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雪消

「なんだ、見せたいものって」

紅の髪に同色の瞳を持つ長髪の青年が、首を傾げる。
神殿のような風景を持つその場所に、特異な色を持つふたりが鏡を眺めていた。

「この子、君の子孫じゃないか?」

紅の髪に金の瞳の少年の方が、鏡に映ったひとりの赤子を指し示す。
その赤子の、まだ殆ど開いていない瞳は、茶というよりは、赤に近かった。

うわ――と、長髪の青年は、顔を顰めた。
その子の明るい未来を、想像しがたかったゆえに。

「本当だ。誰からの派生だ?」

青年は、複雑な印を結び、数言唱える。
同時に赤子の周辺に、ほんの僅かな光が生じ、赤子の朱色の瞳が、やや薄い茶へと変じる。

「でもこれじゃ、その場しのぎだろう」
「ああ。成長したら、この子自身に選択させないとな」

それにしても――と青年は痛ましげに赤子をみつめながら呟く。

「千年も経てば、神の血は消えると思っていたんだがな」



水鏡に映るのは、家族らしき四人。
怒鳴り散らすまだ若い父親に、目を合わせない母親。
怒号の対象となっている幼い少女と、それをかばう似た顔立ちの少年。

    「気色の悪い眼で俺を見るなッ!!」
    「お父さんッ! 雪名がなにをしたっていうんだ。止めなよ」
    「眼が赤くなっただろう。バケモノが!」

「殺そうかな、この男」

剣呑な台詞を呟きながら、鏡を見つめるのは微塵も容姿の変わらぬ紅の青年。
神と人の血を引く藤間一族の中でも、最強の力を有する者。

「なにしてるんですか、朱月さん」
「うわぁッ! どっからわいた?」

慌てて振り向いた朱月の背後に、いきなり現われていたのは、翠の髪に蒼の瞳の無表情な青年。
氷の皇子と一族の拳法家の娘との間に生まれた、最後の神族・碓月。

「わいたとは失礼な。……なんですか? この騒がしい男は」

汚いモノでも見るかのように眉を顰めて映像を視るうちに、気付いたらしく僅かに驚愕の色が浮かぶ。
幼き少女に掛けられた封印とその奥底に眠る力に。

「この子、まさか」
「ああ、うちの一族だ」

あっさりと、最強者が肯定する。
ならば見立てに誤りはない。だが、何よりも信じ難いことは、別の事。

「ちょっと待って下さいよ。この男、この子の父親でしょう!? それでこの仕打ちですか?」

まだ幼き我が娘を、恐怖と嫌悪とで怒鳴りつける父親。
母親と思しき人物も、庇うことなく、ただ夫の怒りの嵐が過ぎ去るのを待っている。懸命に庇うのは、そう年も変わらないであろう兄らしき少年だけ。

「人間は結構そんなものだよ。異様なまでに、異端を迫害する。なぜかは知らんけどな」

あっさりと言い捨てた朱月を少し睨んでから、碓月は咎める声音で訊いた。

「このまま放って置く気ですか?」
「力は封じているさ。髪と瞳の色もな。ただ彼女の力は結構強くて、稀に真の色が出てしまうんだ。と言って、これ以上強力に封じれば、悪影響が生じる可能性が高い」

難しいところだ――と肩を竦める。
彼がそう断じるからには、他の人物でもどうしようもないのだろう。だが、だからといって、はいそうですかと納得できるわけはなかった。

「可哀相ですよ」
「十五か六になったら説明しにいって、彼女に選択させようかと思っている」

そのまま人間として暮らすか、天界に来るか――を。
己の意思で選択できるようになるまでは、現状のままで。

「人間を選んだ場合は、力を強制封印した上に記憶も書き換えないといけないから、できれば天界を選んで欲しいんだけどな」

余分なことは、知らない方が幸せなのだから。
嘗ての経験からか、朱月はそんな言い方をした。

「それまで、この父親と暮らすんですか?」
「ああ。仕方ない。神を強要することも、できんだろう?」

確かにそんな権利は、誰も有さない。彼女の歩む道は、自身で決めるべきである。
碓月は、しばらく考え込んでから、半ば一族の責任者である相手に訊ねた。

「ちょっと、地上に降りてきていいですか?」
「構わんよ」

そのまま碓月は、宝物庫という名の物置に向かい、複数ある細工物の一つを手に取り、人間界に降りた。
一応は結界を張り、先程見た少女の気配を探った。
景色から大体のアタリはつけておいたため、そう長く集中することなく掴むことができた。

