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「わいはやっぱり雛乃はんやな〜。あの黒いサラサラの長い髪、大和撫子そのものの振る舞いと芯の強さ」
「へッ、分かってねーな。今の時代は、一見気が強そうで、実は可愛い人がいいンだよ」

うっとりと呟いた小柄な青年の言葉を、髪を逆立てた金髪の青年が笑う。

龍脈に選ばれし者との大層な肩書きを有する彼らは、偶然から男連中のかなりの部分が集まり、結局、残りの連中も電話にて呼び出され、男全員が揃っていた。

ちなみに会場は、青筋を浮かべた青年が営む骨董堂である。

「誰の事だ?」
「ひ、秘密だッ!!」

酒混じりの歓談であった為、議題はありきたりな所へ到着した。

端的に述べると――――

『誰が好みか』

「そういえばさ」
「ひーちゃんには語る資格はねェからな!! くーッ、美里みたいな美人と、上手い事やりやがって」

何かを言おうとした青年の言葉を遮り、できあがっているらしい赤毛の青年が木刀を振り回しながら叫んだ。
慌てて避難したその他の周辺の人物とは異なり、彼は顔を顰めて避けて、ゴスッと音が鳴る程に赤毛の青年を拳骨で殴りつけ黙らせる。

徐に、ぐいのみに入っていた日本酒を、水のように飲み干して、遮られた言葉の続きを口にした。

「舞子は偶にだけど、誰よりも大人びた綺麗な表情の時があるな」

ま、俺は葵に確定しているが――と続けた彼の顔には、僅かな赤みすら差していない。
大部分の者たちは、そのことに恐怖の眼差しを向けながらも首を傾げた。

舞子――高見沢 舞子は、美人ではある。実は色っぽくもある。だが、『大人びた』という言葉が、似合わないにも程があるだろうというのが、仲間大部分の共通認識。

それゆえに深く皆の印象に残った。

少し離れた場にて、冷めた目で静かに茶を飲んでいた、長髪の青年の心にも。


春惜月

――――ハルちゃん、いいんだよ〜。哀しいときは、泣いたって


仮眠から目を覚ました長髪の青年――御門 晴明は、軽く頭を振った。
遥か昔の出来事を、今更夢に見たことを訝しみながらも、記憶から追い出す。大人びた―――そんな言葉では表現できないほどに、早熟であった彼にとっては、忌むべき記憶であったから。

同世代の分家筋の少女の前で、涙を見せたことは。


肩に掛けられていた毛布を畳みながら、慣れた気配を探り首を傾げる。
他に、この空間に存在するであろう人物のうち、友人がするはずがない。主も、二階には滅多にやってこない。
そして従者たちのなかで、『命じ』られていないのに、このような行動をとることが可能な者は、ひとりのみ。だが、その気配は今は近くに存在していなかった。

階下に下り、丁度出くわした友人に、御門は尋ねた。

「芙蓉を見ませんでしたか?」
「さっき藤咲の姐さんたちが呼びに来ていたから、どっか遊びにいったんじゃねェのか?」

友人の軽い言葉に、御門はわずかに眉を顰めた。

「たまには良いじゃねェか。今日のマサキの護衛なら、俺の番だろ?」

弁明するような友人が、『彼女』を妙に気に入っていることは、御門にも分かっていた。それでも、こんなにも表立って庇うとは、意外であった。

「あの三人は、霊的に輝きが強すぎて危険なのですよ。なのに、藤咲さんはまだしも他は身体的な強度は脆くすらある」

現在の東京は落ち着いているから安全だと思われますが――と結んだ御門の渋面が、友人には気になったらしい。

「平気だってんなら、お前も羽を伸ばして来いよ。んな思いつめた顔をしてねェで」


ぶらぶらと街を歩いていた御門であったが、僅かに顔を顰めて立ち止まる。彼はそもそも喧騒が好きではなく、また能力の性質上においても、人ごみは鬼門な為に。

ごったがえす喫茶店で休む気にはなれないし、ファーストフードは彼にとっては論外。結果として、目に入った書店を選択した。

近隣ではかなりの規模であるその書店にて、彼は足を止めた。

見覚えの有る人物が、秀麗な表情で本を手に取り、悩む素振りを見せていた。
それは中々絵になる光景ではあったが、問題はそこがホラーコーナーであるところだろうか。

「真剣な顔をして、何を悩んでいるのですか、貴方は」
「ああ御門、久しぶり。いや、これ買おうかどうしようか考え中」

彼――緋勇 龍麻が手にとっているのは、ホラーでありつつも、ミステリー要素をも含んでいると評判の作品であった。
そもそも作品に、外れが無いと評価の高い作者のものであり、御門自身が読んだ際も、その評価に納得したものであった。


