雪うさぎ


 しんと澄み渡った氷の気配がはりつめる。かこん、と時折響く鹿脅しの乾いた音が静寂をより染み渡す冬の夕暮れ。
 本来電脳空間に季節は関係ないはずだが、ことこの一郭に限って言えば、その住まう主の趣味を色濃く映して四季折々の風情を漂わせている。 春には華の、秋には紅葉の織りなす錦をまとい、ときには風の音、月の光をも誘い。
 頭脳集団アトランダムのデータバンク、それも総帥たるDr.マーガレット・Q・カシオペアに属するプライベートネットの片隅には、数寄屋風のこぢんまりとした屋敷が設えられている。主はA-C〈CODE〉、A-NUMBERSとしては最古参にあたるロボット・プログラムである。
 「…雪になるか。」
 濡れ縁の柱に凭れて瞑目していた青年は、ひいやりと渡っていった風の匂いに小さく笑んで呟いた。しとりと濡れた匂い、すうと冷えた空気が今年初めの雪の訪れを告げていた。どこか近しいその気配にコードが琥珀の瞳をふと緩ませる。
 「お兄様、いらっしゃいまして?」
 まるでそこだけ春が訪れたように。
 新緑の輝きをふわりとまとい、春の女神のような微笑みを浮かべて庭先に降り立った妹の姿に、琥珀がとろりと甘く弛む。
 「エレクトラか…どうした?」
 アトランダムの慣習に倣い『妹』と呼ばれる彼女らに対して、コードは心底甘い。とりわけ手元に置くこの少女プログラムには。
 「オラクル様から頂き物をしましたの。」
 きらきらと瞳を木漏れ日の光に揺らめかせ、エモーションは兄に小さな篭を示して見せた。青竹で編まれた篭にコードが首を傾げると、少女はくすくすと笑う。
 「何だとお思いですか?」
 「ふん…」
 しばらく考えたコードが視線で答えを促すと、エモーションが楽しげに笑って蓋をそうっと開けて見せた。 中には青々と笹の葉が敷かれ、中央にちんまりと白い生き物が座っている。
 「兎か?」
 「違いますわお兄様、これは『雪うさぎ』ですのよ♪」
 そう言われてよくよく見れば、白い体に常緑の小さな葉が二枚つくんと刺さり、艶やかな赤い実がくるりと対に填っている。ちょこなんと座った姿はまるく小さい。
 「…これをどうした?」
 篭の口からおどおどと外を窺う兎を一瞥すると、コードは妹を座敷へ促した。飴色の畳に蛍光の緑がさらんとすべる。ちょこんと正座した少女はにこにこと小さな兎を抱き上げた。
 「先ほど《ORACLE》へ参りましたら、この子達がおりましたの。」
 とても可愛らしいでしょう、わたくしとても欲しくなってしまって…と抱き上げたそれに頬ずりをしながらエモーションが言うのへ、コードが苦笑を漏らした。
 「…それでオラクルが譲って寄越したか。」
 どのみちオラトリオ辺りの土産だろう、と薄く笑う。コードとは違う意味で、オラトリオも自らの片割れには甘い。こういう女子供の喜ぶようなプログラムを作ってはせっせと貢いでいるのが、果たして甲斐性と言えるかどうかはまた別だが。
 「一匹だけ分けていただいたんです♪」
 後でお兄様からもよしなにお伝え下さいませね、と無邪気に喜ぶ妹にコードも顔をほころばせる。結局の所身内が幸せならそれでいいというところがコードのコードたる所以だ。
 「…ではそいつは庭にでも放してやれ。」
 好きに遊ぶだろう、と気の無いようなセリフを投げて寄越す兄ににこりと微笑んで。
 少女は濡れ縁からそうっと兎を下ろしてやった。ひくひくと鼻先が動き、辺りの気配を必死に探る様子のそれを、息を詰めて見守る妹に苦笑して。
 「案ずるな、この庭の内なら何事も起こらん。」
 密やかなこの箱庭の内は、電子の波音さえも届かぬ遙か閉ざされた世界だ。外敵など在るはずもないが、持って生まれた習い性は如何ともしがたいということか。 変なところで緻密なプログラミングの主を鼻先で笑って、コードはかたりと雪見の障子を開けた。
 舞い始めた初花の欠片を愛でながら、雪見の酒も悪くはない。
 
                    *
 
 さて、翌日の《ORACLE》の話である。
 「貴様一体どういうプログラムを組みおった!」
 「どういうって…うわ、ちょっとししょーっ、洒落んなんないっすよー!」
 「やかましい!」
 「やめてくれコードっ、データに万一のことがあったらどうしてくれるんだ!」
 小さな夢の生き物は、薄雪と共に陽の光に溶けて消え。がっかりした様子の妹の姿を見てのこの騒ぎでは。
 ───コードも、座して風雅を楽しむ境地にはまだまだ至っていないようである。


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