序章
人類種区分の問題
生物種の区分
人類の定義については、第2章で述べることにする。以下に人類史を述べるにあたって問題となるのは、人類種区分の曖昧さである。人類史にかんする文章を読んで私もふくめて多くの人が戸惑うだろうことは、その種区分の複雑さである。属と種名とを組み合わせて表示される人類種の数は、研究者によっては20以上にもなるが(諏訪.,2006)、各種の系統関係には曖昧なところも少なからずある。また研究者によって種区分が異なるのも、複雑だとの印象を強めている。なぜこうなるかというと、種の定義が困難だからである。
私がこれまで想定してきた生物種の定義とは、自然な状態で(これも定義が難しいのだが、本題に深刻な影響を与えるわけでもないので、今回は触れない)生殖が行われ、その子孫が代々維持されていくような集団(馬とロバのように、生殖行為の結果として子が生まれても、その子に生殖能力がなければ同種とは言えない)、ということである。しかしこの定義を採用したとしても、厳密に種の定義をするのは現存生物でさえなかなか難しいだろうし、古生物では事実上不可能である。
人類も含めて古生物や現存生物の種区分のおもな基準は、昔は形態だったが、近年ではDNAの塩基配列がじゅうような役割を担っている。しかし、どうしても便宜的なものになってしまうのは否めない。とくに形態面での問題は大きく、両極端な基準標本を比べれば違いは明確だが、進化は連続的なので、じっさいにはどう分類してよいか判断困難な中間的な化石が、人類にかぎらず少なからずあって区分が難しい。とはいっても、人類がどのように進化してきたかということを見ていくうえで、進化系統を復元するためにも人類種区分の問題は避けて通れず、より合理的な区分が必要とされていると言える。
ここで注意すべきなのは、人類種の区分とはいっても、生物種区分の一つにすぎないのだから、生物種区分全体の中において整合性のある区分でなければならない、ということである。それは、種より上位の区分である属や目のレベルにおいても同様である。たとえば、現存生物で人類にもっとも近いチンパンジーがヒト科なのかヒト上科なのかといった問題も、霊長目のみならず、哺乳綱、脊椎動物門、さらには動物界までさかのぼって見渡し、より合理的な区分をしなければならない。
近年の分類学は、客観的に見えるDNAの塩基配列の違いを重視する傾向にあるが、複雑な構造・生態の生物の区分には、どうしても恣意的にならざるを得ないところがある。より妥当な分類を目指すには、DNAの塩基配列だけではなく、伝統的な形態的分析はもちろんとして、身体機能や行動という容易に「測れない」因子や、分布域や個体数の変遷といった生態学的側面なども加味し、総合的に分類を考えるべきだろう(海部.,2005A、関連記事)。
この観点からは、ネアンデルターレンシスとサピエンスとは別種とするほうがよさそうである。ただ、断定するにはまだ証拠が不足しているように思う。もっとも、ここまで述べてきた種区分についての私見は理想論であり、専門家でもない私にそのような合理的な区分ができるわけではないから、これまでの研究成果を参照しつつ、自分なりにより合理的と思われる区分を採用していくしかない。
人類種の区分
次に、やや具体的に人類種区分の問題をみていくことにする。きょくたんに単純化して言えば、20世紀半ばの進化総合説の成立までは、発見者が人骨を発見するたびに新たな種や属を提唱していたようなところがあり、多数の人類種・属が乱立していた。しかし進化総合説の成立以降は、個々の人骨の差異が種間の地理的差異とみなされ、ピテカントロプス=エレクトス(いわゆるジャワ原人)とシナントロプス=ペキネンシス(いわゆる北京原人)とが同一種ホモ=エレクトスとされたように、人類の属と種の数は激減したのである(Trinkaus et
al.,1998,P344-345)。
ところがその後、古人骨の発掘数の増加もあって、再び人類の属と種を細分化しようという動向が強まっている。種の区分を細分化しようとするのがスプリッター(分割派)で、人骨の違いを種間差異とみなして区分をなるべく減らそうとするのがランパー(統合派)である(河合.,2007,P31-32,P44-46)。本や論文によって人類種区分がことなるのは、著者が分割志向か統合志向かという違いによるところが大きい。
アフリカの初期ホモ属をエルガスターにするのかエレクトスに含めるのか、いわゆる頑丈型猿人をアウストラロピテクス属に含めるのかパラントロプス属とするのか、ハビリスとルドルフェンシスとは区分され得るのか、ハビリスはホモ属なのかアウストラロピテクス属なのか、ルドルフェンシスはホモ属なのかケニアントロプス属なのか、ケニアントロプス=プラティオプスは独立した属なのかアウストラロピテクス属なのか、といった問題が両者の代表的な対立点である。なお、この第3版ではエルガスターという種区分は採用せず、エレクトスという種区分で統一する。
証拠がきょくたんに限定される古人類学においては、種区分というのは半永久的に解決されない問題であり、あくまで便宜的なものと割り切って、大胆な変更をつねに覚悟しつつ、現時点で最善と思われる区分を提示していくしかないのだろう。ゆえに、現在の人類の系統樹も、今後の新発見などにより劇的に変わる可能性がある。現在では、アウストラロピテクス=アファレンシスを現代人の祖先とする見解が一般的だが、アファレンシスと同時代に存在した未発見の別種が、じつは現代人の祖先だったという可能性もある。古人類学においては、こうした問題は常についてまわると認識しておくべきである。なお、目次のリンク集の項に、現時点での自分なりの人類進化系統図を掲載しておいた。
参考文献
Trinkaus E, and Shipman
P.著(1998)、中島健訳『ネアンデルタール人』(青土社、原書の刊行は1992年)
海部 陽介(2005) “現代人の起源”Anthropological
Science (Japanese Series) Vol. 113: 5-16 (2005) . 、関連記事
河合信和(2007)『ホモ・サピエンスの誕生』(同成社)、関連記事
諏訪元(2006)「化石からみた人類の進化」『シリーズ進化学5 ヒトの進化』(岩波書店)、関連記事