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―― 早緑月 ――

北区の古びた骨董店に、似合わない青年が入っていく。

「ち―ッす、如月サン。あれ、センパイも」

静寂な佇まいを気遣いもせず、大声を上げる。
どうやら周囲の雰囲気を読むということをしない主義のようだ。
彼の名は雨紋雷人。金髪を逆立てた、ド派手な槍使いであった。

「やあ。来てくれたばかりのに悪いが、これから、織部さんの家にいくので店を閉めるのだが」

騒がしさに慣れているのだろう。
特に動じずに、高校生店主、如月翡翠が答える。

「え? 雪乃サンちに? なンでまた」
「茶の湯にお呼ばれされたんだよ。僕らと壬生と皇神組だったかな」
「それは……議題は世界征服?」

雨紋の失礼かつ正直な疑問に答えたのは、奥の方に居た青年――緋勇龍麻の方だった。

「そのメンバーだと、どっちかというと、人類滅亡だろ。ま、翡翠は茶道部だし、俺も茶の一般くらいは知っているからな。当然皇神組も」
「村雨サンまでスか?」
「あいつ華道部の部長だぞ。茶道と華はオトモダチ」



言葉にこそは出さなかったものの、全身全霊で『いっしょに行きたい』と主張していた雨紋も、共に向かうことになり、彼らは連れ立って歩いていた。

「それにしても……良かった。
なあ、雨紋……いいんだよな、東京の男子高校生はアクセサリしても!!」

龍麻は制服姿の如月を横目に見ながら、私服姿でごついシルバーのリングをはめた雨紋の手を力強く握った。
あの仲間内では、シルバー程度でも浮いてしまうので、彼は結構哀しく思っていたのである。

「そういやアクセどころか、皆だいたい制服ッスね」
「本当にな……どんな集団か、頭を抱えたくなることも多いんだぞ」

制服姿の如月は、『すごい制服姿の連中』とは流石に一緒にして欲しくないと思いながらも、少しだけ同情した。
一度、コスモ三人に皇神組に高見沢(当然ナース服)に紫暮(無論道着姿)の中で、わずかとはいえ、恥ずかしそうに俯いていた龍麻の姿を目撃したことがあるからかもしれない。



「おじゃましまーす」

嬉しそうな雨紋を先頭に、三人が入っていくと織部家の玄関では、とっくみあい寸前の事態が繰り広げられていた。

「この色ボケ女!! やってやろうじゃねェか!!」
「あ、そう。ふふふ、泣かしてあげるわ!!」

険悪すぎる怒声に目を丸くする雨紋と、またかと頭を抱える龍麻と如月。

ふたりのいがみ合う少女と、それを必死に押さえるふたりの姿があった。

「姉様!!」
「亜里沙、やめなさい」

織部雛乃と壬生紅葉は、それぞれ姉と恋人を懸命に押さえていた。

藤咲は雛乃が好きではなく、ゆえに雪乃と折り合いが悪い。
出会った当初は、確かにこんな関係であった。だが、いくつもの闘いを乗り越えるにつれ、そんな関係は消えたはずであった。

「亜里沙も雪乃も今更どうしたん? 欲求不満かなんかなら、三人でやろうか?」
「龍、……殺すよ?」

龍麻の軽い台詞に、壬生が殺気と共に反応する。
彼もいい加減、苛立っていたのだろう。

「へぇ。……やってみるか?」

そこでよせばいいものを、龍麻が肩を竦めて冷笑する。
途端に高密度の殺気が渦巻いた空間により、藤咲が我に返り、とりなした。

「ちょっと、そこ、ストップ!!アンタたちのマジ喧嘩になるくらいなら、仕方ないから我慢するわよ。じゃあ、いつもの所でしましょ」


艶然と微笑んだ藤咲が、壬生の腕を導く。
彼はしばらくは龍麻を睨んでいたが、やがて諦めたように藤咲の後をついていった。

「ああ、また行っちゃったか。茶の湯どーすんだよ。……しばらく暇になるから、俺達もヤってようか。いつもの裏山がいいな」

去っていったふたりを見送った龍麻は、雪乃の腰に平然と手を回し、言った。

殴られるかと思いきや、雪乃は顔を赤らめてコクンと頷いた。
先程までの憤然としていた様子が、嘘であったかのように。


「え? おいッ」

言葉の内容に、そして雪乃の態度の急変に驚いたのは、雨紋だけであった。如月も雛乃も動じる気配さえない。
そのことにも焦りながらも、とりあえずは、玄関から出ようとした龍麻の肩に手を置いて怒鳴る。

