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衣更着

鳴瀧!

呼ばれた声に、そして背に浴びた暖かい血潮に、青年が愕然と振り向く。

そこには、全身を朱に染めた女剣士がいた。
剣鬼に、袈裟切りにされて。

「きさらぁッ!!」

血相を変えた剣士が、激しい氣で、その鬼を弾き飛ばす。

「たか子ッ、早く治癒を!!」
「ああ!」

治療師は必死で、気を送りこんでいるが、女剣士の死の影を消す事は出来ない。
即死でないのが、不思議なほどの傷だ。

「なぜ、かばったりしたんだ!!」

青年は、敵が迫っていたのを知ってはいた。
だが、致命傷は負わないはずだった。そして、治療師がいる以上、大事には至らないはずだった。

だから、より強力な、目の前の敵の止めを優先させた。

『大事には至らない』――それは、防御力の高い彼ならば。

答えずに、彼女は微笑んだ。
とても綺麗に。

「よかった。お前が無事で」

それが、最期の言葉だった。

「なんで!!なんで、てめェなんかの為に、衣更がッ!!」

血の気を失いながらも、剣士は激昂する。

「やめろ。神夷」
「だって、弦麻さん」
「まだ終わっていない」

彼の指した方向に、皆の視線が集まる。
そこに居たのは、ゆっくりと起きあがる衣更を殺めた鬼。

「ぶっ殺す」

いきり立つ剣士の青年を押さえ、静かな面の青年が立ち上がる。
全身から鬼気を立ち昇らせて。

ただ静かに、足を踏み出した彼に、弦麻と呼ばれた青年が言う。

「あれは、柳生が置いてった特別製だ。手伝おう」

それ以上は語らずに、走り出す。
常とは逆に、自分が囮として。

彼らは同時に、間を詰め、鬼を挟み込んだ。
弦麻は正面から、鳴瀧は側面から。

「陰たるは空昇る龍の爪」
「陽たるは星閃く龍の牙」

ふたりの氣が、膨れ上がる。
表裏の存在である、彼らだけが使える技――増幅された陰と陽の氣が、螺旋を描く。

「表裏の龍の技…見るがいい」

「「秘奥義・双龍螺旋脚」」

烈しい陰陽の氣に打ちのめされた鬼が、倒れかかる。
だが、それだけでは許さなかった。


「これで、終わりだ」

静かな中に、烈しい怒りをたぎらせて、鳴瀧は構えた。
彼の周囲が暗く見えるほどに、陰氣が集う。

狼牙咆哮蹴

それがとどめとなった。
弱々しい咆哮とともに、鬼が消えていく。




「どうしたんだい?こんな場所で」

ひとり離れた場にいた鳴瀧に、治療師の女性が訊ねた。

鳴瀧は、彼女と視線を合わせずに、呟くように訊ねる。

「なぜ、彼女はあんな事をしたんだ」
「なぜって、ただ助けたかったから、だろう。あんた、アイツとなにかあったんだろ?」

彼は、不思議そうな顔をして答えた。

「一回寝ただけだぞ?」

青年のあまりの鈍感さに、彼女は頭が痛くなった。
あまりに酷い――そう思ってから、気付いた。

「だけって、あんたねェ……。
ああ、そうか。アイツはその時、なんて言った?」
「今日、欲情してるから抱いてくれ、と」

今度は、衣更の不器用さに頭が痛くなる。
若い女の言う事だろうか。

「全く……アンタらは。
違ってたら、本気で蹴って構わないが、あんた、迦代の事好きだろう」

いつも無表情な青年の貌が、引きつっていた。見事なほどに。
治療師は、呆れたように肩を竦める。

「みたいだね」
「懸想しているだけだ」

吐き捨てるように――己の想いを卑下する。
親友の妻への思い、それは彼を苦しめているらしい。
だから――それを承知の上で、彼女は。

「衣更はそれを、知っていたんだよ。だからそんな言い方をしたんだ。
アイツは、ずっと、あんたが好きだったんだから」

少し離れた場所にいた青年――神夷が口惜しそうに吐き捨て、そして嘆く。

「ほら見ろよ。あいつは、あんな冷血野郎じゃねェか。
なんで衣更は……あんな野郎を庇って……」

「冬吾は冷血漢などではない。無表情なだけだ。今だとて、パニックを起こしてる」

弦麻の言葉に、神夷は思わず、鳴瀧の様子を見た。
が、どうみても、通常通りだった。

「あれで?わかんねェよ。
なんで、あんたは判るんだ?表裏の絆ってヤツか?」
「違う。親友だから、だな。
……確かにお前が、妹を失ったのは、冬吾の責任でもある。
だが、あまり責めないでくれ。あいつも苦しんでる」


