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「ふはははは、成功だ。我が影奪いの力を、とくと見るが良い! 御門の若造……そして、師を殺した龍よ!! 目にものを見せてくれるわ」

ひとり高笑いを続ける男の傍には、影の如く静かに佇む五人の男女がいた。
感情が存在しないかのように、彼らはただ静かに立っていた。

―― 正陽月 ――

「あー、くそッ!! また大負けかよ」

早朝の新宿に、苛立たしげな青年の大声が響いていた。

「京一はんは、弱いくせになー。まさに、下手の横好きってヤツやからな」
「んだと、てめェッ!!」

アハハと明るく酷いことを口にする相手を睨み付けようとした矢先に、青年は横手から集中砲火を喰らった。

「事実だろう? 君が居る卓は、いつも4抜けな上、それは、ほぼ確実に君なのだから、緊張感がなくて困るよ」
「しょうがないですよ、如月さん。2抜けにしたら、蓬莱寺くんは最終的にはマイナス何点まで行くのか、想像もつかないですし」
「はは、そりゃもっともだ。今日は結局、何点負けたんだ、京一?」
「るせェぞ、オヤジ!!」

青年――蓬莱寺京一は、皆から揶揄され、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。

実際4抜け――半荘ごとのビリが、見ている者と交代する――において、半日間で京一が交代せずにすんだのは、一回のみ。その一回も、三位だったのだから、あまり大きな事は言えない。

そもそも京一は、一般的に見ても、麻雀が強いとは言いがたい。
なのに、他の面子は、劉弦月・村雨祇孔・如月翡翠・壬生紅葉と仲間内でも強者ばかり。

本来の趣旨は、上の四人に緋勇龍麻を加えたケダモノ組が、京一に霧島諸羽・雨紋雷人を加えたカモ組から、いくら絞れるかの勝負――もちろんカモ組には秘密――だったのだが、各々用事により、このメンバーになった。

ひとり残されたカモである京一の負けっぷりは、当然のことながら凄まじく、鬼と同義である彼らでさえもが、現金払いは止めたほどであった。
しかし、さすがに無罪放免という訳ではなかった。
今は、ラーメンを奢らされる事になった京一が、いつもの店へ皆を案内している所である。



その道中、彼らの前方に一組の男女が現われた。

「龍? いや……」

彼らの存在と漠然とした違和感に、最初に気付いたのは、やはりと言うべきか、壬生であった。
元よりきつい眼差しが、更に鋭さを増す。

「ひーちゃん!? 用事って、デートだったのかよ……って、お前ッ! こんな時間まで!」

お父さんは許しませんよモードに入りかけた京一に対し、彼らは薄い笑みを浮かべて応じた。
制服姿のふたりは、男は緋勇龍麻、女は美里葵に見えた。

「ちがうッ」

小さく、だが、鋭く、如月が呟いた。
壬生がそれに頷き、同意する。

襲われた者たちの構成が、このメンバーであったことは、運が良かったと言える。
対の存在と眷属たる宿星という深い縁を持つゆえに、女の詠唱が終わる前に、気付く事ができたのだから。

「セラフの紅」

美しい声が謳うように囁く。
彼女を中心とした強力な炎が、朱色の羽のように広がり、彼らに襲いかかる。

「チッ、徹マンあけに……ついてねェぜ。青短・吹雪ッ!」
「そんな場合か! 幻水の術!」

ぼやきながらも、村雨が氷術を使い、すかさず如月が、水の陣を敷く。
激突した炎と水により発生した、大量の水蒸気が視界を奪う。

「ひーちゃん! 美里!?」
「危ない!」

術に紛れて京一に襲いかかった『龍麻』の攻撃を、壬生が受けとめる。
すぐに立ち直り、一応は急所を避けて斬りかかった京一と劉の剣を、『龍麻』は間合いを取って躱した。


「まさか……アニキたち、朝帰りを目撃したワイらを消そうと」
「んな訳あるかぁッ!!」

真剣な表情でボケた劉を、京一が勢いよくどついた。
それを横目で眺めていた村雨は、呆れた口調で言った。

「おいおい……。そんな場合じゃねェだろ。『あの』先生たち、前もって補助系が相当かかってるようだぜ」

彼の右手は、軽い火傷を負っていた。
ふたりがかりでさえ、威力を完全には消しきれなかったということだ。
京一たちの面にも、やっと緊張が走る。

「君は何者だ? 確かに龍麻だが、絶対に龍麻ではない」

村雨と同じように、軽く右手をおさえながら、如月が訊ねた。

「矛盾しているぞ」

問われた彼は、面白そうに笑った。
その笑みは、確かに龍麻のものとしか思えなくて、皆が困惑する。

「だが、話す義理はないな。こちらは、その京一さえ殺させてくれれば、お前たちに用は無い。そして、その京一が死んでも、いつもと変わらぬ通常の明日が来る。夢でも見たと思って、気にせずに立ち去る事を勧めるな」

