人類史に疑惑?(18)

 

 第72回で述べた、南アフリカの洞窟で発見された幾何学的な模様が描かれた石(日本の新聞報道では石とされていたが、正確にはオーカー)について、研究者の見解を簡潔にまとめたサイトを見つけたので、以下に翻訳してみた。私の英語読解能力が低いのと、日本語の文章として読みやすくなるよう意訳したところがあるため、必ずしも原文に忠実な翻訳とはなっていないが、大意は間違いないはずである。翻訳に移る前に、まずは少しだけ私見を述べておく。

 現生人類の行動様式(芸術に代表される象徴的思考の能力や洗練された言語など)の起源については、5〜4万年前の「創造の爆発」といわれる時期に欧州と西アジアで突如として花開いたとの見解が有力であるが、近年になって、それらはアフリカで徐々に育まれていたのではないか、との見解も有力になりつつある。
 最近の相次ぐ発見で多少苦しくなったとはいえ、現生人類のアフリカ単一起源説でいわれているように、解剖学的現代人が最初に登場したのがアフリカであることは、現在のところ否定しがたいだろうから、現生人類の行動様式も、まず最初にアフリカで認められるというのは、まったく無理のない解釈である。
 しかしながら、依然として従来の「創造の爆発」論にも根強いものがあり、現生人類の行動様式アフリカ起源説も、とうてい通説とまではいえない。しかし、今後発掘が進めば、アフリカ起源説がますます有力になっていくであろう、と私は考えている。従来の「創造の爆発」論は、考古学界の欧州・西アジア中心主義の影響が大きかったことと、アフリカでの発掘があまり進んでおらず、その数少ない発掘成果も軽視されていた結果、浸透していたにすぎないと思うからである。以下が翻訳である。

 

 

 

完全に現代的な道具:南アフリカのケープタウンから約240kmのところにあるブロンボス洞窟で発見された77000年前の道具を訪問者は見ることができる。ブロンボス洞窟の発見物は、現生人類の出現についての新しい推測への手がかりとなる。

 

現代的な行動に遅れて現れた芸術

 約77000年前にインド洋を見下ろす洞窟において、初期現生人類の集団は、革製品用の骨器を使用したり、恐らくは身体の装飾に用いるために赤いオーカー(鉄分を多く含んだ粘土で、顔料に用いる)を破砕したり、幾何学的な模様を彫ることさえしていた。また彼らは、小さな炉床で火を使ったり、様々な動物や魚を獲ったりしていた。

 初期アフリカ人からなるこの小さなバンド(血縁関係にある30〜40人で構成された狩猟採集民の集団)は完全な現生人類で、抽象的な思考能力とおそらくは言語能力があった、とブロンボス洞窟を発掘する科学者の一団は確信している。彼らの居住地から発掘された証拠は、現生人類の出現に関する理論への重要な示唆たりえた。

 「ブロンボス洞窟は、他の遺跡からの証拠とともに、現生人類の行動が従来考えられていたよりもずっと古くから存在していたことを示しています。また、現生人類的行動が後になって発達し、35000年前になってようやく欧州において真に確立したかもしれない、とする理論に疑問を呈しています」とケープタウンのイジコ博物館の研究員でブロンボス洞窟にて主任考古学者を務めているクリス=ヘンシルウッド氏は述べている。

 

アフリカか欧州か?

 解剖学的現代人がアフリカからヨーロッパへ移住し、先住のネアンデルタール人と交代した後しばらくした、5〜4万年前頃の「創造の爆発」といわれる時期の欧州において初めて、抽象的な思考と洗練された意思伝達が発達した、と多くの考古学者は長年にわたって考えてきた。だが、ブロンボス洞窟での発見物は、それよりもずっと早期に、現生人類的行動がアフリカに現れていたかもしれないことを示している。

