世界の名馬10選(18・19世紀編)

 

初めに
 今回も、
前回に続いて如何にも手抜きという内容となってしまった。次回こそは、もう少しまともなものを書かねば・・・。内容はというと、前回の姉妹編のようなもので、今回は世界の名馬10頭を私の独断で選んでみようかと思う(日本馬については前回取り上げたので、今回は最初から対象外とする)。
 海外の馬はほとんどリアルタイムで見ていないので、今回は大昔の馬も対象として取り上げようかと思う。評価基準については、競争能力を最重要視することにし、種牡馬成績や後世への影響力も考慮に入れた。ただ、競走馬の能力は18世紀と20世紀とでは大きく異なると思われるので、18・19世紀編と20世紀編の2回に分けようかと思う。
 18世紀と19世紀とでも大きく競走馬の能力が異なり、寧ろ19世紀と20世紀の方が能力差は小さいかもしれないが、記録量と正確さの問題もあるので、こうした区分にした。今回も、10頭選ぶだけでも随分と悩んでしまい、順位付けの方が全く纏まらなかったので、順位付けを行わず、10頭を生年順に列挙することにしたい。

 

10選
フライングチルダーズ(Flying Childers)
 1715年イギリス産牡馬。何といっても近代競馬草創期のことで記録があまりなく、戦績は不明な点が多いが、確認されている限りでは7・8歳時に5戦5勝である。1マイルを1分で走ったとの驚くべき伝説があり、流石に現在ではこれを信じる人はいないが、こういう伝説が生まれる程、桁外れの能力を人々に印象付けていたのだろう。
 具体的な記録としては、約6120mのレースを6分40秒で走り大差勝ちした、というものがある。1930年代には、同じ距離の走破に約6分50秒かかっていて、18世紀前半としては驚異的な能力の持ち主と言える。因みに、天皇賞(春)と菊花賞の合計距離が6200mで、各レコードタイムの合計が約6分17秒だが、馬場の差や継続して走ったということを考慮すれば、やはり大変な能力だと言える。
 直系は直ぐに断絶し、全弟バートレッツチルダーズの直系曾孫から出たエクリプスがサラブレッドの主流血脈を形成していったが、フライングチルダーズも、牝系を通じて後世のサラブレッドに影響を及ぼした。

エクリプス(Eclipse)
 1764年イギリス産牡馬。この時代もまだ近代競馬の諸制度確立期で、賭けのための私戦と公式レースとの区別もなく、戦績も文献により異なっているが、無敗という点では一致している。一応信頼できるレースのみを選択すると、戦績は6・7歳時に20戦20勝となる。レース内容はというと、全てにおいて危なげなく楽勝だったようで、18世紀の最強馬との評価も根強い。
 だが、エクリプスの名声を不朽のものとしているのは、何と言っても後世のサラブレッドへの影響力にある。現在のサラブレッドの約9割はエクリプスの直系であり、現代のサラブレッドの祖と言える。しかし意外なことに、リーディングサイアーには一度もなっていない。種牡馬成績自体は、驚異的なものとは言えないようである。

ハイフライヤー(Highflyer)
 1774年イギリス産牡馬。この時代もやはり、戦績には不明な点が多いが、無敗であるという点では一致している。一応信頼できるレースを選択すると、戦績は4〜6歳時に12戦12勝となる。レースではほとんど楽勝だったようで、フライングチルダーズ・エクリプスと共に18世紀の三名馬の一頭に数えられている。直系子孫は断絶してしまったが、自身の種牡馬成績は抜群で、12年連続13度のリーディングサイアーになっている。

ザフライングダッチマン(The Flying Dutchman)
 1846年イギリス産牡馬。戦績は3〜6歳時に16戦15勝で、主な勝ち鞍はダービーとセントレジャーとアスコットゴールドカッブである。唯一の敗戦は、ドンカスターカップでのヴォルティジュールに対してのものだったが、これは騎手が泥酔していたためだと言われていて、翌年のマッチレースではヴォルティジュールを1馬身差で下している。種牡馬成績はまずまずだったが、競争成績に相応しいものとは言えない。直系子孫にトウルビヨンや日本で成功を収めたパーソロンがいる。