「おい、何考えてンだよ、龍麻サン!」

ふりむいた龍麻は、にこやかに微笑む。
今までのように優しく。

「邪魔だ」

だから、雨紋はまともに殴られ、吹き飛ばされても、何が起きたのか判らなかった。


大の字に転がる彼を、如月は呆れたように見下す。
深いため息をつき、それから彼は、傍らの雛乃に、到着済みのはずの術士二名を呼ぶように頼んだ。

しばらくして、嫌そうな御門と明らかに面白がっている村雨が、連れ立って中から現われる。


「御門、悪いが起こす前に、一応これの傷を治してくれないか」
「面倒ですね、全く。牛王宝印霊薬」

心底迷惑そうに、御門が癒しの術を行使する。
腫れていた箇所が治ったのを確認してから、如月が近付いて活を入れる。

「う……」
「目が覚めたかい? 得物なしで龍麻に向かうなど、無謀の極みだと思うよ」
「き、如月サン? そうだ、雪乃サンたちは!?」

周囲を懸命に見回す雨紋に、村雨があっさりと答えた。

「先生が連れてったぜ」
「な! あンたたち、止めなかったのかよッ!」
「まともに龍麻さんの相手をできるのは、仲間内では壬生さんくらいでしょう。少なくとも、私は御免です。その彼も、藤咲さんとお愉しみ中です。私はとしては、諦める事をお薦めしますね」

御門の投げやりな言葉に、如月と村雨が同意するように深く頷いた。
よほど色々とあったようだ。

だが、雨紋にはそんな事を認められるはずが無かった。

「できるワケないだろ、そンなこと!!」

雨紋の叫びに、誰も反応しなかった。
彼は、苛立たしげに皆を見回した後、雛乃に言った。

「雛乃サン、案内してくれッ!!」

冷血漢の中の、心優しき少女――最後の砦から返ってきたのは、落ちついた眼差しと拒絶。

「無理です。貴方は、姉にとって相当に大切な人であったのですから、案内する事はできません。ご主人様に敵う訳がないのですから」

『ご主人様』。あまりの呼び名に、雨紋は凍り付いた。しばし経ってから叫ぶ。

「ちょっ!? アンタまで!?」
「ええ、姉と同時に」

雨紋は、絶句したのち、自棄になったように怒鳴った。

「クソッ!! だったら、気配を探るまでだ」


言い捨てると、雨紋は急ぎ飛び出した。
だから、彼は残された者たちが交わした会話を、知ることはできなかった。


「おいおい、嬢ちゃん……すげェことをサラッと言うんだな」
「え? 龍麻さんが仰った事を、そのまま述べただけなのですが?」

呆れた村雨に、雛乃は平然と答えた。
おそらくは意味が分かっていないのだろう。

「まあ、いいけどよ。まったく、先生は……教育に悪いぜ」
「その程度の被害ならば、ましな方でしょう。私など、十二神将を貸しているのですよ」

意外に常識人な村雨を慰めるかのような御門の言葉は、違う人間の心に引っ掛かったようだ。
その人物の声音に、怒りがこもる。

「ちょっと待ってくれ、誰をだ?」

御門が、珍しくも『しまった』という表情となる。
視線を相手に向けず、ぼそぼそと呟いた。

「あ、その、龍麻さんが是非にと言うので、その……玄武を」
「あいつ、わざとだな」

少し躊躇した御門の答えを聞いて、如月が静かに殺意を燃やした。
剣呑な目で、懐の武器の存在を確かめている。

「当り前じゃないですか。そういう奴ですよ」

そんな物騒な様子の如月に対して、更にけしかけるような言葉が掛けられた。
その早さから判断するに、仕掛け人である壬生と藤咲は、雨紋が消えるのを、相当近くで待っていたようだ。

「よぉ、お戻りか、ご両人」
「そんな事より覗きにいきましょうよ。面白そうだし」

藤咲の明るい誘いに、全員が素直に乗った。
ぞろぞろと集団で移動する。



仕込まれた罠など知らず、雨紋は必死で雪乃たちを探していた。

雪乃と雛乃の気配は、この神社では非常に探しにくい。
大気に溶け込むように、彼女らの氣は神社の霊氣と同化してしまうから。
そして、龍麻は言わずもがな――――気配が、元々殆ど存在しない。

