。好きだねぇ。


「怪我したくねェならとっとと失せろ」

聞こえてくる楽しそうな京一の声から判断するに、既に始まってる。
面倒なのでそこまでは行かず、その路地裏の出口付近、角を曲ったところで待っていた。

「てめェら――誰に向かってモノ言ってんだァ?この俺を知らねェたァ、とんだド田舎モンだぜッ」
「何だとッ!!てめェ、何者だ」

……やたら盛り上がってるな。聞こえてくる敵っぽい連中の声は三人分。
京一達なら十分すぎる程だ。やはりここでイイや。

「新宿――真神一のイイ男。超神速の木刀使い、蓬莱寺京一様とは、この俺のことよ!!」

……なんつうか、凄いな。今の台詞かそれとも、コスモレンジャーの名乗りをどちらか人前で言えって強要されたら、俺は数日間は悩むぞ。究極の選択だ。

「俺は、同じく真神の醍醐雄矢だ」

落ち着いた醍醐の声が響き、驚いた気配が伝わってくる。魔人学園の蓬莱寺と醍醐――この名の威力は、大きかったようだ。

雑魚っぽい人々は、捨て台詞モードになった。

「てめェら、中野さぎもり高校の帯脇サンを敵に回したこと必ず後悔させてやる」

その台詞は気に喰わない。よってお仕置き。
角を曲ってきた彼らの顔面に、出会い頭にパンチ二発。ひとりだけ遠かった人は、仕方ないので上段蹴り。運が悪かったね。
このままでは通行の邪魔になるので、ちゃんと、道の端に寄せておくことも忘れない。う〜ん、俺って心細やか。


「お前ら怪我はないか」

なんか偉そうだな、京一。

「は……はい」
「本当にありがとうございました」

頷き礼を言うのは、少年と少女の声。少し下……くらいかな。

「いやなに、俺は当然の――」

何か京一が絶句していたので、見に行って納得した。

……ほら、縁が引き寄せた。
少年の影にいた女の子は、舞園さやかだった。


少年は、同級生兼ボディーガードで、霧島諸羽というらしい。
今日みたいなことも、結構あるそうだ。物騒なことで。

その時、血の匂いに気付いた。手に付いたか?……いや、そんなドジはしない筈。

「怪我を……貴女じゃないな、君の方か。右手を見せて」

彼の固く握った右手に、違和感を覚えた。
さっと手を引こうとするのを抑え、自主的に開くまで待った。

浅いけれど、そこそこ大きく横に切った傷……小型のナイフかなにかによるもののようだ。
さっきの連中、もう一度殴ろうかな。

とりあえず、葵に治して貰う。葵は、一瞬良いの?という顔になったが、構わないだろう。『偶然』出会った力の有りそうな人物。それはもう因果とやらができてしまったということだ。

さっと、時間を逆に回したかのように、彼の掌の傷は塞がっていった。もう跡すら存在しない。
何か聞きたそうな顔になる彼らに、どこまで話したもんか、少し悩んだ。一気にすべて行くか、それとも彼らの事情を聞いてからか。

なんとなく皆が黙った瞬間、明るい声が響く。

「これから、みんなでラーメン食べに行くんだけど、よかったら霧島クンとさやかちゃんもどう?」

ナイスだ小蒔。
どうするかはその間に決めよう。

「そうですね、どうです?お互い訊きたいこともあるでしょうし」



「さ、さやかちゃんが…、本物の舞園さやか――、ラーメン食ってる」

京一が壊れた。呆けたように呟いてる。コワイヨー。

「そんなに意外ですか?」

問い掛けられた京一は、いきなりぐるりと首をこっちに向けた。怖いって。

「超アイドル、舞園さやかが、ラーメン───、しかも塩ラーメン、食ってんだぜッ!!普通、感動するよなッ、ひーちゃん?」
「いや、別に。彼女だって普通の人なんだし」

むしろ落ち着け。
それに、君は漫画を読んだ事が無いのか。街で偶然知り合ったアイドルは、普通に扱ってくれた相手に惚れるのがお約束ってもんだ。そもそも気付いてやれ。今の彼女は哀しそうだったぞ。

