TOPへ

― 東京魔人学園外法帖 第拾弐章 ――


「誰か人払いの結界とか張れぬか? 先生辺りはどうだ?」
「……僕は別に陰陽師などではないのだが。巫女殿の領域だろう? もしくは普段共に居る御坊か」

断られてから、緋勇は初めて気付いたらしい。
龍閃組内で、一二を争うほどに鍛えられたふたりが、れっきとした術士であったことに。

「……あ〜、確かに盲点だったな。では葛乃、頼めるか」
「お安い御用だが、……失礼な反応だね」


「十郎太、花音、武流、葛乃、涼浬――お前たちは、何食わぬ顔で元の生活に戻れ」

皆を見回してから、緋勇は静かに言った。

「先生は、ほのかと真由と真那を連れて、秋月の家に戻ってくれ。あそこなら幕府もそう簡単に手出しできまい。必要なら、とりあえずは給仕の皮を被せた慰み者としてでもいい」

連れて帰るのに理由が必要ならば、名目はどんなことでもいい。
酷い内容を口にした緋勇は、しばらくしてから、但し――と、付け足した。

実際にそう扱ったならば、いつか振り向いた給仕が俺の顔をしている日が来るぞ――と。

「それは恐ろしい……ではなくて、君は僕のことを、どういう人間だと思っているんだ」

なんだ、手のつけられない女好きではないのか?

平然と言い放つ緋勇に、梅月が更に抗議しようとした。
が、それを留めて、蓬莱寺が立ち上がった。

「おい、何のつもりなんだよッ!!」

まるで、これでは別れだ。
龍閃組など知らぬと。今までの想いも無いものとしろと、彼は命じているのだ。

「お前も、また放浪の剣士に戻ってくれ。皆、龍閃組など知らぬ存ぜぬで通せ。寺にいる連中は、俺が必ず助け出す」

面倒なことに巻き込んでしまってすまなかった――と。
頭を下げた緋勇は、実は幕府の新兵とやらに心当たりがあるのだと続けた。

「鬼兵隊。幕府が威信を取り戻す為に、外法に手を染めたもの。人に鬼の力を付加した連中の相手は、お前たちでも手に余る」

それゆえに独りで行くと宣言する緋勇に、蓬莱寺は思わず詰め寄り、緋勇の襟を掴んだ。

「お前だけで何ができるってんだよッ!! 大体、俺がお前を、龍閃組に巻き込んだんだろッ!? 勝手に百合ちゃんの話を聞いちまって……」

――ちがう

緋勇のあまりに静かな声に、蓬莱寺の力が僅かに弱まった。

ほんのわずかな硬直。
その隙に、緋勇はあっさりと抜け出していた。

次の瞬間には、蓬莱寺は浮遊する感覚を受けた。
投げられた――そう認識すると同時に、床に叩き付けられる。

痛みはない。但し、動くことはできない。

「先生とは次元が違うが、俺も少々未来を知っている」

最初から狙ってお前たちと共に行ったのだ――と、暗い声が続いた。
美里と蓬莱寺が初対面の様子――ならば龍閃組結成に立ち会い、加入が可能となるはずと考えたのだと。

「『お前だけで何ができる』とのことだが、大抵のことは可能だ。俺だけならば、連中の全滅も難しくはない。俺は本気を出した事など無――ああ、犬と喧嘩をした際くらいか。まあ、普段は力を抑えていた」

大した力も込めずに、あっさりと己を押さえつけた緋勇の淡々とした声に、京梧は余計に苛立ちを募らせた。
静か過ぎる声に、全てが真実なのだと悟る。

「ふざけんなッ!!」

苦しい息すら気にせず、蓬莱寺は叫んでいた。

緋勇はいつも、一歩ひいたところから、悟ったように眺めていた。
まるで傍観者の如く静かに。

「そうやって、てめェひとりで背負い込んで、全て分かった風に振舞いやがって!!」

苦しそうに。重いものを背負った顔で。
誰よりも強く、それゆえに孤独で。

緋勇は本当に誰も信じていない。心を見せる雄慶や涼浬さえも。本当の仲間であろう鬼たちのことも。
ひとり苦しみ耐える彼は、皆を大切に想ってはいても――信じていない。

「たまには降ろせばいいだろッ!! 重荷なら皆で分け合えばいいだろッ!」

強くなればなるほどに、実感させられる。登れば登るほど、絶望的な距離に気付く。緋勇の強さは、格が違う。年齢も、潜った修羅場の数も、そう変わらないはずなのに。

「蓬莱寺……感謝する。だがな、もう二度と――仲間を失いたくはない。お前たちは認めてくれぬかもしれんが、龍閃組もまた、俺にとっては仲間だ。もう見たくはない。仲間の屍も、朋たちの血の池も」

