第8章
ネアンデルタール人をめぐる議論
シャテルペロン文化について
ほぼ中部旧石器文化に属すネアンデルターレンシスの文化だが、フランス西南部とスペイン北東部において、35000年前の前後3000年ほど継続した、上部旧石器的なシャテルペロン文化は異例な存在である。個人用装身具・本格的な骨器・洗練された石刃技法などといった現代的行動を示す上部旧石器的な要素が認められるので、かつてはサピエンスの文化と考えられていたくらいである。シャテルペロン文化がネアンデルターレンシスの所産と判明すると、以下のような解釈が提示された(河合.,2007,P135-136,141)。
(1)ネアンデルターレンシスが隣接するサピエンスのオーリニャック文化を模倣した。
(2)ネアンデルターレンシスがサピエンスの破棄した遺物を拾い集めた。
(3)ネアンデルターレンシスがサピエンスから交易などで入手した。
(4)サピエンスとは別にネアンデルターレンシスが自発的に発展させた。
(5)シャテルペロン文化の「先進的」要素は、上層のオーリニャック文化層からの嵌入だった。
サピエンスのアフリカ単一起源説が優勢となってからというもの、ネアンデルターレンシスの絶滅理由を説明しやすいということもあり、ネアンデルターレンシスとサピエンスとの違いを強調し、ネアンデルターレンシスの能力を低くみようとする傾向が強くなっている。その立場からは(4)以外が主張されるが、ネアンデルターレンシスの能力をかなり低く評価する見解での選択肢となると、(2)と(5)ということになろう。
つまりネアンデルターレンシスは、サピエンスの「先進的」文化を真似する能力もサピエンスと意思伝達をする能力もなかった、との解釈にもつながってくるからである。しかし、1990年代以降のシャテルペロン文化の研究の進展からは、(4)もしくは(1)と(4)の中間的な解釈(後述)が妥当だと思われる(河合.,2007,6章)。
この問題を解く手がかりとなるのは、オーリニャック文化とシャテルペロン文化の年代である。シャテルペロン文化の基準遺跡である「妖精洞窟」のシャテルペロン文化層に、ごく薄いオーリニャック文化層が検出されたとの見解(Gravina et al., 2005、河合.,2007,P152-157)にたいして、シャテルペロン文化層のオーリニャック文化の遺物は後世の嵌入によるもので、シャテルペロン文化の地域ではシャテルペロン文化がオーリニャック文化に必ず先行する、との反論がなされた(Zilhão et al., 2006、関連記事)。
さらに、この見解にたいする再反論もなされている(Mellars et al., 2007、関連記事)。欧州の上部旧石器時代の年代見直しの問題もあり(Mellars., 2006A)、現時点では判断の難しいところだが、欧州という地域単位でみると、オーリニャック文化はシャテルペロン文化に先行すると言えるだろう(Lewin.,2002,P162-165)。その意味では、シャテルペロン文化にたいしてオーリニャック文化が影響を与えた可能性は否定できない。
シャテルペロン文化と似たネアンデルターレンシス所産と思われる文化としては、イタリアのウルツォ文化とハンガリーのセレタ文化があり、前者はシャテルペロン文化とほぼ同年代で、後者はやや古い(45000〜40000年前頃)とされる(河合.,2007,P148-149)。セレタ文化の年代は、欧州のオーリニャック文化とどちらが早いか、微妙なところである。そうすると、やはりこれらの文化にオーリニャック文化の影響があったか否か、判断の難しいところである。ここでは、とりあえず(1)と(4)の中間的な解釈を採用しておく。つまり、ネアンデルターレンシスの文化がサピエンスのオーリニャック文化と接触して文化変容が起き、セレタ文化・シャテルペロン文化・ウルツォ文化が生まれたのではないか、ということである。
ただ、イベリア半島にはサピエンスの進出後も中部旧石器文化を維持したネアンデルターレンシス集団がいたから、オーリニャック文化と接触したネアンデルターレンシス集団すべてが、上部旧石器的な文化に移行したというわけではなさそうである(河合.,2007,P150-151)。このようなネアンデルターレンシス集団の対応の違いが何を意味するのか、現時点では推測の難しいところである。ネアンデルターレンシス集団間の知的能力に格差があったためかもしれないし、イベリア半島のネアンデルターレンシス集団は人口が少なく孤立した生活をしていて、サピエンス集団との接触がほとんどなかったためかもしれない。
