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花薄

「あの子達のこと、よろしく頼むわね」

自分と、双子の妹を撫でながら、しきりに母が言っていた。
天界での記憶がどの程度残るかは、個人差がある。俺には殆どなかった。

けれど、ここだけはよく覚えている。
何度も何度も繰り返し聞かされたから。

母は、ずっと気にしていた。
あんな馬鹿野郎の事を。


人界に下り、藤間家で出迎えた少女が微笑んだ。

「初めまして、蒼月様。イツ花と申します」

何かが懐かしかった。
うちの一族は基本的に惚れっぽい。なにしろ寿命が限られている。
悠長に躊躇する時間は与えられていない。

そして俺も、例外ではない。

「好きだ」

だからよろしくよりも、初めましてよりも、何よりも先に告げた言葉がこれだった。

「はいぃ?」

当然の如く、彼女は目を丸くする。
だが、構うつもりはなかった。

「好きだってば」
「ちょ、ちょっとぉ、蒼月さまってば」

押し倒そうとしたところを、妹と父に止められた。
しばらく、ふたりっきりになることを禁止される。

『ケダモノ。あーあ、ふたりいる兄が両方阿呆だなんて家族運悪いのかしら』
『それには俺も入ってしまうのだが。まあ、しばらくは距離を置くんだな、女の敵』

それが兄と息子に掛ける言葉だろうか。

別にふざけているわけでもなく。
一目惚れだったのに。

「普通、だからって押し倒しませんよ」
「うわぁっ、いつのまに!?」

ぶつぶつと口に出していたのか、背後から声を掛けられた。
イツ花……気配ないのか?

「蒼月様が、百面相していた辺りからです。格好良いんだから、まともにしてた方が良いですよ」

誉められているのか、貶されているのか
……多分、後者だな。

「そうしたら、手を出して良いか?」

まともを貫けば――良いのか?
イツ花は、哀しげに首を振り、小さく呟いた。

「蒼月様……。私とでは、何も生せないんですよ」

別に子を為すことだけが目的ではないと思うが。
過去にも、人を妻とした一族もいたはずだ。無論子は生まれなかったが。


だが、それが最低限の条件となるというのならば、簡単だ。

「じゃあ、朱点を倒す」
「そう願います。少しでも早く……その日の来る事を」


鳥居千万宮の更に奥の鳥居にて、奥義を行使する。
龍の形をした敵に肉薄し、太刀を揮う。

「うらぁ、源太両断殺!!」

剣の軌跡が、三ツ髪を両断した。しばらくの間もがいていたが、やがてその巨体は消え元の姿――奴の一本の髪へと戻った。
これで、二本目の髪を倒した。

「やったぁ、兄さん」
「さすがだな、蒼月」

飛び跳ねる妹と、誇らしげな父の顔。
だが、祝福してくれたのは、彼らだけではないようだ。

乾いた拍手の音が鳴り響く。

「本当にすごいね。流石は、僕の弟だ」
「朱点!!」

手を叩きながら現れたのは、紅の髪に金の瞳の、少年に見えるもの。
外見通りの年齢では在り得ない事は、その歪んだ表情から判る。

こいつが、朱点童子。
母はずっと、こいつを……。

父と当主が、俺と妹をかばうように前に立った。

「なにをしに来た。朱点」
「そう怖い顔をするなよ、美月。ただ、弟と妹が生まれたって聞いたので祝福にきたのさ」

睨みつける憤怒の眼差しにも臆する様子もなく、朱点はちらっと、こちらを見遣る。
弟と妹……。
確かに自分たちは母を同じくする兄弟。

「弟呼ばわりするな」

だが認めたい筈も無い。こいつは、一族の敵。
無性に腹が立ち、吐き捨てるように声に出していた。

「へぇ、強気だねぇ。二箇月やそこらで、早死にしたいのかい?」
「蒼月ッ!!」

指をただ此方に向けただけ。それだけの動作で、力の奔流が襲いかかってくる。
渦巻く真紅の焔が真っ直ぐに。
だが、俺は、髪も瞳も蒼の者。水術ならば、もう全て使うことが可能だ。

「真名姫ッ!」
「アハハハ、流石素質は良い。でも、まだ甘いねぇ」

背後から声が聞こえた。
この間合いで、この体勢――やられるッ!!

