「一応、ある高校に在籍している――か。体育の授業とかで体育座りとかしてたのかと思うと、腹の傷に響くよな」
「僕はそれよりも、外見の方が気になる。何を思ってみつあみなのか、そして赤いガクランなのか、考えるだけで、腹筋が鍛えられるよ」
「それに関しては、推測してみた。髪が肩についたらみつあみという校則があるんじゃないか?」
病院の屋上で、ふたりの青年が語っていた。
彼らは、顔立ちがそこまで似ているわけではない。
だが、殆ど同じ体格のせいか、その身を包む空気のせいか、受ける印象は酷似していた。
だるそうに柵にもたれかかった方の青年が、下をボーっと眺めながら呟く。
「ク□高の北斗にも似てるよな」
――具合が悪そうなのも、当然と言える。彼は数日前に生死の境をさ迷ったばかりの大怪我人であった。
それを呆れたように見ていた青年が、核心に至らぬ会話に苛立ったのか、きつい調子で問う。
「まあね。……考えていると相当面白いけど、そんな話は別に良いよ。どうするつもりなんだい」
問われた方――緋勇龍麻は、そちらに視線も向けずに答えた。
「面倒だ。……お前がやってくれないか?」
「やだね」
あっさりと、緋勇の半身ともいえる存在であるはずの壬生紅葉は拒絶する。
予想した答えだったのか、緋勇は大仰にため息を吐いた。勿論、この相手には効果が無いと知っていたが。
「だってなあ、あのオッサン、霧島くんの迅さ・京一の技のキレ・紫暮の攻撃力・紅井の防御力だぞ。
そりゃ、俺だって、力も迅さも防御も技も頭も顔も良いけど、限度ってものがある」
「いくつか余計なのが入っていたね。ともかく、皆を護りたいと想う心とか、友情とか愛する力とか、地球の力を分けてもらったりとか、眠っていた力が覚醒するとかで頑張ったらどうだい? 参考文献―-少年漫画」
他人事のように無茶を言う壬生に、緋勇は頭を抑える。
「そんな無茶苦茶な。そもそもお前だったら、強い相手と闘いたいと思えるか?」
「思わないよ。弱い相手と闘ってこその楽しみ。崖から落ちそうな人間の手を踏む快感に近い」
東京を護る此度の戦いにおいて、陽の陣営に位置する青年は、平然とそう言った。
そして、陽の象徴たる青年も、あっさりと肯く。
「まったく同感だ――、剣同士だし、京一に闘らせようかな」
「鬼か、お前は。ちゃんと鍛練でもすればいい、どうやら友情と努力があれば、勝利を手にできるらしいし」
「ジャンプかよ。大体鍛練も何も、あんなのどうやって想定しろというんだ。鳴瀧さんにでも剣を持ってもらって居合を、極めてもらうくらいしか……居合?」
途中で言葉を失った緋勇を怪訝な面持ちで眺めながら、壬生は嫌な予感で満たされていた。
こういう場合、碌な事にならないと、彼は経験上熟知していた。伊達に、緋勇の外面が形成される前から付き合いがある訳ではない。
「涼しくなってきたね、もう寝よう」
踵を返そうとした壬生は、足を止めた。彼の服の裾は、しっかと掴まれていた。
非常に目の据わった緋勇によって。
「アイ ハブ ア クエスチョン」
「ソーリー 僕は、英語が苦手でね」
だが、それに構わず、前に前にと、壬生は歩き出す。通常であれば拮抗しているはずの力だが、今は緋勇の負傷によって壬生に分がある。ずりずりと前に進んでいく。
形勢不利と悟ったのか、緋勇が手法を変える。
「待て。お前、霜葉の記憶はあるか?」
それは彼の遠い先祖の名。
夢に幾度か垣間見たことのある朧の記憶。それが、血に眠る記憶なのか、前世とやらなのかは、彼に知る由もないし、知ろうとも思わない。
突然そんな名を聞かされた壬生は、思わず足を止めてしまった。この時点で彼の負けなのであるが、それでも抵抗を試みる。
「ほとんどないよ。技とかは使えないし」
「むしろ好都合、よし、一緒に寝よう」
首を刈り込むような蹴りが緋勇を襲うが、彼は軽く屈んで、それを躱した。
