ポケモン座談会『ゲーム脳の恐怖』

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        「テレビゲームは脳に悪い」。聞き捨てならない主張に,ポケモン達もじっとしていられないようです。


第三回 2002年9月19日

出席者:ヤドン,ラプラス,ブラッキー,カイリュー(進行役),エビワラー

1,まずは一言ずつ感想
2,共感できることとは
3,疑問点その1 「ゲームをすること」と「ベータ波低下」とが本当に関連があると立証されているか
4,疑問点その2 「ゲームをすること」が「ベータ波低下」の原因となっていると立証されているか
5,疑問点その3 「ベータ波低下」が本当によくないことだと立証されているか

1,まずは一言ずつ感想

 森昭雄『ゲーム脳の恐怖』をみんな読んだね。
「テレビゲームをすると脳によくない」ということを「科学的に立証」したというのが触れ込みの本だ。
どんなことを感じた?
 なんなんだこれを書いたヤツは。自分がテレビゲームが嫌いだからといって,人にもやるなというのか。
 どういうつもりで書いたのか知らんが,「科学的」の正反対を行っている本だと思った。
 この本もよく分からなかった…
 でも,ゲームが脳によくないというのは,本当かもしれないと思いました。

2,共感できることとは

 ラプラスは共感できるところがあったみたいだね。
じゃあ,ラプラスが感じたことを手がかりに,この本の中身を読み解いて行くことにしようか。
 テレビゲームというのは,ホンの20年ほど前に家庭に入り込んできたものですよね。
そういう遊びと日常的に接触しながら成長した子供が,どうなっていくのか,
大げさな言いかたかもしれませんが,人類の歴史上これまでに全く経験のないことだと思います。
だから,もしもテレビゲームが脳によくないものだったら大変だ,と心配になってくるんです。
 この本も,そういう心配から書かれたものだというのか。冗談じゃない。
こんなのを書くヤツは,ただ話題になっていることをとりあげて,
読むほうが気に入りそうな結論をこじつけて儲けようとしているだけじゃないか。
心配なんかしているもんか。
 そこまで勘ぐってもしかたあるまい。
もともと,書いた人間がどういう動機であったのかを特定するなんて,周りが簡単にできるもんじゃない。
だいいち,どういう動機で書かれたものだろうと,論評の対象にすべきなのは書かれたものの方だろう。
動機がどうあれ,肯くほかない内容なら,肯くべきじゃないのか。
 こんな本が肯けるというのか。
 そうじゃなくて,本論の論評と無関係に著者の意図をあげつらっても意味がないだろうというのだ。
 ラプラスちゃんは,この本を読んでそれが心配になってきたの?
 いえ,もともと心配でした。
 この本を読んだら一層心配になったの?
 そういうわけでもありません。
 じゃ,ボクとおんなじだ。この本読んでもなんのことだか分からなかったもの。
 おい,ちょっと違うぞ。おまえと一緒にするな。
 いや,違わないのかもしれないぞ。
つまりこの本では,なんにも「立証」していないということなんだから。
 ははあ,この本で「ゲームは脳によくない」ことが立証されているのだとしたら,
ラプラスが元から抱いていた心配は,一層募ってくるはずだ,ということだな。
 そういえば,この本を読む前と後とで,感じていることに変化はありませんでしたよ。
 それじゃあ,この本の中味に共感したんじゃないんじゃないのか。
 そう言われてみるとそうですね。「自分と同じ心配をしている人がいるなあ」と思っただけなのでしょうか。
 ラプラスちゃんは,何かカガクテキに調べて心配になったの?
 なんだそりゃ。
 いいえ,ただ心配になっただけです。
 つまり,それは「心配」という,「科学的根拠」などないただの感情でしかないということだな。
この本で掲げられている「ゲームは脳によくない」という主張も,結局ラプラスの心配と同じレベルのものだということだろう。
「本当かもしれない」という憶測のまま,一歩も進んでいないということじゃないのかな。
心配して本を書いたとしても,それはその心配を「科学的」に裏付けたことにはならないよな。

