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卯の花月夜

   うっう……
   あ〜ん
   わ〜ん…

川辺で、啜り泣き、それでも声を洩らさぬように唇を噛み締めて何かを探していた幼子が、ついに堪え切れなくなったのか、声をあげて泣き出した。

その場に居たのはふたり。幼子と青年。
静かにただ佇んでいた青年が、やや苛立った表情で少女に声をかける。

「餓鬼……煩いぞ。俺は今、考え事をしているんだ」

それはほんの僅かな苛立ち。
視線にも僅かな険。だがその僅かな怒りに、少女は過剰に反応した。
怯え震え、そして頭を必死に下げる。

「ご、ごめんなさい。打たないで下さい」
「……どういう生活をしているんだ。お前、親は?」

青年は呆れた顔になる。
少女は頭を庇い、しゃがみ込んで震え続けていた。それは小さな事でも暴力を理不尽に振るわれる待遇に、慣れてしまった者の反応だった。
……少なくとも年端もいかぬ少女が示す反応ではないはずだ。

「親は、鬼に殺されました。い、今は施設で、修行とか掃除とかをして…うッ……」

口篭もり、涙がじわと滲み出す。それでも声を上げぬようにと、拳を噛んで声を押し殺す少女に、青年は手をかざす。
びくりと硬直し、きつく眼を閉じ細かく震えながら、それでも逃げない少女の様子に、青年は呆れた顔になり、その手を少女の頭に軽く置く。

予想と違う行動に、少女はそっと目を開いた。
長身の青年は、少女と目線を合わせるため屈みこんでいた。同じ位置にある瞳が優しく笑み、その手は頭を撫でつづけていた。暖かなその手が触れた箇所から、痛みが引いていくような気がした。

「泣くな。全く……俺の方が年下なんだぞ」
「え?」

何か奇妙なことを言われ、少女は聞き返した。
二十を超えているであろう青年のいう冗談だろうか。

「なんでもない。お前、名は?」


「強くなれば良い。何者にも虐げられることのない強さと、何者をも虐げることのない優しさを持て。お前には、それだけの時があるのだから」


懐かしい……。今のは、遥か昔の夢。

泣きじゃくる幼子――あれは、私。力なき時。ただ泣くことしかできなかった時代の。
男――あれは、今考えれば化生の一族、藤間の者。

蒼の髪と瞳、人に有らざる美貌。
だけど、彼は私を救ってくれた人だ。


あの懐かしい夢を見たのは、予兆だったのだろうか。
御前試合の組み合わせを見て、息を呑んだ。

「うそ。一回戦から、あの化け物たちが相手!?」
「絶対無理じゃない。ねえ、棄権しない?大怪我するかもしれないし」

姉弟子たちに至っては、卑屈なことまで口にしだした。

「ふざけるな。やりもしないで、諦めてどうする」
「でも無理よ」

不安そうに、瞳が曇る。
鬼の討伐時でさえ、これほどの怯えは見せまい。それほどまでに――あの一族が恐ろしいのだろうか。

「煩い」

言い捨てて、ごねるふたりを、半ば引きずるように、無理矢理参加した。

対峙する藤間一族は、四人。
槍使い・大筒士・踊り屋・弓使いか。ただでさえ人数上不利なのに、相手はあの藤間。
油断などできる筈も無い。一挙一動見逃すまいと、目を細める。

「はじめっ!!」

だが、審判の開始の合図と同時だった。
凄まじい衝撃。

「きゃあぁぁ」

大筒士の散弾銃による一撃のみで、姉弟子たちは簡単に倒れ伏した。

「くッ」

こんな簡単に、終わりにするわけにはいかない。諦めない――それはあの人から学んだ事。
私は、手傷を負ったものの、どうにか構え直した。

なッ!!

