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―― 桜人 ――


とある都立高校の教室で、授業が行なわれていた。
秋から冬にかけての特有の澄んだ空気に包まれて、もの憂げに外を眺める者、心ここにあらずといった風の者もいた。
しかし、担当する教諭の性質上、大部分の生徒が真面目に授業を受けていた。
静寂の中、教師の声だけが――いや、それと一つの音だけが、響いていた。

「遺伝情報は、このようになる。A型とAB型の両親からO型が生まれないのは、こういう訳――」

急に言葉を切った生物教師――犬神杜人は、ツカツカと早足である席に向かった。豪快にいびきをかく、ある生徒の所へと。
そこで、手にした教科書を丸める。

「蓬莱寺、起きんか」

彼は結構な力を込めて、ソレで眠りこける男子生徒の頭をはたいた。

「いってェ!! 誰だ……あ」
「目が覚めたか」

起き上がり、構えた蓬莱寺は、天敵である教師の仏頂面を目の当たりにして黙り込んだ。

「くそぅ、何も寝てたくらいで、殴んなくてもいーじゃねェか」

それでも不満そうに小さく呟いた言葉は、しっかりと聞きとがめられた。

「授業内容を理解しているのなら――そして、静かに眠っているのならばまだいい。だが、お前は理解していない上に、寝惚けてやかましいからな」

犬神の言葉に、何人かの生徒の視線が、ある人物へと向かった。そして、彼らは一様に納得した顔で頷いた。
ある人物――全体でもトップクラス、そして理系に関しては、文句無しに学年首席の緋勇龍麻――は、左手はノートを軽く抑え、右手には筆記用具を持った状態で、背筋を伸ばして……目を閉じていた。

皆の視線を追って、同類に気付いた蓬莱寺は、何かを言いかける。だが、緋勇は犬神の言っていた『寝ても良い条件』に、完璧なまでに符合していることに思い至ったようだ。相当口惜しそうな様子を見せながらも、蓬莱寺はしぶしぶと席に座った。
それからしばらくの間は、蓬莱寺も眠ることなく、授業は平穏に進んだ。尤も約一名は、依然として静かに眠り続けていたのだが。


授業終了五分前に、それは起きた。


「もう止めろッ!!」

切羽詰まった絶叫が、静かな教室中に響いた。
ガラガラガッシャンと、ある人物の机の上にあった物が落ちる大音響と共に。


「……止めろと言われても、授業は俺の仕事なのだが。どうした……顔色が悪いぞ、緋勇」

呆れたような眼差しを向けた犬神は、緋勇の尋常でない様子に気付き、眉を顰めた。

「申し訳ありません。少し――寝惚けたようです」

そのとぼけた返答に、クラス中が笑う。但し、彼と親しい一部の者たちを除いて。
緋勇は、口元を抑えて蒼白となっていた。ただ寝惚けた――そんな理由で説明がつくとは思えないほどに。

彼の様子を意味ありげに眺めていた犬神は、判決を下した。

「緋勇、放課後職員室にくるように」
「畏まりました。ところで、失礼ですが、顔を洗ってきてもよろしいでしょうか」

行ってこい、そう促した犬神に礼をし、緋勇は立ち上がった。
心配そうな目を向ける友人達に、平気だと示して、静かに教室を出ていった。



放課後、職員室にて仕事をしていた犬神は、微かな気配に気付いて手を止める。
それと同時に、音も立てずに、ひとりの生徒が入ってくる。

彼は、犬神の机の側までくると、静かに頭を下げた。

「お騒がせしました。どうにも夢見が悪くて……申し訳ありません」
「夢見が悪い――――か。世界の破滅でも夢見たのか?」

素直に頭を下げた緋勇に、犬神は、からかうかのような言葉を投げる。緋勇は、それに怒った様子も無く、表情を暗くして、再度口元に手をやった。

「そんな漠然とした未来ならいいですよ――宇宙人が襲来しようが、氷河期が来ようが、日本が沈没しようが。昔の――江戸時代のお話です」

自嘲するような、ひたすらに昏い笑い。
その表情から、そして先程の絶叫から、どんな夢を見ていたのか、犬神には大体想像がついた。

「お前、『夢見』ができたのか」
「完璧にコントロールすることはできませんが、一応、過去・未来・現在を見る事ができますよ。眠っている時に、勝手に映像が流れるんです。最近、確かに頻繁になっていましたが」

