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― 東京魔人学園外法帖 序章 ――

「ならば止めはささん。幾人かの虫の息の仲間が、消えていく気配を感じ取りながら――ゆるりと逝け。緋勇龍斗よ……はーはははははは」

嘲笑が遠のいていく。
最早彼らは、この村には居ない。全てを――殺し、去っていった。



ごぼごぼと止まらない鮮血に塗れながら、緋勇は両腕に渾身の力を込めて、その半身をどうにか起こした。
霞む目に入ってきた光景は―――地獄。

一面の血。重なる屍。近くから遠くまで、存在するものはそれだけ。何も動かない。
間近には友の、仲間の、そして恋人の、絶命した姿。

「くそッ……」

掠れる声で、憎悪を洩らす。
彼は恋人や仲間たちが、なぜあれほどに幕府を憎むのか、芯からの理解はできなかった。
死した者の復讐に総てを賭けるよりも、生きている者たちが幸せになった方が良いなどと、呑気に構えていた。

それは、大切なものを理不尽な力によって喪ったことのない者の傲慢。

もしかしたら、類稀な慈悲の心を持つ者ならば赦せるのかもしれない。……が、自分は違う。

今ならば理解できる。鬼に堕ちてでも、力を欲して復讐を願った者たちの心が。
どのような代償を払おうとも、何かを憎んだ者たちのことが。

だが、復讐は叶わない。

同様の状況から仲間たちの命を救い、力を与えたのは、この惨劇を実行した赤髪の男―――柳生宗崇。この血塗れの地獄絵図は、全てを仕組んだ黒幕であった彼が、操り人形による喜劇に幕を下ろしに来ただけの事。

「柳生……ッ」

止まらない血に、薄れ行く意識に歯噛みしながら、緋勇はうめく。

『驚いたな。あと一年も修羅場を潜れば、俺と互角に闘えたかもしれん』

嘲笑したのは、当の柳生。たった一年の経験があれば、この惨劇は防げたのかもしれない。
幽閉されていた十四年の間に、もう少し自ら鍛錬ができていれば、こんな結果に辿り着かなかったかもしれない。

だが、もう遅い。


命あるなかで叶わぬのなら、悪霊と化してでも、奴の喉笛を掻っ切る。

純粋にそれだけを祈り、目に昏い光を宿らせる彼の周囲に、赤の氣が集っていく。それは凄まじい量。彼の仲間であった者たちが鬼に堕ちたときとは比較にならない。地獄への門を開きかねないほどの陰氣の集中。

「龍斗……さん?」

死する間際――まさにあと一歩で、闇に堕ちかけていた彼を止めたのは、その名を呼ぶ声。

微かな声に、緋勇の意識がわずかにだが覚醒する。
霞む視界の中、必死に声の主を探した。微かな希望を抱いて。

だが、彼の表情は、すぐに絶望に曇った。

確かにひとりだけ、生きてはいた。が、彼女もそう長くはない。
かろうじて生きていられるのは、彼女がその傷の深さを認識できないから。

明らかに致命傷である胸の傷を負った比良坂が、その光の射さぬ瞳で、周囲を見回していた。

「話すな。せめて……楽に逝ったほうが……良いだろう?」

自身も苦しい息の下で、龍斗は絞り出す様にして告げる。
たったそれだけの言葉なのに、口腔一杯に溢れた血に咳き込む。

比良坂は、弱々しく頭を振りながら、儚く微笑む。

「まだ、可能性はある。私は現世と常世を繋ぐ糸を紡ぐ織り姫。そして、あなたは無限の容量を持つ器」

その体が蒼の輝きに包まれる。
巨大すぎる力を感じ取り、緋勇が目を見張った。

時空震、平行する世界――そういった世界そのものを変革するほどの力が、彼女の周りに集う。

「あなたは、まだ、此々に来るべき運命ではありません。あなたの宿星は、まだ燃え尽きていないのですから。仲間を見つけなさい。あなたの《力》となる仲間を。その時こそ―――道が開けるでしょう」

そこまで言葉にしたところで、彼女は激しく咳き込んだ。溢れる血が喉を塞ぎ、もう言葉は声にはならなかった。

だが、頭に直接響く声が続けた。


私たちだけでは、あの人には勝てない。私たちは――鬼道衆は陰。
だけど貴方は、陰であり陽である人。

陰は陽を求め、陽は陰を求める。

あなたは陰中の陽。
闇にありては、そを導き照らす光となる。

あなたは陽中の陰。
光にありては、その烈しい輝きに対する安らぎである闇をなす。

貴方なら、きっと―――。

声が――姿が、遠ざかっていく。
発狂しそうなほどの激痛が、急速に消えていく。
歪む光景と雑音の中で、静かな声だけがはっきりと聞こえた。


陰陽相交わり太極となる。太極以って、邪を討ち祓わん


肩を掴まれ揺さぶられ、意識が覚醒していく。
知らない光景。どこかの茶屋らしき場。

「おい―――。お客さん―――。ちょっと、お客さん―――」

店の者が、目を覚ました緋勇に対し、呆れた口調で告げる。

やれやれ、お目覚めかい?寝息も聴こえないから、死んでんのかと思ったよ――と。

まるで総てが夢の中の出来事であったかのように。
あの惨劇など、起きなかったかのように。

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