「ついに――、真実へとたどり着いたか」
「柳生 宗崇さんで?」
髪をかきあげながら疲れたように応じる男は、落ち着き払っていた。
全てが予想内の出来事の如く、見透かしたような瞳で静かに立っている。
『貴様が柳生かッ!!』
初めて会った時、烈火の如く怒りに燃えた氣を纏い、即座に構えた父親とは大違いだ。
顔立ちは確かに似ているというのに。
……それも、もはやどうでも良い事か。
陰陽の争いによる龍脈のうねりは、既に限界に達している。
この男の、陽の頂点としての強大な力の必要性より、真の器たることの邪魔の度合いが強くなった。
不要なものは――始末する。
「安心して、眠るがよい。黄泉の国にて待つ、両親の元でな――」
確かに全身全霊の力を込めたわけではない。
だが、手加減などはしていない。
それを……軽く身をひくだけで、あっさりと躱すとは。
弦麻の、いや、緋勇の血を侮っていたかもしれぬ。
幾度かの斬撃も、ほんの数条の浅い傷を作るに留まる。
抜刀から納刀まで、一呼吸もない。肉眼で捉えることなど不可能なはずだ。
それをこうまで躱すか……迅さは弦麻をも凌ぐかもしれん。
素早さに優れたこの相手を、斬撃で捉えることは居合による速度の増加があってさえ容易ではない。
最も躱しにくい突き――それも胴体への攻撃が、最良の選択だろう。
「あ」
突然小さく叫び、奴は大きく飛び退いた。
ちょうど良い。この間に、剣を鞘から完全に抜く。
奴は何かに勘付いたのか、静かに構えた。
いや……構えていない。
半身を引く事もせず、ただの棒立ちだった。
「覚悟を決めたか」
「ああ、決めたよ」
あっさりと頷く。
その表情に気負いはない。
それを訝しむ声は、確かに存在した。
だが、いかな達人といえども、棒立ちの状態から我が剣を……しかも突きを防ぐことなど、できるはずが無い。
「では――死ねッ!!」
奴はほとんど動かなかった。
ゆえに、剣は確かにその身体を貫いた。
だが……妙だ。抵抗がやけに少ない。
手に残る感触へのわずかな違和感だけでは、分からなかった。
からくりに気付けたのは、緋勇龍麻の冷笑を間近で見た瞬間だった。
心の臓の真下を貫かれた状態で、奴は確かに笑った。
それとほぼ同時に、膨大な氣を全身に喰らい吹き飛ばされる。
奴と仲間とを隔てていた結界が、揺らいでいくのを感じる。
深刻な傷を負った為、これほどの強力な結界を維持しきれない。
くッ……不覚だった。
重要な器官のない僅かな箇所――特異点。
存在程度ならば、知っている。
だが、剣士には、その発想は浮かばぬ。
迅さに優れ、素手で人体を壊せるほどに構造を熟知している、一級の拳士にしか。
実戦で……敢えてそこを貫かせるなど。
それだけの腕と度胸を兼ね備えていたとは。
奴も前のめりに倒れていく。
無傷ではなかったようだ。だが、結界は破壊された。
そこには、奴の仲間が揃っている。
こちらは未だ呼吸も整わないというのに。
ひとりの男は、瞬時に事態を理解したようだ。
「蓬莱寺くん、醍醐くん……奴を」
そやつは、恐慌に陥りかけた連中を叱咤し、一瞬で臨戦態勢に戻した。
顔も名も知らない。が、氣を知っている。
弦麻の陰であった男と同じ――大気に溶け込む静謐な氣。新しい紫龍か。
そして、その声に応じたのは、おそらくは法神流と白虎
これだけ陽の氣を浴びてしまったところに、連続で相手をするのは、流石に辛い。
この連中相手では、時間稼ぎにしかなるまいが、剣鬼を大量に召喚し、場を後にする。
惨めに敗走するのは、何時以来のことやら。
緋勇龍麻――心より詫びよう。
貴様を弦麻の息子としてしか、認識していなかったことを。
そして認めよう。
貴様自身が、恐るべき敵である事を。
―― 東京魔人学園剣風帖 第弐拾話 柳生 宗崇――