穂先が目の前にあった。
一瞬で間合いを詰められた……のか?脚を踏み出す姿さえ見せずに、ただの一呼吸で。

「終わりだろう?」

青の髪の槍使いに問われた。殺気に満ちた、冷たい瞳で。

頷くしかなかった。
こんな……。一回戦で、簡単に負けるなんて。


耐え切れぬ悔しさで俯いていると、暖かい光に包まれた。
あの人と同じ、暖かい癒しの術。

「すみません。大丈夫でしたか?」

整った穏やかな顔立ちの男が、私達に春奈をかけていた。

「おい……月影」
「いいだろ、これくらいの時間」

その男――大筒士が、先程の槍使いに言い返した。
青の槍使いは呆れた表情のままであったが、それ以上議論する気はない様子で、黙り込んだ。


だが、槍使いが正しいと思うぞ。却って屈辱感を与えるとは考えないのか?

「なんのつもりだ?」
「だって、女性に怪我なんて」

きつく問うたらば、最も聞きたくない言葉が返ってきた。
女だから――か?
あまりに苛立って、寧ろ口元に笑みが浮かぶ。

「私はそういう言い方をされる事が、一番嫌いなんだッ!!」
「気に障ったなら、謝ります。でも、俺が厭なんです。動かないで下さい」

怒鳴りにも臆さず――意外に強い口調で言われ、動けなくなる。
手持ち無沙汰で、仕方なしに観察していた。
間近で、さらさらと翠の髪が流れる。強い輝きを有す瞳は、蒼だった。

この髪と瞳が、この一族が神の使いとも、実は鬼だとも囁かれる所以。
巨大すぎる力ゆえか、美しすぎる容姿ゆえか、はたまた特異な色ゆえか……朱点童子の主たる眷属を、数多く屠ったこの名家は、尊敬される反面で、多くの京の人々に、疎まれ、恐れられている。



しばし色彩に見惚れている間に、傷は治っていた。
まったく、なんて術力だ。桁が違う。

「もう大丈夫だ。さっさと次の仕合に行け」
「本っ当ですね?」

何故そこまで拘る?
どうだって良いだろう?私のことなど。

連中のことが気になって、決勝を観戦しようと会場へ向かう。
私に気付いた姉弟子たちが手招きをしたので、遠慮なくそこにいれてもらうことにした。

決勝は、大方の予想通りに、藤間と阿部晴明社。ここ数年は、この組み合わせしかない。


「凰招来」
「芭蕉嵐」

当代随一と称される阿部晴明の術を、青の槍使いが風で拡散させる。
槍使いは、術は苦手ではないが、得意でもない筈なのに術士の術を防ぐか。

「「「凰招来」」」

他の三人による併せの術が、炸裂する。
起点は踊り屋の女。それでは凄まじいことに――との予想は当たった。
嵐と見紛う程の竜巻が発生し、周囲を蹂躙していく。

「勝負あり!藤間一族!!」

結果も、皆の予想通り。ここ数年と同じ事。



「やっぱりとんでもないわね」
「一回戦負けなんて悔しいけれど、仕方なかったわよね。だって、あの一族だもの」
「そうよ、あんな化け物たちなんて」


悔しそうな色は隠さない会話を聞きながら考える。
仕方なかった?いや――――納得いかない。

確かに、あの一族は強い。今回も当然のように、優勝した。だが、一回戦の時点では、槍使い以外は、まだ闘いに慣れていないところがあった。回を進む毎に、全員が歴戦の勇士へと変じていったが。

あの大筒士の男だってそうだ。確かに最初から強かった。
だが、決勝の頃には熟練が加わり、別人だった。決勝時の奴ならば、私も一撃で倒されていたはずだ。

……あいつら。御前試合が、闘いの馴らしの為の場なのか?


