2005年の沢村Essay

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2005年12月31日(土)

えっ、もう・・・?!

11月の芝居が終わり、日本と海外の往来で寒暖の差と日にちの感覚のズレで、バカになっていたこともあり、ふと気がついたらもう大晦日になっていた。明日からいよいよニューヨークの実家へとまた旅立つこととなる。
意志をもって活動しているつもりなのだが、最近、いつも予定外のことに振り回され、どうも自分で行動しているという実感がつかめない。
(劇団員はそれを私の逃げ口上と呼んでいる)
一方的に私を責める劇団員だが、それは劇団員の狭い視野と経験から来ているものだと反論したい。

ご承知の通り、私は海外生活が長いわけだが日本ほど息が詰まるような環境の国は他では見たことがない。
電車やバスに乗れば次の駅をアナウンスしてくれるし、よっぽどのことがなければ到着・出発の時間が正確である。これだけでも海外と比べると目を見張るものがある。この日本のパンクチュアル・スピリッツは元は海外から学んだものなのに、世界で一番時間に正確な国へとのし上がってしまった。しかし、その結果、いかがなものだろう?
時間が経つにつれ、記憶から遠ざかりつつあるが、JR宝塚線の脱線事故。
覚えてらっしゃるであろうか?今年の話である。
時を同じくして、私は今年免許証の更新があったのだが、高速道路での物流競争によるトラック事故は年々増加の一途をたどっているらしい。

何をそれほど、急いでいるのか?
急いで川へと飛び込むネズミの集団自決すら彷彿とさせてしまう。

サービスなどにしてもそうなのだが、サービスという概念はもちろん舶来のものである。
むろん日本古来の「もてなしの心」というのは茶道、華道など極一部の階級の人々に嗜まれていたが、一般の人間がサービスを受けるようになったのは、高度経済成長を迎えるようになった頃である。
しかし、海外のサービスと比較していかがのものであろう?
海外から学んだはずのサービスだが、日本ほど行き届いたサービスをする国は行ったことがない。
海外では、ぶっきらぼうか無愛想なサービスを押し付けられ、おまけに金までむし取られる。(チップである)チップの発生しないサービスとなると、怒られているか命令されているような気すらしてしまう。
(私は列ができている際、『Next!』と言われると何故が腹が立ってしまう)

日本は原材料が豊富でないために、加工の国と言われているが、以上のような精神面での過剰なサービスの加工はいかがなものかと思ってしまう。結果、本末転倒な事故が起こってしまったり、危機管理能力の低さから事件に巻き込まれたりしてしまっているとしか思えない。
最近の幼児が巻き込まれる事件の多発も、これに由来している気がする。

世界で一番安全な国も結構だが、国際舞台の中心に立ってゆくのであれば、過保護となる体制には警鐘を鳴らしていかなくてはならないのではないか?!日本の常識は世界では通用しないということをひとりひとりが認識すべきである。

小泉政権のアラも見えつつあるが、国民がしっかり危機管理能力を持つことでしか回避できないことがあるということを意識してゆく時代がきたのではと思う。自分の身は自分でしか守れないのである。来年、後半期より日本は新たなステージを迎えることとなる。その前に、しっかりとした危機管理能力を養っておく必要があるのではなかろうか?

ここで、不測の事態を予見するにはという問題に移りたいと思うが、明日からニューヨークの実家に戻る荷詰めが終わっていないため、家内の口調が黄ばんできている。勘のいい方ならお分かりかと思うが、危機は日常、しかもすぐそばに潜んでいる・・・!ヒントは私のエッセイを読んでいれば、どこかしこに書かれている。
しかし、言葉を文字通り解釈してはいけない。家内の口調が黄ばんでいるのは、実は荷詰めではなく、その目は早く年越しそばを作れということである。危機というのはそう簡単に回避できるものではないのである。

だが、解決策は知っている。
家内や劇団の連中がもう少しグローバルな視野に立って大らかな気質を持ちえたら、この世の中(私の世界)からは危機は消滅するであろう。しかし、悲しいかな、解決策はあっても解決しない問題は山ほどあるということである。
そのためには、やはり危機管理能力を高めてゆくしかなさそうである。

どうか来年はみなさまにとって、良い年となりますよう・・・!


2005年12月5日(月)

祝・メニュー入り!

隠しリンクでこの10ヶ月ほど凌いでまいりましたが、みなさまの熱い要望のお陰で、HPの正式メニューに追加されることとなりました!
投書、投稿していただきました多くのみなさま、この場をお借りしましてお礼申し上げます!
この勢いで、流石まりあの専制主義を打破してまいりましょう!!

さて、今年の公演もすべて終了した。
グーフィーの面々は野球選手と同じようなサイクルで活動している。
野球選手がキャンプを張る頃、その年の最初の公演に向け稽古が始まり、オープン戦の頃、その年最初の公演。
そして、日本シリーズが終わる頃、その年の最終公演が終わる。

私は常々、演技をする際のヒントは日常にあると言い続けている。
他人を演ずる場合(役が全く自分と同じということはない。当て書きの場合は別だが・・・)も多いわけであるから、自分の経験値では限界がある。オフの期間にどれだけいろんなことを感じ、学び、疑似体験し、他人を見ているかということが、次の表現の場に活かされてくることになるというわけである。
その点でもオフ期間にどれだけ内容の濃い自主練ができるか?!という野球選手と同じ運命にある。

にも関わらずである。役者なんていうものは、もともとが「濡れ手に粟」くらいの山っ気ある人間が多い。
つまり、楽して儲けようなどと横着な人間が多い。
それが見事に世相、イメージに反映されていると思う。
まぁ、「河原乞食」という日本独特のイメージも邪魔はしていると思うが、私の経験上でも、やはり、いい加減で勘違いしている人間が多いことを付け加えておきたい。

しかし、そういった役者は見事に表現に反映されるもので、エチュードなどを通し5分も演じさせればアラが見えてしまう。
(と言うか、化けの皮を剥がせるエチュードがあるのだ)
その後を期待して使ってみてもやはり結果は同じである。所詮、自分を良く見せようとすることしか考えていない(つまり、自分のことしか考えていない)から、表現に限界があるのである。

演技の場合、コミュニケーションの中からその役と成りが浮き出しにされるのだ。
たとえ、一人芝居でも音響や照明とのコミュニケーションの中で表現は生まれる。そこに気づいていないのである。

そういう役者に限って、与えられた演出を忠実に守ることをしない。
こっちは少しでも良く見えるように計らっているのに、演出を無視されると、『勝手に死んでくれ!』と怒鳴りつけ(心の中で)、稽古終盤に出番をカットするだけである。

こう言うと客演のことかと思われがちだが、劇団員にしてもそれは全く当てはまる。

仲良くはしているが、私の目は節穴ではない。
その役者のモティべーションを見切っている。というか、近くにいるから逆に判り易いのだ。
行動を共にしているだけあって、そういう団員は斬って捨てたくなる。
(現に、うちはよく斬って捨てる。しかも見事に2年に1度とサイクルまで決まっている)

自分の怠慢がどれだけ他人に迷惑を掛けているのか、判っていないのである。
自分が悲劇のヒーロー、ヒロインに成りきっていて、周りのことに気がつかないのである。
他人の良心に甘え、他人の痛みがわからない人間である。
そういう人間は表現をしてはいけないことすら気づいていない。趣味で楽しく記念公演でもやるのであれば、他所でやってほしいものだ。

人は成長しなければ、その魅力を失うことが判っていないのだろうか?

今から、オフシーズンに突入するが、年代わりということもあり、見事に問題が起きる時期である。
「バカに暇を与えるな!」という言葉を思い出す。

このオフシーズンこそ、自分を磨き、高める時期であることを、プロに休みはないことを肝に銘じてもらいたいものである。
そういった志の高い人間と来年は公演をやって行きたいと切に願う。

ちなみに私クラスになると、今後の予定としては今週末から常夏の島に10日程取材に赴き、帰国後、一週間ほど帰省(ニューヨーク)し、再帰国してからは温泉取材、スキー取材と身動きできないほど予定が詰まっている。

憂鬱だ・・・。


2005年11月12日(土)

雨の降る日は・・・

10月というのは車を安く買えるというのをご存知であろうか?
ディーラーが来るべき決算に向けて叩き売りを行うのである。車を買い替えたいと思っている方は是非、来年のこの機会に・・・!

(これは意地悪で言っているのではなく、この文章を書き出したのは実は10月中旬である。執筆のため、中断。よって、文章も暇を見ては綴られ、だらだらと長くなっているうえ、文中に使われている「先日」も厳密に言うと先日ではない)

ということで、先日、我が家も車を買い替えることとなった。
もちろん、新しい車が来るまでは代車たるものをディーラーが支給してくれる。
しかしである。うちの運転手が手続きを間違ってしまって、ポッカリと一日だけ車がない日ができてしまった。

私は仕事がらあまり車を使うことがないが、困ったのは家内である。しかも今日は役員会議らしい。
当日になって、車がない事実が判ったこともあり、かなりご立腹の様子。予定を変更し、タクシーで会社に向かうこととなった。
その日は朝から雨が降り、電話をしてもタクシー会社に車はない様子。無線で呼びかけてもらったようだが、近くに車は走ってないとのこと。
女性というのは天候によって、かなり感情を左右される人種がいる。家内はまさにそうである。
晴れ女を自称する家内のいらだちは、雨が降っている時点でピークに達していた。こういう時は話し掛けないのが一番である。

その後、家内がどのような行動に出るかと、息を潜め、存在を消しながら見守っていた。
すると、『家から駅まで、どのくらいかかるの?!』と矢のような口調で、私に尋ねてきた。
『何で行くの?』と答えたかと思うと、『歩いてに決まってるでしょう!!』とすぐさま戻ってきた。

歩くことを知らない家内である。
駅までの時間も読めないのである。
私の足で7分ほど、家内の足だと10分はかかるであろうと思われたため、『5分くらいで着くんじゃないかな?』と言っておいた。
温厚な私は家内の感謝の言葉を期待しないが、家内は確実にその期待に応えた。

雨音というのは、実に落ち着く。一日がゆったりと始まった。
日課であるメールチェックを始めたところ、携帯から「ダースべーダーのテーマ」が流れた。家内からの電話である。

『代車がいつ来るのか確認しておいて!もう、電車が来るから切るね!』一方的に言い放たれて電車の音と共に電話は切られた。

咄嗟に、「うん、もう着いた?」と思い付き、時計を見たら、6分で駅に着いていた。しかも、電車の音が聞こえたということはホームだ。
身なりを気にする家内のこと。雨の中、ハネを気にして走ることなど考えられない。
「きっと私の知らない近道があるのだ・・・!」と自分に言い聞かせた。

雨音は落ち着くばかりでなく、雨男の私としては相性も良い。
すこぶる仕事の調子も良く、予定していた仕事が午前中に終わった。
昼食をすませ、することもなかったので、11月公演の台本の続きでも書こうと取りかかった時であった。

玄関側から物音がする。
足音が居間で止ったため、恐る恐る書斎を出ることに・・・。
居間にたどり着くと、恐ろしく不機嫌な顔をした家内がソファーに踏ん反り返っていた。

常々、家庭の雰囲気を作るのは妻の役目だと思っている私は、その態度を見て言い放ってやった。
『お帰り。ずいぶん早かったね・・・!』
それでも何の反応も見せない家内に、さすがの私も業を煮やし、はっきりと言ってやった。
『ご飯食べた?まだなら、作るけど?』
『いい。食欲ないから・・・』
成功した。見事に家内に口を開かせた。
食い道楽の家内は、食に関しては貪欲なのだ。そこをうまくついた見事な話術である。

しかし、不思議な話である。
食い道楽の家内が食欲がないと言う。こんなことは初めてのような気がする。

間もなく、私の中には、喜びと不安が混在した。

喜びとは、身体を壊したのではないか。しかも、もう回復することのない不治の病に陥ったのではないか?そこまでなくても、役員会議でこっぴどく叱られ、リコールでもされたのではないか?など、私が心痛む事態である。
不安とは、もしかしたら、妊娠したのではないか?もし、その可能性があれば私ではあり得ない話しで、神の手によるか、宇宙人か、はたまた、私の知らない人、もしくは知っている人に因る。いずれにしても、計り知れない勇気の持ち主である。そういう力を持った者が存在するという畏怖の念である。

あまりにも思い悩んでいる様子だったので、一人にさせたあげたほうが良いと書斎へ向かおうとすると、『ジャスミンティーだけでいい・・・』と言われた。ジャスミンティーなどうちにはない。その旨を家内に伝えると、『じゃあ、買ってくればいいじゃん・・・!』と一言。
さすがの私もこれには言い返した。
『この雨の中、コンビニ行けって言うのか?』
『ジャスミン茶じゃないの。温かいやつ。ダイエーか東急に行けば葉っぱ売ってるから・・・!』

あまりにも、家内の相手の気持ちを無視した言動に、苛立ちを感じた私は家内を放って、雨の中、散歩に出掛けた。
ついでにジャスミンティーを買ってきた。

雨で冷えきった身体には、沸かした湯気が染み入るように温かい。
また、ジャスミンティーには鎮静作用があるのも、香りだけでも実感できる。
その苛立ちがこれ以上、乱反射しないことを願いつつ、家内にジャスミンティーを差し出す。

一口啜ると落ち着いたのは家内は口を開いた。
『今日さぁ、ショックなことがあってさぁ・・・』

家内にとってショックなことであったことを神に感謝する。
『どうしたの?』
答える自分の声が上ずらない
よう、細心の注意を払い、発言する。
『いやねぇ・・・』
家内は噛みしめるように、今日遭ったことを語りだした。

その駅から外部地下鉄に乗り込む駅で、うちの家内は電車に飛び乗った。
2路線の分岐駅であるために、運良く席が空く。目敏い家内が空いた席を見逃すはずがなかったのだ。
久しぶりの電車ということもあり、直情型の家内は遠足気分なくらい、辺りを見回した。

こういう時、不思議であるのだが辺りを見回す際、ひとは右か左のどちらからか見始め、最後に正面を見るのである。
家内も最後に正面にいる人間に目を向けた。
あまりに物珍しく辺りを見回す家内が目障りだったのか、タイミングを同じくして対面の女性と目が合ったらしい。
ちょっと小綺麗で気の強そうな女性であったらしい・・・。
『うん?!』と思った瞬間車内は込みだし、家内の視野を塞いだ。
『えっ、今のは確か・・・』と思いつつ、立っている乗客を交わしながら、対面の女性を探した。

すると一瞬だけ、再び、目が合ったかと思ったら、対面の女性は『あっ、やべ!また、目が合った!』といった表情を浮かべ、
寝た振りをしたそうだ・・・。
その表情を見たときに家内は知人であることを確信した。

ずいぶん仲良くしていた友人であったらしい。
聞くところによると家族ぐるみで仲良くしていたらしい。
その彼女に、寝た振りをされたのだ。家内のショックはよほど大きかったようだ。

『声を掛けてみたら良かったのに・・・!』と言ったところ、思いも寄らない返事が返ってきた。
『避けられているようだったから・・・』
家内も他人を気遣うことがあることを初めて知った。
『綺麗にお化粧してたし、薬指にもまだ指輪をしてたし、頑張ってやってるんじゃないかな?』

そんなことを言われても、家内が家族ぐるみで仲良くしてる友人である。かなりの一方的合理至上主義を貫く家内の一族は、やもすると敵視される傾向にある。しかし、敵に回しては怖い一族なので、遜色のないよう、最大限に同情して見せた。『そうだといいねぇ・・・』

『あなたの友達でもあるのよ?!』と一喝された。
驚いた。
それは以下の理由に因る。

1.家族ぐるみの中に私が含まれていた。
2.家内が私を家族と見なしている。
3.私に友人がいた。ということか?

『えっ、誰?!』と聞くと、家内の形相が変わった。
『どちらかというと、あなたが先に知り合っていて、私が後で仲が良くなった関係よ!』
思い付かなければ許されない雰囲気であったため、『あ〜っ、あの人?!』と言った瞬間、『あなた、たぶん判ってないわ・・・!そんな風に言うわけないじゃない、彼女のこと?』と返ってきた。
もうお手上げである。ジャスミンティーのお替りを尋ねたところ、『おそらくはあなたのせいで、私が無視される羽目になったのね・・・!』
突然、言葉を吐き捨て、寝室へと消えていった。

さすがの雨男も、雨が降って機嫌の悪い晴れ女には、敵わないようである・・・。


2005年10月10日(祝)

今日は何の日?