「まさか」

信じられないように首を振る鳴瀧を、治療師は呆れた様子で見ていた。
互いに大切な者が他に存在するゆえに、不器用にしかなれなかった彼らを哀しく思った。
時間さえあれば――、闘いが終わり、陽の守護たる責務が第一でなくなれば――、誰よりも分かりあえたかもしれないのに。

「そうでなきゃ、人をかばって死ぬなんて、できないさ。
全く不器用なふたりだねェ――本当に。
アイツの事を、どう思ってたか、少しでいい……考えてやってくれないか」

不意に優しい目となりそう言うと、仲間たちの方へ去っていった。



残された鳴瀧の元へ、タイミングを見計らったように弦麻が近付く。

「何の用だ」

鳴瀧は、顔も上げずに訊ねた。

下を向いたままの相手に、弦麻は、何気ない様子で告げた。

「来週、中国の龍穴へ行く」
「そうか」

重大事を、雑談のように済ませてしまうのは、弦麻の癖でもある。
とうに慣れている鳴瀧は、動揺もせずに頷いた。
弦麻が、更に予想外のことを口にするまでは。

「お前は、日本に残れ」
「な、なぜだ!」

流石に、顔を上げ問う。

一対の存在。
彼を護る陰。

それを置いていく意図が、理解できない。
いや、正確には理解はできる。だが、それを認めたくはない。


弦麻は、全てを見透かした瞳で笑い、まず表向きの理由を口にする。

「日本を護ってくれ」
「あの狼がいるだろう。どうして俺を」
「犬神は、真神を護っているんであって、全てではない。だから、お前にも頼む。それに、しばらく衣更の事を考えろ」
「弦麻」


「それに、俺の都合もあるしな」

小さく、殆ど聞きとれないほどの声で、弦麻は付け加えた。
が、彼の半身が聞き逃すはずがなかった。

「死ぬ気なのか?」

やはりそれが鳴瀧を残していく『意図』。いっそ死にたいとさえ思った時に、守護者がいては叶わない。
そして、弦麻が死にたいとさえ願う事態は、数ヶ月後に訪れる可能性が高い。
数ヶ月後――類稀な強い氣を有する男と、菩薩眼の聖女との間に、子が産まれる。

暗い声で問う己が半身に、弦麻は屈託なく笑って答える。
深く考えなければ、生きる意志に満ちているように明るく。

「迦代が無事なら、生き延びてやるさ。どんな事があっても」

だが、それは裏を返せば、彼女になにかあれば、生きる気なんぞない、という事だ。



そうして、弦麻は旅立っていった。
仲間内でも少数−剣士、槍使い、風水師、筮法師、治療師だけを連れて。
他の者には、日本を護る為に残れ――その理由で納得させたようであった。

それから鳴瀧は、ずっと考えていた。

なんと思っていた?――彼女のことを。


強く美しい女性。
兄の――陽の剣士の側にいた、陰の剣士。

確かに親近感は感じていた。
己も彼女も、陽(ひかり)を護るために存在する、陰(かげ)だったから。

だが、それだけだと思っていた。
互いに最上位に想うのは、陽たる対の存在だと思っていた。

結論が出ぬまま、時は過ぎた。





やはり弦麻は帰らなかった。

そして、鳴瀧は、赤子を筮法師から手渡された。
あのふたりの忘れ形見。
迦代も、生み落とすと同時に逝ったらしい。


できるなら、普通の人生を歩ませたい。

それが、弦麻の我が子への遺言。



共に中国へ渡った五人は、護れなかった事を残った仲間たちに詫びた。
彼らを責める者もいた。
どうして、弦麻を死なせたのか、と。



だが、鳴瀧は知っていた。
連れていった、仲間の人選の偏っていた理由を。
それは、弦麻を目の前で失っても、耐える事が可能な強い心の持ち主達。

我儘に付き合わせた弦麻の、せめてもの償いだ。
彼は元より死ぬ気だったのだから。

だから責める気はなかった。
彼らのことも――目の前にいる男の事も。

「なんで、なにも言わねェんだよッ。お前も、言えばいいだろッ!!
"俺が居れば、死なせなかった"ってよッ。
親友なんだろう?半身なんだろう!?」


剣も持たず、頬にも殴られたような痕がある。
仲間内を、ひとりひとり回ってきたようだ。おそらくは、鳴瀧が最後なのだろう。


何を言われようと無言のまま、踵を返そうとした鳴瀧の胸倉を掴み、神夷は叫んだ。

「なんでだよッ!!
俺は衣更が死んだとき、あんなにお前に言っただろッ」

「俺が居ても救えなかった。だからだ」

鳴瀧は、冷然と手を払いのける。
感情の殆どこもらぬ男の声に、神夷は頭に血が上るのを感じた。

「なん…だと?」
「あれは、弦麻の自殺みたいなものだ。お前たちが、気に病む必要なんか無い」

「てめェ、それでも」

冷たい言葉に激昂した神夷が見たものは、ひたすらに静謐な眼差し。
その意味に気付く。
気付かされる。

「てめェ……知ってやがったな。ハナっから弦麻さんが死ぬつもりだったって」
「迦代さんが死んだ場合、だけだったんだ」

あくまでも冷静な護り人にしびれをきらし、神夷は禁句を口走る。

「嬉しいのかよ。厄介な思い人と親友が死んでッ。三角関係が清…がッ」

手加減無く殴られ、神夷は吹っ飛んだ。
珍しいことに、鳴瀧の面に明らかな怒りの色が見て取れる。この状態になっても、蹴りでなかっただけの理性は残っているのか。
神夷を見下ろしながら、鳴瀧は凍える声で続ける。