「くっ、まだなのか。一体、なんて所に住んでいるんだ、あの一族はッ!」

山道を登る事、二時間を超える。
いい加減に苛ついて、路傍の石を蹴って罵った時だった。

不意に、背後から声が聞こえた。

「何か、ご用ですか?お嬢さん」

気配なんて無かった!!
急ぎ振り向くと、驚くほど至近距離に男がいた。

腰までなびく、紅の長髪。笑顔なのに、全く笑っていない朱の瞳。
寒気を感じるほど、綺麗な男だった。
……似ている。あの人に。
あれから十年以上経っているのだから、そんなはずはないが。

「ここから先は、我が家しかありませんが?」

男は、あくまでも微笑んでいるが、どうしようもないほどに目が冷たい。
その質問に答えなければどうなるか――想像したくはなかった。

「あ、ああ。大筒士の男に会いたくて」
「大筒士?ふたりおりますが、髪の色は?」

ああ。詳しく容姿を説明せずとも、色でわかるのか。

「翠だ。瞳は蒼」

「なるほど。で、肝心のご用件は?
よくいらっしゃる、化け物と罵声を浴びせる人種の御ひとりでしたら、この場で殺しますが?」

変わらない笑顔。変わらない冷たい瞳。
髪の毛がふわりと、巻き上がる。彼の全身を彩る殺気によって。
鳥肌がたつ。苛烈で、鮮烈で、綺麗すぎて。

「ちが……う。納得がいかなかったからだ」

歯を食いしばって否定する。貴方たちを化け物などと思っていない。
それは、あの優しかった人を否定することになる。

「納得?」
「ああ、貴様ら一族は、御前試合を初陣の舞台にさせていないか?
今回は、槍使い以外初陣だろう。ぎこちなさがあった。決勝の頃には消えていたがな」


それが考えた末の結論。渋る顔の阿部殿に、ここ数年の仕合の様子を聞いて確信した。
一体何人の手練を抱えているのかは知らないが、御前試合に参加するのは、いつも慣れた者がひとりか多くてふたり。残りは初陣らしき連中。
他の者たちが、名誉の場と、修練の成果を見せつける場として、全力を尽くす御前試合が、彼らにとっては慣らしの場。

「で、それが真実だとしたら、どうなさるんです?」
「どうもしない。ただ、勝負したいだけだ。初陣の状態ではないそいつと」

冷たさが消えて、面白がるような笑みが広がる。
彼は腕を組み、しばし考え込んでから、面を上げた。

「とりあえず、理解はしました。でも、なぜ大筒士だけに拘るんです?」


言われてみれば、なぜだろう?
自分でも、よくは分からない……が。

「私たちを倒したのが、実質上そいつだったからだ」

おそらくそうだ、……そのはずだ。
手慣れぬ様子で砲身を構えたあの男に、一瞬で倒されたことが我慢できなかったから――だろう。

「わかりました。ご案内しましょう」


予想よりも、はるかに立派な家だった。山奥だというのに、玄関からして格式が違う。
もっとも当然の話かもしれない。今の藤間の家ならば、報奨金だけでも莫大な額になるだろう。そして鬼の住まう迷宮には、財宝やらも多い。

私たちに気付き、玄関にいた男が話しかけてきた。

「朱月?何だ、その女は」

今は普通の着物を着ているが、忘れもしない。青の髪と瞳の――槍使いの男だった。
私のことなど、覚えてもいないのか。

「彼女は誠心女子の大将さん。月影と果し合いしたいんだって」
「はぁ?大筒士と?」

平然ととんでもないことを告げる朱の男に、青の男が呆気に取られる。
いや、その……即座に果し合いを、という訳でもないのだが。

「何騒いでるのよ、藍月」

廊下の奥から、新たにふたりが、顔を出す。
青の男が藍月で、朱色の男は朱月。分かりやすいな。ならばこの女は翠月か緑月辺りか?

声を掛けたのは、翠の髪と同色の瞳の、きつい顔立ちの美しい女だった。
装束からすると拳法家か。踊り屋辺りが似合いそうなのに、意外だな。
もうひとりは、あの大筒士だった。