一応距離を取りながら、珍しくも真摯な表情で言った。
「本気なんだって。平気だろう、専門家に補助してもらうし」
病院の前で出会った剣士三人組プラス醍醐が、恐る恐る桜ヶ丘中央病院の受付に入る。
彼らは、この病院の院長に、特に気に入られているゆえに、周到に周囲を探る。
戦闘よりも、遥かに真剣に気配を殺しているのが見事である。
幸いにして、院長に会わずに緋勇たちの病室まで辿りついた彼らは、安堵の表情を浮かべた。
一際嬉しそうに、京一が病室へ入っていく。
「ようッ、ひーちゃん、げんッ!?」
おそらく『元気か?』の途中で止まったらしい京一を、皆不思議そうに見遣る。
病室の中は静かなものだ。どうやら院長が居たという訳でもないようだ。
「どうした? たたたたた……龍麻!?」
怪訝そうに続いた醍醐が、何を見たのか同様に凍りつく。
霧島と劉は、顔を見合わせて、覚悟を決めてから中に入った。
ふたりの少女が、中にいた。
ひとりはそこにいても、何ら違和感のない人物――桜ヶ丘病院の見習い看護婦、高見沢舞子。
だが、もうひとりは、非常に似つかわしくない。現代の魔女――裏密ミサ。
確かに京一と醍醐が固まっても、おかしくない人物ではある。だが、今回彼らの時を停めたのは、彼女ではなかった。
「し〜、静かにしなきゃ〜駄目よ〜」
『めッ』と言わんばかりの表情で、舞子が拗ねたように注意する。
だが、それは彼らの心には入ってこなかった。
まず見たものは、一つのベッドに寝る緋勇と壬生。しかも、彼らの手はつながれていた。
「あ・あ・アニキ! ホンマモンの兄貴だったんかい!」
「いや、いえ、その、た、確かに、そういうのは……個人の自由ですけど……で、でも」
パニックに陥り、それぞれに叫ぶ。それほどにインパクトの強い光景であった。
狼狽と恐怖と混乱とで、彼らはひたすらに騒いでいた。――背筋の凍る声が耳に入るまで。
「静かにしてくれないと〜、ミサちゃんのお友達を召ぶわよ〜」
恐怖が混乱に勝った。四人は、ピタッと同時に黙る。
しばし、沈黙が流れた。
落ち着いてから、やっと己の得意分野であることに気付いたらしく、劉が口を開く。
「なんや、霊的な力を感じる。……これ、儀式なんか?」
「そうよ〜、昔の記憶を壬生くんに移しているの〜。ひーちゃんは、夢を媒体とするから〜。今は魂をリンクさせてるから衝撃を与えないで〜」
裏密のあまりといえばあまりな言葉に、彼らは再び騒然とする。
「た、魂をって、大丈夫なのかよ、裏密ッ!!」
「だから、舞子がいるの〜。お願い、もう少し静かにして〜」
慌てる京一に、舞子が答えた。
相変わらず、力の抜ける声ではあったが、意外としっかりした意志を感じさせた。
『舞子の真の力は、幽霊を見る事じゃなくて、魂を癒すところにあるんだよ』
いつだか緋勇本人から聞いた言葉を、京一らは思い出した。
やっと落着いた彼らが黙って待つうちに、儀式は終了したようだ。
裏密が、表記できない呪文らしきものを一言唱え、安堵の息を吐く。
「終わったみたい〜。術は成功よ〜」
彼女の言葉に、皆の視線が緋勇たちに集中する。
嬉しそうに、舞子が保証した。
「わぁ〜い、魂も無事〜」
ふたりが目を開けて、ゆっくりと起き上がる。
先に起き上がった緋勇が、額に手を当てながら言う。
「頭が重い。……まったく、迷惑なことをしてくれるね」
壬生は、腹立たしそうに答えた。不機嫌な表情に、荒い言葉遣いで。
「その程度は我慢しろよ。それとも、お前があのオッサンの相手をしてくれんのか?」
異様なまでに違和感のある会話であった。
どう考えても、彼らの取る言動が逆としか思えない。
「龍麻先輩!! 壬生さん!?」
「精神入れ替わりかいッ! なんつーベタな展開や。許せんわ!」
絶句する京一たちに、絶叫する年少者たち。
そんな彼らをゆっくりと眺めてから、当事者たちと能力者たち四人は、ほぼ同時に口を開いた。