軽く話しているが、内容は剣呑極まりない。
自然と皆が、京一を庇うような布陣をとる。


「僕は、龍の意見には、必ず反対する。知らないのかい」

壬生はそう応じて、氣を集中する。
対峙していようとも、黄龍が傍にいる。よって、紫龍を降ろすことは可能である。

「やれやれ……忠告したからな?」

壬生の言葉に、『龍麻』は首を振る。
その笑みが更に深くなり、瞳が、金に変わっていく。


痛いほどの緊迫感を破ったのは、敵側。
『龍麻』の隣にいる『葵』が、軽やかに唱える。

「ジハード」

美しい光が炸裂する、破壊の呪文を。

「なんでこんな時に、アイツらがいねェんだよ! 御門の仕事だろう、これは」
「これはシャレにならんわ!」

ぼやきながら村雨と劉が、防御の結界を張り、純然たる光の力を防ぐ。
符による二重の結界の軋みを、術的な力のない者たちでさえ感じる。

目の眩む光の中、不意に『龍麻』の姿が消える。

一瞬後に、京一の側頭部に繰り出された蹴りを、紫の瞳となった壬生が同じく蹴りで阻止する。

「これだけ、彼を狙うと強調しておいて、撹乱しても意味が無いだろう。馬鹿なのか、君は」

嘲弄の言葉に対し、『龍麻』は冷笑のみで応じた。
壬生は、その笑みで己の判断ミスに気付いた。『龍麻』が、それほど単純な手を使うはずがなかった。


「避けろ、蓬莱寺!」

壬生の咄嗟の警告に重なるように、異なる方向から必殺の気合が響いた。
全員が聞き覚えのある声にて。

「剣掌・鬼剄!!」

不可視の陰の氣が、死角から京一を襲う。
完全に虚を突かれた上に、それを行う者もまた、『京一』であったが故に、誰も動けなかった。


躱すことは不可能な間合いであった。
が、殺意の塊が京一に到達する直前に、より強力な陽の氣が、それを打ち消した。


実行した人物が、闇から姿をあらわす。

「こっちもか」

嫌そうに呟いたのは、金の瞳の龍麻。ただし、こちらは私服を着ている。

ほんの少しの間だけ、二対の金の瞳が視線を交した。
先に逸らしたのは、元から居た学生服の方の龍麻だった。


「退くぞ」

短く告げた彼は、『京一』に目配せをして、『葵』を抱きかかえて跳んだ。
『京一』も追従し、一瞬で彼らの気配は消えた。


麻雀組は、まだ新たな龍麻に警戒を解かずにいたが、壬生と如月が本物と断定して、ようやく落ちつきだした。


「『こっちも』って、アニキも襲われたんか?」
「ああ。俺は、暗い夜道で醍醐に襲われたよ。本気で泣くかと思った」

……暗闇で巨漢に。

全員が事態を想像し、心の中でそっと同情した。
だが、同朋に対して失礼だと思ったのか、如月が話題を変えた。

「ところで龍麻。黄龍の状態のままで、ここまで来たのかい」

髪の長さこそは、通常通りであった。
だが、現われたときから既に、そして、今に至るまでずっと、龍麻は金の瞳のままであった。

「ああ、黄龍解くと、これが消えそうになるんだ。シェン、村雨、なんとか保存できないか」

差し出した『これ』とは、制服の袖口らしきもの。
見ていると、確かに、時折輪郭がぶれる。

「術みたいやな。……小型の結界で包んだらどやろ」
「符で固定しちまえば、止まるんじゃねェか?」

試行錯誤する術士たちは放っておいて、四人は会話を続けていた。

「そうだ、他のヤツらも襲われてるんじゃねェか?」
「いや、多分それはない。遠間から矢も飛んできたから、偽の小蒔もその醍醐と一緒にいたってことだろ。さすがにそんな何人も、偽者を操れるもんじゃないと思うんだ」
「あれは、そもそも偽者なのかな……黄龍を降ろせる偽者なんて、存在するんだろうか」

龍麻の言葉に、如月が眉を顰めて呟く。
四神たる彼には、先程の黄龍の存在も『本物』だと、感覚で判ってしまっていた。

「ちなみに、醍醐は白虎になってたぞ」

更に不安にさせるようなことを、龍麻は付け加える。
彼がそう感じたのならば、本当に『白虎』だったということである。

「御門さん辺りに、訊いてみるのが一番なのでは?」
「そうだな。今日にでも、偽者が居た五人で行ってみるか。……京一、徹夜あけに悪いな」

非常事態だ、構わねェ――そう笑う京一であったが、急にコキッと首を傾げる。

「そういや、ひーちゃんの急な用事って、結局なんだったんだ?」

思うままに口にされた疑問に、龍麻が僅かに顔を顰めた。

「葵に付き添って、桜ヶ丘行ってたんだよ」

しばし後に、微妙な表情のまま、ボソッと答える。

「なッ!? 美里に何かあったのか!?」
「どっか怪我でもしたんか?」

素直に驚愕する京一と劉。
それとは対照的に、歯切れの悪い龍麻の口調から、何かを悟る黎光方陣組。

「霊的治療ではなく、本来の病院としてだ。最近、ナニかが無かったんだって」

割と露骨な言葉で、純な彼らもやっと思い出した。
桜ヶ丘が、表向きは産婦人科であったことに。

「なッ!?」
「ちょい待ち。子供が器になってまうんじゃ」

慌てふためく彼らの様子に、龍麻は深いため息を吐いた。
殊更言い聞かせるように、ゆっくりと、だが、強い口調で説明する。

「落ち着いてくれ。結論から言えば、出来とらん。受験のストレスが原因だったらしい」


五人は、浜離宮の一室で待たされていた。
桜を眺めながら、時間を潰していると、やや疲れた表情の御門が入ってきた。
龍麻が偽者から奪った、袖口のような物の分析を終えたようだった。

御門は、五人の正面に座し、早速切り出した。

「分析したところ、これは醍醐さんの影でした」
「影ェ?」
「影って、紫暮のドッペルゲンガーみたいなものか?」

京一が素頓狂な声で驚き、龍麻は平然と訊ねた。
その当事者ふたりの対照的な反応を、面白そうに見ながら、御門は続けた。

「簡単に言えばそうですが、そもそもの発生が異なります。紫暮さんの場合は、天然に、陰陽術『影使い』の凄まじい資質があるんです。己の影を自在に実体化し、自分の意思のまま操る。これはとてつもない事なのですよ、本来は」

あの御門が、他人を誉めた。
その事実に驚愕し、小蒔が目を丸くして、素直に尋ねる。

「え! じゃあ紫暮クンって、凄い陰陽師なの?」
「……そうなる可能性もありますが、御門一門の総力を挙げてでも、彼が陰陽術を習得する事は、断固として阻止しますッ!!」

対する返答には、彼にしては珍しく、強い口調。
どうやら筋骨隆々の道着姿の陰陽師というのは、御門としては、どうにも納得いかないものがあるようだ。

周囲の驚きの表情によって、やっと己がどれだけ憤然としているかに気付いたらしく、御門は決まり悪げに、軽く咳払いをする。
どうにか通常の落ち着いた声音に戻り、説明を続けた。

「影を無意識に実体化できる人間は、意外にも結構な数が存在します。が、影には、一つ厄介な本能があります。それは『本体を憎む』こと。
影は陰。影とは写し身。自分の闇を嫌悪する者ほど、その傾向は強くなります」

龍麻が納得した顔になって、呟く。

「普通『ドッペルゲンガーと会ったら死ぬ』というのは、それが原因か」

超常現象に少々の興味を持つ彼は、紫暮と出会った当初は、気になっていたのである。
が、延々と続く怪異と騒動に、すっかり忘れ去っていた。

「正解です。殺されるんですよ、影に。紫暮さんが、あそこまで自在に使いこなせるのは、才能と、そして闇への嫌悪が少ないからでしょう」
「紫暮の事は、とりあえず構わねェよ。アイツらは、それとどこが違うんだよッ」

