そこへいってみよう 2    もくじ   1 熊野古道へ        2 果無山脈へ

 

   1 熊野古道の一部を歩く         2004.5.1

   全国には47の都道府県があるが、筆者はまだ和歌山県一県だけは行ったことがなかった。もっとも46都道府県のうち足を踏み入れたことがない県庁所在地都市としては千葉市、新潟市、岐阜市、津市、鳥取市、高知市、佐賀市、そして和歌山市があげられるのだが、今回は和歌山県に行き47都道府県踏破を行うことを目的にして、まずこの地域の魅力的な観光資源となっている「熊野古道」の終着点である和歌山県東部の本宮町をめざした。

 自宅を19時30分に車で出発、東名高速の豊田ICで降りて伊勢湾岸自動車道に入り、東名阪自動車道、伊勢自動車道をひた走り勢和多気ICから一般国道42号線に入る。さらに南下するが、すでに時刻は午前1時30分を回っており紀伊長島町の道の駅「紀伊長島マンボウ」で車を止め仮眠。翌朝6時に出発し、まず新宮市の熊野速玉大社へ向かった。熊野参詣のための道である熊野古道を歩くのが目的といっても、やはり速玉大社、那智大社、本宮大社の三山を参拝しなければ手落ちというものであろう。

 熊野古道には古く平安の昔から様々なルートが拓かれ、伊勢と熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)を結ぶ伊勢路、その伊勢路の花の窟(はなのいわや)から分かれて熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)に向かう本宮道や、大阪から和歌山を経て熊野に至る紀伊路には田辺で熊野本宮に向かう中辺路(なかへち)、紀伊半島を海岸線沿いに那智へ向かう大辺路(おおへち)、高野山から熊野本宮へ向かう小辺路(こへち)、吉野から熊野本宮へ向かう奥駈道(おくがけみち)とも呼ばれる大峯道などのたくさんのルートがあるようだ。現代では車を使えば一日内での移動が可能だが、トンネルもないかつての紀伊半島の険しい山岳道を何十キロも歩いて上り下りする行程の厳しさを思うと、1箇月もかけて熊野詣を行うことの霊験あらたかさが容易に想像できる。熊野古道(紀伊山地の霊場と参詣道)は2004年6月に世界遺産登録を控えており、地元・自治体にとって昨今の地域アピールの最有力なコンテンツになっているようで、国道42号線にはいたるところに「熊野古道入口」の道路標識が掲げてあった。

 熊野速玉大社は和歌山県東端の新宮市・市街地にあり、早朝足早に参拝し次は那智大社へ向かう。この日は晴天で熊野灘を望む海岸線ドライブは誠に快適であった。熊野那智大社はJR那智駅付近から山あいに入り、10数分で門前の駐車場に到着。473段の石段を登ると社殿に至る。熊野古道のウォーミングアップに打って付けという高低差だ。那智大社参拝を済ませると社殿隣の那智山青岸渡寺側の境内からは那智滝が臨めた。再び新宮市まで戻り、熊野川沿いの国道168号線を東牟婁郡本宮町へ向かう。多雨地帯である紀伊半島の核心部分を流れ、支流の豊富な水量を集めながら切り立った山あいを悠々と流れている熊野川の景色に感動、知名度でははるかに優位な四万十川にも劣らぬ「手付かず」の自然風景である。

 午前9時50分に熊野本宮大社隣の駐車場に到着した。これから熊野古道・中辺路の本宮入り終点間際の一部を歩こうというわけだが、まずは本宮大社に参拝である。熊野の神の使いとされる咫烏(やたがらす)の社紋が描かれた旗が参道入口に掲げられている。石段を登りきり境内に入ると熊野信仰の聖地にふさわしく杉木立の中に古式ゆかしく社殿群が建ち並んでいる。家津美御子大神(スサノオノミコト)などを祭る正殿での参拝を済ませ、境内を振り返ると一角にFIFAワールドカップ2002コリア・ジャパンの際に打ち振られたと思しきサッカー日本代表チームのフラッグが奉納されていた。

