合理主義の発達(其の一)

 

 前回述べたように、俗の世界が聖の世界に優越する転機となったのは、日本の場合は戦国時代、中国の場合は春秋戦国時代であり、それは合理主義の発達ということでもあったが、Sumikomamaさんの御指摘を読んでみると、この点について修正を要すると思われる。
 これまで私が使用してきた春秋戦国時代という用語についてだが、Sumikomamaさんの御指摘によれば、現代の中国の学者の多くは春秋以前と戦国以降を別時代と考え、奴隷社会と封建社会との大まかな分期時期としている、とのことである。確かに、長期に亘る時代を一括りにするのには無理があるのだが、旧来の秩序・観念の崩壊の本格的開始から新秩序・観念の確立までを対象としたいので、これまでは春秋時代と戦国時代とを一括りにしてきた。
 しかし改めて考えてみると、中国の春秋戦国に対応させるには、間に一応の安定期を挟むとはいえ、日本の場合は南北朝時代から戦国時代までが相応しいようにも思う。ただ、春秋戦国という用語は定着しているが、南北朝と戦国とを統合した用語についてはこれといって名案が浮かばす、何とも困ったものである。
 そこで、安易ではあるが、春秋戦国に対応させる場合、南北朝戦国という用語を使うことにする。無論、場合によっては、春秋と戦国、南北朝と戦国とを区別する。前置きが長くなったが、以下、合理主義の発達の要因について、日本と中国の事例を参考に述べてみたい。

 春秋戦国と南北朝戦国との共通点は一目瞭然で、広域的で恒常的な戦乱状態にあったということである。そうなると、生存競争に勝ち残るために合理主義が発達するのはある意味では当然と言えるが、合理主義発達の要因として、広域的で恒常的な戦乱状態を挙げるだけでは不充分であるし、殆ど解答になっていないだろう。もっと別の説明や掘り下げた考察が必要である。
 そこで先ず注目してみたいのが、貨幣の普及ということである。
前回述べたように、貨幣には当初は様々な用途があったが、その主な用途の一つは商品交換の媒介であり、モノに限らず行為や役職・身分なども貨幣による媒介の対象とされた。これは、様々な現象を数量化するということであり、貨幣の普及は合理主義の発達を促進したと思われるが、貨幣が普及したとしても、貨幣を交換財として大量に用いることができるだけの商品がなければ、当然のことながら貨幣を用いた商業は振るわないことになって、貨幣の普及と合理化とは必ずしも結び付かないのであり、両者を結び付けるには、相応の生産力水準が要求されるということになる。
 つまり、交換財としての貨幣の普及には、その前提条件として商業の一定水準以上の発達(乃至はその下地)が要求されるのだが、そのためには交通手段の発達なども必要となり、つまり様々な面で一定水準以上の技術も要求されるわけである。こうした諸条件は長い時間をかけて徐々に整備されてきたわけだが、相互作用というものがあるので、ある時期に諸条件の大部分が一定水準以上に達すると、以後飛躍的に貨幣経済が発達するということになり、中国の場合はそれが春秋戦国、特に戦国時代に顕著で、日本の場合は、南北朝戦国、特に戦国時代に顕著だったと思われる。
 貨幣による商取引が活発となれば、貨幣の役割は自ずと交換財に一元化されていき、貨幣の呪術性は次第に失われていくことになる。貨幣による数量化という論理はその後も進展していき、特に資本主義の成立以降は顕著で、聖域視・タブー視されていたものをも侵食していき、貨幣価値(現在では経済価値と言う方が適切かもしれないが)で数量化することとなった。確かにこれは合理化と言えるかもしれないが、それが人類にとって幸福なこととなっているかというと、必ずしもそうではないのだろう。

 前置きが長くなったので、今回はここまでにしたい。

 

 

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