すっと重みが消える。
立ち上がり、睨み付けようとした蓬莱寺は、緋勇の静謐な氣に、気圧されたように黙り込んだ。

「分からんものだな。俺はお前たち龍閃組を、ただ利用するつもりだった。我らと互角に闘う異能の力を持った集団を取込めば、奴等を救うのに役立つ。そう思い、あの時に頷いただけなのに」

それは呟き。おそらく彼の自然な言葉。
冷笑ではなく、皮肉でなく。龍閃組の大部分の面々には初めて見せる、心からの笑みを浮かべ、彼は続けた。

――今はお前達も、大切なのだから


緋勇は踵を返した。その背が語るのは、一切の拒絶。

「待て……龍斗ッ!!」
「もしも来たら叩きのめす――程度の脅しでは、お前には効果がないな。……来れば、二度と剣が握れぬように、利き腕の関節を砕く」

本気の声音に、皆がしんと黙り込む。
痛い程の沈黙の中で、緋勇は振り返ることなく続ける。

「やつらは、必ず助け出す。だから頼む、蓬……京梧」

そのまま無言で歩みだそうとしていた緋勇は、足を止めた。
原因は、進路を塞ぐ少女。

「涼浬、人の話を聞いていたか? ……どけ」
「お断りします。独りでは行かせません」

本物の殺気にも、涼浬は真っ直ぐ見返して、首を振った。
内心では怯えていた。主である人物が、冷たく命じているのだ。

それでも、彼を独り苦しませることに耐えられなかった。

「玄武として黄り……いいえ、そんなことは関係ない。私が、貴方独りを危険に向かわせたくない」

命令も聞けませぬ。
真剣な表情で――震える身体を矜持で抑え、行く手を遮る少女に、緋勇は柔らかく微笑んだ。

「ありがとう」

この反応の後の行動は予想がつく。
だから涼浬は全身全霊を込めて、意識を集中した。

なのに見えたのは、微かな軌跡のみ。

「た……つと……さ」

縋りつき、懸命に首を振る。
霞む視界に映るのは、哀しい笑み。

「今のが本気だ。涼浬――すまないな」

謝って欲しいわけじゃない――そう返したくとも、もう意識が保てなかった。
冷徹な一撃は、鍛えられた彼女であっても耐えられなかった。

「悪いがほのか、彼女の手当てを――――待て、俺に全員倒してから行けというのか?」

申し訳なさそうに、それでも決死の覚悟を瞳に宿し、炎を纏って道を塞ぐほのかに、緋勇は溜息を吐く。
彼女と同じ目をして、殆どの者が立ち上がっていた。


術系と攻撃系と。技量と得物と。本人の頑丈性と。
様々な判断材料から、突破経路とそれに伴い伸される人物を選定し、緋勇が心の中で謝り――足を踏み出そうとしたときであった。

待ちたまえ――と、ひとり静かに座したままであった梅月が、口を開いた。

「本気の彼は、全員で掛かって連携を用いても止められまい。むしろ彼の力を、幾分か殺ぐだけだ」

ならば彼に任せた方が得策だ――という理性的な説得に、渋々と皆が納得しかける。
ただひとりを除いて。

「馬鹿な事いうんじゃねェよッ!! 得策!? 俺たちが安全ってだけじゃねェか!!」
「彼にとっては、僕らが居た方が危険だ。――足手まといになると言っている」

胸倉を掴んだ蓬莱寺を、梅月は静かに見返していた。

逃走経路が明らかに広がり、誰も昏倒させることなくこの場から離脱できると判断した緋勇は、後を梅月に任せ、茶屋を後にした。



「……こんなところで何をしている? 龍泉寺で面倒事が生じているのではなかったか?」

酒瓶を抱えた男が、いつも通りに詰まらなさそうに、だが、珍しく、己から、気の合わぬ相手に声を掛けた。

「知っているのならば、もう少し心を砕いたらどうだ、お前は」
「――心? お前には、連中など関係ないはずだろう? 時の狭間を越えた者よ」

魔である犬神の瞳に、己が異質に映るであろうことは、緋勇は気付いていた。
ゆえに突然の糾弾にも焦ることなく、黙っていた。

犬神の言葉は――事実であった。
龍閃組が鬼兵隊たちに討たれ、そして幾らかを道連れにしてくれれば、鬼たちを救うことの助けとなる。敢えて己を危険に晒してまで、龍閃組を助けることに、鬼にとっての利点は存在しない。

