世紀の対決

 

初めに
 駄文は、途中よりずっと歴史関係の文章が続いたのだが、ネタ切れもあって
前回は競馬関係の雑文となった。駄文は、本来は随筆もどきの文章を掲載するために設置したのであり、歴史関係に限定しているわけではないので、今回も競馬関係の雑文を書いてみようかと思う。
 さて内容はというと、世紀の対決と当時呼ばれた1992年の第105回天皇賞(春)についてである。故に、今回表題を「世紀の対決」としたのである。以下、このレースの背景について書き、それと共に当時の私の考えやマスコミ報道や競馬界を巡る雰囲気などについて述べていこうかと思う。

第105回天皇賞(春)
 第105回天皇賞(春)は、メジロマックイーンとトウカイテイオーの初対決ということで異様な盛り上がりを見せていた。6歳のメジロマックイーンは前年の天皇賞(春)の覇者で、4歳時には菊花賞も制していた他、阪神大賞典も連覇しており、3000m以上で負けたのは4歳時の嵐山ステークスだけで、それも明らかな騎乗ミスが原因だったから、長距離戦では抜群の強さを認められていたのである。一方5歳のトウカイテイオーは、前年に皐月賞と日本ダービーを無敗で制し、その直後骨折して長期休養に入ったが、5歳になって迎えた復帰戦の大阪杯では楽勝で、未だ無敗を誇っていた。当時既に日本競馬史上でも屈指のステイヤーとの評価もあったメジロマックイーンと、無敗の二冠馬トウカイテイオーとでは、果たしてどちらが強いのか、現役最強馬はどちらなのか、高い能力と実績を認められた両馬の初対決、しかも鞍上はメジロマックイーンが武豊騎手でトウカイテイオーが岡部幸雄騎手と、それぞれ中央競馬の東西を代表する騎手だけに、競馬界と競馬ファンはこの話題で大いに盛り上がったのである。
 戦前の下馬評はトウカイテイオー有利であった。特に競馬マスコミは、トウカイテイオー有利を紙面で煽った。予想を離れての人気の面でもトウカイテイオーの方が遥かに上だった。一つには、メジロマックイーンは前年のジャパンカップと有馬記念で敗れて底を見せたようにも思われたのに対し、トウカイテイオーは無敗でまだ底を見せていなかったからである。また、出世が遅く同期にメジロライアンという人気馬がいたメジロマックイーンに対して、トウカイテイオーは早くから頭角を現し同期にそれほどの人気馬がいなかった。更に、血統に由来する両者の物語性に、華やかさの点で大きな差があった。両者とも、母系は良血の部類に入るだろう。共に日本在来の古い母系で、トウカイテイオーの伯母トウカイローマンはオークス馬であった。メジロマックイーンは兄が菊花賞と有馬記念を勝ったメジロデュレンで、近親にも重賞勝馬が珍しくなかった。だが、トウカイローマンもメジロデュレンも地味な馬で、特に人気があるということはなかったため、両者とも特に話題性が高い母系ではなかった。
 大きな違いは父馬であった。トウカイテイオーの父シンボリルドルフは日本競馬史上最強馬と謳われ、そのカリスマ性は抜群であった。故障のため父とは異なり三冠はならなかったが、この時点では無敗であり、更に大阪杯から父と同じく岡部幸雄騎手を主戦に迎えたトウカイテイオーに父シンボリルドルフを重ねて応援している人も多く、父が失敗に終わった海外遠征に期待を寄せている人もいた。実際陣営は、天皇賞に勝てば海外遠征を行う用意があると示唆していた。一方メジロマックイーンの父メジロティターンは、3200mで行われていた頃の天皇賞(秋)をレコードで制したものの、格下相手にあっさり負けることが多く、ムラ馬との評価をされた地味な馬であった。実は、メジロマックイーンの父系にも充分な物語性はあった。内国産種牡馬がなかなか育たない日本競馬界にあって、祖父メジロアサマから三代続きの天皇賞制覇、受胎率が極端に悪かったメジロアサマを馬主が見捨てることなく執念で繁殖牝馬に付け続け、遂には数少ない産駒の中から天皇賞馬を出したことである。だが、こうした物語性が当時のファンの琴線に触れることはほとんどなかった。
 こうした視点では両者の父系に大きな違いがあるが、一方で重要な共通点もあったのである。メジロマックイーンの父系曽祖父とトウカイテイオーの父系祖父は共にパーソロンという馬であった。パーソロンは、父系では全くの傍流であるヘロド系に属する。現在、サラブレッドの父系の約9割はエクリプスの直系で、残り1割の大半がヘロド系、さらにその僅かな残りがマッチェム系である。パーソロンは日本で大成功を収めたが、やはり日本でもヘロド系は傍流である。日本競馬史における世紀の対決と言われるようなレースの主役が共にヘロド系であるというのは、日本の競馬界が遅れているのか、それとも血統の多様性を保持し世界の競馬界に貢献しているのか、どちらに解釈することもできようが、私としては後者を採りたいものである。