秋の長雨であろうか。冷たい雨が続いている。
今日は10月10日、いわずと知れた体育の日である。
この体育の日、気象庁のデータからいっても雨の降りにくい日であるらしい。気象庁が発足して何十年かになるらしいが、その中でも雨が降ったのは数回を数えるのみとのことである。今年はその数回の記録を更新したことになる。気象学上でも希有な年となるわけである。
こういう年には必ずといって何かしら大事件が起こる。今年の上半期を見ただけでも特筆するものはない(もしくは私が気づいていないだけ?またはそれどころじゃないような事が私の身の回りで起こっていたため見過ごしている可能性がある)ので、年末の一年を振り返る番組で何が大事件だったのかを確認したいと思う。(これもこの10月10日に雨が降ったことを覚えていればである)

体育の日といえば運動会である。
今日のニュースでおもしろいデータが発表されていた。最近の子は体力が無くなっているとのこと。
今の小学生男子の体力は、20年前の女子(小学生)の体力にも劣るというのだ。それだけではなく、現在40歳から60歳までの老中年と言われる人々(私も去年から仲間入りさせてもらっている)の体力は向上しているとのことだ。
学力のみならず体力までも無くなっている現代っ子には情けなさすら感じる。
とはいうものの、うちの娘もその一員であるため他人事とは思えない。むしろ由々しき問題としてとらえている。

学力に関しては私の子ということもあり(家内は私に似てと言う)、そこそこの成績を残しているが、もうそろそろ限界値であろう。
故に私を超えることはできないと踏んでいる。なぜなら、彼女の学んでいる事がそろそろ私が教えられる域を超えつつあるからである。

体力にしてもしかりである。
それは彼女の運動会での私の勇姿を見れば歴然とする。もともと私はインターハイ選手なのである。(リレーだが)
今年親子リレーも、一位で私にバトンを渡した彼女を評価はするが、足がもつれて転びさえしなければ入賞は可能であったはずである。
現に私が転んだときの歓喜の声とゴールした際の惜しみない拍手は、忘れることの出来ない思い出となったはずである。

優秀な親がいると子供は委縮してしまうと言われるが、うちの娘も運動会からこっち一言も口を聞けないほど敬意を表しているようだ。
あまりの痛ましさに、こちらから声を掛けてもダメである。難しいものだ。

こういう時は多くを語らず、背中で見せることが一番である。
体力、学力ともに能力が低下している原因に、与えられることに慣れ、根気が培われないことが上げられよう。
多くの言葉で諭し言い聞かせることも必要だが、ここは忍の一字で私の生き様を見せつけることに徹してみる。
劇団からも家内からも理解のない謂れをされようがひたすら耐えている父の後ろ姿で何か学んでもらえればと思っている今日この頃である。


2005年10月2日(日)

覚悟・・・

不幸は予期せぬ時に起こると言われるが、私が厄年というせいもあってか私の回りに不幸が相次いでいる。
今年に入って団員、客演含めて3組の身内に不幸が続いた。
まあそれなりの年になってきているからということもあろうが、生死に関わらないプライベートな不幸に至っては
『今年は別れの年なの?』と思いたくなるほど、さまざまな別れが展開されている。

実のところ、他人事なのでどうでもいいだろうと思いがちであるが、関係者が悲痛な面持ちをしているのは見ていても
痛ましいものである。

その不幸への対処法もさまざまで、ふさぎ込む者あり気丈に振る舞う者あり。
しかし、いずれにしても真摯に闘っており、その辛さというのは「他人には絶対にわかるまい!」的なオーラを放っている。
元気づけて、勇気づけてあげたいものだが毅然としたその態度には取りつく島もなく、ただただ自分の無力さを感じてしまう。

さすがにこういうことが続くと友達とは何ぞやとか自分たちがテーマとして活動していることや創っている作品にも自信が
持てなくなってしまう。もちろん不幸を克服するのも自分の問題であるから、自分自身が強くならなければならないのだが、
現状を知ったうえで何の力にもなれない状況もかなり苦しいものである。
きっと不幸のどん底にいる当事者には、そんな友人の気持ちなど気づく余裕もないのであろうが・・・。

そこでケースワーク的考え方をして、自分が当事者的立場だったらと考えてみる。
不幸な立場に身を置いてしまう状況に陥ったら・・・。

ひとつ考えついたのが、不幸の定義である。
何をもって不幸とするか・・・。

今回問題になっているのは別れである。
確かに別れとは悲しいものである、今までも多くの出会いと別れを繰り返してきたから、それは解る。
しかしどうであろう。別れとは悲しいだけのものであろうか?その後の出会いで大きな要因となる別れはなかったであろうか?
果たして、そのまま別れることがなかったら幸せだったのであろうか?
大切な人を亡くしたからといって、その人の思い出がなくなるであろうか?

そもそも別れることは悲しいものであるのか?それは、感情的に慣れ親しんだものとの離別で寂しく思うだけなのではないか?
別れる原因となったことは自分にはないのか?単に覚悟ができていないだけのことではないか?

いろんなことが考えられる。

しかし、このままでは抽象的、論理的、哲学的な範疇でとどまる可能性があるので、より具体的に私の日常の中で考えてみる。

・・・、別れられたら、あれも出来るこれもできるといった幸せなことしか思い付かない。
おそらくこの事実を知ったら家内は卒倒すると思うが、『なら何故もっと私を大切に扱わない!』という別次元の話しか思い付かない。

不幸というのは予期せぬ時にやって来ると言われるが、実はそれ以前から内包してる原因というのはあるものである。
それが突然起こったかのように思われるため、人は狼狽し、悲しむのではなかろうか?

そこを家内は知るべきである。


2005年9月19日(祝)

秋の初めに想うこと・・・

最近、時たま秋らしい気候を感じることがある。が、たまにうだるような暑さが襲ってくる。
春口の三寒四温は聞いたことがあるのだが、この季節のこの天候の変化というのは何と言うのだろう?
もしかすると、これは最近の異常気象の産物なのであろうか?
実に裏切られた感を否めず、繊細な私はストレスを感じてしまう。

秋と言えば、古より運動の秋、食欲の秋と言われる。
この他に私はファッションの秋というのを加えたい。(すでに言われている?)

広葉樹が色づき始めるのと同じタイミングで街にはいろんなファッションが彩りをそえてゆく。
四季豊かな日本の一年でおしゃれができるのは秋口から冬だと私は思っている。
確かに四季おりおりのおしゃれは出来る。
春口から服装は柔らかな色調に変化し、夏に至っては派手な色彩でハダカ同然の肢体を隠す程度まで
薄くなってゆく。しかし、バリエーションを含めたファッション性は秋から冬にかけての時期が多様化され、
その人のおしゃれに関するアイデンティティーが一番反映されてているのではないだろうか?
現に、ファッションの中心になっている都市は、パリ、ニューヨークを中心に寒い地方が多い。
また以前、ビールの生産都市(ミュンヘン・札幌・ミルウォーキー)と同じ緯度にファッションは発生すると聞いたことがある。

しかし、このファッション界においても異変を感じている。
これも異常気象のせいであろうか?!

夏の終わり頃から、得体の知れないファッションが出没し始めているのにお気づきであろうか?
そうである。ミニスカートにブーツを履いているのである。まだ、平均気温が30℃を切らない時期からである。

あの暑さの中で何故ブーツを履くのかが解らない。
確かにファッションは季節を先取りして発表されるものだが、いくら何でも夏にブーツは気が早い気がする。
このまま行くと冬には何を履けばよいのだろう?
というか、彼女達は確実に水虫であろう!!
足も臭いであろう!!
中には夕方ともなれば、ブーツからふくらはぎがはみ出している人もいる。(足で血圧を測っているのかもしれないが・・・)

何もそこまでして・・・と思ってしまう。
努力するところを間違ってるのではなかろうか?

当人は流行りのファッションに身をまとい、時代の先端を走って、格好良いのか可愛いのか解らないが、
素敵な女性ぶっているのかも知れないが、私は首を捻ってしまう。
私にはただ単に、ファッション業界に振り回されている、自分の頭では考えられない不自由な人にしか見えないのである。

この傾向は日本特有のもので、日本で流行っているファッションは世界レベルで見ればかなり奇異なものである。
知人の外国人などは、「私の国では娼婦がする格好です!」と、どの国の人間も口にする。
また、「彼女達は何かの宗教の方がたですか?」と聞かれる。
みんな同じような格好、同じブランド品を手にしていることにも気持ち悪さを感じているようである。

実際、ブランド品の価格は他の国の同品よりも2割ほどふっかけられていることを知っているのであろうか?
このへんからも、日本人は個性がないと思われてしまう一因があるのではないかと思う。

それ以前に、「あなた、それ似合っているつもりですか?」と聞きたくもなる。
極端なファッションに限らず、全世界で主流になりつつあるヒップ・ハンガー式のパンツであるが、
「いや、あなたの場合、足が長く見えると言うよりも腹がはみ出て見えますよ!」とか
「隠しきれない大きなお尻を守るパンツが一番目立ちますよ!」とか「逆に足が短く見えますよ!」とか言いたくなる。

見せるパンツもあるらしいが、もしそれを装着していないのなら、Tバックかパンツ履かない努力をしてもらいたいと家内に言いたい。

自分の表っ面だけを飾って、自分が他人にどう映っているか微塵も気にしていない傲慢な態度はファッションからほど遠いことに
気づいていないのである。
その可愛い、格好良い服を着こなす努力もしていないのに、おしゃれは微塵も感じられないことに気づいていないのである。

そこにはまさに自己愛にまみれた、甘えの構図しか見て取れない。

しかし、日本女性のこういった傾向には男性の存在も一因しているのである!!
ある意味、男性の責任でもあるのだ。

そこで世の男性諸氏に女性を甘やかさないためにも不買運動3原則を訴えたい!

1.女性の気を引くため、機嫌をうかがうためにブランド品を買い与えない!
2.今流行りの格好をした女性に惑わされない!
3.流行りのファッションを身にまとっているからといって、不用意に女性を買わない!

以上が私の過去の経験を通じ、反省から導き出された最も有効な手段だと思われる。

願わくば、私よりも早く、この3原則に気づき、提唱してくれる人物と出会いたかった・・・。


2005年9月7日(水)

夏の終わりに想うこと・・・

オージオ化粧品のCMで叫ぶチャン・ドンゴンを見るたびに、昨年客演してもらった朝倉丈雄(写真右端)を思い出す。
端正なマスクが似ているだけでなく、あのやや流暢な日本語がよりリアリティーを感じさせるのである。
この「やや流暢な」というところが
ポイントである。

チャン・ドンゴンはCMの中で切なげにしかも情熱的に、こう叫んでいる。
『あなたが好きです。あなたの肌が大好きです!』とおそらく叫んでいると思われるが、そのセリフが私には、
『あなたが好きです。あなたのハダカ大好きです!』と聞こえてしまう。
するとついつい朝倉を思い出してしまうのです。
いつも加虐的なほどひたむきに生きている朝倉は元気にしているのだろうか?

さて、結果的に定員を大幅に超えた形で行われたワークショップもオーディションで一段落し、いよいよ11月公演に向け活動が始まった。
それは私がエッセイを再び書き始めたことを見ればお解りのことと思われる。
団員の今年の夏は、昨年に比べ、しごくおとなしかったようで特に久世恭弘については疲労感のみが漂っているようだ。

先日も柿森ななこ(このコーナーではお馴染、現時点で2年10ヶ月毎日日記をつけている女優)のHPに「某劇団主宰K氏は最近飲み過ぎらしい」(8/28分日記)と書かれていた。
この某劇団主宰K氏が何故、久世を示すかというと柿森がその時一緒に飲んだメンバーを見れば明白である。情報源もカメラマンの横田敦と推察できる。しかし、ここが柿森の想像力がなす短絡的で愚かな所である。「最近飲みすぎらしい」という描写についてである。

確かに久世は横田と朝まで飲んだ末に、吉祥寺からタクシーに同乗してもらい、やっとの思いで家まで連れてきてもらったのだが、それはその日のことで、「飲んだくれている」という常習的なニュアンスにはほど遠い。

柿森といえば、身体を使った無機物のエチュードの際、ことごとく言い当てるといった恐るべき想像力の持ち主であるが、過ぎたるは及ばざるがごとしとはこのことで、彼女特有の過剰な防備意識もここから来ているのではないかと思われるほどである。

実際、現状の久世はバラという字を漢字で書けたことに喜びを感じ、最近ではどうしたことか、ショウユやユウウツ、カンピョウと難漢字を覚えるといった奇行に走っている。
久世はどこに行きたいのだろう・・・。まだ、飲んだくれているほうが健全な気もする。

ともあれ、11月公演の準備が始まっている。
先月はひとつもエッセイを書かなかった。実はこれには私の強い決心が働いていたのである。
エッセイを書く時間があったら11月公演の台本を書く!!実は、心を鬼にして闘い続けていたのである。

この強い信念は効を奏し、今日のこの時点でタイトルが決定できた。
これでチラシの入稿ができる。順調なすべり出しだ。

ただ惜しむらくは、内容、ストーリーともに未だ決まっていないことだ。
依然、私の闘いは続くのである。


2005年7月26日(火)

納得いく回答を求む!

私は愛煙家である。

が故に、最近ではずいぶん肩身の狭い思いをしている。
アメリカにいたっては、食事をする場所では一切喫煙を許されない。喫煙場所で吸っていても犯罪者を見るような目で見られる。

むろん自宅でもそうである。一時期、ホタル族という言葉が流行ったが、私もその一族に属する。
やれ、吸引する際に出る煙が第三者に与える影響だの、吐き出した煙が吸わない人に与える影響だの、ガンの発症率がどうだのと散々叩かれる愛煙家であるが、じゃあ、どうしてそれほど有害な物の販売を厚生労働省は許しているのであろう?

最近、煙草のパッケージの1/3に脅し文句を入れるよう義務づけられたようだが、そんなことなら売らなきゃいいのにと思ってしまう。
この矛盾に対して、厚生労働省はどのように考えているのだろう?

一説によるとマリファナは煙草ほど有害ではないし、依存症もないと言われているが、何故、マリファナは法律で禁止され、煙草は法律で禁止されないのであろう?!答えられる人がいるなら是非とも答えてもらいたいものだ。

私が高額納税者(酒と煙草をかなりの量嗜むため)であるのは周知のことと思われるが、やはりう税金を掛けているから禁止することができないという行政の弱みなのであろうか?その矛盾がとても気持ちが悪い。
禁煙パイポ(まだ、ある?)をたばこ屋で売っていた時と同じくらい気持ちが悪い。
「私にどうしろというのだ?!」
「あなたはどこへ行きたいの!?」と言いたくなってしまう。

以前、海外で生活していた頃、拳銃を突きつけられ、ホールドアップを食らったことがある。
「動くな!動くと撃つぞ!」
抵抗せずに、静かにしていると、「金を出せ!」と言われた。
財布を取り出そうとすると、またも「動くな!」と言われた。「どうしろちゅうんじゃい!」と叫んだ。心の中で・・・。
仕方なく、財布の場所を鼻で示すと、強盗は私のジャケットをまさぐり出した。その際、拳銃を足下に置いていたので、「金を取られたうえに撃たれるのは嫌だ」と思い、一か八か、思いっ切り強盗を突き飛ばして足下にあった拳銃を手に取った。強盗は足早に逃げ去った。
その旨、警察に届けたところ、拳銃の入手先はどこだの、身元の確認が出来るまでは開放することはできないなど、まるで私が強盗かのごとく尋問され、丸一日警察に拘束された。
お陰で、その日、デートの約束をしていた彼女もすっぽかしたという形になり、大揉め。散々な一日となった。

この胸くその悪さといったら、あさりの酒蒸しを食べている時に砂を噛んだ、と思ったら、砂に負けて歯が欠けていた時くらい気分の悪いものである。

世の中、確かに矛盾したことは多々あるかもしれないが、公的に矛盾した行為というのは許しがたい。是非とも納得いく回答を求めたい。
あと、冷蔵庫にしまってあった美味しそうな食材がいつ食されているのかも、家内に回答を求めたい。


2005年7月20日(水)

アンケート考

7月公演『CASTIGADOR 5』のアンケートに目を通した。

規模が規模だっただけに、後半は立ち見続きで盛況のうちに幕を降ろすことができたのだが、問題はアンケートである。

旗揚げから5年ほどはアンケート回収率が9割近くあったものだが、この近年はめっきり少なくなっている。
内容がサスペンスだっただけに、好き嫌いもあったのか、半数に満たないほどの回収率であった。
13年も経てば作品も内容的にはレベルが上がってきているはずなのだが、これほど反響や突っ込みがないところを見ると、よっぽど
完成度が高くなっているのであろうか?
しかし、批判めいたアンケートはいまだに存在している。

旗揚げ初期の頃(2,3回目くらいまで)は、批判めいたアンケートを見ると破り捨てていたものだが、現在に至っては、いろんな見方をする人がいるものだなと、私の視野も広がった。我ながら、成長ぶりがうかがえる。
今ではむしろ批判を歓迎するくらいである。自らの至らぬところを指摘してくれているのだから・・・。
そう思うと腹も立たなくなった。
実際、普段から劇団員、制作、家内、娘から批判されることの多い境遇のため、もしかしたら、叱られバカになっているのかもしれない・・・。

『物議を醸す本は売れる!』とは有名な言葉で、賛否両論、話題に上っただけで、その本の作品的価値は充分にあるということであるが、
私もそう思う。古の偉い人が言ったのだから間違いないだろう。
売れればいいということでもないが、少なくとも古本屋やブックオフに行っても在庫が切れることなく陳列されているわけだから再利用価値があるという点で、地球に優しい。
しかし、古本屋に行くとベストセラーと言われた本ほど安く、増版されなかった本ほど高いというのは皮肉な話である。

話が横道に逸れそうになったので軌道修正するが、今回のアンケートの感想である。

公演に感動したか、また観に来たいと思ったか、出演者の縁故の人が「観に来ましたよ!」という証拠残しのために書かれているアンケートがほどんどのため、概ね聞きざわりのよい内容のものがほどんどであるが、どこにも例外というものはあって、「話が解らん!」、「テンポが早過ぎ!」、「テンポが悪い!」、「台本は良いが、演出に難有り!」、「台本の未熟なところを上手い演出で切り抜けていた」など批判するアンケートもいくつかあった。

批判するくらいだから、よっぽど琴線に触れてしまったのだろう。
しかし、こういう人に限って自分の名前を書いていない人が多い。これは批判とは思わず、単なる中傷だと私はとらえている。
自分の言葉に責任を持てない嘆かわしい人物である。そんな奴の言い分は素直に聞けない。
本当に怒っている人はアンケートも書かないで退出するものなのだ。(私は基本的にアンケートは書かない)
私が求めているのはそういった人の意見である。

かといって、批判するお客さんに迎合するつもりもない。元来、迎合という言葉は私の中にはない。
(家内に対しては別、服従という言葉すらある)
たとえ、批判したお客さんの要望に応えた作品創りをしたとしても、きっとまた別の批判が起こるに決まっている。
万人を納得させる作品など創れるはずはないのである。(野球でも3割打てば名選手であるが、それでも嫌われる選手はいる)

私が求めているのは、潜在的に存在であろう批判的な部分に学ぶところがあれば学びたいといった、自己中心的寛容な選択である。
矛盾しているように聞こえるかもしれないが、表現の世界はアンビバレンツ(二律背反性)で成り立っている。

