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― 東京魔人学園剣風帖 第拾八話 霧島 諸羽 ――

深刻な顔をした龍麻先輩が、如月骨董堂店に入っていく姿を見かけた。

何かあったのかな?
疑問に思い、何気なく、自分も続けて入ろうとしたときだった。

――三日前から京一と亜里沙が行方不明なんだ

僅かに洩れてきた話し声に凍りつく。

京一先輩が――行方不明!?



必死で聞き耳を立て、理解できたのは、一応ふたりとも無事な可能性が高いという事。相手の出方を待つしかないという結論。

相手の出方……それがあったら、真神の四人に、なんらかの反応があるはずだ。


龍麻先輩のマンションの前で待っていた。
きっと、皆さんはここで待ち合わせをするはずだから。


深夜の十二時過ぎに、四人が揃って降りてきた。
驚いた様子の彼らの前に出て行って、頭を下げた。


僕も連れていって下さい――と。
その言葉に、返ってきた龍麻先輩の言葉は、思いのほか冷たかった。

「霧島くん。俺は今、精神的に余裕が全く無い。皆をかばいながら闘うことも、多分できない。だから、今回は本当に強い者しか呼んでいないし、君はまだそこに達していない。危険だ」

でも、どうしても――心配で。

「足手纏いにはならないと誓えるのならば、来るといい」
「は、はいッ!」



途中、ざっと今回の経緯を教えてもらった。
藤咲さんの方が巻き込まれただけで、拳武というその組織に狙われたのは、京一先輩を含むこの五人の人たちだったということだ。

静かに、理路整然と教えてくれたのは、龍麻先輩。
どうして、こんな事に巻き込まれながら、龍麻先輩は落着いていられるんだろうか。



「見張りは、あのふたりだけのようだ。でかい方も小さい方も、武器は持ってない――いや、小柄な方は、脇がやや膨らんでいるな。銃ではないだろう……小型のナイフあたりか?」

地下鉄の出口を覗った醍醐さんが、小声で囁いた。
瞳だけが、猫のように細くなっている。夜目も利くんだろうか。

「俺がやってくるよ。ちょっとここに居てくれるか」

小石を手にした龍麻先輩は、静かに言った。
だから、そんなに怒ってるなんて、その瞬間まで分からなかった。


龍麻先輩が、石を投げる。
カツンと小さな音が、見張りたちの背後でなった。

彼らはほんの少し、そちらに注意を向けてしまっただけだった。
だが、龍麻先輩には、その一瞬だけで充分だった。
距離を詰め、先に振り向いた男を裏拳気味に殴り飛ばし、もうひとりの男の顔面を掴んで、軽く持ち上げる。そのまま空いている左手で、男の制服の上着を引き裂くと、ケースに収まったナイフが両脇の下にとめられていた。

手で招かれたので、皆で近付いていく。
あくまでも小さな声で、龍麻先輩は指示を出した。

「ナイフ取っちゃって、あと多分腰の後ろとかにも、予備が有ると思う」

その言葉の通り、後ろのベルトの部分に、もう少し小型のナイフが二本さしてあった。
醍醐さんが、それを取って遠くへ押しやった。

その間、龍麻先輩はその男をずっと持ち上げていた。
軽く握っているだけのように見えるのに、激痛なのか男の顔は歪んでいた。

龍麻先輩は、力ではなく技の人というイメージがあった。
だが、やや小柄とはいえ、男ひとりを片手で吊り上げ、そして、氣も込めずに殴っただけで、鍛えられた男を一撃で気絶させたということは、十分すぎるほどに力もあるのだろう。

「お静かに。声をあげたら……顔を握り潰しますよ」

小さく、だが冷えた声で、龍麻先輩は囁いた。
徹底的な無表情に恐怖を覚えたのか、その言葉が嘘ではないと肌で感じたのか――、男は涙を流しながら、ガクガクと頷いた。

静かに人数・配置・能力を訊ねる龍麻先輩に、素直すぎるほどに話していた。

「そう、ありがとう」

必要事項を聞き出した龍麻先輩は、そう言ってにっこりと微笑むと、男の頭をそのまま壁に叩き付けた。
白目を剥いて崩れ落ちる男をひっくり返し、ガムテープ、ベルト等を使って、後ろ手に縛った上に動けないようにしていた。

「風邪ひかないかな」

心配そうに呟いた桜井さんに、龍麻先輩は悩んだそぶりを見せた。

「うーん、でも寒いからってあんまりくっつけると、互いにテープを剥がせるんだよな。ああ、そうか」

途中で気付いたらしく、指先までガムテープでグルグル巻きにしてから、失神したふたりを風のあたらない場所に置いていた。『新たなる愛の目覚め』とか言いながら、重ねていたけれど。



「さて、じゃあ行くか」
「正面からか?」
「ああ、多分もうばれてるからな」

そういって、龍麻先輩は気負う訳でもなく、ごく自然な動作で階段を降りていった。
……音がしない?

