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― 東京魔人学園剣風帖 第拾七話 劉 弦月 ――


「うう」
「あああお」

正気を失った連中がゆっくりと集う。子供から中年まで、男も女もいた。さまざまな姿をしていた。だが、共通している点もある。それは狂った瞳、そして身体を覆う真紅の凶々しい氣。

「お前も――、我らの仲間に」

のぼせたように呟くい彼ら――何かに、憑かれている。
こういった人間は、それなりの原因もある。

「ええ機会やし、ちょいとわいが活いれたるわ」

二度と闇になんぞ安易に逃げないように、逃避にはそれなりの代償も必要だという事を理解させる。

「我求助、九天応元雷声普化天尊――」

苦しみだす連中の怨嗟の念には構わずに、呪言を唱え続ける。

「活剄!!」

これで、目が醒めれば、全て忘れているだろう。
ただ一つ――全身を襲う筋肉痛を除いて。制御もすべて取り払って、赴くままに破壊に勤しんでいたのだから、当然の結果だ。闇に身を浸して、その程度の代償で済むのだから、幸運とさえ言えるだろう。

それにしても、人を獣に変える――か。これも、奴の差し金なんだろうか。



村を滅ぼした男。
封龍の宿命を持った、屈強なる戦士の一族の住まう村を一夜にして。

伝承の通りに、封じの洞窟から抜け出した男は、村に現れた。
村人たちは必死に抵抗し、それでも少しずつ殺されていった。

一族の長に連なる家系であった自分は、最奥の部分に住んでいた。
それゆえに、その剣鬼の姿を見たのは少しの間だけであった。

男が近付いていることを知った父が、自分を深い井戸に投げ込んだから。
腰まで浸かってしまう水が冷たくて、落ちる際に傷ついた左目が痛くて、泣き叫びそうになった自分を、父は怒鳴りつけた。

何が聞こえようとも、身動ぎ一つするな。音が静まるまで、決して出てくるな――と。

声を押し殺して頷いた自分を、父は満足そうに見た。それから、ふいに優しく言った。

元気で生きろよ、弦月

それだけをいうと、わずかに見える視界――丸い世界から消えた。

はじめてだった。
父はずっと厳しかった。やがて一族を継ぐに相応しい強さを、自分に身に付けさせるために。

優しい声を聞いた事なんて無かった。笑顔をみたのも初めてだった。


それから聞こえてきたのは、耳を塞ぎたくなるものばかりだった。
悲鳴、泣き声――そして、破壊音。
ひたすら気配を殺し、耳を塞ぎ、体を縮めて時間が過ぎるのを待った。
ただ怖かった。皆が喪われていくことよりも、こんなことができる人間が存在することが。


けれど、物音一つしなくなってから、恐る恐る出ていった時の怒りは、今でも覚えている。忘れられるはずもない。

手が擦り切れて血が出ていた。左目は、血が傷口付近で固まってしまい、よく見えなかった。
体は冷え切っていた。腰まで冷水に漬かっていたのだから当然だ。

だが、それさえも気にならなかった。

瓦礫の山、そこかしこに見える壊れた人形のような体、あちこちにできた血の池。
昼まで共に遊んでいた友人たちも、優しかった隣人たちも――誰も、もう存在しない。

助かった客家の者は、自分と余所へ嫁いでいた数名の女たちだけだった。


あの光景を思い出してしまうと、目の前が赤黒く染まる。

だが、ここでいきり立っても、何か変わる訳でもない。
沸き立つ怒りと憎悪を抑えながら、なんとか落着こうと試みる。


呼吸を繰り返し、心が静まってくると同時に、何か違和感を感じた。
何かが見ているような気がしてならない。気配は確かに存在しないというのに。
視線は感じる。……遠見の術か。

術を破る呪言を唱えて、行使する前に、手を振りながらおどけて言う。

「いや〜ん、エッチ」

力の抜ける気配がしたのと合わせて、最後の一言を唱える。


確かに、術は破れた。もう視線は感じない。
だが、今の気配は悪意がなかったと思う。それに、かすかにだが、覚えがあった。

記憶を辿ってみると、すぐに思い当たった。

    「おォッと。なんや、危ないなァ」
    「申し訳ありません。少し考え事をしていたもので」

東京を守護する結界の弱さを不思議に思い、支点を巡ってみた時のことだ。
支点の一つ――目青不動でぶつかった、気配を殆ど持たない青年だ。
そうだ、なぜだか懐かしい気がしたんだった。