力が強まっている―――その認識は持っていた。
だが、流石に予想外の事態に対し、緋勇は、肩を竦めて苦笑した。

「まさか、授業中の居眠りで、レコードにアクセスするなんて思いませんでしたけど。突然なんなのでしょうね」
「11月15日だからじゃないのか?」

ボソッと呟いた犬神の言葉に、緋勇は首を捻った。
彼には、十一月十五日と言われても、十五夜くらいしか思い付かなかった。

「今日、何かあるんですか?」
「正確には、予定だったんだ。まあいい、どうでもいい話だ。どうせ守られなかった約束だしな」

犬神は、あまり語る気がないらしく、それ以上は口をつぐんだ。
通常、このようにぼかされると、逆に気になってしまうのだが、幸いと言うべきか、緋勇は元来、非常に好奇心の薄い人間なので、素直に追求を諦めた。
夢で視て、不思議に思ったことを、口に出す。


「先生は、あの頃もあまり変わっていないですよね。長屋住まいでしたし。アパート好きなんですか?」
「いつも安月給の職に就くだけだ」
「そういや浪人でしたよね。教師とでは、少し違うか。それに……今よりも、少々やさぐれていましたね。やっぱり若い分、迸る想いとかがあったんですか?」

遥か昔――、過ぎ去った日々の事を、あれこれと聞かれるのは、それなりに気に障るようだ。犬神は、苦虫を十匹ほど噛んだような表情で、短く答える。

「知るか」
「若い時代も面白いんですが、いっそのこと、ショタ向けの、顔の面積の半分を目が占めるような先生を、見たかったです。アッチになると、小犬くらいの大きさだったりするような。いつまで溯れば、そういう状態が見られますか」
「そんな頃には、自我がない。そもそもお前、なぜ叫んだんだ」

話を逸らすかのように振った話題は、緋勇の痛いところを直撃したようだ。
途端に、表情が陰る。

「忘れていたいから、余計な事を話していたのに。
見たものとは――徳川による、木塚の里襲撃の様子です。あれ、具体的には知らなかったんですよ。龍斗はそれから外されていたから」

木塚――鬼塚の里の襲撃、徳川が二千の兵にて、百人足らずの九角の一族を虐殺した事件であった。
闇の者たちの間でさえ、囁かれ怖れられた非道。人間が持つ闇の具現。


「何で、あんなことができるんでしょうね」

返答を期待していないかのように、呟くが如く、緋勇がぽつりと言った。
その答えを、犬神はよく知っていた。骨の髄まで染み付いている。

「恐ろしかったんだろう、異能の力を持つ者たちが」

人間は大抵がそうだ―――既に悟っているらしく、そう静かに続けた犬神に、緋勇は普段と異なる表情を見せた。
それは純然たる怒りの表情。
やや驚いた犬神に、緋勇は吐き捨てるように言った。


「俺には、『普通』の人間の方が遥かに恐ろしかった。徳川兵は、力を持たぬ者たちを、嬉々として殺していた。『邪を奉る者たちに死を』そう叫びながら――子供も、女も、全て」

その顔は、緋勇龍麻の顔ではなかった。

「数人だけ居た力を持つ者たちに対しては、一段と酷かった。反吐が出そうだった。たったひとりの男に、数十本の矢を射ち込む姿や、女に数十人で襲い掛かる姿や、倒れ伏した敵に斬りつけ続ける連中の姿に、肌が粟立ったわ。……確かに、俺はあの小僧とは、折り合いが悪かった。だがな、まさかあんな死に方をしたとは思っていなかったよ」

見覚えのある、その人物に対して、犬神は諌めるように言った。

「気持ちは分からんでもないが、龍斗――お前が出てどうする。というより、いつから居た?」
「先刻の夢見の後だな。嫌悪のあまり出てしまったようだ。――勿論、本人も居るぞ。別に乗っ取った訳ではないからな」