逸れていく話に痺れを切らした京一が、乱暴に訊いた。

今の話も関係があるのですよ――落ち着かせるように、御門がゆっくりと告げる。

『影使い』の外法に、『影奪い』というものがあるのだと。

「他者の影を実体化し、使役する方法です。通常の『影』と本体の殺し合いは、双方消えてしまうのですが、影奪いの場合は、影によって本体が殺されれば、影が本物になります。しかも、困った事に『本人同士』ではなくても、です」
「ちょ……、それって、すごくマズいんじゃないの?」

御門の淡々とした説明に、小蒔は青ざめた。
なにしろ、影の中には、最強の存在に変化可能な者がいる。

「ええ、つまり黄龍化した『龍麻さんの影』が、貴方たちを殺してまわれば、貴方たちの影が、本物となります。汎用性が高いのですよ、『影奪い』は。……尤も代償として、自分の影よりも、制御するのは遥かに困難なのですが」

最後の言葉に、龍麻と美里が、同時に首をかしげる。
ふたりはどちらが聞くかを視線で語りあい、美里の方が口を開いた。

「あの……自惚れている訳ではないけれど、私たちの影を制御できる人がそういるのかしら。簡単ではないはずでしょう?」

問いに、御門は、そんな人間は無論存在しないと、肩を竦めた。

「支配するには、対象よりも強力でなければなりません。互角、まして下の人間などには、制御など不可能です。貴方たちのひとりの影でさえ、私でも無理ですね」

御門は断じた。
現存する陰陽師の中で最高の力を誇る彼にさえ不可能な、力ある者の影を使役する事。それが意味する事はひとつ。

「それを五人一挙に……制御してないという事か」

醍醐が呆れた様子で呟いた。
彼にとっては、制御できない力をそのまま使うなど、信じられない事なのだ。
一度、暴走を起こした事があるゆえに。

「そう、暴走しても構わないくらいに、破れかぶれなのでしょう。そして、賭けたのでしょう。影の本体を憎むという本能に。ただ、成功とは言い難いようですね」
「どういうことだ?」

醍醐の問いに、御門は僅かに躊躇してから、言い難そうに答えた。

「影の憎しみが弱いのですよ。……桜井さんの影はともかく、あとの方達はね」
「なんだよ、それ! ボクが性格悪いってことッ!?」

予想通りの反応に、御門はそっと溜息を吐いた。

小蒔の反射的な怒気に辟易したように、彼は答える。
そういう所が、原因になると。潔癖な人間ほど憎しみが強いのだと。

「しょせん影の性格は、オリジナルに影響されます。特殊な人格の影は、特殊に。醍醐さんたちは、正直な話、自分と闘ってみたいと思っているでしょう?」

ふたりは、図星を突かれて苦笑する。
代表して京一が、口を開く。

「ああ、同キャラ対戦って愉しそうじゃねェか」
「呑気な……。しかし、おそらくは、影も貴方たちと同じような気持ちでいるでしょう。美里さんは、闇を嫌悪したり恐れるよりも、哀しみを抱いてしまうゆえに、影も憎しみを抱けない。そして」

そこまで言って、御門は言葉を切った。
その視線の先の龍麻は、嫌な予感を受けたのか、つい――とあさっての方向を向く。

「龍麻さんに至っては、論外です。彼の影が、憎しみという感情を抱くはずがない」

おそらくどうでもいいはずです――そう続いた御門の辛辣な言葉にはコメントせずに、龍麻は話を逸らすかのように訊ねた。

「で、思い当たる術者はいるのか?」
「ええ、貴方たちから話を伺って、真っ先に浮かんだ男が居ます。光岡という影使いを得意とする一族の跡取りでした。少なくとも、隠し名を使う程度には強力な一族の出身です」

影を使う、『光』の文字を姓に持つ一族。
敢えて逆の属性を知らせるように名乗るということは、それだけ一族に伝わる真の属性が強力ということを示している。

「もっとも、その男は外法に傾倒し、数年前に放逐されていますが」
「外法?」

聞き覚えのありすぎる言葉に、嫌そうな顔で反応した龍麻に対し、御門は嫌味っぽく笑いかけながら説明した。

「ええ。そして、その師にあたる外法士は、半年ほど前に行方不明になっています。
噂では、外法使いの剣士と、氣を使う拳士に倒されたという話ですが、死体も発見されていません。どうしたんでしょうね、龍麻さん」

そこまで言われて、龍麻はやっと思い出した。
半年ほど前に、ある女を殺した罪で、大量の連中を―――殺したことを。
その中に、確かに老いた外法士がいたことを。
致命傷に近い傷を与えた上に放置したのが、確かに己であったことを。

止めこそは刺していないものの、ことが済んだあとに、共に居た外法使いの剣士が、空間ごと消去してしまったはずだ。

生きているはずも、実行した証拠も残っていない。
ゆえに、龍麻は、御門の目を見返して、平然と応じた。

「へー、都会って怖いんだな」


薄暗い洞窟にて、短気そうな男の怒声が響いた。

「貴様ら、不意打ちしても、ひとりも殺せなかったというのか! 無能どもがッ!!」
「そんな言い方ってないだろ! 大体、醍醐クンの相手をしながら、ボクの暗闇からの矢を避けるようなバケモノ、どうやって倒せっていうのさ!!」

吐き捨てた光岡という名を持つ男に対して、小蒔の姿をした少女が食って掛かる。
それを押し留めながら、龍麻と同じ姿の青年は、冷ややかに言った。

「調子に乗るなよ。我らの存在基盤は、既に我等自身にあるはず。貴様が死んでも影響を受けんのだろう?」
「き、貴様ぁッ!!」

光岡は歯噛みをする。
本体の力により、創り出した影たちの力の方が遥かに強く、彼の支配力は無に等しくなってしまった。
影たちがその気になれば、彼など簡単に殺せるであろう。

『影』の『本体』を憎む本能を支えに、本体を襲わせてみたものの、本体の性格の影響か、どうにも憎しみが弱い。
周囲の状況を判断したとはいえ、本体の前から退いてくる影など、影奪いたる彼でも、訊いた事がなかった。

「安心しろ、貴様の願い通り、襲ってやる。但し、我らに干渉するな。早々と師に再会したくないならば」

彼は、そう冷たく言い捨てると、皆を促して出ていった。


新宿の街を、ふたりの少女が歩いていた。
ふたりとも華やかな美人といえるタイプであり、ごく普通の様子にて、買い物をしていた。

そんな彼女たちが人間ではないなどとは、誰も気付かない。

「頭くるよねー。あいつ偉そうにしてるけど、なんにもできないくせにさ。もう要らないし、殺しちゃおっか」
「一応主なのだから、そんな事言ってはいけないわ。それに殺すほどの者でもないと思うの」

