第2章
ホモ属の出現
ホモ属出現前夜の状況
ホモ属の定義も難しいが、脳の巨大化・現代人とほぼ変わらないような直立二足歩行形態が指標となるだろうか。しかし、300〜250万年前頃までの化石が乏しいため、どのような系統からホモ属が登場したのか、断定は難しい。現時点での証拠から判断すると、現在アファレンシスと分類されている集団のなかに、ホモ属の祖先がいた可能性がもっとも高いだろう。
アファレンシス以降(300万年前〜)の人類(とされている生物集団)は、頑丈型と華奢型に区分されることが多いが、華奢型はかならずしも系統的・形態的にまとまりがないため、「非頑丈型」と分類する見解もある(諏訪.,2006)。おそらく、頑丈型は現代人の祖先ではなく後に絶滅し、華奢型のなかに現代人の祖先がいたものと思われる。
いわゆる頑丈型猿人は、文字通り頑丈な印象を与える形態をしており、とくに咀嚼器で著しい(Lewin.,2002,P125)。現在のところ頑丈型は、エチオピクス(アフリカ東部、270〜230万年前頃)・ボイセイ(アフリカ東部、230〜140万年前頃)・ロブストス(アフリカ南部、180〜100万年前頃)の三種に分類されており、身長は110〜140cm、脳容量は500cc弱といったところである(Lewin.,2002,P123)。今のところ、これら三種が石器などの道具を使用していたかどうか定かではない。
これら三種については、「人類種区分の問題」の章で述べたように、アファレンシスやアフリカヌスなどと同じくアウストラロピテクス属とするのか、別に属を設けてパラントロプス属とするのかという点をめぐって、見解は一致していない。とりあえず今回は、アウストラロピテクス属説を採用する。これら三種の系統関係もはっきりせず、エチオピクスからボイセイとロブストスが派生したとの見解が有力ではあるが、いわゆる頑丈型猿人は、アフリカ南部のアフリカヌス→ロブストスの系統と、アフリカ東部のエチオピクス→ボイセイの系統の二つに分かれる、との見解もある(諏訪.,2006)。現時点では推測の難しいところで、今後の発掘と研究の進展を待つしかない、というところである。
アファレンシス以降の華奢型(非頑丈型)には、アフリカヌス(280〜230万年前頃)とガルヒ(270〜250万年前頃)がいる。ホモ属の祖先として有力なのはガルヒのほうで、今のところ250万年前頃の化石しか発見されていないが、270〜250万年前頃の華奢型化石はガルヒのものである可能性が高く、石器使用と肉食の可能性も指摘されている(諏訪.,2006)。
ホモ属の起源については、240万年前頃までさかのぼる可能性が指摘されている(Lewin.,2002,P130)。初期のホモ属としては、ハビリスとルドルフェンシスの二種が知られているが、この二種の区分をめぐっては激論が展開されてきた。ハビリスは、アウストラロピテクス属と断定するにはホモ属的であるが、ホモ属と断定するにはアウストラロピテクス的である、という化石人骨を分類するのに便利な種区分として用いられてきたところがあり、多様な形態を含むかなり雑多な区分となってしまっていた。そのため、ハビリスは2種から構成されているのではないかとの疑念が早くからあり激論が展開されてきたが、1990年代以降は、小型をハビリス、大型をルドルフェンシスと分類する区分が有力になってきた(Lewin.,2002,P131-132)。
また上述したように、ハビリスとルドルフェンシスはホモ属としての特徴をじゅうぶんに備えているわけではないので、ホモ属と分類するのに否定的な見解もある(Wood et al.,1999)。分類の問題は難しいところであるが、ホモ属の指標を脳の巨大化・現代人とほぼ変わらないような直立二足歩行形態とすると、最初のホモ属はエレクトスということになるだろうから、ハビリスとルドルフェンシスはアウストラロピテクス属とするのが妥当だと思われる。また、ルドルフェンシスをホモ属とするじゅうような根拠は脳の大きさであったが、ルドルフェンシスの正基準標本であった‘KNM−ER1470’の推定脳容量が下方修正されたことも(関連記事)、ルドルフェンシスをアウストラロピテクス属とする根拠の一つになろう。
ハビリスとルドルフェンシスの分類問題もからみ、ホモ属の起源を探るのはなかなか難しいところがある。あえて推測すると、おそらくルドルフェンシスはホモ属とはつながっておらず、ハビリスがホモ属の祖先なのだろう。ただ、ルドルフェンシスとは区別したとしても、ハビリスが雑多な集団であることは否定できず、ハビリスをさらに複数種に区分するほうがよいかもしれない、との懸念は念頭に置いておくべきだと思う。ハビリスは250〜240万年前頃にアウストラロピテクス=ガルヒの一部から派生し、ハビリスの一部から真のホモ属たるエレクトスが200万年前頃に派生したものと思われる。
