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―― 夢見月 ――

『あたしに気安く触るんじゃないわよ』

台詞だけ聞けば、一昔前の不良少女を想像するだろう。

だが、実際にそこに居たのは、弱々しく消えていく形も碌に留めていない死霊たち。
それと、こちらはやや薄れてはいるものの明確な形を保っている長髪の青年。

全体的にやたらと朱の印象を持つ彼は、手の甲を口元にあてて哄笑する。

『オーホホホホッ、あたしの力を奪おうなんて百年遅いのよ。外見を保っているうちにいらっしゃいッ!!』

あ、でもブサイクと女はどっちにしろお断りだけどねッ!! ――そう続ける彼を、少し離れた場所から疲れた目で見ている青年がいた。

黒のロングコートと濃グレーの上下の彼は、朱の青年より余程幽霊のようであったが、実体であるらしく影も存在感も持っていた。
その黒の青年は、頭を抑えながら、嫌そうに呟く。

「何でだ……そんなにトラブル吸引体質なのか? 運命と書いてさだめと読めってことなのか……」

嫌な予感はしたのである。
前も、煙草を買いに夜中に出かけ、ここで厄介事に遭遇した。

だが、もう平気なはず―――そう思った。

東京に起きた異変、猟奇的な事件の数々――それら全てを、裏から糸引いていた人物を倒した。
百年以上に渡る男の暗躍も終わり、もう事件を引き付ける体質があろうとも、何も起きないはず――そう信じて出かければ、死んだ筈の陰陽師の高笑いに出くわす。

頭痛を感じるのも、道理である。

呟きが聞こえたのか、視線を感じたのか、朱の青年は、黒衣の青年に気付いた。
その目に剣呑な光が宿る。

相手を見知っていたから。
それは、ある意味で、彼の死の原因とも言える人物。

紅い氣を纏い、臨戦態勢を取りながら、問いかける。

『あら、黄龍の器じゃない。……あたしを滅しに来たの?』
「いや、煙草買いに来ただけ」

んな艶やかに笑われてもなーーと続け、緋勇は盛り下がる気分を隠さずに嘆息する。
それから、クキッと首を傾げ、霊体に対し尋ねる。

「ともちゃんこそ、何してるん? 御門たちを恨むなら浜離宮行くべきだし、直接の原因の柳生なら、もう殺したが?」

ともちゃんと呼ばれた青年――芦屋の流れを汲む陰陽師の末裔、阿師谷伊周は、呆気に取られた。

実体にて対峙した際に、己と父の放つ猛禽類の式神を、腕一振りで滅したのは、確かに目の前の相手だったはず。
冷徹な眼差しで凄まじい力を揮う青年と、目の前の呑気な彼との落差に混乱する。

「ともちゃん? もう自意識ボケが始まったか?」

硬直を続けていた伊周に、緋勇は首を傾げ、あくまで呑気に問う。
相手の態度に驚愕していたらボケよばわり――伊周にしてみれば、心外もいいところである。

『うっさいわね。ここに自縛されてんのよ』

かなりの苛立ちのこもった言葉に、緋勇の顔が一瞬で輝く。
ならば面倒事と関わり合わないで済むと知り、にこにこと別れを告げる。

「では、ここから去れば、また平和な日常を送れるんだな。グッバイ、フォーエバー」

ひらひらと手を振り、スッと踵を返して早足で歩き出す。
あまりにドライすぎる態度に、伊周の脳天の辺りで、ブチっと何かが切れる音がした。

『あんたねェ、少しは自責の念とかにかられたらどうなのよ!!』

気が付けば、緋勇の背後から首を絞めていた。
もちろんこの相手に、死霊の纏わりつきなど効果はない。

だが、彼の足を止めさせるには十分だった。

「動いてるじゃんか……」

緋勇の渇いた声に気付き、伊周は今の場所と先程の自縛位置を見比べ、軽く移動してみる。

そして確信した。

縛られる位置が移っている。死した場所ではなく、より強力な力場を持つ、人でありながらその限界を超えた青年へと。

事態についてゆっくり理解し、伊周は、一瞬後に、けたたましく笑いだした。

『ほーほほほほほほ!! 天はミューズを見放しはしないのよッ!!』

ミューズは美の【女】神だろうが――ぶつぶつと突っ込む緋勇の声は耳に入りもしないらしく、伊周は高笑いを続ける。


「あー、もう。そうだよ。俺は砂場に落ちたコンニャクよりも、厄介事を引きつけるってのに」

己の吸引力を甘く見ていた事を後悔し頭を抱える緋勇の肩に、伊周がなんだか美しくさえある横座りをかます。
小型の妖精なり愛らしい小動物辺りがするなら様になるその動作を、半透明とはいえ、ほぼ同じ身長のオカマさんにされている現状に、緋勇はなんだか泣きたくなっていた。

しかし、当然のように、伊周は気にも留めなかった。

『さ、もう磁場があんたに移ったわよ。さっさと運びなさい。あたしの ア シ 』


緋勇は非常に疲れた足取りでマンションのセキュリティーを通り抜け、自宅へと辿り着いた。
玄関扉を潜り抜けた辺りで、伊周は目を丸くして呟く。

『へー、いいとこ住んでるのね』
「悪いけど受験勉強するから、静かにしててくれよ」

緋勇は澱んだ態度で応じて、煙草の封を切る。
全ての元凶であるそれを、しばらく忌々しそうに睨んでから、やおら火をつける。

ダイニングテーブルにて問題集等を広げ、割と真剣な様子で勉強しだした緋勇に気圧されたのか、伊周は仕方なしにその辺を漁って、時間を潰していた。
彼が部屋の隅々まで飛び回っている間は、カリカリとものを書く音だけが響いていた。

だが、性格上、そう長い間我慢できるはずもなく、伊周は騒ぎ出す。

曰く、本当に菩薩眼と付き合ってるのか、――だとしたら、何て安直な。
曰く、しーちゃんは、あの後あたしのことを、どう言っていたか。
曰く、あの時に居たキュートな木刀を持った赤毛の彼や、あんたにちょっと似た感じのクールビューティーとは、どんな関係なのか。

視線を過去問集に固定したまま首を傾げ、緋勇は呟く。

「【キュートな木刀】? ピンクとかなのか? いや、ハートが一面にプリント……」

聞き流しているかと思われたが、ツッコミを入れる程度には聞いていたようだ。

『キュートな【、】木刀持った赤毛よ!! こっちで一息入るのよ!!』
「……日本語って難しいよな。さて……」

怒りにキーキー騒ぎ出した伊周を横目に、緋勇は立ち上がり、急須を手にした。
勉強にならないと判断したようだ。

テキパキと茶の用意をし、テーブルの向かいに座る形をとっていた伊周にも律儀に、日本茶と茶うけの和三盆を置く。
目の前に置かれたそれらを困惑した様子で眺め、伊周は呟く。

『食べられないわよ』
「そりゃ知ってるさ。お供え物みたいなもんだ」

苦笑しながら、緋勇は湯のみを持ち上げる。
自然と伸びた姿勢に、正しい持ち方に、育ちの良さが垣間見える。
思わず見惚れかけていた伊周であったが、直後に掛けられた言葉に顔が歪んだ。