「なのに、足掻くと言うのか? お前が助けたいのは――どちらなのだ?」

数箇月前であれば、緋勇は簡単に答えることができただろう。
無論鬼だ――と。

少し前であれば、緋勇は悩み苦しんだだろう。
わからない――と。

今はまた、簡単に答えることができる。

「双方ともに。決めたのだ。傲慢であろうと強欲であろうと――陰も陽も零さぬと」

陰を助ける為だけに、陽を利用する気でいた。
確実性を考えて、陽を犠牲に陰を救おうとしていた。

犬神は笑った。


確かにこの男は強い。人の範疇をとうに超えている。
願いを叶える為に、世界すら越えた。

その強大な力を以ってしても、なお犠牲を払わなければ、避けることは難しい絶望が待ち受けているというのに。

どれほどに困難なことか――この男は理解しているのに。
零れる命の辛さを知っているのに。

それでも選択したのだ。

「くっく。……身勝手な男だ」

生まれつきだと、緋勇は平然と応じ、それにしても面倒だ――と、気乗りしない顔で、溜息を吐いた。

「皆殺しならば、大した手間ではない。何も考えずに暴れればよいのだから。だが、後を考えれば、人間は助けねばならんからな」

ぶつぶつと続く愚痴を聞いていた犬神は、ぽつりと言った。

手を貸してやろうか――と。

「ど……どうした? 寝ぼけているのか? 酔っ払っているのか? いや、むしろ酒が切れたのか?」
「貴様は……」

恐怖の眼差しで、矢継早に尋ねる相手を、犬神は睨みつけ、告げた。

「ただの気紛れだ。気にせずに――利用しろ」



「これじゃまるで、ボクたちは幕敵みたいじゃないかッ。こんなのって、ひどいよッ!!」

桜井が叫んだ。
龍泉寺を幾重にも囲む兵たちは――彼女は仲間だと思っていた、火盗改方同心たちであった。

「藍殿。小鈴殿と美冬殿を頼む」

静かに雄慶が告げた。
己が迎え討つその隙に、皆だけでも逃げろと。

危険だと首を振る美里に、そんなことは承知していると、雄慶は諭した。

「たとえ、この命を落とす様な事になっても、大切な友や大切な仲間たちを護れるのであれば、それは闘う意味がある」

絶望ではなく。諦めではなく。
死を覚悟しながらも、彼は笑った。

「俺は……龍斗やお主たちに出遭えて良かった。ありがとう」

あいつの事情を知りたかったのだがな――と、最後の未練を呟き、雄慶は歩き出した。

「ボクたちも一緒に闘うよッ!!」

だが、進む僧衣を掴み、桜井が首を振った。
今までもずっと共に闘ってきたのだと。自分たちも龍閃組なのだと。

懸命な眼差しに押されたのか、雄慶は危険になったらすぐに逃げることだけを約束させ、頷いた。


「むッ、ようやく出て来たかッ!!」
「ふんッ、権力に付随し、事の真理も見極められぬ愚か者が揃いも揃ったり。拙僧が成敗してくれるわッ!!」

まだ年若い少女ふたりに、男がひとり。
たったそれだけと見て、火盗改方同心らはふんぞり返った。

「おいッ、皆の者ッ!! 抵抗する者は、容赦なく斬り捨ていッ!!」

だが強気の指示に応えたのは、残念なことに悲鳴であった。

「うぎゃァァァァァッ!!」
「雄慶……啖呵は格好良いのだがな、能力特性と人数差を考えろ。お前は多数相手は向いてないのだから、美里を入れて闘える状況ではないぞ」

呆れたような声は、既に聞き慣れたもの。
何も語らない――だが多くのものを教えてくれた大切な仲間。

「龍斗ッ!! ……犬神殿ッ!?」

歓喜と、そして本物の驚愕の声に、緋勇は笑み、犬神はそっぽを向いた。

「待っていろ。すぐに済む」



頼もしい言葉は真実だった。
数の差など、ものともせず。たったふたり相手に、万全なはずの包囲網は裂かれた。

「今のは殺さぬように手加減した。死にたくなくば――とく去ね」

感情さえ宿さぬ声に、火盗改らは数歩下がった。
これだけの人数を、実質ふたりで簡単に薙ぎ倒し、呼吸すら乱さずに佇んでいる。

「くッ、くそッ」

あまりの実力差に心が砕かれようとしたときに、新たな人物が登場した。

「はっはっはっ。野良犬が、よう吠えるものよ」

京都守護職――松平容保。

「幕臣を軽んじ、それを嘲笑うかの如き命令違反。逆賊に情けをかけるかの如き所行。いずれも、我が幕府に対する反抗と見られても致し方ないものばかりだ」

