(1)鈴木眞哉『鉄砲と日本人』

 

 私が所有しているのは、単行本(洋泉社1997年)の補足修正版である文庫(講談社2000年)である。鈴木氏は在野の研究者で、氏によると「日曜歴史家」とのことである。
 さて内容だが、これは実に面白い本であり、傑作と言ってよいかと思う。鈴木氏は、日本と鉄砲に関する従来の定説や人口に膾炙している通念に対して、大幅な異議申し立てを行なっている。在野の歴史研究者が定説の見直しを行なうと、多くの場合はトンデモとなってしまう。これは、基礎ができていない・先行研究を軽視ないしは殆ど知らない・資料に自ら目を通さないといったためで、結果として独りよがりのトンデモな思い付きを述べることになってしまうのである(これは自戒の意味も込めて言っているのだが)。
 これに対して鈴木氏は、先行研究を尊重しつつ、多数の史料を用いて批判すべきところは批判しているのだが、その際には史料批判も怠りなく行なっており、故に説得力のある所論となっている。無論、氏の史料批判の中には不適切なところもあろうが、私が読んだ限りでは大体において大過ないものに思えた(まあ、私のことだから大きな見落としをしている可能性も充分あるが)。

 では具体的にどういった点について鈴木氏が異議申し立てをしているのかというと、大別すれば、(1)鉄砲が日本における合戦の在り様を変えた(2)織田信長は鉄砲の大量導入の先駆者で、画期的な運用法を開発した(3)江戸時代になって日本人は鉄砲を捨てた(4)日本人は白兵戦に長けた尚武の民である、といったところである。
 (1)鉄砲伝来以前より、日本の合戦は世界各地の合戦と同様に遠戦志向であり、これは合戦における負傷者の分析などからも明らかである。合戦における負傷理由の大半は飛び道具によるものであり、鉄砲伝来以前と以後とでこの傾向に変化は認められない。
 (2)織田家の鉄砲導入は他家と比較して隔絶したものではなく、その運用法も画期的なものではなかった。長篠の戦いにおける鉄砲三段撃ちなどは大嘘である。
 (3)江戸時代においても、武家でも民間でも多数の鉄砲が保有されていた。
 (4)(1)とも関連するが、日本においても合戦は遠戦志向であり、白兵戦はそれ程盛んではなかった。こうした観念が強調されるようになったのは、明治以降、特に日露戦争以降で、その要因の一つとして、国家財政の貧しさによる火器の不備を白兵戦で補おうとした点が挙げられるが、第一次世界大戦まで白兵戦重視だった西欧列強の影響によるところも多分にある。西欧(具体的には、陸軍はドイツ、海軍はイギリスだが)の軍制を大いに取り入れて自国の軍制を確立していった日本は、白兵戦重視という志向も受け入れたわけである。第一次世界大戦以後、西欧列強はもはや白兵戦重視が時代遅れのものであると認識したが、直接欧州の陸戦に赴かなかった日本は、この点を深刻に認識することがなかった。

 こうした主張が豊富な史料を用いて展開されていくのだが、鈴木氏の主張には概ね同意である。日本人が伝統的に白兵戦に長けた尚武の民というのは、「創られた伝統」と言えようか。案外、定説や通念といったものは信頼ならないもので、史料を丹念に読んでいけば大きな訂正を必要とするものも多いのかもしれない。これは私にとっても他人事ではなく、安易に定説や通念を受け入れることのないよう自戒したい。

 

 

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