「それは中々楽しめましたよ」
「う〜、お前でもか。たださ……ネットで調べたら、大抵の人が『面白い……蟲が苦手でなかったら』って書いててさぁ。俺……苦手なんだよな」

ほんと異口同音ってのを実感したぞ――と、彼は顔を顰めて続けた。
意外であった。抱いた感想を、御門は素直に口にした。

「それは驚きましたね。てっきり、血だろうと内臓だろうと目玉だろうと脳漿だろうと蟲だろうと気にしない方かと思っていましたよ」
「うわー、俺の脆弱で繊細な小鳥のような心が傷ついた。まあ、確かに最後の以外は気にしないけどさ。どうも蟲は綾辻以来トラウマなんだ」

前半部分のたわ言はともかく、後半部分に対し、御門は、ああ――と頷いた。確かにあのカマキリの中身の話は、御門でもクるものがあった。

結局、今回は止めておくとの結論に達した緋勇は、レジへ同作者の人肉喰い描写のある作品を持っていった。アレが平気ならば、蟲も平気だろうにと、御門は首を捻りたくなったが、緋勇の中では、歴然と段階があるらしかった。


「それにしても珍しいな、こんな半端な時間に芙蓉も連れずに。今日は非番か?」
「非番……。まあ、そういうことになりますが」

戻ってきた緋勇のなんだか間違っている言葉に、御門は一応頷いた。そして、ここ数日の悩みの種の名を出されたことで、わずかに顔を顰めて続ける。

「芙蓉は、……遊んでいます。藤咲さんたちと」
「複雑そうだな。父親の心境か?」

あくまでも軽く肩を竦めて。冷やかすような言葉とは裏腹に、その瞳は哀しげで、きちんと心配事の内容を理解しているであろうことが御門には分かった。
だから――危惧を正直に口にした。

「芙蓉は、あれほど優しくされ、親しい友と認められたのは、初めてでしょう。ですが、彼女は永遠に在るのですよ」

藤咲にも高見沢にも、寿命がある。
ショッピングにカラオケにと連れまわす彼女たちは、いつかいなくなる。芙蓉にとっては、瞬きほどにしかならない年月が過ぎれば、確実に。

それは残酷ではないだろうか。人の情を知り、人の如く扱われ、友として認められた芙蓉。
己が次代に継がせた後、彼女は再び符として扱われる。

必要に応じて召喚されるだけ。
命を与えられるだけ。

いっそ感情など知らなければ良かったと、彼女が永劫に苦しむことがないと、誰が断言できようか。


「知らなければ幸せ。期待しなければ、哀しむことはない。それは、賢い考え方かもしれないが、全ての人間に――ああ、違った。全ての存在にとって真実とは限らんさ」

思いのほか静かに、緋勇が口にする。
賢くない方が、真摯に生きているということだろう? ――と、彼は首を傾げる。


俺は賢い派だがね――とどこか寂しそうに笑った緋勇と別れ、彷徨ううちに御門は失態に気付いた。
輝かんばかりの霊圧は、藤咲たちだけではない。正統なる陰陽師の棟梁である彼も同じこと。

そして、供も護りもつけぬその存在がどれほど魅惑的なのかを理解していたのに、夕暮れの雑踏の中を歩いてしまった。

黄昏――それは、光と闇の境目。あやふやな境界の中、魔たちが活動を開始する刻。

ぞわりぞわりと、闇が視界を侵食していく事態に、御門は小さく舌打ちした。見れば、通行人にも、不安そうにそわそわと周囲を見回す者達も居る。
勿論彼らは、常人の中では鋭い感覚を持つ方なのであろうが、力を有さぬ人々にすら感じ取れるほどの怪異だということだ。

祓うにしろ引くにしろ、周囲に人の数が多すぎる。
選択肢はそもそもなかった。戦術的には、最悪でしかないが、御門は路地裏へと足を踏み入れ、同時に人払いの結界を展開した。