野に生まれ、野に育った下賎の獣を、人間の枠の中で飼うなどできよう筈もない。
狗には狗の躾の仕方があるのを忘れていた。

一点の晴れ間のない、澱みきった表情で、彼は嘲笑した。



「松平様の御前であるぞ。早く、この者共を引っ捕えろッ!! 火盗改の力を御見せするのだッ!!」

懸命に心を奮い立たせたであろう火附盗賊改長官を、松平は冷え切った目で眺め、下がっておれと言い捨てた。
思わず聞き返す長官に、一層冷たく告げる。

「火盗改など、頼りにはしておらん。邪魔だから下がっておれといったのだ」

比類なき《力》を持った忠実なる駒を得たのだと。
反幕の志士、浪士共を一掃し、幕府は再び栄えると哄笑する松平に、美里が首を振った。

「そんな……武力で支配する世の中なんて間違ってますッ。多くの人々は、争いのない世の中を望んでいる筈です」

ちろりと視線を遣った松平は、粘着質に笑った。
人として見ない目。価値を推し量る検分。

「ふんッ……、その方、美里 藍だな。調べたところ、《菩薩眼の女》の忘れ形見だとか」

下らぬ民衆の御伽噺であろうが、確かめてみるのも一興かと笑う男に、美里は息を呑み、緋勇は押し黙った。

菩薩眼の女が彼女であることを知るのは、鬼道衆の中でも幹部に限られる。
その中の誰かから洩れた――いや、誰かが故意にもたらした情報なのだろう。

「たかが、ニンゲンが《人ならざる者》に勝てる道理はないわ」

ぺらぺらと続いていたご機嫌な口上に、緋勇と犬神は苦笑した。
緋勇は厳密な意味では、人ではなく、犬神はそのものの意味で人ではない。

「ニンゲンを蘭学と科学によって改造し、生み出された鬼の兵よ。その名を、鬼兵隊」

贋作は本物に敵わない。
そんな真理にすら気付ずに高らかに笑う幕府高官に、哀れむような声が掛けられる。

「愚かな……国を力で支配する事に、どんな意味があるというのです」

奥より出てきたのは、金髪の少女。
借り物の身体であることを理解し、現状を認識し、その上で、彼女は静かに語った。

祖国を思い起こさせるこの国の力になりたいと。
――戦により、多くの人命が失われる、哀しい時代を終わらせる為に。

助力、感謝すると頷いた緋勇は、真剣な顔で忠告した。

「雄慶、ピセル、ふたりを頼む。くれぐれもそこから出てくるな」

彼らであっても、守りに専念して欲しい。
心が無くても、虚ろであっても、鬼兵隊たちは、強力なのだから。


これから自分はどうすればいいのか――取り乱す火附盗賊改長官を、兵の一体は、何の感情も無く斬った。

命令ですらなく、ただ己の進路上に存在したから斬った。
仲間に何てことをと、非難する桜井に、不要な駒を排除しただけだと松平は嘯き、宣言する。

「もう、火盗改も龍閃組も必要ない。これからは、この鬼兵隊が、この国を支配するのだッ」



整然と動く人形を眺めていた犬神は、鼻で笑った。

「……下らぬ作り物だな」

ごきりと不吉な音をたてて、爪が変化する。切り裂く為のみに在るかのような、長く鋭い異形へと。

「珍しく意見が合ったな」

両の拳を合わせた緋勇は、肩を竦めた。
鬼兵隊の基本能力はかなり高い。数は相当に多い。

危険ではないが、少々面倒だなと思う。――このままでは。

「ふんッ、馬鹿め。この数の鬼兵隊を相手にするつもりか」

緋勇は、静かに笑い、問い返す。

「この程度の数で、どうするつもりなのだ?」

髪が、ざわりと揺らめく。
あくまでも薄茶であった筈の瞳の色が、金へ変わる。
こうなれば――面倒ですらない。

「ば、化け物めッ!! 鬼兵隊よ―――。ここにいる者共を皆殺しにせよ」

恐れも感情も知らない、哀れな人形たちは、命令された通りに迫る。
最強の存在に変じた、怒れる王龍の元へ。

「秘拳――黄龍ッ!!」

周囲一帯が吹き飛んだ。
幾体も同時に動きを止め、残骸を晒す。

目配もせずに、緋勇は敵陣へ駆け込んだ。
犬神は、その背を眺めた後に、逆方向へ歩みだす。

すれ違う鬼兵隊たちを、一撃で屠りながら。



「おい小僧」

呼びかけを無視し、暴れ続ける青年を睨み、犬神は仕方なしに言い直す。

「龍斗」
「いきなり名か。何だ?」

やっと意識だけを向けた相手に、犬神は訊ねる。

「確か、他の連中は、残してきたのだよな?」
「……ああ」