「氷月飛天脚ッ」

氷月の氣を受けて、気配が離れる。
すぐ近くを薙いだ鮮烈な力。

「おっと、よかったね、妹に助けられて」

嘲弄し、そして消える。現れた時と同じく忽然と。

あれが、朱点童子。
あれが――黄川人という名の兄。


今月に入ってすぐに、美月――瑚月が倒れた。
そして、イツ花が俺を呼びにきた。

当主が倒れ、だれかが部屋に呼ばれる。もう、何代も繰り返された事。

瑚月は、意外にも意識がしっかりしていた。
穏やかな金の瞳も、同色の髪も変わらなかった。

初めて、彼に指導してもらった時、童顔ゆえに、とても遥か年上には見えないと内心で考えていたことを覚えている。

だが、彼にはお迎えが来つつある。本当に一歳以上年上の人――、もう寿命なのだと認めざるを得ない。

「来たか。用件は分かるか?」
「大体はな。でも、俺が当主?一番向いてないんじゃないか」

当主という立場でありながら、指導を担当してくれた気安さからか、彼はこういった言葉遣いを許してくれていた。今もそれは変えない。変えたくない。

「お前には、一番伝えておいた方がいいからな。立場も、想いも」

どういうことだ?
首を傾げる間もなく、彼は語りだした。

「始祖から、代々の当主に伝わっている言葉がある」

くすくす笑いながら続けた言葉は信じられなかった。

『私には判っていた、初めて出逢った時から。
黄川人が、私に呪いをかけたことも。
あいつが、全てを憎みつつ、何かを必死に求めていることも。
だから、あいつを憎みきれなかった。これは私の我儘だ。だが……、願わくば、黄川人を、救ってやってくれ』


正直、耳を疑った。始祖は、朱点に騙されていたと思っていた。
何も知らずに、鬼朱点を倒せば、全てが終わると信じたまま逝った哀しい人なのだと。

「それが、本当に始祖の言葉だっていうのかよ。
俺は、あの馬鹿の胸に白刃を突き立てるために強くなったんだぞ!!」

母の哀切も、奴の養い親たちの言葉にも苛立った。
確かに奴は不幸だったろう。尋常でなく辛い運命を負わされていた。
だが――それでも気に病んで、今もあいつを想うひとたちが居るのに。

「なんだったら、拒否するか?その場合、氷月に継いでもらうが」

分かっていて口にしている脅迫だろう。
氷月には、そんな事を知らせるわけにはいかない。

「あいつにそんなこと、聞かせられっか。
いいよ、継ぐ。けど、できればっていってたんだよな。じゃあ俺の代で終わらせる」
「全く、お前は。一応兄だろう、あれは」

兄だろうか知ったことか。
あんな傍迷惑な馬鹿。

「知らねぇよ。瑚、あ、美月は当主になる前から、気付いていたのか?」

訓練の頃、さっさと奴を倒したいからと、続きをせがむと、複雑な表情をしていた。
母神殿に頼まれたことなどはないのかと。
本当に、兄をただ倒すつもりなのかと。

「いいや、でもおかしいとは思っていた。二代目の美月の交神相手、おぼろ夢子様だろう」
「そうだっけか」

さすがに家系図の全てを覚えているわけではない。
……当主になったら、覚えなくてはならないのだろうか。

「ああ、鬼朱点を倒しに行く前に、交神している」

当時ならば、鬼朱点を倒せば、呪いから解放されると信じていた筈なのに。

「本来、あの時点で交神するような相手ではない。強い子が必要になると、知っていたんだろうな。
……おまけに当主となるのは、職業・性別関係なし。基本的には、最も若い者がなっている」

それには気付いていた。
だから、うちには当主の家系等は存在しない。分家も本家も無い。
職業ごとの家系というのはあるが、それも双子が生まれれば臨機応変となるだけで、拘りもない。

「あまり、知らせたくないってことか」
「だろうな。単純に憎んでいた方が楽だからな」

ああ、その方が楽だった。
あいつが呪いを掛けた張本人で、始祖たち初期の一族は、それすら知らずに利用されて。
そう信じていた方が、簡単に憎めたのに。
知ってしまえば、いつか朱点の心の片鱗に気付いてしまうかもしれない。
知らなければ見過ごしていたほど小さなものに。

