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雪転し


「すみませんでした」
「大丈夫ですか?」

緑の髪の大筒士の青年と、茶の髪の弓使いの少女が、揃って癒しの術を行使する。
その後ろで、腕を組んだ槍使いの男が不機嫌そうに待っていた。


彼は、青の瞳を冷たく光らせて呟く。

「その方が、よほど失礼だと思うんだが」
「あ、藍月」

それを止めるように、踊り屋の女が、男の袖を引く。
仕方なしといった表情で、青の男は不機嫌そうに黙り込んだ。



「隊長殿、前回参加していた隊長――青の髪の剣士は、お元気ですか?」
「晴明さま?」

すっと立ち上がった陰陽師は、無愛想なその青の青年に対して、臆する様子もなく話し掛ける。
その瞳には、懐かしそうな色が浮かんでいた。

「青の剣士――ああ、あれは現在当主なので、こちらには出られなくて。一応、まだ元気ですよ」


しばらく黙り込んでから、青の青年は返答する。
稀代の陰陽師が、何処まで一族の事を知っているのか、推し量りながら言葉を選んだようであった。

「そういえば、貴方によろしく伝えるように申しておりました」

すっかり忘れておりましたが――ごくあっさりと、青年は付け加える。
そんな態度にも、気を悪くした風もなく、陰陽師は頷く。

「そうですか、それは良かった」


微かに笑った雇い主を、阿部社に属する剣士、一条は、珍しそうに見てしまった。
冷然とした印象の強い彼が、そういった表情を見せるとは意外であったから。

「雪邑、なにか?」
「いえいえ」

視線に気付き、気分を害したらしい相手に、一条は慌てて首を振った。
そちらに注意が行っていたため、目の前にいる少女に気が回っていなかった。


「本当に、もう大丈夫ですか?」

目の前に来ていた弓使いの少女は、一条の右手を手にとって眺めながら訊ねた。
そこが、最も酷く傷ついていた箇所であったが、ふたりがかりの治癒によって、既に癒えていた。