「「多分冗談よ〜」」
彼女たちさえ呆れた声と表情で。
「「ごめん、嘘」」
にこっと、そっくりな表情で。
一瞬の沈黙。直後に湧き上がる殺気。
シャッと冷たい音を立て、ふたりが同時に刀を抜き、霧島さえも剣に手をかける。醍醐の目にも、怒りの炎が燃えていた。拳を握る力は、相当こもっているようだ。
じりじりと距離を詰める四人の形相に焦る様子もなく、にこにこと邪気の無い笑みを浮かべながら、緋勇が口を開く。
「まあまあ、心配そうな顔が並んでるのを見たら、つい遊びたくなってさ。でも、乗った紅葉もいけないよな」
「僕は、記憶が混乱しているくらいにするつもりだったのに、入れ替わりっぽくしたお前が悪い」
当然打ち合わせもなく。
術がきれた直後の普通であれば、ぼんやりとしているであろう状態でなお、心配する面々をからかいたくなったらしい。
「それにしても、死ぬところまで見せなくともいいだろうに。悪趣味め」
「へ? 龍斗の方が先に死ななかったか? なんで俺が知ってるんだ」
非難がましい視線に、緋勇は首を傾げる。
記憶によれば、龍斗は鬼道衆の頭目と相打ちになった。
鬼道衆とそれに対抗する公儀隠密の者たちの中でも、相当初期の段階で死んだ筈であった。
不思議そうに首を捻る緋勇に、裏密が説明をする。
「ひーちゃんの記憶じゃないもの〜。膨大な量のデータから〜、壬生くんに関することをダウンロードした感じなのよ〜」
「あー、だから俺は見てないのか。単なる媒体ってこと?」
納得した様子の緋勇に、壬生は突っ込みを入れる。
「見られてたまるか、プライバシーの侵害だ」
その苛ついた様子に、緋勇は機会があったら彼の前世もどきについて調べようと決心した。
既に彼は、相当のレベルでこの夢見がコントロールできるようになっている。
勿論そんな内心はおくびにも出さず、話題を変える。
「で、技使える?」
「それは刀を握ってみなくては。如月さんにでも頼むかな」
「え? だって刀使いはここに、三人も……」
緋勇は、そこまで言いかけてから気付いた。
確かに剣士が三人居る。
だが、ひとりは木刀を、他のふたりは、青竜刀と西洋刀という、非常に幅広の剣を使っていることに。その三本で居合ができたら、それは既に芸域に達している。むしろ愉快だ、見てみたい。
しょうがない――呆れた口調で肩を竦めると、緋勇は精神を集中する。
「安綱」
銘を呼んだだけで、彼の手元に刀が現れる。
手渡された刀に、壬生は眉を顰めた。抜かなくともわかる。
業物であること――そして、強力な妖気を発していることが。
「妖刀じゃないか……」
手慣れたもんだろ――と笑って済ます緋勇を睨み付けながらも、壬生はその感触を手に馴染ませる。
遥か昔、自分でさえない頃に、彼は妖刀に認められた剣士であった。
魂が、そして壬生の家が伝えてきた血が、その制御方法を覚えている。
屋上へ場を移し、皆が緊張した面持ちで見守る中、当のふたりは、呑気な様子で対峙する。
緋勇は通常どおり、片足を軽く引き、自然体で待つ。
壬生は右手を柄にかけ、左の腰の位置に刀を横にして構える。
「これは……見事なものだな」
「ああ、間違いねェ。おそろしく上位の剣客だ」
思わずといった様子で呟いた醍醐に応じ、京一の目が真剣味を帯びる。霧島と劉も、意識を集中する。
息詰まる緊張の中で、壬生が軽い様子で言う。
「じゃあ、いくよ」
「優しくしてね……ぎゃぁッ」
抜刀から納刀まで、ほんの一瞬。微かな動きのみで刀を上に抜き上げ、軌跡が弧を描く。手加減なく喉元を狙ったそれを、緋勇はかなり焦った様子で躱した。
その後も斬撃が間断なく――ついでに容赦もなく、緋勇を襲う。
躱しながら逃げ惑う緋勇と、薄い笑いを浮かべながら彼を追い回す壬生の姿を眺めながら、仲間たちは止めるべきかしばし悩んだ。
「まあ、平気だろ。ひーちゃんと壬生だしな」
「そうやな。アニキと壬生はんだし」