残虐性が付加されているものの、基本は、オリジナルと同じ人間関係なのだろう。
茶髪の少女のぼやきを、黒髪の少女が諌める。

物騒ながらも他愛の無い会話を交わし、ゆらゆらと道歩くうち、少女は見知った顔を見つけた。


「あ、ひーちゃん」

何気なく、あくまでも明るく、声を掛ける。

「小蒔! 違うわ!」

顔色を変えて、黒髪の少女は叫んだ。
相手からかばうように、『彼』と『小蒔』の間に入る。

「え……ッ!!」

その様子から、茶髪の少女も気付いた。
彼は、同類ではない。れっきとした人間であった。

青年は路傍の石でも眺めるような冷たい表情をしていた。
それは、影ではない本物の龍麻――黄龍へと変ずれば、己の影以外は、容易に滅せる者。

彼は、言葉も出ないほど脅えた彼女らを、しばし眺めていた。
が、やがて、興味を失ったように視線を逸らし去っていった。



龍麻は新宿駅の付近で影の少女たちと遭遇してから、特になにをするでもなく、適度に寄り道をしながら、自宅へと向かっていた。
だが、マンションの少し手前で、歩みを止めた。

「おや?」

口元に、笑みが広がる。
目の前に居るのは、彼と同じ顔をした青年。

影が先に口を開いた。

「質問があるのだが」
「いいけど、恥ずかしいから、その辺の喫茶店に入らないか? 注目集めすぎだ」

確かに周囲の空気がざわめいていた。
瓜二つな上に、人目を引く外観の青年が、向かい合っているのだから、当然ともいえるが。



「アイスティー2つ。ストレートで」
「は、はい、かしこまりました!」

龍麻は、相手に訊ねもせずに注文した。
ウエイトレスが去ってから、影が訊いた。

「なぜ彼女たちを見逃した?」
「なんだ、殺して欲しかったのか?」

龍麻は、悪戯っぽく首を傾げた。
その表情は楽しげで、言葉の内容にはそぐわなかった。

「いいや。だがその方が上策だろう? お前が影を消しても、本体が傷つくことはない。……なぜしなかった?」

嘘は許さない―――自分と同じ顔が向ける険のある視線に、彼は、軽く考え込んだ。
が、自分相手に表向きの理由を述べるのも面倒だと思ったのだろう。あっさりと顔を上げる。

「面倒な上に、不公平だろう? 俺ばっかりが苦労するのは」

真顔で酷い事を言う。
それでいて、直後に紅茶を運んできたウェイトレスには、爽やかな笑顔で礼を言う芸当を見せる。

そんな本体を、呆れた表情で眺めながら、影は一言だけ呟いた。

「最低だな」

その心からといった言葉に、龍麻が苦笑する。

「酷い謂れようだな、おい。ところで、こっちも訊きたかったんだが、どうだ? 俺の事は憎いか?」
「いや、どうでもいい」

本音としか思えない、影のはっきりきっぱりとした答えに、龍麻は複雑な表情になった。

「御門の読みが正解か。自分が性格破綻者みたいで、少し悔しいな」
「みたいではなく、実際に、お前の性格が変だからだろう。普通の影は、本体を激しく憎むらしいしな」

涼やかに紅茶を飲みながら、影は平然と断言する。

さすがに、自分自身から、そこまで言われたくはなかったのだろう。
壬生や如月が見たら、小躍りして喜んだであろうが、龍麻は本当に嫌そうな顔をした。


ひとりでお前たち全てを殺してまわるのも面倒だから――憤然としたまま、物騒なことを、龍麻は口にした。

「無難だが本人にあてる。面白がるだろうしな。本当は、京一と小蒔、葵と醍醐を互いに、というのが、一気に殺すには最適なんだが、それはどうせ、お前も考えているだろう」

無言が、肯定を物語っていた。

不意さえ撃てるのならば、能力はかみ合ってない方が望ましい。一撃で倒し、反撃を受けないという前提も必要ではあるが。

「なら、一生懸命裏をかきあうのも面倒だ。やっぱ当人同士だな。いっそ、時期も示し合わせるか?」
「それもまた面倒だ。おまけに、何故有利な点を放棄しなければならないんだ?」

そもそも位置取りにおいては、影の方が圧倒的に有利なのである。
彼らは本能的に、本体の位置を察する事が可能なのだから。

流石に、その利点をみすみすと失うつもりは無かった。


「では、失礼する」
「あ、このやろ。金」

生憎持ち合わせが無い――平然と言い捨てて、振り返りもせずに去っていく己と同じ後ろ姿に、龍麻は、鳳凰撃ったろかとの思いを抱いた。
流石に街中の喫茶店で、大惨事を起こすわけにもいかないとの常識により、なんとか思い留まったが。

そのまま影の言葉を反芻し、思案する。

本人同士。
ならば、その結末は運任せになる。

勿論本体の方が、影よりも僅かとはいえ力が強いはずである。
だが、それは本当に僅かでしかない。本体の勝率は六割程度。仲間四人、皆本体が勝つ確率は、単純に考えれば一割強。

そんな強運を信じるつもりは無かった。
確率を上げる為に、携帯を取り出し、何名かに連絡を取った。


真神の五人は、それぞれがそれぞれの場所で、互いの影と対峙していた。
尤も、皆、特殊な性格をしている為、いわゆる『己の陰との闘い』の典型的な展開となっているのは、一個所のみであった。