「なんか未練が在ったら、言ってくれないか。協力するから、早く成仏してくれ」

真顔であった。

あまりに直球過ぎて、伊周の腹が煮えくりかえる。
平然と【はよ出てけ】と同意の言葉を口にする相手に、怒りを覚えない訳が無い。

『ふふふふふ……なんでも?』
「できる事なら」

予防線を張る事を忘れない辺り、緋勇の性格がよく出ていた。
それでも、狼狽する顔なり何なりが見られれば良い――そう思い、伊周は聞こえない振りをして続ける。


『じゃあね……やっぱ恋愛成就よね。あんたに乗り移って、しーちゃんに抱いてもらおうかしら』

最高のイヤガラセになる。
そう思った願い事は不発だったようだ。

「あれ、マジなんか? 嘘だろ?」

緋勇が問い返す。嫌がるでもなく、驚くでもなく、ただキョトンとした顔で。
その反応に虚を衝かれ、伊周は力無く呟いていた。

『どうしてそう思うのよ……』

不意に、緋勇の印象が一変する。
馴れ馴れしいとさえ言える、気さくな態度が完全に消失する。

「ホモどころか、オカマでさえないだろう、本当は」

そこに残るは、非人間的なまでの倣岸さ。
同意すらも求めない。決め付けるように、彼は僅かに首を傾げる。

「本当の未練は?」

見透かしたような、冷めた鳶色の瞳。
対峙していた時のものに近い、冴えた口調。

苛烈でもなく、ただ静か。

だが――――問われただけで、全身が凍りつく。


実体を有さぬ身でありながらも、伊周は体が冷えるのを感じた。

願いならば、確かにあった。
問われたから答える――それを疑問にも思わず、臣下の如く従おうとする。
恐怖どころではない。畏怖の念すらをも抱き、口が自然と開く。

『会いたい人が……居る』
「誰に?」

見据えられ、促される。
ただそれだけで、抱えていた願いが形を取る。


会いたい。

生まれてすぐに別たれ、そしておそらくは――喉元まで出掛かった言葉を、伊周は懸命に飲みこむ。
抗術と同じ要領で、全身全霊の力を振り絞り、抵抗する。

それでも抗いきれない。
口は、その音をのせようとする。

『い……ショーン・コネリー』
「死ね」

伊周は、盆で顔面をはたかれた。
勿論実際には、それは霊体を通り抜けるだけであったが。

途端に元の雰囲気に戻った緋勇は、不機嫌そうに立ち上がり、器を片付け出した。
伊周の前にあった茶を飲み干し、干菓子を口にする。

食器を洗う音だけが響く中、人ならぬ身でありながら、伊周は震えが止まらなかった。
全て……洗い浚い話す直前であった。

一流の術者である彼にさえ、全力を振り絞ってやっと抗えるのみであった。
しかも、相手は、何の力も使わずに、ただ訊ねただけだというのに。

纏った擬似の印象から失念していた。

相手は黄龍の器――――化け物であるということを。


『あ、雪柳が咲いてるわ』

明るい声をあげて、伊周は植え込みの白い小花に近付いていった。
上機嫌な彼とは対照的な一言が、それに応じる。

「寒い」
『ホホホ、実体は不便ね。あたしなんて、こんなに快適』

コートの前を合わせ、不機嫌に吐き捨てた緋勇に当てつけるように、伊周は軽やかにステップを踏む。

夜の散歩を希望した怨霊とその憑依先は、現在寒空の下にて、とある公園を歩いていた。

ちなみに、こんな寒い時間帯の外出を、緋勇は当然拒んだが、脅されたのである。
決め手となったのは、暗い声での伊周の呟き。

『哀しき霊のささやかな願いさえ、聞き入れられないなんて。……いいわよ。あんたの部屋のドアの前で、一般人にも半透明程度に見える状態になって、シクシク泣いてやる。どうしてあたしを捨てたの〜。愛してたのに〜って』

つい先日、顔色を失うほどの恐怖を感じた相手に対し、良い度胸ではある。


『夜だって中々のものよ。ほら、こんなにも星が綺麗じゃない』

月明かりはなく、空気も澄んでいる為か、確かに、都会にしては随分と美しい星空であった。
人通りの無い中はしゃぐ伊周につられたように空を見上げ、緋勇はへぇと小さく驚きの声をあげた。

「ああ、本当だ。東京でもオリオン座の星雲が見えるんだな。ウチの方でも、空が澄んだ時しか見えないのに」

しばらくの間、静かに見上げていた緋勇に、見蕩れてしまった伊周は、それを隠すかのように、頓狂な声をあげる。

『うふッ、その物憂げな表情、ジュンときちゃう』
「………………何が?」

物凄く嫌そうな表情で振り返る緋勇に、伊周は悪戯っぽく笑む。

『それはもちろん……ナニ……あ、アレッ!!』

伊周が視線を向けた先は、霊の吹き溜まり。強い意志や目的を失ってしまったまま彷徨う、自我さえ弱まり形も曖昧となった霊たちが、なんとなく集う場。
実は都心にはそう珍しくも無いものであるが、そこに居たのはそれだけではなかった。

怯えた顔をした子供――十にならない程度の少年が、虚ろな顔の霊たちに囲まれていた。
だが、緋勇は興味もなさそうに視線を逸らし、そのまま通り過ぎようとする。

『ちょ、ちょっと、黄龍の器!! どーする気よッ!?』
「緋勇 龍麻という名前がある。……見知らぬ餓鬼だ。その人生に責任取ることもないだろう」

何を言ってるんだか――くらいの表情である。
面倒くさいとも、顔に書いてあった。

『キーッ、あんたって顔は良いけど最低な男ね!! あのコ、イイ男になりそうな顔してんのに、もったいないでしょッ!!』
「なりそうなって……ッ!!」

言い争うふたりの顔に、緊張が走った。
周囲の霊圧が一挙に上がったことを感じ取り、自然と構える。

『あッ』

妙案を思いついたらしく、小さく叫んだ伊周に対し、緋勇があからさまに嫌そうな顔をする。
そして、その反応は正しかった。

『そんな普通のコよりも、ここにうってつけの人間がいるわよ! この霊位を見なさいッ!!』

ビシッと指し示した先は、当然のことながら緋勇。
類稀なる素材に涎を垂らさんばかりの霊たちの視線に対し、彼はげんなりしながら呟いた。

「やだよな。形も心も虚ろなくせに、食欲だけは旺盛か」

肩を竦めての嘲弄は、意思の弱まった霊にも挑発効果があるようだ。
霊たちは唸り、じりじりと周囲を囲む。

数で押せると見て、一斉に襲いかかってきた霊に対し、緋勇は焦ることなく手を振り上げる。

「深雪」

静かな声と同時に、彼を中心として、白すぎる雪が降る。
この世に在らざる純白の雪が、深々と降り注ぎ、触れた霊たちを消していく。
声にならない悲鳴さえをも飲み込み、数瞬後には、ただ雪だけが積もっていた。


「こんな所で何をしている?」

呆気に取られた少年に対し、緋勇が無遠慮な視線を遣る。
常に脊髄反射レベルにて猫を被る彼には珍しい態度である。どうやら、伊周の狙い通りとなったのが気に入らないらしい。

『そーよ、悪霊とかになにかされたらどーするの?』

元凶の平然とした台詞に、緋勇はしばし黙る。
お前が悪霊じゃん――その思いを込めて、少年に言う。

「この人とかに――な」
『誰が悪霊よッ!?』

悪霊だろう、いーえあたしはエンジェル、酔っ払ってんのかボケ、誰がボケよ――と口喧嘩が以下続く。 緋勇の冷たい声と態度、そして凄まじい力に、凍り付いていた少年の表情が、そのやり取りに、やっと和らいだ。