木刀を持った、相当な腕の青年と連れ立っていた。
彼らが中に入ってしばらくしたら、あれほど弱っていた結界の霊位が回復した。

彼らも、やはり東京の闘いに関わる宿命を持つ者たちなのだろうか。
だとしたら、この憑依のように、奇妙な事件を追っていけば、また会う事もあるかもしれない。



「うわぁぁーー」

少年から、犬の霊が離れ消えていく。それと同時に、少年はばたりと倒れた。
まだこんなにも幼い少年が、憑かれるとは――日本の歪みをつくづく感じさせられる。幼子は確かに霊の影響を受けやすい。ただし、それは感受性が鋭いからであり、自然に存在する霊に対しての話だ。
この事件の裏には、どうも憑依師の存在が感じられる。憑依師が、他者に強制的に霊を憑けるためには、感情の昂ぶりによる隙を突くか、または対象者が、己の人生に疲れていたり、なにか不満を溜め込んでいたりする必要がある。

いずれも、本来の子供には、一番縁遠い感情であるはずなのに、小学生程度の子供たちから霊を祓うのは、この少年が初めてではなかった。


「それにしても――どういうことなんや」

いかなくちゃ、みんなが呼んでる――祓っている間中、少年はそう呟いていた。


意識を取り戻した少年を、人通りの多いほうに行かせて、もう少し考える。
呼んでいる――やはり、術者の召集だろうか。


「どうすればいいんだッ!!」

そこに、聞き覚えのある声が響いた。
目を遣ると、制服姿の学生たち――西洋人の少女と青年を、一人ずつ含んでいたが――が、集まっていた。

「なんや、人の枕元で騒がんといてや」

声を掛けると、パッと隙無く振り向いたのがふたり、何かに苦しんでいるのが三人、そしてあとの連中は、事態に困惑しているようだった。

「あァー、あなたは…、あの時僕を助けてくれた……」

こっちを見てそう叫んだ少年には、確かに見覚えがあった。
確か、蛇憑きの男に、襲われていた少年だった。傷は、もう治ったようだ。


「彼を助けて下ってありがとうございます。で、唐突ですが、お願いします」

その言葉を聞いて頭をスッと下げたのは、目青不動で会った青年だった。
綺麗な顔に、感情を浮かべずに続ける。

「昨日の夜、獣に憑かれた人たちを祓ってましたね。『我求助』とかいう奴で。彼らを助けて下さい。お願いします」
「……あー、あんさん、あのエッチな覗きの人か」

やはり、昨日『視て』いたのは、彼だったようだ。
だが、詳細を問い詰める前に、苦しむ彼らを戻すように頼まれる。
確かに――このまま放っておくこともできない。


「我求助、九天応元雷声普化天尊百邪斬断、万精駆滅、雷威震動便驚人、活剄!!」

消えていく闇の気配に、彼らは皆、安堵の表情を浮かべた。
代表するように、青年がもう一度礼をする。但し、鋭い表情のままで。

「ありがとうございました。本当に感謝します――けれど、一つ聞かせて下さい。貴方の立場は、私たちの『敵』『味方』『敵じゃない』『味方じゃない』のどれですか?」
「う〜ん……今の時点では、『敵じゃない』としか言えんなァ」

そう、まだ味方とは断定できない。
だが、その喧嘩を売るような言葉に、彼は微笑んだ。

「なら構いませんよ。当面の問題は、憑依師だ。他の火の粉は、降りかかってから考えます」


落ち着いてから、自己紹介をしあった。
彼らは、マリィと名乗った少女を除いて、高校一年から三年の学生たちだそうだ。
やはり、こういった事件に、今までも関わってきたようだ。

そうした説明の後に、青年は名乗った――緋勇龍麻と。

息が止まるかと思った。
緋勇龍麻――あの人の息子。生まれたばかりの頃、少しだけ共にいた乳兄弟。

「緋勇 龍麻か……。ええ名やな」

一拍おいてから言うと、緋勇は少し笑ってから訊いてきた。
漢字で、どう書くのか――と。

気付いた訳ではないのだろう。なんとか平静を保って、地面に字を書く。
『弦』と書いた瞬簡に、空気が微かに変わった。
まだだ……気付かれるのではなく、いつか自分から話したい。