不興げな返事に、犬神は笑みを見せた。彼と知り合ってからの数々の腹立たしい態度を思い返し、意趣返しできる幸運に笑っていた。

「人望がないな。――来たぞ」
「なんだとッ?」

意趣返しは予想以上の成功。
狼狽を顕にして、緋勇は周囲の気配を探った。

探知に関しては、本物の魔たる犬神よりは流石に落ちる緋勇は、気配を探ることに集中し、直後、愕然とした。

喧騒に紛れてはいた。
彼ら自身、懸命に気配を消してはいた。

だが、確かに、慣れた気配をいくつも感じ取る。涼浬や葛乃辺りが講義したのかもしれないが、気配を消すことへの修練度の差が露骨に出ていた。

「……消えろ」

冷酷な命とともに、衝撃が走る。
周囲を一気に薙ぎ倒した緋勇は、不機嫌極まりない声音で語りかけた。

「人の話を聞かぬ奴らだ。いつまで下手な隠れんぼをしている?」

決まり悪そうに、ひとりひとり顔を出す。
――龍閃組全員が。


「先生? どういうことだ?」

皆を止める側に回っていたかのような人物が、率先してその場に居た。
己を睨む鋭い眼光から目を逸らしてから、俳人は答える。

「とりあえずは、はいはい頷いておいて、後で好きに行動すればいい。強い敵相手の基本だろう?」

演技だったのだと。
得策だと、安全策だと、筋道通った説得など、心にもない適当な言葉だったのだと。

悪びれもせずに、彼はそう応じた。

隣にいる少女も、そうそうと、にゃははと笑う。


「……お前らには護るべきものがあるだろう?」

義賊大宇宙党。
弱きを助け、強きを挫く。
護るべきか弱き民たちが、彼ら正義の味方を待っているであろうに。

「ええ、この地に住む皆を護らなきゃ。――あなたも含めて」
「義と情――今は情の方にウェイトを置きたい気分でね」
「そういうことッ!! 俺はお前…………おいらは、あなたに助けれられた。恩を返したいと思うのは当然でしょう」

豪快な笑いを消し、覚悟を決めた表情で断言する――元来気弱な少年の決意に、緋勇はそれ以上は責められなかった。


満面の笑みと拗ねた顔。
対照的な表情を浮かべる水と炎の少女に目が留まり、既に諦めの境地にありながらも、一応睨む。

「こら四神組」

本来であれば強制力すら有する相手に、ひとりの少女は、存じません――と、ぷいっと顔を背けた。

「護らせても下さらぬ主など、主ではありませぬ。ゆえに私も自分勝手に振舞い――貴方を護ります」

もうひとりはくすくす微笑みながら、自分もそうだと頷いた。

「宿星とかはよく分かりません。でも、私は――闇より救ってくださった緋勇さんの力になりたいんです」


こうまで断言されれば、何もいえない。
くしゃくしゃと不機嫌に髪をかきあげた緋勇は、最も分別があるであろう巫女を恨みがましく見た。

「先生にその気が無いのなら、面子から言って、お前に止めて欲しかったぞ」
「あはは、無理だね。皆やる気だったし――あたいも同じ気分さ」

豪快に笑いとばされて、緋勇は精神的な疲労により傾ぐ身体を懸命に支え、――最後のひとりに対し、恫喝交じりの声音で訊ねる。

「……関節を砕くと言ったろう?」
「『あの時』は追わなかったじゃねェか。ひとつ学んだ。真っ直ぐぶつかるよりも、絡め手の方が効くときもあるってことをな」

不敵に笑う蓬莱寺に、怒りが湧いてきたのか。
緋勇はつかつかと歩み寄って、無造作にぶん殴った。

――か弱き元凶を。

ごつんと、いい音がした。
生まれてこのかた、大量の絹に包み護られるような、高級かつ過保護な人生を歩み――それこそお父様にも殴られたことのない梅月は、僅かに涙目になって抗議した。

「……痛ぅ……『言葉遊びしかできねェ青瓢箪』になんて酷いことを」
「し……しつけェ」

さり気なく非難された蓬莱寺が、呆れた顔で呟いた。
嘗て蓬莱寺から投げられた言葉を、梅月は、それなりに恨みに思っているらしい。

「黙れ首謀者。……俺と犬だけならば、確実に安全に皆を助けられた」

互いに近付き過ぎないように。
それだけを念頭に、暴れ回れば、彼らならば怪我を『残さず』終わらせられた。

睨む暴力の化身に、俳人は、そんなことくらい分かっていたと、言い返した。

「皆が望んでいなかった。確実に何があろうと皆、死ぬのならば、それは僕も止めた。だが、それほど弱くもなかった。彼らは君の力となりたかった。……僕も含めて。――――だから、来ただけさ」

