第10章
フローレス島からの衝撃

 

基本的な情報
 インドネシア領フローレス島西部のリアン=ブア洞窟で発見された更新世の人骨群については、発見以来大激論が展開されてきた。この人骨群についての最近までの諸研究は、河合.,2007,7章に簡潔にまとめられている。同書を参照しつつ、まずは研究の進展について整理しておくことにする。
 この人骨群も含む出土遺物が最初に報告されたのは、『ネイチャー』2004年10月28日号だった(Brown et al.,2004Morwood et al.,2004)。この二つの論文において、18000年前頃の低身長・小さな脳のほぼ完全な女性人骨(LB1)や、サピエンスの所産とされてきた細石刃を含む石器などが報告された。LB1は人類の新種ホモ=フロレシエンシスとされた。2005年には、『サイエンス』4月8日号にてLB1の脳の型がエレクトスと類似していることが指摘され(Falk et al.,2005)、『ネイチャー』10月13日号にてリアン=ブア洞窟で更新世の人骨がさらに発見されたことが報告された(Morwood et al.,2005)。
 2006年には、『ネイチャー』6月1日号にて、フローレス島中部のソア盆地において発見された88〜80万年前頃の石器が、技術的にリアン=ブア洞窟の石器群と連続的だと指摘された(Brumm et al.,2006)。このソア盆地では、以前にも88〜80万年前頃の石器が発見されている(Morwood et al.,1998)。以上の研究が、フローレス島の更新世の人類についての基本的な情報となる。これらの情報を整理すると、次のようになる。

リアン=ブア洞窟の更新世の堆積層からは、フロレシエンシスの正基準標本とされる18000年前頃のLB1も含めて、少なくとも9個体分の人骨が出土している。年代は、上限は95000〜74000年前頃で、下限は12000年前頃である。12000年前頃の大噴火により、フロレシエンシスはステゴドンとともに絶滅したと考えられる。LB1は30歳くらいの女性で、身長106cm、脳容量417CCと推測されている。頤はなく、全体的にエレクトスとの類似性が認められる一方で、アウストラロピテクス属との類似性も指摘されているが、側頭葉が大きく、襞のある大きな脳回を備えた前頭葉を有していることなど、派生的な特徴も示している。
 LB1ほど良好な残存状態の人骨は他に発見されていないが、その他の骨のなかにもLB1と同様の特徴が認められるものがある。たとえばLB1と同層位で発見されたLB8は身長109cmと推定されており、LB1より3000年ほど新しいと推測されるLB6の下顎骨には頤がない。そのため、LB1は病変や栄養不良などによる発達障害を示した個体ではなく、LB1の特徴は更新世のリアン=ブア洞窟にいた人類集団に共通する特徴と考えられ、更新世の堆積層から発見された人骨群はエレクトスから派生した新種ホモ=フロレシエンシスとされた。ただ、発見チームはアウストラロピテクス属との系統関係も示唆している(Lieberman.,2005)。フロレシエンシスの低身長は、孤島では大型生物が矮小化する島嶼化という現象で説明できるとされている。フロレシエンシス島嶼化説は、2007年になって提示された研究でも支持されている(Bromham et al.,2007関連記事)。

リアン=ブア洞窟の更新世の堆積層からは、人骨だけではなく動物の骨や石器も発見されている。動物の骨には魚類・蛙・亀・鳥類・コモドオオトカゲ・ステゴドン(ゾウ目の一種)などがあり、その一部には石器が用いられたり火を受けていたりした痕跡が認められたので、調理されたのではないかと考えられている。また、出土したステゴドンの骨の大半は若齢であり、選択的・組織的狩猟の可能性も指摘されている。
 出土した石器の大半は単純な剥片だったが、ステゴドンと共伴したものの中にのみ、尖頭器・細石刃・大型石刃・穿孔器などの上部旧石器的な石器が認められた。リアン=ブア洞窟の更新世の堆積層から発見された石器は、
フローレス島中部のソア盆地において発見された88〜80万年前頃の石器と、技術的には連続的だとされている。そのため、ソア盆地の石器を製作した集団とフロレシエンシスとは先祖・子孫の関係にあり、フロレシエンシスの祖先は80万年以上前にフローレス島に渡ってきたと考えられている。フローレス島は更新世の間にジャワ島やオーストラリア大陸と地続きになったことはなく、フロレシエンシスの祖先は渡海してフローレス島にやって来たと推測されている。

 