3,疑問点その1
 「ゲームをすること」と「ベータ波低下」とが本当に関連があると立証されているか

 ラプラスが感じたことは,この本の著者が感じたこととは近いのかもしれないけれど,
この本で「立証」したとされていることとはあまり関係がないもののようだね。
じゃあ,この本のどこが「科学」的ではなかったのか,
そもそも「科学」的とはどういうことなのかというところから出発して考えてみないか。
 ああ,教えて教えて。「カガクテキ」ってなあに。
 おまえも考えろってば。
 実験したり観察したりしてデータを集めて,それに基づいて結論を出すことでしょうか。
 そんなところかな。「実験したり観察したり」,ということは,
同じ実験や観察をしさえすれば,誰でもその結論を確かめることができる,ということでもあるんだろうな。
 図を描いたりグラフ描いたりとか,電気使った機械でピカピカバリバリやったりとかすることじゃあないの?
そういうのって,なんだか「カガクテキ」だと思っていたけど。
テレビにも出てくるし。
 それはデータをどう収集,整理するかの方法でしかないんじゃないのか。
 うっ,オレもヤドンと同じこと考えていた…
 じゃあ,データ集めて結論出せば「カガクテキ」なの?
 ううん,そうザックリ言われるとよく分からなくなるが,多分そうなんだろう。
 じゃあさあ,エビちゃんがボクと同じこと考えていた,っていうデータから,
エビちゃんは実はヤドンだった,って結論出したら「カガクテキ」かなあ。
 ワケわかんないこと言うなってば!
 そのデータからその結論を出すのは無理ですよね。
 データと結論との間は,納得の行く「論理」で埋めていかなくちゃあいけないってことだな。
 そうそう。そこだな,オレがこの本で感じた苛立たしさは。
「その実験からなんでそんなことが言えるんだ」ということばっかりだった。
 どんなところで?
 例えばだ。この本では,前頭葉前野のベータ波低下を「よくない脳波特性」としているようだが,
それがどういう時に観察されるものなのか,ロクに調べていないじゃないか。
ゲームをしているときのほかは,「10円玉立て」だとか「お手玉」だとか,実におかしな事例が上げられているだけだ。
そんな例を挙げられて,「なるほどその『よくない脳波特性』はゲームをしているときにはっきりと出ている」などと,
誰が納得するというのだ。
 でもさあ,「10円玉立て」や「お手玉」のときには出ていなかったものが,ゲームのときには出たんでしょ?
 それが,データをどう読むかという理解の問題だろう。
その実験結果は,他の見方で理解することもできるはずじゃないか。
 どんなふうに?
 いろいろな見方ができるだろうが,
例えば,なれないことをやった場合と,なれていることをやった場合との違いという見方ができるだろう。
なれない「10円玉立て」や「お手玉」をやるときは,前頭葉前野が活性化しているけど,
いつもやっているゲームをやるときには,勝手に手が動くから活性化していない,という見方ができるということだ。
 これはなれているゲームをやったときのデータなの?
 さあ,そこがサッパリ分からないのだ。
示されているデータが,どれだけ緻密な観点から採取されたものやら,何も説明がない。
 ゲームをやっているときの頭の使い方って,初めてのゲームとなれているゲームとでは,ずいぶん違うはずですよね。
 そればかりじゃないぞ。一口に「テレビゲーム」と言っても,その種類だってものすごくいろいろあるはずだ。
それぞれ,頭の使い方はずいぶん違うんじゃないのか。
