『お前たちは、色と心がまるで逆だな』
一族中に言われた。
自分の髪は蒼。多すぎるそれは鬱陶しく、いつも高く結い上げている。瞳の色も蒼。ゆえに与えられた名は藍――藍月。
なのに、性格はあまりに直情的で。
対して彼は、流れるにまかせた深紅の長髪に、同色の瞳。
燃え盛る焔の色を有し朱という字を冠しながらも、本人の心は何処までも水。
俺は、剣士になりたかった。始祖である人と同じ職業に。
だが生まれた家は、槍使いの家系だった。強制ではない。けれども、継ぐのが普通。
それでも、拒む事も可能だったかもしれない。近い年齢に、剣士がいなければ。
だが同世代に、剣士の家に生まれた朱月がいた。
たった一箇月だけの年上であったが、彼は即座に剣士を選択していた。
藤間では、基本的に職業だけは世襲制だ。
はじめに四つに別れてから、それぞれ、剣士・薙刀士・弓使い・槍使いの技を伝えてきた。
尤も、薙刀士の家系は、数世代前から大筒士に変わったが。薙刀士は、あまりにも男に向いていなかったのが原因だった。
双子が生まれた場合は、新たな職業を選択してきた。今では、その四つに加え、拳法家と踊り屋の家系がある。
皆が特に文句も無く、生まれた家の職についてきた。
ひとりだけ我を通すことなど、できなかった。
彼に憧れていたと思う。
就きたかった職業であり、強かったから。
そして何よりも、彼は自分が理想としていた性格そのものだった。穏やかな優しさと余裕を、どんな状況でも失うことがなかった。
神無月に入り、そろそろ訓練にも慣れてきた。
だが、親父は根を詰めることを許さない人間で、一定以上の時間が過ぎると、すぐに打ち切ってしまう。長時間の訓練が非効率的なことくらいは理解しているが、もう少し続けたくて、相手を探していた。
「藍月様、どうなさったんですか?熊みたいにウロウロして」
イツ花に、不思議そうに声を掛けられた。
失礼な奴だ。
「だれが熊だ。そんな事より、朱月を見なかったか?」
「朱月様でしたら、書斎で調べ物をなさっていましたよ」
こんな時期にか?
あいつは確か来月初陣だったはずだが――などと不審に思いながらも、イツ花に礼を言い、書斎へと向かった。
「どうかしたのか?」
入ると同時に声を掛けられた。
そう明るくも無いのに、よく気付くものだ。
「ああ、ちょっと用があってな。勉強か?」
「勉強と言うより、親王鎮魂墓について調べていたんだ。来月に、連れていかれるらしいんでね」
呆れているのか面白がっているのか。
どちらともつかない微笑を浮かべていた。
だが――正気か?
「親王鎮魂墓に、初陣でか!?」
「しかも翠月も一緒だ。ふたり初陣だな」
初陣の者が居る場合は、元よりあった迷宮へ赴く事が多い。
複数居る場合など、無論そのはずだった。それなのに、鬼朱点を倒してから現れた迷宮を探索するなどとは、信じがたい。
「当主も無茶な事を」
ただなんとなく、彼ならやりかねんとも思う。
朱月の父親である現当主も、蒼の髪と瞳ながらも、結構短気であった。
自分といい、当主といい、朱月といい、……髪と瞳の色と性格は、何ら関係のないものなのかもしれないな。
「理由はあるんだろうけどな。まあ、私は死にたくないから、その下準備として敵の構成とかを、調べていたのさ」
ぱたんと書物を閉じ、彼は首を傾げた。
「それで、どうしたんだ?」
ああ、半ば忘れていた。
