人類史に疑惑?(15)
現生人類(ホモ=サピエンス)は、馬場悠男『ホモ・サピエンスはどこから来たか』(河出書房新社2000年)P27〜28によると、動物界・脊椎動物門・霊長目(類)・真猿亜目・狭鼻猿下目・ヒト上科・ヒト科・ヒト属・ヒト(種)ということになるらしい。ヒト科がホミニド、ヒト属がホモ、ヒト(種)がサピエンス、ということになり、ヒト上科にはチンパンジーも含まれる。なお、以下でもそうだが、私は人類という単語をヒト科という意味合いで用いている。現在の通説?的なヒト科の区分は、以下のようになる。
アルディピテクス属・・・ラミダス
ケニアントロプス属・・・プラティオプス
アウストラロピテクス属・・・アナメンシス、アファレンシス、バーエルガザーリ、アフリカヌス、ガルヒ
パラントロプス属・・・エチオピクス、ボイセイ、ロブストス
ホモ属・・・ルドルフェンシス、ハビリス、エルガスター、エレクトス、アンテセソール、ハイデルベルゲンシス、ネアンデルターレンシス、サピエンス(現生人類)
とはいえ、こうした区分は必ずしも自明のものでも固定的なものでもなく、今後発掘が進めば、属や種の区分はさらに増加する可能性が高い。現在判明しているヒト科に含まれる種は、本来存在した種の3%程度だ、と言う研究者も中にはいるくらいである(さすがにこれは極端な見解かもしれないが)。
また逆に、こうした区分は不要だとの見解もある。第77回でも述べたように、多地域進化説の大御所であるミルフォード=ウォルポフ氏は、エレクトスなどといった区分は不要であり、100万年以上前よりホモ=サピエンスは世界各地に存在していたのだ、と近年では主張されている。つまり、エレクトスやハイデルベルゲンシスなどに分類されている人類は、実はサピエンスという一種なのであり、種のレベルでの区分は不要なのだ、というわけである。しかし、人類単一種説に多分に似ているやはりこの考えは浸透していないようで、どうも多地域進化説を維持するための苦心の策のようである。
現生人類については、アファレンシス→ガルヒ→ルドルフェンシス→エルガスター(エルガステル)→ハイデルベルゲンシス→サピエンスという系譜が有力な見解のようだが、これも確定的とは言えない。今後の発掘状況によっては、現生人類の祖先とされる新たな種が認定されることになるかもしれない。
かつて、人類単一種説の影響力が大きかった頃には、猿人→原人→旧人→新人、という「進化」過程の図式が常識とされ、現在でもよく見かけるが、発掘が進むと、どうもそう単純な図式ではないことが判明してきた。「猿人」の中には100万年前近くまで生存し、「原人」と共存していた種もいるし、「旧人」と「新人」も同様に一時期共存していた。東南アジアのエレクトスは、数万年前まで生存していた可能性があるそうだから、「原人」と「新人」も、同様に一時期共存していた可能性が高い。
このように、人類は決して単一種ではない。また、「猿人」から「新人」への「進化」も必然などではなく、様々な「進化」がありえたのであって、現生人類はその多様な人類「進化」の在り様の一例にすぎず、どういう理由があったのか不明な点も多いが、ともかくホモ=サピエンスが現在唯一の人類種となったわけである。
猿人→原人→旧人→新人という「進化」図式には、多分に定向進化説的な性格もあり、定向進化説はとっくに否定されているわけだから、やはり破棄されるべきだろうが、いまだにこの図式が大きな影響力を有しているのは、やはり人類は特別だ、との意識が濃厚なためなのだろう。
多くの人類種の中で、現生人類だけが生き残って大繁栄を達成したのは、確かに不思議なことではある。ユーラシア西部に生存していたネアンデルターレンシスや、ユーラシア東部に生存していたエレクトスが滅亡し、20〜10万年前にアフリカで誕生した現生人類が、10万年前頃より世界各地に進出し、先住人類のいる地域では全面的な交代があった、とするアフリカ単一起源説は、確かに俄には受け入れがたいところがあり、現在でも人類単一種説や多地域進化説的な考えが強いのは理解できる。
ミルフォード=ウォルポフ氏などは、単一起源説は「更新世の大虐殺」を想定せざるをえないとして激しく攻撃されたが、確かに、大虐殺を想定しなければ、単一起源説は成立し難いようにも思えないことはない(もちろん、単一起源説の側から、色々と有効な反論はなされているのだが)。もちろん私にも、多くの人類種の中で現生人類だけが生き残って大繁栄を達成した理由はよく分からないわけだが、人類史というか、生物史の流れの中で考えれば、ある程度は説得力のある説明ができるようにも思われる。
それはどういうことかというと、大型の霊長目の衰退である。ゴリラやオランウータンやチンパンジー(一見すると、大型の霊長目に分類するのは妥当ではないように思われるかもしれないが、霊長目の中では紛れもなく大型に属す)など、大型の霊長目はずっと衰退傾向にあり、小型の霊長目と比較して、生息地は狭小化し、個体数は減少している。人類もまた、チンパンジーと同じヒト上科に属す大型霊長目である。
つまり、生物史の大きな流れの中で考えると、大型の霊長目は衰退傾向にあるわけで、現世人類だけが例外なのである。もちろん、現生人類が登場する以前に、人類はアフリカを出てユーラシア東部にまで達しているわけだが、そこでも先細りとなってしまい、自滅したのではなかろうか。ウォルポフ氏などの批判とは異なり、単一起源説において、現生人類による先住人類の虐殺を想定する必要はないのではなかろうか。そもそも、先住人類の虐殺を示唆するような証拠も皆無である。
では、なぜ現世人類だけが例外的に大繁栄したのかというと、環境の変化や他の生物との軋轢に耐えうる(また、他の生物を圧倒できるだけの)技術と社会的な関係構築力を習得できたからであろう。多くの人類種の中で、たまたまそのような能力を習得したのが、現生人類だけだったというわけで、その他の人類は、そのような能力を獲得する前に滅亡してしまったわけである。
多くの人類種の中で、唯一大繁栄を達成した現生人類の今後はどうなのだろうか。現生人類に大繁栄をもたらした高度な技術と社会的な関係構築力は、20世紀になって、かえって人類衰退の要因にもなっている。だが、高度な技術と社会的な関係構築力こそ現世人類の証なのであり、新たな技術と社会的な関係構築力により、この危機を克服するしかないと言えよう。