「あ、ああ」

緑の瞳が、心配そうに見上げてくる。
美しい娘であるのに、――ひどく幼い印象を受けた。瞳の無垢な輝きが、それを更に感じさせる。

無意識に、右腕に力が入るとほぼ同時に、少女はすっと遠ざかった。
腰に廻された、青の槍使いの腕によって。

「月姫、戻るぞ。では皆様方、失礼をば」
「あ、藍月さん!?まだ、剣士さんの怪我が」

娘の抗議には一切構わず、槍使いは彼女を肩に抱えて去っていった。
呆気に取られていた大筒士の男と踊り屋の女は、阿部一門に礼をしてから、慌てたようにふたりを追った。




「雪邑、邪魔です。考え事があるのならば、結論を出してきなさい。それまで討伐の参加を許しません」
「晴明様……それは」


忘我流水道にて、叱責の声が響いた。
集中を欠いていた剣士に対して、厳しい顔で陰陽師は反論を封じる。

「こういった迷宮で気を散らされては、迷惑になります。さっさと戻りなさい」

己に非がある事は分かっていた。集中できていないことも、自覚していた。
それでも、心が痛んだ。

「は……申し訳ありませんでした。失礼します」

だが、相手はこういう人間なのだと言い聞かせて、彼は頭を下げた。




考え事――気にかかっていたのは、藤間の弓使いの少女のこと。
そういえば、礼さえも言っていなかったことに気付いた一条は、かの一族が住む屋敷へと向かっていた。


「遠いな」

随分な時間、山道を歩いてきたのだが、未だ屋敷らしきものの影も見えない。
思わず、ぽつりといった様子で、一条は呟いた。


ほんの少しだけ呆けかけた一条は、微かな気配を感じ取って、背後を振り返った。
既に剣に手を掛けた彼に、いつの間にやら現われた青年が呑気に微笑む。

「おや、自力で気付くとは素晴らしい。で――あなたは、どちら様ですか?まさか、また果たし合い希望者ではないですよね」

紅の髪と瞳を持つ青年は、のほほんと訊ねた。
その呑気な空気に、一条の緊張が揺らぐ。それに、その言葉の意味することも、気にかかった。

「また?」
「いえ、少し前にも、誠心女子の方が御前試合のことで、果たし合いにいらっしゃったもので。貴方もその流れかと思ったのですが」


「私は――阿部社所属の剣士、一条雪邑という者だ。確かに、御前試合の事ではあるが――その、礼をいってなかったんだ。傷を癒してもらった礼を」

ああ、阿部社の方。道理で――納得したように頷いてから、青年は続けた。


「で、どちらの娘ですか」
「なぜ娘だと決め付ける?」
「でも、娘でしょう?」
「……ああ、弓使いの、茶の髪に緑の瞳の少女だ」

紅の青年は、一気に気の毒そうな表情を浮かべた。
声音さえも暗く沈む。

「それは、ある意味おめでとう。そして……頑張って下さい」
「どういう意味だ?」
「いえ、ちょっと彼女の父は、特殊なもので。では、ついてきて下さい」

特にそれ以上は告げようとせず、紅の青年は、刀を構えたままの一条に無造作に背を向けて歩き出した。

スタスタと先へ進む青年の背を追いかけて、一条はかなり急いで歩いた。
青年は平然とした様子ながら、山道の足場の悪さも気にせずに相当の速度で進んでいた為、見失わないように追うのに精一杯であった。



門まで辿り着き、ぜいぜいと息をする一条を眺め、青年は微笑んだ。
感心したように呟く。

「本当に凄いですね。一族の中でも、術系だと私の足にはついてこれないのに」
「それは……撒くつもりだったということか?」

苦しそうに、それでも眼光鋭く睨み付ける一条に対し、青年はあくまでも軽く応じる。

「いいえ、そこまでは。ただ振り向いても誰も居なくとも、それはそれ――とは思っておりましたが」

ガクリと脱力する一条に笑いかけ、青年は邸内に入っていく。



「月姫はいるかな」
「は〜い、どうしたんですか朱月さん。あっ……」


玄関口にて、青年が良く通る声でやたらと典雅な名を呼んだ。
ぱたぱたと走る音と共に、幼い声の返事がきた。
息を弾ませて出てきたのは、あの弓使いの娘。彼女は一条の顔を見て、固まる。

一瞬後に、きゃあきゃあ言いながら、服の裾を戻す。
一体何をしていたのか、膝の上まで捲り上げていたので、恥ずかしいのだろう。

「何をしてたんだ……」
「だ、だって倉庫の片付けを」


彼女に会いに来たのに、何から話せばいいのか分からずに、一条は黙って聞いていた。

呆気に取られていたとも言うが。
確かに幼い印象の少女では会ったが、まさかこんな童女のような言動をとるとは思っていなかったゆえに。


「で、阿部社の剣士さんが、君に用だって」
「あの……まさか、空木さんのように、果たし合いじゃあ」

困ったように見上げてくる少女に、一条の方が困ってしまった。
慌ててそれを否定する。

「いや、違う。その……あの時、礼を言えずじまいだったから。
あ、私は一条雪邑という。名乗ってもいなかったな」


少女は一瞬驚いた顔になってから、屈託無く笑い出す。

「あはは、気にしないで下さい。好きでやったんですよ。一条さんの闘っている姿が、綺麗だったから」



その笑みに、一条は数瞬見惚れていた。
だから気付かなかった。紅の青年が『あ〜あ』と言わんばかりの表情で見ていることに。

ふたりの間には、穏やかな空気が流れていたが、それは長くは続かなかった。
その場に流れていた、暖かな交流の場を野生の感で感じたのか、屋敷の中からどすどすと、何かが近付いてくる音がしたからである。

「月姫!!」

そう叫びながら、奥から出てきた青年は、藤間の者としては、まともな色彩を有していた。
茶の髪と瞳の彼は、真剣な表情で言った。


「まだそんな小さいのに、不純異性交友なんぞ、おとうさんは許しませんよッ!!」

一条は、なんの冗談だろうと思いながら眺めていた。
自分と同年輩に見える青年が、少女に向かってそう怒っていたから。

「もう、おとうさん!!そんなんじゃないわよッ!」

だが、少女もふざけている様子もなく、青年に対してそう叫んだ。
しばらくそうやって、少女と言い争っていた青年は、根負けしたようにため息をついた。


安堵の表情を浮かべた少女に、甘いな、といわんばかりの笑みを見せる。
彼はギンッと鋭い眼光を浮かべて、ただひたすら呆然としていた一条に対し、宣言した。
ある人物を指しながら。