「どうした霧島? 行くぞ」

醍醐さんに、ドンと肩を叩かれた。

「あの、僕、足音を完全には消せないのですが」
「俺だって無理だ。というより、仲間内でも龍麻以外で可能なのは如月と、せいぜい劉くらいだろう。それに今回は、最初から正面突破のつもりなのだから、構わんだろう。音を立てても」




「へッ、よくきたな」
「藤咲は、どうした?」

龍麻先輩が、静かに訊ねる。
中央のふたりの男たちは、その迫力にも臆さずに、顔を見合わせて笑い声を上げた。

「あれは、デザートなんだよ」
「楽しみでごわす」

それを聞いて、龍麻先輩は露骨に呆れた表情を浮かべる。

「馬鹿か?」

愚弄するというレベルではなかった。
その挑発に顔を真っ赤にした男たちを、ゴミでもみるかのような目付きで眺めていた。

「なんだ、図星か。アホ相手に、真面目に考えた自分が哀し――」

龍麻先輩は、そこで急に言葉を切って、暗闇の一点を凝視した。

その視線の先には、気配が一つ――だけど存在はふたり。

藤咲さんと、細身の男だった。彼の方には、まったく気配が無い。
連中の仲間なのだろう、同じく拳武の制服を着ているから。

けれど、あまりに雰囲気が違う。


男はあっさりと藤咲さんを解放し、中央の方へと無造作に歩いていった。

彼は、なぜか龍麻先輩を思わせる空気を纏っていた。

凍えつく冬の大気、怜悧な抜き身の刃。

龍麻先輩が稀に見せる怒っている時――その状態に似ているんだ。
熱泥のような、熱く淀んだ氣を持つ他の拳武の者たちと同種の人間だとは思えない。


「無関係な者は、極力巻き込まない。拳武の掟にあるだろう。それとも、人質がいないと、彼らに勝てないのかい?」

人質を解放した事を責められて、返した答えがそれだ。
他の者たちと違って、中央の剣を持った男を恐れていないようだった。


藤咲さんに安否を確認していた龍麻先輩に、その細身の男は不思議そうに訊ねた。
――聞き捨てのできない事を。

『彼』が生きていると信じているのか――だって?
蓬莱寺先輩は……生きているに決まってる!!

思わず反射的に斬りかかっていた。素手の人を相手に、なんの加減もしていなかった。けれど、僅かに身を引くだけで躱された。直後に、重く冷たい氣を、腹部に叩きこまれる。

「邪魔だよ」

吹き飛ばされるのがわかるけれど、何もできない。

トンッ

壁に叩きつけられる前に、誰かが受けとめてくれた。

「癒してあげて」

龍麻先輩。
……すみません。足手纏いになって。結局、かばってもらって。
悔しい。何もできない、自分の力の無さが。


なんとか起き上がろうともがいていたら、軽く頬を叩かれた。……美里さんが?

「霧島くん、お願い、落着いて。大丈夫だから心を静めて」
「だけど、僕が邪魔に……」
「平気よ。龍麻を信じて。彼はもっと酷い状況だって切り抜けてきたんだから」
「……はい」

そうだ、このままでは余計に迷惑になってしまう。
動きを止めて、力を抜いて横たわった。

美里さんは、軽く頷くと、その手をかざした。
淡い光が彼女を包む。
暖かい波動が、ゆっくりと染み入ってくる。それに伴って、腹部の激痛が急速に収まっていく。
掌の切り傷を治してくれた時とは、レベルが違う。これが美里さんの本当の力?