観客にしてもそうである。
先のアンケートの抜粋だけでも観手によって、真逆の感想が書かれている。
まして、サスペンスとなるとこれまた難しく、トリックを平易なものにすると「途中で気がついて、後半が楽しめなかった」と言われるし、複雑なトリックを考えると先のように「話が解らん!」と自分の理解力の無さを棚に上げ、攻撃されるのである。
(そういう人に絶賛しているアンケートのコピーを束にして送り付けてやりたいが、そういう人に限って住所も名前もない)

人前で表現する以上、批判はつきものである。
これは宿命と、表現者は心に留めておくべきである。

しかし、これまたアンケートを気にする役者はいるもので、一喜一憂したうえ、中には次の日芝居を変える不届き者もいる。
そういった未熟な役者は、いわゆる風見鶏体質なため、整合性に欠けた演技となり、千秋楽の頃にはすっかり疲れ切り自滅していくのが
常である。

となると、果たしてアンケートの意義は、ということになってくる。

一般的にはDM(ダイレクトメール)用の名簿集めと考えられているだろうが、そんなのは旗揚げ早々の劇団でのみ有効であって、何千、何万というDMを何十万円もかけて送付するためにアンケートしているわけではない。
それがどれだけ無駄なことかということは、うちの膨大な郵送費に対して、集客数を見れば容易にわかる。

現に、アンケートをとれば批判はつきものである。
めったに書かない私が書きたくなる衝動に駆られる時に限って、アンケートがない。
(大手劇団や過去の名声にすがった演出家のプロデュース公演などは批判を恐れてか、アンケートがない)
逆にアンケートをとっている劇団なんて、と格下に解釈される恐れもある。

しかし、うちが(私だけかもしれないが)そんなリスクを負いながらも何故アンケートをとるのか?
それは、一方的に表現者が表現し、それに黙って耐え忍んだお客さんが、観劇後、心にもやもやしたもの(いい意味でも悪い意味でも)を
発散してもらえる道具になりえたらと考えているからである。

どうか、観劇後の不満、批判は持ち帰って口コミに乗せず、劇場内にて吐き出してすっきりして家路についていただければと・・・。


2005年7月16日(土)

事の顛末

7月公演も盛況のうち無事終了し、反省会も終え、ようやくひと段落ついたのであろう、
『あなた、こっちが忙しいことにかまけて、いつまで更新しないつもりよ!』と早速、流石よりお咎めがあった。

確かに最終寄稿したのが6月5日(日)となっており、一ヶ月以上もこのコーナーを不在にさせてしまっていた。
とは言うものの、私も遊んでいたわけではなく、7月公演の原稿を昼と無く夜と無く書き上げていたのだ。
もちろん、このコーナーのことは気にしていて、更新もされていないページのカウンターのみが進んでいる状態を
どれだけ心苦しく思ったことか・・・。
その顛末に関して、ちょっと説明させてもらいたい。

7月公演の脱稿が6月22日(水)の午前11時くらい。
台本だけならまだしも演出もやらなければならないため、千秋楽終演までは暇があるはずもない。
しかも作品が『CASTIGADOR』である。どれだけのエネルギーを必要とする作品か・・・!

ハードな作品のため、久世恭弘などは公演中終始、脳震盪(のうしんとう)気味であったし、客員である徳光由禾などはセリフに詰まると知らぬ顔をしながらも、チャームポイントである目を3倍ほどに広げ微動だにせず、木内友三にいたってはセリフがスムーズに話せない状態に陥り(これはいつも)、セリフの掛け合いに関しては抜群の安定感を誇る拓巳匡丞ですら、久世の非常に大切な聞かせセリフを喰ってしまったほどである。また、特筆すべき内容として、どんな作品でもワールドとテンポを崩さない高橋忍のマイペースぶりを挙げることが出来よう。

そのくらいハードな公演だったのである。
終演後も、稽古の間溜まっていた洗濯物、掃除、買い物、稽古期間中、私を支えてくれていた(と主張する)家内と娘に対する
慰労を兼ねた温泉旅行と、目紛しさに奔走され、このコーナーのことは、すっかり忘れさせられていたのである。
恐るべし、『CASTIGADOR』(ちなみに、スペイン語で「罪深き人」という意味)

その余波はいまだに続いており、世の中は3連休とのことだが、何が悲しいかな、私は休むこともなくエッセイなどを認めている。
現在、7月17日(日)の午前6時46分である。これが書き終わる頃は6時50分くらいにはなっていると思う。

にも関わらず、このエッセイの日付が7月16日(土)にしているのは、一日でも早く読者に読んでいただきたいと思う、私なりの
せめてものお詫びと誠意の表われであると理解していただくと幸いである。

あっ、6時51分になっちゃった・・・。
朝ご飯作んなきゃ、怒られちゃう・・・。


2005年6月5日(日

サスペンスにみる危機的状況の脱却法とは・・・?

まったくもって寒い日が続いている。
もちろん稽古場の状況のことではない。最近の天候のことである。
初夏だというのに、この寒さは何だ?!
昼間は、ぼわんとした温い感じになることもあるのだが、夜はシャツ一枚では寒さを感じるほどである。
昼間、温いといっても、このところ雨が続いている。寒い日のほうが多いくらいである。
今年は春もあっという間に過ぎた感がある。(桜の時期が短かった)
春、初夏を通過して、もう梅雨に入ってしまったのだろうか?
そういえば、今日、台風4号も発生したと言っていた。(いつの間に4つも・・・?)
何とも不可解な天候が続いている。

不可解で思い出したのだが、このコーナーも約1ヶ月ほど更新がなされていなかった。
ご覧いただいている方は、「今ごろ執筆でたいへんな時期なんだろうなぁ」と好意的な人が多いと思うが、稽古場では「その割に挙がってくる原稿の量はいかがなものか?!」と不可解な罵詈・雑言が飛び交っている。
断っておくが、不可解だと思っているのは、役者連中ではなく私である。

複雑に絡めあわせたサスペンス物を創作するというのは、たいへんなことなのだ。
現に役者の連中は、未だに誰が犯人だか察しもつかないであろう!
当たり前である。そう易々と犯人がわかるように創ったのでは、サスペンスでも何でもない。

ストーリーが進むにつれて、「あっ、あれが複線だったのか!」と思わせる手法は、行ったり来たりしながら創作するためかなりの時間と集中力が必要となるのだ。そのたいへんさは、複線物のサスペンスを書いたことがある人間にしかわかるまい。
ちょっとでも気を抜くと複線を忘れたり、ひどい時になるとあまりの複雑さのために、誰が犯人であったか判らなくなってしまっている、今の私を見れば、その苦労が容易に推察できるはずである。
執筆作業自体がサスペンスそのものなのである。
実際、その苦しさから逃げ出したいがあまり、出演者を含めた関係者を殺害できないものかと本気で考えてしまっている。
それでもパソコンに向かう姿は涙ぐましいものがあり、とても他人事とは思えないほどである。

その様子は凄まじさの極みとも思えるほどで、首にピップエレキバンは当たり前のこと、パソコンから目を守るためにパソコン用のサングラスを掛け、胸元にはマイナスイオン発生器をぶら下げており、一行書き終わる事に深呼吸ともため息ともつかない吐息を吐きながら進められているのである。まさに気力と体力を振り絞っての作業である。

そんな苦しい中でもひらめくというのが、私が神から授かった特殊な能力である。
ランニング・ハイという言葉があるが、きっとライティング・ハイというものも存在するのであろう。
苦しい中でも湯水のごとくひらめきがある場合がある。私の場合、その頻度が他の作家より多い気がする。(当社比)
しかも、それは見事に、ストーリーが行き詰まった時にあふれ出てくるのである。
視野の広さというか、思考力の柔軟性のたまものなのか、その能力のお陰で今までも数多の急場を切り抜けてきた。

『次回作品はこんな感じのものにしよう!』
『この公演が終わったら、シナリオ学校へ通って勉強しよう!』
『昨夜観たビデオの感想を、まだまとめてなかったなぁ・・・』
『あれっ、猫のエサ、まだ残ってたっけ?』
『そういえば、エッセイのコーナーを随分更新してなかったなぁ・・・』
など、今日執筆した最中だけでもこれだけのことをひらめいた。

このひらめきのみが私の特出した能力ではなく、実際、こうして行動している行動力こそが自らを救っている要因と思われる。

昨日、キャストアウトが行われ、明日から本役での稽古が始まる。
先をも見えない状態での作品創りに、役者陣は不安もひとしおだと思われるが、それは私も同じこと。
やっと同じ周波数で、いい作品が創って行けそうな気がする。


2005年5月10日(火

最新医療が人に与える影響2

現在7月公演『CASTIGADOR 5』(サスペンス・コメディー)執筆中のため、あまり家にいることがない。
元来、落ち着きのない性格(と幼少の頃から言われ続けていた)のため、創作作業にしてもひとところにジッとしてられないようである。
執筆中もパソコンのバッテリーが切れる度に喫茶店を変え、他の喫茶店に移動するのだが、図書館のようなところには行かない。
落ち着きのない性格の私は多少の雑音があったほうが集中できるのだ。

ならば、うるさい家内や習い事の予習をして忙しなくしている娘のいる家でも作業は進みそうなものだが、そうはいかない。
家にいるとやれ送り迎えだの、洗濯だの、掃除だのといろんな仕事を言いつけられる。
こうして書いているうちに、それが理由で外で執筆しているような気になってきた。
しかし、今回は特別な理由がある。

現在、家庭内が非常にナーバスな環境になっている。
むろん、私が執筆中だからということではない。そんなことでナーバスになっていることすら許されない立場の私は周知のことであろう。
ナーバスにならざるを得ない環境の根源は家内である。

以前、何度か取り上げたが題材に、家内のインプラントがあった。
読み返すのが面倒くさい方に説明すると、家内は今年になって2本のインプラント手術を行った。奥歯と前歯である。
中でも前歯のインプラントは難しく、しかも家内の場合、あった歯を抜いた後、つまり抜歯した傷口にすぐさま土台(金具)を骨に埋め込み、仮歯を入れるという最も難しいとされる施術であった。
あとは歯茎(歯肉)が土台(金具)を覆い安定するのを待つのみであった。

失敗したのである。
鼻下のすぐ近くの上顎の骨まで埋め込まれたはずの金具が短すぎたようで、医者のドラ息子らっこ(仮称)とトンカツを食した際に
うっかり肉を食んでしまい土台がグラグラになってしまったのである。原因がトンカツというのも笑える。

知人の歯医者にみてもらうとすぐさま、『何か固いもの噛みました?』と聞かれた。
負けん気の強い家内はよほど悔しかったのか、『気をつけてたんですけど・・・、冷ややっこ食べた時にアッって感じがあって・・・』
『あっそうですか。いずれにしても再手術です。上顎骨が出来上がるまで待たなきゃけませんけどね』とあしらわれた。

前歯ということもあり歯抜け状態にはできないので、両側の歯で接着する形で仮歯を入れられた。
普通にしているとほどんど判らないが、抜けた歯の歯茎は色が変わり、そこだけ痩せている。笑うと明らかにヘンである。
というより、ちょっと可笑しい。

その表情を読まれてしまって、家内は激怒した。
『ひとが傷心しているのに何で笑うの?!しかも、またあの手術を受けなきゃならないのよ?!』
怒鳴られながらも家内の口元からちらつく仮歯ばかりが気になり、押さえられぬ感情と闘っていた。
ちょっとした拷問を受けているようであった。

それからというもの、家内に顔を向けて話をしていない。
どうしても口元を見てしまうからだ。
しかし、その後、どうなっているのか気になるばかりである。
とはいうものの先日、一度だけチラッと盗み見する形で家内の話している時を横目で覗いたが、その際、家内と目が合った。
賢明な私は笑う素振りをおくびにも見せなかったが、その代わり、意味もなくうなずいてしまった。
それ以降は一切、家内を直視していない。

こういった理由で自宅以外のところで創作している。
『CASTIGADOR 5』(サスペンス・コメディー)は、こういった環境(自らの体験)のもと執筆されているのである。


2005年4月28日(木

表現における評価とカテゴライズの弊害

春季ワークショップの次の週にはオーディションが開かれ、その翌週には7月公演『CASTIGADOR 5』の顔合わせが開かれ、今週より7月公演に向けた稽古が始まった。目紛しいほどの年間スケジュールである。

はらこうへい氏に催促してイラストを急がしたものの、宣伝グッズ(チラシやDMハガキ)の製作に遅れが生じてきている。
これらの宣伝グッズ作成の際、校正を劇団員総出でおこなうのだが誤植の確認に終始し、全体のデザインやキャッチコピーやリード文に関しては誰も口を出さない。
つまり誰も流石の作った原稿に口出しができないということである。

唯一口をはさめるのは作家である私だけなため、今回も「ハードボイルド・サスペンス・コメディー」という形容の仕方に異議を申し立ててみた。その結果、私は口をはさめるだけの権限があることが確証できた。
『今回は「ハードボイルド・サスペンス」とうたってくれ!』と強く訴えたところ、『はいはい、解った解った・・・!』軽く
受け流されて
しまった。
これは、私の意見は物理的に聞いてはもらえるが、了承されるわけではないということである。

旗揚げ以来、うちの劇団の台本だけでも30本は書いてきている。
しかし、自分でコメディーを一本も書いたつもりはない。むしろ、ひた向きに生きる人間模様を描いてきたつもりだ。
なのに旗揚げ以来、私の作品はずっとコメディーとうたわれている。
「社会派コメディー」、「ヒューマン・コメディー」、「ハートフル・ヒューマン・コメディー」、「サスペンス・コメディー」、「ノンストップ・コメディー」、「ハードボイルド・サスペンス・コメディー」「ファンタジック・コメディー」と本当にこんなのあるの?というようなキャッチコピーをつけられる。

私は元来、他人を笑わすことは得意ではなく、それでも意図して気の利いたことを話そうとすると、むしろ引かれてしまう。
盛り上がった状態の時に口をはさむと、私の声が小さかった場合を除いて確実にシーンとさせる自信があるほどである。
しかし、こんな私でも失笑はよく買う。また稀に笑いを取ることがあるが、そういう時に限って何故みんなが笑ったのかが理解できない。
以上のことからみても、私は笑わせることよりも笑われることに秀でている人間だということが判ると思う。

そんな私がコメディーを意図して書くはずがないのである。
作品中に面白いところがあったとしたら、それは台本を作成する際、流石が手を加えて入力しているところであろうと思われる。
(出来上がった台本を見たとき、「あれっ、オレこんなこと書いたっけ?」と思うこともよくある)

何をそうコメディーにこだわるのか、私は理解に苦しむ。
こだわるから苦しむのであって、あるがままを受け入れる寛容さを持てば自由になれるのである。
現に先の「ハードボイルド・サスペンス」云々にしてもすぐさま流石に下駄を預けた。
この寛容さが大人なのである。君子なのである。(危うきに近寄らずの意)
私など、意見を押し通すこともなく(何を言ってもすぐ却下されるため)、劇団の要求、家内の要求を聞き入れてきた。
今では劇団や家庭においても重要事項を決定しなくていいくらい悠々自適な生活を送っている。

評価やカテゴライズにしてもしかりである。
表現活動をしてゆけば評価にさらされ、カテゴライズされるのは仕方のないことである。
しかし考えてもらいたい。その評価やカテゴライズがどれだけのものなのであろう?

うちのアンケートなどでも「コメディーと思って観に来たがコメディーではなかった!」とか「話は良かったが、今回は笑いが少なかった」とか「笑いが多過ぎて軸となる話を邪魔している」などとたまに書かれる。同じ作品をご覧いただいても相反する感想などをいただく。多様化する価値観に「こうだぁ〜!」と意見を押し付ける気はさらさらないのだが、その評価をどう受け止めてよいのか困惑することもある。

カテゴライズの難しさも感じる。

かのアントン・パブロビッチ・チェーホフは自作の『かもめ』や『桜の園』を喜劇と定義づけていた。
読んだ方なら判ると思うが、さして笑えるところはない。少なくとも爆笑するところは皆無である。
つまり、
ここでいうところの喜劇は社会主義下の「人間の弱さ、愚かさ」のことである。
喜劇といっても奥が深いのである。

現在、お笑いブームであるが、コントをやる人も漫談をやる人もモノマネをやる人も自らをコメディアンと名乗る。
雑誌のぴあに至っては、お笑いライヴやコントのネタ見せ発表会も演劇と並べて「ステージ」のコーナーに掲載されている。
ステージというカテゴライズなら、音楽もそうだし、生身の人間が演じているのが演劇というなら演劇とはなんぞや?と思ってしまう。
(うちはよく演劇らしくない作品だとも言われる。その割りには映像のシナリオなど書いていると演劇的だとも言われる)
私的にはどう思われても構わないのだが、そんなにカテゴリー分けしなければならないのであろうか?