シャテルペロン文化の解釈は、ネアンデルターレンシスの知的能力を評価するうえで重要な指標となる。サピエンスのオーリニャック文化の影響があるとしても、ネアンデルターレンシスが個人用装身具も含むシャテルペロン文化を築いたとすると、サピエンスにかなり近い潜在的知的能力を認めてもよいと思う。行動学的現代性のじゅうような指標とされる顔料の使用が、シャテルペロン文化以前のネアンデルターレンシスの文化に認められたことも、この見解の裏づけとなるだろう(関連記事)。
ネアンデルタール人見直し論
上述したように、サピエンスのアフリカ単一起源説が優勢となってからというもの、ネアンデルターレンシスの絶滅理由を説明しやすいということもあり、ネアンデルターレンシスとサピエンスとの違いを強調し、ネアンデルターレンシスの能力を低くみようとする傾向が強くなっている。その意味で、ネアンデルターレンシスにサピエンスとあまり変わらない潜在的知的能力を認めるのは、異端的とも言えるかもしれない。
しかし近年になって、サピエンスとネアンデルターレンシスとの違いを強調し、ネアンデルターレンシスを低く評価してきたことへの反動と言うべきか、ネアンデルターレンシスとサピエンスとの類似性を指摘し、ネアンデルターレンシスの能力を再評価する傾向が目立ってきているように思われる。
頭蓋底の形状から発声にとって重要な喉頭の位置を推定し、ネアンデルターレンシスの頭蓋底がネアンデルターレンシス以前の人類よりも平坦であることから、ネアンデルターレンシスは複雑な発話ができなかったとの見解があり、NHKスペシャルでも取り上げられたくらいだが、この見解には強い異論もある(河合.,2007,P162)。これに関連したものとして、言語能力に関わるとされるFOXP2遺伝子の問題がある。現代人に見られるFOXP2遺伝子の変異は、サピエンスとネアンデルターレンシスが分岐した後のこの20万年間に起きたものと考えられてきた。つまり、この20万年間にサピエンスが言語能力を獲得したということになり、神経学仮説ではサピエンスのFOXP2遺伝子に変異の起きた年代が5万年前近くに想定されていたのだが、ネアンデルターレンシスにも現代人と同じ変異があると指摘された(Krause et al., 2007B、関連記事)。
ネアンデルターレンシスは、サピエンスのみならず両者の祖先種であるハイデルベルゲンシスよりも早熟だったと指摘されていたが(Rozzi et al., 2004)、2006年になって、ネアンデルターレンシスとサピエンスの成長速度は変わらなかった、との批判がなされた(Macchiarelli et al.,
2006、関連記事)。もっとも2007年になって、ネアンデルターレンシスの成長は速かったとの見解が再び提示されている(Smith et al., 2007B、関連記事)。もちろん、ネアンデルターレンシスの成長速度がサピエンスと変わらなかったとしても、ネアンデルターレンシスとサピエンスとの類似性がどこまで保証されるか定かではない。ただ、シャテルペロン文化の「先進的」要素は、サピエンス文化の模倣または収集か、サピエンス文化の遺物の嵌入にすぎないといった見解は、おそらくネアンデルターレンシスの過小評価だと言ってもよいと思われる(河合.,2007,P141-142)。
ネアンデルタール人絶滅の理由
とはいっても、上部旧石器時代以降のネアンデルターレンシスとサピエンスの文化に、質的に大きな違いがあったのは否定できない(Tattersall.,1999,P163-164)。では、両者の違いはどう解釈すべきだろうか。おそらくこれは、文化(技術)・人口・平均寿命といった諸要素からなる社会的蓄積の違いによるものと思われ、ネアンデルターレンシスにはサピエンスのような年齢・性別による社会的分業がなかった、との指摘もある(Kuhn et al., 2006、関連記事)。諸要素は相互に関係しあい、総体的な社会的蓄積が増加したり減少したりするのだが、社会的蓄積が一定水準以上を超えると、「大爆発」的現象が生じるのだろう。上部旧石器時代や文明や産業革命の始まりは、このように説明できるものだと思う。