その間、龍麻先輩は、新たに現われた男と、会話していた。
一見穏やかに、その実は毒舌の応酬だった――尤も、対象は互いではなく、八剣と名乗った剣士だったけれど。

龍麻先輩は、焦る様子もなく話していた。けれど、どうしてそこまで京一先輩の安全を確信しているのかを聞かれて、少しだけ黙った。

「もし京一が、死んだりしたら、俺たちが誰も感じないはずがない。そういうこと」

柔らかく微笑んだ龍麻先輩に、いきり立ったさっきの自分を恥ずかしく思った。
今、龍麻先輩は、普段よりずっと苛立っている。だけど、信じているから――だから、焦ってはいないんだ。


「てめェら……、調子に乗るんじゃねェッ!!」

龍麻先輩たちに馬鹿にされ続けていた八剣が、苛立ちを隠さずに叫んだ。
幻惑するような氣の塊が、四方から先輩に向かう。

先輩は、口の端を僅かに上げて、片手を上げた。
けれど先輩が何かをする前に、八剣の放った氣は、甲高い音を立てて砕かれ、消えた。


「蓬莱寺 京一 ……見参ッ!!」

京一先輩ッ!!

良かった……本当に無事だったんだ。
いつも通りの様子で、京一先輩は笑った。

「ただいま、ひーちゃん。誰が、おバカだって?」

京一先輩の登場に合わせるように、如月さんや劉さんたちが闇から現われた。
ああ――、そういえば、呼んであると龍麻先輩が言っていたんだ。



無事に現われた京一先輩に驚愕を隠せない八剣を、細身の男が散々馬鹿にしていた。
八剣は、絞り出すように唸った。

「壬生ぅ……てめェッ」

その直後の事だった。

「あはははははは」

周囲が驚くほどの勢いで、龍麻先輩が笑っていた。
苦しげに胸を抑えて、涙さえ滲ませて。

周囲の呆気に取られた視線の中で、先輩は止むことなく笑い続けた。

「何が可笑しいんだい?」

やや苛立った様子で、壬生が訊ねる。
自分の名で大笑いされたのだから、気になるんだろう。


龍麻先輩は、まだ苦しそうに咳き込みながらも、壬生にいくつか訊ねていた。そんなことまで、なぜ知っているのか不思議なほどの、拳武の機密についてまで。

徐々に殺気を増していく壬生に対して、龍麻先輩も笑いを消して首を傾げた。

「君は、もみじと書く、みぶ くれは?」
「まさか、りゅう――かどくら りゅうなのか?」

知り合いだったのだろうか?

姓を違えて覚えていた壬生に対して、龍麻先輩は、それは養父の姓だと説明した。
自嘲気味に続けた台詞に、驚くしかなかった。

「京一たちの安否が不明なだけで、こんなにも頭が鈍ると思わなかった」

あれで、頭が鈍っていたのか。あんなにも冷静に見えたのに。

龍麻先輩の話の内容を吟味するかのように、しばらく黙って考え込んでいた壬生が、顔を上げて笑った。それはあまりに似ていた。顔立ちは別に似ていないのに。

敵を前にしたときの龍麻先輩と――同じ笑みだった。


――翡翠、皆の指示を頼む

龍麻先輩は、如月さんに小さく告げると、注意を壬生だけに集中した。

如月さんが目を丸くしてから、驚いた様子で頷いた。
先輩が人に任せるなんて珍しい――それほどの相手ということなんだろう。

「遠距離組は、後方から動かずその場から攻撃。紫暮は、片方が遠距離組のガード。もう片方の紫暮と劉は、突っ込み過ぎない程度に、雑魚を担当してくれ。僕も向かうから。用心を怠らないように」

龍麻先輩に、指揮を任された如月さんが、指示を出した。

驚きは一瞬のこと。
こういった事態に慣れている為か、もう、落ち着いたものだった。
如月さんは……こんなにも龍麻先輩から信頼されているのに。何の役にも立たない自分が悔しい。



「行くよ」
「勝手にイキな」

言葉が開戦の合図。ただ一歩踏み出しただけに見えるのに、ふたりの距離は無となった。蹴りが交差する。同じだった。モーションも、威力も。

一瞬後に、弾かれたように離れたふたりは、とんでもない勢いで闘いを開始した。

その間に、皆が一気に拳武の者たちを倒していく。
まともに『力』を持つ者は、八剣・武蔵山・壬生の三人だけのようだ。当然の結果として、数分で、ほとんどの者が倒れ伏していた。