「どうしても我が愛娘と付き合いたいというのならば、こいつを倒してからにしろ」
「はい?」

己には関係ない事と、さっさと面倒事から立ち去ろうとしていた紅の青年は、いきなり指されて動きを止めた。じりじりと逃げるように後退りながら、首を傾げる。


「樹月さん、私にどう関わりが有るのですか?」
「剣士同士だ、それとも弓使いの私に、闘いに応じろというのか」
「いや……その、そもそも貴方たち親子の事ですし」

困った様子で、紅の青年はごもごもと口篭もる。
その言葉に、樹月は衝撃を受けたように立ちすくみ、それから弱々しく崩れ落ちた。


「何という酷い男だ。か弱き弓使いに、むくつけき剣士と闘えなどと」
「むくつけきって……。だから、なぜ私が。普通、娘が欲しければ、自分を倒せ――でしょうに」

よよよ――とわざとらしく泣き伏せる樹月に、青年は額を抑えていた。
だが、ぶつぶつ呟く青年には一切構わずに、樹月は大仰に宣言をした。

「というわけでだ、もしも万が一、こいつを倒せたら認めてやろう!!」



肩を落としていた青年は、諦めたように一条へと向き直る。
苦笑いを浮かべ、肩を竦めながら。

「こういう訳ですよ。おめでとうと言ったのは、もうひとりの娘の方には恋人が居て、月姫には居ないから。お気の毒と言ったのは、彼女の父がこういう人だから」
「父?ふざけているのではないのか?それに――まだ小さいというのも妙な言い方だ」

首を捻る一条に、青年は困った顔になる。
彼はしばらく黙ってから、決心したように頷いた。

「当然、知らないんですよね。では立合いの頑張り具合によって、お話しましょうか」
「頑張り具合ぃ?」

いくら藤間の者と云えども、青年のあまりの余裕に、一条は不興げに片眉をあげた。
一条は、剣技ならば京にも並ぶ者はないと称される身であっただけに、当然の反応であった。


藤間の青年はただ笑って、一条を道場へと案内した。



一条は知らなかった。
青年が、藤間でも最強と目される剣士であることを。




討伐強化の発表を見に行った際に、一条は見知った顔を見掛けた。

その相手――目が合った誠心女子の大将に、目礼を示す。
一条は、彼女と顔見知り程度にはなっていた。なにしろ藤間の家で、よく会う仲ゆえに。

彼女の方は、翠の拳法家の少女と仕合っているようだった。もっとも、一条と同様に黒星続きのようであったが。
その彼女が、珍しいことに、話し掛けてきた。

「阿部殿、此度の藤間の討伐成果をご存知か?」
「ええ、確か相当な神を二神――人魚姫と氷の王でしたか――解放したと、聞き及んでおりますが」

一条の言葉に、彼女は柳眉を寄せた。美しいがきつい顔立ちに、さらに凄みが加わる。
しばし逡巡したのち、小声で続けた。

「朱つ――いえ、朱の剣士が、傷を負ったようです。命に係わるものではないが、結構な痛手ゆえ、今月の立合いは無理かと……」




「あ、一条さま、朱月様でしたら、死にかけですよ?」

話を聞き、藤間の家を訪れた一条に、能天気な手伝いの娘が平然とした様子で言った。
主人筋に酷い言いようだなと内心思いながら、一条は用件を告げた。



一応床についてはいるものの、半身を起こしていた朱月は、一条の姿を認めて、わずかに顔を顰める。


「ああ、一条さん。まさか……嫌ですよ」
「見舞いに来ただけだ。それにしても、ずいぶんとやられたものだな」

彼は、普段は下ろしている長い髪を、青の槍使い――藍月の如く、高く結い上げていた。どうやら、髪が首の傷にかからないための配慮のようだ。それだけでなく、肩から胸まで撒かれた包帯が、決して軽い傷ではないことを示している。

