St.バレンタイン大作戦


 寒さ厳しい二月の初め。世間の風も身にしみる、そんな季節の話。
 
 とは言っても、電脳空間に本来季節は関係がない。つまり、ここ《ORACLE》にもそんなものは存在しないはずだが、最近は実はそうでもなくなってきている。
 「だぁかーらー、ぼくじゃないんだってばー!」
 「やかましい!あれもお前だろうが!」
 「ちびの時のことまで責任とれないよぉ!」
 「…あーうるせー…」
 山と積んだ書類の陰で、オラトリオはぼそりと呟いた。向かい合ってパラパラとデータを捲っていたオラクルがくすりと笑いを零す。
 「聞こえるように言ってやれば?」
 「冗談だろ…それこそ火に油じゃねぇか。」
 積み上げた書類に右手をかけて圧縮しながら、オラトリオはもう片方の手で頬杖をついた。先刻《ORACLE》へやって来た二人連れは、それからずっとあの調子で実りのない争いを続けている。
 「ちびの責任はお前の責任だ!」
 「おぼえてなーいっ!」
 どうやらシグナルが『ちび』の時、コードの逆鱗に触れてしまったようなのだが。
 「今度は何をやらかしたんだかねぇ。」
 オラトリオは苦笑する。短気なように見えて、あれでもコードはちびのやることには寛大な方だった。まあ成らざるを得ないところも間々あるが、今回はどうやらそうも言っていられなかったらしい。
 「そうだなぁ…コードのしっぽでも抜いたのかな?」
 のほほんとそんなことをぬかす相棒に、オラトリオは頭を抱えた。
 「お前ね…」
 「…飾毛で三つ編みとか?」
 「リボンつけてか?」
 ははは、と笑う声が乾いている。ありえなくもないような寒い光景を想像してしまい、オラトリオは恨めしげな目をオラクルに向けた。
 「間違ってもそれはねぇよ。」
 「そうか?」
 じゃあ何を怒っているのかな、と首を傾げるオラクルがどうやら本気でそう考えていたらしいことに、オラトリオはがくりと項垂れる。まったく世間知らずというものは。
 