あれほどの純然たる陽の氣。
さすがに、この不死の身体といえども、治りが遅い。
通常通りに闘えるまでには、相当の時間が必要となる。
それゆえ、駒を配置し、たゆたい眠っていた。
『きゃッ。あッ、ご、ごめんなさいッ。あの、あたし』
あの女の主人格の声に、意識を取り戻す。
どうやら緋勇龍麻と接触したようだ。
奴と闘わずに封じる為に、最も適切な力を有する女。
完全を期するには、もう一つ鍵が必要なのだが、それはまだ揃っていない。
だが、布石を打っておくのも悪くはない。
女の目を通して、現場を視る。
奴は女が下衆どもに囲まれても、何ら反応を示さなかった。
直に絡まれて、やっと対応をする。
『ふッ、不細工な面に見合った聖夜の行動ですな。メリークリスマス』
優雅に一礼しての毒舌。
……あの両親の血は、何処に行ったのだろうな。
路地裏に連れ込まれた奴は、平然としたままであった。
尤も、それも当然のことか。
数の差など、戦闘力の絶対的な差の前には、意味が無い。
雑魚連中は、文字どおり蹴散らされていく。
……普通の人間を相手に、こうまでするか。
この力、真なる器たる資格、非道な精神。
愚かでさえあれば、さぞかし使える駒となったであろうに。
残念なことだ。
あっさりと終わり、捨て台詞を残して逃げていった連中を横目に、女が礼を述べる。
「名前を聞き忘れちゃったんですけど、紅い学生服を着た人でした」
「ああ……それはおそらく知人です。……今度会ったら、伝えておきますよ」
余計な事まで伝えた女であったが、奴は一瞬眉を不興げに上げただけで、平然と対応を続けた。
今の言葉で、この女が罠の一環であることに、勘付いたはず。
だが、放置するか……何を考えている?
あの女を通さずに監視を続けると、気取られる可能性が高い。
ましてや、その後緋勇龍麻の元にやってきたのは、明らかに強い闇の力を有する女。
映像での監視は諦め、完全に打ち切る。
深夜に、強い感情が流れてきた。
緋勇龍麻が強き思いを抱いた時に、それを伝えるように張っておいた糸。
それが確かに、その想いを運んできた。
緋勇龍麻を封じる鍵――それを得、機は熟した。
翌日に、あの女――いや、奴を向かわせる。
主人格を憎む、抑えられていた人格を。
無論、そやつ如きに連中の相手が務まる訳が無い。
大した時間も稼げずに、倒される。
だが、それで構わぬ。
必要だったのは、あの女の力による妖閉空間――陽と陰の狭間。
それと闘いによる、烈しい氣の乱れ。
「あたしの中に、もうひとり……、違うあたしがいる。
そいつがいうの。あたしに……、あなたを、あなたを――――――」
この乱れならば、十分だ。
どけ。
「くっくっく……。今こそ開く、時逆の迷宮――。すべては、緋勇 龍麻、貴様の存在を無に帰す為に――」
女を乗っ取り、その力で扉を開く。
迷宮に続く扉を。
「ひとつの時代に、ふたりの《器たる者》はいらぬ。我が手の内にある《器》こそがこの時代を制する者也。
こやつを使った真の意味は、緋勇 龍麻―――貴様を刻の彼方へ封印する事よ。
その空間を自在に操る《力》によって、緋勇 龍麻―――、貴様を相応しい世界へと帰してやろう」
そこは、平和で平凡な世界。
龍脈を巡る闘いも起きず、それに関わって死すものも、居ない。
そして――貴様が、何の力も持たない。
黄龍の力だけでなく、緋勇の家に伝わる古武術の力さえも。
「刻は戻る。過ちの原点へ――。汝は帰る。相応しき世界へ――」
時を戻り、そして消滅せよ。
貴様が望んだ世界で。
「今日からこの真神学園で一緒に勉強する事になった転校生のコを紹介します。
名前は、―――緋勇 龍麻クン」
事故によって声を失った男が、何の変哲も無い普通の高校に転入し、変化の無い日々を過ごす。
それがこの世界だ。