「まったくです。流石は天界最強の男神だっただけはありました。そもそも、彼は立場的に、手加減すべきだと思うんですけどね」

苦笑を浮かべて、朱月は応じた。

「だがその傷は、お前が我らを庇ったからだろうが」

ごッという鈍い音とともに、藍月が茶を持って現われる。
傷のある頭部を、盆でどつかれた朱月は、そのまま前にのめった。

「粗茶だ」

それを無視して、藍月は茶を一条へと差し出す。
彼も、腕やら肩やらに包帯を巻いていたが、朱月に比べれば傷は浅いようであった。


「なあ……、構わんのか?」

手渡された茶よりも、一条には朱月の様子の方が気に掛かった。
相当痛いらしく、朱月は前屈のような姿勢のままで、後頭部を抑えていた。

ふんッとばかりに鼻で笑い、藍月は憤慨した様子で続けた。

「少しは懲りるべきなんだ。信じられるか?
氷の皇の力を、こいつがわざと自分で受けたのだぞ。攻撃の軌道上には、俺がいたのに。そう、水の俺がいたのに、わざわざ炎のこいつが間に入った。愚か以前の問題だ!!」
「落着け。それよりも、本当に大丈夫なのか?」

そういって、一条が覗き込むよりも早く、手伝いの少女の絶叫が響いた。


「きゃあああッ、何やってるんですかッ!!」

入り口で叫んでから、彼女は素早く朱月の元に駆け寄った。
それから、低く笑う。


「あははは……藍月さまぁ〜〜?」
「どうかしたか?」

悪びれずに返事をした彼に、何かが切れたらしい。
詰と眦をあげる。

「さっさと出てきなさいッ!!一条さまも、同罪です!!」




「で、一条。どうするんだ?今月は、立合わんのか?」

後ろを何度も振り返る一条を不思議そうに眺めながら、藍月は平然と訊ねた。

「お前、本当にあれは良いのか?
ともかく立合いか……、朱月は無論のこと、お前も無理だよな」
「これか?この程度なら、本来たいした事もないのだが、イツ花に叱られるからな。他に……あ」

言葉を切った藍月の視線を辿ると、蒼の髪と瞳の青年がいた。
この一族の外見上の年齢は信用できないため、一条は、藍月の父か兄あたりではないかと予想してみたが外れたらしい。彼に対して挨拶をする際の言葉遣いが、藍月にしては丁寧であった。


「ああ、藍月。朱月はどうした?」
「傷に障ったらしく、また寝ています」

いけしゃあしゃあと、藍月は答えた。一条の責めるような目は、全く気にならないようだ。
しばし不審の目で藍月を見ていた蒼の青年は、一条に視線を移してから問うた。


「で、どこのどなた様だ?そちらは」

冷ややかな物言いから、ある人物を連想して、一条は萎縮するのが自分でも分かった。
名乗りながらも、問い返す。

「阿部社の剣士です。失礼ですが、貴方は?」
「ああ、これはどうも。よく息子と遊んでいるそうですな。私は藤間の現当主、美月と申します。そして朱月の父です」


藍月らの親の世代ということはあっていた。
但し、色のまったく異なる朱月の父とは意外であった。

それよりも一条の気にかかったのは、美月と名乗った男の冷静さ。
息子が大怪我を負ったというのに、焦る素振りもなく見舞いに行く様子もない。

自然と険のある声が出ていた。

「当主ともなると、重傷の我が子すら見舞う時間もないのですか?」
「おい、一条?」

藍月に袖を引かれたが、止める気にもならなかった。


いくら朱月が強大な力を持つとはいえ、酷すぎる。
子に掛ける言葉も無いのか――湧き上がる憤りを、初対面の相手にぶつけながら、一条は違う人間に向けて怒っていた。
血の繋がりなど気にも掛けていないかのように、立場だけを考えて振舞う人間。
脳裏に浮かんでいたのは、常に冷然とした陰陽師の顔。


ほんの一瞬不興げに眉根を寄せ、それから何事かに気付いたように、美月は口元を僅かに綻ばせる。面白そうに小さく笑いながら、彼は言った。

「息子は、しばらく相手を出来まい。藍月も一応、怪我人ではある。
阿部殿、不服が無ければ、俺がお相手をいたそうか?現在我が家にて、健康な直接戦闘系の男は、俺だけなのでな」