私は未だに何をもってロックンロールなのかも解らないし、何をもってファンタジーなのかも解らない。
ロックとかファンタジーを明確に説明出来る人はいるのでしょうか?いたら教えてもらいたいものである。
しかし、妻君と暴君の区別がつかない私には、理解することすら無理な気もする。

人はやもすると外的な評価やカテゴライズで洗脳され縛りつけられ、自分を見失いがちになるものである。
それを回避するために私は心掛けていることがある。
『他人の話をよく聞き、よく忘れる!』

この弊害として、よく怒られることとなるが、怒られたことも忘れてしまえば楽なものである。
そのうちに誰も何も言わなくなり、私のように自由な時間と発想を持ち得ることができるのである。

その結果、『CASTIGADOR』は「ハードボイルド・サスペンス」ではなく流石の手によって「ハードボイルド・サスペンス・コメディー」に捏造され、人気シリーズ化されてきたわけである。


2005年4月18日(月

自由主義の欠陥とその方向性〜その後

やはり真理というものは無双のもので、その真理の前には何人たりとも異を唱えることの出来る者はいないものである。

昨日より施行した「非暴力・不服従」活動。
意図するところも面前の流石に伝えた。

こういう話をする場合は、自分の行きつけの店などでするのが効果的だ。
稽古後、私の行きつけの小料理屋に流石を連れていった。
オヤジさんはすべての状況が判っているかのように、カウンターが入り込んだ2席しかない場所へ通してくれた。
ここは同じカウンターでも隔離された場所だ。込み入った話をするには絶好のポジショニングである。
客の様子を一瞬にして気取るここのオヤジさんの能力は、一瞬で役者の素材を見破る私と通ずるものがあるため、私は一目置いている。
私と目の合ったオヤジさんは、黙ってうなずいていた。

効果が絶大だったのか、思いのほか早い結果が出た。

自由とは権利である!
その勝ち得た自由という権利を今更どうして剥奪しようというのか・・・!
           (前稿:「自由主義の欠陥とその方向性」より)

この法学部出身の私の言葉を前に、流石は閉口し、魂が抜けたような表情になった。
女性とは元来口の立つ生き物だが、この流石にいたっては古代ギリシャのソフィストも舌を巻くほどの言葉の使い手。
まさに白い石も黒と言えるほどの詭弁家である。
その彼女は口を紡ぎ、下を向いたのである。

あらゆるものが止まったかのような静寂が続いた。
微動だにしない彼女の様子をうかがってみた。
常人では理解できないほどの論理を積み重ねているのか、はたまた放心状態で何も考えられないのか、そのクールな眼差からは何も読み取ることはできなかった。
『はぁ〜・・・』とため息をつく流石。

息を吐いたら負けなのは、どの世界でも同じである。
闇夜か障害物に隠れて他人を驚かせた場合は勝ちに当たるかもしれないが、ここでは流石は私を驚かしているのではないので当たらない。
また他にも、ヤンキーやその筋の人が怒声を浴びせかけたり、室伏広治福原愛ちゃんのように気合いとも勝鬨ともつかない雄叫び(愛ちゃんの場合は雌叫びというのか?)も息は吐くが、宮里藍ちゃんの最近の活躍は息を飲むほどである。

この状況で静寂を作っている流石の動静に息を潜め見守る。

『ねぇ、何でそんなこと言うの?』と独り言のように言葉がこぼれる。

その言葉のか細さに、「追いつめすぎたかな?」と罪悪感を感じる、私。
確かに口は立つものの、所詮、女性の論理であり、客観性と真理を突いた男の論理には敵わないものである。
ましてや、私は作家である。言葉のスペシャリストである。
「少々大人げないことをしてしまったかな」と謙虚な私は考え始めた。
女の論理とは違い、逃げ道を作ってやるのが男の論理である。その逃げ道を導きたい方向へ持ってゆくのが賢明な対応術である。
賢明な私は導きたい方向へと誘い水を打った。
こういう時の常套手段は、自分も相手と同じ立場までへりくだってやることである。

『まあさぁ、オレも至らないところはあるんだけど・・・』
『至らなさ過ぎだわ・・・』と流石。

『へっ?!』と私がひるんだところに彼女は続けた。
『あなた、今更何言ってるの?』
『えっ、何が?』
『何がじゃないわよ・・・!物心ついてないんじゃないの?!』
『・・・』
『呆れて物も言えないわ、何が権利よ・・・!』
『・・・、いや自由っていうのはひとつの権利で・・・』
『あなた法学部出身でしょ?!』
『・・・、そうだよ。だから・・・』
『何習ってきてんの?!』
『・・・、いや、だから・・・』
『権利の主張は義務を遂行してから言いなさい!』

そう言い放つと一気に杯を空ける流石。
私と目の合ったオヤジさんは、黙ってうなずいていた。


2005年4月17日(日

自由主義の欠陥とその方向性

やはり恐れていたことが起こってしまった。
このことに関しては、世の中でたぶん私が一番最初に警鐘を鳴らしていたと自負する。
いわゆる「想定の範囲内」であるのだが、由々しき問題である。
幸いにも、このことについて気がついているのが私だけというのが救いといえば救いであるが、薄々感づいている人々のためにも、また何の危機感も感じないまま権力者に利用されて生活している人々、果ては未就学ながら暗雲立ちこめる将来を担わなければならない子供たちのためにも、勇気を振り絞ってここで発言しておきたい!

もうエッセイを書くネタに尽きてしまったのである。
これ以上1字たりとも文章が書けなくなってしまったのである。
というより、書く意欲が殺がれてしまったのである。

エッセイを書くたびに、「長い!」「あなたは本当に台本を書いている人なのですか?」「書いたものを発表するに値しない人ではないのか!?」などと、書いた内容に関してはかなりの評価をメールでいただくが、最近では「クリックするたび更新されていないのは何故か?」「私のクリック分のカウンターを返還してほしい」「中国、韓国での反日デモについてはどう思うか?」など、エッセイの内容とは直接関係のない要望にも近い励ましのメールをいただく。

ここで告白すると、古の文豪がそうであったように、読者の期待に反して私は行き詰まりを感じていたのである。

このことは、このエッセイを担当した初稿の時点で記述済みである。
このエッセイを書き出すときから予見していたことなのである。第二稿目には、具体的に予知している。
こんなことなら、作家でなく占い師になれば良かったと自分の先見性を疑ってしまう。

最近の私はというと、抱えている作業が多く(娘のお弁当の準備→朝食の支度→娘を学校に送る→朝食を摂り→家内を起こし→家内に朝食を与え→家内を見送り→二度寝→昼食を摂り→メールチェック→掃除(同時に洗濯)→ビデオ鑑賞→昼寝→夕食の準備→洗濯物の整理→娘を迎えに行き→娘に夕食を与え→娘を習い事に送り→稽古に向かい→流石に怒られ→稽古後飲みに行き(ひとりで小料理屋)→帰宅後家内に叱られ→やらなければならない仕事の確認中→書斎でうたた寝→娘のお弁当の準備というのが通常、たまにイレギュラーでTV鑑賞が入ったりする)
自由に思いを巡らす時間があまりにも少なすぎるのである。これでは創作しろというほうが酷である。

おまけに7月公演の台本を早く挙げろと言う。
どこに原稿を書く時間があるというのか?
私にも生活があるのである。(かなり自由は制約されているが・・・)
その数少ない自由を奪う権利が誰にあるのだろう?!

この自由とは、のんべんだらりんとした「free」という意味の自由ではなく、権力より勝ち得た「liberty」という意味の自由である。
その自由とは権利である!
その勝ち得た自由という権利を今更どうして剥奪しようというのか・・・!

私の回りにいる権力者(私以外の人間)に真っ向からぶつかるほど、私は愚かな人間ではない。
力と力の争いは悲劇を産むだけである。(本気になった時の私の力に、ひれ伏す者は誰もいないと思われる)
そこで、マホトマ・ガンジーアウン・サン・スー・チーよろしく「非暴力・不服従」の精神で闘うことにした。

どんな理不尽な扱いを受けても、ただじっと自由という権利を認めてもらうべく耐え続ける作戦を執ることにした。
その手始めとして、ネタが尽きたという大義名分で、エッセイの断筆を思い立ったのである!
今後の様子は逐次、このエッセイで報告してゆきたい。


2005年4月14日(木

最新医療が人に与える影響

先日、家内が2本目のインプラントを入れた。
以前、家内がインプラント手術を受けたことは書いたが前回のインプラントは奥歯であった。

戻って内容を確認するのが面倒くさい人のために説明すると、インプラントとは歯茎を切り裂き、アゴの骨に強引にメスネジを埋め込み、オスネジのついた人工の歯をねじ込む手術である。

家内はアゴが小さいため、アゴの骨を増殖する手術も平行して行われた。(近代医学では骨も増殖できるらしい)
その結果、見事に骨は増殖し、数日後、こぶとりじいさんの如くアゴは腫れ上がった。(ちょっとうれしかった)
家内は「元に戻らないかもしれない」という不安から美容整形のパンフレットを請求したくらいである。
その後、私の期待とは反して腫れは引き、家内は問題なく生活を送っている。

そして、2本目のインプラントである。
しかも今回は前歯である。

以前より私の友人であるその歯科医は、前歯は奥歯より難しいと言っていた。
その理由として、前歯は抜いたまま放置することが出来ず、土台が安定していない状態(歯肉が土台を覆っていない状態)で仮歯を入れなければいけないからとのことであった。また、安定するには奥歯の2倍の日数を要すことや埋め込む金属の長さ、そして腫れや痛みも奥歯の比ではないとのこと。(何故か私の心は弾んだ)

前回は手術に1時間半ほどかかったようだが、何故か今回は30分ほどで終わったらしい。
予定していた時間より早く家内から電話があった。
『今回はその道の権威の先生がやってくれたから、すぐ終わった』

猿の惑星のようにはなっていないか、痛みはないのか、失敗だったのではないか、何度も尋ねたが家内はケロッとした様子であった。
「しかし以前のように数日経って腫れ上がる可能性もある!」、「今は麻酔が効いているだけで痛みは数時間後くらいにやって来る!少なくとも帰宅した頃には苦痛に顔が歪んでいるに違いない!」と私は自分を慰めた。

帰宅してきた家内は平静で、嫌がる私に『どんな痛みも分け合わなきゃ!』と術後の歯茎を見せる。
私は男性であるためか血が弱い。
歯医者に行き、歯石を取ってもらい、ウガイをした時ペロッと出てくる歯石交じりの血を見るだけでもフラ〜ッとくるタイプである。
家内の行動はサディスティックそのものである。

『大丈夫、もう歯が入ってるんだから・・・!』という言葉でチラッと家内の口元を見る。
歯茎に損傷は見えない。
『ほらね、大丈夫でしょ?抜いてもらった穴に直接金具を埋め込んだから、切開は必要なかったの・・・!』
それはそうかもしれないが、歯を抜いた後というのは傷口である。その傷口に金具をドリルでねじ込んだ状況を想像して、フラ〜ッと来た。

『でもまた腫れるんでしょう?』と願いにも近い思いで尋ねたところ、『骨を増殖させない代わりに、3cmくらいの長めの金具を入れたみたい』と答える家内。
私は卒倒寸前に陥った。

『3cmっていったら・・・』
『鼻の真ん中くらいかなぁ・・・?』
自分の鼻周辺が痛みだした。
全くもって自分が具合悪くなった。
その様子を見て笑みをこぼす、家内。確実に私の弱点を突いてきている。

しかし、微笑んだ口元からこぼれる彼女の仮歯はやや斜めを向いているのを見つける。
俄然、元気になる私。
その旨を家内に伝えると、『あと5mm違う位置に金具を打ちたかったらしいけどね』とのこと。
またリアルな想像をしてしまい、戦慄が走る。
『でも、大丈夫、本歯で調整するみたいだから・・・!』

何故か敗北感を感じた。


2005年4月11日(月

演劇の今後と独裁国家

昨夜はワークショップの打ち上げということもあり吉岡ふみお(アクセント)湯屋敦子(劇団昴)といった芝居仲間と久しぶりに語らった。
一線で活躍している吉岡と湯屋の近況や過去の思い出話、果ては今後の演劇界などとさまざまな方向に話は飛んだ。

そこで、日頃テレビなどでドラマを観ているにも関わらず世間の演劇人に対する評価はかなり低いという議題が持ち上がった。
それでも湯屋などは俳優のみならず、外画・アニメなどで声を出している売れっ子なため、演劇界のイメージアップにはかなり貢献している。そのためか、彼女に対する評価も高くイメージ的にも良い感じである。

しかし、純粋に演劇を続け、日夜、演劇のイメージアップを図っているにも関わらず、私のイメージは一向に良くならない。
それは私に対する周囲の連中の態度から判断しても、演劇人が低く見られているとしか考えられない。(私など演劇人からも低く見られる)
こう書くと、「お前が低く見られるのは演劇をやっているせいじゃないだろう」と思われるかもしれない。たしかに周囲の連中に見る目がないのも原因のひとつだろう。しかし、それ以上に演劇に対する世間の目が厳しいことが原因になっていると思う。

演劇に対する一般の不信感は根強い。
それは演劇に興味を持っている人でも、私と5分も話をすると『そういうのが演劇なんですか?』と不信感をあらわにする。
演劇に興味を持っている人でもすぐさま不信感を抱けるほどである。

演劇とは日常(もしくは過去)の断片を切り取り、直接もしくは間接的に感情、文化、社会、思想を表現することにより人間としての情操感を刺激するアカデミックな産物にも関わらず、世間の目は冷たい。
「芝居がかってる」とか、「お芝居じゃないんだから・・・!」など、演劇をつかった形容は批判的なものが多い。

これは日本の教育制度にも問題がある。
先進国で国立大学に演劇科がないのは日本くらいである。演劇は紛れもなく民間の手に委ねられている。(私立大学や養成所など)
ロシアなどは国家公務員、イギリスなどは称号が与えられているくらいなのにである。

「河原乞食(かわらこじき)」とさげすまされてきた能・狂言・歌舞伎などの芸能も現在では地位を確立しているにも関わらず、その本質的にさげすんだ見方というのは今も変わらず残っているのである。そのあたりも、庶民から生まれる文化を否定する、日本の管理的なお上体質が覗かれる。「加工の日本」と言われるが、オリジナリティーに欠ける国民性もこの文化に関して無頓着な体質が起因しているのではないかと思われる。

芸団協(日本芸能実演家団体協議会)なる社団法人より芸術に対する補助金が国家予算の中から出資されているようだが、そのほとんどが歴史的に苦労され現在その地位を確立した伝統芸能や外国の作品をコピーしたバレエやミュージカルに持っていかれる。もっと言えば、その運営機関に参加している団体中心に振り分けられている。これでは新しいタイプの創作が日の目を見る機会は望めそうにもない。地道な活動を余儀なくされる。

だからと言って金がほしいのではない。
うちの劇団も地道な運営で13年もの間やってきた。
しかし、その長い道のりで失ったものもたくさんある。「あの役者がいれば、もっと早くブレイクできた」、「あの役者が辞めたから、動員が減った」など、痛手も多い。そのほどんどは生活苦である。
昼間働き、夜稽古。
役者の労働力は大変なものである。
使いもしない豪華な公共施設を作ったり、また使わないからと取り潰し別の施設を改築したりといったところに予算を使うのではなく
箱(劇場)に対応できるソフトを育てるところに予算を費やせないものだろうか?
せめて、そういった対応策は考えてもらえないものだろうかと考えるのである。

目に見えないものに金を出し渋るこの国の行く末は、まさに我が家と同じ運命をたどるに違いない。
勤労の果てに金を吸い上げられ、目を疑うほどの高価な衣服や装飾品で飾った人物から命令され、事後報告的なルールを押し付けられ、何の意見も聞き入れてもらえない(これは現場でも一緒)うえ、涙ほどの小遣いで自由にしても良いとまやかしの民主主義をうたっている、事実上の独裁国家(うちの場合、家内が元首である)。

演劇に対する評価の低さは、こういった目に見えないものに投資しない官僚的体質に問題があるではと訴えたい。
つまりは私が低く見られる原因もここにあるのではと・・・。
外見が日本人離れしているとか、ホラばっかり言っているとか、忙しくなると居留守や仮病を使ったりするといった末梢的なことが原因なのではなく、演劇に対する日本の官僚的体質自体に問題があるに違いない。

しかし、大切なことは問題点を浮き彫りにすることだけではなく、その現状を如何に改善するかということである。
独裁国家を相手にひとり論じても大した効果はないのは判っている。現状を改善するためには、やはり地道な活動である。
とりあえず、買い物の際、釣り銭を少々(1、2円ほど。なければくずしてもらう)誤魔化すことからやってみようと決心した。


2005年4月4日(月

春季ワークショップ開講!

本日より春季ワークショップ開講である。
主だった講師は久世恭弘吉岡ふみお(アクセント)湯屋敦子(劇団昴)山中誠也(劇団昴)となっている。
我々は演劇で生業をひさいでいる者であるから、演じるとはどういうものなのか、何をどう感じて演じるのか、台本の読み方とは、といった内容を一線で活躍している役者を講師に迎えてワークショップを開催している。(何故か私は講師として声が掛からない)

しかしである。
受講生には声優希望者がやたらと多い。
ひとつには声優養成所で、「声優も演技ができなければいけない!」と教えられるからである。
確かに声優養成所でも卒業公演とかいって一本の芝居を作り上げ、査定の対象としているが、そんなに「声優も演技ができなければ!」と言っているのであれば、演技の授業を増やすべきである。実際に声優といっても、その表現内容は広く、アニメ、外画、ナレーションと多岐に渡り、全く違った表現方法が用いられている。
基本的な内容だけ教えて、あとはあなたのセンス次第!、と養成所から放り投げられるのである。(下手でも可愛い子、下手でも格好良い男子、特出した才能を持った人はキープ・斡旋される)

これは当然のことといえば当然のことである。確かにセンスは命である。学ぶべきものも百の稽古より一の現場から得られる場合が多い。
しかし、養成所というのであればしっかり養成してもらいたいものである。高い授業料を貪り、一般的な知識だけ垂れ流し、お茶を濁す程度の実地研修では学ぶほうも何を学んでいいのか判らず、個人的なアドバイスもよっぽど気に入られた者しか得られない。出来なければ、捨てられるというのがオチである。(現に、卒業後合格するであろう人物は入所した時点で決まっている場合が多い)

卒業を機に野に放り出された人間は、いち早くその絡繰りに気づき、己を自己分析し、足りないものを補い長けている部分を伸ばすことに専念するのが得策と思われる。そこを勘違いし、養成所回りをしたりワークショップ巡りをしても意味がないのである。学びバカというが、学ぶことで満足する人種がいるのも確かである。養成所のシステムにも問題があるが、受講者の心構えが最も大切な部分なのではないかと思う。

うちのワークショップを受講する者で、うちの芝居を観たこともない人が実に多い。
この劇団がどういった演技をしているのか、知らないで受講しているのである。
私どもは彼らをチャレンジャーと言う。
提供している内容は、もちろんどの表現にも有効なものではあるのだが、その受講者の心構えたるもの如何なものであろうか?