だが、その顔が曇る。
気配が伝えてきたのは、ただひとりで泣きじゃくる様子であった。


誰もいない公園で、少女がひとり泣いていた。
年の頃は十才弱、淡い茶の髪と瞳を持つ、美しい顔立ちの少女が、もう日が翳り始めた時間に、たったひとりで。

「う……うっ。どうして……お父さ……ん」

気色悪い奴だ。
どうしてこんなのを生んだんだ。

ついさっき、父親から投げつけられた言葉が彼女を苛んでいた。薄い茶の瞳から、涙がぽろぽろと零れ落ちる。
ある程度は慣れていた。父に罵られ怒鳴られることは。
それでも痛みは感じていた。

「大丈夫?」

上から優しい声が掛けられた。
慌てて涙を擦り顔を上げると、すぐ傍に、肩までの髪の驚くほど綺麗な青年がいた。
俯いて泣いていた少女には知る由も無いことだが、話しかけた青年は、突如何も無い空間から現われた。

「今、幾つだったけ? 雪名」
「九才。……誰? どうして私の名前を知っているの」

僅かに不審の色を見せた少女に、青年は懸命に笑いかけた。
一族の末っ子的な存在である彼には不慣れなことではあったが、幼い子に心を砕いて。

「碓月。遠い親戚だ。ほら」

青年の髪と瞳の色が、一瞬だけ変わった。肩までの髪は翠に、瞳は蒼に。

少女が目を見開く。
はじめて見たのだろう。自分と同じく、人と違う色の髪と瞳を持つ者を。

彼女は、堰を切ったように話し出した。

「お兄ちゃんは……冬樹は、ちゃんと髪も目も黒いのに。私は、両方茶色いし、たまに目が赤く光ったりするんだって。気持ち悪いって。……どうして、兄妹なのに私だけが」
「可哀相にな。何で、少し色が違うくらいでそんな反応をするんだろう。やっぱり、人間ってよく判らん」

独り言のように呟きながら、青年は少女の髪を撫でた。
本当に理解できなかった。彼にとって、両親とは仲が良く、愛を降り注いでくれた存在。緑の母と青の父に、叱られたことはあっても、嫌悪されたことなど一度もなかった。

そうやって、彼らはしばらくの間、一緒に居た。
結構な時間が経過し、辺りがすっかり暗くなってしまった頃、青年が名残惜しそうに立ち上がった。

「君が十六歳になったら、ウチの一族の長が説明しに行くらしい。そうしたら、俺達の世界で暮らさないか? 傷つけられる事もなくなるよ」
「そうなの? 本当に?」

不安そうに、それでも彼女は懸命に尋ねる。
本当に――嫌悪されないようになるのかと。

「ああ。大きくなったら、俺が迎えに来るよ。そうしたら一緒に行こう。あ……そうだ」

彼はポケットを漁り、澄んだ青い珠の首飾りを取り出した。
そもそものここを訪れた目的があった。
瞳の色を決める心の力。それを制御する宝珠を渡すこと。

「これ、お守りにあげる」
「綺麗」

わぁ――と小さく声をあげる。
その女の子らしい反応に笑みを浮かべながら、青年は首飾りを手渡した。

「蒼ノ首飾り。火の心を抑える事ができるから、目が紅くなりにくくなるはずだよ」
「ありがと、碓月」

にこにこしながら少女は、首に掛ける。青年はその首飾りに軽く手を触れて、もう一度髪と瞳の色を戻して、何かを呟いた。

「え?」
「大丈夫」

急に薄れた首飾りの輪郭に驚いた少女に、青年は安心させるように頭を撫でる。
ただ普通の人間には見えないようにしただけだから――と。
だから誰にも叱られないから、いつも着けているといい――と。