「妖精のようなアイドルがラーメン食ってるのに、何も感じないなんて、さてはお前、不感症だな」

……アホ?
だが、俺が何か言い返す前に、否定してくれた人がいた。

「そんなこと無いわ」

ゴンッ――俺は、頭をカウンターにぶつけた。
醍醐はラーメンを吹いていたし、京一たちもむせていた。

皆の視線が集中して、葵はやっと自分の言った事に気づいた。

「え……あ、あの」

葵……、あのなぁ。口に出したつもりは、なかったんだろうけど。さすがにラーメン屋で皆の前で話すには、生々しすぎる話題だと思うな、俺は。

気まずい雰囲気に困って、皆が慌てて話を流す。
今は京一が、いかにさやかちゃんのファンかって話になっていた。キラキラした目の霧島くんが、こっちに話を振る。

「あの、緋勇さんもさやかちゃんのファンなんですか?」
「ええ。天使の歌声に惹かれない者は少ないでしょう?」

ふ、コスモグリーンを認めたこの俺に、怖いものなんかないさ。うふふふふ〜。
ハッピ着てペンライトふって、さっやかちゃ〜んって叫んだっていいぞ。

……ごめんなさい、嘘言いました。やっぱり嫌です。


食べ終わって外に出ると、もう結構な時間が経過していた。
さやかちゃんには、ご満足いただけたようだ。ここの美味しいもんな。

そうしたら、皆が霧島くんがボーっとしてたとか食が進んでなかったとか言い出す。
よく見てるな。俺は気付かなかったよ。

それを聞いて、さやかちゃんが笑いながら言った。

「ふふッ。霧島くんったら、さっきからずっと蓬莱寺さんに見惚れてたでしょう?」
「ち、違うんですッ!!僕はただ、その……、格好いいなァとおもって」

ソッチの人だったのか、霧島くん。
まあ、運動部には多いっていうしな。俺の見ていないとこでいちゃつくなら応援するよ。
世間の風当たりは冷たいかもしれんが、頑張れよ。


あまりにも、皆に考え直せといわれて不安になったらしい。
彼は助けを求める小動物の目で、訊いてきた。

「緋勇さん……。蓬莱寺さんを尊敬しちゃいけないなんてこと、ありませんよね?」

何て楽しい事を。心から答えたくなるじゃないか。

「当然ですね、俺も尊敬してるんですよ。どんな困難にも諦めない心とか、一度決めたらやり遂げるところとか。そう、そのエピソードとしてお話しましょう。修学旅行でね」
「ひひひひ、ひーちゃんッ!!」