だから、話題を変えた。


「さて、そんじゃそろそろ行きまっかッ!!」
「行くって、お前…まさか、ついてくるつもりじゃないだろうな」
「もちろんそうや。困とる友達を見捨てておけるほど、冷血漢とちゃうで」

それも嘘ではない。
事件に関われば、あの男への距離が近くなる――確かに、それが大きい。
それでも、彼らに協力したいと思うのも、本心だ。


「天野はん、ルポライターなら知っとるやろ、この辺に渦巻く怨念の正体を」
「怨念?強い怨恨?――――!!そう、そうだったのね」

なにか思いあたったらしい。彼女は小さく叫んだ。

「で、そこは一体どこなんや?」
「東京拘置所と呼ばれる場所が、この近くにあるわ」

彼女は答えた。
うってつけの場所――B,C級の戦犯を捕らえ、そして処刑した場所があると。
ただ盲信していた国に、突然裏切られ、罰せられた者たちの最期の地――十分すぎる条件だ。

「間違いない、ヤツはその強力な怨念の場を居として、街中に憑き物を放っとるんや」



力を持たない一般人である彼女を、池袋から離れさせ、そこへ向かうことになった。
帰りの時間帯と重なったらしく、人が溢れていた。

「あッ、信号が変わっちゃう!」
「急げ」

皆がスピードを上げるが、こっちは、こういった人混みには慣れていない。

「わッ、わッ、なんや急に――しもうた」

もたついている内に、信号が変わってしまった。
ひとり残されたかと思ったら、側にもうひとり居た。

「ま、すぐに変わりますよ。そんなに急がなくても」

緋勇はそう笑った。
先程の人混みを避ける鮮やかさ――彼と如月と名乗った男の体捌きは、並みではなかった――から考えて、わざわざ残ってくれたのだろう。

謝ると、彼は、本当はそれほど急ぐ必要もない――と、笑った。
だが、色々申し訳ないような気にもなってきた。
自分は、彼らの闘いに首を突っ込んでしまったイレギュラーな要素だろう。

「もしかしたら、わいこんな風についてきてしもうて、迷惑だったんとちゃうか?」
「なぜですか。頼りにこそなれ、迷惑になど思いませんよ」

そう微笑む彼に、忘れかけていた家族の暖かさを感じた。
血はつながっていない。だけど、彼とは大切なものを分け合っている。あの人の名前を、自分と――。

「わい、この東京で、やらなあかんことがあるんや。せやけど」

そう、村を滅ぼしたあの男――凶星の者に出会い、そして倒す。そのために東京に来た。
けれど

「もしかしたら、あんたに会えるんやないかとおもうてた」
「それは、あなたの名前の『シェン』と関係が」

やはり気付いていたようだ。けれど、まだ待って欲しい。
笑うだけで、話を変える。

「わい、あんたとは、昔一度会ってるんや。それに占師だったじっちゃんに、よう聞かされとった。日本におる緋勇龍麻っちゅう奴と、いつか――共に闘うために出会うって」


「おいッ!!何やってんだよ、置いてくぞ」

道の向こうから、大声で呼ばれた。信号はとうに変わっていたようだ。
照れ隠しで、大声で返してから、緋勇に笑いかける。

「へへッ、行こうで」



東池袋中央公園には、澱んだ氣が溜まっていた。
その中心地、噴水の側に、多くの憑かれた人々が集っていた。
あの祓った少年が言っていた『みんなが呼んでる』――こういうことだろう。

中央の下卑た表情の憑依師によって、呼ばれていたのだ。己の盾とするために。



生き残りたければ、獣の性を取り戻すしかない――そう笑ってから、憑依師は叫んだ。

「やがて来る、混沌の御世。そしてその王は――この俺だッ」

混沌の世――王などとほざく俗物の発想ではない。
それは、あの男の目指すもの。

「あんさん、そないなこと、誰に吹き込まれた?」
「な、何だと?」

図星のようだ。大方力を増したのも、奴の仕業だろう。

「そいつはどこや。今、どこにおるんやッ!!」


一歩踏み出したところで、肩に手をそっと置かれた。
詰と振り返ると、アニキ――緋勇が、静かな、それゆえに恐ろしい表情を浮かべて、そこに居た。
怒りさえ浮かべずに、彼は優しい声で言った。