頷き、元気になった少女に手を振り、その背が公園から出て行くまで、彼はじっと見守っていた。


「本当に行ったな、偉い奴だ」

当然の如く、碓月の張った妨害の結界など無効化していた朱月が、その映像を覗きながら呟いた。

「また悪巧みかい?」
「失礼だな。確かに、天界を選ぶ事の抵抗が、少なくなるように誘導したよ。自分を気にかけてくれる存在を知らせる事で」

先程の出来事と同じく、突然背後から掛けられた声に、今度は微塵も驚かずに応える。

「認めるさ。わざと碓月が近くを通った時に、彼女を視たことも、やつの性格ならば、彼女を慰めに行くと予想できた事も」

背後にいたのは、九年前に哀れな少女――雪名のことを知らせてくれた少年、黄川人であった。
彼はどこか冷めた瞳で、鏡に映った映像を眺める。

「あまり自由意思は与えないのかい。可哀相に」

黄川人は、人間のことが基本的には嫌いなので、それに虐げられる存在には優しい。まだ、生まれきっていない雪名に、いち早く気付いたのもそれ故であった。

「実際に人間を選ばれたら、それはそれで可哀相な事になるんだよ。完全なまでに力を封じたら、身体への負担がひどいことになる。おそらく四十年ともたない。おまけに、あの家族では……記憶操作もしなければならない」

子への嫌悪がすぎる父親と、ただ逆らわないだけの母親では、あなたたちの娘は、もう普通の人間と同じ存在になりましたよと告げたところで信じまい。変わらずに、今までと同じ対応を続けるであろう。

「やっぱり人間なんぞ、滅ぼさないかい?」
「却下だ」

ふんと鼻でわらい、吐き捨てた黄川人の額をこつんと叩き、朱月は苦笑した。
ただ――その朱色の瞳には、哀しみが満ちていた。



十六・七歳の少女が、自宅玄関の前で溜息をつく。

彼女の通う地元――鎌倉でも有数のお嬢様学校には、新学期恒例の行事として、地毛証明の提出というものがあった。

規律の厳しいその学校では、茶色であったり、パーマがかかっている生徒は、親の署名入りの『天然である』事の証明書の提出が、義務付けられていた。
彼女の淡い栗色の髪は、当然この規則にひっかかり、毎年の証明書提出が、父親との軋轢を更に増していた。


「お母さん、担任の先生が地毛証明を書いてもらえって」
「また? 去年ので良いのにねえ。お父さんが、帰って来る前に書いちゃうわ」

溜息を吐き、嫌そうに受け取る母の瞳に、少女は消え入りそうな声で謝る。

「……ごめんなさい」
「雪名のせいじゃない。早く書いてあげてよ」

急かす兄の声に応じたのは、母の溜息と――吐き捨てる父の声。

「ふん」

不機嫌極まりない声に皆が振り向くと、苦虫を噛み潰したような表情の父親がいた。

「また証明書か。……そんな汚らしい髪なんぞ、いっそ染めてしまえ」
「父さん!!」

暴言に、兄だけが言い返す。
母親はいつものように所在なげに立っているだけ。雪名は、視線を下げて悄然とする。
いつも通りの怒りに、いつも通りの反応。だが、その日の展開は、異なっていた。

