人類史に疑惑?(19)

 

 このところ相次いで発表された論文により、現生人類のアフリカ単一起源説は苦しい立場に追い込まれた感もあるが、それでもやはり依然として現生人類の起源について最有力の仮説であると私は考えている。何だか特別な理由があって単一起源説にこだわっているように思われるかもしれないが、別に私は研究者でもサイエンスライターでもないので、とくに義理やしがらみはなく、特定の誰かや学派に遠慮しているわけではない。単一起源説には依然として否定されていないさまざまな証拠があるから、現時点では最有力の仮説だと考えているのである。

 

 従来は、単一起源説の有力な証拠として、分子生物学の成果を挙げていたのだが、テンプルトン氏の論文が発表されてからというもの、証拠として挙げるにのは多少のためらいがある。テンプルトン氏の研究は、単一の領域(例えばミトコンドリアDNAやY染色体)のDNAしか分析していなかった従来の研究に対して、10もの領域から取り出したDNAを分析対象としたものであり、詳細はまだ知らないのだが、あるいは従来の研究には大きな欠陥があり、重要な点を見落としていたのかもしれない、とも思わせられる。
 しかし、テンプルトン氏の研究をただちに承認するのもどうかと思われる。単一起源説が一気に認知されるきっかけとなったミトコンドリア=イヴ仮説も、衝撃的な内容で評判となったが、使用していたコンピュータプログラムの誤使用が判明してそれが致命傷となり(サンプル数やその選択についても厳しく批判されたが)、現在では基本的に誤りだった判明している。しかし、イヴ仮説の結論自体は、その後の分子生物学による多数の検証により、おおむね正しかったとされてきた。
 テンプルトン氏の研究も、第三者により、その結論の妥当性が検証される必要があり、それまでは、新たな一仮説として扱っておくのが無難であろう。また、テンプルトン氏の研究においては、‘GEODIS’というコンピュータプログラムが使用されていたそうで、このプログラムも重要な検証対象となるであろう。

 なぜテンプルトン氏の研究にたいして慎重になるのかというと、分子生物学の従来の多数の研究とはあまりにも結論が異なるものになっているからである。従来は、現生人類の分岐が始まったのは二十数万年前〜十数万年前と言われていたのだが、テンプルトン氏の論文では、人類は170万年前頃に初めてアフリカを出て他地域に移住し、その後84〜42万年前頃と15〜8頃万年前頃の二度にわたってアフリカから大規模な移住があったが、ユーラシア大陸においては全面的な置換はなく、アフリカから移住してきた人類とユーラシアの先住人類との間には通婚があった、というものである。
 つまり、現生人類の成立にさいしてアフリカ地域集団が大きな役割を果たしてはいるが、現生人類の分岐は、従来言われてきた二十数万年前〜十数万年前ではなく、はるかに古い170万年前以上にさかのぼる、ということである。現生人類の起源がアフリカにあるという点は従来の研究と共通するが、その分岐年代は従来の研究と比較しておそろしく古いのである。
 テンプルトン氏の論文では、単一の領域ではなく10もの領域のDNAを分析したことが従来の研究とは異なる結論を導いた理由とされたが、逆に10もの領域のDNAを‘GEODIS’というプログラムで分析したことが、実際よりもはるかに古い分岐年代を導いてしまった理由になった可能性もあるのではなかろうか。もちろん、私はこういう問題には詳しくないので、見当違いのことを述べてしまっているのかもしれないのだが。

 

 テンプルトン氏の研究にたいして慎重になるのには、他にも理由があり、それらをまとめると、以下のようになる。

(1)解剖学的現代人が最初に出現した(十数万年前)のはアフリカであり、アフリカにおいては、エルガスターからハイデルベルゲンシス(あるいはそれに近い形質の人類種)を経て解剖学的現代人へと進化する跡をかなり明確にたどれること。アフリカにおいては、数十万年前頃に、「古代型」の特徴と現生人類の特徴を併せ持つ人類がいたことが判明している。

(2)十数万年前の中国やそれよりも後までジャワにいた人類(後期エレクトス)よりも、アフリカの初期解剖学的現代人の方が、現代の東・東南アジアの人類に遥かに似ていること。

(3)象徴的思考などといった現生人類的行動が最初に認められるのもアフリカであること。この点については、第72回前回に述べた、幾何学文様の刻まれたオーカーもその一例である。また、5〜4万年前または1万数千年前以降にしかユーラシアには見られない、従来は現生人類が後期旧石器時代になって獲得したとされる先端的技術(約36000年前のネアンデルタール人のシャテルペロン文化という例外はあるが)の一部が、アフリカでは9万年前に認められること(ハウイソンズ=プールト文化)。

(4)現代の人類は遺伝的にかなり均質であり、形質的にも人類史において過去に例を見ないほど均質であるが、遺伝的にはアフリカ地域集団にもっとも多様性が認められること。集団遺伝学者の間では、アフリカとユーラシアとの間の長期にわたる一体的な遺伝子交流により現生人類のような遺伝子構成になることは考えられず、現生人類は人類史においてはわりと近年のある時期に、小集団から膨張したとする見解が有力だということ。

 こうした点を考慮すると、単一起源説は、現時点では依然として最有力の仮説であると私は思う。アフリカの人類とユーラシアの先住人類との間の大規模な通婚を示唆する論文が相次いで発表されたが、アフリカに二十数万年前〜十数万年前頃に存在した小集団の人類がユーラシアに進出し、各地の先住人類との間に全面的な置換があったとするシナリオも、まだかなりの説得力があるのではなかろうか。
 また、アフリカ原人とアジア原人の双方の特徴を併せ持つとされる頭骨化石にしても、恐らく人類史において、アフリカが常に最も多様性(遺伝子と形態において)を保持してきた地域であることを考慮すると、直ちに両者の通婚と結論付けるのではなく、アフリカにいた共通の祖先から同じ特徴を受け継いだというシナリオも想定すべきだろう。今後発掘が進めば、アジア的とされる特徴を持つ初期ヒト属の人類種と、その特徴を受け継ぐ200〜100万年前頃の人骨が、アフリカで相次いで発見される可能性もあるのではなかろうか。まあ、これは私の願望も多分に入っているのだが。

 

 

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