「あっ、誠心女子のッ!あれから、大丈夫でしたか?」

大筒士は、ぱたぱたと遠くから走ってきた。犬みたいだな。
同じように整った顔立ちでも、この氷のような蒼と紅のふたりとは、雰囲気が違うのだな。

「ああ、大丈夫だった」
「良かった」

青と赤と緑と。三対の冷ややかな視線が気になってしまう。
始めは礼を言いたかったのに、こんな状況で口に出せるはずもない。

「安心したところで勝負しろ」

顔を上げて、話を一挙に変える。
怪訝な顔をしているが、仕方がないだろう。話などできるか。

「……はい?何故?」
「私が納得いかないからだ。素人に負けるなんぞ。今の、少しは経験を積んだ貴様が、相手をしろ」

くすくす――と。嘲りを含んだ笑いが、翠の女から漏れる。

ほう……無性にむかつく笑いだな。
視線に害意さえ込めて、女を睨みつける。

「何か、言いたいのか?」
「その素人風情にやられたくせに、笑えることをぬかしてるな――と思って。
いいわ、私がぶちのめしてあげる」

すっと――頭に血が上る。
ふざけているのか?極めて射程距離の狭い拳で、剣より遥かに長い槍を相手にするつもりなのか。

「ふざけるなよ、拳法家如きが」
「ふふッ、大筒士と戦ろうとしてたくせに、ほざくんじゃないわ」

藤間の者だ。馬鹿にする気などない。それでも無手と槍とでは、話にならないはずだ。

「あ、あの翠月さん」
「聞かないわよ、月影。さっさとこっちに来なさい」

慌てた様子の大筒士を冷たく一瞥し、女は歩き出した。……すいづき。本当に翠月というのか。
大筒士は救いを求めるような、縋るような瞳で、こちらを見た。

「た、大将さん。翠月さんは私よりはるかに強いんです。
この三人は文句無しに、一族史上で戦士系の最強なんです。ちゃんと、私が相手になりますから」

だから、彼女とは止めてくれ――と、続けた。
その言い方も、非常に腹が立つ。

「煩い。喧嘩を売ってきたのはそいつだ」
「そもそもは、あんたでしょ。私は、むかついただけよ」

「あ、藍月さん、朱月さん〜」

青の男に至っては、既に興味も無さそうに立ち去りかけていた。
唯一の希望とばかりに、大筒士はおろおろと朱の男に泣きついたが、彼は肩を竦めるのみだった。

「諦めるんだね。私がちゃんと癒すから。大体、お前は説得が下手過ぎる。煽ってどうするんだ」

訓練場らしき場へと連れて行かれた。随分と、立派な設備だ。
だが、思っていた程の広さはない。これでは精精十数人程度の容量しかない。藤間の者たちは、ここ数年だけ御前試合に現れた者たちだけでも、かなりの数のはずだが。

「いいわよ。どうぞ」

そういって構えた女には、一分の隙もなかった。
拳法家相手では、迅さでは敵うまい。間合いを測り、一撃に賭ける。

確実に槍の間合い。素手に届くはずもなく、槍には充分な距離で、意識を集中する。
踏み込み、裂帛の気合とともに突いた。

「遅いわよ」

女には笑みすら浮かんでいた。
渾身の突きが、あっさりと躱された。動きが見えない。なんて迅さだ。

一撃目は、なんとか柄で受ける。痺れ、得物を取り落としそうになる腕に懸命に力を込め、握りなおす。
一瞬で飛び退いた気配の方に向かい、再度、突きをいれる。

だが、声は背後から聞こえた。
先程と同じく、笑みを含んだ女の声が。

「まあまあね。七拾点ってとこかしら」


   「今日が最後だ。もう会えない」
   「え、どうして!?」
   「色々事情があってな。お前、よく言ってたな。叶えられない夢はないと」
   「う、うん。だってそう思うから」