あまりに整ったシチュエーションに、御門は苦笑した。
隣りには、小さな教会。なにかの会の最中なのか、賛美歌らしき歌声が聞こえる。少し戻れば繁華街。人通りもざわめきも感じる。

なのに――路地裏だけが、別世界。ここで起きることは、外へ影響を与えない。音も気配も漏れない。助けなど有り得ない。そんな絶対の孤独の中に、更に集いだした霊団が、ずるずると這い入ってくる。

「まったく……、群れるのがお好きなようで」

とにかく数が多すぎる。
一体一体は雑魚に過ぎないが、こうも散らばられては、術の的も絞れない。

固まってさえくれれば、ある程度の術で容易に滅せられるというのに、これでは出の早い術で、襲い掛かって来たモノから、片っ端から滅ぼすしかない。


御門が諦観に近い決意を固めるのと同時に、ぶわりと巻き上がったのは霊団の殺意。
飽くなき執念に彩られたモノたちが、堪えきれずに押し寄せる。這い寄るおぞましい光景に対する御門の反応は、顔色ひとつ変えずに、符を放つことのみ。

呆気なく炎塊と化したそれらが、苦し紛れに放った力が、僅かに防御結界を裂き、御門の頬を薄く薙いだ。

炎塊の消滅を確認後、頬の傷に手を当てた彼は、この危機は命に関わるほどではないと、他人事のように判断を下した。無論、これからもかなりの細かい傷を負う。更に問題点を挙げるならば、相当の時間を必要とする。

だが、これは彼にとっては慣れたこと。長時間の集中も、傷を負う事も、苦には当たらない。


血に塗れ、髪も服も乱しながらも、その面は静かなまま。

着実に数を減らす霊団を、冷静なままに見据えていた御門の顔に、始めて動揺が走った。危機ではない、むしろ彼にとっては助かること。だが、望ましいことではない。

隔離されたこの空間へと、一直線に近付いてくる輝く氣たちには、覚えがありすぎた。

「あ、やっと分かった。ここよ、ここッ!!全く……なんて精度の結界を張ってるのよ。探すだけでも疲れちゃった」

呆れた様子で、平然と最高度の結界内に足を踏み入れてきたのは、先の事件にて女神の力に目覚めた女性。おかげで、戦闘能力としては、下から数えた方が早かった彼女は、今では最上位クラスに在る。

続いたスーツ姿の美女が、柳眉を逆立ててその力を奮う。偽装は弾け、本来の姿である薄紅色の衣を纏い、舞うが如く、術を行使する。

「晴明さま、お怪我を」

異界の舞姫たる彼女の力に、一般の霊たちが怯えたようにざわめくさまを確認し、御門は鷹揚に頷きながらも眉を顰めた。

彼女らふたりならば、まさに援軍。だが、もうひとり共にいるはず。その少女は、戦闘能力に限るのならば、最下位クラスのはずだ。そして、霊位としては最高級。

要は――――最高の餌。


御門の危惧も知らず、彼女も芙蓉の背後から姿を現した。途端に霊団を走ったのは歓喜の念。輝かしく弱いその魂に、涎を垂らさんばかりの食欲を催して。


「大丈夫だから――もう止めて」

彼女が微笑んだ先は、御門ではなく霊団。
新たなる極上の獲物の登場に、狂喜する者たちに対して、手を広げて微笑む。

退魔でなく、滅魔でもなく。
ただの微笑みに、霊たちは動きを止めた。戸惑い、困惑する。それは妄執に憑かれた霊たちには、ありえない感情の動き。


   ―― 御母マリア 身も心も ――

まるで舞子を称えるかのように、隣りの教会から響く歌声を、御門は聞いた。

   ―― 君を望み とこしなえに奉げ祭る ――

「もう苦しくないのよ。もう震えなくていいの」

   ―― 御恵みこそは清き慰め ――

霊的な護りすら布かず、彼女は一歩踏み出す。
憎悪と飢餓とに満たされていたはずの塊たちが、更に動揺したようにゆらめく。

   ―― 輝かしき君が冠 ――


「ちょっと、舞子!!」
「高見沢様ッ、危険です!!」

止める友人たちにふわりと笑み、彼女は歩み続ける。

  ―― 麗しき君が笑顔 ――

淀んだ瘴気の塊に、堕ちた魂たちの集団に。
躊躇無く近付き、その身を委ねる。

「ね。もう――眠ろう」

  ―― ああ我ら 深く慕い奉る ――

淀んでいた闇が晴れる。
歌とシンクロするように、舞子の光が闇を祓う――いや、霊たちを包み、癒す。



信じられないものを見た。
消えていく霊たちが、舞子に礼をし、そして微笑んでいた。

有り得ない。御門が知っている祓われる霊たちの反応とは違いすぎる。足掻きもがき、そして最早どうしようもないと悟ると、施術者または未練の対象者を睨み、恨みがましく消えていくのが通常の反応。