咎める視線に対して、どこか弁解するような口調で、彼は呟いた。
バツの悪そうに照れるその表情は、確かに緋勇龍麻ではありえないものだった。

「さっきまでは、緋勇――は、お前もか。龍麻だったよな?」
「共に居たのだ。言動は、彼の方がとっていた。
俺の人格が存在している事には気付いたようだが、放置しておく事にしたらしい。そのうち居なくなるなら、それでいい。面倒だ――そういう思念が、流れてきたからな。わが来世ながら、いい性格をしている」

豪気に笑う龍斗の姿を、犬神は感心して眺めていた。
顔立ちは、当然龍麻のままだというのに、受ける印象がまったく違う。
世間一般の双子の方が、遥かに見分けが付きにくいだろう。

「そうだ――杜人」

不意に笑いを止めた龍斗は、犬神を真っ直ぐに見据えて、彼の名を呼んだ。
懐かしい呼び名だった。

「もし知っていたら、案内して欲しい。――天戒の転せ……いや、今回の九角の長の墓、もしくは、最期を遂げた場所を」
「ひ……いや、龍麻の記憶にないのか?」

九角を倒したのは、緋勇。
当然と思える犬神の問いに、龍斗は肩をすくめて、苦笑を洩らした。

「俺が表にでたのがご立腹らしく、記憶を閉じてさっさと眠ってしまった」
「そうか、俺もよくは知らないんだが」

心当たりについて考える犬神と、それを待つ龍斗―――そんな彼らの背後から、遠慮がちな声が掛けられる。


「私が知っています。――お墓ですけど」
「あお――美里か?」

途中で呼び名を訂正した龍斗に、美里はどこか寂しそうにひっそりと笑いかけた。
彼女は、話を聞いていたのだろう。頷いてから、龍斗に対しても、丁寧に話し掛けた。

「ごめんなさい――あまりに、貴方の顔色が悪かったから、ついてきてしまったの」
「気付かん犬が悪いな」
「誰が犬だ。大体、お前もここに来るまで気付かなかっただろう」

犬神の抗議には取り合わず、龍斗は恋人の来世に尋ねる。

「では、案内をしてもらえるか――と、その前に、呪具を扱っているところを知らないか?」
「ミサちゃん――えっと、黒魔術を使う、裏密ミサという人がいます」

ああ、と常には想像し難いほどに鷹揚な態度で、龍斗は頷いた。



「裏密、すまんが頼みがあるのだが」
「ひーちゃん? ううん〜、違う、誰なの?」

怪訝そうに、彼女は龍斗を見つめる。
魔力を持つ魔女の瞳は、中身の差異を簡単に見破ったようであった。

「あ、ミサちゃん、彼は、その」
「俺も緋勇なのだから、嘘ではなかろう?」

慌てて説明をしようとした美里を止め、龍斗は説明なっていない答えを返した。
裏密は、龍斗をじとーっと観察し、笑った。

「本当に〜、ひーちゃんは興味深いわ〜。前世の記憶が〜、人格まで保った状態で〜眠っていたなんて〜」
「納得してくれたようだな。では本題に入るが、四神の力を宿した物を持っていないか? 力自体は微量でも構わないのだが」
「四神の?」
「ああ、俺がひとりで四神方陣を張るんだが、なにか補助になるものがないと、制御が危ういのでな」

ちょっと待ってて――そう言い残して、裏密は部室の奥へと潜っていった。
犬神と美里は、疑いの眼差しで龍斗を見る。

「四神方陣? 龍斗さん、大丈夫なの?」
「本当にお前のような不器用な奴に、可能なのか?」
「失礼だな、お前達」

憤然とした表情で応える龍斗を、犬神らは珍しいものでも見るかのように眺めてしまった。
それがまた、彼を拗ねさせて、それをふたりが物珍しく眺めて――という、悪循環になっていた。


