勿忘草 三
森の底は、思ったよりも闇が深かった。
生い茂る木々はほとんどが常緑広葉樹、その広い葉が黒々と重なり合って微かな光さえ届かない。蠢く暗闇が枝葉の隙をくまなく埋め、得体の知れない静けさで空気を満たしている。
さわ、と風に鳴る枝の間を、銀色が奔った。
僅かに撓む細い枝が、その動きを追って微かな音を立てる。
夜に生きる獣の気配は其処此処に散らばり、けれども人の気配のないのが、この森だ。確かに気配を消して潜むにはお誂え向きだが、馴染んだ静寂の方が探りやすいとも言える。カカシにしてみれば、雑多な気配の混じる里内で人を追う方が返って面倒だった。
「…見つけた。」
緊張が目立っていた一人目はやはり早々に脱落したのだが、二人目は気配の消し方が上手く、見つけるまでに手こずった。これなら使い物になるか、と気配を露わにしてやれば忍刀を構える。木の葉の忍びはクナイを使うことの方が多いが、咄嗟にそちらを構えるというならそれなりに使い込んでいるのだろう。構えは悪くない。
カカシの投げた幾つかのクナイは苦もなく払われた。キン、と鋭い金属音の後、一気に差を詰めたカカシのクナイは鳩尾の寸前で止められ、ギィン、と重い金属の擦過音と焦げ臭い匂いが鼻先を掠める。万が一を考慮して持ち手側に返していた分、受け止めるにはカカシが不利だ。そのまま振り払おうとする力に逆らわず、逆に利用して体を沈めると、勢い余った男の手首を掴んで投げ飛ばす。
さすがにそのまま地面に叩きつけられることはなかったが、それでも男の体勢は崩れた。小さく舌打ちをして体を捻り、器用に着地する瞬間を狙って、カカシは枝を蹴る。落下速度を上乗せした蹴りが、男の肩胛骨の間にきれいに入った。
耐えきれず呻き声を上げて倒れ込む男の背中にそのまましゃがみ込んだカカシは、のんびりと呟く。
「はい、おしまーい。」
ひたり、と首筋に当てられた刃の感触に強張った体が、その声で一気に弛緩した。詰めていた息を吐き出す音が、面の内で大きく響く。
「…ま、頑張った方だぁね。」
合格、とクナイをホルダーに納めたカカシは立ち上がった。気殺は元より、体術もそこそこ使えるレベルと言っていいだろう。
何よりこの反射神経は悪くない。
本当なら最初に間合いを詰めたとき、鳩尾に入るはずだったクナイを受け止めたのも、最後に首筋に入れるつもりだった蹴りを反らされたのも。
自分は手加減をしたつもりはないから、まあ任務に出ても何とか生き残れるはずだ。やれやれ、と見上げた枝にようやく追いついた暗部の姿を見つけて、カカシは溜息をつきながらこぼした。
「遅ーいよ。」
「…すいませんねぇ。」
枝の上で暗部服を着た男が肩をすくめる。カカシと同時期に暗部に在籍していたことのあるこの男は、カカシより先に暗部を抜けた。それがこの騒ぎで戻されたのである。
今の暗部はそういったメンバーが約3割を占めていた。正直カカシは使えればどちらでも構わないと思っているが、以前からのメンバーとの間に温度差があることは否めない。
とはいうものの、カカシを含めた出戻り組は総じて醒めた態度を崩さなかった。
結局はそんな些末に囚われる人間から脱落するのだ。
一度暗部を出てまた戻ってきたような人間は、それが骨身にしみている。半端なプライドなら捨てたがいい。任務を遂行し生き残るのに必要がない、そんなものなら捨てて身軽にならなければ。
「まったく、相変わらず厳しいですねぇ…」
落ちてますよ、コイツ、と音もなく降りた男が覗き込む。それに苦笑して、カカシはぽりぽりと頭を掻いた。
「別にそんなつもりはないよ?」
むしろ優しいくらいだろう。生き残れる可能性だけが選抜の基準、弱い者は連れて行かない、と、それだけのことだ。
「そりゃそうでしょうけど、厳しいと思いますよ、貴方の基準は。」
猫の面の内側でくつくつと漏れる笑い声に嫌な顔をしたカカシが、上げたままだった白狐の面をするりと下ろす。
「んじゃ、後は頼むね。」
「了解。」
その返事を聞くと同時に、カカシは地を蹴った。
──────あと一人。