……心優しいお父上ですな

どこからか、穏やかな、それでいて皮肉な言葉が掛けられる。
辺りには彼ら家族しかいないのに、見知らぬ声が、間近から。

「な、誰だ! 何処にいる!!」

……失礼

誰何に答え、空中に黒の渦のようなものが生じる。
そこから、ふたりの長髪の青年が現われる。ひとりは紅の髪と瞳、もうひとりは翠の髪に蒼の瞳。

「貴方達の先祖です。千年ほど前の、ね」

紅の青年の方が、先ほどの父親の問いに応じる。

それから、彼は語った。
千年前の神と鬼と人との闘いのことを。それに巻き込まれた一族のことを。

そしてその結末と、彼らの選択を。

「貴方たちご夫婦は、双方とも一族の血を引いているようです。それゆえ薄められたはずの血が、また顕現した」

しばし絶句していた父親が、笑い出す。
信じがたい話でも、今ここに実例が居るのだから信じるしかない。
自分が目の前の化け物達の血を引いていることも、忌まわしい子供が、実の娘である事も。

「ははは、本物の化け物だったわけか。好都合だ、さっさと地獄でも天界でも連れていけ」

そして雪名に向き直り、ゆっくりと告げる。
憎しみすら込めた声音で、娘を睨みつけながら。

「さっさと出て行け、化け物に相応しい場所へ!!」

耐えきれず雪名が、部屋を出て行った。

「雪名!!」

叫んだ異色の青年に対し、紅の青年が行って良いというように、顎をしゃくる。
青年は頷き、軽く礼をしてから消えた。

ぱちぱちと、手を叩き、紅の青年は乾いた笑みで、父親に視線を遣る。

「あまりに素晴らしい態度だ。清々しいですよ。では、彼女が望んだ場合は連れていきます」
「いくらでも連れていけ。むしろ引きずってでも連れて……ひっ!」

威勢よく吐き捨てたところまでは良かったが、彼は紅の青年の殺気にうたれ、途中で凍りついた。

紅の青年はしばらくは峻烈な侮蔑の眼差しを投げかていたが、ふいに冬樹の方を見た。
しばし彼を意味ありげに見たのちに、視線を再度父親に戻してゆっくりと嘲笑って一言だけを告げる。

「ご冥福をお祈りします」
「貴様、何のことだ!」

父親が叫んだ時には、既に彼は消えていた。
現われたときと同様唐突に。ただ不吉な言葉と嘲笑を残して。

「ふん、薄気味が悪い。自分にあんな血が流れているかと思うと、寒気がするな」
「あんな言い方をしなくても……」

気圧されて何も言えなかった母親が呟いた言葉は、夫の神経を逆撫でしたらしい。

「うるさい!! 大体本当にアレは私の子なのか?」

途端に、ヒステリックに当り散らす。

「あなた! 当り前じゃないですか!!」
「じゃあ、なぜあんな化け物が……」

ずぷっ――と。彼がそこまで言ったとき、気色の悪い音が響いた。

「そんな言い方はないよ、父さん」

彼は、自分の胸から突き出た腕をしばし不思議そうに見てから、やっと事態に気付いた。
今頃になって青ざめ、首を背後に捻じ曲げる。

目に入るのは予想通りの光景。
微笑んでいるのは、彼の唯一の自慢の息子。
いつも通りに、穏やかに諌めるように、娘への罵詈雑言を止める。
しかし、今、彼の髪は深紅となっていた。瞳は蒼だった。そしてその腕は、肘まで血に染まっていた。

血が重なったゆえに、強く顕現し力を持った雪名。
だがそれは、兄とて同じこと。彼も、同じ血を有している。

「冬樹……お前も……だったのか」
「あ、あなた」

ふたりの脳裏に、紅の青年の嘲笑が浮かんだ。

ご冥福をお祈りします――そう告げた瞳の冷ややかさ。
きっと彼は助けてなどくれない。
自業自得だと、己が子を愛さなかった報いだと、嘲いながら眺めているかもしれない。

「僕は、生まれる前から使えたからね。とりあえず、隠しておいたんだ」

面倒そうだったから――と。人間は、無意味に畏れるからと。
瞬時に悟り、生れ落ちたその瞬間から、ずっと偽の色で染めていたと、彼は嘲笑う。

「馬鹿な父さん、僕のほうがずっと雪名よりも強い力を持つのに。過剰にあの子を恐れ、傷つけて。……まあ、好都合だったけど」

冬樹は無造作に腕を引きぬき、艶やかに笑った。
穏やかで優しかった筈の笑みは何処にも無い。返り血のかかった蒼の瞳が、引立つように、一層深みを増す。

「冬樹、あなた……」
「父さんが傷つけ、母さんが腫れ物に触れるように扱って、僕だけが優しく接して、心を開かせたんだ。時間をかけてね。今更、他の奴になんか雪名を渡さない。あれは僕のものだ」