昔、同業者と話したことがあった。
解放してやっているというのに、怨念から救ってやっているというのに、霊の反応は、怒りと恨み。妖を滅する際なら仕方も無いが、嘗て人であったモノを、いわば癒してやっているというのに、切ない礼だと、相手も愚痴っていた。

怨まれるのが普通。己が身を危険にさらして癒そうとも、憎まれる。
それが除霊だと思っていた。



後始末をと、傷の残る身体で術を行使しようとした御門は、同時に叱り付けられた。

「馬鹿言ってんじゃないわよッ!! そんなの、あたしがやっとくから、さっさと休みなさい」
「御身体を癒すのが、先決だと判断いたします」
「ダメ〜、そんなに血がいっぱい出てるのに」

三人同時というのは、中々へこまされるものがあった。
きっぱりと断言する藤咲に、丁寧ながら有無を言わさぬ芙蓉に、実は怒っているらしい舞子。

何ともいえない迫力に押されて、御門は彼女たちの指示するままに従った。
淀んだ場の始末は藤咲に任せ、補助として芙蓉を付け、そして舞子に手を引かれ、落ち着ける場所――――新宿中央公園と、連れていかれた。


今日はカラオケに行った後に、ショッピングをしていたと、楽しげに語る舞子に、御門はどこか疲れた表情で頷いた。
そいうえば、雄々しげに真なる姿を顕現していた藤咲と芙蓉の和装の腕に、ルミネと京王と、その他様々な紙袋が掛けられていたことを思い出してしまい、もう一段階疲れを感じた。

だが、微笑みながら今日の出来事を語る舞子の額に、ふつふつと汗が生じることに気付いた御門は、眉を顰めて首を振った。

「高見沢さん、それほど無理をなさらずとも。私にも癒しの力はあります。少し回復したら自分で――」

あれだけの霊を成仏させ、そして今また、高度の癒しの術を展開する彼女が、楽なはずはなかった。

「だめ〜」

迫力の欠片もない声で、コツリと御門の額を叩く。
精一杯、怒っていることを示そうというのか、腰に手を当てて『彼女にしては』きつい眼差しで睨む。

「幽霊さんがつけた傷は、治りにくいんだから。いくら御門くんでも、ダメ〜。あんなに頑張ったばかりなのよ」
「ですが、それは貴女とて――――ッ」

だが、抗弁は遮られる。
不意に生じた突風と、巻き上げられた桜の花びらと、満面に浮かべられた舞子の笑みによって。


「舞子、春がだ〜い好きッ! あったかくって、お花もい〜っぱい咲いて……」

言い争っていたことなど忘れたかのように、舞子はいまだ空を舞う花びらに手を差し伸べて笑う。

気楽というか無邪気というか――と、御門は内心にて苦笑した。仲間内でも、彼女に対しては、特に苦手意識が強い。尤も、彼にとっては、苦手でない仲間の方が、少ないのであるが。

悪気はないのであろうが、彼女は人の心に入り込む能力がある。それは利点であるが、同時に欠点ともなりうる。特に、御門のように、強固な障壁を敢えて築いている人間にとっては、致死の武器にすらなる。

今も――それは発揮された。

「それにね、いつも寂しそうな幽霊さんたちも、桜が咲くと、とってもうれしそうにしてるんだよッ!」

明るい笑みのままに続けられた言葉に、御門は息を呑んだ。
彼は、そんなことは考えたこともなかった。彼にとって、幽霊とは理を外れ、人の世に執着する祓うべきもの。同じモノを見て、似た力を持つのに、この癒しの少女と自分の間には、とてつもない距離が開いている。

そのとき通りがかった浮遊霊に対し、舞子はふわっと笑みかけた。一瞬戸惑った霊が、おずおずと笑み返す様を、御門は驚愕の眼差しで見ていた。今の霊は、哀しみや苦しみに縛られた霊ではなく、怨嗟の念によりこの世残った霊。笑みなどとうに忘れているはずのものが、それでも笑うなどとは。