工学院で講師をしている山中がいるから?劇団で主演を演じながら、声優としてアニメから外画までこなす湯屋がいるから?アクセントというナレーター事務所に所属している吉岡がいるから?昨年末骨折して以降かなり太りだした久世がいるから?
彼らから何かしら学ぶものはあるにしろ、
どういった動機でワークショップを受講しているのか判らない。
ワークショップに必要な書類を送る際、公演のチラシも同封しているにも関わらず観たことのない人が多すぎる。
その時点で、その人の考え方の浅さが感じられる。

もちろん、そんな人ばかりではない。
一線で活躍しているにも関わらず、バレエ教室の基礎クラスでバーレッスンを欠かさない前田美波里よろしく、前回出演してもらった徳光由禾など声優としてはレギュラーを持ち、一線で活躍してるにも関わらずワークショップを受けスキルアップに努めている者もいる。
この温度差たるは何ぞやと言いたくなるのである。

表現するということは限りなく孤独な闘いであり、自己との闘いである。
キリストの「神は自ら救うものを救う」にあるように、求めていない者に与えても全く意味がないのである。水分たっぷりのスポンジに水を与えても受け入れないのと同じである。
動機を含め、外に何かを求めるのではなく、自分の心に刃を向け、自分としっかり対峙するところに活路が見出されるはずである。
これを思い違いすると、私のような人間になってしまうのである。


2005年4月1日(木

今日は何の日?

今日は何の日かご存知であろうか?
全国的に、いや、世界的にもそのセンスが問われる日であるのをご存知であろうか?
何を隠そう、私の誕生日なのである。

日頃お付き合いのある関係者(劇団、家族を除く)から友人、そして海外生活時代の幼なじみから趣向を凝らしたプレゼントやメールが届く。
今年も個性あふれる贈り物が届けられた。
カード、メール系のものであれば、メッセージが暗号形式になってメール、ウィルスを積んだメール(私はマックなのでヘッチャラである)、怪文書。
贈り物であれば、タラバガニと書かれてあるアブラガニ、「文章の書き方」と題した本、バレンタインと書かれたチョコレート、鮭をくわえた熊の置物、海外からはヤシの実で作られたパイプをくわえた猿など挙げれば切りがない。

しかし、今年はいつもと違った。

例年であれば、ひっきりなしに届く贈り物に家内が気づき、慌てて私へのプレゼントを準備する。
昨年は電子レンジ、一昨年は洗濯機、その前は冷蔵庫であった。しかも最新のものである。私の労を少しでも減らしてあげたいという彼女なりの気遣いだと家内は言っている。
料理好きの娘は、手作りのスイーツが定番である。
昨年は砂糖と塩を間違え、茶わん蒸しのようなプリン。一昨年は小麦粉を入れてしまったため、高野豆腐のような食感のチーズケーキ(噛めば酸っぱめの汁も出る)、その前は小麦粉と上新粉の区別もつかなかったため、せんべいのように固いクッキー。娘のためにもすべて平らげる。

しかし、今年は違ったのである。

家内は私個人にしか還元できないであろう、5足セットの靴下を買ってきた。
娘は、失敗したかもしれないと言いながらホットケーキミックスでホットケーキを作ってくれた。(懐かしくもあり今までで一番美味かった)
我が目を疑った。

しかもである!

こともあろうか、劇団員からもプレゼントをいただいた。
たまたま前回公演の反省会と重なったためではあろうが、今までで初めてである。(私の誕生日を知らないのかと思っていた)
しかも「THE STAFF」という、演劇界ではバイブルとも言われているお芝居の入門書である。
劇団員の熱意と私に対する期待を強く感じた。

「もしかして、オレって長くないのかなぁ・・・」
あまりの感動的衝撃に我が身を案じてしまった。
しかし、例え余命が少なくとも、家族、そして劇団員のために尽力する余生を送りたいと強く心に誓ったのであった。

みんな、本当にありがとう!!


2005年3月30日(火

事の顛末・・・2

このエッセイは、「内容に関しましては、当劇団とは一切関係ありませんのでご了承ください!」とトップページに書かれている割りには、
私の原稿は流石の厳しい検閲下に置かれている。
(誤字脱字は訂正され、誹謗中傷の類いは一切カット《本当はここが書きたい・・・》、文体の統一から発表するタイミングまで、すべて書き直され、私が読んでみてもとても私が書いた内容とは思われないくらい上手くまとめられている)

これでは、普段発表しているうちの新作台本と同じである。
それではいけないと彼女自身も思ったのだろう、このエッセイに字数制限まで導入された。

故に思いの叫を認めた論文ほどの分量を《事の顛末・・・2》という形で分断された。
作家としては断腸の思いである。

ここで本題にうつる。
全体の1/3を残し、本番初日を迎えたわけだが、後は芝居に集中すべく客席も作り上げ、掃除も済ませ、残す場当たりとゲネプロに挑むことになった。場当たりを1/3だけ残すものの、本番を含めれば一日に2と1/3回の通しをやるわけである。
役者は仕込みから本番までを2日でこなさなければならないスケジュール。これは過酷である。
疲れもピークに達しているうえ、かなりナーバスになる。
また、実寸で演じるのも昨日と今日の2日のみである。その間に空間把握を行わなければならず、普段の稽古の癖が邪魔する。
タイミングが合わない。
舞台上の見切れの問題で、立ち位置の変更が入る。
器用でない役者は戸惑い、体得するまでに時間が掛かる。
演出も疲れのピークに達しているものの、気合いを注入するため、怒号が増える。
その度に、進行が妨げられ張りつめた嫌な雰囲気が漂う。
誰もが祈るような思いで、残りの場当たりを進行する。

私の出番が来た。
後半の7分であるが、実質は3つのセリフを言うのみ。しかも、どれも2行にも満たない。ひと息セリフ3発である。
制作部長役なため、あとはむずかしい、厳しい表情で立っていれば終わりである。
そして、大ラス前に先日レコ録りした、まあ他人から言わせればバス・バリの渋い声が作品をググッと引き締めると、こういう予定である。

その前が生放送中という設定で登場人物が多いため、タイミングが合わず、何度も音響との確認が取られている。
演出の久世恭弘も私に気を遣っているのだろう、私のセリフ前を何度もタイミングを取っている。
私の1発目のセリフまで進行した。
『お前、何がやりたいんだ?!』というセリフを『お前、一体、何がやりたいんだ?!』と言った。
これはもちろん、言い間違えではない。「一体」というセリフを入れることにより、全体的な疑問を強くしたかったのである。
久世も私の試みを納得したのか、ダメも出ずスルーした。

その後、難しいキッカケもなく2発目の『とんだ茶番だな・・・!』が来た。
これだけのセリフでNGが出るはずもなく、スルー。

そして、3発目、『たったこれだけのことを見せるために、俺をわざわざここに呼んだのか?!』のセリフの時、「ここに」というセリフを言い逃した。「ヤベッ!」と思ったが、気合い充分だったのであろう、何の咎めもなかった。
私の持ち場はオール・スルーであった。

あとは暗転を待ち、先日収録したレコに酔いながら、カーテンコールで出るのみである。
先日録音したレコが暗転中に響く。
「うん?オレってこんな声してたっけ?」と思った。自分の録音した声が他人のように聞える(緊張のあまり、自分の耳で聞けず、頭がい骨に共鳴している音のみで判断しているため)というのは素人にありがちなことなのだが、私クラスになると自分の声はしっかり自分の耳で聞けるはずである。、
同じバス・バリではあるが、難文のところがスムーズに言われており、私よりやや張りがある感じの声である。
どうしても自分の声とは思えなかった。

場当たり後、ゲネプロをするには休憩時間もないことが判明。ダメ出しもなしで、ゲネプロに突入。役者を含めた劇団関係者もカリカリしているため、さりげなく音響に『大ラスのレコ、リバーブ入ってるんですかねぇ?』と聞いてみる。
『はいっ!』自分も確認事項と準備があるから話しかけるな!と言わんばかりに言い捨てられた。

トボトボしていると『ゲネ終わったら、すぐ客入れだからパンフ配って!』と流石に席に置くパンフを渡された。
ちょうどチラシを置き終わった頃、ゲネプロが決行された。

流石の言っていた通り、ゲネプロ終了と共に客入れの時間となった。
久世も台本を持って、役者にダメを言い回っている。
先のゲネプロの際のレコもやはり気になっていた。いくらリバーブを効かせているとはいえ、どうしても自分の声とは思えず、気持ちが悪い。
出番の遅い私と温度差が違う他の役者は皆慌ただしくしている。

所在なく楽屋の隅に邪魔にならないよう佇んでいると、久世恭弘と書かれた鏡前を発見。
そういえばと思い、自分の鏡前をさがしてみたがどこにも沢村紀行の札は見つからない。
『もしかして・・・?』と思った瞬間。
『沢村さん、ただでさえ狭い楽屋なんですから出ていってもらえませんかね?!』と木内友三が・・・。
『いや、オレ・・・』
『指示は外の流石さんに仰いでください!ちょっと、すいません・・・』と楽屋から追い出された。

受付対応している流石に、『あの、オレ・・・』
『今、接客中!(ほとんどドスに近い)・・・、いらっしゃいませ・・・!(猫撫声)』

初日は慌ただしいものである。あの機転の利かないらっこ(旧姓:里村仁士《今公演よりらっこに改名》)も客入れをしている。
『いらっさいせ〜』とまともな挨拶も言えず、噛んでいる。
せめても、客入れを手伝おうと『らっこ、オレが客入れするから・・・!』と言うと、『沢村さん何言うか判らないんで結構です!』と
あのらっこに言われてしまった。

お客の切れ目に『もう用終わったんでしょう?!受付も狭いんだから、どっか行ってないさいよ・・・!』と流石に言われる。
『オレ、エッセイに出演するって書いちゃったよ?!』
『それあなたの勘違いでしょう?誰が出演って言った?』
『だって、レコ撮り・・・』
『あれは久世君が尺確認したかったから入れさせただけでしょ!ちゃんと後で1テイクで録ってたし・・・』
『でも、エッセイに書いちゃったからお客さん楽しみに・・・』
『するわけないでしょ?!あなたの出演が楽しみで観に来たってアンケートに書いた人がいたら、私、あなたに土下座するわよ!』
『そんな問題じゃなくて、エッセイに書いたんだから信用問題に・・・』
『なるわけないでしょ!誰があなたの書いた内容なんて信用するのよ!・・・、いらっしゃいませ〜・・・!(猫撫声)邪魔!(ドス)』

《久々の出演決定!》を読み返してみた。
確かに出演依頼はされていない。私は巧妙に素人扱いされていたのである。(アンダースタディーというよりスタンドインに近いし・・・)
現に、終演後私の出演を期待していた旨のアンケートは1枚もなかった。(それは隠しリンクのせいだと思う)
ただ、私の耳だけは健在だったと再発見できただけでも良いか・・・。


2005年3月29日(月

事の顛末・・・

この1週間、劇団が公演だからといって手を抜いていたわけではない。
逆に私が出演ということで公演を楽しみにされていた方にも説明しなければならないことがあったため、私はむしろ書きたいくらいであった。
しかし、この文章は流石が管理しているため、私の思うタイミングで発表されることがないのである。
(彼女が思うタイミングでも原稿が来ないため発表できないが・・・)
その事の顛末の一部始終をここに書き綴ることにする・・・。

すべては劇場入りの日から始まった。
劇場入りする場合、つまり仕込みの日には演出家というのは邪魔なだけで、ほとんどの場合全体のセットが立ち上がった後、微妙な立て位置
などを確認する頃、登場するのが定石である。
しかし、今回は出演するということもあり他の役者と同様、仕込みの日から劇場入りしてみた。
何故なら、一日仕込みというハードな環境での公演だったため、ひとりでも手伝いがいたほうが何かと便利だと思われたからである。

十何年か振りにナグリを持ち、身体全身を汗まみれにし、『ああ、そこ邪魔!』とか、『こっちいいから、あっち手伝って!』とか、
『手空きの人、ちょっと相手してやって!』など、声を張り上げる舞監のボブ・斎藤や久世恭弘拓巳匡丞のいいなりになっていた。
どこへ行っても邪魔にしかならないようだが、その度に移動。それだけでもすっかり汗をかいてしまった。(冷や汗も含む)

揚げ句に木内友三から、『すいません、お弁当発注したいので人数かぞえてもらえますか?』と女、子供でもできる仕事が回ってきた。
普段仕込みにいないので、これほどの仕事しか回ってこないということではない。お弁当の発注こそ、疲れたキャスト・スタッフが唯一憩える瞬間。もちろん大事な仕事である。全員の数を漏らさず数え(失敗の無いよう、3回も数え直した)、ミッション・コンプリートである。

その後も釘を拾ったり、箒で汚れたところを掃いたりとよく働いた。(ボブから『そんなことは今しなくていいから、そこ退いて!』と言われながらである)

時間がないため、各チームに仕切れる人を残し、3チーム、3交代で食事を摂る。
私は気を効かせて、最後に食事を摂るチームと共によく働いた。(何度も『いいから飯喰ってきなよ』と言われ続けながらである)
最後のチームの食事時間がやって来た。「これだけ働けば、それなりに存在を認めてくれるだろう」と久世と拓巳の側に陣取ると、食事をしながら、その後の進行の打ち合わせなどしている。とても口を挟めない。
どうやら進行がオンタイムで進んでいるらしく、場当たりまでできそうな雰囲気のようだ。その段取りの確認をしているのである。

「そらみろ、今日オレが来ていて良かったろう!場当たりまで突入するなら、日高役がいなければ完全な場当たりは無理だ!やはり、オレには先見の明があったろう!」と目で訴えた。

『ちょっと沢村さん、お弁当いくつ頼んだ?』と流石がすごい剣幕で楽屋にやって来た。
『27個だけど・・・、足りなかった?』
『多いのよ!てか、なんであんたが食べてんのよ?!』
『へ?!だって、今日手伝い来てるんだし・・・』
『頼んでないでしょう?!勝手にきてるだから、予算に入ってないわよ!』
『じゃあ、いいよ。自分の分は払うから・・・』
『てか、あなた除いても2個多いのよ?!』
確認のため、食事を中座し、誰をカウントに入れたか楽屋を出された。

ちょうど劇場内に入った時、劇場事務所からふたりの女性が出てきた。
『それじゃあ、よろしくお願いします』
『詳しい公演情報が決定しましたら、ご連絡ください』
何も言わずとも、流石は私の目の奥ののぞき込むと全てを察知した。
『あの2人分もよろしくお願いします!』
『でも、誰が誰って判る訳ない・・・』
『ガキの使い以下ね・・・!』吐き捨て、その場を立ち去る流石。
そうだったのである。事務所に申込みに来ていた他の劇団の方と劇場の方も数に入れてしまっていたのである。

3つもお弁当は食べきらないので、劇場の方にお弁当を差し上げに行った。主催側が劇場の方にお弁当を出すなんて素敵なことである。
もちろん劇場の方も喜んだ。
ついでにその場にいた、今まさに帰ろうとしている他の劇団の方にも弁当を差し上げた。
『えっ?!』という反応が帰ってきた。
近くにいた受付周りの作業をしている団員も呆れ顔で首を捻っていた。
『お時間あったら、観に来て下さい』と宣伝もした。
他の劇団の方は戸惑いながらも、『頑張って下さい』と一言残し帰って行った。
その近くにいた、受付周りの団員は関係者ではない振りをしている者もいた。(元劇団員でお手伝いに来ている山本百花などがそれである)
『オレのポケットマネーをどう使おうと勝手だろ・・・!』の一言に誰も言葉を返す者はいなかった。
未熟な劇団員どもに災い転じて福と為しえる私の底力を見せつけることができた。爽快であった。

こうした私の潤滑油的な気遣いが効を奏してか、スケジュールはやや押したものの、場当たりを始めることができた。
あとは舞監ボブの進行の腕前次第である。
何の問題もなければ、下手したら今日中に場当たりが終わってしまうくらいの勢いであった。

後中盤まで、大した転換もなく進行する。
しかし、劇中に一度だけ大きな転換がある。
場当たりをスムーズに行うためにも先に転換の確認をしておこうということになった。

私はその読みは甘いと思ったが、今回はいち役者で出演するということと、船頭(指示する人)が多いと役者が混乱する事を長年の経験で知っているため、事の顛末を見守ることにした。

段取りを決め、明るい中、転換をしてみる。
初めての転換のため、ドタバタとうるさい。だが、2度目の転換でほぼ安定した。
今度は明かりを消して、実際の進行と絡めて転換してみる。・・・、間に合わず。
失敗するごとに、確認を密にする。結構な時間が経過した。
『集中して!』ボブの怒号が飛ぶ。
気合いも入るが、経験不足の役者にはプレッシャーにしかならない。
次の転換でそのプレッシャーのため、装置が壊れる。
全体の志気も崩れ、装置の修復に残りの時間を費やすということとなる。

こうして場当たりを1/3残し、長い一日が終わった。
こんなことなら、やはり次の日から劇場入りしてれば良かったと思った一日であった。


2005年3月21日(祝

久々の出演決定!