   「夢を叶えろよ。あと、いい女になるんだぞ、約束だ」


一面の紅が、目の前に広がっていた。

「気が付きました?大丈夫ですか?」

それは先程の紅の髪の男。彼は眼前にて、手をかざしていた。大筒士さえ凌ぐ、癒しの力を感じる。
くッ……あのまま気を失っていたのか。

「ああ。いッ」

言葉を口にした瞬間、胸一帯に激痛が走った。
何だこれは。肋が折れているのか。いや、今はそんな感覚は無い。……折れていたのか。

「まだ、あまり動かれぬよう。二撃まともに入りましたからね。
月影など、心配して大変だったのですよ。まあ、興奮していたので、藍月に頼みましたが」

「藍月?ああ、あの槍使いか。あれに頼んだだと?」

あの男が落ち着かせることに、力を発揮する様は想像がつかないが。
むしろどちらかというと……。

「ええ、当身をくらわせていました」
「正解か………………」

物騒な一族だな。
この男も、穏やかそうだが、所詮、根は同じ。剣呑だ。

「申し訳ありません。本当にうちの女の子たちは、皆揃って短気で」

はッ、笑わせてくれる。それは女に限らんだろう。

「男だって、物騒だろう?」
「そうですか?」

そう言って、呑気に首を傾げる姿。
髪も瞳も、色が違うのに、やはりあの人とよく似ている。

気になる。どうしてあの人は、突然別れを告げたのか。あれから何度も河原へ足を運んだが、二度と会うことはなかった。
ちょうど他に人もいないので、思いきって訊ねるか。

「あなたは、みつきと言う人の弟か何かか?随分と似ているが」

しん……と黙り込んだ。
先程まで存在した穏やかな空気が消えた。……なにか妙な事を、訊いてしまったのか?
これでは、返答によっては殺すと告げられたとき並の恐怖だ。

「いつ頃に、その人と出会ったんです?」
「十年以上前に。あれが、私が変われた契機だった」

あのころの私は、孤児だった。いわゆる戦災孤児。
必要の無い子供と――集められた施設にて、虐げられるだけだった。

あの、蒼の人と会い、強くなると決心するまでは。


視線を感じて顔を上げると、彼と眼が合った。
はじめてこの男の、本当に優しく微笑んだ顔を見たと思う。今までの表面だけの優しげな顔ではなく、笑っていた。

「痛みが引いたら、ちょっと裏庭に付合って下さい」

声すら暖かく変わる。

屋敷から、少し離れた小高い丘へ連れていかれた。ここまで広くとも、裏庭と言うのか?
それにしても何だここは。墓?随分と沢山の。

「ここは一体」
「十三年前、私達の一族が朱点童子に呪いをかけられてから、死んだ者達の眠る墓です」

「じゅ、十三年でこんなに!?」

それは多すぎる。いかにこの一族が、朱点との闘いで最前線に在り続けるといっても、これは異常だ。
彼は薄く笑い、その辺りに腰掛けるようにと告げる。
従い、不安に思いながら、彼を見上げた。こんなにも哀しそう顔をする男を見たのは、初めてだった。

「十三年程昔、一組の男女が朱点童子に破れ、人質にされていた赤子は、その呪いを受けた。
人との間に子がなせない種絶と、二年以内に生を終える短命との呪いをね。ですから、その赤子――美月は、呪いによって十二年前、貴女と会った翌月に亡くなっています」

二年以内に生を終えるだと。
だから、藤間の家はあれほどに入れ替わりが激しいのか。御前試合に二度続けて出る者が滅多に居ないと、不思議がられていた。それほどまでに人材が豊富なのかと。
だが真実は――皆、死しているというのか。
では、彼の『俺のほうが年下』という言葉は、真実だったのか?