「あら〜、ひーちゃん、珍し〜」
「お前までもか」

すっかり仏頂面になった龍斗は、低く応えた。
その様子に、軽く笑いながら、裏密が出してきたのは、四色の石。
自然界にありえない――厳密な真円の形をしていた。

「五色の宝珠に似ているのね」

美里の感想に、裏密は嬉しそうに笑った。

「基本は同じなの〜、だけど、鬼の魂を封じて力へと転じていた宝珠と違って〜、これはただの自然の力を僅かに持った石を研磨しただけだから〜、あんな力はないのよ〜。で、これが〜玄武で――――」

一つ一つ説明しながら、龍斗に手渡す。
受け取った龍斗は、ざっと表面を撫でて、おもむろに頷いた。

「構わん、これなら何人かに力を込めさせればいい、感謝する」


霊研を出て、歩きだした龍斗を、美里が慌てて追いかける。

「でも龍斗さん、マリィは――あ、朱雀の子は、今日は部活があって帰りが遅いのだけれど」
「別に純正たる力でなくとも構わんからな。近くに居る奴だけに頼んで、あとは俺がやる。黄龍に含まれる四神の力でもどうにかなる」


すたすたと教室へ向かう龍斗の後を、不安そうな美里と無表情の犬神がついていく。
3−Cの教室の扉を、彼はガラガラと大きな音を立てて開けた。

何事かと注目する級友たちには構わずに、彼は、部活へ向かう支度を終えた醍醐たちの元へ歩いていく。

「どうしたんだよ、ひーちゃん」

どこか様子のおかしい親友に首を傾げながら、蓬莱寺は問うた。
いや、別に――その程度に軽く応えて、龍斗は醍醐の方に視線を向ける。

「すまんが醍醐、しばしの間、これを握って念じてくれんか」

そう龍斗が投げて寄越したのは、小さな丸い白い石。
どうすればいいのか分からないのだろう。醍醐は、しげしげと石を眺めていたが、やがて、困った顔で龍斗に問う。

「龍麻? 念じるとは一体」
「覚醒の時と同じだ。但し、己の身体に働きかけるのではなく、その石に氣を注ぎ込む。それほど必死にならずともいい」

醍醐は言われた通りに、軽く念じてみる。
一瞬後には、浮遊感のようなものに包まれていた。周囲の音も景色も、意識に入らない。ただ自分と手の中の石だけが存在する。その小さな石に、吸い込まれるように莫大な氣が流れていく。

肩に手を置かれるまで、醍醐は時間の経過が分からなかった。

「そこまで頑張ってくれんでいい。平気か?」

頷く醍醐から石を受け取ると、龍斗は教室の外にいたふたりに手を挙げて合図した。

「待たせたな、行くぞ」

その口調に違和感を覚えながら、そちらに視線を向けた京一たちの動きが固まる。
美里はまだいい、だが、犬神に対してまで、彼が荒い口の利き方をするとは思えなかったので。


「醍醐、感謝する」
「ひーちゃん、どこ行くのさッ!!」

礼を言って立ち去ろうとした龍斗に、小蒔が疑問をぶつける。
通常と違う態度に対して不安になったのか、ずいぶんと強い口調になっていた。

「小用があってな、ではさらばだ」

しかし龍斗は、あくまでも軽く応えて、手を振りながら教室を後にした。
あまりの言葉遣いに硬直した京一らを残して、特に詳しい説明は与えずに。


そちらをチラチラと振り返りながら、美里は躊躇いがちに犬神に訊ねた。

「あの……先生、龍斗さんは、あまり後の事を考えない人なのでしょうか?」
「奴はそういう性格だった。お前も思い出したのではなかったのか?」

私は、断片的にしか――そう口篭もる美里を、犬神は訝しそうに見る。
彼らの様子から、とっくに全てを思い出しているものだと思っていた。だが、覚えているのならば、今更夢で悲惨な光景を見て、悲鳴をあげるのは、確かにおかしい。

奇妙な関係もあるもんだなと感心しながら、犬神はふたりの後を追った。



「如月骨董店は、まだこの辺りにあるのか?」
「ええ、こちらだけど」

案内しながら、今の玄武は男性。いくらなんでも大丈夫だと、美里は自分に言い聞かせていた。しかし、やはり内心では、穏やかでないものを感じていた。
龍斗の側に影のように寄り添う、飛水の女性に嫉妬したことは、一度や二度のことではなかったから。