霊の集まりやすい公園と聞いて、妹を探しにきていた。
死んだ妹が、どこかで自分を呼んでいるはずだから――少年はそう説明した。

『え……と?』
「それは……なぁ」

怪訝そうな表情を隠さない伊周と、困った顔を保つ緋勇を、少年は哀しそうに見上げた。

だが、彼らは話を信じていない訳ではなかった。

その妹と会って、どうするのかが疑問なのである。
何処かで自縛され、他者を求める霊に対しできる事は、たったの二つ。

除霊するか、ともに囚われるか。


手がかりにはなるかも――――そう言った緋勇が連れてきた先は、産婦人科。
何考えてるのよと言いたげな伊周の眼差しに怯むことなく、緋勇は慣れた様子で中に入っていく。

「その子〜、どうしたの〜? ダーリン」

中から出てきた看護婦姿の少女が、ぽわぽわした空気で首を傾げる。
その呼び名に、伊周は口元を歪めた。

『ダーリン? あんた……何人女がいるのよ、この節操なし』
「ひとりだよ」

ぼそぼそと独り言を口にする緋勇に、看護婦は笑いかける。
より正確述べるのならば、緋勇の右肩の後ろに対して。

「あ〜、はじめまして〜」

少女の視線が、確かに自分に向いていると知って、伊周は困惑する。

彼は今、人間に存在を気付かれないようにしていた。
彼自身や御門といった、技術と素質を兼ね備えた対霊の専門家ならいざ知らず、多少の霊感持ちレベルの素人には、見ることは不可能なはずであった。

『え……あたし、今は見えなくしてるわよね?』
「彼女の力は魂に関する事。意志を無くし消滅しかけた霊体ですら、その願いが見えるんだ。君みたいに派手なモノの姿を見るなど、余裕だ」

呆れた様子を隠さぬ緋勇の説明により、伊周の額に、ピキピキと青筋が走る。
霊体での身でありながら、器用ではある。

『誰がデーハーなのよ、あんたにはこのシックな落ち着き感が分からないの?』
「……舞子、英和辞典持ってないか? 今まで俺が認識していた『シック』の意味は、どうやら間違っていたらしい」

きいぃぃと叫び印を結んだ伊周と、無言で構えた緋勇の服の裾を、少年が哀しそうな目をしながら掴んだ。触れることの出来ない相手のことをも、懸命な様子で止めようとする少年の姿に、流石の彼らも心が痛んだのだろうか。

纏いかけていた氣を散らし臨戦態勢を解くと、舞子と呼ばれた少女を話のできる場へと引っ張って行った。


「心当たりあるか?」

ざっと経緯を話し、問う緋勇に、舞子は、懸命に考え込んだ。

「もしかしたら〜、あのコかも〜」

しばらくして、首を傾げながら彼女は呟いた。
自分に集中する、霊体含む三対の眼差しに、悲しそうに答える。

「あのね〜、舞子に〜、傍に来ないで〜って言う小さな女の子がいるの〜。待ってる人がいるのに〜、舞子が側にいると〜、明るい場所の方に行きたくなっちゃうからって〜」
『それよッ!! 浄化の道のことだわッ!!』


「何だ……ここは。ともちゃんたち、正気を保ててるか?」

呆れた様子で緋勇が、後ろを振り返り尋ねる。
それほどに、空間の濁りは凄まじかった。

潜った修羅場の質・量ともに尋常ではない緋勇でさえも、ここよりも乱れた場というのは、二ヶ所しか知らない。―――決戦時の上野寛永寺と等々力不動のみであった。

『なんとかね……。てゆーか、こんなとこ放置しておくなんて、御門は何を考えてるのよッ!!』

職務怠慢甚だしいわッ!! ――――などと尚もぷりぷりと怒っている彼が、しっかりと少年を背後に庇っていることに、緋勇は小さく笑みを零す。

だが、そんな和やかな空気など吹き飛ばすほどの鬼気が、その場に充満した。

発生元は、突如として現れた、まだ幼い少女の姿をしたモノ。



『まさか……お兄ちゃんなの?』

少年の姿を認めて、喜色に輝いた少女の笑顔に、緋勇と伊周の背が、一斉に怖気立つ。

最高位の術者である伊周でさえ、僅かに姿が薄れている。
実体を喪ったモノとしては、避けられない現象である。なのに、少女は実体としか見えないほどの存在感を有していた。

それは、喪われていく力を何処からか補給したということ。
おそらく補給元は、彼女の周りに蠢くもの。嘗てはヒトであった残滓。

夥しい数の他の死霊を吸収しながらも、彼女は明確な自我と目的を保っている。

それはどれほどの妄執を有しているのか。
幼い無邪気に見えるその笑顔に、どれほどの狂気を孕んでいるのか。

魂の癒し手である高見沢舞子であるからこそ、理性的に拒まれるだけで済んだ。
少女の精神は既に、近付く者全てを破壊し、吸収するバケモノと化している。

『お兄ちゃん? どうしてそんな泣きそうなの?』

不思議そうに、彼女は首を傾げる。
本当に、理解できていないのだろう。己がそれほどまでに穢れたことに。

『もう、パパはいないんだよ?』

どこか誇らしげな少女の言葉に、三人が一斉に表情を歪めた。

緋勇と伊周は、嫌な予感に満たされて。
少年は、実際にその光景を思い出して。


『パパはいつもお兄ちゃんを苛めてたじゃない。あたしがパパを懲らしめてあげたのに、どうしてお兄ちゃんは笑ってくれないの?』

     ―――初めまして。今日から僕がお兄ちゃんなるんだって。よろしくね

少女は、優しく笑う兄が好きだった。

新しく出来た、穏やかなお兄ちゃんが。

     ――なんだ、その目は。……何が言いたいんだッ!!

すぐに兄を殴り、罵倒する父が嫌いだった。

ママが死んでから、すぐ怒鳴るようになっていたパパが、新しいママとお兄ちゃんを迎えて、彼らを怒鳴ったり打ったりする度に、その思いは強くなった。

幼い少女には、まだ分からなかった。

再婚した実父が、義母の連れ子である義兄を厭っていたことも。
それが、DVやら児童虐待などと呼ばれる行為であることも。


パパがすぐ怒るから――

お兄ちゃんが悲しむ――
笑ってくれなくなる――


幼い心でそう理解した彼女は、行動に移した。

大切な日に。
大好きな兄への贈り物として。


お兄ちゃんの誕生日に、部屋を飾って待っていたのに。

お兄ちゃんが大好きな色で――真っ赤にして。
綺麗に綺麗にしていたのに。

なのに、お兄ちゃんは笑ってくれなかった。
パパのだけでは足りないのかと思って、ただずっと笑ってるだけで、何も手伝ってくれなかったママも壊したのに。


少女の怨念が、心象風景が、力ある者である緋勇と霊体である伊周の脳裏に、ダイレクトに照射される。

「……文句言わせてくれ。恨むぞ、ともちゃん。こんな事に巻き込みやがって」
『……あたしだってねェ、今すッごい、ひいてるのよ』

赤い赤い色の中に、散らばった大人二人分の塊。

     ――――お帰りなさい

そんな中で、兄に向かって全開の笑顔で無邪気に微笑んだ少女。


はっきり言って、非常にエグかった。


心霊現象の発生する場所には、多感な少女がいる事が多い、そして家庭は不仲な場合が多い――これは、まさしくその典型的なパターンであろう。
但し、不幸なことに、この少女の力は、無意識のうちに不審な音を立てたり軽い物を動かしたり――そんなレベルではなかった。大人を引き裂くことが可能なほどの精神の力、立派に念動力と呼ぶ事ができる。