 日本サッカー協会のシンボルマークは三足烏(八咫烏らしい)とのことだが、日本サッカー協会の公式ホームページの記述によればシンボルマークの『ボールを押さえている三本足の烏は、 中国の古典にある三足烏と呼ばれるもので、 日の神=太陽をシンボル化したものです。 日本では、神武天皇御東征のとき八咫烏が天皇軍隊の道案内をしたということもあって、烏には親しみがありました。 旗の黄色は公正を、青色は青春を表わし、はつらつとした青春の意気に包まれた日本サッカー協会の公正の気宇を表現しています。』とある。どうやら日本サッカー協会はエンブレムの三本足の烏は八咫烏だと正式には認めていないようだが、下線記述にもあるように強い関連性をほのめかしている。一方、大社が本殿脇に設置した八咫烏の由来に関する説明看板には『最近スポーツのサッカーが青少年、若い人々に人気を博している。日本サッカー協会のマークは八咫烏です(明治時代にサッカーが日本に始まったこの頃から使用されているそうです)サッカー協会のマークに使用された意味は、考えるに目的とする相手チームのゴールをはずすことなく、きちんととらえて納めるという意ではないでしょうか』と記されていた。少なくともここ熊野本宮大社では日本サッカー協会のシンボルマークは八咫烏であるとみなしたい。お土産に八咫烏の社紋が入ったお守りを購入した。

 

 身支度を整え、午前10時20分に熊野本宮大社北側から歩き始めた。行程は熊野古道・中辺路のクライマックス部分を逆にたどり発心門王子までの道を行き、途中から赤木越コースを経て湯の峰温泉に下り、最後に大日越を越えて本宮大社に戻るコースを歩くこととした。

 本宮大社のすぐ北側約100メートルの場所に祓戸王子がある。王子とは神々が御坐す祠・社のことで、熊野詣では古道沿いに点在する王子を詣でながら道を進むのが正しい。伏拝王子までは、登山道ほどではない緩やかなのぼり道が続き、杉木立の静けさにいかにも熊野古道らしい雰囲気を堪能する。途中車道と交差する地点でいかにも熊野古道ウォーキング用に改修されたと見える吊橋風鉄橋が設置されており、観光資源として整備された熊野古道の現状を垣間見た。

 森の中の遊歩道から車道に飛び出すと茶畑がひろがり、道沿いの民家の庭先に「NHK朝の連続ドラマ(平成13年後期のもの)ロケ地」と表示する看板が立っていた。すぐ隣に和泉式部に縁があるという伏拝王子があった。ここでは本宮大社方面を見渡すことができる。それ以後のそれぞれの王子の場所ではハイカーらが小休止していた。

 しばらく茶畑やのどかな集落風景のなかの舗装道路が続く。北側の展望が大きく開けると道端に『果無山脈』を紹介する案内看板が設置されていた。果無山脈(はてなしさんみゃく)。なんとも意味深げな名称ではないか。「谷幽かにして嶺遠し、因りて無果という」と記している文献(『日本与地通誌』)があるらしいが、果無山脈は多くの登山愛好家の興味をそそるようである。熊野山地は熊野三千六百峰と総称され、まさに果てがない山並みをあらわすが、果無山脈は熊野古道・中辺路の北側に連なり、西の和田の森から安堵山、最高標高点1262メートルの冷水山、石地力山、小辺路・果無峠に至る和歌山、奈良の県境に位置する山脈である。いつかあの山並みに足を踏み入れたいという思いが湧いてくる。
 再び森の中のゆるやかな登り道を進み、森をぬけると水呑王子に到着する。水呑王子にはその名のように水場があり、持参飲料水は減らさずにのどを潤すことができた。周辺をみわたすと地域住民の集会広場のような施設があった。しばらく車道を進み、坂を登りきると発心門王子である。土日は観光用町営バスが発着している場所となっており、多数のハイカーらが昼食休憩をとっていた。発心門王子を足早に過ぎると車道と分かれて急な下りの古道を行くがすぐに先ほどの車道と合流する。猪鼻王子跡は車道の南側下を通っている本来の古道沿いにあった。再び車道に戻り道を進む。中辺路ルートのなかでは重要な中継点である三越峠まであと1時間という地点が赤木越との分岐点である。ここには立派なトイレや休憩所が設置されていた。時間的な制約もありすぐに赤木越方面へと進路をとる。しばらく尾根までのジグザグの急登で、おそらく今日のルートでは一番きつい勾配である。尾根手前の赤木越と三越峠の分岐点につくと三越峠へ続く古道は土砂崩れのため通行不能とあった。