「じゃあ、あなたは今何歳……。いや、そもそも、あなたたちは一体どうやって生まれたんだ」

二年以内の生では、子を宿す時間も育てる時間もないだろう。

「私は六ヶ月、月影はまだ二ヶ月ですよ。人と子が生せない一族。しかし、神となら生せるのですよ。私達の強すぎる力も、この色もそれゆえ」


人よりも何倍もの速さで育ち、死ぬ。そしてその血には、神の血が入っている。
それでは……人ではない。

「では、本当に神の一族なのか。人とは結ばれる事は、有り得ないのか?」

そのとき脳裏に浮かんでいたのは、頼りない微笑み。優男の大筒士の顔。
そうか。惚れていたのか……。

「さて」
「ふざけているのか!!人間では、絶対に無理という事だろう!?」

彼らに責などない。それでも苛立ちをぶつけてしまった。
耐え難い。想いに気付いた瞬間に、叶わぬことを知るなんて……。

彼は気を悪くした風もなく首を振った。
そう悲観したものでもない――と。

「我らの世代が、朱点を討つ公算は、かなりのものです。それに――」

表情ががらりと変わる。悪戯っぽく、楽しげに。――あの人とそっくりに。

「世の中に無理な事などないのではないか?」
「なんだと?」

口調も変わっていた。
そしてそれは、あの人に私が云った、そして私が云われた言葉であった。

「お前云ったよな。願い続ける強さがあれば、叶えられない夢などないと。その通りに、ここまで強くなったのだろう?あの小さな泣き虫が」


言葉も笑みも――あの人のものとしか思えなかった。
あの蒼の人の懐かしい微笑み。

「みつ……きさん?嘘だったのか?全ての話が」
「全てが真実だ。一族の者にさえ、教えていないのだぞ。俺が美月の転生だということは、お前にしか。……空木、大きく、ちゃんと良い女になったな」

その手が、頬に触れる。約束の時と同じように。
名を呼んでくれた。あの頃と同じように。
『おい』、『そこの下女』。名で呼ばれたことなど碌に無かったあの頃。自分の名を忘れかける程に、誰も呼んではくれなかった。たった一人。河原で知り合った人ではない人を除いて。

「みつきさん」

抱きついて泣きじゃくるくらいしか、できなかった。ずっと会いたかった。
もう会えないと言われた日から、何度河原を訪れたことだろう。その青の色彩を待ち望んで、それでも二度と会えなくて。

本当に少しの間だったが、この人が父親で師だった。
槍は、余り詳しくないといっていたが、分かりやすくて優しくて。

「俺は、どうも孫とか娘みたいな存在に好かれるな」

呆れた声。でも、優しく髪が撫でられる。

「朱月どうしたんだ?随分と遅いな」

その場に、ひょいと、さっきの槍使いが顔を出す。

……ちょっと待て。今の状況って、私が抱きついているのでは!?


長い沈黙が流れ、槍使いが気まずそうに謝る。

「やれやれ、悪い。邪魔したか?」
「いや、誤解だ」

説明をしようと口を開いた美月さんではあったが、その先は続けられなかった。
新たな厄介事が現れていたから。

「朱月さん?……………………このムッツリスケベーー!!!」

槍使いの、更に後ろに居たらしき大筒士が、たっぷりと硬直した後、美月さんに殴り掛かった。

「みつきさんッ!」
「落ち着こうよ、月影」

だが、攻撃は功を奏さない。あっさりと躱され、首筋に手刀を喰らい、昏倒した。
まあそうだな。よく考えなくとも、大筒士が剣士相手に、格闘で勝てるわけが無かった。

「哀れな。今日二回目だぞ」
「人はそうやって強くなる」

表面だけの同情を示した槍使いに、美月さんが肩を竦めて微笑む。
その非道な台詞に、とくに突っ込まれないところから判断するに、そもそも彼がこういう人間なのは知られているのか。あの丁寧な態度が、外の人間向けのものかもしれないな。

「それにしても、お前、人間との逢瀬とはやるな」
「誤解だって。彼女、始祖の知りあいだったんだよ」
「ああ。……だから美月か」


その説明だけで誤魔化されるのか?
彼が美月さんと似ているということは、それほどに有名な話のか?

「もうこんな時間だ。送っていきますよ、空木さん」

美月さんが、笑って言った。
さん付けだと、落ちつかないな。

「朱月…ま…て」

苦しげな声をあげて、美月さんの裾を掴んだ者が居た。
大筒士が、息も絶え絶えながら頑張ってはいた。ただ、美月さんは非道だった。

ぶぎゅ――と音がした。

「ぎゃッ」

「では行きましょう」

大筒士の背を踏んで止めを刺し、美月さんは微笑んだ。

ふふふ、変わっていないな。……だが、大丈夫なのか。耐久力の低い大筒士にとって、当身を喰らい、手刀を打たれ、さらに踏まれるということは、かなりの痛撃だと思うのだが。