壬生は、龍麻先輩と、互角に渡り合っていた。
初めて見た――数刻以上、龍麻先輩と闘える者を。信じられない。


「あの人は……、一体?」

小さく呟く。如月さんには、しっかりと聞こえたらしくて、こちらを振り向いた。

「ああ、詳しくは知らないが、大体分かる。彼はね」
「待ってくれ、如月。俺も聞きたい。多分京一もな」

白虎と化したままの姿で、醍醐さんが戻ってきた。
武蔵山は仰向けで、泡を吹いて倒れていた。す……凄い。



間近で交わされる刃。
離れれば、相殺し合う陰氣。

互角――むしろ、経験が豊富な分、八剣の方が、技術としては、やや洗練されていたかもしれない。

けれど、斬られた傷にも構わずに、踏み込んだ京一先輩の方が、速かった。強かった。

「バカな……、この俺様が」
「てめェに上は目指せねェよ」

最後まで立っていたのは、京一先輩。


あとは闘っているのは、龍麻先輩とあの人だけだ。


「で、如月。……なんだ、あいつらは。どう見ても同門なのに、何かが違う」

醍醐さんの問いに、如月さんが言葉を選びながら答える。

「アレは、おそらく龍麻の一対の存在だと思う」
「一対だと」
「ああ、龍麻の使う流派には、陰と陽があって、陽の最高位を極めた者は、表の龍…………黄龍と、陰の最高位を極めた者は、裏の龍―紫龍と称される。
それが彼等だろう。彼らは同一にして異、最も近く同時に最も遠い存在なんだよ」


一対の存在――身長も体格も、ほぼ同じ。
迅さも力さえも、同格なのだろう。

まるで喰らいあうかのように、彼らはハイスピードの技の応酬を繰り返す。
見とれてしまう。

「だが、こうして見ていると、闘い方などが少し違うな」

紫暮さんの指摘通り、確かによく見ていれば、僅かに異なる。
同じ徒手空拳といっても、拳と蹴をほぼ均等に使用する龍麻先輩に対して、壬生の方は、明らかに蹴りが主体、拳は牽制や防御に使っている。



皆の意識が、龍麻先輩たちに集まっていた。

だから、誰も気付かなかった。
ある程度ダメージから回復した武蔵山が、起き上がった事に。

「武蔵山ッ! やっちまえ」

京一先輩にやられた八剣が、這ったままの状態で、武蔵山に指示を出すまで誰も。

けれどそいつが背後から捕らえたのは、龍麻先輩ではなかった。
誰もが、呆気に取られた表情になる。捕まった当人も、目の前の人も。

まあ……理解できなくもない……かもしれない。

倒された直後。おそらくは、目が霞んでいたりしたのだろう。そして、後ろから見たら、ふたりとも似ていたのだろう。


「……壬生さんは、お前がアツくカタく抱きしめているが?」

龍麻先輩の呆れきった言葉の通り。武蔵山が勝ち誇りながら捕らえたのは、壬生の方だった。

それからなぜか、龍麻先輩達が、論点が違うところ――デブとハゲだので、険悪になる。
いや、ふたりとも全然太ってもハゲてもないと思うけど……

「デブってのは」
「ハゲというのは」
「「こういう奴のことを言うんだッ!」」

言い争うふたりの声が重なった。声まで似ているんだ。


「ははははは。そりゃあいーぜ、ひーちゃん」
「ふふ、やはり良いコンビかもしれないな」

……そういう問題なんだろうか。


龍麻先輩たちは、とりあえずの邪魔者を先に、片付けることにしたようだ。
龍麻先輩が跳躍し、完璧な回し蹴りを武蔵山に見舞い、拘束が緩んだ隙に、ひざ蹴りで武蔵山の腕から逃れた壬生が、龍麻先輩のすぐ側に着地する。