その一箇所では、少女が強い調子で、嗤っていた。

「キミがいつまでもそんなだから、醍醐クンだってきっと不満なはずだよ」

ボクなら、彼をちゃんと歓ばしてあげられる――少女は嫣然と笑む。
自分と同じ顔で、全く異なる表情を持つ少女の糾弾に、小蒔が悔しげに唇をかんだ。


先日の友人たちとの遣り取りを思い出してしまった。


『まだ決めてないのか?』

茶の髪を結い上げた友人は、不思議そうに首を傾げた。

『な、ボ……ボクと醍醐クンはそんなんじゃないよッ!!』

そう叫ぶと、彼女は隣と顔を見合わせてため息をついた。

『何言ってんの、傍から見たら一発なのにねェ』
『なぁ。一目瞭然ってコイツラの為にある言葉だよな』

ウンウン頷きあう彼氏持ち二人組に、もやもや感が強まる。

だって―――彼の気持ちをシラナイ。何も言ってくれないから。
だって―――ボクは自分の気持ちもワカラナイ。

……あんなにハッキリ言ってくれる彼氏がいるきみたちには、わからないよ

小さく呟くと、彼女らは顔を赤くしながらも、否定した。

『それはちょっと違うでしょ。問題なのはあんたの気持ちなんだから』
『言ってくれなきゃわからないよ――ってのは、少しずるくないか?』



「いつまでも子供のフリをして、自分からは決して動かなくて。卑怯だよ」

言い返せないと見て、さらに続けようとした影の少女は、本体の笑みを見て言葉を止めた。

それは、照れたような、はにかんだ幸せそうな笑み。
影から投げられた言葉は、確かに痛かった。が、それと同時に、ある人物のことが思い浮かんだ。

『お前は今のままが一番いい』

そう笑ってくれたのはいつだったか。

『こ、これは、由緒正しい御守りでだな―――、俺は、それをもっていた時、試合に負けた事がない』

どこか緊張した様子で、御守りを貸してくれた。


「それでも良いって醍醐クンは言ってくれた。そんなのは、個人の感覚だって笑ってた」

痛む心を救ってくれたのは、ずっと傍にいた不器用で、でも優しい人。
支え続けてくれた頼もしい仲間であり、そして――――

「ありがとう。キミのおかげで分かったよ。ボクは……」

もう力なくうなだれる事は無い。
小蒔は顔を上げ、弓を手にし、力強く宣言する。

「醍醐クンが好きなんだ」
「くッ」

苛立ちと憎悪と―――激しい感情のままに弓を引き上げた影の少女とは対照的に、小蒔は静かな面で矢を番える。
試合に臨むときのように、明鏡止水を地で行くように。




「こんなことをして、どうなるというの?」
「うふふ……何も変わらないわ」

哀しい声に、朗らかな笑みが答える。
同じ顔をした少女たちは、静かに語り合う。

「それなら、どうして……」
「私たちが貴方たちに成り代わっても、その瞬間、貴方たち本人になるわ」

――ただあいまいな記憶が出来てしまうだけ。雨の日や夜などの、影がない時の記憶が。

淡々と語る影の言葉を、葵は理解できなかった。
それならば、何故彼らはこんな意味の無いことをするのか。

「違いを知るのは、観測者だけだわ。本人は、影の間の記憶も無く、ただ曖昧な記憶を不思議に思うのみ」

それは彼らにとっては、死と同義ではないのか。

負ければ影に戻り、勝てば本人そのものになる。
彼らにとって意味などないのに。

「あ……だから」

そう考えて葵は気付いた。
意味など無いからこそ、彼らが挑んできた事を。

「そう、正解よ」

影は小さく拍手をし、微笑む。
まるで出来の良い教え子を頼もしく思う教師ように。

「迷惑なの、あの男の為したことは。殺意しか抱かない、純粋に本体を憎むだけの影ならまだ良かった。けれど、私たちは貴方たちの強大な力の影響か、明確な自我を持ってしまった」

影に戻るかヒトに成り代わるか。
結局のところ、今の自我を持つ己の行き着く先は、消滅しかないのに。

「何処かへ逃げる事もできない。影である私たちは、貴方たち本体から長く離れていれば薄れ消えてしまう」

まるで袋小路。逃れても、倒しても、倒されても、いずれにしろ待つのは意識の消滅。


『ゆえに、こいつに従う義理も甲斐も必要も無い。各自が好きに行動すればよかろう』

龍麻の影は、ぎゃんぎゃん喚く術士を蹴り飛ばし、踏みつけながらあっさりと告げた。
確固たる知性と自我を持つ存在に、消滅しかないという事実は酷だった。

だが、誰も狂わなかった。自然の消滅も選択しなかった。

短髪の少女は、本体の甘えた考え方が気に食わないから、挑むと宣言した。
青年ふたりは面白そうだから闘いたいと答えた。

お前は?

問われた時、貴方はどうするの? ――と聞き返した。

どうでもいいから、こいつの望む通りに行動するつもりだと。
望みなど無いからと。

虚無そのものの瞳で答えた青年と、限界まで共に在りたいと思った。
こんなにも虚ろな存在の基にも、会いたいと思った。

では、私もそうするわ――と彼女は頷いた。

恨みも憤りも憎しみもない。
ただ彼と共に在りたくて、闘いを選んだ。

「あなたもなの……」

葵は小さく呟いた。
彼女の決意は、まるで自分と同じだった。
異常を知りつつも惹かれ、共に在りたいと願った。

ええ――と彼女は頷いた。

「だから、付き合って頂戴」

微笑み、彼女は光を纏う。
澄みきった純粋な――朱の輝きを。




他方で、碌に言葉を交わすことなく、交戦したのは二組。

うち一組は、まるで試合を楽しむように、かすかな笑みさえ浮かべながら、闘っていた。
とがった耳に、頬に浮き出た文様という異形の姿に変わりながらも、彼らは楽しそうに笑っていた。


一組は違った。

彼らも笑いを浮かべていた。

だが、彼を知る大部分のものが見たら驚愕し、嘆いただろう。
ごく一部の者は、哀しい顔で頷いただろう。

その笑みは、好敵手と闘う高揚感などではなかった。
ただ愉悦から出たものだった。



間近を通る剣の軌跡。
紛れも無い命の遣り取り。

殺気とともに剣を振るう、凄まじい腕の
己と同じ顔をした

世界でたったひとりの――――殺していいニンゲン。


目が眩むほどに
総毛立つほどに

気持ちが良かった。


達しそうなほどの快感に、二重の意味で涙が出るかと思った。

何よりも愉しくて何よりも哀しくて。

嘗て剣を揮う殺人鬼に、告げられた。
お前たちもまた同類だと。

最も強く否定したのは己だった。

ふざけるんじゃねェと。
てめェなんざと一緒にするなと。

確かに憤慨した。

なのに、これでは否定できない。

頬を伝う血を舐めとり笑う、己の陰の昏い瞳を見てしまったら。
耐え切れないほどにそれを殺したくなる、己の昂ぶりを感じてしまったら。



肉が削れる度に、常識も削れていく。
血が流れる程に、理性も流れていく。


影と本体だとか、術士の復讐だとか、そんな事情は全て忘れていた。
目の前の存在を殺すためだけに、彼らは剣を揮っていた。




最後の一箇所の展開は、全てと異なっていた。

共感が結ばれるでもなく。
影と本体が対峙して――だが、敵意も熱意も殺意もなく。

ただ空間に圧力だけが増していく。

局地的な大地の鳴動を受け、ふたりの髪が伸びていく。
金に染まった瞳を細め、龍麻は他人事のように薄く笑った。

「そっちが残ったら、あいつらの事よろしくな」
「普通は、何があっても勝つなどと言うのではないのか?」

影の呆れた声に、龍麻は笑って答えた。

「それでも、お前の方が本体になるだけの話だろう? まあ、それはそれで良し」


目を細め、自分と同じように弓を構える少女の姿だけを見ていた。
集中するにつれ、可視範囲は狭まっていく。
背景はおろか、手足さえも切り捨てられ、視界には相手の胸元だけが映る。