『1週間のご無沙汰でした、玉置宏です・・・』なんてフレーズが浮かんだ。
あれはロッテ歌のアルバムだったろうか・・・。
この1週間、サボっていたのではない。タイトルをず〜っと考えていたのだ。その甲斐あってかひとつは思いついた。「初見学!」という
のが、それである。なかなかシンプルでいいネーミングだ。我ながら気に入っている。
(しかし、後付けのタイトルを色分けしているのは如何なものだろう・・・)

今日は連休の最終日。
この三連休で稽古もさぞ充実したものとなっているだろうと、またも抜き打ちで稽古場を覗きに行ってみた。
歓迎されないと分かっている。(古より特出した人間はいつも逆境を強いられていることを知っているからである)
しかし、私の台本が上演されるわけであるから、その仕上がりを見届ける権利と口を挟む権利くらいはあるのである。
毅然とした態度で稽古場に向かった。

『ちょうどいいところに来た!』という久世恭弘の声と共に、そこにいた役者陣が『おおっ!』と歓声を上げた。
どうやら今日はスタッフも来ているらしく、一見してナレーション録りだということがわかった。
『じゃあ、沢村さん、このセリフ、レコ録りしてください』と拓巳匡丞に台本を渡された。

今回の作品はラジオ局が舞台であるため、ラジオから声が漏れる雰囲気がほしい。そのため、レコーディングを多用している。
レコーディングを必要とする名もなき男性アナウンサー役がオープニングに仕込まれている。
初演は、声がバレていない出演の遅い男性アナウンサー役が兼務していたところだ。そこを兼務させず、名も無きアナウンサーを独立させる
演出を狙ってのことだなと一瞬にして判った。

しかし、アナウンサー役である。
普段、演出する際、映りの悪い役者には私が演じて見せているのだが、その度に『役者もやられたらいいのに・・・!
』と口惜しく言われることがしばしばあるのだが、さすがにアナウンサー役である。私のバスバリの声は、アナウンサーというより声楽家のそれに近く、その聞き心地の
良さは、電話している相手によく寝られるといった事実でも実証されている。(話が長いからという説もある)
『この作品、イメージはAM局なんだよねぇ、俺の声だとクリス・ペプラーみたくFMっぽくなっちゃうんじゃない?』と久世の読みの甘さを
軽く指摘。

『いえ、日高でお願いします!』と軽く冷たい口調で拓巳に一蹴される。

『ひ、日高?!』音域の広いバリトンは、高めの音をとった。
日高というのは、劇中の登場人物で、局の制作部長役。セリフは3つほどしかないが、レコゼリフが3行もあり大ラス前暗転中に聞かせる大切なセリフを持った役である。

『いやいや、日高は久世がやるのが定石でしょう?!』と抵抗した。
『結構キュー出しとか大変なんだよね・・・!』と久世。
『セリフも少ないですし、出番も後半の10分程度ですし・・・!』と拓巳。
『てことは、俺、出演するの?』
『見たい、見たい!』と他の出演者。

しかし、判っている。
こういう場合の「見たい、見たい」は、普段、演出をしている私に「偉そうに役者に演技をつけているが、お前の演技を見せてみろよ!」と
いう意味である。その手には乗らない。
『来週、いくつか〆切があって・・・』に『入りも本番始まってからでいいですし、拘束も10分で結構なんで・・・』と拓巳に続き、流石も『カーテンコールも出なくていいから・・・!実質7分・・・!』
重要な役にも関わらず、対応がゾンザイだ。それが人にものを頼む態度か。

『たまには板に立って、役者側から見てみたら?』と久世が追い撃ちをかける。
『スタッフさんも時間無いんだし・・・!』と殺し文句を吐く流石。
『・・・、解ったよ・・・』と仕方なくマイクの前に立つ。
『おお〜っ・・・!』と割れんばかりの歓声と拍手。
こうして急場を救うのはいつも私の仕事である。

『レベルチェックしたいので、声下さ〜い!』とスタッフ。
軽くセリフを言ってみる。
『いい、ローバリですねぇ・・・。すいません、マイクにタオルお願いしま〜す!』
「ローバリ?あぁ、ハイバリに対してローバリと・・・。でも、正しくはバスバリでしょ?!」などと思いながら、喉の調整をはかる。
『じゃあ、録りまいりましょうか・・・!』とスタッフ。
一瞬、静寂を迎える。

すると、『時間ないから、1テイクでキメてね!』と流石。
これはルール違反である。
競技にうつる一瞬の静寂に発言するのは、心を乱す。
『最長でも4テイクだったから・・・!』と久世も続く。

「他のレコシーンは掛け合いでしょう?俺はピンのレコ録りだよ?!」と言おうと思った瞬間、「はっ、ピンだ!」と意識してしまった。
総勢20名ほどはいるであろう視線が、すべて私に注がれていることに気がついてしまった。
脈が速くなってきた。

「1テイク。最長でも4テイク以内で録り終えないと・・・」
集中を妨げる良からぬことが頭をよぎる。
集中しなければと思えば思うほど、へんな緊張が身体に走る。
おまけに走馬灯のようにいろんなことが思いだされてしまう。
悪循環の構図である。
『1、2、サンバ、2、2、サンバ・・・』
何故か、郷ひろみの「お嫁サンバ」まで浮かんできた。

『それではまいりま〜す!・・・!』スタッフのキューが飛んだ。

「辞表を受理する前に・・・」というセリフが曖昧になった。
辞表の「ジ」と受理の「ジュ」、そしてそれに挟まれた「お」ではない「を」という音がしっかり区別できなかった。
全文を録音する前に大爆笑が起こった。
1テイクの夢と私の権威が消失した。
今回参加してもらっている、声優の徳光由禾が鼻で笑っていた。

3回ほど口を回し、即座に難文をクリアし、気を取り直して2テイク目に入った。
すると今度は、難文に意識がいくあまり、「他局に群を抜いた」というセリフの「グン」のイントネーションが違うと指摘された。
これで、難文と群のふたつを気にしなくてはならなくなった。やっかいである。
口を回してみた。しかし、気にすればするほど、ヘンなアクセントになる。
稽古場はツボにはまったかのごとく大爆笑。
私のミスった言い回しを真似する役者も出てくる。

私がトチルと異常に盛り上がる、この稽古場の雰囲気が大嫌いだ。
しかし、この思いも集中を妨げる要因となっている。
「この雰囲気にのまれてはいけない!いいイメージを・・・!」と瞬時に過去にあった良いイメージを取り込もうと努力を図った。
初恋、大学受験合格、初めてのオーロラ、モスクワ空港で偶然、その当時はまだ知人であった家内に再会したこと・・・。
ここで家内の顔が浮かんだ。
目が覚めたように冷静になれた。

結果、ギリギリ4テイクで録音は終わった。

レコ録りですっかり疲弊してしまったため、稽古終わりを待たずして帰路についた。
「出演かぁ・・・」
複雑な心境である。
「でもこれは、劇団側からの一方的な悪いイメージだけではく、私がいかなるな人物であるか、広く世間に審判をあおいでもらえるチャンス
かもしれない・・・」
私をまだ見たことのない方、今回劇場にお越しいただくと私をご覧いただけます!
そして、その心眼をもって私をご覧いただければ幸いでございます・・・!

得も言えぬ何かに突き動かされている自分に気づくのであった。


2005年3月14日(月

真っ白になった日

このコーナーを担当してからちょうど1ヶ月が経った。
ということは、世間ではホワイトデーある。

ホワイトデーとは、誰がどういうつもりでつけたネーミングなのだろう?!
お菓子屋さんの戦略だろうとは類推できるが、何故、ホワイト?と思ってしまう。
バレンタインに対してホワイト?しかもバレンタインデーは、『今日はバレンタインだから!』とか『今年のバレンタインは・・・』というのは聞くが、『来週、ホワイトだから・・・』とか『ホワイト・クッキー』などとは聞いたことがない。
どういうセンスでこのような名付けになったのだろう?
やはり、真っ白に澄み切った気持ち、というニュアンスであろうか?
名前の付け方には細心の注意が必要である。

我が家ではバレンタインデーは忘れられていてもホワイトデーを忘れてはいけないのがしきたりである。
我が家にはふたりの女性がいるが、いちいち対応していると時間も身体も金ももたなくなってしまうので、例年、旅行をプレゼントすることにしている。娘も春休みに入る時期なのでタイムリーなのである。
しかし、今年は危なかった。
先週も親子(母と娘)で温泉旅行に行っていたため渋られる可能性があった。こんな時は海外である。

常日頃、目先の事(物)しか追わない家内と違い、私の視野は次回公演、来年度のスケジュールと常に先にある。
先週、温泉から帰ってきた家内と娘の前で、一昨年から始めたボディーボードなど取り出し、手入れしているところを見せることにより、
これ見よがしに来るべき春、そして夏の雰囲気を演出していたのであった。そして、数日後・・・。

『今年のホワイトデーはハワイとかにしてみる?』と一言。
英会話スクールに通っている娘が飛び付かないはずはなかった。もちろん、家内の頭には免税店がよぎったに違いない。
少しは申し訳なく思ったのか、『パパは行かないの?』と家内が聞いてきた。
一緒に旅行したが最後、やることなすこと責められ、たかられるのが目に見えているため、『本番1週間前だし・・・』と嫌っておいた。
『せっかく海外行くのにねぇ・・・』と家内も残念がっているフリはしていたが、声は弾んでいた。
大成功であった。
下手に国内旅行するよりも安くつくのも好都合であるうえ、同行せずすむためたかられる心配もない。
私にとっても、のんびりできる貴重な時間である。
真っ白に澄み切った気持ちになれた。きっと、ホワイトデーのニュアンスはこれに違いないと確信した。

何をしようかしばし考えた。
部屋の掃除から始めた。誰に気を使うことなく思いっきり掃除ができるのは、几帳面な私には最高のストレス発散である。
(家内が機嫌が悪い時掃除をしようものなら、『あなた、それ嫌みなの?!』と責められる)
「掃除が済んだら、男の料理を作ろう!思いっきりいろんな材料を買い込んで手の込んだ料理が作りたい!」とわくわくしながら足取りも軽く洗濯物を干そうとテラスに向かおうとしていた時である、流石から電話があった。

今、気分的に絶好調だからコーナー発足1ヶ月記念に今日は原稿送る。いいものが書けそうと告げたところ、『ねぇ、そろそろ気づかない?』と言われた。『1ヶ月書く練習してて気づくことはない?』

『書く量が増えて、目が疲れやすくなったかなぁ・・・』と、この1ヶ月を振り返り遠慮がちに恩をきせてみた。
『それは、年のせいよ!そうじゃなくって、原稿の形態よ!』

皆目見当がつかなかった。
誤字脱字は訂正してくれているし、私が本当に訴えたい(文句、中傷のたぐい)部分は割愛されているし、私の元の文章を人様が読めるように流石がしてくれていると感心していたくらいである。
だから、『問題があるとしたら、君じゃないか?』と問うてみた。

『あなたがいつになったら気づくかと待ってたけど、これ以上はマズイと思うから言うけど、題がないのよね!』
『ダイ?!』
『タイトルよ、タイトル!』

しばし考えてみた。
しかし、かねてから(公演作品もそうだが)私的には、逆にタイトルとかは必要なのかなと思っているくらいである。
現に、うちの作品もチラシの関係上、タイトルから先に決まる。(本が挙がるのが遅いからという説もある)
作家によって違うのであろうが、全部作品が書き挙がってからタイトルをつける人もいる。そのくらい名前をつけるのは難しいものである。
自分の子供の名前を決めるだけでもどれだけのエネルギーを費やすことか・・・!
メールでも「件名」とかあるが、名前とか入れている人もいるし、いちいち題をつけるほどの内容じゃない場合、かえって邪魔に思えるくらいである。(と考えるのは私だけであろうか?)
そのうえ、タイトルだけではすべては語り尽くせないのである。私自身、題名で作品を見に行ったことはない。(古典は除く)
むしろ、タイトルから類推できる内容の作品であったら、がっかりするくらいである。
うちの団員だって、うちの作品名を全部言える人は数えるくらいである。
苦労して考えた揚げ句、覚えてももらえないなら、いっそタイトルなどなければいいと思っているくらいなのである。
その旨を流石に伝えた。

『何でそんなのがいるの?!』
『題のついてない文章なんてある?!』
『だって、雑文だよ?!』
『だって、日記じゃないんでしょう?!あなたの文章ただでさえ長くて散漫なんだから、タイトルつけてテーマを絞って書く練習しなさい!』
『それはね・・・』
『読み手が混乱するから!』
『・・・』
『とりあえず、今までのも全部タイトルつけないさいよ!』
『えっ?!』
『お姉ちゃんもいないんだし、じっくり考えられるでしょう!宿題だから、宿題!』と一方的に切られた。

洗濯物が重く感じられた。


2005年3月12日(土

初見学!

3月公演本番まで残すところあと10日余り。
先日、苦戦を強いられているとの様子を聞いたが、別ルートで稽古の度飲みに行き、コミュニケーションもバッチリ、
とても和やかな雰囲気で稽古が進められているとの情報が入った。

旗揚げ当初から数年間は「ノルマより高い飲み代」と言われたほど、稽古が終わるたんびに飲みに行っていたものだ。
それはイコール、公演が上手く行く定石のようなもので、公演が成功する予兆でもあるのだ。
以前、稽古の様子を聞いた人間は流石であった。
『もしかして、出し抜かれたか?!』と思い、突然、稽古場に顔を出してみた。

稽古場に行っても劇団員が何の敬意も払ってくれないので、客演さんたちは「はっ?」とか「誰ですか?」とか「キョトン?」という吹き出しを出していた。
『見学でしたら、こちら、どうぞ!』と椅子を勧める高橋忍
その事務的な口調に、客演陣は「ああ、見学の人か・・・!」と和らいだ空気を発した。
座長の阿部有希を中心に誰も紹介してくれないので、『作家の沢村です!』と挨拶をすると、『おおっ!』と客演陣の歓声が上がる。
何故か顔を見合わせている、劇団員。
自己紹介でもしなければ完全に「初老にも関わらず、遅くして芝居に目覚めた、お荷物に最も近い上品な紳士」くらいにしか客演陣は
思わなかったであろう。

『ただの見学ですから、どうぞ・・・!』と進行を促す。
難関と思われていた大団円のシーンもそこそこ形になっている。
「これは毎日飲みに行っているに違いない!」と確信した。
しかし、難ある役者の対処法はクリアされていないと感じた。このままではアラが目立ってしまう。
久世恭弘も演出としては、まだまだだな!」と目線を送る。
が、久世の目線は稽古に注がれていた。

『毎日稽古に入って間もないので、みなさん、慣れてないので疲れてるでしょう。今日はちょっと早いですがここでトリましょう!』と久世。
「来た!こうやって、慰労会と称して飲みに行くのだな!」と踏んだ私は、さっさと退出できるようそそくさと後整理をし始めた。

するとである。
憧憬とも尊敬とも思えるまなざしで私を見る客演陣を尻目に『沢村さん、あの、例のあの文章長いですよ・・・!』と里村仁士
『ああ、そうそう。もっと短くていいんじゃないですか?読むのに時間かかっちゃうし・・・』と木内友三も続く。
私のこのエッセイのことである。

ショックであった。
客演さんの前で顔を潰されることよりも内容に関して否定されたことよりも、劇団内で優劣つけがたい読解力のなさを誇る、この里村・木内のふたりに、とやかく言われたことがショックであった。
しかもふたりの言及している内容が「長いとか短いとか」のレベルである。

『読解力のないお前達には到底理解できないだろうし、そんな奴に読んでもらわなくても結構!』と言い捨て、客演陣の信頼を勝ち得ようと
レギュラー客演してもらっている読書家の三浦麻子に『あさぽん、楽しんでくれてるって言ってたもんね?!』と同期を図る。
すると、『ああ、最近、稽古が忙しいんでちょっと・・・!』と三浦。
「何がちょっとなんだよ?!」と思い、他の読書家らしき、見知った客演を探すと、『じゃあ、荷物まとまった人から下降りて下さい!』と
退室を促す拓巳匡丞

「まぁいいか、後は飲み会の時に信用を取り戻せば・・・」と素直に従う。
確認事項も終わり、解散。ゾロゾロと駅方面に歩き出したのでついて行くことに・・・。

『あれっ、今日は車じゃないの?』と流石。
『みんないつも飲み行ってるらしいから・・・!』とネタが上がってるんだぞと言わんばかりに、当てつける。
『明日も2時から稽古よ。毎日稽古入ってるんだから、そんな行くわけないじゃない!』と言い捨て、先を急ぐ流石。
前を歩く役者陣に、何やら一言づつ声をかけてゆく流石。

その挙動を怪しく思った私は、元準劇団員だった平井辰夫をつかまえ、『流石、何て言ってた?』と聞くと、『いや、流石さんは、ああやっていつも帰りにまんべんなくコミュニケーションとられるんですよ』と返ってきた。
確かにそれはそうであった。
事実、飲み屋に行くには曲がるべき道を通過して駅へと向かった。

見事に何事もなく解散した。
車内でも皆、今回の芝居の込んだ話をしている。
そのうち、私が降りなければならない駅に着いた。
私の降りる駅は皆より早い。しかも、ひとりで降りなければならない。
今まで、各々難しい話をしていたはずなのに、一斉に『お疲れさまでした!』と妙に晴れやかな口調で別れを告げられる。
『が、頑張ってください・・・』とボヤキ気味に下車することに・・・。
発車した電車の中のみんなは笑顔であった。そういえば、今日初めて見た笑顔であった。

モヤモヤ感が晴れないため、口実を作って久世に電話してみる。
出ない。
いよいよおかしいと思い、他の劇団員に電話してみるも誰も出ない。たった今、別れたばかりなのにである。
してやられた。
そういえば、
初対面の客演さんが私の降りる駅を知っているはずもない。なのに、一斉に『お疲れさまでした!』と発していた。
反対方向に帰るはずの三浦麻子も同じ電車に乗っていた。気がつくのが遅かった。

『今日は稽古で飲みに行くから、遅くなる』と家内に告げていたので、シャクに触ったので行きつけの小料理屋に行く。
常連仲間とはいいものである。
他愛のない話で疲れた神経を解してくれる。そこに美味しい肴とお酒がある。これ以上の癒しはない。
心もお腹も満たされ、すっかり上機嫌で帰宅。

そこには義憤にまみれた妻の姿が・・・。
『どこ行ってたの?』
『いや、飲みに・・・』
『妹から連絡あったけど、劇団で飲み行ってないじゃないの!』
『あ、だから、いつもの・・・』
『何がいつものなのよ?!あなた、今日は劇団で飲みに行くって言ってたじゃない!』
『ああ、だから、それが・・・』