当主は、奥義こそは朱月に譲ったものの、十分過ぎるほどに強い。そして、この険悪な雰囲気から判断するに、手加減をするかどうかは怪しい。

一条は、人間としてはこの京でも最強に近い剣士だが、それでも危険だろう。

だが、彼に口を開く隙を与えず、美月は当主命令を下した。

「槍使い、藤間藍月に命ず」
「はッ」

藍月は頭を下げ、次の言葉を待った。こう言われれば、よほどのことがない限り当主に逆らうことはできない。

「宝物庫を整理せよ。どこになにがあるか分かるように。それまで、出ることは許さん」
「な゛……かしこまりました」




最早勝手知ったる他人の道場――訓練用の刀を取り出し、一条は剣呑な空気を纏いながら呟いた。

「そうか、貴方を怪我させれば、ゆっくりと朱月の見舞いができますね」
「大言壮語は、恥ずかしいことだと思うが」

面白そうな表情を崩さずに、美月は肩を竦める。
彼の軽口に対し、内心で苛立ちつつも、一条は構えた。
心を落ち着けて、相手の構えを観察する。当然のことながら、それは朱月に酷似していた。
その事に、僅かに安堵する。相手の技を知っている事は、非常に有利に働くから。



迅さでは、確実に朱月の方が上。
なのに、彼と同様に先回りをされる。動きの延長上を先読みすることで、より短い移動距離で相手を追い詰めていると気付いた頃には、とうに勝負は決まっていた。


美月は、手にしていた刀を元の場所へと戻し、出口へと歩いていく。
いつも慌てて回復の術を展開する息子とは、ずいぶんと異なる性格のようであった。

そのまま無視をしていくのかと思われたが、戸口に着いた所で、倒れ伏す一条の方を振り返った。


「ところで、阿部殿。俺は、息子が心配でなかった訳ではない。
見舞うと取り乱しそうで、怖いのだよ。それは当主としては感心できない行動だからな。
血塗れの意識を失ったあいつを見た時は、気が遠くなったし、なによりも自分が当主であることを呪った。最悪死んでいても、反魂の儀――自らの魂を用いれば、直系の子孫を蘇生することが可能だ。だがな、当主であるとな、反魂の儀を行う事は、許されてないのだよ。反魂の儀とは、究極の我が侭であるからな」

子を思わぬ親は存在しない――そう淡々と語った彼は、もう一言付け加えた。

「弟を思わぬ兄もな」
「なッ!?」


なんとか半身を起こした一条に、悪戯っぽく笑いかける。
当主の落ち着いた顔ではなく、ただの若者にしか見えない笑みを浮かべて。

「あれは、人としては強力すぎる力を持ち、最強の陰陽師として持ち上げられ過ぎた。血を分けた弟にすら、本心を見せる事もできず、ただひたすら弱みを隠してきた。その実、わりと気のいい男ですよ」

そう告げると、まだ碌に動けない一条を置いて、去っていった。


一条――そう名乗ってはいるが、本来の名は、阿部雪邑。
兄とは違い、陰陽師の資質を殆ど持たずに生まれてきた彼は、一族の無言の責苦に苛立ち、いつからか阿部姓を名乗らなくなった。全く関連の無い姓ではなく、兄が式神を置くのに使用している『一条戻橋』、弟として認められていない皮肉を込めて、それを名乗っていた。

朱月や藍月にも、それは告げていない。
なのに、何故藤間の当主がそれを知っているのか――考えるうちに、思い当たった。
兄が御前試合の後に、藍月に青の剣士について訊ねたことを。そして藍月が、それは現在当主となっていると答えたことに。

「一条、無事……ぎゃあ、壱与姫」

珍しくも血相を変えた藍月が飛んでくるまで、ひとり残されていた一条は、藤間家当主の言葉の意味を考えていた。




「雪邑、あまり藤間の者に関わると、辛くなりますよ」
「晴明さま」

暗い部屋で考え事をしていた一条は、掛けられた声に顔を上げた。
藤間家へ行った後のことなので、かの一族について考え込んでいるのだと、誤解したようだ。

「彼らは呪われた一族。友と、妻とするにはあまりにも哀しい者たち。もう事情は知っているのでしょう?」

その声音は小さく、そして暗く沈んでいた。
当代一の陰陽師と称され、それに応えうる力を有する彼が、己の卑小さを呪うが如く自嘲の笑みを浮かべる。


「私も、友と呼びたい者がいた。そして、その妹に惹かれていた。けれど、まだその時代ではなかった」

彼の脳裏に浮かんでいたのは、青の剣士。
強大すぎる力と半人という枷に、悲劇の主人公のつもりでいた己に、遥かに苛酷な者たちが存在すると教えてくれた青年――いや、当時は幼児というべきか。


