第2話  〜事前のリサーチは完璧に〜


 「…今度は何を始めたんだ、お前は。」
 顔が見えないほどの荷物を抱えたオラトリオを一瞥して、コードが呆れたような声を投げる。薄っぺらい雑誌の類を山と抱えたオラトリオが、歩くのにつれて上の方がゆらゆらするそれと、見えない足元の裾とを器用に捌きながら研究室に入ってきたからである。。
 「いやぁ、やっぱこーゆうのって下調べが大切っしょ?」
 どさ、とデスクに投げ出された上から、楽しげなオラトリオの顔が覗いた。何の下調べやら、随分と乗り気なところから見て、どうせまたろくでもないことだろう、とコードは鼻の先で笑った。
 「あ、師匠笑いましたね!」
 「どうせくだらんことだろう、お前が思いつくのは。」
 ふわり、と薄桜の翼が脹らむ。窓際の定位置からデスク正面のキャビネットに移ったコードが、山と積まれたそれを覗き込んだ。
 「『伊豆・箱根』?」
 表紙の鮮やかな青い海と黄色の花畑のコントラストがまず目を引く。上から下までどうやらその手のガイドブックらしい、と見当を付けたコードは、訝しげに男を見やった。
 「お前が行くのか。」
 それこそ世界中を飛び回ると言って過言ではない、『監察官』としてのオラトリオを知ればこそ、この手の雑誌の山は奇異に映る。今更観光旅行でもあるまいに、この浮かれ具合はどうしたことか。出来だけは良かった電脳がとうとういかれでもしたのか、と胡散臭そうに睨め付けられた方はというと、鼻歌を歌いながら崩した山を楽しげに漁っている。
 「そうでーっす♪」
 ほらほら、これなんかどうすか?と広げて見せるページには、和風旅館の写真が大きく載っていた。嘴で器用に何ページかを捲ると、多少の違いはあるとはいえ、どれも似たり寄ったりのようである。
 「…狭そうだな。」
 日本家屋は天井が低かろうに、何を好きこのんでと思いながら見上げると、オラトリオが苦笑した。
 「ま、それはそうなんですが。」
 ご希望とあれば致し方ないんでね、と肩を竦める。してみると、どうやら連れがあるらしい。
 「今度の家族旅行か?」
 前はどこだったか、と記憶を辿る。信彦が珍しく駄々を捏ねて友人の母親が経営するペンションだか何だかへ行ったことを思い出したので。
 「…まー、家族旅行って言えばそうですかね。」
 「違うのか。」
 音井家の家族旅行ではないのか、と羽繕いをしながら尋ねる。オラトリオがよくぞ聞いてくれました、とばかりにえっへん、と胸を張る。
 「違います。俺とオラクルが行くんです。」
 「…何だと?」
 「いやだから…」
 「お前とオラクルが!?」
 馬鹿も休み休み言え、と瞬間湯沸かし器のように一気に沸点に達したコードに、オラトリオはちっちっち、と白い指先を軽く振って見せた。
 「ほーんとなんですって♪俺と。」
 小粋に片目を瞑ってみせた男は、一呼吸置いてにやりと続けた。
 「…オラクルで行くんですよ♪」 
 「何だその不自然な間は。」
 不機嫌に唸るコードは、にわかに信じかねるその発言にくらくらした頭を必死に立て直しつつ、それでもじろりと睨み付ける。
 「休み休み言えって言ったの、師匠じゃないすか。」
 「…ええい、このたわけがぁっっ!」
 げし。
 きらめく鋭い爪に足蹴にされたオラトリオがめげずに笑って見せた。今更このくらいの攻撃でへばっていては、この先出し抜いて旅行なんかできるはずがないのである。
 「まあま、落ち着いて師匠。」
 話はこれからですよ、と促されたコードが、しぶしぶ矛先をおさめた。オラトリオの右腕に場所を移し、間近く見える紫瞳をひた、と見据えて話の先を促す。ことと次第によっては聞かぬでもない。この男がこれ以上馬鹿を言い出さない限りだが。
 「どういうことだ。」
 「いや、実はですね…」
 
