WALK'IN THE RAIN
沢村紀行の狂言集

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2009年3月7日(土)

Generation Gap

何世代もの研究者を経て、ようやく解読できた古代文字が『最近の若い者は〜』というお決まりのフレーズだったというのは有名な話だが、
それが、エジプトであれインカであれヒンデューであれ、そうであったというのは驚きである。

古の昔より、若者の素行に対して先達は憂いていたようである。
あくまで年長者から見た若者についての意見である。

となると、考えるに人は退化して行ってることになる。

しかし、技術革新は進み、色々な文明の利器なるものが発明され、人の命は延びて・・・。
何だか良い方向に向かっているようである。

一方、オゾンは破壊され、生活は苦しくなり、犯罪が多様化する。
これは、あまりよろしくないようである。

では、若者から見た年長者はどうなのであろう?
我々の時代、体育系の部活動を経験しているものなら解ると思うが、1年先輩は絶対で2年先輩は神様であった。
それは、赤点とって我々の学年と一緒に補講を受けている先輩でもそうである。
その関係は、同窓会などで会っても崩れることの無いゆるぎないものであった。

今はどうであるかというと、部活の先輩は友達なのだそうだ。
なかには、タメ語だったという者もいる。
現に、そんな役者は目上に対しての言葉遣いがなっていない。
大体において、敬語が使えないし、絶対的なボキャブラリーが少ないのである。

そういう役者に限って、「板(舞台のこと)のうえでは平等だ!」などと息巻いてトンチンカンなことする。
笑われると逆切れする。

ゆとり教育の弊害で、FreeとLibertyを勘違いしている自由教育の成れの果てと見ているが、これが性質が悪い。
指導しても、屁理屈並べるかヒネル。たまにちゃんと聞く子がいるかと思うと、陰で悪口を言っている。
つまらん個人主義を教え込まれているから、基本的に聞く耳を持っていないようだ。

特に芝居など、人間関係(人によっての差別化)、日本語であれば敬語など、必要とされるものが身についていない。
おまけに知識も無い。
無くても悔しがらないし、『じゃあ、これできますか?』とかいって自分の得意なものとテーマを簡単にすり返る。
そのことが、いかに幼稚で見苦しいことかすら解ってない。
きっと、自分より若い人のことを憂えることは・・・、どうなのだろう?いつか憂えることがあるのだろうか?!

それにどうなのだろう?
私が若い頃には、今の子のように虚け者だったであろうか?
自分的には、向学心を持ち、正々堂々、諸先輩の理不尽を受け、文句があるときには面と立ち向かってた気がするが・・・。
今度、親に聞いてみよう。

コミュニケーションを取っていて、猛烈に頭に来る奴がいたら、ほぼこの50年代以降のゆとり世代である。
ゆとり世代がみんなそうかというと、そうでもないものもいる。
聞けば、ちゃんと部活をやり先輩後輩の儀礼を通過してきている。他人を気遣う教育がされているのである。

私など、家でもヒエラルキーの底辺を舐めさせられているのである。
若者よ、ちゃんと地に足をつけよ!!


2009年2月28日(土)

抜いてください!

奥歯に違和感を感じた。
以前、高校の同級生である歯科医に治療してもらった歯だ。

私は劇団、家庭とストレスを溜める生活を余儀なくさせられているため、歯軋りがひどいとのこと。
この歯も磨耗が激しいため、セラミックの堅い歯にしたほうが良いとのことで治療した歯だ。

要は歯を削り、それを芯にしてセラミックを被せるといった施術である。

その歯は、神経がイビツらしく、芯を作る作業の際痛むからということで神経を抜いた。

神経を抜けば、歯自体は死んでしまうのであとは風化していくだけである。
しかし、そのうえにセラミックを被せるので、風化は阻止できるとのことだった。

その歯がである!!

以前、急を要したお願いを聞き入れてくれなかったこともあり、同級生の病院には行く気がなかった。
こっちだって、わざわざ遠くの同級生の病院に通ってやってたのだ。それを急患にも関わらず、無下にする態度が許せなかったからだ。劇団員だって紹介してやった!
思い出すと腹が立つので、この辺にしておく。

知人に歯科技工士がいる。
その彼と偶然、私の住んでいる街で出くわした。出入りしている病院があるらしい。
これ幸いとその彼に頼んで近くの病院を紹介してもらった。

同級生に処置してもらった歯をみせたところ、中の芯が縦割れしていて、そこから雑菌が入っているとのこと!

「あの野郎!」と同級生に怒りがほとばしった。

私は歯軋りをするのである。
被せたセラミックは耐えられても中の芯が耐えられなかったのだ。
しかも神経を抜いているから、芯としての耐久力が弱かったのだ。

最近の医者は丁寧である。
患部を確認させ、可能性を説明、患者にどういった方向で治療していくか確認を取る。

『今、こういった状態になっています』と、レントゲンと実際の私の歯を鏡を持たせて確認を取る。

その時である。
鏡に映ったものを見て、驚愕した!