新種説にたいする反論
 フロレシエンシスの存在は、以下のような点でじゅうらいの常識を覆すものであった。

(1)ネアンデルターレンシスの滅亡後1万年以上も、サピエンスとは異なる人類が生存していた。
(2)時代が下るにつれて人類の脳容量は増大し、それと比例して知力が向上してきたという考えが常識だったが、アウストラロピテクス属と変わらないような脳容量のフロレシエンシスに、上部旧石器的な石器が共伴した。
(3)サピエンス以外の人類集団では確認できなかった渡海能力を想定せざるを得ない

常識を覆すとまではいかないが、人類にも島嶼化が認められたことも意義深いと言える。しかし、これだけ常識外れの存在だけに、疑問が呈されるのは仕方のないところであった。じっさい、『ネイチャー』で最初の報告がなされた直後に、リアン=ブア洞窟の更新世の人骨群は新種ホモ=フロレシエンシスではなくサピエンスであり、LB1は小頭症ではないのかとの疑問が提示されたBalter.,2004。この人骨群がエレクトスからの派生種ではなくてサピエンスだとすると、上記の三つの疑問はすべて解決するので、その意味では説得力があると言える。
 2006年秋には、そのような指摘をした論文2本が相次いで公表された。一つは、インドネシア古人類学界の大御所であるテウク=ヤコブ関連記事らによるものである。この論文では、リアン=ブア洞窟の更新世の人骨群と現代のフローレス島の小柄な住民との形態的類似、およびLB1の顔面の左右の非対称性と脳の小ささは小頭症が原因であることが指摘され、LB1は小頭症のサピエンスであるとされているJacob et al.,2006関連記事。もう一つの論文では、フロレシエンシスがエレクトスから矮小化して進化したとすると、不自然なくらい脳が小さいことが指摘され、やはりLB1は小頭症のサピエンスだとされたMartin et al.,2006関連記事

2008年になっても、リアン=ブア洞窟の更新世の人骨群はサピエンスではないか、との研究が相次いで公表されている。一つ目は、リアン=ブア洞窟の更新世の人骨群は、知能にはほとんど影響を与えないものの、身長と脳の成長を妨げる突然変異を有するサピエンスではないか、とする見解である(Rauch et al.,2008関連記事)。二つ目は、リアン=ブア洞窟の更新世の人骨群はクレチン病ではないか、とする見解である(Obendorf et al.,2008関連記事)。三つ目は、パラオ諸島の3000〜1400年前の小柄なサピエンスはリアン=ブア洞窟の更新世の人骨群と似ている、との見解である(Berger et al.,2008関連記事)。
 二つ目の研究(Obendorf et al.,2008関連記事)には致命的な欠陥があることが指摘されているが(関連記事)、小頭症説などそれ以前の病変サピエンス説を否定したという意味で重要である。二つ目の研究も含めて、それ以前の病変サピエンス説が説得的でないのにたいして、三つ目の研究(Berger et al.,2008関連記事)には注目すべき点が多い。小柄な体型・縮小した顔面・はっきりとした眼窩上隆起・頤がないことなどといったLB1に見られた原始的特徴が、完新世のサピエンスにも認められたからである。
 LB1をエレクトスの子孫としてきた原始的根拠が、じつは完新世のサピエンスにも認められたとなると、それらのうちの少なくともいくつかは、原始的特徴ではなく小型化によるものなのかもしれない。しかしこの研究でも、きょくたんな脳容量の小ささなどといったLB1の特徴をすべて説明できるわけではない。あるいは、パラオ諸島の3000〜1400年前の小柄なサピエンスが小頭症を患うと、LB1のような形態を示すのかもしれないが、この問題は今後の検証に期待したい。

 

