第5章
現代的行動の起源
現代的行動の起源
現代的行動の考古学的指標としては、洞窟壁画などの芸術活動・石刀技法を用いるなどした高度な石器と装身具の使用・副葬品などがあり、計画性も含む高度な知性・象徴的思考能力を備えていれば、真のサピエンスと認められるというわけである。こうした考古学的指標が明確に認められるのは、48000年前以降の欧州・西アジア・北部アフリカの上部旧石器文化と、50000年前以降のサハラ砂漠以南のアフリカの後期石器文化であり、上部旧石器・後期石器文化を人類史のうえで画期的な飛躍とする見解(創造の爆発論)は根強い(Tattersall.,1999,P163-171、Klein et al.,2004,P21-28)。もっとも、下部旧石器文化から中部旧石器文化への移行のほうが画期的とする見解もある(Oppenheimer.,2007,P124-126)。
以前は、最古のサピエンスは欧州に登場するとの考えが根強く(Lewin.,1998,P169)、サピエンスの登場は上部旧石器文化の出現と関連し、登場したときにはすでに芸術活動を伴っていたと認められていたので問題はなかったのだが、上述したように、その後になってサピエンスとみられる人骨の出現年代が繰り上がっていき、ついには20万年前頃にまでさかのぼる可能性が高くなってきた。そうすると、上部旧石器・後期石器時代以降とされている行動学的指標の成立と、20万年前頃にさかのぼりそうな解剖学的指標の成立との間に、大きな時間のズレが生じることになる。
そこで近年では、解剖学的にはサピエンスでも行動学的には現代的とはいえない人類集団を、解剖学的現代人と呼ぶこともある(Wade.,2007,P45-46,など、関連記事)。この場合、行動学的にも真のサピエンスと認められ、潜在的な知的資質が現代人と変わらないような人類集団は、行動学的現代人と分類される(Surovell et al.,2005、など)。「創造の爆発論」を前提とした提唱されたのが「神経学仮説」である。これは、行動学的現代人の登場する5万年前頃に、解剖学的現代人の神経系にかかわる遺伝子に突然変異が起き、現代人と変わらないような知的能力を有した結果、サピエンス(行動学的現代人)が発達した文化をもった優位により世界各地に短期間に進出した、というものである(Klein et al.,2004,P21-28,P258-262)。だが近年、現代的な行動はアフリカの中期石器時代に始まるのではないか、との見解が優勢になりつつある。その根拠について触れる前に、ここで石器時代の区分について少し整理しておきたい(Lewin.,2002,P138-139、Klein et al.,2004,P153-155、大津他.,1997,P17-46)。
サハラ砂漠以南のアフリカ |
アフリカ北部・西アジア・欧州 |
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前期石器文化 |
260万年前頃〜 |
下部旧石器文化 |
180万年前頃〜 |
前期石器文化 |
170万年前頃〜 |
下部旧石器文化 |
140万年前頃〜 |
前期石器文化 |
60万年前頃〜 |
下部旧石器文化 |
50万年前頃〜 |
中期石器文化 |
30万年前頃〜 |
中部旧石器文化 |
20万年前頃〜 |
後期石器文化 |
5万年前頃〜 |
上部旧石器文化 |
48000年前頃〜 |
じっさいにはもっと地域を分けたほうがよいのだが、単純化してこのような表とした。南・東南・東アジアについては独自の時代区分が必要と思われるが、勉強不足のため割愛した。サピエンスの拡散や現代的行動の起源の問題と密接にかかわってくるのは、中部旧石器文化から上部旧石器文化への移行、または中期石器文化から後期石器文化への移行である。欧州においてこの移行は、石刃・骨器・ビーズのような装飾品・楽器・壁画などの出現が認められる革命的な変化であり、時代の境界がわりと明確に認められる(Tattersall.,1999,P163-171、Lewin.,2002,P192-194)。これは、上部旧石器文化を有する他地域の人類集団が欧州に進出したからであろう。