ゆるりと糸を引き、彫像のようにピタリと動作が停止し、呼気が鋭くなる。

「「九龍烈火ーッ!!」」

彼女たちは同時に刮目し、矢を放った。



共に主天使の護りを纏いながら、彼女らは同じ詠唱を始めた。
その背に、翼を象った光が集うのも同じ。色だけが異なる。

白の翼と紅の翼を広げた彼女たちは、同時に呪文を完成させた。

「「織天使の紅」」



「終わりだ」

止めのはずであった。
背後をとり、あとは裂帛の気合を叩きつけるだけのはずだった。

「ガアアァッ!!」

苦し紛れに振られた影の腕が、偶然に近い形で醍醐の腹部にめり込む。
巨体が冗談のように吹き飛ばされ、木に叩きつけられた。

「ぐぁ……な!?」

思わず咳き込むが、ゆっくりと苦しむ時間も無かった。
獣の如き動きで間合いを詰めた影が、その豪腕を振り下ろす。

咄嗟に醍醐が飛び退いたのと、影の腕が樹木を叩き折ったのは、ほんの少しの差であった。
若木などではない。幹の太さは二メートル近くあろうかという木を、ただ腕の一振りで。

戦慄が走ると同時に、喜びも湧き上がるのを感じた。
悪い癖だとは思いながらも、醍醐は笑みを消せなかった。

それは影も同じ。
獰猛な、それでいて爽やかな笑いを湛えたまま、彼らは互いへ走り寄る。

「「猛虎連爪ーッ!!」」

最大の技を行使するために。



互いの刃を掻い潜り、互いに刃を叩きつける。
飽きることなく、それを繰り返し、近付き遠のく。

永劫に続くかと思われた反復は、京一が腿に、影が膝に傷を負った時点で止めざるを得なかった。

悦びから、彼らは共に痛みなど感じていない。
それでも足に損傷があれば、自在に動く事は叶わない。

「ちッ、折角……愉しかったのにな」
「全く残念だ」

影に引きずられたのか、元より彼は陰を内包していたのか。
まるで同じ凄惨な笑みを浮かべた後、ふたりは踏み込めば届く距離で静かに佇んだ。

「「陽炎、細雪ーッ!!」」

気合と共に、同時に足を踏み出す。
目の前の存在を消すために。


投じた矢は無数の火矢へと変わり、中央で相殺しあった。

無論全てが相殺し合う訳は無い。
幾本かは、互いの身体を掠める。

そして、一本が影の少女の胸を貫いていた。

信じられないといった表情で矢を睨んだ彼女であったが、やがて膝が折れ、ゆっくりと後方に倒れていった。
但し、その身体は地面には激突しなかった。
吸い込まれるように、消えていった。



渦巻いていた炎が薄れていく。

葵は己に傷が無い事を確認し、それから慌てた様子で前方に目を向けた。

影絵のように、存在の薄くなった少女は微笑んでいた。
戻っても、また彼と共に在ることができる。だから、これでいいの――と。

彼女は色を、輪郭を、姿を失い、消えていった。



鋭い爪が頬を深く裂いたらしく、熱を持つのを醍醐は感じた。
縦に裂けたそれに左手を当て、口腔まで達していることに流石に驚いた。

尤も影に比べれば、遥かに傷は浅いだろう。
彼の右手は、影の胸板を半ば貫いていたのだから。

血の気の引いた顔で、それでもなお笑い、一言だけ告げて、影は消えた。



昂ぶりに麻痺していた痛みを感じ、京一は眉を顰めた。
腕やら足やら、細かな傷は、数え切れないほど存在した。

一際ジクジクと強く痛むのは、今も刀を食い込ませたままの右肩の傷。
だが、鎖骨までは達していまい――奇妙に冷めた心で、彼はそう判断した。

この状況は、力を入れられれば危険極まりないのだが、袈裟切りに――右肩から左腹部まで斬られた影にそんな余力はないだろう。
だから避けることもせず、倒れてかかってくる影をそのままにまかせた。

重なった身体はぶつかることなく、影は吸い込まれるように京一の中へ消えていった。
血も同様に吸収されたのか、返り血にまみれていた箇所もなくなり、裂けていた傷口も塞がっていく。
影の使っていた刀も、手品のように消失した。