新種説の巻き返しとフロレシエンシスの位置づけ
 正直なところ、2006年頃には新種説よりもサピエンス説のほうが優勢だったようにも思われたのだが、2007年以降、新種説を支持する研究が相次いで提示されており、現在では新種説のほうが優勢であるように思われる。まず2007年2月に、一般的なサピエンス・小頭症のサピエンス・小柄なサピエンス(ピグミー族)・LB1の頭骨から仮想の脳の鋳型をコンピュータ上に作成し、相互に比較した結果、LB1は小頭症ではないがサピエンスでもなく、新種とするのが妥当だとの研究が提示された(Falk et al.,2007関連記事)。2007年3月28日から31日まで開催された米国自然人類学会の総会では、リアン=ブア洞窟の更新世の人骨群は発達障害のサピエンスではないことが示唆されるとの見解と、LB1の頭蓋は正常なサピエンスの範疇に入らないことが確認されたとの見解が報告されたが、いずれもLB1の病変の可能性は排除されなかった(関連記事)。
 2007年8月には、上腕や肩の分析から、「トゥルカナボーイ」と呼ばれているエレクトス(KNM-WT 15000)とLB1との類似性を指摘した研究が公表された(Larson et al.,2007関連記事)。2007年9月には、LB1の手根骨はサピエンスやネアンデルターレンシスとは異なっていたが、現生類人猿やアウストラロピテクス属やハビリスとは区別がつかなかったので、LB1は病変や成長障害のサピエンスではなく、ネアンデルターレンシスとサピエンスの最終共通祖先の登場前に分岐した人類集団の子孫である、と指摘した研究が公表された(Tocheri et al.,2007関連記事)。
 この研究にはかなりの説得力が認められており、上述したようにサピエンス説の提示が続いてはいるものの、LB1を含むリアン=ブア洞窟の更新世の人骨群が、かなり古い時代にサピエンスとの共通祖先から分岐した新種の人類ホモ=フロレシエンシスである可能性は、かなり高いと言ってよいだろう。さらに2008年3月には、頭蓋や後頭部の形態の分析から、LB1とエレクトスやハビリスとの類似性を指摘した研究も提示された(Gordon et al.,2008関連記事)。

では、フロレシエンシスは人類の系統樹においてどこに位置づけられるべきであろうか。一つ気になるのは、上記のLB1の手根骨の分析についてで、LB1はサピエンスやネアンデルターレンシスよりもハビリスやアファレンシスやアフリカヌスに似ているが、それ以上にチンパンジーと似ているように見える、との指摘である(関連記事)。確かに図を見ると、LB1ともっとも類似しているのはチンパンジーであるように見える。
 しかし、手首の構造の比較ができるような古人骨の少なさと、LB1とエレクトスとの他の類似を考慮すれば、LB1を正基準標本とするフロレシエンシスが人類の系統であることを疑うのは難しいだろう。おそらくフロレシエンシスは、ハビリスとエレクトスとの中間形態の人類集団を祖先としているのだろう。その人類集団は200万年前以降にアフリカを出てジャワ島まで進出し、80万年前以前のある時点でフローレス島に渡り、フロレシエンシスへと進化したのだろう。
 フロレシエンシスが小柄なのは島嶼化のためだろうが、177万年前頃のグルジアの人類は小柄だったから(河合.,2007,P46-50)、フローレス島に渡った時点ですでにかなり小柄だった可能性もあるだろう。フロレシエンシスの祖先集団がハビリス的な特徴も有していたとしたら、フロレシエンシスにアウストラロピテクス属との類似性が見られても不思議ではないだろう。LB1からミトコンドリアDNAが採取できれば、こうした系統関係の推測の有力な手がかりになったかもしれないが、熱帯環境での出土だったため、ミトコンドリアDNAの採取には失敗したとのことであるPowledge.,2006

 

フロレシエンシスの現代性について
 フロレシエンシスがハビリスとエレクトスとの中間形態の人類集団から派生したとすると、上部旧石器的な石器群はどのように解釈すべきだろうか。第6章で述べたように、オーストラリアには遅くとも4万年前にはサピエンスが存在していたから、それ以前に東南アジアにサピエンスが進出していたことになる。したがって、フロレシエンシスが存在していた頃のフローレス島の近辺にサピエンスが存在した可能性は高いし、サピエンスがフローレス島に一時的に上陸して、フロレシエンシスと接触した可能性さえある。そうすると、フロレシエンシスがサピエンスとの「交易」で上部旧石器的な石器を入手した可能性もあるだろう。
 しかし、そもそもリアン=ブア洞窟の更新世の堆積層から出土した石器群のなかに、本当に上部旧石器的な石器があるのかどうか、疑問視する見解がある(関連記事)。つまり、フロレシエンシスと共伴した石刃は本当の石刃ではなく、多数の石器のなかに偶然似たものがあるだけのことだ、という解釈である。じっさい、フローレス島も含む東南アジア島嶼部においては、フローレス島ソア盆地の88〜80万年前頃の例から完新世にいたるまで、石材から剥片をとるにあたって同じような手法が長期間用いられてきたのであり、サピエンスが関与したと断定できるような明確な石器技術の指標は更新世にはないとされているMoore et al.,2007関連記事。フロレシエンシスと共伴した石器群には、上部旧石器的な要素は認められないと考えるのが妥当なのかもしれない。

