日記を読む(6)
前回は竹下内閣発足についての箇所を引用したが、今回は、その竹下内閣倒壊についての関連箇所を引用してみる。最大派閥を擁し長期政権が予想されていた竹下内閣だったが、リクルート事件と消費税導入により支持率が激減し、ついに竹下首相は退陣に追い込まれた。リクルート事件されたのは1987年10月であった。当時の日記にも、自民党総裁選についての記載があるので、以下に引用する。
1989年4月1日(土曜日)
今日から消費税がかかる。3%の税金が、商品につくのである。大変困ったものだと思う。
1989年4月26日(水曜日)
昨日遂に、竹下首相が退陣を表明した。今年度の予算成立と共に辞職すると言う。消費税を導入した時に、リクルート事件が更に拡大して、支持率が3.9%にまで下がり、辞めざるをえなくなってしまった。後任には伊東総務会長が有力視されている。
1989年4月27日(木曜日)
竹下首相の後任には、伊東総務会長が有力だ。だが、伊東氏所属の宮沢派は、宮沢政権の可能性がなくなるとして、反対の様だ。伊東氏の他には、金丸氏や、河本氏の名前も挙がっている。
4月26日の日記には、竹下首相の後継として伊東・金丸・河本の三人の名前が挙げられているが、竹下の次に首相に就任した宇野外務大臣の名前は、当初はほとんど挙がっていなかったと記憶している。したがって、日記にも宇野の名前が挙げられていなかったのだろうと記憶している。こういう場合、最初に名前の挙がった人の目はない、というのが政治評論家の常識らしいが、この時はまさにその通りだった。
伊東・金丸・河本の三人は、実力者と言われながら結局は総理・総裁にはなれなかった。この後、自民党がいったん下野するまでの総理・総裁は、宇野・海部・宮澤の順となるが、この三人ならば、伊東・金丸・河本の三人の誰かのほうがまだましだったとも思うのだが、さてどうだろうか。