「多分こっちの方なンだが……何で、あの人は普段から気配消してンだよッ!!」

雨紋が苛ついて叫んだ時、微かな声が聞こえた。

それ自体は聞き慣れた……だが、聞いた事のない状態もの。
小さな、情欲に燃えた声。

そちらへと、必死の形相で向かった雨紋が目の当たりにしたのは、信じられない光景。


「あん、龍麻ク……ン」

声の元は、龍麻に組敷かれ、快楽に悶える少女。
腕を龍麻の背に回し、時折耐えるように強く爪を立てる。はだけた巫女装束が、羞恥に赤く染まった頬が、扇情的な事この上ない。
信じたくなかった……が、その表情に、嫌悪は微塵も存在しない。

「雨紋? まだ何か用か? 悪いが、今はお楽しみの時間なんだが」

そう言いながらも、手を止める事のない龍麻の姿は、今までならば敵に向けられていたもの。少々の苛立ちを含んだ冷たい視線。
雨紋は、思考能力が停止するのを感じた。うわごとのように、ただ呟く。

「どうして……こンなことを。アンタは、俺達の理想なのに」

その言葉に龍麻は嘲笑う。艶やかに冷たく。
それは彼の侮蔑の貌。

「ふん。理想……ね。お前たちの――だろ? 強くて、優しくて、カッコよくて。……笑える。もう演技は必要ないんだよ。敵は居なくなったんだから」

嘲笑が、目に焼き付く。
言葉の意味が、ゆっくりと頭に入っていく。
それに伴い、雨紋の血が引いていく。演技――龍麻は確かにそう言った。

「演技だったって言うのかよッ!! 今までのアンタは全部」
「紅葉が散々、俺は極悪人だって言ってたろ? 女の子は皆食った。亜里沙だけは、紅葉のガードが厳しいんで諦めたんだが。……男も何人かヤっちゃったし」
「ンだとッ!!」

龍麻は、雨紋の怒気に、全く臆さない。
気にも留めていないというべきか。

「安心しろ、翡翠とか霧島くんとか、細くて綺麗なのばっかだから、お前は対象外。あと狙ってるのは黒崎くらいか。御門も考えたが、あいつの場合は、済ませた瞬間に符に変わって、背後から”何をしているのですか”って声を掛けられる事態になりそうだからなあ」