どうしようもない。壊れた笑みを浮かべる息子に、対処する術などない。
力を継いでいない彼らには、ゆっくりと近付いてくる血塗れの息子を、ただみつめる事しかできなかった。


「碓月、久しぶりね」

誰もいない公園で、誰にも見えないはずの首飾りをいじりながら、雪名は呟いた。
七年前と同じように、青年が現れる。

「久しぶり。ごめんな、なんか最悪の事態になちゃって」
「ううん、お父さんはずっと、ああだったから。いつものことなの。ねえ、私が居なかったら、お父さんたちは優しく暮らせるかな」

彼女は、もう慣れているのだろう。哀しげに、静かに呟いた。

「どうだろう。……記憶を消せば、いけるかもしれないけど」

正直なところ、優しく暮らせるとは思いがたかった。
彼女に渡した首飾りは、確かに火を抑え、彼女の瞳が赤くなることは、あれから殆ど無かった。
それでも父親は嫌悪し続けた。ずっと茶のままであった彼女の瞳に、ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てて。一度など、夕焼けで赤く染まった彼女に、化け物と吐き捨てたこともあった。
そんな男の優しく幸せに暮らすさまなど、想像もできなかった。

「それ、お願いしようかな。冬樹には、暖かい家庭で暮らして欲しいの。ずっと、護ってもらってたから」

そのあまりに哀しい瞳に、碓月は痛みを感じた。
彼女がもう慣れ過ぎて、感じる事のなくなった痛みを。

「でも、だからって、君が犠牲になる必要はないのでは?」

だから、彼は思わず訊ねていた。
本人が決めた事ならば、外野はとやかく言わない。それが彼ら一族の基本方針であるのに。

「ううん、いいの。……どうして先祖の人は人間を選んだの? 神の方が安全じゃない。差別だってされたでしょう? ただ色が異なるだけで」

不思議だった。
永遠に生きることが可能だったのに。苦しみもなく過ごせただろうに。
薄茶程度の髪でさえ、陰口を叩かれることもある。赤に輝いた瞳を見たわけではなく、ただ淡い茶の髪というだけで、嫌な思いを何度かした。ましてや、本当の一族の色とは、碓月や先ほどの紅の青年のような色だったのだから、容易に想像がつく。

「俺は、さっきの話の頃まだ生まれたばかりだったから、詳しくは知らないけど、四人のうちふたりは、恋人が人間だったらしい。あとのふたりは、一族内で付き合ってたそうだ」

え――と。信じられないことを聞いたとばかりに、雪名は首を傾げた。
漠然と、人間となったのは、一族内での恋愛なのだと思っていた。

「人間が愛してくれたの? 正体を知った上で?」
「正体って……酷い言われようだな。もちろんそうだよ。恥ずかしいくらい大恋愛だったって言ってた。あ、さっきの赤い人――朱月さんがね」

彼は語った。
自分達を倒した一族の弓使いの娘を、拘りを乗り越えて愛した名門の剣士の事を。
頼りない大筒士の青年に惹かれ、恋を成就した槍使いの烈女のことを。

雪名は、少し嬉しそうに聞いていた。
そして、話が進むにつれて、瞳に決意の色が濃くなっていった。


雪名は、ひとりで戻ってきた。
父母に天界に行くことを告げるために、なにもかもが普段通りの我が家へ。
何を言われるか分からないのだから、共に行くといった碓月に首を振り、待っててくれるよう説得して。
今までどうであったにしろ、間違いなくあの人たちは父で母だから。
自分の口から、今まで育てて貰ったお礼を言ってくると、彼女は微笑んだ。