「貴女は……きっと気付いてはいないんでしょうね」

御門の呟きに、舞子は小さく首を傾げた。舞子何かヘンなことした? と、本当に不思議そうに。
気にしないで下さいと首を振り、御門は声には出さずに、呟いた。

貴女のその笑顔が、ただ、それだけで―――、どれだけ多くのものを、救っているのかということを。


舞子の霊力は、相当に高い。素質だけであれば、己とすら張るかもしれない。
だが、彼女に無用な気負いはない。祝詞でもなく呪言でもなく、ただその心をそのまま言葉にし、微笑むだけで霊に己の意思で成仏する事を決心させられる。

「ねェ、御門くん―――。わたしね、幽霊さんたちの声、ちっちゃい頃から聞こえてたの。それが、当たり前なんだって、ず〜っと思ってたの」

同じだ。皆もこの光景を見ているのだと思っていた。皆が哀しみを、苦しみを、無念を、語り掛けられているのだと思っていた。
それが誤りであることを知ったのは、いつだったろうか。

「でも―――、聞こえてたのは舞子だけで、他の人にはわからなかったから、みんなに『変な子』とか、『ウソつき』って言われて、いつのまにか、一人ぼっちになっちゃって」

境遇まで似ていた。
御門家は元より、そういう家系。見えざるものを見て、理から外れたものを戻す。陰と陽の均衡を保つ役割を担う。

だが、その中でさえ、彼は異端であった。高すぎる素質。強すぎる意志。
かの大陰陽師以来、鬼神を一度に使役できる者は一族にすら生まれなかった。彼が生まれるまで歴代当主の使役可能な最高数は、十体であったとか。

御門が十二体全てを一度に使役できるようになったのは、確かまだ八歳であった。そのときの父親の顔は、今でも覚えている。歴代でも低めな能力である父が使役できたのは、たったの五体。

血に宿る力と誇りにかけて、認められなかったのだろう。己の力を。息子の力を。その格差を。……息子の存在を。

「とっても、寂しくって、悲しくて、苦しかったの……」

幼き頃は、確かにそんな感傷を抱いたこともあった。
守護すべき主と、その妹だけが普通に接し、他の人物は、彼を称え、崇め、そして、畏れた。

形だけの師匠も、形だけの……両親も。

衆愚の理解など不要と、心に鎧を纏うようになったのは、十には届いていなかった筈だ。
殆ど全てを見下し、ゆえにそんなものと馴れ合う必要など――分かりあう必要などないと己に言い聞かせた。