京一が慌てる。プ。

「どうしたんだ、蓬莱寺くん。なんか面白いのかい?」
「そ、それ以上口を開いたら、こここ」

おほほ、面白〜い
だが、今度は木刀じゃなくて正宗取り出しやがったので、黙っておく。
暴力反対。


「そのッ、あのですね──、京一先輩ッて、呼んでもいいですかッ!?」

何か事態がどんどん面白そうな方向に転がっていく。加速度ついてるな。
なんだか笑えるので傍観していよう。口など挟まない。

「えェと、そりゃあ、まァこれといって、ダメな理由もねェが……」
「ボクのことは、諸羽って呼んでもらって構いませんからッ」

や、やっぱり……そっち?
京一は、視線を物凄く逸らしながら口を開いた。あんな遠くを見て話し掛ける人初めて見た。

「えェッと、霧島」
「……はい」

聞こえない振りなのか、苗字で呼んだ京一の言葉に、霧島くんは、沈んだ声で答える。ショボンとしてるぞ、オイオイ。

「中野の帯脇ってのは、お前らの知り合いなのか?」

彼らの表情が、一挙に陰る。余程嫌なんだな。
どうやら、ストーカーって奴らしい。他のファンへの暴行、待ち伏せ……ウザイなあ。

おかしな力を持った奴じゃなきゃいいんだが

京一の呟きに、霧島くんがはっと顔を上げる。そういや、葵の力のことも彼らのことも、結局話してなかったな。……すべてさっきの葵の一言のせいで。

「力――先程の美里さんや、さやかちゃんの歌声のような力ですか」

やはり自覚があったらしい。発動は、今年の春頃からか――同じだな。


新宿の駅まで送る途中、ふたりの身体が傍目にも硬直するのがわかった。
理由はアレだな。明らかにおかしい目つきの男が、ニヤニヤしながら寄ってくる。

「よォ、霧島ちゃん!!こんなトコで会うとは奇遇だな」

ヘンな奴だな。何よりも髪型が変だ。今時、そんなモヒはないだろうに。
それに、真面目な話だと、『真神の醍醐と蓬莱寺』に全くビビらんてのがおかしい。怖れるにしろ強がるにしろ何にしろ、普通は反応があるもんなのにな。

それにしてもこいつが来たってことは、さっきの子分さんたち、もう目が醒めたのか。意外に元気だったな。もう少しヤっとくべきだったか。

彼は本格的におかしいようで、言動が飛んでいた。おまけに、俺たちは、既に敵に認定されているらしい。

「そっちは誰だァ?俺様のデータベースにゃねェぜェ?」
「緋勇龍麻。だけど、載せなくていいよ。君のような雑魚で下衆でカスな空気を纏った人の脳に、自分の名前が存在するなんて鳥肌がたつから」

どうやら返答がお気に召さなかったらしく、彼の抹殺リストに載ってしまった。
素直に感想を口にしただけなのにな。こいつの素直な言動は、莎草を思い出させて、とてもうざい。立ち去ってくれたときは、爽快感すら感じてしまった。


「それじゃあ、僕たちはそろそろ行きます」
「くれぐれも気を付けて。君だけでは危険な事になったら、すぐに連絡下さい。私たち自体も向かうし、近場に居る仲間にも頼みますから」

残念な事に、それはそう遠くなく起きる。あのモヒを見ていれば判る。
彼らの見送りをすますと、そっと葵がよってきた。

「珍しいわね、貴方が『私』というのは、怒っている時が多いのに」
「ん……、俺っていう雰囲気じゃなかったし、僕って好きじゃなくてね」

あまり答えになってない答えを返すと、彼女は見抜いているかのように、微笑んで言葉を待っていた。鋭いな。怒ると言葉遣いが良くなるのは、わざと叩き込んだこと。何を言うかわからんので、慇懃無礼を心掛けるようにした。
微笑ましいと――気に入ると、自然と丁寧になる。こっちが本当の癖。滅多に出ないんだが。