『お兄ちゃんも遊ぼうよ、ずっと、ずっと。ここで。ここなら、パパもママも来ないよ』

ずるり……ずるりと。

彼女の周囲が、盛り上がっていく。

強大すぎる力に――
血に穢れすぎた無垢なる魂に――

少女の存在に惹かれた霊が、凄まじい霊団を形成していた。

集った霊は、力だけをもっとも強い意志を持つ者に明け渡し、同化する。
最も強き――兄を求める少女に取込まれた霊達が、意志を統一していく。

即ち、兄を欲する事と、それ以外の邪魔者の排除に。


「ともちゃん、ガキ持って伏せてろ。巫炎」

高まる敵意にうんざりしながらも、緋勇は浄化の炎を放つ。

焼かれ恨みの言葉を残しながら、次々と消えていく身体の一部に少女の顔が歪む。
凄まじい憎悪に彩られていたそれが、己を注視する少年に気付き、がらりと表情を変える。

『おにいちゃん……あついよう、苦しいよう。助けて……こっちに来て』

泣きそうな声で、辛そうな顔で。
思わず足を踏み出しかけた少年を、伊周が慌てて抱き留める。

『駄目よッ、アレが怨霊の手なのよッ』

少年に言い聞かせて後ろにやってから、少女の方を鋭く睨む。

寿命を全うせずに――不慮の事態によって、早すぎる死を迎えた苦しみは分かる。
道行く人間たちが誰も気付いてくれない、側に誰もいてくれない絶望的な孤独も知っている。

しかし、いや、だからこそ――同じ悲しみを持つからこそ、少女のしようとしている事は認められなかった。
これ以上、同じ存在を増やさないで欲しかった。

『寂しいからって、恋しいからって、他者を引き込んだって何にもなんないのよッ!!』

静寂が落ちる。
あまりに無慈悲なその言葉に、怨霊たちは身を捩る。
伊周の言葉は、霊団を形成する全怨霊の存在理由の否定。

彼らとて知ってはいる。
これが何も成さないことは。
同じく温かさを求める怨霊が幾ら集おうと、暖まりはしないことは。

だが、それでも寂しかった。
ひとりは寒かった。

だから求める。
たとえ僅かな温もりでも。

彼らは認めない――報われないなどとは。
彼らは許さない――己の存在意義を否定する者など。

     黙れ
     煩い

霊が声にならない声でざわめく。
その意志が、伝わっていく。全霊が慟哭する。

『うるさい……』

代表たる少女が呟く。
多量に流れ込んでくる怒りに――、憎悪に――、悲しみに――、感情が同調し、暴発する。

『お兄ちゃんだけがいればいい……消えてしまえッ!!』

少女の叫びとともに、盛り上がった一角が、伊周を襲う。
反射的に懐に手を入れたところで、彼はやっと思い出した。

己が今霊体であることを。

当然、符など所持していない。

『ヤバッ』

根本的なところから術士である彼には、魂だけになろうとも能動的な反応は難しい。顔を引き攣らせ、思わず目を瞑る。

が、衝撃はやってこなかった。
ただ水の垂れる音だけが、ぴちゃんぴちゃんと響く。

そろそろと目を開けた伊周の前には、緋勇の背があった。
水音の正体は、流れだす血潮。

緋勇は怨霊を受け止めた左腕から、相当量の血を滴らせていた。


「いたた……。ったく、無計画に怒らせるなよ」
『なッ、なんであんたがあたしを庇うのよ!?』

怪我の割には呑気な様子で腕を抑える彼に、伊周は声を荒げた。

なぜ庇うのか理解ができない。
今の状態は、緋勇にとっては悪霊に憑かれているのと同様のはず。ならば、霊の消滅は望ましいことだろうに。

「霊体同士なら傷がつくだろう? ましてや、あんな怨霊。消滅するかもしれないだろ」
『そのワケを訊いてんのよ!!』

細かい事は気にすんな――あっさり流すと、緋勇は血塗れの左腕を振った。
血が飛び散ったあとには、それ以上の出血も――何の傷痕もない。
今の一瞬で癒したようだった。

「滅ぼすだけなら難しくないんだ。だが、俺では転生の輪に放り込めない――全て無に還してしまう。ともちゃんどうにかできないか? 陰陽師だろ?」

あの霊団の消滅が難しくはない――軽く断言する緋勇の力に戦慄しつつも、伊周は口篭もりながら応じる。

『そんな……、だって、あたし陰陽師っていったって、裏の……。それに肉体の無い今、どれだけの力が発揮できるか……痛ッ』

自信無さげな様子の伊周を、緋勇は拳骨でどついた。なぜ人間が霊体を殴れるのか――おそらくは加減した氣を使ったのだろう。
呆気に取られた伊周の頭を掴み、緋勇は、かなり地を出しながら続ける。

「別に安倍が表で芦屋が裏だなど、だれも決めていないだろ。で、肉体の話は簡単――俺は器だ。ほれさっさと入れ」

言葉と共に、抱きとめるように、伊周の霊体を引き寄せる。
勿論、実体と霊体であるがゆえに、その姿は重なり、そして―――伊周の姿は消えた。




「すごい……これが黄龍の器の力なのね」

【緋勇】が、己の両手を呆然と見つめながら呟いた。
彼には分かる。陰陽を司る者達の中でも、相当に強力な一族の裔なのだから。

呼吸をするが如く自然に、森羅万象全てを操ることができる。
それが――どれほどの脅威なことか。

「こいつがやる気皆無の男で良かったわね。人類を導くなり、自然を護るなり――大規模のやる気を出してしまったら、ホントに世界が変革されるわ。……こいつの望むままに」

感想を洩らしながら、彼は構える。
この身体であれば、本来は媒体となる符も呪も印も必要ない。ただ――望めばいい。

だが、慣れ親しんだ形式の方が、力を発現させやすいのは確かだ。
符こそはないものの、印を結び呪を紡ぎだす。

「バン・ウン・タラク・キリク・アク」

彼の体を光が包む。嘗て纏っていた赤ではなく青い光が。
清浄な光を纏った彼は、優しい声で諭した。

「あんたたちは十分に苦しんだでしょう? もう――眠りなさい」


呪を完成させる。
三十六に分かれた光が方々に飛び、霊団全体を包む。

だが、苦悶の声は上がらない。

霊団から、一体一体と霊が離れ、順に光の中を上って行く。
元の姿を取り戻し、薄く涙を流しながら『彼ら』の方に一礼して、光の道を逝く。

――最後に残った一体を除いて。

  いや……
  おにいちゃん……

既に音として聞こえない声で。
目を凝らさなければ見えないほど薄くなった姿で。

それでもなお、少女は執着の元である兄に、手を伸ばす。

「これだから女って……。あんたしつこいわよッ!! 臨兵闘者……ッ!?」

苛立った様子で吐き捨て、除霊の印を結んだ【緋勇】の前に、少年が両手を広げて立ちはだかった。

「あ、危ないじゃないッ!!」

焦る彼に対して、少年は哀しげに首を振り、少女の元へ歩いて行く。
そして、少女の手をそっと握り、頭を撫でる。


  本当に……来てくれるの?

心配そうに見上げてくる少女に対し、少年は優しく笑いかけて頷く。

死ぬ前には、ほとんど見る事の無くなっていた兄の優しい笑顔。大好きだった、暖かくなる笑み。
――久方ぶりにそれに触れ、少女がやっと心から笑う。

  うん……待ってる。じゃあね、お兄ちゃん

頷いてから、彼女は【緋勇】に視線を向ける。
しばらく嫌そうに、悩んだように、じとーっと眺め、それからやっと口を開く。

  ごめんなさい

ぷい――と目を逸らすと、ゆっくりと薄れていく。
これで、彼女も除霊されたのではなく、成仏したことになる。

己の意思で昇ったゆえに、輪廻の輪から外れることも、魂の消滅も無い。その魂は――――いつか、また巡る。



「終わったわね。さて……どうしようかしら」

このままこの身体を乗っ取れば、幾らでも望みが叶うだろう。
黄龍の力に、一流の陰陽師の制御力が加われば、仇敵を倒すことも、己の命を復元することも容易なことであろう。