 そうだろうな。ところがこの著者は,テレビゲームは「テンポが速く,思考の入るすきま」がない,などと言っている。
どうやらこの著者は,テレビゲームのことを何も知らないようだ。
 自分が何も知らない不得意分野について「研究」したってワケか。
 ボクが格闘技の研究するみたいに?
 やめろ。殴らずにはいられなくなりそうだ。
 ゲームは,やる人によっても違うよね。
 そうだとも。
普通の人が頭を使ってゲームをしているのを,おまえみたいのがボンヤリやっているのと一緒にされたのではたまらん。
 同じ人がやっても,そのときの気分によってもずいぶん違いそうじゃありませんか。
 簡単なところをあまり考えずにトロトロ進めているときと,強いボスキャラ相手に手に汗握っているときとでも,全く違うぞ。
 一口に「テレビゲームをやる」と言っても,その頭の使い方はずいぶんいろいろですよね。
そういうもの全部ひっくるめて,一言で「ゲームをする」なんて一括りにできるものなのでしょうか。
 緻密じゃないな。
 まあ,この本でも,そうした事情をまるっきり無視しているわけではないようだ。
ただ,取り上げたゲームの種類はほんの5〜6種類。それも,どのゲームなのかはっきり分かるようにタイトルなどを示してはいない。
さっきの「科学的」の定義でも触れたが,他の人が同じデータを確かめて納得できるということも,
「科学的」立証では大事なことのはずなのに,殊更そうしたデータを伏せているとなると,
わざと隠しているんじゃないかということさえ懸念される。
 つまり,他の人に確かめられてしまったら,
著者の「立証」とは矛盾する結果が出てしまいかねないから隠している,ということでしょうか。
 なんてヤツだ。そんなヤツのどこが「科学者」だ。イカサマ師じゃないか。
 いやまあ,そういうつもりで隠しているのだと決まったわけではない。
しかし,そうした「データ隠し」は「科学的」立証としては大きな欠陥ということにはなるんじゃないか。
 でもさ,これNHKの本だよ。
 へ?
 面白いところに気がついたな。オレもそれは考えたんだ。
何しろ私企業の企業名や商標を報道の中に盛り込むことを極端に嫌うメディアだから,
この本でも同じ論法で,「科学」としてはゲームのタイトルを出したいところだが,
出版元であるNHKの要請で出すわけにいかなかった,ということもありうるんじゃないかと。
 何を言う。一番最初の「まえがき」を見てみろ。
 そういうこと。オレもじきに気がついた。
実は開口一番,具体的なゲーム機商標もゲームタイトルもズラズラと並んでいるんだな,これが。
 やっぱりイカサマ師だ。
 決め付けるなって。「科学的」でない本を書いた「科学者」が全部イカサマ師というわけでもあるまい。
 「買った直後と2週間後」とで比べてみていたけど。
 おい,いきなり話を戻すなよ。
 そう,そういうデータも載せている。しかし,全くそのたった一例だけで,
しかもそこで確かめられた「違いがある」という結果について,著者は殆ど気にならなかったのかサッパリ検討を加えていない。
悪く取れば,自分の「立証」に都合の悪いデータを殊更に「無視している」のではないかとさえ…
 やっぱりかっ!!
 エビちゃんのおこりんぼ。
 さらに,「脳によい」ゲームがあることも著者は認めていながら,
それが今出回っているゲームの中でどれほどあるものなのか,何も調べていない。
「ゲームはよくない」ということを無理やり結論付けようとしているととられてもしかたのないような,実に雑な議論の進め方だ。