視線さえろくに交わさずに、彼らは続けて絶妙な連撃を放った。
完璧なコンビネーション。これが、一対の存在。


それでも、武蔵山は倒れない。
白虎に変じた醍醐さんの攻撃力だから倒せた、呆れるほどの堅さ。


何か互いに言葉を交わしてから、龍麻先輩たちの雰囲気が一変する。殺気なのだろうか。この無慈悲な眼差しは。

龍麻先輩と壬生が、同時に氣を放ち、目を眩ませる。
そして、左右から接近する。


「陰たるは、空昇る龍の爪」

壬生が呟いた。
彼の周囲が暗く見えるほど、氣が凝縮する。

「陽たるは、星煌く龍の牙」

その言葉の如く、龍麻先輩の周囲が煌く。圧倒的な氣をうけて。


ふたりがそっくりに笑う。愉しげに、残酷に。

「「秘奥義・双龍螺旋脚」」

蹴撃が見舞われる。
ふたりの氣が二匹の龍を映し、螺旋を描き絡み合い、立ち昇る。


光と影の螺旋を、綺麗だと思った。
あの打たれ強そうな武蔵山が、あっさりと沈んだ。


本当に直後。一拍の呼吸さえおかずに、再びふたりの蹴りが交差した。
互いに、しばらく呆然としたあと、同時に舌打ちする。
……方陣技発動の前から、狙っていたんだろうか。

なにか言葉を交わしてから、再び攻防が始まる。



龍麻先輩が、顔面を狙ったハイキックを放つ。
壬生はそれを、紙一重で避け、間合いに入った。が、先輩の足が踵落しの要領で戻ってくる。

ガツッとくぐもった音がした。まともに入った――と思えたが、龍麻先輩は表情を変えて、足を引こうとする。けれど、できない。

先輩の蹴りは壬生の腕によって、止められていた。そのまま、関節を極めようとする壬生に対して、龍麻先輩が選択した事は、壬生の眼を抉るかのように、手を薙ぐこと。

すぐに壬生が足を離し、飛び退いたため、それは浅く頬を削ぐに留まった。
甘さなんて欠片も存在しない真剣勝負だった。


一進一退としか言いようのない攻防が、延々と続く。
龍麻先輩たちと知り合って、まだそれ程長いわけじゃない。……それでも、何度か戦闘に付き合った。その中で、こんなにも傷だらけになった龍麻先輩を見たことはなかった。



胸元から顔を襲った蹴りを躱し、その勢いを利用して龍麻先輩は、壬生を投げ飛ばした。
そして、氣を急速に高める。

「ひーちゃん駄目だッ!」
「龍麻、それでは間に合わんッ!」

京一先輩と醍醐さんが同時に叫ぶ。

あれは、鳳凰?
龍麻先輩の、最高の攻撃範囲を誇る技。だけど、その代りに、発動までに相当の時間がかかる。

発動の前に、壬生が体勢を整えて襲いかかった。

間に合わないッ!!


壬生の蹴り足が、龍麻先輩の首に吸い込まれていく映像が、やけにゆっくりと鮮明に見えた。
鈍い音が、大きく響く。


龍麻先輩ッ!!
いや違う!?


違った、最悪の事態ではなかった。蹴りを受けたのは、龍麻先輩の左腕。
ちゃんとガードをしていた。さっきの氣の高まりは、しっかりと維持したままで。

先輩は、目を閉じたまま静かに呟いた。

「秘拳・黄龍」


沸き上がった光と氣の奔流が、至近距離から襲いかかり、壬生を吹き飛ばした。
凄い。迅すぎて動き自体は、殆ど分からなかった。
けれど、今の氣が、尋常ではない量だったことくらいは、感覚として分かった。


溢れる金の光を纏ったまま立っていた龍麻先輩は、フッとその光を消して、目を閉じたままで、終わったのかと訊ねた。

「ああ、終わったぜ。ひーちゃん」
「目が見えないのか?」
「全然。血がだばだば入って」

どうやら瞼の辺りを切ったらしい。
あちこちに酷い怪我を負っているようだ。
顔の半分が血だらけだった。左腕も折れたのか、垂らしたままで。

「葵、治してくれる?」
「ええ、動かないで」

駆けつけ、手をかざした美里さんの後ろ姿を、劉さんが悩んだ様子で見ていた。やがて意を決したように、口を開く。

「ア、ワイも」
「ああ、ありがとう。けど劉は、も……壬生を治してやって。俺は、自分でもある程度なら治せるから」

視界は血に塗れたままだろうに、劉さんの方を見て、先輩は頭を下げた。

龍麻先輩は、呼吸を整えながら、美里さんの治療を受けていた。
顔の傷はすぐに、腕もしばらくしたら治ったようだ。

「ラッキー、折れてなくて、ヒビだったんだな」
「そうみたいね、ちょっとまってて。タオルを濡らしてくるわ」
「いいよ。汚れてしまうから、俺のを」

ポケットを探ろうとした龍麻先輩の腕をそっと握って、美里さんは微笑んだ。

「怪我人は、じっとしていて。すぐ戻ってくるわ」

諦めたように頷いた龍麻先輩が、なんだか可愛かった。
優しく顔を拭く美里さんと、大人しくしている龍麻先輩は、理想的な恋人同士といった様子だ。
大怪我の治療中とは思えないほどに。