結局、それで済まされた。とうとう彼らの存在は、そこまで行ってしまったようだ。
「……では、俺たちは降りるか」
「……そうですね」
彼らの出した結論は、さわらぬ神に祟りなし。
なにしろ無表情の中に微かに見えた壬生の笑顔が、あまりに楽しそうだったので、自分たちの身の安全を優先することになった。
放置することを決定して、病室で差入れを貪り食らっていた彼らの元に、流石に疲れきった表情の緋勇たちが戻ってきたのは、ずいぶんと後の事であった。
――その時、病室へやってきたのは、実はふたりだけではなかった。
皆、すっかりさっぱり忘れていた。緋勇らは、半病人と完全怪我人であることを。
彼らの性格が、誉められたものではないことを。そして、この病院には、恐怖の存在がいたことを。
「お前たち……止めなかったそうだね。ひひひ、お仕置きかねェ」
常に地響きとともに移動しているのに、今回に限り無音で現れた彼女は微笑む。
その笑みは、肉食獣が獲物を追い詰めた時の表情の如し――。この上なく危険な光が宿っていた。
「ひッ」
「い、岩山先生……た、龍麻たちが、望んだことですし……邪魔してはいけないと……その、病状に障るといけないので、俺たちは帰りますッ!!」
醍醐は吃りながらも必死で説明し、言葉を失い硬直した京一の襟首を掴んで、走り出した。
年少者二名も、ただ頷きながら後を追おうとした。
彼らは甘かった。
「石の息吹〜、永久の眠り〜」
「光触れし者に〜、そが呪いを〜。汝らの〜動きを禁ず〜、呪縛陣」
病室から出たすぐの廊下に、強力な光が生じる。
それが絡み付くように、彼らの影を――身体を縛る。
複雑な文様が描かれているところから判断するに、罠は前もって仕掛けてあったようだ。
「きょ……京一先輩!! あ、足が動かなく」
「俺もだ、ちきしょう……なんだよコレは」
焦る彼らに、二種類の間延びした声が掛けられる。
「病院で〜廊下を走っちゃ〜、駄目ですよ〜」
「うふふふふ〜〜。ミサちゃんの〜術を邪魔したから〜、お仕置き〜」
呑気なことと剣呑なことを呟いて、左右から、ある意味でよく似ていてるふたりの少女が現れる。
強力な術者たちによる結界に囚われた事を認識し、彼らの血の気が音を立てて引いた。
能力的バランスが悪い。見事なまでに直接攻撃系が集ったこのメンバーでは、どうあがいても逃げられない。
「くッ……それでも、わいは諦めん!!」
唯一、術系の力も有する劉が、ひとり気を吐く。
決意も熱く、符を取り出した彼であったが、希望は儚く潰えた。
ボヒュッと間の抜けた音をたてて、符が消滅する。
「うふふ〜〜、無駄〜」
「んな、馬鹿な!! いくら裏密はんたちかて、ここまで出来る訳ないッ!!」
呆気にとられた劉は、気付かなかった。
遠くで、緋勇と壬生が、にこやかに手を振っていることに。その瞳が、僅かに色づいていることにも。
そして、それどころでもなかった。
ゆっくりと、病室から真の恐怖が現れる。優しい言葉と笑みとともに。
「さて……、闘いの連続で、皆さぞかし疲れていることだろう。ひとりずつ健康診断だね……たっぷり診療してあげよう」
その後何があったか、彼らは決して語らなかった。
噂を聞きつけ、面白がって問い詰めた雨紋や雪乃、藤咲といった面々だったが、彼らの目に涙が滲んだ時点で、さすがに哀れに思って止めた。
だから、何が起こったのか正確に知る者は、当人のみである。
「自分だけ辛い目にあうのは、哀しいもんな」
「その通りだ。不幸は皆で分かち合わなくてはね」
念入りに念入りな検査を受けた見舞い客たちが、泣きながら帰る姿を屋上より眺めた対の存在たちは、穏やかに笑む。
月光の下にて、そんな会話が交わされたことを、誰も知らない。
きっと……知らない方が良い。
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