彼らは気付かなかった。
ほんの少しだけ、影の力を逸らした存在がいた事を。

「成功〜。うふふ〜、何をしてもらおうかしら〜」

影の葵の術に、少しだけ闇の召喚術をぶつけた小柄な少女はほくそえんだ。


「龍麻さん、完了いたしました」

小蒔の本体の方から、たった一本だけ矢を射った黒髪の少女が、そっと息を吐いた。


「何をさせようかな」

四神の主たる力で、影の白虎の力を僅かに弱めた細身の青年は、最初の少女と同じ意味の事を、違うニュアンスで呟いた。


「これは、本来僕がやることなのか? それにしても――本当に危ういのだな、彼は」

斬りこむタイミングを計り、その瞬間、京一の影の足元を僅かにぬかるませた青年が考え込む。


真神の四人と、その補佐をした四人は、彼らのリーダーが闘っている場に自然と集った。

御門や村雨、劉ら今回関わった者たちが見守るその場所へ、まず補助していた四人が、そしてそれから闘っていた四人が到着した。

「ひーちゃんは、どうなった!?」

着くなり問いただした京一に、先に居た者たちは、無言で指し示した。


その顰められた顔を怪訝に思いながらも、京一たちは覗き込んだ。
そして、彼らの表情に納得した。

絡み合い喰らいあう二匹の黄龍が、そこにいた。

長髪をなびかせた金の瞳を持つふたりの闘いは、迅さ、そして一撃一撃に込められた氣、全てが尋常ではなかった。喰らった傷さえもが、瞬時に再生する。

血飛沫が、それだけではない何かまでもが飛び、だが、それも元に戻る。
気持ちの良い光景でないことだけは、確かであった。


絶句した京一に、唸るように醍醐が言った。

「今まで見た中で、一番酷いのは、壬生と龍麻の闘いだと思っていたが、これは……」
「僕だって、紫龍になればあのくらい可能ですよ」

そこで憮然と口を挟んだのは壬生らしいといえるが、彼なりに心配しているのだろう。
龍麻たちから、一瞬たりとも目を離さずにいた。

「大体、どっちが本体なんだ?」
「わかりません」

醍醐の問いに、壬生が答えた。
皆の視線が集中する中、彼は続けた。

「あれほどの迅さで動かれては、僕でも判別がつきません。
それに、龍が制服で闘っているのは、わざとでしょう。どちらが本物かわからないように」

そうは言ってはいたが、最初に判別がついたのは、やはり壬生であった。

「ああ、今殴った方が本物です」

全員が、必死で凝視し、まず如月が、次いで醍醐が納得した。

「そのようだね。これはいけるかな?」
「ああ、おそらく」

安堵の表情で頷きあう四神の会話に、残りの者たちが首を傾げた。

「おい、どう違うんだ?」
「わかんねェよな……」

これは、村雨と京一。
彼らには、いや対の存在と眷属以外には、まだまだ区別がつかない。


それでも時間が経つにつれて、全員の目にも違いがわかるようになった。
激突を繰り返すうちに、片方の傷の再生速度が遅くなってきた。それが偽者と――影ということ。

膝蹴り、中段蹴り、その足をついて軸とした回し蹴り。
流れるように舞った影の連撃を、龍麻は飛び退き、躱し、そして左上腕で受けた。

鈍い音が響いたが、彼は構うことなく、溜めていた氣を、至近距離から放出する。

「秘拳・黄龍」

影が吹き飛ばされ、瓦礫に激突する。

しばらくの間、だらんとぶら下がっていた左手であったが、龍麻が数度軽く振るうと戻ったようだ。
今もまだ動かない影に向かい、彼は歩き出す。


対してこちらは身動きが取れないのだろう。

だが、影は焦る風でもなくただ、近付いてくる本体を見ていた。
その瞳に、影であれば有するはずの憎悪や怒りという感情はなかった。

龍麻の方も、負の感情は全く感じさせず、世間話のように、気軽に言った。

「記憶をよこせ。邪術士の顔や力や居場所全てを」
「その辺りは、さすがに本能が拒否するのだが」

平然としていたが、創造者による束縛が襲ってくるのだろう。
影は、わずかにとはいえ、顔を歪めて答えた。

しかし龍麻は、相手の苦痛には頓着せずに、そんなものはねじ伏せろと、あっさりと断じた。

「憎んでいるわけでもなく、京一たちのように、闘いたいわけせもなく、純粋に使われたわけだろう。許せるのか? こんな面倒事に巻き込まれて、痛い目にあって、そして、そんな下らぬ輩に創られたことを」

黙った後、影は怒りをにじませて答えた。

「許せるわけないだろう。不愉快極まりない」
「だろう? それに、お前が許そうが、私が許さぬよ。影――自分の一部分が、そんな扱いを受けることを」

頷く本人は、倣岸そのもの。
だが、それは紛れも無い本音。


「なんつー会話だ。すっげェ、ワガママ」
「そういう奴だよ」

呆れた様子で呟いた京一に、如月が当然の事だと肯定する。
その横では、壬生がしみじみと頷いていた。


手を差し出し、龍麻は命じた。

「消滅させる気もない。戻れ」

本体の傲慢な言葉に苦笑しながら、影が手を伸ばす。
彼の輪郭がぼやけていく。

影を吸収し終わった龍麻は、立ちあがって呟いた。

「なるほど、こうやるのか」


光岡が苛つきながら待っていると、入り口の方から響いてくる足音が聞こえた。
気配が近付いてくる。

ようやく戻ってきた一体に、光岡は苛立ちをぶつけようとした。

「遅いぞ! どうなった……」

しかし、怒号は、途中で勢いを失った。
相手が自分の創った存在ではないことに、気付いたゆえに。

「影は全て影に」

緋勇は、静かに告げた。

恐怖のあまりに、光岡は気が遠くなった。
師がどのような死を迎えたか、そして実行者は誰か、使い鬼から聞いていた。
自分の身に、直接降りかかってきた悪夢に震えながらも、必死で命綱たる符を胸元から取り出した。

「近寄るなぁ! この符を破れば、私の使い鬼が、貴様の仲間の家を襲うぞ!」

緋勇は、動きを止めた。
その様子を見て、光岡は、ようやく威勢を取り戻す。

「ははは! どうだ。力の強弱なぞ関係ない。どんな手を使っても勝てば良いのだ」

だが、緋勇は、慌てたふうもなく笑って頷く。

「その意見には賛成だ。貴様如き小者のつまらぬ目的の為に創られたことは不快だが、面白い者の影である事がわかった。……良しとしよう」

その笑いは、散々彼を虚仮にした、『影』のものと同じ。いや、そのもの。
そして、その言葉の意味するところは――

「まさか、貴様、影なのか? だが、私が創った存在では……これは『影使い』か!?」
「ご名答」

声は、背後から聞こえた。
光岡の首筋に、そっと符が張られる。

途端に、全身を見えない何かに拘束される。
声は出せる、だが動く事ができない。手にした符を破くことさえも。
力も封じられて、呪言を紡ぐ事もできない。

「御門家当主特製の呪縛符だ。貴様なんぞ、動く事さえできまい」

背後の男が、嘲笑う。
目の前の男と、同じ声、同じ嘲笑。

響いてきた足音は、当然の罠。
彼は、足音など立てずに歩ける。気配など、完全に消せる。

全ては本体が、後ろに廻りこむ為の罠。

「私とは、はじめまして……だな」


洞窟の入り口に、今回の事件に関わった者が全員集まっていた。

影を記憶ごと吸収した龍麻は、髪と瞳を元に戻すと、その場にいた仲間に何も告げずに逃げた。
邪術士に報復を与えに行く事は、龍麻の性格上容易に予想ができていたので、御門の符を持たせていたのだが、それごと気配を消してしまった龍麻を探すのは困難を極めた。