「やあ、いらっしゃい……誰だ、君は」
「如月くん、あの彼は……」

言いよどむ美里と龍斗とを、訝しげに見比べていた如月の表情が、はっと変わる。

「緋勇……さま?」

様をつけた如月の様子に、軽く心が痛んだ美里であったが、続く龍斗の台詞に、自分でも現金だと自覚しながらも安堵した。

「敬称はいらん、お前は涼浬ではないのだろう? 昔に縛られる愚か者は――、あいつだけで十分だ。
で、悪いが、これに玄武の氣を込めてくれ。少しでいいからな」


手のひらに投げ込まれてた黒い石を見て、それだけである程度を察したようだ。
如月は軽く目を閉じて、石に氣を注ぐ。
彼の場合は適度なところで止めて、石を龍斗に寄越した。

「どうぞ」

軽く頷いて踵を返しかけたところで、龍斗は何かを思い出したように動きを止めた。
くるりと振り返って笑う。人懐っこい龍斗の笑顔で。

「あと、なにか酒をくれないか? 金はおそらく彼が払うだろう」

自分の胸を指し、彼は言った。この上なく図々しいことを。



何をするのか心配になった如月を加え、一行は美里の案内にて、新宿中央公園の一角へと向かった。
途中入り口で、龍斗は白の石を置いた。同様に、他の三方の入り口に向かい、方角に対応した色の石を置いた。

「龍麻は、ここで杯を空けていました」

美里が示した一角を見て、龍斗は頷いた。
その中の一本の木に歩み寄り、右手を幹にあてる。


「で、何をするつもりなんだ?」

犬神の台詞は、一同の内心を代表していたようだ。
同じ表情をして自分を見る者たちに、龍斗は笑って一言だけを口にした。

「墓参り」

それきり口を噤み、瞳を閉じてしまった。
龍斗に呼応するように、公園の四方から四色の柱がゆっくりと立ち上り、それが中央に位置する彼の身体へと集まっていく。
そしてそれらは、龍斗の周囲で入り交じり、淡い金の光を生み出した。

黄金色の大気の中で、龍斗がその金に変じた瞳を開くと同時に、そこかしこで破裂音が響いた。


中央公園中の桜が、満開の花を咲かせる。波打つように桜花の海が広がっていく。

秋の澄んだ空、冴え渡る白い星と満月。
それらを背景に、満開の桜が咲き誇る。
風が花びらを吹き上げて、藍の空に、薄紅色の新たな星が咲く。

美しく不確かな、魔の情景。
あまりに幻想的な光景に、魅入られていたように皆押し黙った。
その中で、最も早く回復したのは、自身も魔である犬神であった。

「龍斗! お前、自然界をこれほど弄ってしまって、どうするつもりなんだ」
「もう行ってしまいしたよ」

犬神の怒号に、緋勇は静かに笑って答えた。
くすくすと微笑みながら、金の瞳を輝かせて続ける。

「尤も、外への影響はないと思われます。四方に、ほぼ完璧な結界を張っていますからね。それに、空間だけでなく、時間にも制限を付けています。夜が明ければ、元に戻るでしょう。
―――昔も今も、あいつと初めて出逢ったときには、桜が咲いていましたからね。これが、龍斗なりの追想なのでしょう。
で、明け方までは、気候も春なんですよ」

だから――そう続けた緋勇は、手にした酒を指して微笑んだ。

「ほんの少しだけ――ここで、呑みませんか?」
「お前は未成年だろう」

一応教師である犬神は、注意を忘れなかった。催促するかのように、手を出してはいたが。
フッと肩を竦めて、緋勇は悪びれることなく応じる。

「この結界内には、誰も入れませんよ」



結局緋勇に押し切られた形で、奇妙な一行の宴会が、しめやかにはじまった。

犬神も、そして根が真面目な美里も、反対はほとんどしなかった。
彼らは知っていたから。

これは、追悼。
月と夢とが導いた、外法の蔓延りし時代を知る者たちによる追懐。
運命に抗い、そして流された外法士への―― 。