玄関で彼女は、大声で父母を呼んだ。決心を告げる為に。

「ただいま、お父さん、お母さん。私、決めたの」

「なにを?」

だけど、そこに出てきたのは、冬樹だけだった。
彼は普段通りに、にこやかに首を傾げる。

「冬樹? お父さん達は?」
「さあね。それよりも、なにを決めたんだ」

兄の様子に、どこか小さな違和感を感じながらも、雪名は答えた。

「私ね……天界に行くわ。私がいなければ、幸せな暖かい三人家族になれるだろうし。ごめんね冬樹、私みたいなのがいっしょに生まれて……」

だが、その言葉は途中で遮られた。
冬樹の掌が、雪名の口を塞いだ。

「行かせないよ」
「冬樹?」

今まで聞いたことの無い兄の声に驚かされる。
乾いた、それでいて粘く冷たい声に。

「今更許さないよ、そんな事は」

微笑むと冬樹は、強引に雪名を組敷いた。
雪名の両腕を、彼女の頭上で抑えつける。その胸元の、普通人には見えないはずの首飾りを忌々しげに睨み、引きちぎり、投げ捨てる。ずっと――これが目障りだったと笑いながら。
そして、右手を雪名の服にかける。

「冬樹、止めてッ!!」

封じの首飾りが離れ、七年間抑えられていた力が解放される。叫んだ雪名の髪と瞳は、真の色を纏っていた。栗色の髪は金に、薄茶の瞳は赤へと変わる。

それと、同時に周囲の光景が歪み、血の匂いが溢れ出した。
冬樹の力で繕われていた周囲が、現実へ戻る。

「父さん、母さん!!」

そこに転がっていたのは、かつては両親であったもの。
母は、必死で抱きとめるように、己の首を腕に抱えていた。
父に至っては、四肢があちこちに散っていた。胴体はどうなっているのかよく分からない。

そして、雪名を押し倒し、押さえつけて間近で微笑む兄の瞳の色は蒼。髪は鮮やかな紅。

「ふゆ……き」
「渡さない。誰にも」

その瞳に宿るのは、ひたすらに狂気。
優しくて、限りなく優しくて……おぞましくて。

「やだッ! 助けて、助けて……碓月ッ!!」

ただ怖くて、雪名は叫んだ。昔助けてくれた青年を。
閉じられた結界内――、届くことのない叫びは、確かに彼へ通じた。

投げ捨てられた首飾りの辺りから吹く突風が、冬樹を跳ね飛ばす。
壁に叩きつけられる前に、紅の光が炸裂し、大きなダメージを受けることなく降り立った冬樹は、憎憎しげに風を睨む。

「妹相手に、それはどうかと思う」

憎悪に臆することなく、声が応じた。
その小さな嵐の中心部には、風を纏った碓月がいた。

「碓月!!」

雪名の嬉しそうな声に、冬樹の表情が歪む。
苛立った声と凄まじい怨嗟の込められた眼差しで、彼にとっての最大の邪魔者に吐き捨てる。

「邪魔をするつもりですか? 君には関係ないでしょう。それは、僕のものだ」

冬樹の周囲が揺らめき、炎が生じる。
そのあまりに昏い輝きに、碓月は怖気だった。だが、それでも言い返す。そんな論理は認められないから。

「人をモノ扱いは良くない。それじゃ君は、父親となにも変わらない」

返答は、攻撃であった。
怒りそのものを具現したような炎が、敵へと殺到していく。

襲い来る炎蛇を、風が切り裂き、消す。風烈を炎が焦がし、止める。

これが、延々と続く。

「くッ! なんでこんなに強いんだよ。……これが『天才』ってやつか?」

碓月が、炎を捌きながらこぼす。

本来、素質としては、血の薄まりきった冬樹が、それほどのものな筈がない。
対して碓月は、確かに実戦経験こそは無いものの、素質は一族最高である朱月と、殆ど変わらない。