覗き見組は、しばし沈黙した後、皆一斉に、気の毒そうに如月を見た。

「如月さん。そうなのですか?」
「それは、お気の毒ですね」

壬生と御門さえもが憐憫の眼差しを向け、そっと尋ねる。
沈んだ声音で、悲しそうに。

「誰がだ!! されてないッ!!!」

小さく、だが鋭く怒鳴った如月に、藤咲が止めを刺す。

「でも上手いわよね。ホントっぽいじゃない、みんな」

彼女に悪気はないのだろうが、それはクリティカルヒットだった。

「藤咲さん……君は僕の事を、そう見ていたのかい」

目に見えて沈んだ如月に、彼女は慌てながら、一応フォローをいれた。

「そうじゃなくて、挙げてる人の顔立ち、皆綺麗じゃない。男でもいいって人がいそうだし。それに、ホラ御門くんのことも、それっぽいし」

あわあわと焦り、彼女は他の人間を傷付けた。

「失礼な……。誰がですか」
「確かにやりそうだよな」

相当に不満そうな御門を、村雨が愉しげにからかう。

ただひとり、雛乃は、会話に入れなかった。

「あの……龍麻さんや皆様は、一体なにを仰ってるのですか?」
「いや、何つうか、嬢ちゃんはそのままでいてくれ」



「龍麻サンッ……うそだろ? 冗談だって言ってくれよ、なあッ!」
「当然、雪乃は処女だったよ。使用済みで良ければ、今度貸してやるけど使うか?」

ああ、だけど雪乃は爪を立てる癖があるから、痛いぞ。

平然と付け加え、全く悪びれずに笑う龍麻に、雨紋は吐き気すら感じてきた。
怒りのあまり身体が震える。

「てめェッ!!」
「うるさいなぁ。悪いけど、雪乃。少し待ってくれ。一分ですますから」

僅かに顔をしかめて立ちあがった龍麻に、少女は上気した顔で頷いた。



雨紋は、素手でも決して弱くはない。
むしろ喧嘩慣れしている分、強い部類にはいる。

しかし、この場合は相手が悪すぎたようだ。

「ふざけるな――この程度の腕で、俺に向かってくるなんて。槍なしじゃ絶対に無理だ。尤も……あっても無駄だったと思うがな。諦めてその辺で見ていたらどうだ?」

本当に、一分とかからずに、雨紋は立ちあがれなくなった。
身体中のどこにも痛みを感じない部位がないほどに、叩きのめされて。


「……龍麻ってば手加減ないわね〜。格好いいけど」

顔を少々赤らめた藤咲に、壬生はムスッとした声音で答える。

「あれは、手加減しているよ」
「あれがですか? 激痛でしょう、あれでは」

肉体的な戦闘には無縁の御門が、流石に目を丸くする。
痣だの血だのが大量に見られる状態で、手加減しているとは信じられなかった。

「ええ、今はね。でも後遺症は一切残らない場所ですよ」


「さ、させねえ。アンタが雪乃サンの事を思ってンならまだいい。だけど、物としてしか扱ってねェだろ!!」

地面に突っ伏しながらも、懸命に意志を奮い立たせる雨紋に対して、龍麻は小さく吹き出した。
そして続ける。

「他に女に価値なんかあるのか?」

冷たい、感情を映さぬ瞳が平然と告げる。
彼の元に集った者たちとは、龍麻にとっては仲間ではなく、駒であった事を。

思い知らされる。

雨紋の中で、何かがキレた。

彼を信じ、尊敬し、そして崇めてさえいた自分達が哀しくて。
そんな仲間を欺きつづけていた龍麻が許せなくて。

「てめェだけは、許さねェ」

怒りが限界を超え、身体の傷を忘れさせる。絶え間なく襲っていた激痛が、今は確かに消える。

雨紋は、ゆらりと立ちあがった。雷気を全身に纏い、ダメージを感じさせずに。
その全身に漲る膨大な雷気は、彼の腕に収束していく。

「豪雷……旋風臨ッ!!!」

力強く振り下ろした右腕から、纏っていた雷が奔流となり龍麻に向かって迸る。

龍麻は、躱さなかった。
雷撃がまともに激突し、しばし周辺が見えなくなる。


「凄まじい雷氣ですわ」
「おいおい、アレは生きてるのか?」

ふたりの心配の言葉に、壬生は首を振った。

「何の問題もないですよ。ほら」

あっさりとした様子で否定し、指差す。


雷撃の余韻が消える。と同時に、金の光が現れる。

煙っていた空気が、ゆっくりと元に戻る。
そこにいたのは、金のオーラを纏った無傷の龍麻。

「まさか……黄龍天臨」

雨紋が絶望の表情で呻く。
総ての力を振り絞った攻撃が、全く通じない。

王龍における覚醒――龍降ろし。
昔為された如月の説明によれば、それを完全に行うと、髪が伸び、瞳がそれぞれの龍が象徴する色を持つとのことであった。

最終決戦でその力を片鱗だけ見せた時は、壬生も龍麻も髪の長さは変わっていなかった。
瞳は、微妙に色が薄くなっただけであった。

その不完全な状態でさえ、あれだけの力を誇った。

だが、今の龍麻は、完全に変生しているのだろう。

腰よりも長い金の髪が、風に吹き上げられ、なびいていた。
金に変じた瞳を輝かせて、龍麻は小さく笑う。

「驚いたよ。ちょっと良かったぞ」

微笑み、片手を軽く突き出す。
何の気合も入れず、ただ立っているだけに見える。
だが、それだけで桁外れの氣が、彼の右腕に集まっていく。

今の彼には、気合も精神の集中も必要ない。
ただ望めば良い。そうすれば、森羅万象が彼に従う。それが大地の王――――黄龍。


「雪乃、雨紋を押さえて」
「畏まりました、ご主人様」

主の命に従い、少女は正面から雨紋に抱きついた。万が一にも躱せぬように、拘束する。
己がどうなろうとも気にもせずに。

「何を!? 雪乃サンまで、喰らうじゃねェかッ!!」
「冷めたから、ふたりとも要らない。安心しな。この状態での秘拳・黄龍なら、欠片さえも残らない。駆け落ちした事にしてやるよ――本望だろ?」

その言葉を裏付けるように、力は強大になっていく。
強い霊場である織部神社の氣を無尽蔵に吸収したがゆえに。紛い物の黄龍を消し去った時以上に――ふたりの存在を消し去ることなど容易なほどに。