金の瞳を輝かせた、人外の戦闘力にて暴れる緋勇に、誰一人臆することも無く。
自分たちが望んだから、ここに居るのだと笑った。



呑気に目の前にて繰り広げられる会話に、痺れを切らしたようで松平が叫ぶ。

「たかが女子供が幾人か増えようが増えまいが、この大軍勢の前でいかほどだというのだッ」
「たったふたりに押されていた状態でよく吼える。……皆は、火盗改の皆様が巻き込まれぬよう、護ってやれ」

先程よりは余裕ができた。
それゆえに全く考慮していなかった者たちのことを、少しは気に掛けながら――やはり同じく暴れ続けるだけ。

時間の経過と共に、鬼兵隊らは倒されていった。



「歪んだ心を宿し、人の心を忘れたお主らに俺たちが斃されよう筈もない」

あくまでも穏やかに諭そうとする雄慶に、松平は苛立った様子で言い返した。

「幕府に逆らって、生きていけると思っておるのかッ?」

ただ生きてくのならば可能だろうと、当たり前のように笑いとばした緋勇に、怒りが限界を超えたのか。

「おいッ、何を見ておるッ!! この者共を斬り殺さんかッ!!」

恥知らずにも、つい先程に不要だと言い切った駒たちに、偉そうに命じる。
だが、無論火盗改とて、すぐに動くはずもなく。

「火盗改の使命は、この江戸を護る事だ。邪なる者を裁き、正しき世を創る事だ」

奇妙に停止した刻に、男の声が響いた。
御厨がそこに居た。嘗て叩きつけた十手を、今はしかと手にして。


狗が偉そうな口を効くなと吼える高官を、たかだか町同心は、正面から見返した。

「そう―――我らは、幕府の狗だ。だが、ただの狗ではない。高き志を持った猛き狗の群だッ。何者も、その道を塞ぐ事はできぬ」
「そうよ。それが、あたしたちの正義。火盗改が、火盗改たる理由よ」

誇らしげに頷いたのは榊。
その通りだと続くのは、与助。

同僚たちの力強い言葉に、元より居た火盗改たちに動揺が表れる。
迷いはすぐに消え――皆が頷いて、逆賊を捕らえる為に構えていた十手を下ろした。



幕府に逆らうつもりか。
愚か者どもが。

不利な状況にも関わらす、傲慢なままの男に、呆れたような声が掛かる。

「愚かなのは、お前さんの方だよ」

嘗て風々斎と名乗った男の声に、松平が目を見張った。

「この古寺も随分と賑やかになったものじゃな」
「おッ、お主らはッ!!」

皮肉な言葉と共に、続いた円空翁の登場に、初めて狼狽を顕にする。

何故ここにと睨む松平に、人を使って探っているのはひとりではないと笑う男が口にした、将軍という言葉に、蓬莱寺が反応した。

「おいッ、あのおっさん、将軍の知り合いなのかよ?」

それほど大きな声ではなかったが。
蓬莱寺の素直な疑問は、この静まりきった状況では、かなり響いた。

そういえば、素性を教えてなかったなと緋勇は視線を逸らした。
雄慶と美里は、軽く痛む頭を抑えた。

「ばッ、馬鹿者ッ!! あの御方は、軍艦奉行の勝 安房守様なるぞ」
「勝安房守? 勝っていや、開国派で有名なあの勝か?」

流石に蓬莱寺もその名は知っていたようで、御厨の言葉に、大口を開けて驚く。
当の勝は、今までの気さくな反応の通り、あまり礼儀云々は気にしない性質らしく、内緒にしとこうと思っていたなどと笑っていた。


尤も、何時までも長閑なままではいられないらしく、松平が嫌悪の情を誤魔化しもせずに、勝に話し掛ける。

龍閃組を逆賊だと断じ、処罰しようとする松平に、勝はからかうように尋ねた。

「お前さんの独断じゃねえのかい?」

確かに、家茂様の御意志だと断じながらも、書簡も見せぬ松平に、勝はますます疑わしいと言外に告げた。

松平は強硬に出て追求させぬつもりらしく、勝に、売国奴の疑いが掛かっているだろうなどと言い出した。
薩長とも通じているとの噂もあると。
――謀反人とされるとしても、自分の言動に意義を唱えるつもりかと、恫喝する。