妹である流石から連絡があった家内は、珍しく夕食を残していたようであった。

『全部、食べなさいよ!』と居間を出ていく家内。
すっかり冷えきったステーキとスープがテーブルの上に置かれていた。
ゲップが出た。


2005年3月11日(金

昨夜ビデオに関してあれだけ息巻いていたのだが、深夜近くになり仕事が入り、そのプロットを組み立てるため未明までかかった。
しかし、ビデオのことは忘れることもなく昼過ぎには起床。家電屋に向かう準備をするため、書斎に直行する。
学校から帰ってきていた娘がビデオカメラをいじっていた。

『それは不良品だから・・・』と言う間もなく、『はい、パパ、何か言って!』とカメラを向けられた。
『それ、映ってるの?』と聞くと、『映ってるよ』と答える娘。『テープ入ってないから、録画はされてないけどね・・・』と付け加えられた。

『壊れてなかった?』と聞くと、『充電されてなかっただけじゃないの?!』と娘。
よく見るとどこから引っ張ってきたのか、コードがビデオカメラとコンセントをつないでいる。
『このコード、どうしたの?』と聞くと、『付属品で箱の中に入ってたじゃない!』
当然のように答えられた。

昨夜、私は予備電力だけで操作をしていたようであった。
無駄足を踏まずにすんだ。
往復の交通費を無駄にしなくてすんだという意味である。
家内に「不良品だった!」と言わなかったのも、ある意味功を奏していたと思う。
彼女が事実を知っていたら、交通費と言わず、往復に費やした時間や実は故障していなかったことなど、幾重にも叱られた揚げ句、
幾重にも罰金を取られていたに違いない。

それだけで救われた、晴れ晴れしい一日を迎えることができた。
娘もいたくビデオカメラが気に入った様子である。
『遊んでばっかりいないで、ちゃんと今日の習い事の予習をしておくのだよ』と言い残し、遅い朝食の準備にとりかかる。

3日かけて作っていた手付かずのシチューを食べようかと火をつけると、ジリジリと音がするので、鍋の中を確認すると空っぽになっていた。
私は一口も口にすることなく、すっかり平らげられていたようである。仕方なく、鍋を流しへと降ろす。

すると娘が、『ねぇパパ、外で何か撮ってきてもいい?』と聞いてきたので、『テープもないし、外まではコードも伸びないだろう』と答えたところ、『もう充電は終わってるから大丈夫!』と娘。
「そうか、ああやって充電するものなのか・・・」と、マニュアルに頼らずとも学習する私。
『ママが帰って来るまでには帰って来なさい!』と娘の奔放を家内に内緒で容認したところ、『ママ、今日は取締役会だから・・・!』と
しっかり妻の行動を理解している。私も知らないのに・・・。
『今日のレッスンの予習ができるくらいの時間には帰って来なさい!』と釘を打ち、放免する。

冷蔵庫を開けると、手頃に口にできるものは入っていない。
ここからが創造者たる、腕の見せ所である。
「良い芝居を創りたければ、料理を学べ!」という言葉がある。
つまり、食べてもらう人のことを思い、あらゆる努力をする料理人と表現者というのは共通するものがあるという意味である。

今の世の中、表現にしても食にしてもあらゆる手法は出尽くしていると言われている。
すでに本居宣長の二元論でそれを訴えている。明治時代の話である。
ここで、如何に個性、差別化を図るかが表現者の力量の問われるところである。
今流行りのコラボレーションなどがいい例である。
本当の意味でのオリジナルというのは出尽くされ、ブレンドによるオリジナリティー!
それが現代でいうところのオリジナリティーという解釈である。
NOVAではないが、異文化交流!
これはネオ・オリジナリティーに確かに通ずるものがある気がする。

海外生活が長い私ではあるが、和の血を有する者として、和のテイストは外せない。
冷蔵庫には、ワカメくらいしか見当たらなかった。(納豆もなかった)
となると、次は洋である。米は炊けばあったが、ここは洋にこだわった。しかも、腹持ちの良いものを選ばねば朝食とはならない。
小麦粉を練って何かを作る時間は、私の腹は待てない。
かなりの時間を費やし、最終的に選んだのが食パンであった。(あとで考えると韓流ブームなのでチジミという手もあったが、空腹に負けた)

食パンとワカメ。味付けに迷った。
ワカメサラダなら、ドレッシングで食べられるし、サラダならパンにも合う。
しかし、ドレッシング漬けのワカメではパンがグチョグチョになる。
具材としてパンに合うのは固体、もしくは粘度のあるものである。
ワカメは固体ではないので、味付けとして粘度のあるもの。これで、決定である!

ここが一般の人と違う仕事、つまり、創造的な仕事をしている人間が思いつく発想なのである。
一般の人ならジャムを選ぶところを、私はマヨネーズを選んだ!
パンにジャムはあまりに安直な発想である。それにあの独特な甘さは、ワカメには合わない!

早速、ワカメをマヨネーズに和え、パンに挟んで食してみた。
マズかった。

マヨネーズの塩分がワカメの水分を引き出し、また、その水分と分離した油分の多いマヨネーズ。
グチュグチュとした食感とパンが水分をすったベッチョリ感が口に残った。
全部食べ切れなかった。
お陰で空腹感も無くなった。

食の革命を図ったつもりだったが、私が考えた以上に食の世界は深かった。
異文化交流の難しさを知った。

電話が鳴る。
今朝方までかかって作ったプロットの書き直しである。

どのくらい時間が経ったのであろう。
娘の『ただいま!』という言葉で時計を見ると、彼女はすでに遅刻するであろう時間になっていた。
急いで支度をさせ、習い事先まで車で送る。

無事、彼女を送り届け、安堵の思いで家路に帰ろうとするまさにその瞬間、ふと気がついた。
『あれっ、そういえば彼女は帰宅した際、ビデオカメラを持っていたっけ?!』
急いで娘の携帯に電話をするも、留守電に回される。
仕方なく、彼女に確認メールを送った。

悶々とした時が刻まれていった。
そして、家族専用の着信音が鳴った。実際は家に着く前だったため、それほどの時間は経過してなかったのだろう。
開いてみると娘からである。
『そんなの持って、外出たっけ?』

子供の移り気と女性の移り気と、どちらが移ろいやすいのだろう?
「娘は、子供で女性か・・・」と落胆しながら家路に着いた。

迎えに行った娘は何の罪悪感もなく、ビデオのことなど話題にも登らず、さりげなく外出した際の動向を聞いて、その付近を探してみたが、
目下のところビデオは見つからず。

これで私の映画監督への道が、当分閉ざされたことを知った。


2005年3月10日(木

今更ながらではあるが、我が家にデジタルビデオカメラがやってきた。
最近はどの家庭にもビデオカメラはあるようだが、うちには無かった。
公演のビデオ録りも娘の発表会も運動会もすべて業者に頼んでいたからである。

しかし、書くことを仕事としている以上カメラワークなども知っていたほうが、監督やディレクターと話がしやすいのではないか、
はたまた映画監督の依頼があった際役に立つのではないかと思いつき、衝動買いしてしまった。
家内に怒られた。

『何ヶ月払いにする?』と問い詰められたので、『一括で買ったよ』と答えたところ、『違うわよ、天引きするから何ヶ月分にする?!』と
言われた。つまり、私が自分のポケットマネーで買ったにも関わらず、月々の小遣いから天引きするということである。
『それっておかしくないか?』と言ってみたものの、家族の間で内緒事があること自体が許せないらしく、その罰だそうだ。
『衝動買いしたのだから、内緒も何もない!ちゃんと報告したじゃないか!』と言い張ってみたものの、事後報告がまかり通れば世の中の秩序が乱れるだの、衝動買いという経済観念の否定、そこから飛躍して、マルクスの経済論だの、マクロ経済だのミクロ経済だの、最後には今日の夕食のマグロについてまで延々と説教された。
口答えをすると自然の摂理や生命の誕生にまで話が広がってゆきそうだったので、それ以上は何も言わなかった。
正確には口を挟めるタイミングがなかった。というか、取付くシマを与えない勢いであった。
6ヶ月で手を打った。

いくらもない私の小遣いから月々1万円が引かれるのは痛い。
その浮いたお金はきっと家内に使われるのだろう・・・。
しかし、家内には本体価格を偽って申告したため、3万は得した。
この得した3万円を如何に有効に使おうか、現在検討中である。

家内の虫の居所も落ち着いたようなので、早速、梱包を解き、ビデオを取り出す。
思いと反して、以外に軽いものである。
しかもボタンだらけである。
くじけそうになったが、代償があまりに大きいためマニュアルを開き、何とか起動させることができた。

何かを撮りたいのだが、娘は習い事に行っているし、家内を撮る気にはなれないし、とりあえず書棚の本などのアップを撮ってみた。
これは望遠鏡代わりにも使えそうである。
しかし、せっかくだから動画を見たいものである。
望遠鏡代わりになることを発見できたので、窓から外の風景を撮ろうと思ったが変質者と間違われる恐れがあるのでやめた。
と、その時、うちで飼っている猫がやって来た。
恰好の被写体である。
しかし、彼女は暖かい空調の当たるエリアに陣取ると寝てしまった。
寝心地を探る彼女のアップはとても可愛かったが、寝姿が定まったかと思うとピクリとも動かなくなった。

被写体も失い、所在なくビデオをいじっていると、自分で自分が映っている姿を見ることができることを発見。
モニターが反対側まで回転するのである。

自分の顔を映してみる。
何故かわからないが百面相をしてしまう。
しかし、モニターで確認できるのは、モニターを確認している自分の姿であって、目の焦点が合ってないのである。気持ち悪い。
これも何故なのかわからない。
自分では解っているはずなのに、レンズを見ていたかと見せかけて、サッとモニターを見てしまう。
もちろん、モニターに映っている自分とは、目は合わない。
解っているはずなのに、2、3回同じような行動をとってしまう。
目が疲れたので、とりあえずモニターをしまい、いろんな設定をしようとマニュアルを読み始める。

どうやら、これだけでは録画はできないようであった。
テープも買わなければならず、ケースも別売りとのこと。商売の巧みさを感じた一瞬であった。
しかし、これで得した3万の使い道が決定した。

必要以上に細かく説明されて、必要なことは見当たらないのがマニュアルの基本であるが、格闘しながらひとつひとつ設定をこなしてゆく。
すると、突然、電源が落ちた。
何か間違ったボタンを押してしまったのであろうか?
最初に戻って、起動ボタンを押してもウンともスンとも言わない。
『ということは、これは不良品だ!』と思い、さっそく購入先に連絡するも終業時間にさしかかったようで連絡取れず。
開梱したものをまとめる羽目となる。

明日は、始業時間ジャストに店に駆け込み、思いっきりクレームを言ってやろうと心に誓った。
こうして、私の映画監督への道が一日遅れたのであった。


2005年3月8日(火

『稽古にも顔出さないんだから、原稿くらい送りなさいよ!』と流石に言われた。
相変わらず、全くもって理不尽である。
『世に名だたるエッセイスト・文豪でさえ、週刊誌に上梓するのが精一杯である。秀文というのはそう易々と書けるものではない!』と
一蹴してやった。
『あなたは、世に名だたるエッセイストでもなければ文豪でもないんだから、せめて書く練習でもしなさい!』と蹴り返された。

性格の良さからくる謙虚さというのは時として、受難という試練を呼び込む。
キリストにしても然り、上杉鷹山二宮金次郎玄奘法師日蓮上人と挙げれば枚挙に暇がない。

早速パソコンに向かう。

実は、この原稿は第2稿目である。
購入して7年になる我が家のパソコンの容量は、近年の重い情報量に耐えきれずしばしばフリーズしてしまう。
湯水のごとく溢れ出てくる(ごく稀に)私の文章は、保存(セーブ)することすら忘れさせる勢いなのである。(こちらはしょっちゅう)
ご察しの通りである。
保存されていない状態の情報は、すべて消え去るのみ。

過去を振り返らない建設的性格な私は、さきの内容は一切忘れてしまっている。
自分が文豪でなくて良かったと思えるのはこういう時である。

しかし、駄文を公開せよと強要する流石の感性はいかがなものだろう?
腑に落ちないため、自分の夫に辱めを強要する女性を家内はどう思っているか聞いてみた。

一卵性双生児の姉である家内は、妹、流石と考えを同じくしていた。
無駄であった。

『行き詰まった時は古に習え』
昔の人はよく言ったものである。その教えに習い、鑑みてみた。

確かにそうである。
ソクラテスの言葉に『良妻をもらえば幸福になり、悪妻をもらえば哲学者になる』という言葉もあるくらいである。
文豪夏目漱石の伴侶も悪妻であったらしい。
となると、私も作家としては恵まれているということになる。

ちょっと気持ちが楽になった。
実はこれで第3稿目である。

原稿を書いている途中、娘を習い事に送りに行かなければならなかったのである。
帰宅し書斎に向かうと、家内が別件でパソコンを使っていたのである。
『あれっ、原稿が途中だったんだけど・・・』と言うと、家内は『セーブしてたんでしょ?!』と席を代わり確認する。
「実は、この原稿は第2稿目である」までの原稿が出てきた。

こうやって文豪が作られてゆくのかと思うと、つい笑みがこぼれた。

『気持ち悪い・・・』と家内。

しかし、充足感を感じた一瞬であった。


2005年3月5日(土

あまり内容更新をしなかったため、担当の流石の怒られた。
また、『ちゃんとトップページにも告知しておいたから!』という言葉もいただいた。
早速、確認する。
告知のみである。何でも隠れリンクにしているようだ。
アチコチさがずも見つからず、断念する。
カウンターも伸びていることだし、告知もしているので探せる人には探せるのだろう・・・。
取りあえず、読者に対しては何の罪もないので書くこととした。

一昨日東京に戻って来て、現在進行している3月公演の様子をうかがった。
難航しているようだ。ちょっとうれしい。
初演の演出を打ち破ろうと久世恭弘が奮闘してるようだが、なかなか上手くいっていいないようだ。
きっと今頃、私の偉大さをひしひしと感じているに違いない。

今日、目が覚め家内も娘もいないので、稽古場に顔を出そうと試みたが、間違いなく煙たがられるに違いないと判断したので、
7月公演のプロットなどを考えながらのんびりと時間を過ごす。
家内と娘との3人暮らしには広すぎる我が家も、ひとりで過ごすとゆったりとした時間が流れ、至福のひとときを感じることができる。

休日というのは休む日のことであるが、休むことなくショッピングや外で活動している(活動なんだか何だか?)家内などを見ていると、
本当の意味での豊かさなど知らない哀れな奴などと思ってしまう。
本当の意味での贅沢もわかっていない。
習い事で勤しんでいる娘には、ああはなってもらいたくないものだ。

などと考えていると昼もとっくに過ぎ、小腹が空いてきた。
家内に電話をするも出ないので、これは夕方まで帰ってこないと判断。携帯の留守電に散歩がてらに外食に行くと告げ、家を出る。

閑静な住宅街ではあるものの、3分も歩けば長〜い商店街を有するこの街は結構気に入っている。
しかしである。
夕方ともなろうものなら、おばちゃんや学生などでひっくり返る。
Gメン’75じゃねぇんだから!と言いたくなる、学生の横並び歩行。
自転車を押しながら歩いてるおばちゃんなどには、あんたひとりの身幅もひとり以上分あるのに、横に自転車を携え、場所取って歩いてんな!と叫びたくなる。
他にも携帯でメールを打ちながら斜めに歩いているアホギャルやウォークマンしながらメールを打っている者など危険人物がいっぱいである。

こいつらどういう神経してんだ!?とガンを飛ばしながら歩いているのだが、ちょっとでも気を抜くと道を尋ねられてしまう、育ちの良さ丸出しの私の雰囲気はとても人に優しいようだ。

気を取り直し、行きつけの蕎麦屋で十割蕎麦を頼む。
この店は私が、『トワリ蕎麦を一枚!』というと必ず、『ジュウワリ蕎麦を一枚ですね!』と確認をとる。
素直に『ハイ!』と言えない従業員の頑固さに敬服し、私も『トワリ蕎麦一枚!』と必ず頼む。二八(ニハチ・ニッパチ)蕎麦と言うくらいだから、間違いなくトワリのはずである!
老舗の蕎麦屋の頑固さも好きだがその心意気に惚れその蕎麦屋を啓蒙すべく私はこの7年間、ずっと『トワリ蕎麦一枚!』と言い続けている。

腹も心も満たされ、帰路につく。
そのためには、例の商店街デンジャラスゾーンを通過しなくてはならない。
そう考えただけでもストレスが溜まる。

これもマーフィーの法則に入るのだろうか?
許せない人ほど、私の周りの寄ってくるのである。
サングラスにウォークマン姿の自転車に乗った若輩者が、商店街が故によそ見をしながら私に向かって来るのである。
一日の長たる私がここは指導しなければと思い、近づいてきた若輩者に『ちゃんと前を向いて!』と大きな声を張り上げた
にも関わらず私に突進。
衝突することとなった。

『危ないじゃないか!』と語気を荒あげる私に、イヤホンを外しながら『おじさん、ちゃんと前向いとかなきゃ!』と返す若輩者。
『お、おじさん?!』と驚いていると、『気をつけなよ!』と捨てぜりふを残して立ち去っていった。

こういう場合、歩が悪いのは残された人間である。

『お客さ〜ん、トワリのお客さ〜ん、忘れ物ですよぉ〜!』と先程の蕎麦屋の定員が私の携帯を持ってきた。
完全に私の不利である。周囲の人間は私のことを注意力のない人間と思ったに違いない。

屈辱にまみれ、その場を立ち去るも、携帯に着信履歴があった。
家内からであった。
同時にメールも来ていたので先に内容を確認すると、『何言ってるの、週末は旅行だって言ってたじゃない!』と書かれていた。

そうであった、週末を利用して娘とふたりで温泉旅行に行っていたのであった!