そもそも訓練に付き合ってもらおうと思って、訪れたのだった。
「親父がもう疲れたとか言って、寝てしまったから、少し付合って欲しくてな」
「それは、紺月どのが正しいんじゃないのか?訓練時は、誰もが無理をしたがるものだから」
年寄りっぽい正論を言うなよ。
こいつは、時折年長者のような事を口にする。まだ訓練期間も終わっていないというのに。
「弓使い 月姫、槍使い 藍月、拳法家 翠月、剣士 朱月以上の四名を任命する」
選ばれるだろうとは、思っていた。
とうとうこれで終わり。因縁を断つ。朱点を滅する。
必ず成し遂げることを誓い、一族の集う座敷を後にする。
間に合ったことに、心底安堵する。交神のときを迎える前に、最終決戦となることが、因縁を断つよりも、宿敵を滅ぼす事よりも、遥かに重大だった。
「藍月」
背後から、そっと声をかけられる。
聞き慣れた女の声。
「月瀬か。良かったな、補佐で」
茶の髪に、緑の瞳を持つ、三箇月年下の踊り屋。俺が愛した女。
無論、一族同士では、呪いによって、子は生せない。何度か、抱いてみたが、やはり兆候も現われなかった。
種絶の呪いとは、本当に朱点の掛けたものなのだろうか。神側の都合に良い呪いとしか思えない。
ここ最近では、力の増大に反するように短命ぶりが加速し、一年半程度しか生きられない藤間の一族。なのに、子を産む為に、十月十日も待っていられない。ならば神との間に、短い間で子を生す。それは神の望むところなのではないのか。
「あなたは、一番大変じゃない!!あの朱点童子と、直接闘うなんて」
怒鳴られた。
月瀬も一族の女の例に漏れず、気が荒かった。
「俺はな、お前が良いんだ。神ではなくお前と共に在りたい。だから朱点の呪いを解かなくちゃならない。それを人任せにする気は、毛頭ない」
恐らく一族で一・二を争う程に自分本位な願い。それを人に任せることなどできない。
「だからって、……朱月さんに任せれば、あの人なら」
「朱月ひとりに背負わせてどうする。確かに、冷静な奴だがな」
昼子の子だから。当主の息子だから。冷静で腕が立つから。
奴がやたらと期待されていることは知っている。が……あいつに、すべてなんぞ背負わせない。
嘲う朱点は消えた。気配も確かに感じない。
今出来ることをすべきだろうと、朱点に囚われていた女性を解放する。
この人が始祖の母親。お輪という人なのだろう。
「あんたは、美月!?どうして?」
彼女は、朱月を見て、驚愕した。イツ花も朱点もそう言っていた。朱月と始祖の顔は、似ているらしい。
だが、何故彼女も驚く?伝承によれば、彼女が始祖と引き離された時点では、始祖は赤子。成長した顔など、彼女は知らないはずなのに。
平然とした様子で、朱月は肯定した。
自分が始祖の再生である事を。
「じゃあ、本当にあの子なのね」
「魂はそうです。ずっと貴女を助けたかった。唯一記憶に残る貴女は、泣き顔だったから。大江山での、あの抱いてくれた時の……」
優しく、労うように笑う朱月の言葉に、嘘があるとは思えなかった。
朱月が、……始祖だと?
あの落ち着き払った態度。年長者のような言動。
そうだ。確かに、いつだか当主が言っていたではないか。
まるで昔から、闘っていたかのように、術も奥義も、早く覚えた、と。
誰よりも優しく穏やかだったのは、始祖だったからか?
落ち着いた物腰と態度は、一箇月の年上ではなく、二年近く年上だから成しえたものなのか?