「ふん、当主はちゃんと引受ける。次の当主に変わる前に、あいつを倒しちまえばいいんだろう」
「それでも構わない。頼んだよ」


それから、元服までの間は、必死で大物達を倒した。
御姿絵を見たときから、決めていた事があるから。

「兄様は、交神したい神様が決まっているの?」
「ああ。お前はどうなんだ?」

元服が近くなったある日に妹に問われた。
誰とは答えず、逆に問うてみる。

「誰でもいいわ」
「お前なあ……」

どうにも投げやりだった。

「本当は、父様がいいわ。
いーじゃない!!氏神になったんだから!そんな目で見ないでよ。」

叫んだ後、照れたような顔になる。
冗談のふりをした本気――のようだった。

「冗談よ。そんな無理いわないわ。だから、誰でも良いの。能力から言うと、日光天トキ様かな」

だが禁忌に惹かれるのは、一族では珍しくなかった。
ただでさえ短い時間に、訓練期間という幼い間に、指導者や手の空いた一族が就ききりとなる。その相手が血縁であろうとも、惹かれる者も何度か出ていたはずだ。

「それで良いのか」
「ええ、朱点を討つためになら。兄さんは?イツ花はどうするの?」
「それも考えて、決めてある」

妹は実父を想い、兄は異父姉を想う双子か。
やはり似ているのかな。



今月の御予定は?

普段どおりに尋ねてきたイツ花に答えた。

「太照天昼子との交神の儀を行う」
「えっ」

絶句する。
そこまで驚かなくてもよかろう。

「えって何だ、イツ花」
「いえ、その、昼子様は、敬語もまともに使えないし、喋り方も変だとか……問題ないですか?」

なんだそれは。

「それに、昼子様は、蒼月様の」

そう言って、口を噤む。

姉だから、か。それが推測できないほど馬鹿じゃない。
だが構わない。

「お前に手を出しちゃいけないなら、似ている人に出す。それに、早く朱点を倒したいんだ」

そう告げると、彼女は黙りこくった。
まあ本当は似ているどころではないけれどな。



準備ができたからと、交神の間へ呼ばれ、赴いた。

「あれ、イツ花。舞は?」

そこにいたイツ花は、普段通りの姿で座っていた。
確か本来は儀礼用の装束を纏い、舞により異界の扉を開いたはずだ。

「昼子様との交神のおりには、イツ花はおりません」

御姿を見たときから、予想はしていたが、そんなにわかりやすくて良いのだろうか

「静かにしていて下さいね。何処かに飛ばされちゃいますよ」
「あいよ」

言われたとおり、目を閉じ静かにしていると、不思議な感覚が訪れた。

空気が熱い。火の氣を多く含んだ大気に、少々の息苦しさを感じる。
水の力を強く顕現する自分には、合っているとは言い難い空間だった。


「初めまして」

気分が塞ぎかけていた時に、背後から掛けられた声に振り向いた。

それはどう見てもイツ花だった。
遥かに、落ち着いた態度と話し方だが。声までもが、同じだった。

とりあえずは、気が付かないふりをした。
一箇月の限られた期間だけであっても、こんな生活をしたかったから。
イツ花と、初めて出会ったときからずっと。


「新しい御家族が、大照天昼子様の元より、……初代様!?」
「どうしたんだ、イツ花」

通常通りの口上中に、叫び声がした為出て行った。
そこにいたのはイツ花と紅の髪と瞳を持つ少年。
きっと、これが息子なのだろう。だが、何故叫んだんだ?

「あ、美月様。朱月様のお顔が、初代の美月様にそっくりだったもので」

「そうなのか?」
「ええ、髪と瞳が蒼だったら、区別がつかないくらいです」

終わりにしていいってことかもしれないな。

だが……イツ花は何故驚いたんだ?
朱月の顔くらい、この一月で何度も見ただろう?

まさか昼子と本当に別人なのでは――との危惧は、息子が否定してくれた。
訊いたところによれば、多忙を理由に昼子が直接世話をしたのは、一週間程度らしい。その時点では、我らの容姿とて十にも届かないだろう。