それなのに、これほど苦戦するという事は……答えはひとつ。

「確か一族史上で、ふたりしか居なかったはずだろう?」

『天才』……素質が高い者が強いのは、必然。――天才ではない。
本来持つ素質より、遥かに強大な力を発揮する者――それが天才。
ごく限られた分野だけに、発揮される不自然に強い力。

「察する所、火の技の天才ってとこか」

碓月の得意とする風の術は、基本的に闘うには火との相性が良くない。
補助するには、むしろ向いているのだが。

もちろん碓月は、水も土も火も、相当なレベルで使えるが、冬樹の『火』よりは、弱い。
風ならば、同格なのだろうが、相性が悪い。

――ならば、複合させる

そう決意し、碓月は精神を集中させる。
父――天界最強の男神、氷ノ皇子譲りの青の瞳と、母から譲り受けた翠の髪が、輝きを増す。

謡うように唱えた。

「我が名において命ず。玲瓏たる雪人のかいなよ、風に宿れ」

碓月を中心として、風が渦巻く。
それは、巨大な竜巻となって、冬樹に襲いかかる。

先ほどまでと同じように、炎が迎え撃つ。だが、結果が異なる。

「な! 火が消される!?」

それは、ただの風ではなく吹雪。
碓月が両親から受継いだ力を、最大に発揮したもの

炎の大部分と雪が相殺しあい、そして残った炎を、そして冬樹を、風が切り裂いていく。



「雪名! 大丈夫だった!?」

倒れていく冬樹を見た碓月は、急いで雪名の方を振りかえった。
……それは、致命的な失敗だった。

無力化したかの確認を行わないまま、敵に背を向ける
力の強弱の問題ではない。彼ら一族ならば、どの世代の者たちだとて、決して行わない、愚かな事。
ここにきて、実戦経験の無さが出た。

「雪名……行かせたりしない。一緒に……」

突っ伏したまま呟き、冬樹は力をふたりの方へ放つ。正確な方角など、分からぬままで、ただ力だけは最大で。

「雪名!!」

避けられない。消す事もできない。
そう悟った碓月は、雪名を抱きすくめ庇う。

だが、衝撃は来なかった。
そろそろと振り向くと、炎は受けとめられていた。
突如出現した、紅の青年によって。そう焦った様子もなく、彼は振り向いた。

「早く行きなさい。危ないから」
「朱月さん……ですが」

自分のミスだったのに――と、言い募ろうとした碓月に、朱月は首を振る。

「ほら、早くしないと暴発しちゃうよ。君らが居なくなったら、解放するから」

碓月の反論を呑気ながらも封じ、炎を受けとめている右手を示す。それは、彼の言葉通りに、烈しく揺らめいていた。

「わかりました」
「兄をお願いします」

雪名の哀願するような必死の瞳に、朱月は頷いた。死なせはしないと、力強く。

ふたりが消えたのを確認してから、朱月は掌を握り、あっさり炎を収束させた。
どこが暴発してしまうのか――と。どこが危ないのか――と。碓月がその様を見たら、怒り狂ったであろう。
それほどに、危なげなく炎を消した。

そして、倒れ伏す冬樹に頭を下げる。

「すまないな、君を利用した」

彼は、黄川人に教えられた時点で、冬樹の方にも力があることに気付いた。自身も強く炎の力を有するゆえか、黄川人でさえも気付かなかった冬樹の擬態に気付いていた。
だが彼を、放置する方が、地上から彼らの血脈を消すのに有効だと判断した。

どうしても彼らを不幸にしたかったわけではない。あの両親にも死んで欲しかったわけでもない。だが、それでも、彼らは地上に居ないほうが望ましかったから。
だから、妹への純粋な想いが、いつしか妄執に変わっていくのも、ただ見ていた。