驚愕の隙を突くように、朱点が現われて、その醜悪に変じた身体にお輪を取りこんだ。
やはり死んでいなかった。
おまけに、知っていたのか。朱点が始祖だということを。
「どうする?美月。やっと会えた母親を殺すかい?」
朱月に向かって、囚われの母を見せ付け、狂ったように笑う。
「やめろッ。なんで、憎ませようとする。俺は……」
朱月が、自分を『俺』というのを初めて聞いたと思う。あいつはずっと――『私』だったはずだ。何よりも、口調が全く違う。
朱月の苦しげな言葉を、当主が途中で遮った。厳しく、そして正しい言葉で。
朱月は、黙り込み、下を見ていた。静かに身動ぎもせずに。それは長いようで、一瞬だった。
「私、藍月、伽月は直接攻撃と護り。月瀬は回復に専念。他の者は月影を起点として、雷獅子の併せを行う」
顔を上げ、その指示を出した朱月は、いつもと表情が違った。
穏やかで優しい笑みは消えて。冷ややかに厳しく、凛然と。
間違いない。あれは、幻灯で見た、始祖の貌と同じ。
幾度目かの交差。
襤褸切れのようになりながらも、未だ抵抗を止めず、朱点は嘲笑い続けていた。
その姿をひたすらに哀しい目で見つめていた朱月が、感情を切り替えるかのように、軽く頭を振ってから、気を集中した。
これだけの力……おそらくは、剣士の最大奥義。今は発動までの『溜め』だ。
何人かが、その朱月に気付き、萌子をかける。
犠牲の始まりであり、最後の隊長。
幕を引くのに、最も相応しき者に。
それから併せの雷獅子が発動するまでの間、今現在奥義を持つ者たちが、ひとりずつ叩きつける。
思いの丈を込めて。仇敵へと。
「月瀬獣踊り」
月瀬の舞により、立っているだけで気が遠くなるほどに疲労した身体が軽くなり、力が溢れだす。まだ闘える。
「連発式邑月」
「連弾弓霧月」
雨あられのように降り注ぐ矢と砲撃。弓と大筒の連弾により、朱点の足の部分が射貫かれる。
「百烈翠月拳」
所詮は人型。足をやられ、動きが遅くなった所に、間近へと迫っていた翠月の三連撃が決まる。ごきりと鈍い音が響き、左腕の手首の部分が、折れ曲がる。
大切な者たちと出逢えたし、まだまだ寿命には間がある。だから……実は大して憎んでいない。
お前を倒したいのは、私情。一族の恨みを晴らすのでも、人々の安全を護るのでもなく。ただ好きな女と暮らしたいから。
お前の不幸な人生には同情もするけれど―――大切なのは、他に居る。ゆえに躊躇いもなく最大の奥義を行使する。
「万歳殺藍月」
残る体力さえ引き換えにして、己の最強の技を放った。
槍という攻撃力の高い武器。そして上乗せされた生命力。右腕に当たる部分が、耐え切れずに弾けとんだ。
『雷獅子』
併せの術が炸裂し、朱点の身体は、半ば消し飛んだ。
あとは――――と思ったときには、朱月は奴の背後にいた。
「源太両断殺」
声は沈み、瞳は哀しく。
それでも太刀だけは、静かに、そして冷徹に、揮われた。
悲しくなるほどに澄んだ、美しい光が乱舞する。それは、しばらくの間続いた後に、唐突に収束した。
その中心にいたのは天女姿のお輪と、赤子に戻った朱点。
「みんなチャラでいいのよ。だって、こんなに可愛いんだもの」
赤子を撫でながら、お輪が微笑んだ。
……全てを無しにするために、今まで俺たちは苦労してきたのか。
正直、納得できなかった。
だが、自分には口を出す資格は無いと思い黙っていたら、いきなり当主が赤子を小突いた。
呆気に取られる皆には構わず、彼は平然と言った。
「チャラで良くないです。コイツのせいで、一族が何人も死んでいます。罪は償ってもらいます」
言葉どおりではあるまい。彼も彼らの弟だから。損な役割を引き受ける性分がある。
誰もが朱点を赦してしまったら、朱点はいつまでも己を赦せないから――――なのだろう。その罰が、成人したら殴られることというのは、少々ひどいような気もするが、基本的には賛成だ。
受けてもらおう。
全てが終わった。
そう思っていたら、大広間に一族全員が集められた。
朱月から、『その後』の説明がなされる。
もうこの力は必要ないから。力を爆発させる為の交神もいらないから。
だから選べる道はふたつ。神となり、永遠に時を止めるか、人として、有限の生を生きるか……か。
俺は、どちらでも良かった。ふたりで永遠に生きるのも、子を育て慌しく駆け抜けるのも、あいつとならどちらも楽しそうだった。