「けど、それは自然を歪めるし、何より……あたしの力じゃないわね」

肩を竦めると、未練を断ちきるように数回首を振り、そして、するっと身体から抜け出した。

『ほら、あんたも……もう逝きなさい。安心できたでしょ?』

半透明の身体に戻った伊周は、笑いかけた。――切なげに空を見上げる少年に対して。
何か振り落とすかのごとく、幾度か軽く頭を振っていた緋勇も、今までより更に姿が薄れた少年に、優しい声で話し掛ける。

「ずっと――ずっと妹を探していたんだ。疲れたろう? いつからか探していたのか、わかるか?」

少年は、黙って首を横に振る。
いつからか――今がいつなのかも、彼は分からなかった。自分の名も妹の名も、もう思い出せない。
ただ妹を救いたいという想いだけを微かに抱えて、彼もまた、永い間さまよっていたのだから。

「そっか、誕生日がいつかは言える?」

緋勇の問いに、少年は長い間考え込み、やがて頭に浮かんだ日付をポツリと口にした。
その答えに、ふたりは、やや顔を引き攣らせた。

「う……年上だ」
『あら……ちょっと下くらいかと思ってたわ』

ここまで薄く消えかけた霊体であるからには、相当の年季が入っているとの予想はしていた。
だが、そこまで昔とは。
少女の怨念と、少年の彼女への想いの強さに、改めて驚かされる。

『じゃあ、急ぎなさい。あんたは常に、浄化の道が見えていたでしょ。そこを真っ直ぐ行けば良いのよ。今急げば、あの子と転生後にも会えるかもしれないわよ』

伊周の言葉に、少年は空を見上げた。
常に彼を呼んでいた白い道が、一段と輝きを増しているのが見えた。


転生後にも会えるかもしれない

ならば――、護ると決心していたのに、それを果たせず、二十年以上も孤独を味合わせてしまった義妹を――護りたい。今度は兄弟ではなくとも――どんな出会いであっても。


明るく微笑み、少年は口を開いた。
その言葉が、初めて音としてふたりの耳に届く。

『ありがとう、お姉ちゃん、お兄ちゃん』

特殊な力も持たぬ、薄れきった小さな霊。
それゆえに、僅かに意志を伝えることしかできなかった少年の声が、確かに届いた。

「え゛」

生まれたのは三十年ほど前。年の頃は、精々七、八。
……まだおかまという存在を知らないのかもしれない。
髪が長くて、女性の言葉を話す声の高い人は、彼にとってはお姉ちゃんなのかもしれない……。

「……あ、ああ」

緋勇は訂正すべきか一瞬悩み、美しい思い出として、そっとしておくことを選択した。

『おーッほッほッほッほーー、気にしなくて良いのよ』

伊周は気にもならないらしく、高らかに笑う。

少年は、頭を下げながら、更に薄れ消えていく。
永き呪縛から解放され、今度こそは誓いを果たす為に。



『遅いわねェ』

伊周は、苛々した様子で、腕を組み、待っていた。
あの子達の墓参りに行こう――そう緋勇に誘われたのだが、その前にこの古びた骨董店に寄らされたのである。
いい男センサーが反応したので、伊周も入りたがったのだが、そこら中に同類が居るからあまり勧められないとの理由で止められてしまった。

実際、陰陽師として霊的な面から観察すると、異様な霊気が溜まっているのが分かった。
いくら古き物には、心が宿り、魂が産まれることが稀にあるとはいえ、この店の量は尋常ではなかった。

「ありがとな」
「また来てくれたまえ」

ガラガラと古めかしい音を立てて扉が開き、緋勇と店主らしき青年が出てくる。

『いやッ、イイおと……いたぁいッ!!』

細身ながらも鍛えられた身体。サラサラの漆黒の髪に、秀麗な顔立ち。
あまりにポイントの高い店主の青年に、考えなしに駆け寄ろうとした伊周は、緋勇の見事な横蹴りを食らった。
どうやら緋勇は、氣を込めての霊体に対するツッコミ技術を、完全に習得したようである。
痛がる霊体の首根っこをむんずと掴み、緋勇は歩き出した。

「じゃあな。……ほれ行くぞ」

いやあぁぁぁ、せっかく良い男がいるのにいいいぃぃぃ――ドップラー効果を残して引きずられていった幽霊を、呆然とした様子で眺めていた店主は、しばらく呆然としてから、やっと我に返った。

「芦屋の一族か。……それでも彼なら、そしてあの品ならば、十分だろう」

小さく呟くと、何事もなかったかのように、平常心にて店に入っていった。



『ずいぶん寂しいところね』
「あの時代にはまだ滅多に無かった、猟奇殺人のあった家だからな」

彼らの目の前にあるのは、廃屋という言葉が相応しい家。
どういうツテを持っているのか、緋勇はあの兄妹の家を調べ出した。
おそらくは少年の生年月日と、少女の【お誕生日に】という言葉だけを手がかりに。

『結局、どうなってたのよ』

時は昭和五十二年十一月十八日。
少年の七歳の誕生日に、一家惨殺事件があった――ということになっているのだと、緋勇は語った。

「再婚した夫婦には、お互い連れ子が居て、男の子は父親に虐待されていた節があった。……で結末としては、バラバラになった両親の骸の中で、兄妹は綺麗な状態で眠るように死んでいたそうだ」

ちょっとヤな光景ね――つい現場を具体的に想像してしまい、伊周は呟いた。
それから、首を傾げる。

『あの子たちの死も、やっぱり妹の力の暴走が原因?』
「ああ、四歳の子が制御するには、巨大すぎる念動力だったようだ。で、はぐれてしまった魂がさまよっていたんだろう。力有る妹は、怨念を惹きつけ捕らえながら兄を待っていて、兄は浄化の道が見えていたのに、妹を捜し求めて」

浄化に抵抗し、薄れきった少年と、他者を吸収し、明確な形を保っていた少女の姿が、伊周の脳裏に浮かんだ。
彼ら兄妹のことを考えると、伊周は、どうしても思い出してしまうことがあった。

『あんた兄弟はいるの?』

脈絡の無さそうな問いに、緋勇は一瞬首を傾げた。
だが、それ以上反応することなく、素直に答える。

「義理の兄なら。血の繋がったのはいない。黄龍の器に、純然な兄弟はありえないよ」
『あ、父親が他の女に産ませるしかないものね……双子はありなのかしら』

女は菩薩眼、男は類稀なる強き氣を持つ者。
その組み合わせから生まれる子に、平穏な運命は在り得ない。

男が産まれれば、彼は誕生と同時に母の生命を奪う黄龍の器となる。
女が産まれれば、彼女は母より力を注がれ新たな菩薩眼となり、只人と化した母は龍脈の恩寵の反動にて衰弱し、そう長くなく死す。
精々一、二年程度しか保たぬし、もうひとり子を産む体力など、残ってはいない。

それはそれで不幸な話だ――、そう考えながら、伊周はポツリと言った。

『あたしは双子の妹がいたわよ』

緋勇は、一瞬伊周そのままに胸と腰のでた女性版を思い浮かべて硬直し、それから気付いた。

その言葉が過去形であることに。
伊周が死した身であるゆえの過去形――とは思えぬほど、彼は暗い表情をしていた。


今もなお、伊周は一言一句違えずに思い出すことができる。

術の習得に手間取る幼き頃の自分に、父から投げられた言葉。
お前も所詮この程度の存在ならば、妹と同じ道を辿るぞ――――鬼のような形相で、父はそう吐き捨てた。
血相を変えて問い質す伊周に、彼は平然と答えた。

生まれたのは双子の兄妹だった。
高い術力を示した兄と違い、妹には殆ど反応が見られなかった。
必要なのは、安倍の血族を超える力を持つ者のみ。役立たずなど、養う必要も余裕もない。