4,疑問点その2
 「ゲームをすること」が「ベータ波低下」の原因となっていると立証されているか

 こうしてみると,「ゲームをやる」ことと「よくない脳波特性」とが本当に関係しているものなのか,
統計的関連を根拠にきちんと「立証」されているとは言えないようだね。
他にはどんなところが「科学的」でないと思った?
 さっきヤドンが言った,「やる人によっても違う」ということに関しては,ついになんの比較データもなかったという点だ。
 ボンヤリした人がゲームをやれば,やっぱり脳がボンヤリとしか働いていないというデータが出そうですよね。
 なんだ。それだったら,「ゲームをやったからボンヤリした」のではないじゃないか。
 そう。因果関係だ。
仮に,「ゲームをやる」ことと「よくない脳波特性」とが,「科学的」にも関係有るものと結論されたとしてみよう。
しかし,それでもなお,もともと「よくない脳波特性」の人がゲームをやったから
「ゲームをやる」と「よくない脳波特性」が出る,ということだってありうるわけだ。
これでは,「ゲームをやる」ことが原因となって,「よくない脳波特性」が出る脳になってしまう,ということにはならなくなってしまう。
「メガネをかけている人には目の悪い人が多い」という観察データを根拠に,
「メガネをかけると目が悪くなる」という因果関係を結論付けるわけにはいかないだろう
 いろんな人を調べてみたらいいんじゃない。
 そうですね。もとから「ゲーム脳」タイプであるような人が一部の人なのだとしたら,
大勢調べてみれば「よくない脳波特性」の原因が「ゲームをする」ことなのか「その人のもともとの特性」なのか,わかりそうですよね。
 そこまで調べているもんか。
 そう,そこまで調べたということが説明されてはいなかったな。
 この著者は,「よくない脳波特性」の原因が「ゲーム」なのか「その人」なのか,気にもしなかったのか。
 それは分からない。なにしろこの本で例として挙げられている「ゲーム脳」人間は,一人なのだ。
データはもっとたくさん集めてはいるようだが,そのデータがどういうものだったか何も説明がない。
「ゲーム脳」タイプという判定が出た人達が,みながみなゲームばかりやっている人だったのか,
逆に「ノーマル脳」タイプという判定が出た人達が,みながみな「テレビゲームをやったこともなく,テレビ,ビデオも殆ど見ない」という,
少々「アブノーマル」な大学生ばかりだったのか,何も説明がないのだ。
 実験結果について,詳しい統計はありませんでしたね。
調査した人達の中で,「ゲーム脳」タイプの人,「ノーマル脳」タイプの人,
また,「ビジュアル脳」,「半ゲーム脳」などと分類されるそれぞれのタイプの人が,
どれくらいの割合だったのか,とても興味があったのですが,そうした数字は何も出ていなかったのでがっかりでした。
 せっかく大勢調べたのに,発表しないの?
 してみると,「気にしなかった」のではなくて「発表できるようなデータではなかった」ということなのではないかと…
 なお悪いや!!
 まあ,「新書」という場での発表であれば,紙数に制限もあることだろうし…
 コイツの肩を持ってどうする。そんな大事なデータなら,「脳によい栄養」とかのナンセンスな話を削ってでも入れたらよかろう。
 いや,肩を持つつもりじゃないが,ありうる反論を想定してしまうのだ。
 あまり説得力のある反論じゃありませんね。
 ま,オレもそう思うんだけどさ。
 どんなデータがあれば,「インガカンケイ」があることになるの?
 そうだな。大勢調べてみて,「ゲームをする」ことの多い人に「ゲーム脳」人間が多いとしても,
「ゲーム脳」人間だから「ゲームをする」ことが多いということだってありうるぞ。
さっきブラッキーが言った,「メガネをかけている人には目の悪い人が多い」という観察データなどは,まさにこれじゃないか。
普通は,「目が悪いからメガネをかけている」はずだろう。
「メガネをかけたから目が悪くなった」ということではない。
同じ理屈でいけば,「ゲームをする人にはゲーム脳人間が多い」という観察データからも,
「ゲーム脳人間だからゲームをする」ということも当然ありうる因果関係だ。
「ゲームをしたからゲーム脳人間になった」と決め付けるわけにはいかない。