ただ「大爆発」とはいっても、第5章で述べたように、「先進的要素」がそろうというわけではなく、各地域・文化圏がそれぞれ異なる分野に「後進的要素」をもった、モザイク状の様相を示すものなのだろう。社会的蓄積が一定水準に達する前においては、気候が寒冷なためにアフリカよりも欧州のほうが社会的蓄積という点では貧しかったと思われる(上部旧石器文化以降は、社会的蓄積にあたって必ずしも熱帯気候より寒冷気候が不利とは限らなかっただろう)。そのため、ネアンデルターレンシスに先んじてアフリカの一部のサピエンスの社会的蓄積が7万年前頃までに一定水準に達し、ネアンデルターレンシスはサピエンスとの競争で不利になったのだろう。文化的に優位な移住者が先住者を圧倒することは、英国とオーストラリア大陸のように有史以降も珍しくない。
ネアンデルターレンシスは、社会的蓄積があまりない段階で欧州の寒冷な気候に適応して進化した人類集団だったのだろう。そのため西アジアでも欧州でも、サピエンスが上部旧石器文化を築いた時点で、ネアンデルターレンシスはサピエンスよりも社会的蓄積の点で劣っていたと思われる。じっさい、ネアンデルターレンシスの人骨に栄養不良と食人の痕跡を指摘する見解もある(Rosas et al., 2006、関連記事)。もっとも、飢餓の恐れのない豊かな地域・時代というのは、人類史のなかでも少数派だろうから、ただちにネアンデルターレンシスがとくに貧しかったと言えるわけではないが。このことと関連して、食人にネアンデルターレンシス絶滅の一因を求める見解もあるが、その証明は難しいと思われる(Underdown.,2008、関連記事)。
上部旧石器時代以降のネアンデルターレンシスのうち、サピエンスと接触のなかった集団は食資源獲得競争で不利なためジリ貧になって絶滅したのだろう。なお、ネアンデルターレンシスとサピエンスの道具製作技術の違いは、食資源獲得競争よりも保温性の高い衣服の製作において影響が大きく、サピエンスのように保温性の高い衣服を製作できなかったネアンデルターレンシスは、更新世後期の短期間の大規模な気候変動に対応できず、絶滅したとの見解もある(Gilligan.,2007、関連記事)。
サピエンスと接触をもった集団はその一部が混血したが、数的にサピエンスのほうが優勢だったため、ネアンデルターレンシス由来の解剖学的特徴やミトコンドリア・Y染色体といった遺伝的指標は、わりと短期間で消滅したものと思われる。ネアンデルターレンシスがサピエンスに虐殺されたと推測することも可能ではあるが、そもそも両者の接触自体があまりなく、両者の闘争も混血と同様にきわめて限定的だったのではなかろうか。
最後のネアンデルターレンシスの居住地として有力なのはイベリア半島南部である。ジブラルタルのゴルハム洞窟のネアンデルターレンシス遺跡は24000年前頃とされたが(Finlayson et
al.,2006、関連記事)、欧州の旧石器遺跡の大々的な年代の見直しが提言されているので(Mellars., 2006A)、この数字をそのまま受け取ることには慎重でなければならないだろう。ネアンデルターレンシスの絶滅の要因を寒冷化に求める見解もあるが(Jiménez-Espejoa et
al.,2007、関連記事)、それを否定する見解も提示されている(Tzedakis et al.,2007、関連記事)。寒冷化がネアンデルターレンシスの絶滅を促進した一因だったとしても、根本的には寒冷化よりもサピエンスの進出に絶滅理由を求めるほうが妥当だろう。
ゴルハム洞窟の遺跡からは近隣のサピエンスとの接触が認められず(Finlayson et
al.,2006、関連記事)、末期のネアンデルターレンシスは、サピエンスとの接触がほとんどないままひっそりと滅亡したのではなかろうか。ネアンデルターレンシスの現代人への寄与は、文化的にはほとんどなく、遺伝的にも、かりにあったとしても少なかったと思われる。もっとも、西アジアの上部旧石器文化の開始にあたって、サピエンスとネアンデルターレンシスとの接触が重要な契機だったとしたら、ネアンデルターレンシスの現代人への文化的寄与は大きかったということになろう。
参考文献
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河合信和(2007)『ホモ・サピエンスの誕生』(同成社)、関連記事