争いの無い世界で、平凡な日々に埋没し、真実から遠ざかっていく。
それが狙い。
……だというのに、予想外の展開だ。
頭が痛くなった。
この世界では、『緋勇龍麻の望まない事』は発生しない。
それゆえ、奴が大切に思う連中――仲間たちの心痛む事は起きない。
それに伴い、その闘いで死した敵にあたる者たちも生きている。
だが、奴がどうでも良いと思っている人間は、そのままの行動をとる。
そして、奴には『力』が無くなっている。
結果としてこうなる。
緋勇龍麻が、下衆な連中に、嬲られていた……。
「くーッ、たまんねェな」
「へッ、こいつは間違いなく病院直行ルートだな」
「おらおら、どうしたッ!?」
この事態を『あの』緋勇龍麻が、耐え切れるとは思えん。
事実、世界が激しく揺らいでいる。
こうしていても、堅く封じたはずの奴が、『今』の緋勇龍麻に語りかけているのがわかる。
無理矢理に止めるべきか、逡巡しているうちに、救いの手が差し伸べられた。
法神流の剣士の登場、続いて、白虎と菩薩眼が間に入る。
こうして連中が、緋勇龍麻を庇ってくれるのならば、どうにかなるか。
『もうッ、そんなことよりも、緋勇くんの手当てをしなきゃ……。保健室まで少し遠いけど、大丈夫?』
弱々しく頷いた緋勇龍麻が、菩薩眼の女の後を追う。
『えへへッ、そんな場合じゃないんだろうけど、イイ雰囲気だよね……どしたの?醍醐クン、京一』
笑っていた弓使いの女が、法神流の剣士と白虎の不可解そうな顔に気付き、問いかける。
『ん……あのな、小蒔。武道に関しては素人のお前はもちろん、佐久間レベルでも気付かないとは思うんだけどよ……』
『なんだよ、はっきりしないなァ』
ほう……。奴等は気付いていたようだ。
神夷や白蛾翁の教育は、間違っていないということか。
『緋勇はな、時折見られる動作の端々が、武道の達人としか思えない――違うか?』
『えッ、じゃあ、やっぱりさっきのは我慢してたの?』
『いや、我慢ってのも、なんか違うんだよな。だったら、もっとダメージを受けないように喰らうだろうし』
当然だ。
身体に染み付いた捌きは消せずとも、記憶の方は完全に消去されている。
今の奴には、実戦を潜り抜けた経験は無論のこと、型を学んだ覚えさえもない。
『緋勇は事故で記憶が混乱している――と言っていたな。
武道に関する事を、忘れてしまったんではないのか?』
ふ……そう思っておけ。
周りの『人間』が、現在の緋勇龍麻を受け入れれば入れるほど、本来の奴の存在は薄れる。
何も起きぬ平和なつまらぬ世界で、力無き存在として、平凡に愚鈍に生きるが良い。
その世界では、随分な時が経過した。
本来ならば、世界は完全に安定し、あとは奴の存在を消滅させるのみ。
だが、未だ世界に歪みが発生する。
原因は、――仲間であった者たちの、現実とは異なる展開。
平和に設定してあるゆえに、闘いで死した敵らも存在している。
それらを奴が目の当たりにする度に、世界にひびが入る。
ある日、相当な揺れが発生した。
調べれば、それも道理。
奴を――緋勇龍麻を庇い、死した娘と出会ってしまった。
その女の兄であるという設定の男に入り、間近で奴を観察する。
力無き身にも、現在の境遇にも、慣れきっているようだった。
それでも、あの揺れが発生するとはな。
……面白い。流石の此奴といえども、己が死の原因となった者には、心が痛むという訳か。
『妹』と目が合ってしまい、奴等に紹介されてしまう。
可能な限り接触を避けたかったのだが、仕方ないか。
「比良坂 英司です。……初めまして、緋勇 龍麻君」
緋勇龍麻は、青ざめた様子で、頭を抑えていた。
この名がこの身体に付けられているはずなのだが、随分と反応がある。
現実世界で、奴に名乗った名は、違っていたのか?