 こんなのはどうだ。
例えばファミコンが発売された1985年時点で,既に10歳になっていた世代と,それより下の世代とで比べてみるんだ。
 なるほど。小さい頃にテレビゲームをすることが脳によくない,というのがこの著者の主張だから,
小さい頃にテレビゲームをすることなどありえなかった世代を分けてみるんですね。
 そう。そういうデータを取ってみて,ファミコン世代の中での「ゲーム脳」人間の割合が,
前ファミコン世代の中での「ゲーム脳」人間の割合よりぐっと高くなっている,
なんていう結果が出たら,もちろん,「立証」とはいかないにせよ,
「これは怪しい」ということにはなるんじゃないだろうか。
 そんなデータがどこかにあるのか。
 いや,仮にオレがテレビゲームと「ゲーム脳」との因果関係を確かめようとするなら,
そういうやり方も試してみるだろう,ということだ。
 この本にはそういうデータあった?
 おまえも読んだんだろう。そんなのなかったじゃないか。
 また,「お手玉」にしてもそうだ。この著者は,「お手玉は脳によい」,と言いたいようだが,それだって疑わしい。
 まあ,確かにたった一人の実験例だしな。
 それだけじゃないんだ。「ゲーム」と「お手玉」との比べ方なんだ。
この実験をした学生は,小さい頃からテレビゲームばっかりやっていたそうだ。
そうでなくとも今の学生なら,おそらく,お手玉なんて殆どやったことなんかないに違いない。
その,「なれていること」と「初めてのこと」との違いが,脳波特性の違いになっているかもしれない,
ということに,どうして著者は気を配らないのだ。
 どういう比べ方をするべきだったんでしょう。
 この学生は,10年以上前から毎日のように何時間もテレビゲームをやっていたんだろう?
お手玉で同じことをしてきた学生を連れてくるのが本当じゃないか。
小さい頃から毎日のように何時間もお手玉をやりつづけてきた学生の脳波を調べてみたいものだ。
そういう学生を,もちろん一人じゃ当てにならない,何十人も何百人も調べて,
テレビゲームばかりで育った何十人何百人の学生の脳波と比べよう。
そうして,「お手玉学生」の脳波特性が「ノーマル脳」ばかりで,
「ゲーム学生」の脳波特性が「ゲーム脳」ばかりだった,という結果が出て初めて,
「ゲームは脳によくないが,お手玉は脳によい」という結論もいくらかもっともらしくなるんじゃないのか。
 この本にはそういうデータは…
 なかったって言ってるだろうがっ!!
 でも,実際にはそんなに膨大なデータを集めるのは,難しいんじゃありませんか。
 そうだろうな。しかし,難しいことだから,やらなくても立証したことにしてしまおう,というわけにはいかない。
そもそも,人間の特性とか傾向とかは,遺伝的なもの,環境的なものなど,
きわめて多くの事情が複雑に絡まりあって形成されてくるものだろう。
そうして複雑に形作られていく特性や傾向と,ある特定の活動との間で,
「この活動をする人間には,こういう特性が形成される」などという因果関係を,
「科学的根拠」で「裏付ける」などということは,
ちょっと考えてみたって不可能と言っていいほど難しいことであるはずじゃないか。
思いつきや予測でものを言っているだけなら何を言ってもよかろうが,
「科学的」などと看板を掲げる以上は,看板に恥じないだけの「科学」性を持っていてもらわなくてはならない。
その点,この本の「科学」性はなんともお粗末なものと言わざるをえないのじゃないか。
もちろん,「根拠」だの「科学性」だのということばかりが大事なものだなどとは,オレも思ってはいない。
そういうしかつめらしいものを抜きにした,「うんうん,オレもそう思う」というなんとなくの共感というものも,
当然のことながらとても大事だと思う。
この本の「結論」であるはずの,「ゲームは脳によくない」という主張についても,
そういう「なんとなく」の共感を感じる人は,おそらくとても多いのではないだろうか。
しかし,この本は,そういう共感を求めることが「非科学的」であって望ましくないということを,
著者自らが宣言して書かれたものなのだ。
この本に関する限り,
「結論」そのものに対する「共感」ではなく,それを導く過程の「科学性」でその是非を論評せざるを得ない。