 かくかくしかじか。
 (この間に話されたことは、《ORACLE》の最高機密にあたるために割愛)
 
 「…ということになりまして。」
 「…分かった、そういうことなら仕方あるまい。」
 何が仕方ないのか謎は残るところだが(笑)、しぶしぶ承諾して見せたコードに、オラトリオもほっとしたように息を吐いた。
 「分かっていただけたんで?」
 「納得はしとらんがな。」
 そりゃあそうだろう、と作者も思ってはいるのだが、ここでこの御方に(ついでに皆様にも)承諾していただかないことには、話が先へ進まないのである。
 「まあそういうわけで、行き先は決まったんですけどね。」
 オラクル自身の希望を入れて、行き先は熱海ということになったのだった。ただし、それ以上の詳しいことになるとさすがに決めかねたので、件のガイドブックが必要になるというわけである。 「何かあってからじゃまずいんで、一応詳細なプランを、と。」
 上に言われまして、とオラトリオは肩を竦めて見せた。どうせならオラクルが楽しめるコースにしてやりたい、というのが個人的には大きいのだが。その辺りはどのみちお見通しだろうな、と苦笑する。
 「熱海か…あのあたりは梅が見事だな。」
 コードが気のない素振りで伸ばした羽をつついた。乱れたそれを器用に整えて、さり気なく名所案内なぞして下さる辺り、やはりこの人も同じ穴のムジナではある。つまるところ、それをオラクルが喜ぶのなら構わない、という点で。
 「梅…に間に合うといいですね。」
 アイツ、好きそうですから。
 四季折々の花々や季節の移ろい、映像では分からない自然の美しさ、雄大さ。少ない時間の中で少しでも多く、そんなものを味合わせてやりたいと思う。オラトリオは小さく笑った。
 「花は梅だけでもあるまい。」
 その折に咲いている花を探してやればよいだろう、とコードの琥珀の瞳が僅かに和む。漆黒の虹彩をきゅるり、と笑むように細めて、目に付いた一冊を引っぱり出してやる。
 「『伊豆花巡り』ですか?」
 「それでも読んで勉強しておけ。」
 少しばかりずれたとて何ほどでもあるまいに、と笑う。陽の出づる遙かなる黄金の国は、そのひととせの流れる間、途切れなく百花の咲き乱る、美しきまほろばなればこそ。
 「そっすね♪」 
 ありがたく勉強させていただきやす、とオラトリオはその一冊を押しいただいた。それから、ふと思いついたようににやり、と笑う。
 「ねぇねぇ師匠、あそこなんかどうですかー?」
 「あそこ?」
 シャボテン公園でも行くのか、とコードが男のアイボリーのコートへと再び座を移した。右腕にとまらせた鳥が、半身に睨め付けるそれへ片目を瞑って見せたオラトリオは、心底楽しげにこう言ったのだった。
 「いやぁ、やっぱ熱海と言えば『秘宝館』っしょ♪」
 「…この、色ボケえろトリオがぁっっっっっっ!」
 …もちろん、そのありがたい罵倒のお言葉より雄弁なのが、猛禽に比するとも劣らぬ鋭さの嘴と爪であったことは言うまでもない。
 「いっでーっっ!冗談!冗談です師匠ッ!」
 「冗談だと!?」
 いい加減な奴め!と逃げるオラトリオを追い回しながらコードが怒鳴る。猛禽特有の軋るように甲高い声が混じるそれが、ずい、と向き直った男の指に阻まれた。真剣な表情で何を言うのかと思えばこの男は。
 「…じゃあマジ。」
 その途端、どこかで何かが『ぶちっ』と音を立てて切れた…ような気がするのは作者の空耳ではないはずだ。
 「なお悪いわ、このたわけーっっっっ!」
 「いだだだだだーっっっっっ!」
 再開されたそれが、先ほどより数段パワーアップされた、流れる滝のごとき見事な連続攻撃だったとしても、コードを責める者はいないであろう────ただひとりを除いては。
 
 はたして、オラトリオは無事旅立つことができるのか。とりあえず無傷で旅立つことはできそうにないとある午後の話である。 




第3話  〜健康管理はしっかりと〜  につづく。