「空木!!お客さんよ!!」
「客人?私にか?」

訓練中に、姉弟子たちが飛び込んできた。

「そう、凄い綺麗な人よッ!」
「何処で知り合ったのよ!?」

落ち着け、興奮しすぎだ。
だが、凄い綺麗?彼女らが、これほど騒ぐからには男なのだろう。思い当たるのは何人かいるが、わざわざ訪ねてくるなどとは思いがたい。

「髪は何色だった?」
「え?何いってんの?黒よ、当り前じゃない」

ならば該当するものはいない。私が知っている『凄い綺麗』な男の髪は青か赤か緑だ。
怪訝に思いながらも、その訪問者とやらを待たせているという場所へ向かった。

「あ、お久し振りです」

そこにいたのは、髪も瞳も黒の、髪をゆるく束ねた、美……いや、朱月さん。
確かに綺麗だ。……こういういことも、できるのだな。常にしていれば、彼ら一族が受ける恐怖は、半分ですんだろうに。

「何故、黒いのです?」
「目立ったら迷惑かと思いまして、幻術ですよ」

本気で言っているのだろうか。その顔で目立たないとでも?
後で姉弟子たちになんといったものか――考えただけでも頭が痛い。

「顔で充分に目立つわ。何用で?」
「明日、祭りに行きましょう」

脈絡というものは、一帯何処にあるのだろう。
行ったら、それはそれで楽しいだろうとは思うが。

「は?なぜ?」
「まだ、お話していない事があったので」
「この場で言えばよろしかろう?」

首を傾げ問うと、彼は微笑んで立ち上がった。

「では酉の刻頃に、高峰の高台で」
「おいッ、こらッ!!」

優雅に、だが凄まじく素早く。
人の話を聞きもしないで、去っていった。

何であの人は、ああなのだ。
穏やかな振りをしても、本質は何も変わっていないな。



律儀に、少し前から待っていたが、五分が過ぎてもまだ、彼の姿は見られなかった。

珍しい……。あの人はいつも、時間通りに来ていたのに。
少し辺りを探してみようかと思ったのと同時に、がさがさと人の近付いてくる音がした。……あの人がか?音を立てるなど、有り得ない筈。
身構え、振り向いた先に、周囲に溶け込む色彩が現れた。

「朱月、なんでこんな所に?うわぁあ、大将さん!!」

それは、あの緑の髪の大筒士。あの人は、また勝手に……。

「その呼び名は止めろ。私には、空木という名がある」
「あっ、すみません。あの、その」

しどろもどろとなった大筒士の言葉を打ち消すように、花火があがった。
一瞬の輝き、それと遅れてきた大きな音。

「……まるで、お前たちの一族だな」
「え?」

思わず呟いた言葉を、聞き咎められた。
違うか?綺麗で――哀しい。そのものではないか。

「花火が、だ。ほんの一瞬だけ、駆抜けるように鮮烈に輝いて」


美月さんは、あれほど印象を残して、あっという間に消えてしまった。
今再び生まれてきたとはいえ、解呪が間に合わなければ、再び一年も過ぎれば居なくなってしまうという。

大筒士は、しばらく黙り込んだ後、訊いてきた。

「始祖、美月に聞いたのですか?」
「いや、あの人は何も。苗字さえもな。教えてくれたのは、朱月さんだ」

彼が藤間という、畏れられる一族であると気付いたのは、あれから何年もしてからの話。幼い頃は、あの異色の髪も瞳も、怖いなどとは思わなかったのに。ただ綺麗だと見惚れていたのに。選考会で出会った藤間の者には、確かに恐怖を感じたことがあった。

懐かしい思い出を思い返していたら、目の前の男のしかめっ面に気付いた。……なんだ、その妙な顔は?

「朱月が………好きなのですか?」

は?
何を言っているのかよく分からない。どうすると、今の話からその結論に達するのだ。

「馬鹿なことを言うな。あの人は、既に父であり、師だ」
「それは、美月では?」

あ、しまった。
彼らにとって、ふたりは同一ではないのだ。

「顔が同じだから、どうもな」

たいして上手いとも思えぬ誤魔化しに、彼は嬉しそうに頷く。
今度は、爽やかに笑いだした。どうしたんだ?