龍麻を睨みつけていた雨紋の瞳に、諦めの色が浮かぶ。
どうしようもない。実力差がありすぎる。

それでも、雨紋は出来得る唯一の事をなした。


「絶対アンタは護ってみせる。なあ、雪乃サン、……アンタが好きなんだよ」

抱きしめて、彼はその身で少女をかばう。せめて彼女だけでも助かるようにと。

そして語る。
間に合わなかった想いを。告げる事もなく、抱え続けていた想いを。

「ガサツで、デリカシーの欠片もなくて、じゃじゃ馬で。だけど、だれよりも優しいアンタが。……頼むから、戻ってくれよぉッ!!」

思っていたよりもずっと小さな身体を抱きしめながら、雨紋は衝撃に備えていた。
時間が進まなければ良いと願いながら。


そのまま相当な時間が経過する。

幾らなんでもおかしい。彼らを痕跡も残さずに消す力など、とうに集まったはずであった。
怪訝に思い、雨紋がそうッと顔を上げると、龍麻は既に元の姿に戻って、空気をかき混ぜるように手を動かしていた。
どうやら、溜めた氣を拡散させているらしい。


「恥ずかしい奴だな。だってさ、雪乃」

龍麻が呆れたように言うと、彼の背後から、顔を朱に染めた雪乃が現われる。
俯き、目線を上げようともしない。

「な!? じゃっ、じゃあこの雪乃サンは……わあぁぁぁッ!!」

慌てて腕の中を見た雨紋は、悲鳴をあげた。

いつの間にか、姿が変わっていた。
そこにいたのは、長身・黒髪の、和服を着た美女であった。雰囲気としては、芙蓉、もしくはある人物に似ている。


「もう宜しいのですか緋勇様」
「ああ、ありがとう玄武」

その冷静なやり取りに呼応して、途端に周囲が騒がしくなった。
出歯亀をしていた連中が、わらわらと出てきたからである。

「面白かったわよ、雨紋ってば純情なのね」
「そこまで馬鹿にしては失礼だよ、亜里沙」
「だが、実際に見物だった気がする」
「いえたな」

面白がる四人とは異なり、唯一、雛乃だけが雨紋の身を案じる。

「ご無事ですか、雨紋様」


そもそもあまり場のことを考えず、御門は龍麻に訊いた。

「もういいのですか、龍麻さん」
「ああ、ありがと」


雨紋は、呆然とした表情で、ただ立っている事しかできなかった。事態が理解できていない。
まあ、ドッキリに遭った人間の反応は、こんなものであろう。


「戻りなさい玄武。癒しは掛けた方が良いですよね」

動じないまま、御門がテキパキと話を進める。
女性を一枚の符に戻し、雨紋の傷を見定めながら、術の用意を行う。

「当然、というか、さめピョンも頼む。結構酷いから」
「それは俺の事なのか?」

嫌々ながら、村雨も加わり、満身創痍の雨紋を治癒する。



あとは若いもの同士で。

そんな言葉を残し、皆は去っていった。
残された雨紋と雪乃に、気まずい沈黙が圧し掛かる。


「で?」

それを破ったのは、雪乃の不機嫌な声だった。

「え?」
「誰が、ガサツで、デリカシーの欠片もなくて、じゃじゃ馬なんだよ!」

恥ずかしさ、気まずさ、その他諸々の感情で一杯になっている彼らは、気付かなかった。
遥か上空に、一羽の朱色の鳥が飛んでいることに。


「青春だねェ」
「良いんじゃないか、かゆいのも」

織部家の客室では、茶を入れている雛乃以外の全員が覗いていた。
符の朱雀を中継として、それが送ってくる映像を、如月の作る水鏡に投射して。

「だけど、龍……。黄龍を降ろす必要は、なかったのでは?」
「あったさ、あいつ少年漫画の如く、怒りで威力が激増してて、完全な黄龍でも少し怪我したからな。もっとも、爆煙が納まるまでの間に再生したけど」

半身の問いに、龍麻は肩を竦めて応じる。
勿論、変生する気などなかった。だが、怒りと愛は、凄まじい効果を雨紋にもたらしてしまった。
普通のまま喰らったら、骨折程度では済まないかもしれないと判断した結果、痛いのは嫌いなので、躊躇わず禁じ手を使ったのだ。