西アジアにおいてはこの移行に連続性が認められるが(大津他.,1997,P38-46)、これは在地の人類集団が文化を発達させていったためだろう。この移行にかぎらず全時代の移行において、サハラ砂漠以南のアフリカは欧州と比較すると境界が曖昧なところがあり(Lewin.,2002,P138)、「先進的」な要素をもった文化から一時的に「退行」しているかのように見えることもあるなど(Shreeve.,1996,P267-268)、複雑な様相を呈している。これはアフリカの多様性を示すものであるが、境界の曖昧さは在地の人類集団による継続的な文化の変容を意味しているのだろう。
境界の明確な欧州を基準にすると、神経学仮説は妥当な解釈のように思われる。しかし、アフリカの中期石器時代の遺跡の発掘が進むと、現代的な行動の考古的指標とされる石刃・装飾品などが中期石器時代までさかのぼることが判明してきたため、神経学仮説は苦しくなってきた。こうしたアフリカでの発見を根拠として、神経学仮説に反論した長大な論文も執筆されている(Mcbrearty, and
Brooks.,2000)。中期石器または中部旧石器時代の現代的行動を示す証拠は以下のようなものであるが、この問題について近年までの研究成果が簡潔にまとめられているものとして、河合.,2007,4章、海部.,2005B,3章、馬場.,2005,P110-119、などがある。
(1)レヴァントやアフリカ北部では10〜8万年前頃にビーズの作製が認められる(Bouzouggar et
al.,2007、関連記事1、関連記事2)。また同じ頃のレヴァントのサピエンス人骨は、副葬品を伴って埋葬されている(Mellars.,2006B、関連記事)。
(2)南アフリカのブロンボス洞窟では、幾何学文様の刻まれた75000年前頃のオーカーが発見された(Henshilwood et al.,2002、関連記事)。
(3)アフリカ南部のザンビアのツイン=リヴァーズという遺跡で、20万年前頃に顔料が使用されていた可能性が指摘された(関連記事)。
(4)ケニアのバリンゴ湖畔では51万年前頃の石刃が出土し、その付近の285000年前頃の地層からオーカーと加工用の砥石が発見された(馬場.,2005,P112)。もっとも第10章でも述べるように、このような石器に見られる「先進性」の解釈には慎重でなければならず、51万年前頃の石刃の存在も確定したとは言えないだろう。
(5)コンゴのカタンダでは、欧州では14000年前頃にならないと登場しないような精巧な銛が、89000年前頃から使用されていた(Brooks et al.,1995)。
(6)南アフリカでは、上下を中期石器文化層に挟まれたハウイソンズ=プールト層において、欧州では上部旧石器時代末にならないと登場しないような細石器が発見された(河合.,1999,P94-96)。ハウイソンズ=プールト層の年代は71000〜61000年前頃と思われる(Miller et al.,1999)。
(7)アフリカ南部のボツワナ共和国において、7万年前頃の儀式の跡と思われる遺構が発見された(関連記事)。
(8)160000〜154000年前頃のサピエンス頭骨には儀式的な扱いの兆候が認められる。この頭骨と共伴した石器は、アシュール型と中期石器型との混合であった(Clark et al.,2003)。
こうした証拠が続々と提示され、現代的な行動は中期石器時代までさかのぼる可能性が高くなった。そうすると、解剖学的現代人の出現と現代的な行動の発達との時間差はほとんどなくなり、サピエンスは出現時より現代人とほぼ変わらない知的能力を有していたことになる。
しかし、中期石器時代には行動学的な現代性は全面的に開花しておらず、上記の解釈にも疑わしい点があるとして、いぜんとして神経学仮説を支持する人もいる(Klein et al.,2004,P262-267)。上述したように、副葬品を伴った埋葬があっても石器は中部旧石器文化のものだったり、儀式的な扱いの兆候はあっても共伴した石器はアシュール型と中期石器型との混合だったりするし、先進的とされるハウイソンズ=プールト文化にしても、その後に中期石器文化へと「退行」している。上部旧石器文化・後期石器文化を現代的行動の指標とすれば、中期石器・中部旧石器時代のアフリカと西アジアの文化が現代的行動の全面開花ではなく、「新旧」のモザイク状に見えることは否定できない(Mellars.,2006B、関連記事)。