訓練中、朱月は途轍もない才能を示した。

術は、簡単に覚える。
奥義はすぐに使いこなす。まるで、剣の使い方を知っていたかのように。

この辺りはまだ納得がいく。
ここ最近の高い才能をもつ子ならば、訓練中に術をほぼ覚えることもある。奥義を使いこなせる。
だが、朱月は、何かが違った。



「今月の出撃隊は、俺、氷月、翠月、朱月、以上だ。場所は親王鎮魂墓だ」
「兄さん?初陣をふたり、連れていく場所じゃないわよ。正気?」

宣言すると、即反論が出された。
それも妹から失礼な言葉で。

「当然正気だ。俺が間違った事があるか?」
「ええ、しょっちゅう」

とりあえず、拳骨で殴る。そして、逃げる。
拳法家と素手で殴り合う趣味は無い。

それにしても失礼だ。考えは一応あるというのに。

朱点に聞かされた、崇良親王の話。文武に優れた親王は、病弱であった兄の妬みをかった。兄は民の信望を一身に背負った彼を疎み、そして謀略によって罪を捏造し、殺した。

彼の魂を解放するには、親子または兄弟が必要だと思う。

それに、初陣がふたりでは辛い箇所だと彼女は言うが、朱月は初陣と考えずとも良かろう。翠月も才能に関しては申し分ないのだから、無謀というほどでもない筈だ。


親王鎮魂墓という、難易度の相当高い迷宮にて、これほど瞬時に対応できる初陣の人間がいてもいいのだろうか。

朱月は、予想よりも凄かった。
訓練では、どんなに闘えていても、初陣――実戦は、普通ならば、どうしても怯む。

実際、素質だけで判断すれば、朱月にそう劣らない翠月でさえも、どこか怖がっていた。我ら一族の女は、伝統的に気丈なので、必死に耐えていたようだが、小さな焦りと判断の誤りが何度か見られた。

しかし、朱月には恐怖が全くなかった。
かといって、それは幼さゆえの無謀でもなく。
冷徹に的確に、敵を屠っていった。

確かに素質によって、経験の無さはある程度ならば埋められる。
だが、それを考慮しても、慣れすぎていた。朱月の行動は、歴戦の剣士にしか見えなかった。



「花月燕返し」

呟きのごとき小さな声。
朱月の剣が、親王の突進を防ぎ、返す刃で倒した。

瀕死はおろか重い怪我を負ったものもなく、剣士ふたりに拳法家ふたりという、偏った編成の割にはすんなりといった。

そこへ、例によって朱点が、嫌味を言いに現われる。
またいつもの話かと、眉を顰めかけるが、異常に気付いた。

「み…つき?」

魂抜かれたような、呆然とした顔をしながら、朱点が呟いていた。
初めて見る弱々しい表情に、純粋に驚かされた。
こいつにも、一応は罪悪感があるのかと。

始祖と朱点は、仲が良かったんだろう。

始祖は全てを知りながら、遺言で奴の事を、気遣って逝くくらいに。
朱点は、始祖と同じ顔をした奴を見て取り乱すくらいには。


千三十二年皐月、とうとう刻がきたことを噛み締める。

俺は、おそらく今月が限界だから。
始祖の言葉を次代に継がせないためにも、朱点を倒す。


頼んでおいた荷物を抱え、イツ花が都より戻る。
それは包装された状態でなお、強烈に匂った。

「美月さまぁ〜買ってきましたけど、これ本当にお飲みになるんですか?すごい匂いですけど」
「ああ。あ、樹月にも」

おそるおそる差し出す彼女に、頷いてみせる。
但し、鼻で息をしないように心掛けながら。

「おい。凄い色なんだが」

嫌そうな表情で、樹月が睨みつけてきた。
声が妙なことから考えるに、こいつも鼻での呼吸を止めているのだろう。

「俺もお前も、多分今月で死んじまうんだ。だったら、さっさと朱点の野郎を倒してしまおう」

樹月は先月から、兆候があったらしい。
俺は今月急にきたが、大体わかる。来月は乗りきれないことが。

「それは良いんだが、本当にこれを飲むのか?」
「これを飲まないと、戦力に戻れんしな」

確かにこんな毒か薬か投票させれば、満場一致で毒と決められそうなものを服用したいわけはない。だが、寿命は確実に動きに影響を与える。今は全盛時のように動く事はできない。