「どうかしたのかい?僕の顔に何か……? 緋勇 龍麻君?」
失敗したようだな。己自身が、歪みを助長させてしまった。
「緋勇さん……? どうしたんですか!? 緋勇さん―――ッ」
「緋勇くんッ」
しゃがみこむ奴に合わせるように、世界が悲鳴を上げる。
おそらくは――今、現実を思い出しているのだろう。
このままでは、破壊されかねない。
「緋勇さん―――ッ!!」
女の叫びに、強制的に力を乗せる。
現実と繋がれかけた奴の意識を、強引に断ち切る。
まだ顔色の悪い奴に、他の連中が次々に話し掛けていた。
……このままここに留まれば、この兄妹は、存在するだけで奴に現実を思い出させる。
「紗夜、そろそろ―――、」
「あッ、はい。ごめんなさい。わたし、もう行かないと」
奴等から離れながら、対応策を練る。
この兄妹は、大きな障害となる。
いっそ消去することも考えた。
だが、この世界を強固に防御するものが一つある。
それがある限り、多少の揺れならば、護りきるだろう。
六道の力なぞではない。それはただのきっかけにすぎん。
創ったのは、確かに六道。
だが、この世界を真に維持しているのは――緋勇龍麻自身だ。
人であれば、必ず持つ想い。
龍脈に選ばれし者たちの、絶対の弱点。
望まずして与えられた力であるゆえに、奴等『時代に選ばれた者』どもは、大なり小なり、その想いを抱く。
奴は、それが希薄だった。
だから、下衆どもをけしかける手段をとっていた。
だが、数日前に、奴はとうとうその想いを持った。
『こんな力などいらない』
確かに、そう嘆いた。
その想いは、何よりも強固な檻となる。自ら望んだ安寧――その中で、己の人格の海の中で、深く眠る。一年もあれば、周囲に吸収され、主人格としての強さは、消え失せる。
檻に任せ、しばらくは様子を見るか。
下手に設定を変更すると、それが仇となりかねんからな。
この世界では、半年以上が経過し、最近は流石に安定してきたはずだった。
だが、一段と烈しい揺れが、世界を揺すっていた。
急ぎ、観察の焦点を奴に合わせる。
下衆どもが、また緋勇龍麻を嬲っていた。
たわけどもが……やりすぎれば、奴が目覚める契機となりかねん。殺すべきだろうか。
だが、それもまた……歪みの原因となる。
その時、下衆のひとりに顔を殴られた緋勇が、強く壁に叩き付けられた。
世界が大きく歪む。
限界を超えるほどに撓み、一瞬後には、何事も無かったかのように完全に戻った。
遅かったようだ――とうとう、封印が解けたか。
俯き小さく笑う緋勇の顔は、先程までの弱気な男のものではなかった。
無論、連中は気付いていない。
愚かにもひとりが奴に近付き、醜く泣き叫ぶ羽目となる。
緋勇龍麻は、愚者のひとりの手首を砕き、投げ飛ばす。
理解不能な事態に焦る連中に対し、顔を上げて笑いかける。
『感謝するよ、佐久間。お前のおかげで、元の世界に戻れそうだ。他の皆には、そちらで念入りな。それにしても佐久間、お前が死んでしまったのは、本当に残念だ。せめてこちらで丁重に礼をするとしよう』
紅の陰氣を纏っていないことが不思議なほどの、昏い笑みだった。
見事なものだ。
流石に氣こそは使っていないが、一般人相手に何の手加減もなく、手を、足をへし折っていく。
――薄らと笑みを浮かべ続けながら。
これを見ていると、あの六道と会わせた時の連中へは、一応手加減をしていた事が分かる。
その程度の常識はあるのか。
駆けつけてきた真神の連中に、奴が空々しく説明していた。
その内容から察するに、奴には、この世界が本当に存在するのか否かの判断は、ついていないようだった。
『今の俺だけですがね。基本人格はまだ後遺症で無理です。
それに『彼』は弱いから。悪いけれど、この連中へのフォローも頼みます』
それゆえに殺さなかったのだな。
この世界が、『夢』と同じものだと知っていたら、躊躇わずに殺していたのだろうが。
軽い挨拶と同時に、六道の力と同じく、時空すら操る強大な震が発生する。
元の世界へと戻ろうとしているのか。
いや……違うッ!!