グラディアテュール(Gladiateur)
 1862年フランス産牡馬。戦績は3〜5歳時に19戦16勝で、主な勝ち鞍は三冠とアスコットゴールドカップである。敗戦は3歳時の2戦と4歳時の最終戦だが、脚部不安や重い負担重量や疲労によるもので、この馬の価値を減ずるものではない。常に脚部不安を抱えていたがほとんどのレースでは楽勝で、アスコットゴールドカップでは40馬身差の圧勝だった。この時代のサラブレッドの水準は、イギリス産馬がフランス産馬より優位に立っていて、グラディアテュールは突発的な名馬と言え、ダービーを勝った初の外国産馬となった。フランス競馬史ではシーバードと並ぶ歴史的名馬だが、種牡馬成績は何故か極端な不振であった。

キンツェム(Kincsem)
 1874年ハンガリー産牝馬。戦績は3〜6歳時に54戦54勝で、主な勝ち鞍はグッドウッドカップとバーデン大賞である。当時の競馬一流国ばかりで多くの一流レースを走り、そのほとんどが楽勝で桁外れの成績を残したことから、史上最強馬とする人も多い。繁殖牝馬としても優秀で、現在でも名牝系として世界で大切にされている。愛情深い馬で、厩務員とは深い信頼関係で結ばれていた。

サンシモン(St.Simon)
 1881年イギリス産牡馬。戦績は3・4歳時に9戦9勝で、主な勝ち鞍はアスコットゴールドカップである。全レースで楽勝であり、3歳時の主戦アーチャー騎手も、名馬オーモンドよりも上で最強馬と評価していた。競争成績も素晴らしかったが、この馬の真価は何と言っても種牡馬成績にあり、通算9度リーディングサイアーとなり、産駒も種牡馬として大活躍し、イギリスではサンシモン系でなければ馬ではない、という状況が出現したが、何故か直系は急速に衰退していき、現在ではあまり振るわない。だが、現在のサラブレッドへの影響力には甚大なものがあり、或いはエクリプス以上かもしれず、現在のサラブレッドの能力を著しく高めたと言えよう。性格は非常に激しかったようである。

オーモンド(Ormond)
 1883年イギリス産牡馬。戦績は3〜5歳時に16戦16勝で、主な勝ち鞍は三冠である。着差はそれほどでもなかったが、ハードウイックステークスで宿敵ミンティングに苦戦した以外は全て楽勝だった。種牡馬成績の不振と喘鳴症ということもありアルゼンチンに売却され、その後更にアメリカに売却された。直系子孫にテディがいる。

カービン(Carbine)
 1885年ニュージーランド産牡馬。戦績は3〜6歳時に43戦33勝で、主な勝ち鞍はメルボルンカップである。裂蹄の影響もあって度々負けたが、重い負担重量を背負っての豪快なレース振りはオーストラリアで大いに人気を集めた。 種牡馬成績はまずまずで、後にイギリスに渡ってダービー馬のスペアミントを出した。スペアミントは牝系を通じてネアルコを出し、現在のサラブレッドに大きな影響を与えた。

アイシングラス(Isinglass)
 1890年イギリス産牡馬。戦績は3〜6歳時に12戦11勝で、主な勝ち鞍は三冠とアスコットゴールドカップである。唯一の敗戦は、距離不足と重いハンデのためだと言われている。見た目は楽に勝つという感じではなかったが、最後まで相手に抜かせることなく、大レースを勝ち続けた。最多賞金取得馬となり、この記録は1952年にタルヤーに破られるまで、実に半世紀以上に亘って守られ続けた。種牡馬としてはまずまずの成績で、直径子孫にブランドフォードが出ている。

 

 

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