だから――――


『陰陽師の素質をほとんど持ってなかったから、産まれてすぐにパパが殺しちゃったらしいけどね』

陰惨な内容を、伊周は小さく口にした。


その沈んだ表情から、緋勇は察した。
彼がこのようになったのは、もう一つ理由があったのだと。

一つは、初めて会った時から、薄々気付いていた。

そしてもう一つとは――、双子の妹の存在を、己の犯した罪を、父に目の当たりにさせ続ける為。
髪を伸ばし、女性の言葉遣いと態度で、娘の存在を意識させることを選択した。




勉強する緋勇と、【力】を使ってページをめくり、ファッション雑誌を優雅に寝転びながら読む伊周。それは、ここ数日に、よく見られた光景。
なんとなく互いの存在に慣れつつあった彼らではあったが、その日は少々勝手が違った。

前触れもなく、緋勇が頭を上げる。

「ともちゃん、今日の夜、葵が来るんだ」
『……? だから何よ』

突然何を言い出すのか理解できず、伊周は首を傾げた。
その不審そうな表情に臆すことなく、緋勇はにこやかに続ける。

「ぬぷぬぷで濃厚な時を過ごすので、しばらくどっか行け」

有無を言わさぬ命令形。
それは、【一緒に勉強するんだ】とでも口にしているかのような、爽やかな笑顔で――平然としたものだった。
むしろ伊周の方が、なんとなく焦る。

『し、知った事じゃないわ。……邪魔してあげるわね。あの女が人前で、そんなことすると思ってるの?』

【人】前じゃないじゃん――小声で呟いてから、緋勇は苦笑した。
あまりに予想通りの反応を、伊周が返すので。

「やっぱりか。そうくると思ってた」
『ちょっと待ちなさいよ、その妙に禍々しい壷は何ッ!?』

仕方ない――肩を竦めた緋勇が取り出した壷は、見事なほどに霊的な力に溢れていた。
思わず後退る伊周に、にっこりと笑って告げる。

「知ってるくせに。そう――霊封の壷」

栓を抜くと同時に、伊周の霊体がそこに吸い込まれていく。
必死で抗おうとした様子ではあったが、無駄である。

それは如月骨董店に存在した由緒正しい封じの壷に、御門による力の補強が為されている特製品。
前もって墓参りの段階で、用意していたもの。
そして、更には実行者が黄龍の器。

個体の霊に、耐えられるはずが無い。ビチビチと空中で泳ぐかのように抵抗していた伊周の姿は、中へ完全に消えてしまった。

緋勇は念入りに栓をはめ、上から御門から貰った符まで貼り、それをテーブルの上に置き、外へ出る仕度をした。


恋人といちゃつく為とは思えない、真摯な表情で。


数日後、都内のとある女子校の前で、緋勇は手にした壷の栓を抜いた。
中から出てきた煙状のものが、形を取るとほぼ同時に叫びだす。

『何日閉じ込めておけば気が済むのよッ!! このエロッ!! 女といちゃつくためだけに……ここ、どこ?』

怒声が途中で止まる。
伊周は呆気に取られた様子で、戸惑ったように浮いていた。


「双葉女子学院高等学校正門前」

小声であっさりと答える緋勇に、伊周は立つはずの無い鳥肌が立つのを感じた。
じょしこぉ。
女ばかりがわらわらと、門から湧き出してくるさまに目眩を感じる。

『あ、あんたのナンパに付き合う義理は、え!?』
「おォ、兄さん。お目が高いな」

硬直した伊周の視線の先には、ひとりの少女がいた。
彼女は、美少女と言える顔立ちをしていた。

そして、誰かに似ている。
女性体型を保つ為に、痩せぎすの感のある誰かに。

彼が標準体型をしていれば、険が消え、普通の美形になるであろう……その顔に。

伊周は、呆然と少女を凝視する。
ゆるくうねる髪質、朱に染める前の己と同じ茶の髪。
見れば見るほど、似ている。

何度も何度も、鏡を見た。
生まれたと同時に消された命が、成長していたらどんな姿になるのか、どんな顔で笑えたのか、想像しながら覗き込んだ。

「彼女の生年月日は 1981年 一月七日付近」

緋勇の淡々とした説明に、伊周の鳴るはずのない心臓が跳ねた。

その日付は心当たりがある。

「七日に、孤児院の前に捨てられていた。血液型はO型で整合性はOKだろ。名前は中山……道子さん。名前だけは、おくるみに書かれていたそうだ」
『みちこ?』

何かに気付いたらしい伊周に、緋勇はほとんど口を動かさずに告げる。

「道路の道、道満の道に子供の子。流石のジジイも、娘殺すのは嫌だったんじゃないか? ま、捨ててりゃ世話ないかもしれんけどさ」

これだけの材料が揃えば、おそらく正しいのであろう。
似た顔立ち、同じ血液型、同じ髪質、そして伊周の誕生日の数日後に捨てられていたという事実。
さらには、名に込められた『道』の文字。


その時、緋勇と硬直し続ける伊周の元に、当の少女がトテトテと寄ってきた。
さらに顔がひきつった伊周とは異なり、ほんの一瞬のことであったが、緋勇は驚いた顔を見せた。

彼は、気配を完全に絶っていた。
女子校の真ん前で、彼ほどの目立つ容貌の青年に、誰も気付かないほど、完璧に。

無意識にか意識してか――彼女は、その隠行を見破った。


「あの……気味悪いって思わないで欲しいんですけど」
「はい?」

かなりの逡巡の後に口を開いた少女は、にこやかに応対する緋勇に勇気付けられたのか、躊躇いがちながらも、先を続けた。

「肩に幽霊さんが憑いています。害意はないようですけれど」
「おや、霊感持ちですか?」

臆することもなく、優しい眼差しで訊ねてくる青年に、少女は驚かされた。
気味悪い――そう思われる事に慣れていたから。
だから、幽霊を見ても、ずっと見えないふりをしていた。

それなのに、わざわざ知らない人間に話し掛けたのは、憑いている幽霊が、あまりに悲しそうで、そして――どこか懐かしかったから。

「声とかも聞こえません。ただぼんやりと見えるだけの、弱い力ですけど」

そうですか――頷いた後の青年の呟きは、彼女の耳には入らなかった。

    やっぱ、弱いけど、力が継承されてるんだな
    そうね

という、声にならないやりとりは。


「あのですね、コレは事故で死んでしまった友達なんです。成仏する前に、好きだったコに一目会いたいというから、連れてきたんです。通学途中で偶に会う、名字しか知らない子に。満足したら逝くそうなんで。……心配してくれて、ありがとうございます」

青年は穏やかに微笑んで、小声で説明する。
友達と紹介された幽霊は硬直していたが、輪郭さえもぼやけて見える少女の力では、それには気付かなかった。

だから、その説明に納得して、幽霊に同情し心から言う。
幽霊を真っ直ぐに見つめて。

「早く――成仏できると良いですね」

柔らかく優しく。それは、使命などというものを与えられず、大らかに、自由に育ったがゆえの、無邪気な笑顔。
伊周は、一瞬だけ妬ましかった。
だが、それよりも遥かに強く、嬉しく思った。
自分が渇望していた【普通】の生活。彼女が、その中で生きている事を。