鏡には口の中も映っていたが、その周辺の鼻も含まれていた。

鼻からは一本の太い鼻毛がペロンと伸びていた。

この小一時間もの間、先生も歯科衛生士も鼻毛を出したまぬけ顔の患者にまじめな話をしていたかと思うと恥ずかしくてたまらなくなった。

『どうされます?』と先生。

『抜いてください』と小さく答えることしかできなかった。


2009年1月30日(金

恭賀(今日が?!)新年

オバマの就任式も終わり、ひと段落。
やっと先日、帰国することができた。

例によって年末年始は、実家のニューヨークでの生活である。

実家だからといってのんびりできるわけではない。
異国にいても年賀状書き、お節の準備と逆に環境の整わない中での儀礼一通りを行わなければならないので厄介だ。

おまけに今回は、オバマの大統領就任式が重なったため、例年になく多忙な毎日を送るハメになった。
次期大統領に決まった後も意欲的に遊説やパーティーへの顔出しなど活動の手を緩めないため、私もたまったものではない。

途中、ハワイに帰省すると言い出した時も、自分は気分転換のために帰ったのだろうが、こっちとしてはいろんな手配もある。
リラックスしたいのなら、うちでビデオゲーム(テレビゲームのこと)でもやってろ、と言いたかったのだが、今となっては次期大統領、時の人である。
黙って、やりたいようにさせてやるしかなかった。

『もう今日はいいだろう!』、『そう今日明日で、目新しく変わり映えがするわけでもないんだから!』と言い聞かせても、「GHANGE!」を掲げている
オバマの一挙手一投足を見逃したくないとの父の情熱は変わらなかった。

その割には、ビデオの録画の仕方は覚えてくれない。
オバマ絡みの番組の録画設定は、機械音痴の私には至難を極めた。
ビデオ、DVD、ブルーレイと3台もある録画機。
ブルーレイがいいだろうと、まだうちでも使っていない機械をマニュアルと格闘しながら操作していた。

『これがこっちに来るまではどうしてたの?!』と聞くと、『ママが設定してくれてた』とのこと。

母親は、家内と娘とでフロリダで年を越すとのこと、ニューヨーク到着の翌日からデイトナビーチへ出払っていた。

家事、年賀状、録画、家事、年賀状、録画と機械のような生活が続いた。
それは、母親一行が帰ってくる21日まで続いた。
そう、オバマの大統領就任式の翌日である。

娘はオバマの娘かというくらい日焼けして帰ってきた。

久しぶりに家族揃っての食卓。
父は就任式の感動を、娘は初のダイビング、家内はホテル経営の構想、母は掘り出し物の別荘の話と
オリンピックの記者会場のごとく各々が勝手に話をしていた。

すると、テレビからオバマ関連の特集番組が飛び込んできた。

『紀行、紀行、ビデオ、ビデオ!!』と父。
仕方なく、デッキに向かう。

すると母が、『あら、何やってるの?』と声を掛けたので、事情を話したところ、『オート設定してるわよ!』と母。

母は、フロリダへ行く前にオバマ関連の番組はDVDに自動的録画できるよう設定しておいたようだ。
私の苦労は何だったのだろう。

『でも、ブルーレイのほうが画質がいいから!』と自分を慰労するためにも言い放った。
すると、母が、『そんなのパパには判んないわよぉ〜!』と一笑。それにつられ笑うほかの家族。
『円盤が青いのがブルーレイだろ。そのくらい判ってるよ!』と一緒になって笑ってるオヤジのアホ面に辟易した。

「ニューヨークは孤独を感じさせてくれる街」と言われるが、こんなところで感じるとは思わなかった。

こうして相変わらず、散々な年明けであった。
しかし、こうして日本の地を踏みしめた途端、何かしら希望的な心持になった。
何故かしら、『日本っていいなぁ』と思えたのである。

成田に着くや否や、『パパは電車で帰るわ!』と口をついて出た。
『へんな人・・・!』と吐き捨て、家内と娘は迎えの車で立ち去った。

何なのだろう、この開放感!
電車も各駅を選んでしまった。
車窓の風景が優しく私を癒してくれる。
車内でいちゃつくカップルにすら愛おしさを感じる。『今のうちだけだぞ!今のうちだけだぞ!』と他人の秘密を握った優越感すら感じる。

何故か希望的、何故か新たな展望すら感じる。

これが新年というものなのだろうか?!
今日が新年!
公にリセットボタンを押せる良い節目だ!!

どうか皆様にとっても実り多き年となりますよう・・・!