だから、月瀬に訊ねた。
「どうする?お前にあわせるぞ」
「藍月、永遠でなくてもいい?私、自分のお腹で、あなたの子を産みたい」
家族を手に入れて、永遠を放棄する方か。
わかった。
「では、人となろう。有限でも、お前と共に居られるのならば構わない」
朱点を倒し、人間となってから、四十年以上が経過した。
四十年は長い。その間に、黒の髪に黒の瞳の、長女と長男が生まれた。
そして、長女はある公家に嫁ぎ、ふたりの息子を生んだ。長男は、男女の双子と、もうひとり男の子をもうけた。
最初の孫である長女の息子は、この春に第一子をもうける。
綿々と伝わる血脈。これが正しき人の姿。
だが――曾孫に会えるかは分からない。もう、本当の寿命が近い。
顔を見たいなどと願ってしまう。贅沢になったものだ。昔は、こんなに長く生きられるとは、考えた事もなかったのに。
「年を取っても、美形なんだな」
気配もなく突然に掛けられた声に、愕然と振り向く。
そこには朱月がいた。あのころと寸分違わない姿で、紅の美貌が微笑んでいた。
「何をしに来たんだ?」
「お別れ」
婉曲表現を知らん奴だ。
やはり……間に合わないのか。
「はっきり言う奴だな。あとどのくらいだ?」
「約二箇月」
二箇月か。順調な場合でもぎりぎりだな。
「失礼します」
そこに、孫が入ってきた。
そういえば、薬の時間だったな。
「おじい様、薬湯を……何奴!?」
彼にとっては朱月は、見慣れぬ闖入者にすぎない。懐剣を抜き、朱月に斬りかかろうとする。
……それは無茶だぞ。
当然ではあるが、止められていた。しかも指二本で、刃先を止めて。
嫌味以外のなにものでもないな。
「お孫さん?」
そのまま剣を取り上げながら聞く。……わりと嫌味な奴だったんだな。微笑みながら、敵愾心もない相手に、簡単に武器を取られたら普通は哀しいだろうが。
「ああ、影月(えいげつ)やめろ。藤間の始祖だぞ」
「え、あの?」
ある程度は話してある。息子にも娘にも、そして孫達にも、力はそこそこ受け継がれていた為に。何も知らないでの力の制御は難しいから。
「髪も瞳も黒い人が生まれるようになったんだな。それに、名前も踏襲してくれているんだ」
朱月は、影月の髪を撫でながら嬉しそうに言った。
照れているだろう、撫でるのは止めてやれ。
「子供達から黒目黒髪だ。だから、そのうち名前は、月を継ぐだけになるだろうな」
黒に関する名を付けていたら、あっというまに尽きてしまうだろう。
肩を竦めたら、朱月は嬉しそうに頷いた。それが正しいのだろうな――と。
それから、奴は軽く首を振ると話題を変えた。
「何か希望はあるか?ある程度なら、叶えられるけれど」
ああ、これを訊きにきたのか。
もう本当に、お終いなのだな。
「希望か。なんでもいいのか?」
「できる事ならね」
わざわざ注釈をいれやがった。だが、勿論『できる事』の範疇だろう。
一度、こいつに頼んで見たかったことがある。
「じゃあ、本気で闘ってくれ」
今度は、わざとらしくため息をつきやがった。
「それを言われそうで、嫌だったんだけどな」
「訓練場は、こっちのままだ」
背を向け案内しながら、高揚する気分に苦笑した。
これではまるで恋だ。こんなにも彼との闘いに焦がれていたのだろうか。
ずっと本気で闘ってみたかった。美月だと……始祖と知る前も。知ってからは尚のこと。
「ちょっと動かないで」
訓練場に着くと、朱月がなにかの印を結び、術を展開した。
この空気からすると、かなり高度な術だろう。
「何をする気だ?」
「どうせなら――な」
薄く笑うだけで問いには答えず、術を行使する。
なんだ?身体が妙だ。
「何をしたんだ?」
「おじい様、素敵!!凄いわ。こんな美形がふたり並んでいるなんて!!」
朱月が答える前に、甲高い声が響いた。
目を向けずとも、誰だか分かる。
「彼女も、お孫さん?」
朱月がそちらを指しながら、首を傾げる。
影月が連れてきたらしく、そこには、彼と双子の御月がいた。だが、何を騒いでいるんだ?彼女が騒がしいのは、珍しくも無いが、それにしても激しすぎるだろう。
「ああ、そうだが」
「へーふたりで御影石なんだ。綺麗な名だね。で、髪見てみ」
言われるままに目をやると、肩にかかる髪が、蒼に変じていた。ちょうどあの頃のように。
「おい」