「協力してもいいかと思ったんだ、力のことは抜きにしても。彼ら見てたら、はじめて葵に会った頃を思い出して、少し新鮮だったから」
「うふふ、私も少しそう思ったわ」

笑みが可愛かったので、決めた。

「よし、今日はうちに泊まろう、ねッ」
「え、でも」
「大丈夫。小蒔、今日葵が泊まることにして」



ちゃんとご飯を作り、まったりと過ごし、ただ共に寝た。
ヤるのは、朝の方がいいかと思ったんで。


朝、起こそうとしてくれた葵の腕を引き、ベッドに引っ張り込む。
するすると服を脱がしていると、彼女は唇を尖らせて言った。

「もう、強引なんだから」

少し拗ねた表情が愛しくて、軽く口付ける。
笑いながら覆い被さろうとしたまさにその瞬間に、携帯がなった。



「誰だ……コロス」
「待って、おかしいわ。私にも掛かってきてる」

俺の腕の下から素早く抜け出し、近くにあったバスタオルを纏いながら葵が立ち上がる。
ちッ……。


「京一からだ」
「私は小蒔からだわ」


通話を押すと、京一の切羽詰まった声が聞こえてきた。
きっと、葵の方も、同じだろう。

『霧島が襲われて、重傷なんだッ!!』


病院に向かうと、もう三人は揃っていた。

「うわ言で、さやかって人と京一くんの名前を呼んでたから」

舞子って、こんな時間から出勤(?)してるのか。彼女はやや青ざめていたが、普段よりもしっかりした声で説明した。
そういった経緯で、京一に速攻連絡がきたらしい。

霧島くんの容態は、とりあえずは安心との事だった。

このわしが、あんな可愛い少年を死なせるものか

岩山先生が断言する。ならば、本当に安心ということだろう。
『勿体無いから』とも言っていたようだが、それはまあ良しとする。それもまた経験だ。頑張れ少年。

「あの人が、重体の彼をココへ運んできた時には〜、どうなることかと思ってヒヤッとしちゃったけどね〜」
「あの人?」

舞子の言葉に、引っかかるものを感じた。
その『あの人』ってのは、モヒから霧島くんを――助けたってことか?

「学生服で〜袋に入れた刀を持っていたの〜」

それじゃ俺じゃねェか――と首を捻った京一に、先生と舞子が、確かに似ていたと口を揃えて頷く。
京一に雰囲気の似ている、剣を持った男?
ぱっと連想した人物が居る。確か彼も剣らしきものを背負っていた。

「目元に傷のある、やや小柄な関西弁の人では?」
「そうだ、名も名乗らずに行っちまったが、どうも……日本人ではないようだ」

日本人ではないらしい――これで決定的だな。
縁とかも含めて考えると、彼しかありえないだろう。

「ひーちゃん、知ってるのかよ」

宝珠の封印中に出会った青年。
人のことを、懐かしいものでも見るような目で見て、だが物騒なことを言った男。

『この辺りは、鬼が出る言われとるんや。せいぜい喰われんようにな』

「目青不動――だったかな?宝珠の封印中にあった人を覚えてないか」
「あ?……あの、妙な関西弁の。何にしろ礼を言わなきゃな」


憶えておいた方が良さそうだな。
だが、……当面の問題はモヒだろう。


「倒しに行く気のようだな。だが待て、話しておくことがある」

先生の話とは、霧島くんの傷のこと。
大型の獣の牙にやられたかのような傷、そして、さらに呪詛による毒のおまけ付き。
後ろに、八ツ首の大蛇の姿があると、ミサちゃんの予言があった。それか。


行かなくちゃ……

不意に、消え入りそうな弱々しい声が聞こえた。

皆の視線が集中した先には、霧島くんが居た。傷だらけで、毒素も抜けていないのに。
壁に縋りながらも、うわ言のように、呟いている。

「さやかちゃんが……学校で……助けなきゃ、僕が護るんだ」
「い、いかん!そんな身体で」

更には、よろよろと、外へ向かおうとする。ヤバイな、岩山先生がマジだ。
怪我だらけだから、流石に気が引けるが仕方ないだろう。軽くバキッとな。

「ひ、ひーちゃん!」
「大丈夫、当身喰らわせただけだから」

崩れ落ちる彼を支えてベッドに戻し、専門家たちへ顔を向ける。


「先生、よろしくお願いします、舞子もね」
「ああ」
「まかせて〜、ダーリン」

これで彼は安心。寧ろ今心配なのは、さやかちゃんだろう。
なんでここまで戦闘系っぽい彼に、そんなことが判ったのかは知らないが、『さやかちゃんが学校で』というのは幻視かテレパシーか、ともかく超常現象で知ったのだろう。

「よし、行くか!!」
「ちょっと待て、下準備が。先生、携帯はダメですか」
「この院内では使える」


さすがだ。まずは、アン子ちゃんに頼む。

『龍麻?昨日、舞園さやかと歩いていたって本当なの』

開口一番がこれ。素晴らしい情報網。
それを活かしてもらおうと、文京区・中野の辺りで最近妙な事件は無かったかの調査を頼む。
報酬は、さやかちゃんを紹介することですんだ。


あとは、仲間。文京区の近く……王蘭・ゆきみヶ原・覚羅それに神代あたりが近いな。
だけど織部姉妹に学校をサボらすのはキツイだろう。
失礼な言い方だが、亜里沙と雨紋は問題ないだろうし、翡翠は出席数如きで文句つけられる成績じゃなさそうだ。
その三人に連絡をとる。