「では、美月様は東方淫羊根、樹月様は虎骨竜血を。どうぞ」

それを覆すのがこの薬。
どういった成分なのか、しばらくの間に限り、若き頃の力が取り戻せる。

樹月と顔を見合わせて、覚悟を決めて一気に流し込む。

……
…………

どちらからともなく、搾り出すように呻いた。

「朱点の野郎……ぶっ殺す!」
「同感だ。こんな不味いもん飲ませやがって」

寧ろ今の一瞬、死の世界が限りなく近付いたぞ。
可能な限り喉に触れないようにして、これか。


「今こそ、朱点童子との永きに渡る闘いの決着をつける刻だ」

総勢十一名、この内、今月死ぬであろう者が、俺と樹月。
来月は、氷月までもが。

時間がない。急がねばならない。


「弓使い 月姫、槍使い 藍月、拳法家 翠月、剣士 朱月。以上の四名を任命する」

最適かつ最強の人選で。寿命の観念からも、実力そのものも最上の彼らが直接奴と対峙する。
他の者は、塔にて散開し、鬼たちを堰きとめる。


何匹の雑魚共を斬ったか、数えていない。
気が遠くなるほど繰り返していたら、不意に鬼たちが消滅した。

……終わったのか?

しばし待機したのち、足止めはもう不要と判断をくだした。
塔の最上階では、四人欠けることなく無事であり、朱点の姿も無く――全てが終わったかのようだった。

母にそっくりな女性が、縛めから助け出されていた。
この人が始祖の母――お輪なのだろう。

「あんたは、美月!?どうして?」

感極まった様子で震えていた彼女は、朱月の顔を見て驚愕する。

またか――と。
イツ花といい、朱点といい――そう思いかけてから、間違いに気付いた。
彼女は、始祖の育った姿など知らない筈だった。赤子のうちに、引き離されたのに。

「私は一年八箇月で、死にましたよ」

あっさりと朱月が答える。
寿命で死し、だがなぜか再びこの家に生まれたのだと。

「じゃあ、本当にあの子なのね」
「魂はそうです。ずっと貴女を助けたかった。唯一記憶に残る貴女は、泣き顔だったから。大江山での、あの抱いてくれた時の……」

優しく目を細める朱月の表情は、いつもの彼のものではなかった。
渇望の末に会えた母の存在を、眩しそうに眺めていた

「美しいねぇ。とうに死んだと思っていた我が子は転生していた。しかも当主と大照天昼子の子、という立場と歴代最高の力を持って。 もうひとりの母を助ける為に。くくくっ泣かせるねぇ」

だが、朱点の声が、何処からか響いた。

つまりは朱点も知っていたのか。朱月が、始祖の転生だという事を。

「黄川人、もう止めよう」

哀しく、静かに朱月が呟く。
今更に気付いた。朱月はいつも朱点のことを黄川人と呼んでいた。
あまりに自然に口にしていたから、特に違和感も感じていなかった。誰もが朱点と呼ぶ中で、朱月だけが昔の名で呼んでいたことに。

もう遅い、朱点がそう叫ぶ。

「そういう風に、姉さんに決められているんだからッ!!」

泣いているのだろうか。
当人は――気付いているのだろうか。

お輪を体内にとり込み、異形へ変生した朱点は嘲う。

「どうする?美月。やっと会えた母親を殺すかい?」
「やめろッ。なんで、憎ませようとする。俺は……」

朱月は、途中で言い淀んだ。
今ならわかる。あの始祖の言葉を聞いているから。
おそらく続けたい言葉は、お前を助けたいんだ……だろう。

朱月の望みは朱点、いや黄川人の解放。
憎悪と怨恨に囚われ、自ら縛りつけた朱の楔から、あの馬鹿を――助けたかった。

しかし、それを遮る。

「憎むべきだからだろう」

前から分かっていたことだが、つくづくこの兄は馬鹿だ。
止めて欲しくて、憎くて――結局、朱月に任せて突っ走る気なのだろう。
だが、憎み合っていなければ、きっと朱月が苦しむから。だから、彼が助けたかった母親をもう一度巻き込んで。

なんて馬鹿だ。

どちらにしろ無条件で許すこともできないだろう。

彼は不幸だった。それは彼の責任ではなく。生まれたときから与えられていた。
だがそれでも―――他人に不幸を強要していいという事は、決してないのだから。

大切にしてくれる養い親がいた。氷の皇子も、九尾吊りお紺も、鬼に堕ちながらも気にしていた。
それでも、選択したのは復讐だった。それが新たな悲劇を生む事くらい分かっていたはずなのに。