聞こえないとは、分かっていた。
彼女の――妹の弱い霊感では、声など聞き取れないと。
それでも、自然に口を衝いていた。

『ありがとう』

ありがとう――自分に気付いてくれて。
ありがとう――微笑んでくれて。
ありがとう――幸せに生きてくれて。

伊周は心底そう思っていた。


聞こえないはずの声。伝わらないはずの想い。
それなのに、少女は驚いた様子で顔を上げた。

初めて聞こえた霊の声に、彼女は一瞬戸惑い、それから照れたように笑う。

「いいえ、そんな……。本当に、次は幸せになって下さい」

無邪気な暖かい言葉に、くしゃくしゃと伊周の表情が歪む。
痛みを堪えるような表情をしていたが、やがて限界が来たのだろう。

「えッ!?」

不意にかき消えた彼の姿に、少女が驚きの声を上げる。
慌てふためく彼女に、残された青年が苦笑して説明する。

照れて姿を隠しただけです――と。

「さて、では私からも感謝を。ありがとうございました」

優雅に一礼すると、彼は踵を返す。

「え、ええ? 好きな子には、会っていかないのですか?」

慌てた様子で、少女は訊ねた。
それで良いのか心配になってしまった。【幽霊さん】は、目的を果たしていないはずなのに。

「もう会いましたよ。中山さん――本当にありがとうございました。貴女は幸せになってください」

背を向けたまま、優しい声で、彼は告げる。

予想外の言葉に固まった少女の目の前で、青年は黒衣を翻し消える。

実際は、前の塀の上に飛び乗り、直後には屋根の上、そして更には隣の家へと高速で移動しただけなのではあるが、少女の動体視力の限界をとうに超えているため、彼女の目にはとまらない。


あの人は死神だったのかもしれない――などと、少女が乙女チックなモノローグを決めている頃には、緋勇らは既に公園へ、……彼らが再会した場所へと向かっていた。



家の屋根だの電柱の上だの、高い場所を疾走する緋勇は、ようやく目指すモノを見つけ、飛び降りた。
本来の自縛場所にて、ぼうっと佇んでいた伊周に対し、呆れた様子で声を掛ける。

「いきなり消えんでもいいだろうに。彼女かなり驚いていたぞ」
『驚いたのはこっちよッ!!』

地団太を踏んで口惜しがる伊周に、緋勇は苦笑しながらも、ズバリと切り込む。


「ふん……良かったじゃんか。嬉しかったろ? 妹と会えて――父が娘を殺していなくて」

見事に図星をぶっすりと指され、伊周は黙り込んだ。

嬉しかった、妹が生きていたことが。
嬉しかった、父が最後の一線を越えていなくて。

伊周は、父のこととて、嫌いではなかった。
家の妄執に憑かれ、半ばおかしくなってはいたが、それでも優しいときもあった。

だから、どうにかして救いたかった。

彼を家の因縁から解放したくて、大嫌いな修行をこなしていた。
秘術と呼ばれる高難度の技術も取得した。


が、運が悪かったとしか言いようが無い。

伊周の力は、阿師谷としては、最高を誇り、芦屋道満に迫るとさえ言われた。

実際、御門の歴代当主の中には、彼より下の力しか持たない者もいたはずであった。
それなのに、よりによって同世代に、かの大陰陽師の名と同じ字を与えられ、御門でも最高と称えられる人間が生まれてしまった。

その巡り合わせの悪さこそが、運命だと思っていた。
所詮、裏が表を越えることは不可能なのだと――、そう考えていた。

なのに眼前の青年は、平然と否定した。
それは、阿師谷の一族だけが縛られていた勝手な思い込みだと。

――――貴様等の怨恨、修羅と化するに相応しいものとおもったが、所詮は小物か

最期のとき、真紅の剣鬼に吐き捨てられた腹立たしい言葉は、確かに真実だったのかもしれない。
己を裏だと思い込み、九十二代も恨みだけを抱いて続いてきたこと自体が、小物であったのかもしれない。

『安倍が表で芦屋が裏だなど、だれも決めていない――か』

髪をかきあげながら、伊周は独り言のように呟いた。
常とは異なる低い――男の声で。

『誰もそんなことは言ってくれなかった。ただひたすらに、あの憎き家系に勝てとしか。……もっと早くお前に会えていれば、俺も色々違ったのかもな』

落ち着いた哀しい言葉に、静かな表情に、何も言えず、緋勇は目を落とした。

色々違った――その意味するところの察しはついていた。
彼が道化を演じる理由、それは妹を殺したと信じていた父への責苦だけではない。
復讐を強制する家への反発も大きい。


緋勇の仲間にも、生まれたその瞬間から、使命を持つ者たちがいる。

古き社を継ぐこと、龍の眠りを保つこと、東京を護ること、星の巡りを、未来を詠むこと、星見を守護すること。

織部も劉も如月も秋月も御門も村雨も、形は違えど、ある意味で彼と同じく、家に強制された人生を歩んでいる。

しかし、彼らに伊周と同じ陰は感じられない。
彼らはどこかで見つけたから。折り合いを――己もそう望む理由を。

そして、伊周は見つけられなかった。死すその瞬間まで、厭っていた。
家の勝手な言い分も、その圧力に負けて娘を殺した――いや、捨てた父親も、何もかも。


黙りこくった緋勇を眺めていた伊周は、透明な笑みを浮かべた。


『ははは……おーほほほほほ!!』

いきなり元へ戻った笑いに、すっ転びそうになって顔を上げた緋勇は気付いた。

透明なのは、笑みだけではなかった。
足先は、既に消えている。全体も、透けだしている。

『飽きちゃった。成仏してあ・げ・る。じゃーね、そのうち来るのを待ってるわよん』

あくまでも擬装を貫くように、彼の言動はいつものように戻る。
ウインクし、ゆっくりと薄れていく朱の陰陽師に、苦笑を洩らしながら緋勇は応じる。

「そのうち――な」


ありがとう……龍麻

微かな――囁きにすら達しない声が届き、伊周の姿は完全に消失した。

気配の残滓が一切消えるまで、緋勇はその場で見送っていた。
完全に消え去っても、しばらくは身じろぎもせずに、伊周の消えた辺りを眺めていた。

それからかなりの時間が経過したころ、彼はポツリと口にした。

「もう平気だろうから、消えてくれ」
「お気付きでしたか」

何もない中空から現れたのは、黒の和服を纏った長髪の青年。

容姿から、緋勇には青年の正体を確信した。
元々、希薄すぎる存在感から、大体の予想はついていたが。

人ではありえない、無機質な美貌を持つ青年の纏う空気は、出会った頃の芙蓉のものに酷似していた。

「私は十二神将が一、天空と申します」

芙蓉……天后と双璧をなす十二神将の要、天空。
ここしばらく自分に張り付いていたことに、緋勇は気付いていた。
伊周の存在を感知した御門は、護衛としてか――監視としてか、彼を専任として緋勇の近くに置いていた。

「彼が己から成仏するまで待ってくれて感謝する。御門にも、そう伝えてくれ」

静かな緋勇の言葉に、天空は乏しい表情ながらも、僅かに顔を歪めた。
式神としては珍しい反応に首を傾げた緋勇に、彼は嫌悪らしき感情を乗せて呟いた。

「貴方も、晴明様と同じ事をおっしゃるのですね」
「とは?」

小さく首を傾げた主の友人に、式神はどこか意気込んだ様子で続けた。


「我らは――いえ、天后を除いた神将は、芦屋の穢れた怨霊なぞ、有無を言わさず滅するべきだと進言いたしました。ですが、晴明様は」

彼は唐突に、言葉を切った。

主以外に従うことも、畏れることもない存在であるはずなのに、感情を有していないはずなのに――――戦慄が走った。
別に緋勇は激怒しているわけでもない。むしろ表情などは消えている。だが、恐ろしかった。

無表情の乾いた声で、彼は命を下す。

「符となった状態で戻されたくなくば――黙れ」


思わず口を噤んだ天空は、ゆっくりと怒りを抱いた。
主以外のたかが人間を畏れた己と、その原因となった青年に対して。

それは、式としては相応しくない憤り。対になる符である天后が、人間的になりつつあることの影響もあったのかもしれない。
似合わない行為であったが、敢えて危険な道を行くように、挑発的な台詞を口にする。