 湯の峰温泉をめざす熊野古道・赤木越は尾根上の小道で、しばらくほぼ水平でやがてゆるやかな下りがつづく快適なハイキングコースであった。時刻も12時30分となったので見晴らしのよい場所で昼食をとった。今日は5月1日の土曜日だが、赤木越コースでは1時間半のあいだ2組しかすれ違わずまことに静かな山旅となった。

  やがて急坂となり麓にぐんぐん近づいて車道を行き交う自動車の走行音が聞こえてくると、突然湯の峰温泉街に飛び出した。湯の峰温泉は小さな山あいのいで湯で旅館のみならず公衆浴場もあり、素朴だがたいへんなにぎわいを見せていた。熊野路の名湯として古い歴史と伝統を誇っていることはいうまでもなく、ここでは説明は省略する。清涼飲料を買い、大人2人でいっぱいになるつぼ湯という小さな岩風呂を見下ろす橋のたもとで暫し休憩した。

 午後3時すぎに出発。湯の峰温泉を横切って熊野古道・大日越へ向かう。いったん登り大日山の北側を巻いて東へ下る残り約1時間の行程で熊野本宮大社に到着する。陽も傾きつつある時間帯にもかかわらずかなりのハイカーとすれ違う。本宮大社に参詣し、今夜は湯の峰温泉で一泊という予定だろうか。木立が深く展望はあまり利かない。最後は石段の下り坂から民家の路地風の道となって午後4時前には一般道路に降り立った。

 目の前には国道168号線越しに広い河川敷の中をゆったりと蛇行して流れる熊野川の景色がひろがっていた。明治22年に熊野本宮大社が熊野川の大洪水に見舞われ社殿が現在の場所に移設される前の旧社地であった大斎原に立ち寄った。近年設置したという大斎原の大鳥居が田園風景の中にすくっと立ち上がっていた。これは本宮町の新しいランドマークになっていることだろう。本宮大社隣接の本宮町役場は本宮大社の附属施設かと見まちがえるほどの和風建築を模した鉄筋コンクリート造庁舎だった。非常に奥の深い熊野古道だが、その一端に触れられたことに満足しながら本日の全行程を終え駐車場にもどった。登山の最後には温泉で疲れを癒すというのがお約束である。先ほど寄った湯の峰温泉の公衆浴場で一っ風呂浴びることにした。

 

  

  熊野本宮旧社地・大斎原の小径

  

 

 

【写真でたどる熊野詣&熊野古道ウォーキング】

     AM 8:00  熊野那智大社参道の石段を振り返る

 

    AM 10:00   熊野本宮大社境内と八咫烏の社紋

家津美御子大神(スサノオノミコト)などを祭る正殿

 

     AM 10:20   本宮大社北側から出発

     AM 10:40   静かな熊野古道を歩く

 

    AM 11:20  伏拝王子を過ぎ、果無山脈方面をのぞむ

     PM 00:00   発心門王子で小休止

 

       PM 3:00  赤木越の終点は湯の峰温泉

 

  PM 3:20 熊野古道・大日越 熊野本宮大社へむかう

 

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