当主として、しなければならない事は一つ。

「だから、あなたが出せないのなら、俺が指示を出す。だが、あなたが出すべきだ。隊長であり、最初の犠牲者なのだから」

苦しげに目を伏せ、朱月は、逡巡する。

無理だろうか?
それは仕方のないことかもしれない。それでも――どうにかなるだろう。

「私、藍月、伽月は直接攻撃と護り。月瀬は回復に専念。他の者は月影を起点として、雷獅子の併せを行う」

しばし後に、面を上げて朱月は宣告した。
それは凛然とした当主の顔だった。



月影に術を併せる俺達を護り、朱月、藍月、伽月が闘う。
そして、月瀬が卑弥呼を唱え続ける。

慣れ親しんだ氣の集中。
朱月が最大奥義行使の準備に入ったことがわかった。

藍月、伽月に目配せをすると、意図を察したのか頷いた。

彼らが同時に、朱月に萌子をかける。
月瀬も、此方の様子に気付いたらしく、癒しを止めて加わった。



発動までの間を稼ぐが如く、朱点の元へ雷獅子の併せが炸裂した。
この人数による併せの術は流石に痛手だったらしい。奴の動きが鈍った。


と、そう思った刻には、朱月は、もう奴の背後に潜んでいた。
冷酷なまでに冷静に。躊躇いも無く、その刃は発動した。

「源太両断殺」

一閃が断ちきった。続いた妄執も、膨れ上がった憎悪も、なにもかも。




光が収まったとき、赤子を抱いたお輪がそこにいた。
風神特有の、翠の髪をなびかせて。
その髪も瞳も表情も、母とまるで同じだった。

赤子は、朱点なのだろう。
邪気の無い顔で、笑っていた。

「みんなチャラでいいのよ。だって、こんなに可愛いんだもの」

優しい、母親の笑みを浮かべながら、お輪が撫でる。
奴が、くすぐったそうに笑う。

なんだかむかついた。

すっと近付くと、朱月にさえも止める隙を与えず、赤子の額に手刀をかます。

赤子は驚いたのかしばらく呆け、それから火のついたように泣き出した。

「ちょ……ちょっと、なにを?」
「父上ぇ〜」

呆気に取られたのか、しばらく誰もが止まっていた。

「チャラで良くないです。こいつのせいで、一族が何人も死んでいます。罪は償ってもらいます」

そうはっきりと断言した。
罪は罪。何もかもなくすには、こいつも我らもそして、彼女も手を紅く染めすぎた。
だから無条件で赦すことはできない。

告げると、お輪は不安そうにしていた。
対して呆れた顔を隠さない朱月。大体察しているのだろう。

誰も彼を裁かないのなら、朱点は己を赦せない。
罰を与えられなければ、罪を贖うことはできない。

「あなたは?」
「現在の藤間家当主、十代目の美月。片羽のお業の子、つまり黄川人の弟にして、私の父です」

朱月が、溜息をつきながら紹介をする。
父親に向かって、その態度は失礼ではないのか。

「ある程度育ったら、一発殴らせてもらいます。良かったですね。俺が拳法家でなくて」

それで我慢するよ。馬鹿兄貴。


祝勝に沸き立つ藤間家にて、話があると、全員が広間に集められた。

皆の前に立つのは朱月。
彼から、解呪後の説明がなされる。

「――という訳で、我らは皆、人と神どちらの立場かを選ぶ事が可能だそうです。
とりあえずは、この身体の寿命が来る前に決めて欲しいそうです。ですから、父上と樹月殿は特に急いでください」

ざわめきが、皆の間を走る。
漠然と、普通の人間になるのだと思っていたのだろう。

「利益、不利益はどうなっているんだ、朱月」

藍月が挙手し、単刀直入に尋ねる。

「人ならば、子を生せる。そして、五十年程度で生を終える。
ちなみに、力は今のままだそうだ。子供にもある程度は継がれるらしい」

五十年というのも、長過ぎて実感が湧かないけれど――と、付け加えた。
ええい、暗いことを。

「では、神ならば?」

これは翠月。彼女は既に、氷の皇子と交神していた。……全滅対策として。
来月には、子供が訪れる予定だ。

「神なら、昔黄川人が語った神の歴史と同じ。永遠に時が止まる。子は生せない。
人との間なら、生まれるのだろうが、おそらくは母上が許すまい。
新たな火種となりかねないからな」

あの人はやり手だから――と、朱月は苦笑した。

やり手か。確かにそうなのだろう。

朱点童子を倒すために、新たな朱点童子を創る。
大江の捨丸や雷神・風神の言葉といい、俺達と戦う事と引き換えに恩赦を与えていた節さえある。

全て創り出した新たな朱点童子の力を増し、試金石とするため。

けれど、全てが計画のうちならば、なぜイツ花を置いた?
自分の分身のような少女を、一族に深く関わらせた?