「あッ!!」

水鏡を凝視していた藤咲が叫び、皆の注意を喚起する。

「言うわよ。あの顔は」


「事実じゃねェか!」
「なんだと、てめェ!!」
「でも、好きなンだよッ!!! さっきも言ったろ!」

雪乃が、虚を衝かれた顔になる。
憤怒の色は消え、先程まで以上に、朱に染まる。


「きましたね」
「次がシメですか」

壬生と御門が、他者の恋愛事を、冷静に語り合う。
なんだか奇妙な光景であった。


自棄になったように――ムキになったように、雨紋は叫び続ける。
相当に恥ずかしい台詞を。

「理想は、藤咲サンみたいなセクシー系だったよ。けど、気が付いたらアンタみたいな、じゃじゃ馬を好きになってたンだ。
いつの間にか、アンタしか見えなくなってたンだ!! 悪いかッ!!」


「雨紋君、シメようかな」

恋人に対する想いに関して、この人物は相当に狭量である。
目が本気――と書いてマジと読め――な壬生を、如月がやや呆れながら諌める。

「理想くらい許してあげたらどうだい? ま、これで任務完了かな」
「そうだな。あー疲れた」

晴々とした様子で伸びをする龍麻に、思い出したように御門と村雨が詰め寄る。
彼らには、本来は仕事があるのだから、当然の疑問と言えよう。

「それにしても、なぜこんな面倒事に、私たちが付合わされたのですか」
「本当だぜ、先生。おかげで、今日の護衛は、芙蓉ちゃんがひとりでやってんだ」

龍麻は、一転して疲れた表情になり、糾弾に答えた。

「皆から恋愛相談受けてる俺のことも考えてくれ。ササッと付合わせようって気にもなるぞ。……人選は、異性にも余裕があって、尚且つ演技ができるのを選んでるんだから諦めろ」

皆が、納得しかけたが、ただひとりは、訊く事があったのを思い出したらしい。
ゆらりと、如月が立ちあがり、静かに龍麻を問い詰める。
ちなみに目は据わっている。

「そうだ、龍麻。芙蓉さん以外に、十一人もいるのに、玄武を使った理由を訊かせてもらえるかな?」
「落ち着け、翡翠。そんな『返答によっては斬る』って気持ちを込めた表情しなくても」

可愛らしく首を傾げてみせる龍麻だが、如月には誤魔化されるつもりは毛頭ないようだ。
無言で小太刀を取り出した如月の姿に諦めたのか、仕方なさそうに龍麻は語った。

「理由は割とシンプルだ。符であっても、四神の性質を持つ者たちは、慣れてるから。
あとは消去法だな。朱雀と青龍は、基本は男性形だろ。ま、女性形だってとれるだろうが、わざわざ術力を多く消費することもないだろう。それに、朱雀を組み敷くのは罪悪感があるし、白虎と青龍は、いくら俺でもな……ムリだ」

仲間の白虎と青龍の姿を思い浮かべて、皆が納得した。
如月でさえも。

    「うっせえッ!」


場に響いた雪乃の声に、皆の注意は一挙に水鏡へと戻った。
クール・冷静等の評判を抱く彼らが、わらわらと集まる姿は、中々面白いものであったが、今は、そんな所に気を配っている場合ではないようだ。


真っ赤になった雪乃は、叫ぶと雨紋に背を向けた。
そして、しばらくしてから呟いた。

「オレだってなぁ、龍麻くんみたいに大人で強い人が理想だったんだ。なのに……なんで、お前みたいな1コ下を好きになっちまったんだよ」


この瞬間の雨紋の顔は、皆に大ウケした。
にやけつつ、鼻の下が延びつつ、真っ赤になりながら笑う――といったなかなか器用な状態であったから。

但し、彼ら覗き見人たちは、直後に陰鬱な空気に包まれた。
雨紋の反応は、彼らの面白がる限界を超えていたようだ。


「雪乃サンッ!!」
「イキナリ何すんだッ!離せ!! ……卑怯者」
「卑怯モンでいいや♪」


「……もう帰ろりましょ」
「……そうだね」
「……なあ、雷とか落とせねェのか?」
「覗いていたのがバレるよ」
「……そうですね。では、帰りますか」

皆を脱力させたもの、それは水鏡に映るふたり。
じたばた暴れる雪乃と、彼女の背後から覆い被さるように抱きつく雨紋の姿。


幸せあれ、純真なるふたり

それでも、それがここに集ったひねくれた連中の、共通の気持ちだった。
嘘偽りなく心から、そう思った。


但し、それだけですむほど、心優しい連中ではない。
中てられた腹いせに、この時の写真――御門による念写であるから、周囲が微妙にボケていた――が、しっかりと仲間内に配られた。


怒り狂いながら、回収の為に仲間内を駆けずり回った雪乃に対し、集められたその写真を眺める雨紋は、満更でもなかったようだ。