大山誠一『聖徳太子と日本人』(後編)

 

 聖徳太子は実在しなかったとされる大山氏は、聖徳太子の偉大さを示す史料がどれも後代の捏造であると判明しているにも関わらず、依然として聖徳太子の実在性が一般には疑われない理由を、天皇制は、目に見えない価値観としてあるものであるが、『日本書紀』は、それを聖徳太子という一人の人物像に託してしまった。だから、天皇制と聖徳太子は限りなくイコールになってしまい、聖徳太子の実在性を疑うような研究自体が、皇室の尊厳に関わることになってしまったのである、と述べられ、最終章では聖徳太子という架空の人物を通して日本(人)論と天皇制を論じられている。

 大山氏によると、聖徳太子を一言で言えば偉大な王族ということになる。中国的聖天子像を託され創造された聖徳太子は、中国思想を先取りして極めており、飛鳥時代は勿論のこと奈良時代にも新鮮な人物であった。ユーラシア大陸の東端の絶海の孤島に浮かぶ日本列島に生活する民族は、孤立していることを充分に承知しているため、外来思想・文化に弱かったが、優れた知識人である聖徳太子にはその弱さは感じられず、偉大な存在足り得ている。
 だが、中国思想そのままでは、偉大さは一般の人には理解されないので、土着の日本人の価値観を取り込んで融合しなければならない。その際に大きな役割を果たしたのが光明皇后と行信であった。二人は、橘大女郎という聖徳太子を追慕する若き妃の創作、聖徳太子の等身と称する観音像の安置などを通じて、土着の日本文化と融合した聖徳太子像の提示に成功した。外来思想の導入とその土着化により、新たに太子信仰が生まれたのである。外来と土着の交錯と融合は日本の歴史に普遍的なことで、実質的な価値は外来のものにあるが、土着のものと融合することによって初めて正当化され有効となる。
 では、究極の土着日本とは、そしてそもそも日本(人)とは何か。日本人は元々は日本列島外から来たので、最初から日本人の特性を持った人達が移り住んだわけではない。そうすると、究極の日本文化とは日本列島そのものの中にありそうだ。網野善彦氏の言われるように、日本列島はそれぞれの地域に個性的で豊かな世界が形成された多様な世界であった。日本列島は、計り知れない未知の世界にあふれた一つの宇宙であったが、明治以後には小さな島国だと教育されるようになった。
 聖徳太子の特徴の一つは偉大さで、もう一つは王族ということであり、偉大な聖天子として描かれた聖徳太子は、天皇制の象徴であった。その天皇制は、欧州やインドや中国やアメリカよりも遥かに複雑多様な日本という島国に生まれた唯一の価値観であり、宿命でもある。天皇制の原点は、纏向に成立したヤマト王権にあり、天皇制の本質は天皇号の採用以前に既に存在した。東西日本の接点である纒向に成立したヤマト王権は氏族の合議体で、多様性に富む日本で生ずる複雑多様な利害関係の調停者であり、その複雑多様性故に孤立を恐れて情報を求める日本の地域社会に最も的確に情報をもたらす存在であった。ヤマト王権の中心にある大王・後の天皇は、究極の調停者・都の情報の象徴であり、生々しい権力を振るうこともなく、日本そのものとして存在してきたし、今後も存在し続けるだろう。
 実在の人物ではなく理念として偉大であり、生々しい剥き出しの権力を振るうのではなく清浄無垢にして神聖な存在である聖徳太子は、その意味で天皇制を象徴しているのである。聖徳太子は仮にこの世に姿を現した奇跡であり、日本人の願望そのものであった。

 纏めると言いつつ長くなってしまったが、要するに大山氏の最終章(第八章)での主張は、複雑多様な「日本列島」を「日本」たらしめているものが天皇制で、その意味で天皇制は日本そのものであり、その天皇制の象徴である架空の人物の聖徳太子は日本人の願望そのものであった、ということなのだろう。試論とのことだから、聖徳太子架空人物説の証明と同列に論じることはできないが、説得力が随分と劣ってしまったように思われる。特に、欧州やインドや中国やアメリカは複雑多様な日本と比較して単調であるとの箇所は、正直なところ大山氏ほどの研究者にしては認識不足だと思う(特にインドについては)し、日本列島の住民が自らを孤立した存在と認識していたという箇所や、天皇号と日本という国号の採用は本質的には名称変化にすぎないとの箇所は、かなり疑問である。また、最新の中国思想で創作された聖徳太子の土着化についての議論も、どうも説得力に欠けるように思われる。
 結局、大山氏も日本特殊論に陥ってしまい、最終章に関しては少々議論が上滑りしているように思えてならないが、「日本」を「日本」たらしめているものが何か、といった問題提起は重要だとは思う。私は、天皇制を日本そのものと断言できるとは思わないが、天皇に代表される律令国家としての「中央政権」が「日本」のその後の重要な枠組みを少なからず規定してきたことは否定できないだろう。そして天皇の性格の少なからぬ部分が、天皇号の成立以前より引き継がれたことも間違いないだろう。その意味で、日本(人)論を聖徳太子と絡めた大山氏の見解は重要なものであり、今後大いに検討されるべきだと思う。

 

 

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