ホモ属出現の背景
人類史においてはハビリスの登場した250万年前頃が一つの転機になっているようで、この頃に石器の使用・肉食・大型化が始まっている。こうした変化の背景として考えられるのは、250万年前頃より東アフリカの乾燥化がさらに進んだ(大塚他.,2003,P27)という気候事情である。
石器の使用は260万年前頃には始まっているが(Lewin.,2002,P138)、これは肉食の開始と密接に関わっていると思われる。アウストラロピテクス属やホモ属が狩猟者だったのか死肉食者だったのかという議論がなされてきたが、おそらく人類史のうえではかなり近年まで、人類は狩猟よりも死肉漁りへの依存度が高かったと思われる(Lewin.,2002,P157-162)。
人類は石器使用前から肉食をしていただろうが、肉を骨からそぎ落とし、骨を割って骨髄を食すうえで、石器は効果を発揮する。乾燥化が進展して森林およびその生み出す食資源が縮小し、人類のサバンナでの活動が増えていくなか、人類は以前よりも肉食への依存度を高めていったのだろう。初期の石器を使用していた人類種は確定していないが、ガルヒは石器を使用して肉食をしていた可能性が高い(諏訪.,2006)。肉食により高カロリーが得られるので、脳も含めて人類の大型化は遺伝子の突然変異を前提とするものの、石器使用をともなう肉食の本格化は、そうした大型化をもたらす遺伝子を固定する役割を果たしたと言えそうである。ハビリスの登場は、こうした文脈で理解すべきだろう。
ハビリスはしだいに森林からサバンナへと生活の比重を移していったのだろうが、これがエレクトス誕生の要因になったと思われる。もちろん、現代人と変わらないような直立二足歩行は遺伝子の変異を前提としているが、そのような変異が固定したのは、森林ではなくサバンナでの生活が主体になっていたからだろう。環境変化・石器の使用・肉食・直立二足歩行は相互に密接に関係していると思われる。
1990年代になって、アフリカの初期ホモ属をジャワや中国のエレクトスと区別し、エルガスターと分類する見解が有力になったが(Lewin.,2002,P146-152)、近年になってエルガスターをエレクトスに含める見解も支持を得てきている(河合.,2007,P44-46)。エレクトスは地域差が大きく、種区分は難しいので悩むところである。東アジアのエレクトスは東南アジアのエレクトスと異なる点も多く、その一方でアフリカのエレクトスとの共通点もある(Lewin.,2002,P146-152)。
アフリカのエレクトスには多様性があり、初期型以上に東南・東アジアのエレクトスに似た100万年前頃の人骨がエチオピアで発見されている(Asfaw et al.,2002、関連記事)。ひじょうに解釈の難しいところだが、エルガスターと分類されている人骨群は多様なエレクトスの一部を構成している、と考えるのがよさそうに思う。欧州のホモ=アンテセソールも、エレクトスの地域的変異とみるのがよいだろう(諏訪.,2006)。
樹上生活に適応した体型を多分に残していたハビリスとは異なり、エレクトスは首から下は現代人とあまり変わらなかったが、椎孔は現代人よりも小さく、呼吸運動の調節機能が現代人よりも劣っていたとみられることから、言語能力は現代人より劣っていたと思われる(Lewin.,2002,P151)。とはいえ、首から下は現代人とあまり変わらないので、じゅうらいより長距離歩行能力が向上したと考えられる。これは、明らかなアウストラロピテクス属の化石がアフリカでしか発見されていないのにたいして、エレクトスは東・東南アジアでも発見されていることからも、おそらく間違いないだろう。
しかし首から上にはかなりの違いがあり、現代人男性の脳容量が平均1450cc(Lewin.,1998,P139)なのにたいして、初期エレクトスの脳容量は800〜900ccていどだった(諏訪.,2006)。ハビリスはそれ以前のアウストラロピテクス属よりも脳容量が増加し、初期エレクトスはハビリスよりも脳容量が増加しているが(Oppenheimer.,2007,P39、関連記事)、全体的に体格が大きくなった分だけ脳容量も増加した、と言えるかもしれない。