緋勇が語っていたように――――求めなければ、苦しむこともないと信じて。

「だけどねダーリンは笑ってくれたの。わたしの事変じゃない! ッて言ってくれたの。みんなもそう。新しくできるお友達は、みんな優しかったの」

能力も境遇も似ていて。だが、出した結末は別物。

それでも霊の声に耳を傾け、慰めることを選択した舞子は、その能力を癒しに特化させた。傷痕だけでなく、哀しみだけでなく、魂すら救う癒し手に。

攻撃能力を磨き続け、最高と称えられる陰陽師となった御門には、彼女の笑顔は眩し過ぎた。

わずかに目を逸らした御門の真正面にわざわざ回り込んでから、舞子はちょこんと座り込んで微笑む。

「だから御門くんも、きっと大丈夫よ〜。もうそんな泣きそうな顔をしないで」

御門は、何を言っているのだろうかと思った。ふざけないで欲しいと笑いとばそうと思った。

「私が……泣きそうな顔……ですって?」

だが、出た声は、明らかに掠れていて。途中でてのひらに落ちた滴は、もうずっと覚えのないもので。

「な……」

主が死に瀕した時すら泣かなかった。その妹をも巻き込んだ偽装工作のために、嘆いている余裕などなかった。
何時以来なのだろう。この感覚は。

「御門くんはダーリンに、よく似ているの〜。痛くても苦しくても、それを表すこともできなくて。そんな方法、知らなくて〜」

良い子良い子と、あやすように舞子は御門の頭を撫でる。
冗談ではないと跳ね除けるのが、本来の己の反応と判っていながらも、御門は動けなかった。

「それに、外に出すことさえダメだと思ってる。――――いいんだよ〜。哀しいときは、泣いたって」

――――ハルちゃん、いいんだよ〜。哀しいときは、泣いたって

見た夢を思い出す。
少女の顔など、ほとんど覚えていない。

だが、栗色の巻き毛の少女は確かに嘗て、まだ少年であった御門の頭を撫でながら微笑んだ。

「貴女は――まさか」

遠い遠い分家筋。突然生じた、先祖返りの少女。
土御門の血を引いた少女は、渋い顔の両親に手を引かれて安倍家を訪れた。

厄介な力を封じてほしいと。できないのなら、こんな化け物は要らないと。

    『ただ舞子の生い立ちは結構つらいから、軟弱な奴は駄目だぞ』

そうだ。例の飲み会にて、冗談めかしてはいたが、緋勇が忠告した。
彼女が? ――と能天気な笑顔を浮かべて首を傾げた者たちに対し、彼は温度の下がった声で続けた。

    『両親が健在なのに、桜ヶ丘に半住込み状態だろ』

家族を喪ったがゆえの比良坂とは違う。
それは家に居辛いから。己を恐れる両親の瞳が哀しいから。


少女の両親が求めたこと。それは――――霊視の封印。

当時の御門の当主には、少女の力を封じることはできなかった。
弱めることすら危うかった。

見事な不機嫌の表情で、彼はまだ幼き御門に告げた。

    『お前が封じてやったらどうだ? ――かの御方の再来たる晴明さま』

現当主の制御力は、式神五体分。対して次期当主は十二体。一門の誰もが知っている。十に満たない息子の方が、既に父より強いことを。

    『――承りました』

最早御門は慣れていた。父から投げられる棘の塗された言葉に。
今なら理解できる。
  子供らしからぬ冷静な反応こそが、父の怒りに油を注いでいたことに。だが、当時の彼には防御策として、それしか思い浮かばなかった。

御門は軽く頭を下げ、父に背を向けて、対象者の居る場へと足を向けた。背後からあからさまな舌打ちが聞こえてはきたが、今更傷付くことでもなかった。

    『こんにちは〜』

少年の姿に気付いた少女が、ぺこりと頭を下げた。
封じの対象――同じかやや下であろう年齢の彼女の力が、相当に強大であることを見て取り、驚愕と緊張が、彼の面に走った。

だが、そんな感情は一瞬で消し飛んだ。
原因はパタパタと走りよってきた少女の言葉と行動。

    『どこか痛いの〜?』

熱を測るかのように、少年の額に手を当てて瞳を覗き込む。
彼女にしてみれば何気ない行動かもしれない。けれどそれは、父母に畏れられる少年にとっては、あまりに不慣れなことで。

    『……なんのことですか』

冷たくすらある声音で返された少年の言葉にも怯むことなく、少女はポケットの中をごそごそと探しつつ、相手の名を尋ねた。怪訝そうに、それでも御門晴明と答えた彼に、ちょうど探し物が見つかったらしい少女は、心配そうにそれを差し出す。


    『だってハルちゃん、泣きそうだよ〜。あんまり痛いなら、誰かを呼んでくるよ?』

痛くなどなかった。傷付くはずがなかった。
父の言動に逐一反応していたら、心が壊れる。だから、何も感じない。

そう信じていた。

なのに少女は慌てた様子で、ハンカチを少年の頬に当てる。
それがじんわりと濡れていく様を、少年は呆然と眺めていた。信じられない。認められない。こんな無様な己を。

少女は、ハッと顔を上げ、少しだけ怒った顔で首を振る。

    『あのね、ハルちゃん、いいんだよ〜。哀しいときは、泣いたって』

その言葉で、心を読まれたのだと気付いた。同時に理解した。両親の恐怖と嫌悪の理由も。
彼女に悪気はない。心を読もうなどと思っていない。

同類だからこそわかる。
霊力が巨大すぎて、心の痛みを、魂の訴えを、ダイレクトに受け取ってしまう。

周囲の人間は、不意に聞かれる。どうしたの――と。どこか痛いの――と。自覚にすら至らない傷に少女は気付き、反応する。それは純粋な心配。心からの善意。だが、恐ろしいだろう。己の心が助けを求めたことなど知らぬ人間には、彼女が勝手に心を読んだとしか思えない。