「ここが鳳銘高校か」
「静かだね……誰もいないみたい」

不安そうに小蒔が呟いた。そう、確かに静かだ。不自然な程に。……学校が、こんな静かなわけがないだろう。

「邪気が上の方に集まっている……気がする。ひとつだけ清浄な氣が混じっているような……」
「ええ、私もそう感じる」

やや不確かだな。まあ、こういうのは本来アランのジャンルだし、仕方ないか。
葵と翡翠がそう思うなら、そうなんだろう。


四階で足を止める。人質が居そうなのに、突っ込むのは得策じゃないな。

「龍麻センパイ、どうしたンすか?」
「ん、彼女が捕まってんのに、全員で突っ込むのは良くないよな。翡翠、外から登ってって」

あ、翡翠が凄い表情で黙り込んだ。だが実際に、まずいと思うんだよ。彼女を人質に取られたら、一気に行動が制限される。

「ちょっと……龍麻、それは酷すぎるんじゃ」
「確かに、それが上策だ。だが、外からの突入はふたり必要だと思う」

亜里沙が呆れたように言うのと同時に、翡翠が、控えめっぽく意見を述べた。
やべ、この声はさりげなく怒ってらっしゃる。しかも、このメンバーでもうひとりって……。

俺の表情の変化に気付いたようだ。翡翠はにっこりと笑った。
うわぁ、悪意に満ちてる。

「そう、もちろん君だ。大きな武器持ちの人間には辛いし、それとも醍醐くんにやらせる気かい?」

醍醐が壁登り……。
ぬぉぉぉ!!!とか叫びながら落ちていって、地面に人型に穴を開ける醍醐の姿が鮮明に浮かんだよ。
いいさ、諦めたよ。ちゃんと作戦を練るか。

「じゃあ、皆は屋上への扉の前でしばらく待機。
京一、携帯バイブにしといて。俺たちが準備をしたらワンコするから、『さやかちゃんを離せ』とか単純っぽく叫びながら正面から突入。当然奴は勝ち誇って人質を誇示すると思うので悔しそうな表情でよろしく。
戦闘に入る時の指示は、さやかちゃんを助けた時の配置を見てから、改めて出すよ」


適当な教室に入って、窓を開けて上を翡翠が観察する。

「多いな、15人くらいかな、いやもう少しか」
「ふーん、じゃあ、正確なタイミングは上で計るけど、まずは奴等の後ろに回る。
俺が跳び蹴りしたら、その勢いのまま前方にいくんで、お前は彼女を抱えて同様に前方へ跳んでくれ」
「了解」

更にもう一つ指示を出す。こいつにしか言えない事だが。

「パターンから判断して、多分彼女の顔にナイフとか当ててると思う。アイドルへの牽制には有効だから。だけど、多少傷がついても気にしないで、さらってくれ。葵が居るからな」
「ああ」

動じもせずに承知すると、翡翠は窓から顔を出して、ザイルのようなものを上方に投げた。ほう、これが忍びの七つ道具?
ところで……すんごく細いんですが。

「あの……失礼ですが、如月さん」
「何でしょうか、緋勇さん」

嫌そうに声を掛けたら、嬉しそうに首を傾げられた。
ああ、良い性格だ。だれか矯正してやれ。

「その細〜いザイルにふたり掴まって、四階相当の高さに出ろと?」
「そう、そのとおり。耐荷重は150kgだから、君が85kg以下なら安全だ」

俺、79kgなんですけど。結構ぎりぎりじゃないか?怖くないか、ソレ。


たかだか一階分の距離とはいえ、腕の動きのみで登るのはつらい。だが、足を使うと音が大きくなってしまうので仕方がないんだが……下までの距離が怖ェよ。ああ、見てしまった。