ここで注目すべきなのは、全体的に体格が大きくなったとはいえ、現代人のような直立二足歩行を可能とする形態への進化により、産道が狭くなってしまったことである(Klein et al.,2004,P107、関連記事)。いっぽう脳は巨大化してしまったため、出産がたいへん困難になってしまう。直立二足歩行と脳の巨大化とは両立しがたいのだが、この矛盾を解決したのが脳の二次的晩熟性だった。他の類人猿と比較すると、ホモ属の幼児は誕生してから急激に脳容量を拡大するようになったのである(Lewin.,2002,P151)。
もちろんこれも、脳の巨大化と直立二足歩行を両立させようとして人類が意図的にやったことではなく、遺伝子の変化による偶然だった。現在でも人類の出産は危険であるが(それでも、衛生環境と医療技術の発展により、現代では前近代よりもずいぶんと危険性は減ったが)、そうした危険性があるにも関わらず、ホモ属が直立二足歩行を維持し、ホモ属の脳容量が10万年前頃まで基本的には増加傾向にあったのは、直立二足歩行と大きな脳が生存競争のうえで有利に働いたからだろう。
脳の二次的晩熟性こそは、人類にその後の覇権をもたらした大変化だった。これにより、誕生してからの環境刺激次第では、知能が高度に発達する可能性がでてきたのである。知識が増せば、教育という名の環境刺激がますます盛んになることもあるから、いっそうの知能の発達が期待できる。ただ、エレクトスに二次的晩熟性があったとの見解には異論もある(諏訪.,2006)。そうすると、サピエンスとネアンデルターレンシスの直近の共通祖先がいた頃(60〜50万年前)に、はじめて脳の二次的晩熟性が獲得されたのかもしれない。
ここまでホモ属登場の過程をみてきたが、250万年前以降、華奢型(非頑丈型)と頑丈型の存在が確認できるなど、一気に人類の多様化が進展したかのような感がある。これは、上述した気候の変化(乾燥化)に大きな要因があったとも解釈できるし、たんにそれ以前の人骨の発見がまだじゅうぶんではない、というだけのことかもしれない。これまでの古人類学の発掘史を考慮すると、後者の可能性が高そうである。
おそらく人類は長期にわたってそのように多様性を維持し続けてきたのであり、進化は連続的で複雑なものであるから、現在まで残っているわずかな化石だけでは、種区分もふくめて人類進化史の復元はなかなか難しい。ホモ属の祖先と思われるハビリスにしても、どこまで実態のある区分か確証はない。多様なハビリス集団は、同時代の他のアウストラロピテクス属の種と交雑し、ホモ属への進化という観点からするとモザイク状の特徴を備えつつ進化していき、その一部がエレクトスへと進化したのだろう。しかし、ハビリスとエレクトスとの区分にも曖昧なところがあり、両者の中間的な集団を中心に、一定範囲内で混血があったものと思われる。
また、ハビリス的な集団は頑丈型アウストラロピテクス属とともに、かなり後までエレクトスと共存していたようである。現在のところハビリスの存在した下限年代は144万年前頃と推測されており、ハビリスからエレクトスが進化したのではなく、ハビリスとエレクトスには共通祖先がいた可能性も指摘されている(Spoor et al.,2007、関連記事)。しかし、ハビリスの一部からエレクトスが派生したと考えれば、両者の長期の共存を説明できると思う。
参考文献
Asfaw B. et
al.(2002): Remains of Homo erectus from Bouri,
Middle Awash,
Klein RG, and Edgar B.著(2004)、鈴木淑美訳『5万年前に人類に何が起きたか?(第2版第2刷)』(新書館、第1版1刷の刊行は2004年、原書の刊行は2002年)、関連記事
Lewin R.著(1998)、保志宏、楢崎修一郎訳『人類の起源と進化(第1版5刷)』(てらぺいあ、第1版1刷の刊行は1993年、原書の刊行は1989年)
Lewin R.著(2002)、保志宏訳『ここまでわかった人類の起源と進化』(てらぺいあ、原書の刊行は1999年)
Oppenheimer S.著(2007)、仲村明子訳『人類の足跡10万年全史』(草思社、原書の刊行は2003年)、関連記事
Spoor F. et al.(2007): Implications of
new early Homo fossils from Ileret, east of
Wood B, and Collard M.(1999): The Human
Genus. Science, 284, 5411, 65 - 71.
大塚柳太郎、河辺俊雄、高坂宏一、渡辺知保、阿部卓(2003)『人類生態学(第2刷)』(東京大学出版会、初版の刊行は2002年)
河合信和(2007)『ホモ・サピエンスの誕生』(同成社)、関連記事
諏訪元(2006)「化石からみた人類の進化」『シリーズ進化学5 ヒトの進化』(岩波書店)、関連記事