下らねえと吐き捨てた勝に、松平は反幕の意志ありと断じ、歪んだ笑みを浮かべた。

「勝麟太郎……いや、勝海舟ッ!! 幕府に仇なす妖怪め。今、この場で、その素っ首、掻き斬ってやるわ」

困った人だと疲れた様子で――呆れていた勝は、不意に笑いを消した。

「やれるもんならやってもらおうじゃねえかッ!! だがな。その前に、その目ん玉、引ん剥いてよーく見やがれッ!!」

なんのつもりかと、詰まらなそうに視線を追った松平は、直後、本当に目を剥いた。
うわ言のように、ぶつぶつと呟く。

「そッ、そんな、そんな馬鹿なッ!! この御方が、江戸に……、江戸にいる訳は」

雹が操った人形と寸分たがわぬ男性が、そこに居た。即ち―― 十四代将軍 徳川家茂その人が。

嘗ては、そんな男ではなかったろうと。
人を殺める為ではない。人を護る為の剣であれと。

高官と高僧と将軍とに。
口々に諭された松平は、急に狂笑を浮かべて騒ぎ出した。

「今の幕府を支えてるのは、誰だッ!! 儂だッ!! 儂が支えてやってんだッ!! 儂の力がなければ、幕府などとうの昔に滅びておるわッ!!」

口角泡を飛ばし騒ぐ異様な形相に、不安に顔を曇らせたのは勝と将軍。

「松平殿、何をいっているのだ?」
「こ……これは、何とした事だ。かッ、容保ッ?」

不穏な氣に、顔を顰めたのは、円空と――緋勇。

「……本当に人間か?」

小さな呟きではあったが、皆が緋勇を注視した。
不審の表情で、彼は続ける。

俗物であった。下衆であった。
だが、少なくとも愚鈍ではなかったはずだ――と。

「なのに現状すら認識できぬ驕りっぷりは、強力で――愚劣な魔がしばし見せる傾向だ。入れ代わったか? 乗っ取られたか?」
「小鈴よ。弓弦を打ち鳴らすのじゃ。雄慶よ。経文を唱えよ」

言葉の意味に、いち早く気付いた円空は、矢継ぎ早に、指示を出した。

「『桑の弓、蓬の矢を以て、天地四方へ射祓えば、諸魔、障碍神は、大海、大地の底へ射落とさん』」

自身は祭文を口にする。

「止めろッ……。止メロ……、止……メロ」
「破ァァァァッ!!」

円空の気合に、松平自身は短い悲鳴と共に気を失う。
だが、その傍らには、黒い影が佇んでいた。

顔を布で覆った男――らしき人物は、何かがおかしい声で語った。

「漆黒ノ闇、訪レル刻、コノ世ハ滅ビル―――。因果ノ輪ト宿星ノ導キニヨリ大イナル刻ハ来タレリ―――」

「気をつけるが良い。あやつが、容保殿に取り憑いておったモノじゃ」

印を結ぼうとする高僧をちらりと眺め、男は震えるように笑った。

「コレヨリ半年ノ後、コノ国ハ闇ニ包マレル」

緋勇の身体が硬直した。
半年後に訪れる闇。心当たりはあの男。あの――地獄。

黒蝿翁と名乗った男は、目的を問われ、主が世の王となることだと答えた。

おそらくは、あのしゃがれた声の妖女と同じ立場。人でない身で、ヒトでなくなった紅の男に仕える者。

「クックックッ。マタ会オウゾ……」



勝と円空と。
そして何より将軍本人からの口添えにより、龍閃組への手配も解かれ、当然時諏佐も解放された。

よって、話したいことがあるという緋勇の為に、全員が龍泉寺に揃っていた。
犬神のみ、興味がないとだけ言い残して、姿を消していたが。

基本的には素直ではないが、時諏佐が戻ってきたのをしかと確認してから消える辺り、随分と可愛くなったものだと、緋勇は感心していた。


「さて……どの辺りから話すべきか。時諏佐も先生も大体分かっているのか?」

問いに、星を詠む青年と、如来の眼を持つ女は、揃って首を横に振った。

「あたしは先が視えるわけじゃない。ただ存在がずれていることは分かっていた。あたしの眼には、あんたが二重に映るのさ」
「僕に分かるのは君の進む先。人の未来は一本しかないはずなのに、君の場合は二本が螺旋を描いている。一つは真紅に塗れ、一つは僕でさえも詠めない混沌。それぐらいかな」

その位か――と頷いた緋勇は、しばらく考え込んでから、顔を上げた。


哀しくて辛くて―――鬼と呼ばれるようになった者たちが暮らす村があった。
悲しみと怒りを刃として揮う彼らは、闘いが落ち着いたときに知らされた。

陰と陽の闘い――龍閃組との闘いには、裏で糸を引く者が居たと。
闘いにより世が乱れることを望んだ男の為に、より激しく氣を動かすようにと、踊らされていたのだと。

――当の本人の口から。

あっという間であった。
黒幕とその配下により、村中の者が殺された。
闘う術を持っていたものも、持っていないものも、全て平等に。女も老人も幼子も。

朱色だけの世界で、血と臓物の溢れた世界で。

辛うじて生きていたのは、たったのふたり。

女にとって、そこは安息の地であった。

盲いた目と金の髪を持ち、不思議な唄を歌う見世物として扱われつづけた女は、自分を慕う子供たちを、己を受け入れてくれた村を助けたかった。

男にとって、そこは生まれて初めてできた居場所だった。

生まれおちたと同時に母の命を奪った男は、実の父により幽閉され虐待されていた。
とうとう父親を殺し、諸国をあてもなく彷徨っているうちに鬼たちと出逢った男には、差し出された腕だけが全てだった。