もう絶対にこんな作戦立てるもんか。
よく逮捕される、世界各国の高層ビルの外壁を登るのが好きな、外国の人の気が知れない。


「何、ブツブツ言ってるんだ。着いたよ」

ラッキーな事に、屋上にはタンクみたいなものがあった。
連中は、全員が校舎との扉を凝視していて、それに背を向けている。……ばかだ。
人数多いんだから、ひとりくらいは全方位の監視にあたればいいものを。


気配も読めないらしく、タンクの上まで登っても誰も気付かなかった。
それでも一応は姿勢を低くして、立て膝の状態で構える。
それから京一にワンコールをする。

何人かの走ってくる音がした後、ガラッと扉が開く。芸が細かい、偉いじゃないか。


「寄るんじゃねぇッ!!さやかの顔に傷がつくぜ」
「てめェ、卑怯だぞ!!」

予想通りの行動をとった帯脇を、京一が怒鳴りつける。
それにしても後ろから羽交い絞めにして、ナイフを頬に当てるか。完璧なまでに、基本的だな。

「結構役者だね」

囁きにしか聞こえない小声で、翡翠が感想を漏らす。京一は怒りに燃えた目で帯脇を睨み付け、だが、悔しげに唇を噛み締めて、震える手で木刀の切っ先を下げた。確かに、ありゃ上手いわ。

「京一は、間抜けだけどバカじゃないからな」
「誉めてるのか、それは」
「まぁね。さ、次にあいつが勝ち誇ったらいくぞ」


「ひひひ、あいつらも霧島みたいな目にあわせたいのか」

今だ、そう呟いて、そいつの顔面に跳び蹴りをかます。そのまま着地して、前方へ跳ぶ。
翡翠がついてくる気配があった。


「なんだと!?てめェら、どこに居やがった」

鼻血を出しながら、狼狽するモヒカン男。ははは、面白い顔。

「壁」

翡翠が至極シンプルに答える。やっぱりこの声は、怒ってるな。なんかあの細いザイルもわざとな気がしてきた。もっと耐荷重多いのもあったんじゃないか?