その瞬間、なにものかとぶつかった。
『危ないなぁ〜、前向いて歩きなよぉ〜、おじさん!』とイカレポンチな風体をした女に言われた。

この時、聞えたカラスの鳴き声はあまりにタイミングが良すぎる。
次回はこういった効果音の使い方をしようと創作に耽りながら家路についた。


2005年2月24日(木

いよいよ出発の準備をしようと荷造りを始めた途端、流石から携帯にメールが届いた。
『ちょっと、私のイメージが悪くなるようなことばかり書かないでよね!それに、リンクはちゃんとトップページに張っています!』と
書かれていた。

気になったので、トップページを確認するも見当たらない。
この今、まさに出発しているところである。
「これも嫌がらせに違いない!」せわしない状態で荷造りを始めると、運転手がチャイムを鳴らしたので迎え入れる。
『もう間に合いませんね。もうひとつ後の便にしましょう』淡々と語った。

なので仕方なく、その状況だけを書き綴ることにした。
時間が出来たので、もう一度トップページを確認したがリンクが見つからない。

おかしい・・・。
どなたか私のページにリンクされている場所をおしえていただけないであろか・・・。
ヒントだけでもいいです・・・。


2005年2月23日(水)

一週間断筆してみた。
もちろん、トップページからリンクも消されているし、見ている人もいないだろうと思ったからである。
そのうち、このコーナーを持っていることも忘れていた。

すると今日、流石から『いい加減にしなさい!』とお叱りを受けた。
慌てて、ページを確認した。(リンクを消されてもこのページはお気に入りに入れているのだ)
カウンターが伸び続けている。
もしや、トップページの目立つところにリンクを張られてるのかと確認したがどこにもリンクは見当たらない。
きっと私と思いが同じで、流石の気分で振り回されるリンクより、このページ自体をブックマークしている人がいるのだろうう・・・。
もしくは、柿森ななこのようにリンクを探せないような人が、別リンクで見つけた時点でブックマークしているか、どちらかだ。

奇特な人もいるものである。観てくれている人には罪がないので、急いで執筆にかかる。
しかし、明日から2、3日東京を空けてしまう。
携帯から流石にメールするのも面倒くさいので思案中である。

今日、家内がインプラントの手術を受けた。
インプラントとは歯グキを切り開き、アゴの骨に金属の金具をねじ込んで土台を作り、歯を埋め込む手術である。
術後もかなりの腫れと痛みを伴う、間違いなくアングロサクソン系の人種が発案したに違いないであろう、かなり強引な手術である。
痛みに歪む家内の顔を浮かべたら、ちょっと嬉しかった。
しかし、1本何十万もする出費を考えると私が痛かった。

ちょうど手術をしているであろう時間に、私は客演の三浦麻子と3月公演の折込をしていた。
彼女は歯医者に勤めていたこともあり、家内の話をすると、事細かにインプラントについて話してくれた。
どの話を聞いても、痛みを感じるような内容であった。
ちょっと元気になった。

「今日の夕食は歯ごたえのあるものにしよう!」心に誓った。
稽古のある日は、帰宅してもとっくに夕食は済まされているため、稽古後、スーパーに寄るのが当たり前である私は、今夜は目敏く生ナマコを発見した。
普段はスライスしたナマコをナマコ酢にして前菜として並べることはあるのだが、今日は生のナマコを発見したのである!

家内を横に、コリコリと音を立てながら食すナマコは絶品に違いない!
踊る心を押さえながら、生ナマコをまな板に置く。
サバキ方がわからない。しかも生ナマコからは、いつものスライスナマコの形が想像できない。
「ここで負けてはいけない!」とパソコンでナマコのおろし方を検索。

楽勝であった。
生ナマコにざっくり包丁を入れ、内臓を取り出し水洗いのあと、身をスライス。これだけだった。

指示通り、生ナマコに刃物を入れると、あの柔らかい肢体がギュッっと固くなったのである。
しかも、えも言えぬ赤いグロテスクな内蔵物が吹き出してきた。コノワタだけではないのである。
先程見せてもらった家内の歯グキの傷口とそっくりであった。
一気に食欲が失せた。

他のものを食そうとしたが、家内の歯グキの傷口と生ナマコがよぎる。
自分の想像力の豊かさを恨んだ瞬間であった。

空腹なのに食欲もなく、さっきから胃が痛み始めた・・・。


2005年2月17日(木)

『「カレンダーつきのブログは強迫観念がある!」と言っている割には毎日書いているじゃない!』という
メールをいただいた。
しかも知らない人からである。ブログにしなくて良かったと思えた瞬間である。
送られてきたからアドレスはわかるのだが、当人の名前が書いていないため返信するにも憚れる。
しかし、至極ご尤もである。不遇の身の上を嘆き、失念していた自分に気がついた。煽られればムキなるほど
青い人間ではない!
だから、今日は意地でも書かないことにした。

最近連日登場(連日といっても日は浅いのだが・・・)の柿森ななこがこのページのリンクを見つけたとのと、うちのBBSで勝ち誇ったように書きなぐっていた。昨日の稽古の際、劇団員の里村仁士は『リンク張ってる場所判んないなんで馬鹿なんじゃない?』とまで言っていたので、『それは言い過ぎなんじゃない?!』と心の中で思った。
昨夜の時点で、一昨日よりリンクの位置が変更されていたのにも関わらず、探し出せた柿森はむしろすごいと私は思っている。

で、本題である。メールまで来てそこまで言われたら、今日は絶対書かないと思っていたのに、な、なんと今日はHPのトップページからリンクが消えていた!
担当の流石に、その旨をメールで訴えたがノーレスである。

原稿のない日はリンクを張らないつもりなのだろうか?
はたまた、彼女の意に反してアクセス数が伸びているため、嫉妬に駆られた意地悪であろうか?
とりあえず、流石の反応を観るべく原稿をこうして送ってみた次第である。
これでアクセス数が増えていなかったら、彼女の嫌がらせか職務怠慢である!
でも、このページだけでリンクしてる人もいるかもしれないしなぁ・・・。
いずれにしても、そう広まっていないはずなので一両日、彼女の様子を観てみよう・・・。

今日は厄払いに行ってきた。
男の大厄になる年のため、決意も新に生まれて初めてひとりで行ってみた。

川崎大師とか西新井大師とか厄除けで有名なお寺はあるのだが、何故か明治神宮に行ってみた。
時間がなかったため、急いでいったのだが参道の長いこと長いこと、普通に歩いている人の倍の速度くらいで歩いたにも関わらず
本殿まで8分もかかった。

しかし行ってみて良かった!
お寺のお祓いとも他の神社のお祓いとも違い、神楽殿というところで祓ってもらうのだが、何と言っても、その時間の希望者が私ひとりだけだったということ。(あまりこんな時期にお祓いをする人は常識的に考えてもいないため)
およそ100人は入りそうな室内にたったひとり。きらびやかな雅楽器の飾られている神殿を前にたったひとりで鎮座していたのです。
式は一般の神道のそれにならい、厳かに進行していったのだが・・・。

ここが明治神宮のすごいところ!
飾られた雅楽器は飾りではなかったのです!
途中から越天楽が演奏され、舞が舞われたのです。
奉納の舞ということであったが、良かったです。8名にも及ぶ氏子(っていうのかな?)と巫女が演奏し舞う
のである。私たったひとりのために・・・!
いままでもお祓い自体は何度かいったことがあるのですが、さすが皇室縁の神社、こんな霊験あらたかで贅沢なお祓いはないと思います。
値段も他の仏閣神社と変わりません。
厄払いに限らず、一般のどんなお祓いもされているので、是非一度、神楽殿で祓ってもらってください!

厄も振り祓れた感じで帰宅してみると、HPのこのページのリンクも振り祓われてたって・・・そんなオチなわけ?!


2005年2月16日(水)

カウンターまでつけられた。
完全に私のコーナーへのプレッシャーである。
しかし、この3日間で120を超えるアクセスがあった。隠れリンクに近い扱いをされていたにも関わらず、探し出してクリックする人もいるもんだと驚いた。
私に対する処遇に対し、いろいろと愚痴っていたわけだが結構なアクセスがあり、ちょっとうれしかった。
こういうと語弊があるが、アクセス量が多かったのがうれしかったのではなく、私にプレッシャーを与え、不遇な対処をしている人間の
鼻をあかせた感じがしたからである。

稽古場に行くと既にこのコーナーは知られているらしく『誤字をひとつ見つけました!』、『文字が小さくて読みにくい』、『文章、ちょっと長すぎじゃないですか?』など多いに盛り上がっていた。

団員の里村仁士が、『実は僕も自分のサイトに隠れリンク張ってるんですよ!』と嬉しそうに話す。
うちに帰り、里村のサイトを確認した。呆れた。
どこに隠す必要のある内容なのであろう?彼の頭の中はどうなっているのだろう?
隠すべき内容かどうか、彼のサイトの左上にあるうさぎの部分をクリックしてみてください。
面倒くさい方はここをクリックすると彼の隠れページをご覧いただくことができます。
尚、クリックする際は自己責任でお願いします。
しかもファイルの拡張子がura.htmlとなっている。何がどう裏なのであろう。

またどこで、この情報を仕入れたのか、昨日紹介した毎日日記を更新している柿森ななこもこのコーナーを知り得たようで、うちのBBSに私のブログに対する認識の無さを指摘する内容が書き込まれていた。
しかもいいレンタル日記サイトの紹介までしてくれると言う。
私は日記をつけたいわけでも、読んでもらいたいわけでも、ましてや毎日書きたいわけではないのである!
劇団のため書けと言われたから書いているのである。(正確には、そのくらいの罪滅ぼしはしなさいよ!と言われた)
柿森も分かっていない・・・!
しかし、彼女はこのコーナーに入ることができないらしい。リンクを探せないとのこと。
ちょっと勝ち誇った気分になった。

誤解のないように言っておきたいが、私はこのコーナーを多くの人に読んでもらいたいなどとこれほども思っていない。そんな暇があったら、ほどんど趣味にも近くなってきたボランティア活動(ゴミ出しや掃除、洗い物から夕食の買い出しや調理など)に没頭したいくらいである。
劇団のためと言われたので尽力したのに冷遇されていることを訴えたかっただけである。うちの家内だって、『今日は美味しくできたわね!』とか『あなたの畳み方はクリーニング屋さん並みね!』と評価してくれる。にもかかわらずである。

その旨を3日間で120以上もアクセスした結果とともに、管理人である流石に強気でぶつけてみた。
すると、『ねっ、いい読みするでしょ?!私の作戦勝ちってところね!』と返ってきた。

私の周りには変わった感性の持ち主が多過ぎる。
これで、私が劇団関係者から身を遠ざけたい理由が判ってもらえるだろうか・・・。


2005年2月15日(火)

何だよ・・・!って感じである。
コーナー作るから寄稿しろという割にはジミ〜で目立たないところにリンク張って・・・。
クリックして開いてみると、一番に「あれっ、見つけちゃいました?」とか書かれてるし・・・。

そりゃ確かに寄稿するにあたって条件はつけました。
ブログを持ってそこにリンクを張ればSEO対策になって、劇団のHPのヒット率も高くなる!
確かにそう言われてブログもいろいろ探したり調べたりしました。
劇団HPにページを持つと、流石が入力するのが面倒くさいのも解ります!解ってます!
でも、私はブログを持つのに抵抗があったのです!

第一、ブログを開設すると書かなきゃという義務感が発生してしまう!(あのカレンダーが妙な脅迫感がある)
以前、客演してもらった柿森ななこのように毎日更新している猛者もいるが、私は彼女のようにタフで勤勉なタイプではない!
ブログのカレンダーにおののき、柿森のように語り尽くし切れないほどの深く強い信念があるわけでもなく、家庭でも劇団でも他の仕事場でも自己主張の許されない環境に身をおいているため、すっかり主張する方法すら忘れてしまっている、ただただ世の中の平和をひたすら願っている小羊のような人間なのである。

ブログのカレンダーを消せるのも知ってます!調べましたから!
しかし、サーバーの容量の問題で、ある容量に達すると以前の原稿が消されるのである。
これは由々しき問題である。
せっかく苦労して書いた文章が消されてしまうのである。
柿森のように湯水のごとく思いつくことや主張したいことがあるならまだしも、私のように無い知恵絞って何時間も費やした文章が消されてしまうというのは、あまりにも忍びない・・・。

しかもである!
ブログには返信機能がついている。
私の書いた文章に誰かが何かを言ってくる恐怖。考えただけでも筆が止まってしまう。
書くことに秀でた者なら読者も閲覧するだけで酔えるだろうが、私のように駄文を書く人間の文章たるやツッコミ所満載である。
それは公演のたび新作を書くが、本番でご覧いただく時にはすっかり違った作品になっていることを見れば容易に察しがつく。
また、つっこまれた事に関して対応する時間もエネルギーもない。(家庭と劇団と他の仕事先で手いっぱいである)

以上のような理由を申し立て、ページを作って入力してもらうことを条件にしたにも関わらず、「それでもいいから!」と言われたので、
寄稿する。
すると、こういう扱いである。
サブタイトルの「沢村紀行の狂言集」もいかがなものかと問いたい。


2005年2月14日(月)

コーナーを持つことになった。
というか、持たされる羽目になった。

記念すべき第一稿となるはずなのだが気が重い。
何故なら、言わずと知れた劇団の私を管理するための作戦のひとつだからである。

創作者たる者、自由の身で、おもむくがままその感性でものを感じ、自由に表現したいものである。

『団体行動なんですから!』
そのひと言で、まるで魔法にかかったように身動きが取れなくなってしまう共同作業、いや、劇団というカセのある表現活動、強いて言えば、総合芸術のアンビバレンツを感じてしまう。
現代は表現に関わらず商業ベースでコラボレートが主流だが、あえて商業ベースに対抗すべく、画家とか華道家とか料理人とか他にもあるが
ソロで表現できる環境に身を置けば良かったと後悔するのはこういう時である。
たしかに、ソロはソロなりに違った苦労はあるだろう。簡単に思いつくだけでも孤独感とか・・・。
しかし、団体の中に身を置いていても私のように孤独感を感じてしまうのは何故だろう?いや、むしろ疎外感のに近い!
私の場合、 劇団内だけではない、家庭においてもそうだ!

一方的な不満を言っているようだが、何となく思い当たる節もある。
芸術家に限らず、古より時代を先取る者に共通するのは無知なる者からの嘲笑やあざけりなのである!
この試練を乗り越えた者のみが結果的に歴史に名を刻み、語り継がれてゆくのである!
解ってはいるが現実は辛いものである。

今日もそうであった。
世の中はバレンタインであったらしい。
昨日から今日の未明までハプニングの処理に追われていた。
台本のデータ欠損の修復から不慮の降板劇(役者の入院)による代役交渉。それに伴うデッドラインぎりぎりでの公演チラシの入稿チェック、とほとんど寝る間もなく印刷屋に入稿。
すると担当者から何やら包みをもらう。
『いつもお世話になってるんで、これ・・・!』
『いやいや、そんなお気遣いなく・・・!』
『いえ、今日はバレンタインですから・・・!』
何故か感謝するよりも力の抜けた感じであった。

入稿も終わり、稽古前に一旦帰宅する。
リビングを見渡しても書斎を見渡しても何もない。
あったのは老齢の実の母から送られてきたブランドでもないメーカーのチョコレートの包みだった。
地方出身者である境遇に嘆息を覚えながらも、メールチェックなどしてみると、その中にハワイ在住の友人Johnからカードメールが
届いていた。
私はノーマル(特別な趣味がないという意味)なので、もちろん家内宛のバレンタインメールである。
家内は英語をボディー・トークで伝えるため、彼は私にメールを送るのである。
外人の表現は大胆である。
不在の家内に連絡してみるがつながらない。
「今日はバレンタインだから買い物でもしてるのかな」などと、あり得ない妄想をしているうちに稽古に向かう時間となった。

今日は初めての本読みということもあり、初見で読ます。力の差がはっきりわかる。
一部の役者にストレスを感じながら、私的には苛立ちを消化できない形で稽古を終えた。
すると稽古ですっかり忘れていたが、女優陣が打ちあわせていたらしく、稽古終了後、男優陣にチョコレートの授与が行われた。
授与というだけあって、今回の3月公演の座長である阿部有希が名前を呼び上げ、男優陣にプレゼントを取りに来させるのである。
体面上、私が最初に呼びつけられたわけであるが、その後の私以降の男優陣は全員、女優陣全員からの円陣状態でのハグのサービスがあった。
「この待遇の違いな何なの?」と一瞬思ったが、所詮未熟な女ども(ひとり除いて・・・)なので溜飲も下がった。
印刷屋さんの担当といい、劇団の女優陣といい、所詮、義理である。
「私には愛する人が待っているから・・・!」と心に秘め帰宅を急いだ。

うちに明かりはついていた。
無論、家内の事は期待していなかったが、最悪でも娘がいる。
『ただいま〜!』と居間に向かうも誰もいない。
他の部屋を探すと、家内は風呂でテレビを見ていて、娘からは『ちょっと今、電話中なんだから!』とすごい剣幕で怒鳴られた。
書斎に戻り、着替えを済ませ、お茶を濁すようにメールチェックなどしていると居間がにぎやかになってきたので顔を出す。
すると家内が『何、パパ、これ嫌みなの?!』と、甲高くウザそうな口調でテーブルに置いておいた、印刷屋さんと劇団からもらった
チョコレートの包みを示す。
相変わらずその勢いに負け、『いやいや、もらったからさぁ・・・』と理不尽にも罪悪感にも近い言い訳口調になってしまう。
『パパ、ごめんねぇ。余んなかったから・・・!』とキッチンで手を動かしている娘。
チ〜ンとレンジの音がする。
『ほんとはオーブンで焼いたほうが美味しいんだけど、ブラウニー、作っといたから・・・!』
『ありがたいと思いなさい。娘の手作りなんだから・・・!』と印刷屋さんと劇団とお袋からもらった空になった包装を捨てる妻。
『でも、これ冷めてから食べてね・・・!』と自分の部屋に戻る娘。
『ジョンからバレンタインメールが届いてたんだけど・・・』と妻に報告。
『あぁ、お礼、返信しておいて・・・!』と、家内は寝室に消えていった。

《寛容こそが愛》
セント・バレンタインのスピリッツを心底感じた日であった。


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