ただ、南部および東部アフリカにおいて遅くとも8〜7万年前頃には、植物資源の管理なども含めて現代的行動色の濃い大きな技術・経済・社会変化がおきたことは否定できないであろうから、たとえ現代的な行動の起因を神経系の突然変異にもとめるとしても、その年代は5万年前頃ではなく8〜7万年前頃となるだろう(Mellars.,2006B、関連記事)。しかし上記(1)〜(8)で示したように、8万年前よりもさかのぼる現代的行動の証拠もしだいに増えてきている。おそらく今後もそのような証拠が増加し、現代的な行動の起源が中部旧石器・中期石器時代にまでさかのぼるという見解が通説になるだろう。
現代的行動の漸進性についての解釈
では、中部旧石器・中期石器時代のアフリカや西アジアにおけるモザイク状の「文化的発展」、つまり現代的行動が全面的に開花するまで長時間要したことを、いかに解釈すべきだろうか。これはおそらく、文化の蓄積・人口・平均寿命といった諸要素が複雑にからみあった問題なのだと思う。おそらく中期石器時代前半〜半ばまでのサピエンスも、潜在的な知的資質では現代人とは変わらず、それゆえに現代的な行動も確認できるのだろう。
しかし、さまざまな要素がからみあってある水準まで蓄積される以前は、現代的な行動は散発的なものであり、全面的に開花することはなかったのだと思う。それゆえに自然災害・気候変化への対応力が弱く、文化的蓄積も失われやすいため、「発展」が遅いように見えたのだろう。そうした社会的蓄積がある限界点を突破すると急速に開花し、気候変化や自然災害にもかなり対応できるようになるので、ハウイソンズ=プールト文化のように局地的な衰退はあっても、全体的にみると後戻りすることがほとんどなくなる、ということではなかろうか。アフリカの一部においてサピエンスがそうした限界点を超えたのは、中期石器時代の7万年前頃だと思われる。
そうすると、アシュール文化後期の「小像」などの怪しげな遺物(Stringer et al.,1997,P251)は、自然現象や後世の嵌入などではなく、あるいは本物なのかもしれない。考えてみると、サピエンスの文化はモザイク状の「発展」を示すことが多い。たとえば、中米においてはマヤ文明が高度な数学と暦を発展させたが(寺崎.,1999,P24-25,P106-108、Mann.,2007,P606-612、関連記事)、冶金術はあまり発達しなかったし(大貫他.,1998,P128)、ソ連邦は軍事・宇宙科学など一部の科学技術で世界の最先端を行っていたが、民生部門は西側先進諸国に遅れをとっていた。
行動学的現代性が開花した上部旧石器・後期石器時代にしても、残存性の問題はあるにせよ、洞窟壁画などの「高度な」芸術が見られる地域はそう多くはない。サピエンスの文化はモザイク状の「発展」を示すことが普通なのだと考えれば、解剖学的現代人とされている中部旧石器・中期石器時代のサピエンスも、現代人とほぼ同等の潜在的知的資質があったと考えるのが妥当ではないだろうか。
次に問題となるのは、こうした現代的行動とそれを可能とする潜在的知的資質は、いつまでさかのぼるのかということである。中期石器時代に登場したサピエンスの時点でこの能力を獲得したのか、それともさらにさかのぼるのだろうか。上述したように、後期アシュール型石器がかなり洗練されたものだったこと、脳の大型化、大型動物の狩猟の可能性、51万年前頃の石刃技法などから考えると、60〜50万年前頃に登場したハイデルベルゲンシスの時点で、すでにかなりの潜在的知的資質があったのではないかと思われる。じっさい、80〜70万年前頃のアフリカにおいて、かなり本格的な狩猟が行なわれていた可能性が指摘されている(Rabinovich et al.,2008、関連記事)。
あるいは、初期ハイデルベルゲンシスの時点においては潜在的知的資質で現代人に及ばなかったにしても、中期石器時代の始まる頃のアフリカの末期ハイデルベルゲンシスとなると、現代人とあまり変わらなくなる可能性もあると思われる。もっとも進化は連続的なので、ハイデルベルゲンシスとサピエンスとの間に明確な境界を認めるのは難しいという事情もあるから、どの人類種の時点で現代人と変わらないような潜在的知的資質を有するようになったのか、特定するのは難しい。
参考文献
Bouzouggar A.
