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日本における近世以前の市場の特徴

初めに
 今回は、第七回「ミュケナイとポリスとの比較」と同様に、もう十年ほど前に書いた雑文を採録した。当時書いた雑文は、その多くが散逸してしまったのだが、これは珍しく現在まで残っている。今改めて読み返してみると、当時が思い起こされて懐かしい限りだが、内容はというと、根拠薄弱(というか、今となっては何を根拠としたのかよく思い出せない)で今となってはかなり疑問を抱いてしまうし、また低水準で恥ずかしいものでもある。とはいえ、現在の私も当時の考えを全否定できるだけの根拠は持ち合わせておらず、これを契機に今後この問題について少し考えていこうかとも思う。尚最初に断わっておくと、当時「前近世」をいかなる意味で使用していたのか思い出せないのだが、恐らく江戸幕府成立よりも前のこととしていたのではないかと思われる。

本論
 前近世の市場は、河原・川の中州・海と陸との・境目の浜・山と平地との境目の坂・辻・寺社門前などに立った。この中には、必ずしも交通の便が良いとは言えないところもある。だが、これらの場所は境界領域であるという共通点を持つ。これらの境界は、聖界と俗界とが分かたれるところとされ、市場は特別な聖域であり、神や仏の世界に繋がる市場として考えられていた。更に、市場は日常の諸関係を断ち切る非日常的空間と考えられ、市場に入った物は全て神や仏のものとなる、という概念も存在した。従って、市場では物も人も世俗の縁から切れてしまう。そうした機能を持つ市場において、物と物は商品として交換された。
 さて、前近世の市場の一例として、平城京に設けられた東西の官営の市を取り上げてみたい。この市は、上記の上記の特徴を有していないようにも思える。だが、7世紀後半の天武天皇以降、柿本人麻呂の歌からも窺えるように天皇の神格化が進行した。従って、平城京の市も、神=天皇のいる聖界と俗界との境界領域であると意識されていたと思われる。この例から、当時の市の立っていた場所は、一見すると境界領域とは思われなくとも、当時の人々からは充分境界領域と見なされていたものと推測される。

 次に考えてみたいのは、境界領域で物の交換や売買が行われた理由である。近世以前の日本には、物の交換や売買は俗界ではなく市で行わねばならないとの観念が存在したが、これは何故だろうか。
 日本では、物は単なる物ではなく、その人の魂が入っている、との観念が存在した。従って、俗界では物は人格の一部であるということになり、物と物を商品として交換したり売買したりすることはできない。そのため、一旦物を境界領域である市場に持っていき、世俗の縁を切って神や仏のものとした上で交換したり売買したりする必要があったのである。これは神仏を媒体にした行為であり一種の供儀であった。即ち、神仏への寄進・奉仕であり、神仏を喜ばせる行為と当時は考えられていたと思われる。
 前近世の市場は、物と物を交換したり売買したりするだけの場所ではなく神仏を祭る場でもあり、交換及び売買行為は神仏を崇める儀式である、とも当時は考えられていたと推測される。

 こうした市場の具体例としては、平城京の東西の官営市の他に楽市場も挙げられるが、これはやがて権力=俗の世界に組み込まれ、本来の性格が失われていった。市場は次第に俗権力に組み込まれ、その聖的性格を失っていった。その転換期は、俗権力=戦国大名が聖の世界を自らの支配に組み込んだ戦国時代である。その意味で、戦国時代は俗の世界が聖の世界を圧倒するようになった重要な転換期と言える。