ただそれでも、小さな脳で石器製作や選択的・集団的狩猟が可能だったのか、との疑問は残る。この回答として考えられるのは、いったん出来上がった脳内構造は脳が縮小しても維持されるのではないか、というものである(河合.,2007,P186-187)。フロレシエンシスの場合、上述したように脳に派生的特徴を有していたので、エレクトスよりも優れた知的能力を有していた可能性がある。
 そうすると、残る疑問はフロレシエンシスの航海能力についてである。現在のところ、サピエンス以外の航海能力は確認されておらず、唯一の例外がフロレシエンシスもしくはその祖先集団である。偶然漂流したとの推測もあるだろうが、フローレス島で80万年以上生存していたとなると、最初の「入植」のさいにあるていどの人数はいただろうから、漂着と断定してよいものか疑問が残る。材質を考慮すると、更新世の舟が発掘される可能性はきわめて低いので、更新世の人類の航海能力については、状況証拠から判断するしかない。
 2007年6月以降、フローレス島近辺の島やリアン=ブア洞窟での発掘が進められているので関連記事、今後この問題の手がかりが得られる可能性もある。推測の難しいところだが、現時点では次のように考えるのがもっともよさそうに思う。フロレシエンシスの祖先集団はきわめて例外的な事情でフローレス島に渡り、周囲とは没交渉なままフロレシエンシスへと進化した。フロレシエンシスはサピエンスとの接触も皆無に近いまま、12000年前頃の大噴火により絶滅した。

 

参考文献
Balter M.(2004): Skeptics Question Whether Flores Hominid Is a New Species. Science, 306, 5699, 1116.

Berger LR. et al.(2008) Small-Bodied Humans from Palau, Micronesia. PLoS ONE 3(3): e1780.関連記事

Bromham L, and Cardillo M.(2007): Primates follow the ‘island rule’: implications for interpreting Homo floresiensis. biology letters, 3, 4, 398-400.関連記事

Brown P. et al.(2004): A new small-bodied hominin from the Late Pleistocene of Flores, Indonesia. Nature, 431, 1055-1061.

Brumm A. et al.(2006): Early stone technology on Flores and its implications for Homo floresiensis. Nature, 441, 624-628.

Falk D. et al.(2005): The Brain of LB1, Homo floresiensis. Science, 308, 5719, 242-245.

Falk D. et al.(2007): Brain shape in human microcephalics and Homo floresiensis. PNAS, 104, 7, 2513-2518.関連記事

Gordon AD. et al.(2008): The Homo floresiensis cranium (LB1): Size, scaling, and early Homo affinityes. PNAS, 105, 12, 4650-4655.関連記事

Jacob T. et al.(2006): Pygmoid Australomelanesian Homo sapiens skeletal remains from Liang Bua, Flores: Population affinities and pathological abnormalities. PNAS, 103, 36, 13421-13426.関連記事

Larson SG. et al.(2007): Homo floresiensis and the evolution of the hominin shoulder. Journal of Human Evolution, 53, 6, 718-731.関連記事

Lieberman DE.(2005): Further fossil finds from Flores. Nature, 437, 957-958.

Martin RD. et al.(2006): Flores hominid: New species or microcephalic dwarf?. The Anatomical Record, 288A, 11, 1123-1145.関連記事

Moore MW, and Brumm A.(2007): Stone artifacts and hominins in island Southeast Asia: New insights from Flores, eastern Indonesia. Journal of Human Evolution, 52, 1, 85-102.関連記事

Morwood MJ. et al.(1998): Fission-track ages of stone tools and fossils on the east Indonesian island of Flores. Nature, 392, 173-176.

Morwood MJ. et al.(2004): Archaeology and age of a new hominin from Flores in eastern Indonesia. Nature, 431, 1087-1091.

Morwood MJ. et al.(2005): Further evidence for small-bodied hominins from the Late Pleistocene of Flores, Indonesia. Nature, 437, 1012-1017.

Obendorf PJ. et al.(2008): Are the small human-like fossils found on Flores human endemic cretins? Proceedings of the Royal Society B, 275, 1640, 1287-1296.関連記事(1)関連記事(2)

Powledge TM.(2006): What Is the Hobbit? PLoS Biology, 4, 12, 2186-2189.

Rauch A. et al.(2008): Mutations in the Pericentrin (PCNT) Gene Cause Primordial Dwarfism. Science, 319, 5864, 816-849.関連記事

Tocheri MW. et al.(2007): The Primitive Wrist of Homo floresiensis and Its Implications for Hominin Evolution. Science, 317, 5845, 1743-1745.関連記事

河合信和(2007)『ホモ・サピエンスの誕生』(同成社)、関連記事

 

 

第4版目次へ   駄文一覧へ   先頭へ