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猫は、アメリカン・ショートヘヤー、名前は「ヨル」。
ときどきいなくなったりすると、家内は夜中でも顔色を変えて、懐中電灯を携え、「ヨールー、ヨールーッ、」と、となり近所を探し回ること何度か。
きっと近所の人たちも、「隣の奥さん、夜なのに『ヨル〜』だって騒いで、どうしたんでしょうね」なんていわれているかも・・・。
ウサギは、ミッフィー。
孫娘が飼いきれなくなってもってきたものだが、家内にとってはネコもウサギも一緒のペット。
当のウサギでさえも、自分がネコの姉妹だと勘違いしているくらい、とても仲良し。 |
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ひっくり返して寝かせておけば、1時間は寝ています。
パンの耳を干したものを補助食にしていますが、そのためか、やや肥満気味だと家内はいっています。 |
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とりわけ、ミッフィーはだっこが好き。
なぜか、家内もペットを相手にすると、孫たちと会話するように「幼児語」で話しかけています。
「ほら、ミッフィーちゃん、おとうちゃまがおちゃちんをうつちまちゅからネー」。
目は、ストロボの影響で赤目に写っているけど、実際は黒。
2004年 2月 我が家の一員だったミッフィーも喉頭ガンで逝去!
同年・秋には、真っ白なシロも同じような病気で天国に・・・。
家内共々、二匹の御霊に安らかであれと、手厚く葬る。
それ以降は、ウサギとしてはロップイヤーのロッキーだけ・・・。
2006年 7月 11日、最愛の家内は胃ガンのため他界。
こんなささいな写真でも、いまではボクたち生活の一端でもあったわけで想い出深いもの。
同年
秋、長女にあずけたロッキーも、家内の後を追うように逝去。
アメ・ショの「ヨル」(1991年生まれ)だけがいまだ健在。
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'09年 12月
22日、アメショのヨルちゃんも悪性リンパ腫で逝去、享年18年半。
猫としてはたいへん高齢で、人間なら100歳を超えてるでしょう、私の手の中で息を引き取りました。 |
スズメバチでさえ、家内にとってはペット? |
それは、3、4年前の、ある年の初夏のこと・・・。
わが家の二階、西側に洗濯物を干すための巾2.3m、長さ5.4mの、細長い木造のベランダがあります。
その北側、天井の片隅に、なんとスズメバチが巣をつくり始めたのです。
心配したのは小生。
万一、洗濯物を干したり取り込んだりする際、家内が刺されでもしたらそれこそ大事件。
そこである日、『あの巣、取ってあげようか?』といったのです。そうしたら、『ううん、大丈夫だからいいよ』と、ニッコリ顔で答えるのです。
巣は、はじめはテニス・ボールほどしかなかった物ですが、日増しに大きくなっていきます。
初秋近くになったら、巣は、もうラグビー・ボールほどになり、それに比例して働きバチの数もグンと増えていきました。
いよいよ秋も深まり、自然界の、ハチのエサである虫の生息数が減っていくと、彼らはさらに凶暴になることが知られています。
そのため、ときおりテレビや新聞で、「子供が遠足で刺されて重体」とか、「年寄りが刺されて死んだ」というようなことも報じられています。
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駐車場の二階・ベランダにできたスズメバチの巣
(08.7.24 : 撮影) |
だから、テレビで知った注意事項を家内に伝えたのです。
一度目より、二度目に刺された場合、ショック症状におちいり死に至ることもあることや、
また、彼らは近づく外敵に対して、何段階かの警告を発するから、その見極めをよく判断して注意するように、などなどです。
最初、彼らは自分のテリトリーに外敵が一定の距離に近づくと、
2、3匹がスクランブルをかけてきて、かなり近くまで来て「ブンブン」と威嚇します。
このとき、そっと後ろに下がれば、彼らはそれ以上襲うことはありません。
もし、それ以上近にづくと、こんどは外敵の真正面に来て、「カチン、カチン」と牙を鳴らします。
このときも同じで、そっと下がるのがいいのです。
さらに近づくと、目の前にきて、尻尾から相手の目を狙って毒液をかけるのです。
その毒液には、さらに、「外敵がきたーゾッ!」と、仲間を呼ぶ一種の「攻撃フェロモン」にもなっているのだそうです。
それでも巣に近づいたら、今度は襲いかかってきて、本当に刺すわけです。
そのころ、わが家のスズメバチは、いわゆる凶暴なオオスズメバチではなく、
やや温和しいキイロスズメバチということも分かったのですが、それでも相手はスズメバチ。
『ねぇ、ボチボチ取った方がよくない?』と、家内に伺いをたてたのですが、相変わらず『ううん、大丈夫よ!』でした。
その上、『あの子たちは、洗濯物を干している私の脇を、
「お母さん、行ってきます」というように出かけ、「ただいまーッ」って、ブーンと帰ってくるのよ』とまで・・・。
テレビの特集では、スズメバチは鳥の唐揚げが大好物だから、子供の遠足のお弁当には、
スズメバチを呼び寄せるようなものは注意した方がいい、というようなことも報じられていました。
それで、家内はトンカツや、鳥の唐揚げのかけらをベランダに置いたり、ハチミツを水で少し薄めた物を置いたりもしたのです。
『折角さーァ、あの子たちにエサを準備してやったのに、全然、食べたり、飲んだりしてくれない』と、
それはそれはもう、ガッカリした表情でボクにいうのです。
そんなことがありましたが、小生の心配をよそに、結末はあっけなくやってきました。
晩秋のある日、オオスズメバチに駆逐されたものか何かの理由で?巣だけを残して、ハチたちは急にいなくなったのです。
さて、小生は子供の頃、よく近所の悪ガキなどと一緒にアシナガバチの巣をとり、その幼虫を鍋で炒って食べたりもしました。
戦後の食糧事情が悪かったときでもあり、イナゴや、シマガエルなども含め、そんなものまでもが貴重なタンパク源だったのです。
だから、たとえスズメバチでも、巣を撤去する程度の自信はありました。
白っぽい帽子をかぶり、その上からレースのカーテンでも被り、隙間のないようにします。
彼らは、まず、黒いものに向かって攻撃を仕掛ける、という習性があるからです。
そのような出で立ちで、掃除機を使い、一定の距離を置いて、一網打尽に吸い取るのです。
それまでも、ラン栽培の温室内につくったアシナガバチの巣は、何度も、そうして獲ったことがあったのです。
家内が没して早二年、6月には三回忌の法要も済ませましたが、巣は未だ健在。
小生自身が洗濯物を干しに行くたびに、この、空っぽになった巣を見上げ、そんな、懐かしい想い出にひたることもできます。
蝶のツマグロヒョウモンも含め、
きっと、家内の前世は、虫語が分かる昆虫だったのではと思うぐらい、
ただの虫さえも彼女は愛していたのです。(08.7.24 : 追記)
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