「まだ言うのならば、次は頭を蹴り砕く。帯剣していないお前には、防げないぞ」
「へッ、図星ってことかよ」

すぅっと、鳴瀧の目が細まる。
本気か――神夷も身構えるが、返ってきたのは意外な言葉だった。

「そうかもしれないな。今でも判らないんだよ。迦代さんも衣更の事も、どう思っていたか」





それから十余年

正義など知った事ではなかったが、鳴瀧は陰の龍の慣例に従い、拳武を継いだ。

独善的な、先代の言うことなど、彼には理解できなかった。
子供に人を殺させて、何が正義なのかも知らなかった。

けれど、弦麻の息子が、平凡に生きることを可能とするためには、ある程度の力が必要だったから。

彼は、拳武によって得た裏の力を使い、赤子を預けた角倉の家を隠し続けた。
九角の本家に近い、菩薩眼の聖女が生まれてしまったその家を。

しかし、それでも事件は起こった。



鳴瀧が、やはり【平凡】など許されなかった弦麻の息子と再会し、再び古武道を教えだしてから一月が経った。

ふと昔を思い出して、食事中にはあまり相応いとはいえない話題だが、尋ねてみた。

「りゅう」
「はい、なんでしょう」

闘いの素質は父から、立ち振舞・頭脳は母から、顔立ちは両方から、性格はどこかの悪魔あたりから受け継いだ、親友の忘れ形見が顔を上げる。

「君は友人の恋人が、好きだといってたな」
「ええ、まあ。自覚したのは、結構遅かったんですが」
「躊躇いとかは無かったのかね」
「なぜそんな事を?――ああ、母の事を好きだったのですか?」

鳴瀧は、憮然とした。
親友とは全く違う、龍麻の察しの良さに。

「別に、成就させようとか思いませんでしたし。
なんていうか、私が手を出したら穢れそうで。多分私は、好きな子には手を出さないと思いますよ」

龍麻はそれ以上は聞かずに、そう答えた。とても、十七歳とは思えない内容を。

「そういうものか」
「人にもよりますけどね。そういう聖域を、敢えて汚すのが好きな人とかも居ますし。
ひょっとして、本当のパパなんですか?」

首を傾げる龍麻に、鳴瀧は強く否定の意志を示す。
迦代には、触れたことさえない。――そして、こんな息子を持った覚えはない。


「ち・が・うっ。それに君は、外見は弦麻に似ているんだが」
「外見は、というのが気になりますが。
ともかく、人の想いのカタチなんか、その人の自由でしょう――と、昔読んだ少年漫画でそう言ってましたよ」


少年漫画ぁ?――あからさまに不機嫌になる鳴瀧をあまり気にしていない様子で、龍麻は説明を続ける。

「ええ。敵の女が、主人公に倒されそうになったその男を庇うシーンがありまして。で、躊躇する主人公の隙をついて、そいつは女ごしに主人公を剣で貫く――それで、女が『嬉しい、初めてあなたの役に立てた』とか言って死ぬんですよ。ちなみに、主人公は当然死にませんよ。
最初はアホかと思いましたが、まあそれもアリかな――と。その辺りに比べれば、気付いた時には、失恋してる想いがあったって、ね」

「気付いた時は、相手が死んでいた想い――というのも良いのかね」
「おや、悪い事を言いました?」

首を傾げる少年に対し、鳴瀧は苦笑を返す。

「それは、迦代さんではないよ。昔、私をかばって死んだ仲間だ。私はその時点では、彼女の事は、別にどうとも思っていなかったのだが」

父親世代の男の恋愛の悩みを、何故に自分が相談に乗っているのだろう――ふと我に返りかけた龍麻だったが、その疑念を懸命に押し殺して、答える。

「その時点では――今は違うのですね。
今もその人を想っているのならば、やはり愛なんじゃないんですか?
そんな意図があったかどうかは知りませんが、結果的にその人は、命をもってあなたを手に入れたんだから」


彼女の最期の笑みが、鳴瀧の脳裏に浮かんだ。
そんな意図などなかったであろう、純粋な優しい笑み。

けれど、彼は彼女に囚われた。


彼女は手に入れた。
永遠の想いを――その命と引き換えに。

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