「こんな小者に教えるわけが無い。無駄だよ。こういう連中を、ひとつひとつ潰していくしかない」



それから、彼は指示を出した。
皆は手慣れたものだった。すばやく、それに従って動き出す。

彼らの戦闘力は相当なもので、指示どおり霧島と蓬莱寺との三人で、憑依師の近くまで進むことができた。

「お前の勝手な理由で、さやかちゃんが傷ついたんだ。それに、帯脇だって、あんな目に合わずにすんだんだッ!!」

霧島は、真っ直ぐな瞳で、憑依師を見据えた。
人のためにのみ怒る、純粋な感情。

「けッ、皆、自分でやったことだ」

あくまでも自分勝手な憑依師に、彼は怒りの声を上げる。
それと同時に、三人の間に、氣による陣が形成されるのを感じた。これが――方陣技か。

「いきます、京一先輩ッ、劉さん!!」

彼の掛け声に氣を合わせる。増幅された氣が憑依師を打ち据え、それで終わった。
操られていた人々から、霊が離れていくのを、確かに感じた。



倒れた連中を、寒くないように、男女別にまとめて風の少ない場所に移動して、東池袋中央公園をあとにした。

池袋の雑踏を歩いていたら、美里さんが思い出したようにポツリと言った。
本当は、みんな、ただ寂しかったのかもしれない――と。

「そうだね。ついさっき、すぐ近くであんなことがあったのに、この街を歩く人たちは、誰一人気付かないんだもんね」

そう、この街は、あの滅びた故郷とは比べようもなく綺麗で、豊かで、人が多くて、何でも揃っていて――そして、何か足りない。
だから、思わず訊いてしまった。

「なんや、無性に寂しい気分になったりせェへんか」
「少しね。だけど」

そこでアニキは黙ってしまった。だから近くにいた自分にしか聞こえなかったかもしれない。
彼は、小さくこう続けた。

みんながいるよ――と。


彼は、もしかしたら自分よりも孤独を知っている人なのかもしれない。
その実感のこもった言葉に、そう思った。


「さてと、一件落着したことやし、なんや腹が減ってしもうたなァ」
「あッ、ボクもボクもッ!!」
「おッ、なんや気が合うなァ。それやったら、みんなでラーメン食いに行こか。わい池袋やったらええとこ知ってんねん」

話題を変えて歩き出そうとしたところ、邪魔をされる。

「その前に、劉。お前、さっき妙なコト言ってたよな」

意外に鋭い。どう誤魔化そうか考えていたら、最適な人が、口を出してきた。

「そういえば、さっきすごくコワイ顔してたよね」
「あァ?わいの顔が怖いやて!?ひどいワ、小蒔はん。わいかて好きで、こんな糸目に生まれたんとちゃう。わざと、こんな傷こさえたんでもない。せやのに……こんなお茶目なワイを、怖いだなんて」

矢継ぎ早に、論点をずらしていく。

「えッ!?ゴメン、ボクそんなつもりじゃ」

会話を打ち切れる言質を引き出したので、さっさと話題を戻す。

「ちゅうわけで、気のせいや。ほな、行こ行こッ!!」

そう明るく言って、軽く走り出した。
何人かの、見透かしたような暖かい瞳が、むしろ辛かったから。



「ふぅ……」
闇の中、小さなため息が聞こえて、目が覚めた。
そっと目を開けると、アニキが寝台から半身を起こして、頭を抑えていた。

床で雑魚寝をしている周囲の皆は、気付いていないようだった。
具合でも悪いのかと思い、声を掛けようか迷っていたら、彼は頭を上げた。

ご冥福祈るよ――続けて、そう呟いた声は、驚くほどに冷たかった。
察するところ、あの憑依師の事だろう。そして――納得がいった。
夢の形で見ることができるのか。あのときの気配も、夢で見ていたのだろう。


いつか、お互いに、全てを話し合いたい。
人知れず、こんな風に苦しむ彼を、支えたい。

心から、そう思う。

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