「う、本当に血塗れだ。ごめん」

タオルを見て、龍麻先輩が嫌そうに呟いた。
美里さんが、何か言いかける前に、劉さんの驚きの声が上がった。

「うわぁ、肋骨にヒビはいっとるで」
「あー、じゃあ葵も手伝ってあげて。俺は、あとは自分でやるから……って、君は大丈夫?さっき霧島くんも癒してもらったのに」
「ええ、大丈夫よ。私は、殆ど何もしていないし」

う……、本当に何もしていないのは僕だ。いや、もっと酷い。足を引っ張りに来ただけだ。



程なくして壬生も意識を取り戻した。
龍麻先輩が笑顔で、手を差し出し起こしてあげていた。

そんな彼らの慣れているらしい遣り取りに、ホッとしたような空気が流れ出した。が、それは八剣の声によって破られた。
何とか起き上がった八剣は、焦点の合わぬ目で『この俺様が、負けただと』と呟いていた。

「やれやれ、往生際くらい見極めたらどうだい」

呆れたような壬生の言葉も、耳に入らないらしい。
だが、続いて起き上がった武蔵山を見る瞳に、みるみる光が戻っていく――苛立ちと殺意の。

「わ、悪いのは全部副館長と八剣さんで」
「うるせェッ!!」

自分は何も悪くないと主張する武蔵山の勝手な言葉は、最後まで続けられなかった。
八剣が一太刀で斬り捨てたから。――あの武蔵山を、一撃で。腕だけならば、本当に強いんだ。


八剣は狂気に彩られた瞳で、こちらを向いた。

「お前らは、元々俺と同じ側の人間のはずだ。もうすぐだ……もうすぐ、この世は修羅が生きるに相応しい、煉獄へと変わる」

熱に浮かされたように続ける八剣に、劉さんがもっとも激しく反応した。

「あんさんッ!それを誰に」
「無駄だ。そんな世界は来ない。それに、どちらにしろお前には関係ない話だと思うな」

怒鳴りかけた劉さんを、片手で抑えて、龍麻先輩は馬鹿にしたように言った。
その態度に、八剣が剣を構える。

「てめェ」
「その体力で、まだ頑張るんだ。さっさと逃げないでいいのかな」

揶揄するような龍麻先輩の言葉に、八剣は思い出したように後退りを始める。

「お前らが、こっち側に来るのを待ってるぜッ!!」

最後にそう言って、奴は闇に消えた。
龍麻先輩は、追う必要はないと仰っていたけれど、本当に良いんだろうか。



「終わったな」
「あァ、これでようやくケリがついた」

公園まで戻ってきて、京一先輩が軽く伸びをした。
それで済ますつもりだったようだけど、当然のように藤咲さんや、桜井さんに責められた京一先輩は、助けを求めるような目で、龍麻先輩に話し掛けた。

「おい、ひーちゃん。もしかしてお前も、俺が死んだなんて思ってたんじゃねェだろうな」
「京一」

龍麻先輩は、静かに微笑んだ。
その微笑を見た如月さんと壬生……さんが、ほぼ同じ表情を浮かべて、肩をすくめた。

おふたりの行動の意味を、怪訝に思う暇もなかった。龍麻先輩は、一気に表情を消すと、京一先輩を加減もせずに殴り付けた。
誇張でなく、京一先輩は吹き飛びかけた。紫暮さんが、受け止めてはいたけれど。

