続 一元論と多元論
初めに
今回は、久々に歴史関係の雑文を書いてみようかと思う。内容はというと、第10回「人類史における一元論と多元論を巡る考察」の続編のようなものであるが、前回はやや詳しいものだったが、今回は本当に単なる雑感である。気軽に読んで頂ければ幸いである。
一元論の魅力
私は第10回で書いたように、現在は世界における文化や文明の誕生に関しては独立多元的であった側面が強いと考えている。とはいえ、ユーラシア各地の文明の成立に関しては西アジアの影響が決定的だったのではないか、との考えを完全に捨て去ったわけではない。
私に限らず、一元論に惹かれる人は少なからずいるようである。普通は、文明の根源地を西アジアと想定するのだが、中には突拍子もない見解を提示する人も少なからずいる。1万年以上前に、未知なる超古代文明があり、そこから世界各地へと文明が伝播したとする人も少なからずいるのである。
その場合、未知なる文明の根源地として沈没した大陸や南極大陸が挙げられることがよくあり、中には地球外に求める人もいる。人類に文明を齎したのは、地球外知的生命体というわけである。
何故こうした考えが一定の支持を得るのかと考えると、一つには、多数の証拠を積み重ねて歴史像を描くのは素人には面倒で退屈に感じられることが屡々あるので、つい珍奇な説明に飛び付いてしまう、ということが考えられる。
もう一つは、あくまで私に即しての推測なのだが、一元論の方が多元論よりも単純明快な性格が多分にあるためなのではないかと思う。私は随分と単純な人間なので、つい一元論に惹かれてしまうのではないか、とも思うのである。とはいえ、これはあくまで無知で単純な私には当て嵌まるかもしれないが、一般論としては甚だ説得力に欠ける説明なのかもしれない。
多元論の可能性
無知で単純極まりない私は特に注意しなければいけないのだが、ある事象を無意識のうちに一元論で説明しようとし、最初から多元論の可能性をほとんど排除することが屡々あるように思われる。
稲作始原地を巡る議論がそうで、新たな発掘がある度に、長江中流域だ、いや長江下流域だと議論が喧しいが、鳥越憲三郎氏が仰るように、長江流域で同時多発的に稲作が開始されたという可能性も否定はできないように思う。
東アジアにおける金属器の使用と製作技術に関しても、私は西アジア伝来と考えてほとんど疑うことはなかったのだが、少なくともアメリカ大陸ではユーラシア大陸と無関係に金属器の製作が行われた可能性が極めて高く、そういう実例がある以上、或いは東アジアでも西アジアの影響ではなく独自に金属器の製作と使用が始まった可能性も全否定はできないように思われる。
同様のことは戦車についても言え、私は中国の戦車は西アジア伝来と考えてほとんど疑わなかったのだが、或いは中国で独自に開発され使用された可能性もなくはないとも思う。実際、中国の戦車については独自起源を主張する専門家もいるようである。
とはいえ、やはり私は、中国の金属器や戦車については西アジアから齎された可能性がかなり高いとは思うが。ただ、最初から多元論の可能性を排除することは極力避けていこうかと考えている。