 両者の初対決が天皇賞(春)になるだろうということは、割と早くから分っていた。メジロマックイーンの年明け初戦は阪神大賞典となり、実力馬カミノクレッセを5馬身突き放して楽に勝ったが、そのカミノクレッセは3着馬を大差突き放していた。一方トウカイテイオーは大阪杯で長期休養から復帰し、こちらも楽勝だった。共に前哨戦を快勝したということも、天皇賞が盛り上がる要因となった。更に、岡部騎手がトウカイテイオーに調教で初めて跨った時に「地の果てまで伸びていきそうな感じ」と感想を述べたのを受けて、武騎手が「あちらが地の果てなら、こちらは天の果てまで伸びますよ」と返したのも、対決ムードを盛り上げた。
 私の競馬ファン歴の中でも、自分自身だけではなく、競馬ファンの間でもこれほど事前に盛りあがったレースはそれまで存在しなかったし、未だにないように思う。普段は競馬にさほど関心のない人々の間でも随分と関心を呼んだようで、そのためか、月曜日だか火曜日の朝日新聞の夕刊に天皇賞の展望記事が掲載され、NHKは金曜日の9時代のニュースのスポーツコーナーの中でわざわざ天皇賞を取り上げ、丁寧に予想までしたのである。本当に異例なことで、当時如何にこの話題で盛り上がったか分かるというものである。スポーツ紙も含めて競馬マスコミのほとんどはトウカイテイオー有利と煽ったが、朝日新聞の記事は両者ほぼ互角とし、NHKはメジロマックイーン勝利を予想した。
 メジロマックイーンのファンである私は当然メジロマックイーンの勝利を予想していたが、スポーツ紙があまりにもトウカイテイオー有利を伝えるのを腹立たしく思っていたため、朝日新聞の記事には感心したし、NHKの予想については、偶に中継する以外ほとんど競馬を無視しているにも関わらず真っ当な予想をしているではないかと思い、NHKを見直したものである。私がメジロマックイーンの勝利を予想したのは、単にファンであるからだけではなく、一応まともな根拠もあった。メジロマックイーンが長距離戦に実績抜群で中5週という適度な感覚で臨むのに対して、トウカイテイオーは2400mまでの経験しかなく中2週で臨むのである。更に、この頃京都競馬場の芝コースは荒れており、パワーがあり荒れた馬場も苦にしないメジロマックイーンには有利に思えた。もっとも、私がメジロマックイーンの勝利を予想し望んだのには他にも理由があった。ミスターシービーから競馬に関心を持ち、ファンであった私は、多くのミスターシービーのファンがそうであるように、シンボリルドルフを毛嫌いしていた。トウカイテイオー自身は特に嫌いというわけでもなかったが、トウカイテイオーが勝つことによりその父シンボリルドルフの名声が上昇するであろうことに当時の私は耐え難かったのである。
 トウカイテイオー有利と見る人は、長距離や荒れた馬場での実績よりも、底を見せていないという未知の魅力に惹かれた。しかし、トラックマンを初めとする競馬マスコミ人の中には当初は冷静な人も多くいたはずで、諸条件を考慮するとメジロマックイーン有利とする人もいた。ところが、本番が近付くにつれ紙面はトウカイテイオーで一色となり、当日の予想でもトウカイテイオーに本命の印が多く打たれていた。これは後で知ったのだが、あるトラックマンは、一週間前には「荒れた馬場で3200mのレース、冷静に考えればメジロマックイーンですよ」と言っておきながら、当日の紙面ではトウカイテイオーに本命の印を打っていたのである。そのトラックマンは後日、「周囲の雰囲気に流されてしまった」と言ったそうである。これはトラックマンだけでなくファンもそうで、マスコミがトウカイテイオー有利を煽った結果、最終的な単勝オッズはトウカイテイオー1.5倍に対してメジロマックイーン2.2倍となったのである。これが逆なら分かるが、如何にトウカイテイオーに未知の魅力があったとはいえ、明らかに過剰人気であった。

 レースはというと、メジロマックイーンが早めに仕掛け、トウカイテイオーもそれに付いていって四角ではその直後につけ、一瞬やはり一騎討ちかと思わせたが、メジロマックイーンが力強く伸びて快勝したのに対して、トウカイテイオーは直線で失速して大きく離された5着と完敗であった。東京在住の私はテレビ観戦していたので後日知ったのだが、レース後スタンドから岡部騎手に野次を飛ばした人々がいたそうである。岡部騎手は積極的に勝ちにいき、その結果トウカイテイオーは力尽きて5着に終わったのだが、大金が投じられているのだから、慎重にいってせめて2着は確保しろ、とその人々は言いたかったのだろうか。
 私は、岡部騎手の騎乗は全く間違っていないと思う。トウカイテイオーがメジロマックイーンと雌雄を決して真のチャンピオンを目指すべき馬であることは衆目の一致しているところであり、メジロマックイーンを負かすには積極的に捕まえにいくしかなかったのだ。慎重にいってメジロマックイーンを楽々と逃がしてしまい、その結果2着を確保したとして、それで関係者やファンは納得するのだろうか。一抹の不安を抱きつつ、それでもトウカイテイオーの未知の魅力に賭けて岡部騎手は積極的に勝ちにいったのである。その行為は、非難されたり野次を飛ばされたりするものではないと思う。
 翌日のスポーツ紙の一面はメジロマックイーン一色で、朝日新聞は朝刊の一面にカラー写真入りで記事を掲載した。このレースが如何に話題を呼んだが、これで分かろうというものである。だが、スポーツ紙はメジロマックイーンの勝利を賛美するだけで、自分達がトウカイテイオー人気を煽ったことに対する反省はなかった。スポーツ紙は英雄願望が強く、過剰に持ち上げることがしばしばある。その「英雄」が挫折すると、一転して叩いたり無視したりし、自分達が過剰に持ち上げたことへの反省がない、ということは珍しくない。とはいえ、この時は短期間であまりにも露骨だったため、流石に私も腹を立ててしまった。
 まあマスコミ報道に色々と腹を立てたとはいえ、第105回天皇賞(春)ほど心待ちにしたレースというのはなく、応援していたメジロマックイーンが快勝したこともあり、今となっては良い思い出となっている。このように心待ちにするようなことなどそうそう巡り合えるものではないが、そうした機会があれば、当時のように精一杯楽しみたいものである。

 

 

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