「なッ!? ……すまねェ」

怒鳴ろうとした京一先輩は、龍麻先輩の表情に気付き、項垂れた。

「謝るのは俺じゃなくて亜里沙にだ」

もし紅葉が居なかったら――そう続けた龍麻先輩は、本当に怒ってるようだった。
必死で間に入る藤咲さんにも、表情を崩さないほどに。

「龍麻!平気だったんだから!もういいから」

どうするんだろう。
ハラハラしていたら、京一先輩が、頭を下げた。

「悪かったよ……、俺にできる事なら何でもする」
「本当だな」
「ああ、誓う」

真剣にそう宣言した京一先輩に、龍麻先輩が悪戯っぽい、そして、暖かい笑みを浮かべた。
見惚れたように、言葉を失った京一先輩に、一言だけ告げる。

「とんこつラーメン」

それ以上は何も言わずに、龍麻先輩はすたすたと歩き出した。

「ボクは、いちごタンメンネ」
「アラン、誰に聞いたんか知らんけど、それは騙されとる、絶対に。あ、ワイは激辛にしとくわ」

皆が続いて歩き出す。
そうか、それでいいんだ。

「じゃあ、僕は塩ラーメンでお願いします」
「お前までかッ!? 諸羽ッ!!」


ラーメンを食べ終わってからすぐに、美里さん・桜井さん・藤咲さん・マリィちゃんはタクシーで美里さんの家へ向かった。女性陣は、今日は美里さんの家に泊まるそうだ。

あとの人たちは、龍麻先輩の家に泊まる人と、新宿駅へと向かう人の二手に分かれることになった。
途中に龍麻先輩の家があるので、そこまでは一緒に向かった。



「じゃあ、お休み。霧島くんは、本当に泊まらなくていいのかな」
「は、はい。家族に心配されるので……すみません」
「いや、いいよ。気を付けて帰るように。で、京一は、死ぬほど反省しとけ」

マンションの前で、龍麻先輩は、そう言って笑った。
泊まっていくという劉さんとアランさんと紫暮さんと――壬生さんも、ここで別れる。

「そろそろ許せよッ!!」

怒鳴る京一先輩に笑って手を振って、龍麻先輩は最後に玄関に入っていった。
残るは、如月さん・醍醐さん・京一先輩だけとなり、再度駅に向かって歩き出した。



少し離れてから、京一先輩が足を止めて、マンションを見上げた。

「けど、少し嬉しいかもしんねェな。ひーちゃんに、あんなに怒られるなんてよ」

ホクホクと笑った京一先輩に、如月さんが薄く笑った。

「あの怒りは、藤咲さんだけのためかもしれないよ?」
「てめェ、人が素直に……」

如月さんは、今度は普通に笑いながら続けた。
まるで、食ってかかろうとした京一先輩を宥めるように。

「だが、龍麻は本当に君を心配していたよ。うちに来た時は、ずっと寝ていなかったようだし。まあ、パニックになりながらも、調べる事はやっていたのは彼らしいけどね」

さっきの龍麻先輩の言葉でも気になっていたので、聞いてみる。

「あれで、パニックだったんですか?」
「明らかに様子がおかしかったよ。大体、うちの店の外に居た君に気付かなかったのが、いい証拠じゃないか」

ああ、そうか――納得しかけてから、今の言葉の意味に気付かされた。

「如月さんは、気付いていたんですか?」
「もちろんだよ、誘導もしてあげただろう? 寒くなく、かつ、声が聞こえやすいところに」

そうだ、確かに水音がしたんだ。
それでそちらに行ったら、風があたらなくて、そして話し声がはっきりと聞こえたんだった。

「ふ、普通に、中に入れてくだされば良かったのに」

声が裏返ってしまった。だって、それでも十分に寒かった。

「落着け、霧島。だが、調べるって、どうしていたんだ?」
「ああ、クラ……ハッキングしたらしいよ、警察のデータに。病院は、地道に電話をしたようだったけど」

ハッキング。龍麻先輩、そんなことまでできたのか。


それにしても、あの龍麻先輩は、本当にパニックの状態だったのか。

ということは、普段の気遣いをする余裕が無かった。あの言葉は本心なのだろう。

『本当に強い者しか呼んでいないし、君はまだそこに達していない』

信頼されてないのは仕方が無い。

結局、僕は何もできなかった。
足手まといにならない、そう誓ったのに、それそのものだった。


だけど――必ず強くなってみせる。

『まだ達していない』

見込みがない訳じゃないはずだ。
いや、たとえ素質なんか無かったとしても、努力すれば良い。

護られる、庇われるだけの存在ではなく、護り、共に闘う仲間になってみせる。
必ず、認めてもらう。信頼できる仲間として。

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