    『幽霊を、もう見たくないと――思いますか?』

少女は、一瞬きょとんとしてから、慌てたように首を横に振った。
お父さんたちが嫌だというのなら、もう誰にも話さないから――。自分も見えなくなってしまったら、幽霊さんたちの声を聞ける人が減ってしまうから――。

だから、この力はそのままにしてほしいと――少女は懸命に言い募った。

彼女は理解していた。
己の力が厭われることを。力を持て余した両親は、その為にここへ自分を連れてきたのだと。そして、先ほどの『男の人』は、力を消そうとしていたのだと。

だから、彼女なりに懸命に抵抗した。方法など知らず。
御門の現当主は、かの天才の直系としては力が弱めなだけ。一般から考えれば、十分に一流の術者。
経験も知識も技術も確かな彼が、潜在能力は強力とはいえ何の知識も持たぬ者の封じが叶わなかったのは、少女の必死の願い。誰も聞こえない霊の泣き声を、哀しみを、自分さえもが気付かなくなるなど、認められなかった。


    『ならば、読心の力だけを封じましょう。今の制御力では、その力は辛すぎるでしょうし』
    『でも、あなたに行っちゃうんでしょ?』

一瞬顔を輝かせ、直後心配そうにおずおずと続けた少女に、少年は笑いかけた。
少女の本能的な理解は正しい。だが、構わなかった。なぜなら、少年もまた、その力を抱えていたから。

    『増えたところで、たいした負担は感じません』


余計に不安そうになった少女に言い募る隙を与えず、少年は術を行使した。
素質が同レベルであるのならば、経験と技術の差が出る。眠りに落ちた少女を優しく横たえて、読心の力と、そして御門家での出来事すらをも封じながら、少年は微笑んでいた。それは年相応とは思えぬ哀しみを含んではいたが、それでも少年は、優しく語り掛ける。

    『苦しむのはひとりの方が良いでしょう。……私は慣れていますから』


想い出の少女と同じくあどけない笑みを湛えて、舞子はもう一度繰り返した。哀しいのならば、泣いてもいいのだと。

そして、静かに続ける。
緋勇に紹介されたその瞬間から、あの時の子だと気付いたと。だが、更に張り詰めた空気に、どう話し掛けたらいいか分からず、緋勇に相談したのだと。

「そしたらダーリンが言ったの〜。将を射んとすれば、まずは馬から射て、それを優しく癒してろーらくして、油断したところを煮て焼いて喰ってしまえって。でも芙蓉ちゃんのことは、そんなつもりじゃなかったの。いつも寂しそうで、心配だっただけなの」

あまりに緋勇らしい言葉に、突っ込みを入れる気にはなれなかった。あの青年に、少年時のこととはいえ、人前で泣いた過去を知られていたことに哀しくなったが、今の問題はそこではなく。

「今の私の力なら、受け止められるから〜。きっと受け入れられるから。
ふたり分の心を読んじゃう力を抱えて、苦しまないで」

記憶の封印は、とうに破られていた。
今の彼女にならば、確かに制御も可能ではあろう。だが、容易ではあるまい。そして何より、苦しむことが増える。環境により、体調により、たかだか天候の変化により、不意に制御を外れるこの厄介な力は、望まずとも他者の心を伝えてくる。

ゆえに拒絶しようとした御門は、舞子の悪戯っぽい笑みに気付いた。
うふふと笑みながら、彼女はとんでもないことを告げる。

「もうずいぶん取っちゃったもん。今ごろ抵抗したって、だめよ〜」

口を開く前の返答。それは心を読んだということ。
御門は今更に気付いた。常に心の隅に抱えていた重石のような存在が、相当軽くなっていることに。

「ダーリンがね、『怪我を負って制御が低下中を狙い、癒しに紛らわせて返してもらえばいい。元が自分の力ならば、大体在り処も分かるだろう。いつかそんな機会もあるさ』って言ってくれたんだけど、その通りだったの〜」