選択肢はいくつかある――と、彼は冷たい口調で語る。
彼も、色濃く例の血を引いている。あの偽悪的な姉弟の血を多重に。

「君もこのまま天界に来るか、赤子に戻し、記憶を消去してから天界で暮らすか、ここで死ぬか、だ。どうする?」

ゆえに、いくらでも悪役を引き受ける。

「今更……どうしろと? あのふたりがいちゃつくのを見て暮らせ……というのか?」

お断りだ――と、意外にも強い調子で答えた冬樹に、朱月は笑って応じた。

「勿体無いよ。天界には、美人の神様も沢山居る。せめて、あと何年か生きてから決めたらどうだい?」

彼らとあまり会わないように、取り計らうから。
その傷が癒えるまでの間は。

思いのほか優しく笑みながら、そう説明した。


力によって殺められた両親の外傷を戻し、母の方を常識範囲の傷へと換える。
父母の血から創り出した人形に、包丁を突きたてる。

そして最後に、父親に包丁を持たせ、頚動脈を斬る。

これで、普段から横暴だった父親による無理心中という図式の出来上がり。

それらを成し遂げた後、朱月は念入りに、ボヤ程度になるように加減して、火を放った。早期に消し止められ、死因も被害者も、そして誰が加害者なのかも 分かるように、火と雨とを使って。


ある庵に寄った後に帰宅した朱月は、彼の住居にて佇む母の姿に気付いた。
彼女は、珍しいことに『イツ花』ではなく『太照天昼子』の状態であった。ここ最近は見かけないそちらの姿に、怪訝な表情となりながら、母に声を掛ける。

「お帰りなさい朱月。本当に私の息子なのね……ごめんなさい」

その言葉で、彼女も全てを察していたことがわかった。確かに彼女も、火の神であった。そして、碓月まで巻き込んだ以上、彼女が面倒事に気付かないはずがなかった。

「彼には、そして彼女にも申し訳ないと思っています。でも後悔はしていませんよ。あれが最適な手段だった。最良とは、絶対に思いませんが」
「……そうね。きっと私もそうしたわ」

最良では決して無い非道な手段。それでもそれを構成した大きな要素は、人間の他者への嫌悪であった。
しばらくは、ふたりとも黙り込む。嘗て地上で受けた差別を、いくつか思い出してしまったから。

やがて、朱月の方から口を開いた。

「天界では、もう傷つけたくないのです。お願いします」

「わかっているわ。手続きなどは私が済ませておくから」
「ありがとうございます」

頭を下げる朱月に対し、寂しげに微笑んでから、昼子は姿を消した。おそらくは中央に戻り、その権力で、どうにか捻じ込むのであろう。
ひとり残された朱月は、呟いた。

「ごめんな。藍月、月瀬、月姫、月影」

人間の血脈を信じなかった。
真実を――無責任な噂の上でなく、直に人外の者であると聞きながらも、友と恋人と義父と認めてくれた者たちとの子孫を信じられなかった。
そして、試した結末は、残念なものとなった。

流石の彼とて、全てを仕組んでいたわけではない。
あの両親は、本当に偶然に出逢い、偶然に恋に落ちて子を生しただけ。彼女らが生まれたことは、自然に起きたこと。

今回の事は、ひとつのテストケースのつもりだった。
突如生まれた異色の子供を、彼らは愛せるのか否か――愛せるのならば、放っておくつもりだった。こまめに術を施し、たとえ寿命に影響が出ようとも、生まれた世界で、流れる時間を過ごさせてやりたかった。

だが答えは、否だった。

父は強く嫌悪した。
母はただ恐れた。

兄は愛していたが、彼自身も人間ではなかった。

もちろん可能性は0ではないのだろう。
今までにも、彼ら一族を愛してくれた人間もいた。突然変異だの隔世遺伝だの、科学的な根拠は何も無い世界で、鬼たちが跋扈する中で、その国の人間にありえない色を纏った彼らを愛したものたちがいたのだから。

だが、やはり、限りなくその可能性は低いとしか思えない。
その時代、大部分の民たちに怖れられていた。人間は、本能的に異能を拒絶するから。

それでも――と、願わずにはいられない。
認めてくれた者たちの子孫に、再びこのような事が起きたとき。
人が異端の子を愛してくれる事を。

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