「そう、外から屋上に来てみた。もう二度とやらないけど」

心から本音。高いところは、恐怖症ってほどでもないが、好きでもない。余程のことがない限り、こんな選択は、二度としたくない。

「てめェら全員、面覚えたからなッ。覚悟しておけよ」

モヒは、憤怒の表情で、こちらを一人一人見回して言った。
どうやら強いのではなくて、しつこく仕返しをするタイプとみた。やられても、何度でも襲おうとする奴だな。

「その必要ない、お前が私の抹殺リストに載ったからな」

なにしろお前のおかげで、命綱なし同然のロッククライミングだ。
殺すリストの相当上位だよ。だから――こちらを覚えたお前の記憶は、無駄になる。


「翡翠と雨紋、後ろの連中を頼む。あとは自由。あ、小蒔と葵はさやかちゃんをよろしく」


指示はそれだけ。総勢十七人の普通の人間――本来なら、俺たちの誰かひとりでも十分に対応できるだろう。

簡単に、敵は倒れていく。
一直線に帯脇を目指していた京一が、途中の障害物である手下ふたりを良い勢いで吹き飛ばした。あーあ、怒らせたな。

「てめェだけは許さねェよ!!キイエエェェェッ!!」

珍しく、本気で気合を入れて斬りかかっていた。
霧島くんを傷付けたことを、相当に怒っていたのだろう。



「てめェをどうこうして霧島が治るわけじゃねェ。さっさと失せな」

それでも理性は失わなかったらしい。
地に手をつく帯脇を見下ろしながら、吐き捨てていた。優しいよな。俺ならもっとボコる。

「ククク……揃いも揃ってめでてェ奴らだぜ」

帯脇は、そんな状態になりながらも、まだ笑っていた。
安心しろ、後で俺がちゃんとツブしてやる。皆の見てないところでな。


「俺様の力は、こんなもんじゃねェんだ」

まだまだやる気満々のようだ。変生とは微妙に違うようだが、赤い光が周囲に集いだした。

奴は哄笑しながら、陰の氣によって姿を変えていく。
そういえば、蛇の力なんてまだ使ってなかったな。俺も平和ボケだろうか。

しばらくすると、なんとなく前の印象を残したままの巨大な蛇になっていた。カラフル。

「我こそはヤマタノオロチ」

なんか言ってるし。
シューシュー鳴らしながら、辺りを見回す。ひとりの上で、目を留めた。

「おお――そこにおったか、わが巫女――クシナダよ」

妖気に引かれたのか、あちこちにポゥッと鬼火が灯る……鬼火?
なんだ、翡翠がいるじゃんか。楽勝だな。

では特に指示はない、さやかちゃんから離れ過ぎなければ、好き勝手にやってくれ。

そう言おうと思ったら、扉が開いた。

「待てッ!さやかちゃんには……指一本触れさせはしないッ!!」

そこには、舞子に支えられた霧島くんがいた。
舞子……。連れてきちゃまずいだろ、その怪我。傷開いてんぞ。
この相手なら布陣いらんかと思ってたけど、怪我人がいちゃしょうがない。


彼に目を向けたモヒヘビに、怒りの色が見える。

「貴様ァ…またしても我から巫女を――力の珠玉を奪う気かァッ!?スサノオ――ッ!!」

スサノオとクシナダ、そしてヤマタノオロチ。
ああ、なるほど。須佐之男命と櫛名田比売ってことか。ならば、どう考えても戦闘系な霧島くんが、さやかちゃんの危機を感知したのも頷ける。彼女相手限定の、共感みたいなものだろう。

それにしても、前世からの三角関係、いや――横恋慕か。長いな。


「霧島くんはさやかちゃんのガード、翡翠はその補助を任せる。葵と小蒔・舞子もフォローを頼むよ。で、京一・醍醐・雨紋・亜里沙暴れていいよ。一応、あの蛇だけ気を付ければ、あとは自由行動」

霧島くんたちさえ気を付ければ、後は問題ないだろう。



「貴様たちだけは、道連れにしてやる」

ボロボロになった元・帯脇が、霧島くんたちの方へ向かう。
背後から、止めを刺したろうかと思ったが、霧島くんが構え、京一がその隣についたので放置。彼の手でケリをつけるべきだろう。どっちにしろ、せいぜい後一撃で終わりだろうし。


同時に斬りかかろうとした京一たちの間に、強烈な光が生じる。
まあ、彼らなら方陣あるとは思っていたけどな。

「京一、……そのまま殺っちまえ」

「おうッ、行くぜッ諸羽」
「はい京一先輩」

京一の氣に、霧島くんが合わせる。
結構な量だな。これなら、十分に止めとなるだろう。

見事に喰らった帯脇は、吹き飛んで屋上の端まで飛んでいく。
今の方陣、そんなに威力あったのか。というか、あんな正面からぶち当たるなんて、アホだな。


人間の姿に戻った帯脇は、フェンスに縋るようにしてよろよろと身を起こした。戻れるということは、やっぱ変生ではないらしい。
ブツブツと、下を向いたまま何か呟いている。どーにもキチだな。

「オロチとなった俺は不死身じゃなかったのか、あのホラ吹き……恨んでやる、あの野郎」
「あの野郎?」

醍醐の問いに、やっと顔を上げる。
まだ表情が気に喰わないな。嘲笑が浮かんでいる。

「ククク、獣になりたがっているのは、俺だけじゃねェ。全てはこれからだ。ケケケッ……ハーッハハハ」

笑いが活用系になってる。ひとしきり笑った後、奴は止めるまもなく、フェンスの向こうに身を投げた。
ラスボスの最期のように、屋上から落ちていった。

うわ、紅い花が咲いてる。あまり見ていて気持ちの良いもんじゃないので、気にしなさそうな翡翠と覗き込んでいたが、背後から悲鳴と騒ぎが聞こえてきた。傷が開いたって、霧島くんか。