監視役ならば、己の姿と心を映す必要などなかった筈だ。

「朱月、イツ花は何処だ?」

朱月は、一瞬躊躇してから、答えを返した。

「庭にいましたが」
「あ〜、兄さん、とうとう手を出すのね」

氷月が、騒ぎ、皆が乗る。

「兄さんてば、来て早々に、いきなりイツ花のことを押し倒そうとしたのよ」


盛り上がり騒ぐ皆を置いて、部屋を出た。
人を肴に笑う連中の中でひとり、朱月は哀しい目をしていた。
あいつなら、確実に気付いているのだろう。



紫陽花の花に囲まれて、イツ花は、佇んでいた。

「倒したぞ、もういいだろう」
「美、いえ、蒼月様。
もう、気付いているんでしょう。私は非道い女です。伯母のことも、そして貴方たちのことも利用しました。すべては、朱点童子を倒すために」

じゃあなぜ、泣いている?
どうしてだ?

「どうして、イツ花を置いたんだ?ただ、見ているだけで良かっただろう」
「これは、人形なのです。
私が大江山で殺されなかったら、なっていたはずの姿を象り、操っているだけの人形」

そんな訳が無い。それなら今哀しそうに泣かないだろう!

「だったら、誰が死のうと泣かなかっただろう。喜ばなかっただろう、俺達の生還を。
イツ花が、素直にしてきたことは、お前が、振舞いたかった行動なんだ。
最高神であるお前が、できなかったかわりに」

もう我慢できない。どうしてすぐに悪ぶるんだ。この馬鹿姉と馬鹿兄は。 固く抱きしめる。禁忌だろうが不遜だろうが――知った事か。

「ああ、許されない。だって、私こそが本当の鬼」

生気の抜けた表情で、まだ言う彼女の口を塞いだ。
貪り、やっと力が抜けたのを感じ、もう一度告げる。

「知らない。知ったこっちゃない。初めて会ったときに言っただろう。一目ぼれだと」


結局、皆の選択は、ばらばらだった。

藍月と月瀬は惚れあっていたらしい。
だから、ふたりとも人間を選択するようだ。

一族内とはいえ、彼らは系統の違う家系だったから問題ないだろう。
もしも我らが、普通の寿命であったならば、付合いが絶えていてもおかしくない程の、遠い親戚だ。
これで、とりあえず、藤間の家も絶えずに済むのだろう。

月姫は、阿部晴明社の剣士と、月影は誠心女子の大将と出来ていたらしい。
だから人間になるそうだ。
そういえばその二名はよく屋敷を訪れていた。
尤も、目的は、他の者との勝負であったはずが、いつのまに……。
意外にやるな。

伽月、翠月、幻月、樹月、そして意外なことに氷月も、交神相手と添い遂げるために、神になるそうだ。妹は、交神相手への執着などないかと思っていたのだがな。

翠月の子は、生まれてから本人に選択させるそうだ。

朱月は、神を選ぶらしい。

黄川人が、何かをしたときの為に。
始祖であったときの相手――魂寄せお蛍と陽炎の由良との処理は、どーすんだと聞くと遠い目をして『どうしましょうかねぇ』などと呟いていた。

なんでも、敦賀の真名姫にまでも、言い寄っていたらしい。
意外と考えなしな奴だ。
まあ、あくまで朱月であろうとするのならば、真名姫一直線であろうと問題はないのだろうが。
……いいのか、美月の頃のことを清算しないで。


そして俺は、一応は神となり、イツ花と暮らす事になる。
昼子ではなく、あくまでもイツ花としての状態で。

この状態であれば、昼子の不在問題になる事もないし、念のため朱月が、昼子の補佐として入るそうだ。
権謀術数ばかりの天界の中枢へ。

昼子反対派の神達も、結果的に全ての神を解放し、事態を収めきった彼女に、なにもいえないらしい。いまや彼女は力でも功績でも、他を圧倒している。

尤も、そんな事は、俺には関係ないがな。
ただ永久にあいつと共に、いられるのならば、それで良い。