5,疑問点その3
 「ベータ波低下」が本当によくないことであると立証されているか

 「テレビゲームをする」と「よくない脳波特性」を持つ「ゲーム脳」になってしまうとの因果関係についても,
「立証」はなかったと言わざるを得ないようだね。
僕にも疑問に思ったところを提示させてくれないか。
著者は前頭葉前野の「ベータ波低下」を「よくない脳波特性」としているわけだけれども,
それは一体どう「よくない」のだろうか。
 一番根本的なところですね。
 「ベータ波低下」が別に「よくない」ものなんかじゃない,となったら,
ゲームと統計的関連があろうが,因果関係があろうが,「だからどうした」ってことになっちまうな。
 でも「チホー」と同じだって。
 何が同じなのだ。著者自身,痴呆者と「ゲーム脳」人間とでは,精神活動も知的能力も違うものだと言っているぞ。
「同じ」なのは脳波の波形だけだ。それが何を意味しているのかは,別の問題だ。
 犯罪者に前頭葉前野萎縮の例が多かったり,前頭葉を負傷した鉄道作業員が人が変わったようになった例とかありましたけど。
 それは「ベータ波低下」の例なのか。
 いや。この著者が発案したという装置で「ベータ波低下」を測定したものではない。
 じゃあ,そういう例が「ベータ波低下」の例とは言えないわけですね。
 「ベータハ」って,脳が働いている目印なんじゃないの?
 最初に「ベータ波低下」が観察されたソフトウェア開発スタッフは,脳が働いていなかったわけじゃないだろう。
彼等は「よくない」人間だったとでもいうのか。
それとも,「放っておくと」よくないとでも言うのか。一体何を根拠に。
この本は「憶測」の本ではないと自負しているのだ。それだけの根拠を示してもらわなくてはならない。
また,「ゲーム脳」人間の典型例として挙げられている学生にしても,
自分の「ベータ波低下」の脳波に驚いてテレビゲームをきっぱりと止め,
コツコツと毎日お手玉をやりつづけたそうだ。しかも,この学生は「2週間で治った」と言うじゃないか。
そういう人間を「よくない」と評価するのが,「ベータ波低下」を根拠とする人間評価なのか。
 そうですね。「ベータ波低下」の特徴のように書かれている,
「人間らしくない」とか「閉じこもりがち」とか「キレやすい」とか,みんな著者の印象でしかありませんよね。
 印象でものを言っていけないことはないが,それは「科学的立証」とは関係のないことだ。
 情動抑制が効かないの,コミュニケーションが取れないの,果ては犯罪を犯しやすいだのと,どれも根拠のない憶測だな。
 憶測は,科学の出発点に過ぎないだろう。
この本で著者が「裏付け」たと言っている「ゲームをすると脳によくない」という主張は,
まだまだ,これからそれが本当にそうであるか調べていかなくてはならないものだ。
 脳波計を見せるとゲームを止める人がいっぱいいるって。
 これまた,「それがどうした」,というところだな。
 テレビのコマーシャルを見て商品を買うのと同じような気がします。
 そういう人達は,何も「科学的根拠」に納得してゲームを止めているのではない。
「ビジュアル」のこけおどしにビックリしているだけだ。
この著者は「ビジュアル」を忌み嫌っていながら,人を説得するにはちゃっかり利用したりしているようだ。
気持ち悪いダニのコマーシャルを流してビックリさせて殺虫剤を買わせるのとおんなじじゃないか。
 まあ,この本は学術誌での発表論文ではないわけですから…
 そうだな。一般向け,子供向けまで想定して書いたものなら,こけおどしもある程度やむをえない。
この本でこの著者の「科学者」としての実力のありったけと判断してしまうのは気の毒だろう。
著者自身,この本の「非科学性」はそれなりに自覚しているだろうと,せめて想像していたいものだ。
 どうやら一番大事な,前頭葉前野の「ベータ波低下」がどういう意味を持っているのかということも,
そもそもこの本では説明されていなかったということになるね。
 ホラッ,やっぱりボクの言ったとおりでしょ。この本読んでもよく分からないって。
 おまえ,ホントに分かっているのか?






 この件に関して,ほしのやは著者森昭雄氏に対して疑問点をメールで問い合わせました。
 結局その後なんの応答もありませんでしたが(2005年12月26日現在),そのメールを本サイトで公開致しますので,参考にご覧ください。
 ほしのやから森昭雄氏への質問メール