傷自体は、葵と舞子、更にはさやかちゃんの力があったため、なんとかなった。
問題は、痛みで座り込んだ霧島くんを癒したりしたあとに、もう一度下を確認したら、奴の姿がなかった事か。塵となったなら良いんだが、困った事にその気配を感じなかった。まずいな。

だが、言っても仕方ないので、皆には内緒にしておく。


霧島くんを、再度病院へ送る途中、彼らふたりは、これから力を貸してくれると言ってくれた。また一挙にふたりか。コスモといい、人数が増えるのはありがたいが、やや戦力として心もとないのが、少し残念だ。

「ありがとう。よろしく頼むよ、霧島くん、さやかちゃん」

だが、そんな内心は当然おくびにも出さずに、微笑んで礼を言っておく。





闇には、血臭が満ちていた。
人気の無い公園で、静かに狩りが行われていた。

存在するのは、獲物と狩人だけ。いや、ひとりだけ怯えた眼差しで、震えている女が居る。だが、彼女は狩りの部外者。獲物の獲物ではあったが、今はその役割にはない。

追う者は、長身の男。暗闇に惑わされる事なく、彼は正確に獲物を追い詰める。
逃げ惑うは、異形の怪物。蛇のような姿のソレは、脅えきっていた。ただがむしゃらに逃げ惑う。弱った身体を癒すために、獲物に襲い掛かっただけなのに、今何故己がこんな目に遭っているのかが理解できなかった。

獣の爪にやられたような傷が、その全身に隈なく走っていた。
凄まじい回復力を持つはずなのに。傷は塞がる兆しも見せず、血が止まることなく流れ続ける。それでも、必死の形相で逃げようとする。偽物の――紛い物の己などとは根本から異なる、真の夜に生きる獣から。


「頑張るな……。だが、止めだ」

静かで落ち着いた、そして冷酷な声が、低く響いた。
同時に、闇の中で鋭い銀光が走った。血の吹き出す音、劈く無様な悲鳴。

大きく切り裂かれた巨大な蛇は、しばらくは蠢いていたが、塵となり消滅していった。

「もう安全だ」

それを成した長身の男は、背後で震えていたショートカットの、スーツ姿の女に告げる。

がくがくと頷いた女と、いくつかの言葉を交わした後、ふいに上空を見上げ笑みとともに呟いた。

「覗きとは、趣味が良くないな」

鋭い爪の生えた状態の腕で、彼は大きく空を薙いだ。



「痛ぇッ」

激痛に、一挙に目が覚めた。
痛みのある頬に手を当てると、結構な血がたれているようでベタついた。

明かりをつけ、その傷を観察すると、猫に引っ掛かれた時のものに似ていた。もちろん、比較にならないほどに、遥かに酷いが。


くっそー、意識して見たんじゃないのに……暴力教師め。


マキロンを沁みる傷口に塗って、大きめのバンドエイドを張る。
どうでもいいことが、バンドエイドもマキロンも商標なので、正確には違うけれど。

落ち着いてから、時計を見ると夜の一時過ぎだった。夢の景色の明瞭さから判断する限り、リアルタイム――遠見だったんだろう。
エリさんまで事件に首を突っ込んでいたとは、知らなかった。危ないところだったよな。よく先生が居合わせてくれたもんだ。

でもラッキー。あのモヒヘビ、消えてしまったから、少し焦っていたんだが、これでもう心配しなくて良いんだな。




翌朝、ヒリヒリする痛みに耐えながら学校へ行くと、校舎の辺りでぼさぼさ頭の白衣の後ろ姿が見えた。後頭部の堅いところに膝でゴーーンといってやろうかなどと考えていたら、まるで内心の声が聞こえたかのようにタイミング良く、くるりと振り向きやがった。

「よぉ、緋勇。ん?その傷はどうした?美里にでも引っかかれたのか」

てめェ……よくもまぁ。

「意識せずに悪い事をしたらしく、ワンちゃんに引っかかれました。大人げないですね」
「ははは、気を付けるんだな」

自分以外に平然としらをきられると、腹が立つもんなんだな。ははは。
……いつか、一撃入れてやる。

戻る