「御前試合の時のお話の男ですか」

表情から読んだのか、遠慮がちながら、珍しく一条が訊ねる。
頷いた晴明に対し、怪訝そうな表情で続ける。

「ですが、青の髪の剣士でしたら、つい先程勝負しましたが、元気でしたよ。まだ間に合うのでは」
「ほう、どうなりました?」

途端に、一条は言葉を失った。
しばし黙り込んでから、小声で答える。

「……負けました」
「ふふ、相変わらずなようですね。
確かに蒼月……当主ならば、間に合うかもしれません。だが、彼の妹は既に交神も済んでしまった。一年ほど遅く彼女が生まれていたら、交神せずとも許されたかもしれない。そう思うと悔しいです」

僅かに怒りすら浮かんだ面で、晴明はどこか遠くを眺めながら独白する。
己を責めるような彼の言葉を初めて聞いたことに気付き、一条は知らずの内に呟いていた。

「兄上……」

いつ以来だろうか。久方ぶりに呼ばれた呼び名に、晴明は軽く目を見張った。
そして、己の方も久方ぶりの優しい笑いを弟に向けて言った――先ほどの忠告とは異なることを。


「雪邑――あなたはまだ間に合う。
藤間の者は、人とは交われない。けれど、私たちも彼らと同じく半妖の身。
そして、藤間の者の能力は、もはや最大に近いでしょう。朱点を倒すことも、既に夢ではない。
それらを併せて考えれば、結ばれる事も無いとは言い切れないでしょう」

一条は兄の笑みに呆然とし、それから搾り出すように呟いた。

「ですが兄上、母の――妖狐の力は殆どあなたが継ぎました。私の力とは、剣士としては強力な術が使える――その程度のものです、痛ッ」

いきなり扇子で叩かれた一条は、恨めしそうに相手を見た。
相手は涼しげな様子で、弱気な彼を叱咤するかのようにあっさりと言う。

「力を持ち、それでも何もしないのは、愚者のすることです。
貴方は、まだ可能性がある。彼女をどう思っているのか良く考えて、この後のことを決めなさい」



再度、部屋にひとりとなった一条は、考えていた。
彼女をどう思っているか――そんなことは決まっている。

愛している。

『あなたと流れる時が異なっても、共にいたいの。私が居なくなったら……、すぐ忘れても良いから』

少女は、微笑んでいた。己の命の短さを覚悟した上で、儚く、しかし強く。

一条が勝負に敗れる度に、自分が父を説得するからもういいと、泣きはらした目で止めていた幼き娘は、瞬く間に美しい女へと成長した。短期間での急激な成長、それはあまりに短い命の象徴に思えて、哀しかった。

短い刻だけなどと思いたくない。大切にしたい。
敵うはずもない強さの男に、挑み続けることができるのは、彼女への想い。



不意に感じた違和感に、一条は顔を上げた。
不安そうに周囲を見回す。何かが今までと異なっていた。それなのに、具体的には分からない。

結局理解することは叶わず、不思議に思うに留まった。だが、この時を境に彼の力は増大する。
母による力の封印。愛する我が子を天界の諍いに巻き込みたくない、それゆえに強力に施されたそれは、他者への想いだけが解除の鍵となる。