「どうせなら、その方がいいだろう」
鏡を見ると、あの頃と同じ顔がいた。
彼らと共にいた頃の。闘いに明け暮れていたあの頃と同じ身体。
「ちょっと待て。髪を束ねさせろ。お前、よくこんな状態で闘えるな」
年老いても、髪の量が多いのは変わらなかった。
前髪など鬱陶しいほどに、視界を塞いでいる。束ねなければ話にならない。
「慣れるとたいした事でもないぞ。昔、孫に束ねない方がいいと、せがまれたんでな。
美月の印象を、消すためという理由もあったが」
孫?お前は子供すら……ああ、美月の孫か。
言われてみれば、確かに幻灯の始祖は青の髪をゆるく束ねていたな。
群雲の剣……水の宝剣の名を朱月が。
豪槍吠丸……火の霊槍の名を私が呼ぶ。
使い慣れた得物が、手の中に召喚される。武器も互いに逆の方が、合っているはずなのだよな。……奇妙な縁だ。何もかも逆で、それゆえ気が合っていた。
間合いから、充分余裕があると判断し、補助の術を行使する。
「「太照天」」
同じ光が弾け、声が唱和する。
思わず笑ってしまった。戦略に関してだけは、似たところも多かった。
そういえば、よく戦術も重なっていたな。
間合いを詰め、槍を揮い、跳び退き躱す。延々とこれの繰り返し。
途中、何度も、刃先が頬を薙ぐ。
蒼と紅の髪が幾本か、宙を舞う。
ぎりぎりの中の充実感。何時果てるともしれない緊迫感。
かすめる刃が、剣戟の音が、痺れる腕が――――愉しくてしょうがない。
永劫に続いて欲しい。
「はぁぁ」
「ヤッ」
気合と共に、双方が全力で突き出した。結果、剣と槍が縺れて飛ぶ。
クソッ、引き分けか?
本当に、一瞬だけ意識が逸れた。槍との距離を測り、跳ぶか否かを考えた間。
その一瞬で、朱月は目の前に迫っていた。
剣など見向きもせずに、その腕を揮う。最も得意な呪と共に。
「七天爆」
至近距離から、焔が襲いかかる。
朱月の焔を喰らうなど、考えただけで怖気立つ。
「真名姫ッ」
必死で、防御のために術を使う。私の水なら間に合い、そして消せるはず。その判断自体は正しかった。
だが、大量の水蒸気が発生し、視界が極端に悪くなる。
しまった。これが狙いか。
距離を取ろうとしたが、腹部に膝蹴りが入り、吹き飛ばされる。
起きあがろうとした時には、目の前に刃先が付きつけられていた。
「普通、あれで終わりだと思わんか?」
溜息を吐きながら起き上がる。武器での闘い自体は互角だったのに、こんなところで差が出るとは不覚だった。
私の心構えが悪いということになってしまうではないか。
ふっと鼻でせせら笑い、朱月は肩を竦めた。いや……表情からも分かった。『朱月』だけではない。
「お前が、『本気』でと言ったんだ。『俺』は実戦なら、絶対に諦めん。剣がとばされようが、術がある。それも駄目ならば、身体がな」
口調が更に裏付ける。
そうだ。『美月』は、こういう人だった。
「わかったよ。ありがとうな」
これで本当に悔いはないかもしれない。
ああ、願いはあと一つあるが。だが、それは時の運に任せるしかあるまい。朱月に頼めば叶えられるような気もするが、我らは自分の意志で人を選んだのだから。今更寿命の操作など、おこがましかろう。
周囲を囲む家族をひとりひとり見つめる。
曾孫は間に合った。一週間前に生まれ、その紅葉のような小さな手を握った。これで本当に何の悔いも無い。妻の手を握り、もう一度小さく頭を下げる。
「この家に生まれたこと、恨んだことは一度もなかった。本当にな。……ありがとう」
今周りに居る我らから生まれた血脈だけではなく、何処かで見ているであろう今は遠き一族達にも感謝を込めて。
本当に恨んだことなどない。
こんなにも幸せだから。
人ではありえない力と重い宿命を背負い、それを果たし、解放されたのだから。
大切な子らを育み、平穏な普通の生を過ごすこともできたのだから。
藤間家の『人間』としての始祖、藍月は四拾五年三箇月の生を終えた。
妻や子孫たちには直接に。そして遥か遠くから、『神』となった親族たち全員に看取られて。
その半人半神であった激動の数年と、人であった平穏な数十年を、どちらを厭うこともなく、どちらもが、大切で幸せであったと、微笑みながら逝くことができた。
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