「あの娘のことは、報告させて頂きます。あれも阿師谷の――忌まわしき芦屋の血を引くもの。なにを企むか知れたものでは――」

捕食される側の感覚。死が待ち構えている悪寒。
全身で感じた凄まじい恐怖に、彼は再び口を噤んだ。だが、今度は猶予は与えられなかった。
眼前にいるのは、金の瞳をした五行の王。

「忠告したはずだな」

ひやりと空気が冷える。
凍えた目で、彼はただ一言呟いた。



「つッ」

遠く離れた場にて、長髪の青年が、突然右手を押さえた。
彼が苦痛の声をあげるなど、そうそうある事ではなかった。

「おい、御門!?」
「どうしたのですか?」

桜の舞う常春の空間で、血相を変えた数少ない友人である符術師と主にあたる星見の能力者に対し、彼は呼吸を整えてから説明する。

「符が――天空が、倒されました。ああ、ご心配なく。実行者が、私に反動が来ないように、気を使って破ってくれたので、大した痛手ではありません」

確かに、通常は術者の命に関わる呪詛返しが、血を吹くこともなく、ただ痛んだだけというのは珍しい。

「まったく……」

どこか宙を見つめながら、彼は嘆息した。
式神の浅慮と、友人の短気に。



符に戻った天空をつまらなそうに手にとって眺め、緋勇は一瞬力を入れかける。
が、直後に人様のモノをそこまで壊すのは、失礼だということに思い当たったようだ。

「今度こそ、帰ってくれるか」

ひらひらと符を振りながら、上空の僅かな歪みに話し掛ける。
畏まりました――と頭を下げ、そこから現れた、新たな青年姿のモノに対し、緋勇は僅かに眉を寄せて尋ねた。

「その姿はふざけているのかな」
「いえいえ、そんなにこやかな笑顔で青筋立てないで下さい」

それは先ほどの無表情な青年とは、あまりに違った。ひらひらと手を振りながら舞い降りる彼の姿は、緋勇には見覚えがありすぎた。

「元より我の姿はこうですから。あ、私は安倍家よりお預かりしている十二神将ではなく、晴明様がご自身でお作りになった式神ですので」

余裕顔で微笑んだ眼前の青年は、緋勇とほぼ同じ顔をしていた。
違うのは青年の方が、眼差しが穏やかで、そして、その薄茶の髪が、腰まで伸びていることくらいか。

やや不興げながらも、緋勇は青年に符に返った天空を手渡す。

「珍しくキレてしまった。すまないと御門に伝えておいてくれ――黄龍」
「御意に」

優雅に一礼すると、青年の姿は消えた。

消える寸前の面白がるような笑みに、明らかに己の影響を見て取って、緋勇は少々気分を害していた。
この分だと、他の四神の名を持つ式神にも影響が出てるのではと、要らぬ心配もしてしまう。四神の方は、正規の安倍晴明の十二神将であったはずだ。

尤も、御門の符の四神は、通常は、それぞれの陰陽属性と一致した性別を象っているので、陰である白虎と玄武が女性形、陽である朱雀と青龍が男性形となっている。人間の四神と違う性別をとっている者への影響は、微々たるものであろう。
よって、影響を強く受けてしまうのは、同性である青龍のみであるはず。

と、そこまで考えて、緋勇は小さく吹き出した。

「え、烏帽子被ったアランが……」

創造力が豊かなのは、ある意味不幸でもある。
十二シンショーがヒトリ青龍ネッ!! ――と名乗る姿でも想像したらしい。

緋勇はしばらく頭を振って、HAHAHAと笑う式神の姿を振り落としてから、思考を切り替える。



生前の伊周と、御門、村雨らの遣り取りを、思い出していた。

彼らはみな――マサキを含めてさえ、割と仲が良かったのではないだろうか。
敵対していたことは確かだろう。だが、それぞれがそれぞれの事情を抱え、家と己の想いとの板挟みを感じ――共犯者的な連帯感さえ持っていたのではないだろうか。



花屋にて、注文を受けた店員を夢心地にさせた後、緋勇は再度、中央公園を訪れていた。
阿師谷 伊周が死し、そして成仏した場所へ。

手にしていた花束を置いた緋勇の背に、感心したような呆れたような声が掛けられる。

「真紅の薔薇の花束たぁ、先生のセンスも凄ェな。また、似合うのが、普通じゃねェ」
「白の菊なんて持ってきたら、『そんな辛気くさいの認めないわよッ!!』って、ともちゃんに怒られそうだろ」

振り向き、緋勇は彼らに向かって言い返す。
白の制服を着た陰陽師と符術師と式神と――車椅子の星見に対して。

「違いねェな」
「確かにそうですね」

笑みを洩らし頷く彼らと対照的に、ひとり憤然とした様子の陰陽師に、言うべきことがあったことを思い出す。
軽く頭を下げながら、緋勇は口を開いた。

「そうだ、御門すまなかった」
「いえ、なぜか天空の方から絡んだようですし。大した反動もありませんでしたし、気にしないで下さい」

実力者が、符を破られたことに、怒りを感じないはずはない。再び人化させることも、手間であったろうに。
だが、御門の態度は演技ではないようだ。
機嫌が良いのかもしれない―――そう思った緋勇は、さりげなさを装って頼んでみる。

「ついでにお願いしたいんだが、青龍の姿を見せてくれないか?」
「断固、お断りしますッ」

だが、それは即座に断られる。
御門にしては珍しい程の強い口調から判断するに、やはりある人物の影響を受けているのかもしれない。



ひとしきり笑った村雨と秋月が、緋勇に習うように、持参した花を供える。
村雨は豪奢なカトレア、秋月は白の蘭と、それぞれ趣味と【彼】への印象がよく現れていた。

御門も、憮然とした表情のままではあったが、花を置く。わざわざ安倍晴明の象徴ともいえる桔梗の花を供えるひねくれ具合に、緋勇は苦笑した。

だが、漠然と考えていたことは、確信へと変わった。

「やっぱり君ら、……嫌いじゃなかったんだな」


緋勇の言葉に、ふたりは素直に頷いた。

「彼は、僕の事を知っていたんですよ。でも、父親には告げなかった」
「嫌いじゃなかったさ。面白い奴だったからな」

運命の代行を申し出た少女を、真の標的ではないと知りながらも【彼】は黙っていた。
星見の守護者と【彼】は意気投合した。


答えた後、彼らは視線をある人物へ向けた。
緋勇を含め、三対の面白がるような視線に晒された彼は、嫌そうに口を開く。


「私は嫌いでしたよ。あれだけの力を持ち、家を厭っていたのだから、柵を断ち切る為に使えば良かったのに、しなかったのですから。ですが……マサキ様のことだけは、感謝しても良いかもしれません」

ぶつぶつと呟く文句じみた言葉は、彼にとっては賞賛に近くて。
それを理解しているからこそ、秋月は柔らかく、村雨はにやにやと、笑う。


「あの……ですね、今日は暖かいから、緋勇さんも、ゆっくりしていきませんか? マドレーヌを焼いてきたんです」
「そりゃあいい。どうだい、先生?」

標的であったはずの星見が柔らかく笑み、その護衛である符術士が同意する。

「いかがでしょう、龍麻さま。紅茶をおいれしますが」

長き時代を渡ったがゆえに確執も熟知しているはずの式神も、慎ましく誘う。

「秋月様のケーキや芙蓉のお茶を無駄にするのも業腹ですから、それゆえに……そのためだけにッ!! ……如何ですか」

宿敵ともいうべき東の棟梁が、心底嫌そうながらも―――それでも認める。

敵対すべき家柄であり、実際に敵対していた有能な陰陽師のことを気に入っていたことを。


「是非にでもお願いしよう。今日は……良い天気だからね」


もう一つの標的であった器は、頷いた。

彼も、割と気に入っていたがゆえに。
ほんの少しの間だけの、奇妙な同居人のことを。

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