et al.(2007): 82,000-year-old shell beads from
Brooks AS. et al.(1995): Dating and
context of three middle stone age sites with bone points in the Upper Semliki Valley, Zaire. Science, 268, 5210, 548-553.
Henshilwood CS.
et al.(2002): Emergence of Modern Human Behavior: Middle Stone Age Engravings
from
Klein RG, and
Edgar B.著(2004)、鈴木淑美訳『5万年前に人類に何が起きたか?(第2版第2刷)』(新書館、第1版1刷の刊行は2004年、原書の刊行は2002年)、関連記事
Lewin R.著(1998)、保志宏、楢崎修一郎訳『人類の起源と進化(第1版5刷)』(てらぺいあ、第1版1刷の刊行は1993年、原書の刊行は1989年)
Lewin R.著(2002)、保志宏訳『ここまでわかった人類の起源と進化』(てらぺいあ、原書の刊行は1999年)
Mann CC.著(2007)、布施由紀子訳『1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』(日本放送出版協会、原書の刊行は2005年)、関連記事
Mcbrearty S, and
Brooks AS.(2000): The revolution that wasn't: a new interpretation of the
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Mellars
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Miller GH. et al.(1999): Earliest modern
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Oppenheimer S.著(2007)、仲村明子訳『人類の足跡10万年全史』(草思社、原書の刊行は2003年)、関連記事
Rabinovich R.
et al.(2008): Systematic butchering of fallow deer (Dama)
at the early middle Pleistocene Acheulian site of Gesher Benot Ya‘aqov (
Stringer CB, and
Clive G.著(1997)、河合信和訳『ネアンデルタール人とは誰か』(朝日新聞社、原書の刊行は1993年)
Surovell T.
et al.(2005): Global archaeological evidence for proboscidean
overkill. PNAS, 102, 17, 6231-6236.
Tattersall I.著(1999)、高山博訳『別冊日経サイエンス 最後のネアンデルタール』(日経サイエンス社、1999年、原書の刊行は1995年)
Wade N.著(2007)、安田喜憲監修、沼尻由紀子訳『5万年前 このとき人類の壮大な旅が始まった』(イースト・プレス社、原書の刊行は2006年)、関連記事
大津忠彦、常木晃、西秋良宏(1997)『世界の考古学5 西アジアの考古学』(同成社)、関連記事(1)、関連記事(2)
大貫良夫、前川和也、渡辺和子、屋形禎亮(1998)『世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント』(中央公論社)
海部 陽介(2005B)『人類がたどってきた道』(日本放送出版協会)
河合信和(1999)『ネアンデルタール人と現代人』(文藝春秋社)
河合信和(2007)『ホモ・サピエンスの誕生』(同成社)、関連記事
寺崎秀一郎(1999)『図説古代マヤ文明』(河出書房新社)
馬場悠男編(2005)『別冊日経サイエンス 人間性の進化』(日経サイエンス社)