御門が符を、壬生と如月・醍醐が龍麻を、探知するのに有した時間は十分弱。
龍麻が、人ひとりを半殺しするには、十分すぎる時間である。

探知した先の洞窟は、全体が結界に覆われていたため、誰も入る事ができず、ただ待っていた。
御門ならば、解けるのであろうが、彼は『面倒。それに彼がやられるわけがない』と主張して、一切手を出さなかった。



「結界が崩れますよ」

突然、御門が口を開いた。

「術者がやられたということか」
「術者が"殺"られたのでなければ良いのですけどね」

如月の呟きに、壬生が無表情のまま肩をすくめて返す。
その物騒な言葉の内容に、皆が仰天して入り口をみつめる。


ズルズルと、何かを引きずるような音が、だんだんと近付いてくる。
確認できる距離まで、男がやってきた。

「おや、みなさんお揃いで」

ボロボロの赤い雑巾のようなものを引きずりながら、龍麻があっけらかんと言った。
メンバーの中でも、比較的まともな神経を有するものは俯き、その惨状から目を逸らした。

まともな神経など持ちあわせていない御門は、塊を凝視してから、龍麻に非難の眼差しを向ける。

「龍麻さん。それは生きているのですか? 裁けるようにと伝えてあったはずですが」
「ちゃんと生きてるよ、失礼だな君は」

むっとした顔で応じると、龍麻は首根っこを掴んで、持ち上げた。

たしかにその赤い塊は、僅かではあったが痙攣していた。
一応の生存を確認し、御門は溜息をつきながら、呼び寄せた十二神将に、光岡を運ばせる。

それから、嫌そうな顔で問うた。

「それで、影使いは自分の意志でできるようになってしまったのですか」
「『しまった』ってなんだよ。まあ、大体できているみたいだ。ほら」

龍麻の姿がぶれて、二人分の輪郭が重なる。
嘗て紫暮が彼らに見せた能力と同じ二重身――ドッペルゲンガー。

その場に居た仲間が、一斉にため息をついた。

これ以上、こいつに力を与えてどうするんだ――それが、彼らの脳裏に浮かんだ共通の想いであった。


皆の切実な焦りに気付いているのか、いないのか、呑気に龍麻は、御門に訊ねた。

「なんかさ、意志の無いバージョンと、勝手に考えてくれるバージョンが出せるんだけど、制御はどうすれば良いんだろう。お前と紫暮、どっちに習うのがいいのかな」
「おそらく紫暮さんでしょう。彼なら術でなく、技的な概念で使えるように、教えてくれるはずです。氣と同じ要領で使えるでしょうから。私だと、符や呪言を媒体とする事になってしまいます」

それはそれで似合いそうだな―――などと腕組みをしながら呟いていたが、やがて首を横に振った。

「咄嗟に出せないと辛いから、やはり紫暮だな。そのうち頼んでおこう」

結論付けると、龍麻は何名かに、視線を遣った。
向けられた数名は――影の力を弱めるよう頼まれていた四名は、小さく頷き、本体の方が残ったことを目で答えた。

一名だけ浮かない顔の人間が居た為、龍麻の目つきが鋭くなりかけたが、彼は慌ててそうじゃないと小さく口にした。

本体が残ったのは確かだ。だが少し気にかかることがあって、それは後で話す―――と。

怪訝そうながらも、龍麻は頷いて承知し、視線と意識を後方に向ける。
面白そうな遣り取りが聞こえてきたために。


「醍醐クン、ちょっといいかな」

自分から動かなくって、ただ待つことしかしていない。
卑怯だと言った影の少女の言葉を、もっともだと思ったから。

それは、悦ばせる……などではないけれど。
自分から告げるくらいは、踏み出しても良いと思ったから。

「あ……ああ。俺も、お前に伝えることがあったんだ」

影の青年は消え去る時に、『あいつを頼む』と優しく笑っていた。
『あいつ』とは、親友であり宿星的に主である相手でも、親友の剣士のことでもないだろう。

今にも火を吹きそうな程に、顔を朱に染めたふたりが、下を向いたままぼそぼそと言葉を交わす。

あまりに分かりやすい彼らの反応に、その場にいた全員が当然のようにこれからの展開を察した。羨ましそうに見る者、優しく見守る者などなど、反応は様々だった。


無意味かと思えた邪術士の行動も、成果があったなと、赤面したふたりを眺めながら、龍麻は小さく笑った。

己は新しい能力を得たのだし、煮え切らなかった恋人未満の背を押したのだから―――と。


そう、邪術士の復讐は無意味ではなかった。
想いを確認できたのは、彼らだけではなかったのだから。

薄々勘付きながらも目を逸らしていた己の暗部を、『彼』は目の当たりにしてしまったのだから。

「へへッ、熱いのは後でふたりきりの時にしてもらって、今はラーメン食いにいかねェか」

それでも彼は、陰を押し潰す。
この場の極上の獲物達に襲い掛かりたいという衝動を、彼らは大事な仲間であるという今まで信じてきた、そしてこれからも信じるべき信条にて押さえこむ。


「京一ッ!! 違うってばッ!!」
「いや、俺としては、違わんつもりだが」

叫びを中断された小蒔は、しばらく呆気に取られ、そしてその言葉の内容を理解するにつれて固まった。
今までも十分過ぎる程に赤かった顔を更に染め、硬直したような彼らをにやにや笑いながら眺めていた京一であったが、不意に軽く醍醐の頭を叩くと、歩き出した。

「ほら、さっさと行くぜ」

あーあ、これで俺だけが一人身か――などと呟きながら、皆を先導するように。

微笑ましい彼らが、見守る皆が、大切であることを再認し、京一は軽く頭を振った。

だからこそ、そう遠くない未来、彼らの前から去るべきなのかもしれないと、寂しく想った。


『楽しみにしててやるぜ……。てめェらが、俺と同じ側に来る日をなァ』

いつか訪れるであろう刻。

彼らを――

『ええなー、うらやましーわ』などと羨ましそうに囃し立てる小柄な剣士を

『おめでとう。長かったね』と馬鹿にしているのか祝福しているのか不明な皮肉屋な忍者を

『どれほどの期間、あの膠着状態だったんですか?』などと真顔で尋ねる暗殺者を

『ええい、ほっといてくれッ!!』と血が上った様子で応じる白虎の力を宿した親友を


『良かったじゃないか。幸せで』と笑う、王たる資格をも持った親友を


殺したくなる前に。

影と同じ昏い笑みを湛えて、彼らの前に立つことがないように。