「良かった。朱月はいつもこうなんですよ。なんでもお見通しで」
「なにがだ?」

話がよく見えない。
首を傾げていたら、顔全体を赤くしながら、彼はぼそぼそと語りだした。

「空木さん、私は貴女に惹かれています。呪われた人外の者ですが。解呪して見せます。そうしたら……」

此方まで、顔が赤らむ。そうだ、確かに朱月さんに怒鳴ってしまった。
人と結ばれることは有り得ないのか――と。あの聡い人ならば、気付くのも容易かったのだろう。



月末の数日のみだが、月影と逢う――こんな日々が続くと思っていた。
月影の刻が、一年半しかないことなど、考えないようにしていた。

その言葉を聞いた時……だから、信じられなかった。

「明日から、一族挙げての朱点討伐へ向かいます。私は、直に朱点に相対する者ではありませんが」


月影は、やや血の気の引いた、だが決意を秘めた表情をしていた。
……止めろ、そんな死地に赴く覚悟を決めたような顔は。

「貴女が大切なんです。待っててくれとは言いません。でも帰ってこられたら、会ってもらえませんか?貴女に伝えたい事が……」
「いやだ」

素っ気無く拒み、視線を逸らす。
ふざけるな。

「空木さん」

視界の端でさえ、目に見えて落胆した表情になったのが分かった。
阿呆。いやだ、のかかる部分が違う。

「『たら』だの『れば』だの言うな。いつまでも、永劫にでも、お前がやってくるまで待ち続ける」

帰ってこられたら?
知るか。お前がどう思おうと、どう願おうと私は待ちつづける。
だから――――

「さっさと来るのだな。死んで、転生してくるのなんぞ認めんぞ。私は老婆になってしまう」
「私は、貴女がどんな姿も構いませんが」

にこやかに、そんなに私の想いは信用できないか――心外だと、彼は笑う。

そっぽを向き、吐き捨てるように云う。
恥かしいからな。

「たわけ、私が嫌なのだ」

彼の面に、優しい笑みが浮かぶ。たった数箇月で、彼はあっという間に大人の男となった。まだ生まれて五箇月で、これほどまでに穏やかで静かな人間など、見たことが無い。
それが、あまりに哀しい。彼らと我らの時間軸が、これほどに異なる事が。

「では、空木さん。約束をします。きっと生きて帰ってくることを」


待ち続けた。ただひたすらに、時間のある限り。
討伐のある月などは、気が気でなかった。今まさに、彼がきていたらどうしよう――と。
彼のことだから、おそらく何時まででも、待っているであろうから、急がなくては――と。

……長月のうち、月影はやってこなかった。
討伐は、一月かかることが普通。何もおかしくはない。そう言い聞かせても、恐かった。

そして、……神無月に入っても彼は現れない。

鬼の情報には、触れないようにしていた。悪い知らせを聞きたくなかったから。

だから、何も知らないまま、高台で待っていた。その日もまた、いつもと同じように。あの日と同じように。

さくさくと、微かな音とともに、よく知った気配がやってくる。
今では殆ど音を立てなくなっていた、月影の足音。

「お待たせしました」

笑みを含んだ、心地よい声。この二月、ずっと待ち望んだ声。


「遅い……ぞ」

涙で、声が掠れる。
こんなにも、嬉しいのに、声が碌に出ない。

「すみません。人化の儀に、一月丸々必要でしたので」
「人化?」

それが一番気にかかっていたこと。
人と神と、双方の血を引く新たな厄介事となりかねない彼らは、本当に解放されるのか。
寿命は短く人と子の生せない彼らは、神が見捨てれば、二年と持たずに消えてしまう。話に聞いた神とは、その手法をとっても驚きはしない程度に、非情であったから。

「ええ、人間になれました。やっと、前の続きを口にできる。私と共に生きてくれませんか。これからの年月を」

だが、杞憂だったのか。
彼は人となった。これで同じ時間が流れていく。

共に在ることができる。