癒しの術との同時の収奪。与えられる力に紛れ、察知することなど困難。ましてや傷により精神の集中を欠き、味方からの術に警戒心を抱くはずもないのだから。

幾重にも張り巡らされた策。緋勇のイイ笑顔が、御門の脳裏に、すさまじいまでに鮮明に浮かんだ。

御門は深い呼吸を何度か繰り返して、霊団に対してすら抱かなかった殺意というものがある人物に対して沸々と生まれるのを、どうにか宥める。

落ち着くと同時に、重みがほとんど消えていることを感じた。
御門は観念したように溜息を吐き、舞子の目を見て、最後の忠告を与える。

「些細なことで制御は外れます。人の心が理解できることは、良い事の方が少ないですよ」

返ってきたのは深い笑み。瞳ににじむのは、慈愛。
常の幼い印象を拭い去り、嘗て龍麻が目にしたであろう『大人びた綺麗な笑顔』で、彼女は頭を小さく下げる。

「だから〜、返してもらうの。今まで守ってくれて、ありがとう」

しばし見惚れていた御門は、頬に当たる感触で我に返った。

それは昔と同じ。いつのまにか取り出されたハンカチが、御門の目元を優しく拭う。
先ほどまでとは比較にならない速度で引いていく痛みに、今は舞子の『力』全てが癒しに使われているのだとわかった。

優しい手が頭を、頬を撫でるごとに、傷は癒えていく。
だが、御門の頬を伝う涙はそのままであった。この現場を目撃されたならば、息の根まで止めねばならない連中の顔が御門の脳裏に幾人も浮かんだのだが、それでもなお、止まらなかった。


結局、涙こそは止まっていたものの、頭を軽くではあったが、舞子の胸に抱かれている姿を、処理を終えて追いついてきた藤咲と芙蓉に、完璧なまでに目撃されてしまった。

以前の藤咲であれば、操作の記憶すら残さずに、記憶を根本から消去することが可能であったし、同様に以前の芙蓉であれば『命じれば』秘密は守られた。

だが ―――― 今は双方違った。

いそいそと楽しげに携帯を取り出した藤咲から撮られることだけは免れたものの、凄まじいスピードにてメールを打つ彼女を止めることはできなかった。

止めとして、どうやら壬生らしき相手に、嬉しそうに通話を始めた彼女を見ているうちに、御門は再度、意識が遠のくのを感じた。おそらくは貧血や怪我の影響とは関わりにならないところで。


結局のところ御門は、浜離宮に戻った後も、秋月への報告も、村雨との状況確認も為さぬままに、ふらふらと自室へ向かい、服もそのままで床に就いた。異様な状態を心配したのか、様子を窺いにきた友人や主に対しても、生返事にて応じていた彼であったが、最後に訪れた式に対しては、口を開いた。

「芙蓉。恐怖を感じることは、ないのですか? 藤咲さんも高見沢さんも、いつかは――」

どこか呆けた状態であったからか。本来口にすべきでない質問を投げかけた。



一瞬押し黙り、それから彼女は、ふわりと微笑んだ。
それは作られし人形ではありえない微笑。使役される存在ではない笑顔。

御門はあまりの愚問に、己を嫌悪した。彼女が考えていないはずがなかった。舞子や藤咲の喪われた未来の事を。確実に訪れる別離の時を。
彼女はとうに答えを出していたのだと、分かった。


怖い――と、彼女は素直に頷いた。ぎこちない笑みは浮かんだままで。

「ですが――いつかまた、優しき御方と会うときもあるでしょう。私の刻は永劫なのですから」
「……無用な心配だったのですね」

軽く頭を下げようとした御門に、芙蓉は小さく首を振る。
主が従者に頭など下げないで下さいと、今は凛として。それでも、済まなさそうに己を見つめる主に、何を思ったのか、小さく笑み、それに――――と続けた。

「晴明様と高見沢様の血を引く御子が、主となるかもしれないのですから、寂しくはありませぬ」

薄い笑みは、藤咲のものによく似ていた。

御門は、くらりと目眩を感じた。
まさか式神にからかわれる日が来るとは、夢にも思っていなかった。

そして、己が従者にあたる者にからかわれることを、心地よく思うことがあるなど、考えたこともなかった。

「……芙蓉、私と高見沢さんは、まだそのような」
「『まだ』というのは?」

失言を捕らえる程に、彼女のコミュニケーション力は上がっているらしい。やはり黄龍とか友人等のせいであろうか。


これは、まだ芽生え。

冷酷だと、感情を有さないのではないかと、陰口を叩かれていた男が、その評を覆す、少し前の話。

そして、結末はまだ先。
他の男をダーリンと呼び続ける天真爛漫な少女にやきもきさせられ、屈指の名家である家との柵に四苦八苦しながらも、己が全能力を駆使してまで障害を打ち壊し、彼女を陰陽師の棟梁の家に招き入れるのは、かなりの未来の話。