これは――世界を創っている。
『緋勇龍麻』の意志の元に、一つの世界が構成される。
目覚める契機の一つであった、あの女の死の現場。
そこで奴は、世界を……歴史を、勝手に変えた。
やっと気付いた。
この女は、闇の聖母。
菩薩眼、紫龍、四神と並び、黄龍と深き縁を持つ宿星。
そういえば、現実世界には、今回の闇の聖母を見かけなかったな。
『龍麻さん!?』
『良かった』
あまりに強い身勝手な想い、勝手に世界さえ変えてしまうこの男に、感動に近いものさえ覚えた。
前に入った男に、再び乗り移る。
……随分と六道の創った世界の男とは、違う精神構造をしている。
これでは、この男自身も、世界崩壊の契機のひとつとなったことも、仕方なかろう。
「これ程の《力》とは……。さすが、《器》の資格をもつ者よ」
素直に賞賛する。
中身が異なる事に、奴はすぐに気付いたようで、女を背に庇う。
「己の中に眠れば、貴様の記憶も意志も、やがて吸収されてただの人格のひとつにまで落ちるはずだった。
誤算だったな。まさか、貴様がここまで傲慢だとは」
「だったら、お前も自分が何の力も持たない世界に放り込まれてみろ。絶対に世界の方を壊すぞ」
くくく……一度はその世界を望んだのも、貴様自身だというのに。
面白い。
こやつこそ、修羅の世界に生きるに相応しい。
洗脳が効く程度の存在であれば、さぞかし使い勝手が良かったであろうに、惜しいものだ。
「ふっふっふ……。待っているぞ。貴様が帰って来るのを。その時こそ、雌雄を決しようぞ――」
緋勇龍麻に繋いでおいた糸。
残しておけば、逆にこちらを手繰られるかもしれん。
断ち切る前に、最後に覗く。
緋勇龍麻が居たのは、強力な結界の中――桜ヶ丘中央病院。
流石に世界の移動は辛かったのか、奴は蒼白な顔色で静かに眠っていた。
眠る奴の周りには、仲間が集まっていた。
そして、その中にはあの女の姿もあった。
やはり連れて帰ってきたか。
死した人間の運命さえも、自分の意志のみで曲げるとは。恐ろしい男よな。
長時間触れていれば、連中相手では、気取られる可能性が高い。
今の状況が確認できたゆえ、糸を切る。
黄泉帰りを果たした闇の聖母か。
奴等の中でも、最強に近い力を発揮するだろう。
緋勇龍麻が動けない――仲間たちも、当然勝手に動く事はできないだろう。
先に、塔の起動の鍵を手に入れておくか。
一つは何の障害も無かった。
一般的な盗人への対策しかしていない、古式ゆかしい名門神社など、こんなものであろう。
問題は、もう一つの無名な神社の方だ。
だが、そこの巫女どもは、幸いというべきか、緋勇龍麻の為に、桜ヶ丘に詰めているはずだ。
首尾良く忍び込み、目当ての物を見つける。
それを手に取った瞬間、背後から声を掛けられた。
「誰か……おるのか?」
勘付いたか。
老いたとはいえ、流石と称するべきか。
「そこへ近寄ってはならぬぞ。そこには……」
だが残念だったな。今の貴様に何ができる?
術士ならば、老いても其処まで力は衰えまい。
だが、貴様は――
「な、なにをするのじゃ!! ぐわあああッ!! う…ううッ
ふッ、人間とは哀れなものよな。
年老いてしまえば、鍛練の意味など失われる。あれだけの腕を誇ったこの男も、枯れ木のようなものだ。
「うう。きッ、貴様……!!」
「ふっふっふっ……今宵は気分がいい。織部の……。貴様は生きて、この世界の終幕を見届けるがいい。程なく訪れる混沌と戦乱―――、この地が真に血の記憶を取り戻す様をな―――」
ふたつの鍵が我が手に入った。
時は満ちた――――――。
|