黒幕は、一つだけ失敗をした。

死の直前まで苦しめと、致命傷を与えただけで、止めを刺さずに去っていった。
最後のふたりが、殊更特殊な力を有し、特異な星の下に居るとも知らずに。


女は世界と世界を結ぶ糸を紡ぐという、神に近き力を持っていた。
男は黄龍という無限の容量を持つ魂を宿していた。


だから女は世界の因果すら歪める力で、男を過去へと送りこんだ。
世界でただひとり、どれほどの力を受けても壊れない魂を持つ男だからこそ、強大な力を揮って。

記憶も経験も強さもなにもかもがそのままに、嘗て妖艶な女と出会い、鬼の村へ誘われたのと同じ時分に、男は峠の茶屋で目覚め、見知った敵組織の人間たちと会った。

時は戻っていた。


誰もが男のことを知らなかった――忘れていた。
きっと喜劇の繰り手も同様。

時を登った男と、男を時逆の扉へと送り込んだ女を除いては。



決して口数の多くない男が紡ぐ物語を、皆が固唾をのんで聞いていた。

世界にたったふたりの歪みを知る者たち。

『また逢える日まで』

金の髪の少女は微笑んでいた。初対面のはずの男の名を呼んで。

『ああ、またな』

青年は頷いた。生まれて初めて会ったという少女に向かって。


男は――と、続きを口にした緋勇は、首を振って、言い直した。
俺は――と。

「俺は、龍閃組を――お前たちを利用した。あいつらを助ける為に、あいつらを殺さぬ為に、お前たちを死地に赴かせ、戦わせて。……すまなかった」


男は――緋勇は、忘れられているのだ。
『あいつら』―――鬼道衆から。


それゆえに、鬼たちは惑った。

知っているはずの見知らぬ、敵組織の拳士に。
懐かしく切ない、唾棄すべき敵対者に。

いつだったか、緋勇は蓬莱寺に語った。
女は確かにいるが、自分のことを忘れているのだと。
事情など知らない蓬莱寺には、優しく笑えた緋勇が不思議で仕方なかった。

「お前が言っていた女ってのは……」
「勿論、雹だ。あの時は癇癪を起こしてすまなかったな」

『漆黒の髪は腰まで流れ、高貴で玲瓏な眼差しが、不意に春のように融ける。美しく――可愛い女なんだ』

隻腕の面師に話していた人物像は、確かに彼女と重なる。

「お前は……それで良いのかよ、忘れられて、憎まれて」

ただ忘れられるどころか、憎まれている。

「構わない――皆が生きているのだ。雹も天戒も尚雲も桔梗姐さんも―――まあ、澳継とかも」

鬼たちの名を呼び、緋勇は微笑んだ。
今にも泣きそうな顔で、それでも耐えて。


「それよりも詫びねばならぬ。俺は――まだお前たちを利用する」

未来を、絶望を知り。
死の世界と分岐させる為に。

『嘗て』半年後に、鬼の暮らす村が襲われ『た』。
妖女の予言通りに、紅の死の具現が現われたように、龍泉寺も、影の男の予言の通り、標的とされているのであろう。

「こちらも同様、いや、俺が居る方が主に――黒幕付きで襲われるのだろう」

死神による襲撃を知った上で。
己はここに留まり、敵戦力を分散させたいのだと。

条件としては、あの村よりもこの寺の方が遥かにまとも。
全員が何らかの戦う手段を有するのだから、常人が多数暮らしていた場所よりは、悲劇を回避する率が高い。

但し――襲撃者は死の具現。
彼にとっては、龍閃組もただの村人も、大差ないかもしれない。

どれほど鍛錬しようと不安は消えはしない。
どれほど登ろうとも、まだ恐ろしい。

だが――護ると決めた。

「お前たちを全力で護る。誓おう」

頭を下げながらも、迷いの無い男に、桜井が最初に笑って頷いた。

「それで充分だよ。……ボクたちもキミを護る」

その通りだと。
自分たちも護ると頼もしく笑う龍閃組に、緋勇は視線を落とし、もう一度済まぬと呟いた。



湿っぽくなった空気を仕切り直すように。
帰還した指導者が、手を叩き立ち上がった。

「さあ、たった半年で皆、強くなるんだろう? 明日から必死で鍛えるんだろう? だから――」

時諏佐は悪戯っぽく笑み、酒瓶を取り出した。

――今日は、今だけは、存分に飲み明かそうと。

戻る