製鉄革命

 

初めに
 今回は、
第17回の駄文「尼子氏の財源」の補足のようなもので、簡単に触れた日本の戦国時代における製鉄革命についてもう少し詳しく書いてみようかと思う。ほとんど山口啓二『鎖国と開国』(岩波書店1993年)の受け売りなのだが、最後まで読んで頂ければ幸いである。

 

日本の製鉄革命
 日本に鉄器が伝わったのは紀元前3世紀頃だと推測される。古代における金属器の使用は、普通は青銅器から始まり、その後相当長い期間を経て鉄器の使用が始まるのだが、日本は珍しいことに青銅器と鉄器がほぼ同時に流入した。これは、日本が古代においては辺境に存在したためでもあろう。
 日本の鉄器と製鉄技術は朝鮮半島から齎されたと普通は言われるが、これは西日本の話で、東日本では北回りで中国やシベリアから齎された可能性もある。また、基本的に日本の製鉄は近代以前は砂鉄製鉄だったが、東日本では鉄鉱石製鉄が先ず行われた可能性が高いという。
 砂鉄製鉄とは、砂鉄を粘土で焼いた炉の中で木炭と一緒に高熱で焼き、砂鉄を還元・溶融して鉄を取る方法である。これは、16〜17世紀にかけての製鉄革命でも基本的に変わらなかったのだが、大幅な技術的向上が達成されたのである。その様相は以下の如きものであった。

@鉄穴(かんな)流し
 15〜16世紀頃、川の上流を塞き止めて下流域へ向って長く用水路を引っ張る技術が開発され普及し、この方法が砂鉄掘りに応用されたのである。砂鉄の堆積している山の傍らに用水路を造り、そこに掘った砂鉄を投げ込むと、用水路の急流の中で土砂は遠くへ流れ去り、重い砂鉄だけが流れの底に沈殿し、大量に砂鉄を集めることができるのである。

A規模の大きい踏み板鞴(ふいご)
 粘土で築いた大きな箱を二つに仕切り、そこに厚くて大きい島板を載せ、島板の下に炉への吸入口と吹出口を設けた装置を置き、島板をシーソーのように漕ぐ。そうすると、中の空気が交互に押されて吹き出てくるわけで、16世紀頃こういう送風装置が造られるようになったのである。
 従来は、皮で作った袋や、これに板を張り手や足で潰して作った鞴で空気を押し出していたが、これでは大量の送風は不可能である。踏み板鞴だと、島板を大きくして踏む人数を増やせばそれに応じて大量の風を続けて炉に吹き込める。これにより、炉の中の温度を著しく高めることと連続作業が可能となった。踏み板鞴はその後も改良されていき、風量の調節と持続の向上が図られ、鞴から炉に吹き込む風を炉の隅々に行き渡るようにする工夫もなされた。こうした改良された鞴が製鉄にも用いられたのである。

B高殿製鉄
 製鉄炉は一定の温度を長時間持続しなければならないのだが、従来の製鉄は露天で行われており、雨が降ると中断され、また露天のため炉自身が冷えるので、寒い時期には都合が大変悪かったのである。そこで、屋根が設けられるようになったのだが、巨大な炉の上の屋根が燃えないように、大きな高殿が製鉄炉の上に被せられようになった。これにより、炉の温度を安定して長時間に亘って一定以上持続させることが可能となった。

 主にこれら三つの理由により、鉄製品の大量生産が可能となったのだが、この点をもう少し詳しく述べる。ABにより、炉内の温度を著しく高めて主として銑鉄を作る銑押し(ずくおし)、炉内の温度を一定に維持して主として鋼塊を作るヒ押し(けらおし)という二つの製鉄法が可能となった。
 前者では、半分は銑(ずく)と呼ばれる銑鉄が、半分はヒと呼ばれる鋼塊ができる。この鋼塊は外から中心に向って様々な成分の鉄鋼から成っているが、中心部分は玉鋼と言い、当時の世界で最も良質な鋼鉄であった。ヒは大鉄錘を落とされて破砕され、玉鋼などの良質鋼は選別して出荷され、そのまま刀や鋸など刃物の材料として用いられた。その他のヒの部分は銑と共に大鍛冶により精錬され、様々な割鉄の形で出荷された。
 こうして、様々な形態の鋼や錬鉄や銑鉄が商品として市場に出回り、しかも必要な鋼や錬鉄を入手してそのまま直ぐに鍛造することが可能となり、鍛冶労働は従来よりも容易となった。更に、@により砂鉄の大量収集が可能となっていたから、鋼や錬鉄や銑鉄が大量に市場に出回ることになり、廉価な鉄製品の大量生産が可能となったのである。

 こうした廉価な鉄製品は大別すると、武器・農具・工具となるが、大量生産された武器は日本の主要な輸出品の一つとなり、また戦国の長期に亘る争乱を可能とした。廉価な農具と工具は生産力の発展と小規模経営の自立を促した。
 生産力の発展は更なる開発を促し、それに応じて技術全般も向上していった。そもそも、製鉄革命自体が生産力の向上に要請されてのものだったという側面も多分にあるのだろうが、こうした生産力と技術力との相互作用により、戦国期の日本は大きく発展し変容することとなった。この戦国期の大変革の中から生まれ、またその変革を促進する重要な役割を担ったのが、製鉄革命だったのである。

 

結び
 嘗て、鉄は国家なり、と言われた時期があった。鉄は地球上に最も多く存在する金属であるから、古代オリエントの大昔から産業革命、更には現在に至るまで、鉄の利用法は人類の歴史に重大な影響を及ぼしてきた。
 日本もその例外ではなく、前3世紀頃の鉄器導入は国家の成立を促し、戦国時代の製鉄革命は、高度経済成長期頃まで強固に存在した日本の「伝統的社会」の成立を促した。
 現代人を他種と分つ重要な指標の一つとして技術が挙げられる。その意味でも技術史は決して軽視してはならず、中でも鉄の技術史は特に重視しなければならないだろう。

 

 

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