 ブロンボス洞窟での重要な発見物の中には、28の骨器の入っている大きな貯蔵所があり、それは通常は4万年前以上前のアフリカの遺跡からは発見されない。また、8000にのぼるオーカーの破片が発見されていて、それらには、粉にして顔料にするために地面に置かれたことと、洗練された道具と協力関係の必要な漁労文化の証拠とを示唆する印がある。オーカー粉は、身体装飾や宗教または儀式信仰の記号として使用された、と考古学者は確信している。

 だが、もっとも注目されるのは、赤いオーカーの二つの破片である。それらには滑らかな平面と網目模様が認められ、人類の最古の芸術の痕跡かもしれない。

 芸術の創造は抽象的思考を要求し、現生人類的行動のもっとも重要な指標の一つと考えられている。「それらの意味するところは分かりませんが、何かを意味するために明確に意図された非常に複雑な模様となっています。同様の模様は、はるか後になって他の場所で刻まれたり描かれたりしているのです」とヘンシルウッド氏は述べている。

 現代的行動の起源の研究は、考古学のもっとも複雑な難問のうちの一つである。科学者にとって重要な問題は、現代的な行動が、人類が解剖学的現代人になった12万年前にまっさきに始まったのか、それとも、遺伝的・環境的・文化的変化の結果としてその数万年後に起きたのか、というものである。その結論は、人類進化への理解と人類のアフリカからの拡散についての理論にとって、重要な分岐となる。

 

道具製作と芸術の創造

 30年前に、科学者は、現代的行動の基準を引き上げた。古代の人類が骨器を作ることができ、魚を釣るためにそれらを使用することができ、芸術を創造することができたならば、彼らが理解・認識・意思伝達の能力をもっていたにちがいない、と科学者は考えた。

 芸術が現代的思考能力を示すとの見解に考古学者がおおむね同意する一方で、じっさいに芸術を構成する要素については、ほとんど見解の一致はない。約5万年前に始まる欧州の芸術の豊富な痕跡の中には、精巧な洞窟絵画や、個人的な装飾のための装身具の使用や、儀礼品を伴った死者の埋葬がある。

 これらの発見の中で最も壮観なもの中に、フランスのショベ洞窟の絵画がある。それは32000年前のもので、現在のところ人類最古の芸術だとフランス人は主張している。その絵画はライオン・サイ・洞窟熊・妊娠中の女性といった生物を明白に表わす意図がある。

 この時期の欧州の芸術に先行する、他の芸術的な発見物があるとされているが、その多くには議論の余地がある。例えば1980年には、女性の姿が彫られたように見える25万年以上前の火山岩の破片を研究者が発見した。現在では、科学者はおおむねその線刻が意図的なものだったと認めているが、一方では、その線刻が意図して具象的に彫られたのかどうか、議論が続いている。

 ブロンボス洞窟で発見されたオーカー破片の年代についてはほとんど議論がない一方で、スタンフォード大学の考古学者であるリチャード=クライン氏のような科学者は、それらは単なる落書きでほとんど意味がないと述べている。

 5〜4万年前に、生物学または遺伝学的変化の結果、現代的行動は発達したのだ、との見解をクライン博士は長い間抱いてきている。彼は、この特質の変化を示す化石証拠がないと認めてはいるが、それより後の西欧における象徴的行為の爆発について、他に適切な説明ができない、と確信している。また彼は、ブロンボス洞窟のオーカーの線刻や他の場所で発見された似たような破片の如き破片は、単なる偶然にすぎないかもしれない、とも述べている。

 しかし、ヘンシルウッド氏は、落書きをする能力さえ、ある種の抽象的な能力を要求すると確信している。彼は、ブロンボス洞窟の線刻は、もっとも明白な証拠をもたらした、と述べている。オーカー粉は装飾に用いられていた、と彼は長年確信してきた。「実用的な目的だけならば、あのように大量に持ち込む必要はない」と彼は述べている。考古学者は、アフリカの化石記録は少なく、もっと多くの場所を発掘する必要がある、と認めている。現代的行動とブロンボス洞窟についての議論は「すぐには終わらないだろう」とヘンシルウッド氏は述べている。

 

 

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