兄は弟の為に、遥か昔に解いていたそれを、彼は今解くことができたのであった。


理屈は分からないものの、強くなったことは実感していた一条は、その月は、意気揚々と恒例の勝負に出かけた。


いつものように藤間の家を訪ねた彼は、微妙な空気に戸惑った。
助けを求めるように、辺りを見回していると、朱月から声を掛けられた。

「一条さん……、あの、今月は私ではなくて、立合いたいという者がいます」

当人以上に困惑した表情で、歯切れ悪く。
彼の珍しい様子に、一条は首を捻った。


「藍月ではないよな。その言い方では」
「道場で待っているそうです。あの……くれぐれもお気を付けて」

直接の返答はせず、ただそれだけを心配そうに告げる。
よく見ると、彼だけではない。他にも何人かの者たちが、気の毒そうに一条を見ていた。

仕方なく、道場へと向かう。
理解はできないものの、本能からか経験からか、警鐘が鳴り響いていた。



「失礼す……ッ!?」

警戒しながら、道場の入り口を跨ぐ。
だが、事態は予想を遥かに超えていた。

小さな弦の音に、気付けただけでも幸いだった。
顔面に向かって一直線に飛んできた矢に、刹那一条の思考が止まる。直後に我に返り、顔を引き攣らせながら避ける。

木を抉る音が響いた。

恐る恐る顔を上げる。屈んだすぐ上、紛れもなく先程までの頭の位置に、一本の矢が突き刺さり上下に撓んでいた。青ざめた彼は、聞こえてきた残念そうな声に、視線を向ける。


「チッ、躱したか」

弓使いの正装をした樹月が、そこには居た。美しい文様に飾られた、見事な大弓を手にして。
その後ろには、蒼白な顔をした月姫が。

「か、躱さなければ、どうなっていたと」
「娘に手出しができなくなっていたな。永遠に」


あっさりと答える彼の目に、紛れもない殺気を読み取り、一条は硬直した。
が、樹月は直後に普段通りの彼に戻り、今のは軽い冗談だ――と言い放つ。
冗談で殺されてたまるか――憤然と言い返そうとした一条だが、先に話題を変えられる。ただし、このうえなく重大なことに。


「本題はこっちだ。
来月、我らは一族を挙げて、朱点を討ちに行く。それでお前に機会を与えようと思ってな」
「えッ」

どちらに主眼を置いて驚けばいいのか分からずにうろたえる一条を、月姫は困った顔で、樹月は無表情で見ていた。
何かを言いかけた娘を、視線で黙らせて、樹月が続ける。

「朱月に勝つ、それは不可能だからな。規制を緩くしてやろう。本来ならば、私と立合えと言うべきなのだろうが、か弱い上に――来月寿命だ」
「そんな」

来月が寿命、その言葉に、一条は凍りついた。知り合った時期が幸運だったのか、藤間の者の死に立合ったことはなかった。だから、実感はしていなかった。彼らが二年以内に死す定めの者だということを。


