オモ人骨の新たな年代測定
2月17日の日記でも述べたが、初期現生人類の化石として有名なオモ人骨の新たな推定年代(19万5千年前)が発表された。オモ人骨は、1967年にエチオピア南部のキビシュ川の土手で発見され(頭蓋片は2個体分発見され、オモ1号・オモ2号とされた)、その人類史上の位置づけは、初期には様々に揺れ動いたが、マイケル=デイとクリス=ストリンガー両氏の研究・復元により、オモ1号はほぼ完全な解剖学的現代人とされている。一方、オモ2号のほうはかなり「古代的」な形態と推定されたが、両者は同時代のもので、年代は13万年前とされている。
しかし、「古代的」なオモ2号にたいしてオモ1号があまりにも現生人類的であることから、その年代と復元方法にずっと疑問が呈されていた。オモ1号の復元がおおむね妥当なものだとしたら、後世の人骨がまぎれ込んだのではないか、逆に、推定年代がおおむね妥当だとしたら、復元方法に問題があるのではないか、というわけである。
当初は、オモ1号はそれほど異端の存在だったわけだが、その後、南アフリカやレヴァントなど、他地域の解剖学的現代人の新たな推定年代が発表され、それらが10万年前頃までさかのぼる可能性が高いことが指摘され、オモ1号も「不可思議な」存在ではなくなっていた。
さらに、2003年に発表されたホモ=サピエンス=イダルツ(エチオピアで発見された)が、年代は16万年前でオモ1号よりも「古代的」だったことから、オモ1号はサピエンスの進化史に問題なくおさまりそうな感があった。
ところが今回、10万年前頃のものである可能性もあるとの保留つきとはいえ、オモ1号と2号が同年代のもので、ここ数年最古のサピエンスとされたイダルツをも上回る古さの19万5千年前までさかのぼると発表されたことは、サピエンスの進化史に新たな混乱をもたらすことになった。
こうなると、やはりオモ1号の復元に問題はなかったのだろうか、との疑問をいだく人が増えるのは当然だろう。じっさい、発見当初のオモ人骨は、研究者によっては「猿人」や「原人」に分類されていたのである。そのなかで、当初からオモ人骨はサピエンスと主張していたのが、復元を担当したマイケル=デイ氏であった。
今回の発表により、オモ人骨、とくに1号の復元を根本的に見直そうとする研究者も出てくることであろから、今後の研究の進展に期待したいところだが、仮に、現時点での復元と19万5千年前という年代が妥当なものだとすると、サピエンスの進化史はどう描きなおされるべきだろうか。もちろん、現時点では私も確実なことを述べられるわけではないのだが、あえて推測すると、以下のようになる。
初期サピエンスの形態的な変異幅はひじょうに大きく、解剖学的現代人と呼べる者から「古代的」特徴を強くもつ者までいて、解剖学的現代人の登場は20数万年前までさかのぼる。形態的な変異幅は大きいとはいえ、これらは繁殖可能な集団であり、一つの種として位置づけられる。技術面・社会組織面での「発達」から、初期サピエンスの形態は、次第に華奢な解剖学的現代人へと移行していったが、芸術など象徴的思考の痕跡が、解剖学的現代人の登場よりもかなり遅れることから、脳や神経系の「現代人化」は、外見の「現代人化」に遅れて始まった可能性がある。