 「もうかんべんしてよう!」
 「これが勘弁できるかっ!百年早いわこの若造がぁっっ!」
 そんなやり取りなんぞ全く気にも留めず、件の二人はある意味のどかに追いかけっこを続けていた。聞いてなくてほんとーっに良かった、とオラトリオがほっとしたことは言うまでもない。
 「師匠ー、そろそろ止めにしちゃぁくれませんかね?」
 「そうだよコード、埃が立つじゃないか。」
 どうにもずれている相槌はこの際無視することにして、オラトリオはコードを宥めにかかる。何だか知らないがやるなら余所でやってくれ、と言えないところがつらいが、これ以上続けられてはいつこちらに火の粉が降ってくるか分からない。  
 「大体ちびがやったことでしょうに。何をそんなに怒ってらっしゃるんで?」
 ちょいちょいとシグナルを呼んでやる。一応遠慮したらしい弟へのご褒美代わりだ。おそらくオラクルにでも庇ってもらうつもりで降りて来たのだろうが、折悪しくカウンターには書類が広がっていたのである。続いて降りてきたコードともども、カウンターに近寄らなかったのはいいのだが、その代わりが先刻の騒ぎだ。まあ、遠慮するようになっただけシグナルにしては上出来だろう。
 「私も聞きたいな。《ORACLE》へ来てまで怒るようなことなのかい?」
 オラクルも興味深げにコードを見やった。普段はここまで騒ぎ立てるようなことはない。確かに怒りっぽいところのあるコードだが、何となくいつもとは怒り方が違うような気がする。さり気なく日本茶を差し出すと、コードも渋々ながらカウンターへとやって来た。
 「師匠の怒るとこはよく見てますけど、今日は格別ですねぇ。」
 続いて梅の砂糖漬けを供しながら、オラトリオが呟く。まだどこか収まらない風情ながら、茶を啜る師匠に苦笑して。
 「何をやったんだい、シグナル?」
 声を掛けられたシグナルの方は、カウンターになついてへばっていた。オラクルの出したアイスティーのグラスにも手を伸ばす余力がないらしい。
 「…知らないよぉ〜、コードに聞いてよう…」
 「ああ?お前、原因も知らんで逃げ回ってたのか?」
 呆れた顔でオラトリオが覗き込む。オラクルも首を傾げてコードを振り返った。
 「何があったんだい、コード?」
 「俺もお聞きしたいっすね。」
 「ぼくだって聞きたいよ!」
 三人に問いつめられて、コードはいらいらと湯飲みをカウンターに置いた。いつもに増して座りきった目が三人を睥睨する。思わず知らず首を竦めながらも、三人ともコードの言葉を待った。
 「こいつはな…」
 不機嫌を音にしたらさもあらん、という声音でコードが低く唸る。
 「こともあろうにチョコレートを強請りおったんだ!」
 「「「…は?」」」
 期せずして三人の声がきれいに重なってしまったのは仕方のないことだ。拍子抜けと言おうか、それで何で怒るのかが誰にも分からない。いち早く立ち直ったのは当然オラトリオだった。一瞬の思考の空白はあったものの、嫌ぁな、というかまあ当然の可能性に思い至ったからである。
 「ちょっと待って下さいよ、師匠…」
 「何だ。」
 「誰にねだったんです?」
 問題はそこだ。いくら何だってチョコレートをねだっただけであんなに怒られたんでは、それこそ命がいくつあっても足りないだろう。訊ねながらも、オラトリオの頭の中には既に一人の少女があった。もしかしなくても、おそらく…
 「エララだエララ!身の程知らずにも、こいつは俺様の妹にねだりおったんだぞ!」
 「あっちゃ〜…」
 あまりにも思った通りのお答えに、オラトリオは額を押さえて呻いた。そりゃあ師匠も怒るだろうなぁ、と思いつつ、あまりの溺愛ぶりに感心を通り越して呆れてしまうオラトリオであった。
 「師匠…相変わらずチェック早いっすねー…」
 「何でそれでぼくが怒られるのさ?」
 「ちびがチョコレート欲しがるのはいつものことだろう?何を怒ってるんだ、コードは。」
 何だか分かってない二人に、オラトリオは溜息を吐いた。コードはそっぽを向いたままである。
 「あのなー、二月にチョコレートって言ったらバレンタインだろうが。」
 「あ、それ知ってる♪好きな人にプレゼントするんだろ?」
 「へえ、そんな習慣があるんだ。」
 「…どこまで鈍いんだお前ら…」
 オラトリオが頭を抱え込んで唸る。天下無敵の世間知らずあーんど物知らずのダブル攻撃では、さしものオラトリオもダメージが大きい。
 「ししょぉ〜、怒るだけ無駄なんじゃねーっすかこいつら。」
 「…腹が立つものは仕方あるまい!」
 面白くもなさそうに吐き捨てるコードに、オラトリオは苦笑した。意味合いを理解していないのは承知の上で、尚怒らずにはいられないところがコードのコードたる所以だ。
 「だから何で腹が立つんだよ〜!」
 そりゃあ、エララさんに物をねだるなんてちびの奴も図々しいけどさ、とぶつぶつ零しながらシグナルが食い下がる。どうも今ひとつバレンタインの意味合いを分かっていないようだ。
 「あのなー、シグナル。よおっく考えてみ?」
 ぴしり、と突きつけられた手袋の指にシグナルがたじろぐ。チョコレートなら今までにももらっている、勿論ちびの方だけど。だけどこうやって言われるからには、何かまずいことがあったんだろうか?
 「多分エララはチョコをくれるぞ?」
 「…うん、きっとくれると思う。」
 ちびに「ほしいですぅ」と言われたら、大抵の人がくれるだろう。天性のねだり上手なのだ、ちびときたら。
 「つまりだな、さっきお前も言ってたろ?好きな人にプレゼントするって。」
 告白してくれって言ったようなもんだろう、とオラトリオは人の悪い笑みで付け加えた。
 「…え?」
 「お前も結構大胆だよなぁ。あ、ちびか。」
 「えええええええっっっっ!」
 「オラトリオ、貴様〜っ!」
 「うわ、ちょっと師匠!何すかその細雪!」
 すらりと抜かれた白刃にオラトリオが青ざめる。いくら最強の守護者とはいえ、同じく最強の呼び声高き攻撃プログラム、《細雪》を向けられて全くの平気というわけにはいかない。じりじりと迫り来る極寒の恐怖に、電脳空間にはあり得ないはずの冷や汗を浮かべて後ずさる。
 「言わなきゃ分からんことをベラベラ喋りおって…!」
 「それに散々怒ってたのはあんたでしょうに…」
 「やかましい!今日こそは弟ともども名残の雪にしてくれるわ!」
 「ちょっ…ししょーっ、目がマジっすよーっっ!」
 「安心しろ、俺様は骨の髄まで真剣だ。」
 「安心できますかいっ!」
 相手を代えて再開してしまった騒動に、館の主は溜息を吐いて聞こえぬ苦言を呈した。 
「…暴れるなら外でやってくれ、って言ってるんだがなぁ…」
 しょうがないお兄さんだな、とシグナルに同意を求めようとして振り返り、オラクルは首を傾げた。
 「どうしたんだい、シグナル?」
 「どうしたもこうしたもないよぉ…」
 カウンターに懐いて忘我の涙をこぼすシグナルに、オラクルは知らずにとどめを刺してしまったのだった。
 「バレンタインが楽しみだな、シグナル。」
 果たしてシグナルはエララのチョコをゲットできるだろうか。(その前に無事バレンタインを迎えられるかが疑問だが。)
 とりあえずのどかな(?)早春の一幕が、電脳空間にも訪れたようである。
                             
 
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