だからな――衝撃を受ける一条に対し、樹月は無表情のまま続けた。

「これから十本の矢を、お前に向かって射る。生きていたら、お前の勝ちだ」

彼は、ただ一条だけを見ていた。
泣きそうになる娘にも、一切視線を向けない。おそらく、散々問答を繰り返したのだろう。

「わかりました。忘れないで下さい」

恋人に安心するようにと笑いかけて、一条はそれを受けた。



「では行くぞ」
「ええ」

剣を正眼に構え、一条は頷いた。

一挙に十本の矢を番えた樹月に、流石に肌が粟立つ。
常にふざけていたが、本当に『か弱い』わけがない。彼も藤間の一族なのだから。

感じた恐怖を振り払うように、首を振り、深く呼気をはく。
彼は、既にあることを決めていた――それを成す為に、ただ集中する。



流れるような動作で、樹月は弓を掲げる。
精神が集中していく様が、傍から見ていても分かる。

「紅月地獄雨ッ!!」

鋭い気合と共に、本来ならば既に使うことは許されない奥義を繰り出す。

光の如き矢を、一条はどう避けるのか。


――――彼は、一歩たりとも動かなかった。目を瞑る事もなく、静かにその場にいた。
同時に放たれた十本もの矢は、全て彼の近く、掠めるほどの距離に刺さっていた。

溜息を吐きながら、一条は苦労してそこから抜け出した。
それからそうっと振り返り、ほぼ己の輪郭通りに刺さった矢に仰天する。
改めて相手の力量に、冷や汗が出てくる。


無言でいた樹月が、不機嫌極まりない顔で口を開く。

「なぜ避けようともしなかった?それだけの力もあっただろう?」
「貴方の腕を、信頼しておりますゆえに」

ひたと目を見ながら告げる一条を、樹月は忌々しいと太文字で顔に表しながら、睨んでいた。
が、臆す様子もない相手に根負けしたのか、彼の方が目を逸らした。

そっぽを向いたまま、彼はぶっきらぼうに告げた。

「勝手にしろ。討伐までは好きに過ごせば良い。
そして――無事に戻ってこれたならば、娘を頼む」



歓喜に顔を輝かせたふたりが抱き合う様は見たくないらしく、樹月は足早に出ていった。

一応樹月が退出するまでは待っていたが、その気配が消えたのを確認してからいちゃつきつつも、朱点討伐についての話をする。
話の重大性ゆえに、抱き合うふたりは気付かなかった。何人かに見られている事を。



「怖かったわね〜。よく彼も避けなかったもんだわ」

翠の少女が、纏っていた風を解放しながら呟く。
隣の青の青年も、両掌に集めていた水を、大気に戻しながらしみじみ頷く。

「あれって、俺でも避けようとしてしまうからな。よくまあ、あそこまで信じられたものだ」
「私はあのやたらと強くなった一条さんと闘わなくてすんだことが、実は一番嬉しいかもしれない」

割と情けないことを言いながら、朱の青年が指先の火を消す。
三人とも、樹月の剣幕に不安を覚え、念の為に覗いていたのだろう。

まあ、なんにせよ丸く収まって良かった――――彼らは、顔を見合わせて安堵した。




朱点成敗の朗報に沸き立つ京にて、阿部晴明は、弟とその恋人の訪問をうけた。
彼らは緊張した面持ちで顔を見合わせ、一条のほうが事態の説明を始める。
黙って聞いていた兄に、彼は最後に問うた。

「兄上……私の寿命は」
「我らの寿命は、常人と殆ど変わりません。母は、所詮はぐれ神族ですから。
彼女に人になってもらった方がいいのでは?もちろん、貴方たちが、決める事ですけれど」


しばし考え込んだ一条は、何かを決心した様子で、顔を上げた。軽く礼をすると、月姫を伴って出て行く。おそらくは藤間の家に、その話をしにいくようだ。

微笑んで彼らの背を見送った晴明に、呆れたような声が掛けられた。


「相変わらず嘘がうまいな」
「ふふ、久しぶりですね、蒼月。嘘――とは?それに、もう身体は平気なのですか?」

とうに気付いていたのか、晴明は平然と声の方向を振り返る。
そこには、腕を組み、呆れを隠さない藤間の現当主がいた。

「白を切るかよ。
葛葉姫といえば、神族でも高位だったろうが。彼女が降りたから、補充として黄川人と関わりのあったお紺の魂が、死後神に上げられたくらいに。
その息子であるお前らとて、数百年はゆうに生きられるだろう。
もう一つの方に答えると、俺は平気だ。もう一応神格となっている」

それは良かった――晴明は久しぶりに会った友人に笑みを向け、それから少し口ごもった。
黙って待っている友人に対し、意を決したように口を開く。

「お願いがあるのですが、雪邑をあのお嬢さんの人化の儀に同席させて下さい。そして、秘密裏に彼も人にして欲しいのです」
「いいのか?弟も、そのままなら長く生きられるのに」

予想の範囲内だったのだろう。蒼月は、特に驚くこともなく、軽く首を傾げる。
その言葉に頷いて、晴明は続けた。

「いくら長命といっても、我らと完全な不死となった貴方たちとでは違う。
八百年共にいて、その後は永劫ひとり残されるのと、数年の差で五十年程度で逝くのなら、後者の方が良いでしょう。子も生せますしね」

笑って答える晴明の様子に、蒼月は顔を顰めた。
本来の彼は、こういう性格だというのに――弟は、長い間冷たい人間だと信じきっていたようだ。そう信じさせた環境に、それを甘んじて受けていた彼の不器用さに、心が痛んだ。

「妻に頼んでおく。もっとも、どちらを選ぶかの決定は、彼らに任せるが」




人となった月姫は、拘りを捨てて阿部姓を名乗るようになった雪邑の元へ嫁ぐ。
その最期の刻に訪ねた両親の言によれば、『総合的には幸せな人生』であったと、彼女は微笑んだそうだ。

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